蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

難儀な性質

2023-06-05 | わたし
ちなみに、わたしには親友がいないのが、ブログをお読みになった方には想像できるだろう。
いつも眠いくせに、やたら理想が高い。
興味があることが、浮世離れしている。そんなことより、晩御飯の用意が先でしょう?という、優先順序が少しズレている。
まともにご飯も炊けないくせに(実は炊ける。わたしは炊飯器のスイッチを押すだけ)、抜いた雑草や葉っぱゴミを入れたビニール袋の口も素早く結べないくせに(自治会掃除でモタモタ)、身近ではない、遠くの世界の理想主義を唱える。
ではあるが、結果的に、夕食が食べられたら、それでいい。
子供が飢えなければいい。

何しろ、言っていることや、興味があることが日常生活と乖離している。
ものを見る目が、俯瞰的過ぎて、聞いた人は実感が湧かない。
体内時計は、宇宙時計。
なら、学者にでもなればよい。
が、知能と知識と根気が足りない。
学者としての基本的能力はまるっきり不足。
あるのは、疑問だけ。
なぜ?なぜ?なぜ?
本当にそうなの?
だが詰めが甘く(眠くなるので)回答には導けず、解決されないまま迷宮入り。

では、時を半世紀戻せば、どうにかなったか?
否。
どうにもならなかった。
自分のことは自分が一番よく知っている。
やり直したところで同じ。
全く別人に生まれ変わるなら話は別だが、それでは妄想、空想に過ぎない。

毒にも薬にもならないことをグダグダ話されると、聞いてくれるような人はいない。
同じ下らないことなら、面白い娯楽性や刺激があれば楽しかろうが。


美術館には一人で行く。
当たり前だと思っている。
複数で行くと、観るスピードを調整しなければならない。
ならば、美術館を出たところのカフェで待ち合わせるか?
感想を言い合える程、わたしには知識も感性も自信がない。
お粗末なマイワールド。
そして何よりの最悪のマイナス傾向は、、、仮に一緒に誰かと行ったとしても、その人の感想を聞いて、全く納得がいかないこと。
聞いてもいないうちから、想像できる。
へんに自分と似たようなレベルだと、浅さにカチンと来る。
(仮にわたしと行くような人にハイレベルな人はいない)
第一、自分の感想を人に同感させようなどとは、とんでもない。
(美大の同じ学科、同じコース、同じ先生、同じ課題に取り組んでいるなら別だが)
なので、他の広くインターネットで観覧者の感想をこそっと読んで、参考にする。
賛同できないものも多々ある。
当たり前。
一人一人、自由な感想なのだから。
ではあるが拾い読みした中から、好きなものをこころのポケットに仕舞い込む。


わたしは中途半端なのである。
こんな中途半端な話は聞きたくないのは、よくよくよくわかる。
なので自分の胸の中でおさめる。
もう一人の自分とおしゃべりする。
誰にも迷惑かけない。
これを、非社交家という。
人の話に耳を傾けない頑固者という。→インプットが下手。
さらに、人に自分の思っていることを伝えるのが苦手なのだ。→アウトプットが下手。
内気ともいう。自意識過剰でもある。
よくある、そこらへんにごろごろいる人物像である。

最高の時と最低の時の能力ギャップが大きい。
バイオリズムの高低差が激しい。
メンタル的には常に一定、変化なし。
温度はいつも低い。
非ラテン系。ではあるが演歌・北国系ではなく、瀬戸内・温暖気候系。
感激したり共感すると、いともかんたんに静かに涙をポロポロ流す。
真ん中の時は、寝ている。活動しない。
なので、実際に行動を共に出来る人は、いない、、、ということになり、一人で行動する。
友達がいないのは、誰かとお互いに合わせらないからだろう。
合わせたら、お互いの持ち味が低下する。
融合しない。
なので、平行線で同時に進むのが良い。
ああ、難儀。
だが、年月が経って影響を与え合っていたことに気づく。
それなりに経験値を上げていく。

ではあるものの、最近、こういう人、多いように思うが、気のせい?
多様化を認めすぎると、まとまりなくバラバラで集約できなくなる。
それぞれが自立していれば、個の集合体か。