映画というものは夢があってよい。
一昨日、有料配信で観た映画「椿の庭」もそうだ。
良いところが濃縮還元ジュースのように詰まっている。
美しいところだけを100万本のバラからエッセンスを絞り取って作ったPerfume香水のように、見えない面はあえて見ないで、目の前の事実に、うっとり没頭するのが良い。
見えているものが頂点、氷山の一角であるとしても、一角は偽ものではない。
経験が浅いと、下に隠れている部分は想像できず、全て見えない部分も見える部分と同じなのかと勘違いするだろう。
一時だけ、夢の部分だけを味わうのも良い。
映画を見ながら、じつは、突っ込みどころ満載で、地に足が着いた現実派のもう1人のわたしがウルサイ、ウルサイ。
例えば、庭掃除する時は、美しいハイクオリティ月刊誌の表紙を飾るようなお着物ではなく、モンペが便利、だとか、色々。
監督もさすがに気を使って、リアリティも加えておかねば、と思ってか、植木屋さんが入って作業するシーンを入れていたが。
そして、ネタバレを恐れながら書くが、、、
あんな100000%理想的なこの世の去り方は映画でしか見られない。
(とは言え、遠縁の奥さんのお母さんは、超理想的な終わり方だった。
あ、それから、伯母も。さらにご近所さんのお姉さんも。
少ないなりに、映画の世界以外にも結構いるなあと)
ハッピーエンドを観ながら、わたしのアタマの中では映画のヒロインのエンドと同時に別ストーリーがスタートした。
死んだ瞬間に幽体離脱して、そのまま元の身体に戻り、ストーリーが繰り広げられていた。
こちらは現実味溢れるストーリー。
75歳はお肌の曲がり角は、とっくに過ぎて、アタマの曲がり角。
認知症は結構な割合で発症している。
さらに、病気も。
一旦入院して治癒したものの、そこからがまた新たな闘いが始まる。
わたしは、身内の高齢者(祖母、実父、舅、姑)が命を全うする様子を間近で見て、つくづく「生と死」について思う。
自分が思うような、理想的な終わり方はなかなか出来ない。
が、それぞれ。
周りが判断したり、評価するものではない。
病院、施設、自宅、場所、経緯も色々。
簡単には終わらないことだけは確かだ。
ではあるが、本人にとっては自分の経験は初めてだから、余裕も能力も精神力もないだろう。
わたしがざっと身内を見てきての感想は、体力と気力が、両方ゼロになった時点が合致すれば良いが、微妙にズレると苦しい。
体力があっても気力がない、気力があっても体力がない、、、どっちも苦しい。
1番美しい理想的な時点で、この世を去るのは、本当に映画の中の世界だと実感した。
だが、目の前の美しい四季折々の自然には癒される。
思い出さえも美化される。
あるがままに生きたい。
というか、それしか出来ない。
そう書くだけで涙が出る。
無料の天然目薬。
わたしはお得に出来ている。
【蛇足、追加】
余韻に浸りながらこのブログ記事をアップした。
で、まだ配信時間が残っているので、最後にもう一度観ようと、トド夫にTVの前から退去していただき、パソコンから再キャストしようとした、、、のだが、、、
あらま、視聴時間は72時間ではなく48時間でもう切れていた。
一昨日観ていて、本当に良かった。たまたまスレスレセーフ。
これからは注意しなければ。
72時間を勝手に脳内で自動変換され48時間だと思い込んでいるところが、全くをもって信用できない、わたしの脳。