映画「怪物」を先週、6月5日に観た。
観た直後は、よくわからなかったこともあり、帰りの電車内で、誰か知らない人のブログで解説を読んだ。
明確な説明がされていて、なるほど、と腑に落ちた。
一緒に観た人は、「子供の頃を思い出した」と子供時代プレイバック、キラキラ目だった。
わたしはその個人的感想には、全く共鳴できなかった。
映画は観る人それぞれの解釈、感性で観るものであり、価値観を押しつけてはいけないので、わたしは人の感想には口を挟まない主義。
監督の狙いだの意図だの、知ったかぶりをしたところで始まらない。
ではあるものの、わたしは、あれは「三部作」という解説を読み、脳の血流が滞っていたようなところに補助サポートを得た気分。
一つ、見落としてしまいがちな、聞き漏らしてしまいそうなセリフで、印象に残る、隠されたキーポイントがあるのだが、ネタばれに繋がってはいけないので、書かない。
後からじわじわと効いてくるボディブローのよう。
「怪物」というタイトルには、それぞれの意味があるようだ。
田中裕子、渋い演技。
永山瑛太、こういう役どころ、多い。なかなかのもの。
そして、ご存知、安藤サクラは、是枝監督作品にはなくてはならない女優さんなのか。
彼女の普段着を兼ねたような仕事着が、ファッション的に参考になった。
動きやすそう。
て、観る視点がズレている?
わたしの映画感想は、わざわざ独立させて書くような(立派な)ものではない。
映画鑑賞を幸福度を得るには消極的アクションだと決めつける、幸福論研究の方がおられるが、諸説あるので、決めつけに対してわたしは異議を唱える。
人それぞれ。
違う、と感じたら、それはそれで、自分の感情や考えが浮き彫りになり、自覚できる。
映画は面白いものも、面白くないものも、感銘するものも、全く理解できないものも、色々ある。
海の中で、落とした靴を探すようなもの。
落としたコンタクトレンズを探すほど、確率が低いものではない。
プールの中なら靴はすぐ見つかる。
でもコンタクトレンズは、体はじっと動かず瞬きしただけでどこかに飛んで行ってしまって紛失することがある。
(何度も経験済み、泣きをみた)
映画は、比較的、楽に、苦労せず楽しみを得ることが出来る。
が、見過ぎて、別の映画と話がこんがらがったり、良さや感動をちゃんと掴めないまま溢れ落ちたりすることがある。
新作なら、一度観ると、近い将来に何回も観ることはないだろう。
話題作を次々追い続けるのも、刺激の受け取り方としてインプットばかりでは、もったいない。
ちゃんと受け止め、感じ、考える時間があると、またストーリーの息を吹き返す。
発酵させたりする(寝かせる)時間も欲しい。