蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

じわり、じわり。

2011-03-17 | 時事&世の中

ここのところ、日本の危うさをしひしひ感じて、怖い。

被災地の人々も、想像を絶する困難を強いられているが、
原発事故が、目に見えないカタチになって、その恐怖がじわじわ押し寄せる。

新聞やテレビでは、連日、被災地の悲惨さを伝えるが、
週刊誌の見出しは、もっとショッキングな怖いフレーズが並ぶ。
なかには、こういう事態に、こういう切り口の記事は、慎むべき、と感じるようなものもある。


がんばれ日本、がんばれ東北。
この想いは、熱く、支援も多いが、物資の輸送は混乱をきたし、
被災地の各地には行き届いていないのが現状のようだ。


風評に惑わされてはいけない。
が、日本から出国した人は、他国への入国時に放射能検査チェックを受ける人もいるとか。
(任意で、らしいが)
中国政府は、原発事故を受けた措置として、被災地にいる中国人の帰国準備を進めているとのこと、
世界、特に周辺国は、原発事故に対して、警戒を強めているようだ。

東京電力や関係される皆さんの懸命な事後作業にもかかわらず、
このまま、どんどん原発が深刻な状況になったら・・・
計画停電の影響で、生活が不便、という、そんなレベルでおさまらない、
もっともっと事態が悪化したら・・・愛する日本の地が、放射能で汚染されたら・・・
自国だけでなく、世界にも、迷惑をかけたら・・・

そんなことを考えていると、どんどん不安になる。
政府は、否定に躍起だが、原発事故対策の初動ミスも指摘され始めている。
真相のほどは、まったくわからないが、
東京電力、昨日は、ストップ安。
値がつかないほど下落。
今、ようやく値が定まったようだが、まだまだ、この先は不安だ。


よく知らないで、週刊誌の見出しに踊らされるのは、愚かなことだ。
だが、最悪の事態を仮に想定し、冷静な目を持つのも、方法のうちのひとつだ。
最悪でなければ、それでよし、
最悪の場合は・・・???
わたしの豆腐のような、やわらかアタマでは、考えが及ばない。

一日一日、見守るしかない。
日頃、あまり意識して感じない日本への愛着、故郷への想いが、
急に上昇したような気になった。

頑張ろう。
日本人。

わたしたちの国。
大ピンチ、大打撃だけれど。
頑張るしかない。

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自分ってやつは・・・

2011-03-16 | 時事&世の中

地震発生の11日、
当日、丸の内から区外の住まいまで、20キロ以上、5時間強を徒歩で帰った長女。
日本の中心部・中枢のど真ん中で起きた事を体験し、
日本の危うさを身をもって感じたことだろう。

被害の大きい被災地の皆さん方の恐怖や、哀しみ、苦痛は、計り知れない。

今朝、彼女がメールをくれた。
関西にも突然、いつ地震が起こっても不思議はないのだから、
都会にいる時は、避難路などを確認すること。

都心で恐怖を味わった経験からのメールだ。

昨夜、静岡にも震度6強の地震が、起きた。
どこにいても、地震は常に起こりうる。


原発事故の政府発表の対応が、外国から非難を浴びているようだ。
菅首相の「○○から発表があります」とか、「○○が、こう言っています」とか、
他人事のような表現が、特に理解できないと。

原発事故の発表を見ていても、関係者は、隠そうとしている姿勢がうかがい知れ、
その表情もなにかしら、オドオドしているように見える。

病院をはじめとする、救援物資の訴えも、あちこちから上がっているが
なかなか到達していない様子。

報道を見ていると、アタマが痛くなってきた。

自分は被災もしていないのに、
しかも、地震の影響を受けた長女から気づかいのメールが届く、逆・配慮。
今も彼女は、毎日の通勤には支障をきたしていることだろう。

被災地のお年寄りや、乳児、幼児を抱えた方、病気の方、
今後の見通しも立っていないなかで、いまを精一杯生きるというのは、
どれだけ過酷なことだろう。

そういう悲痛な声を感じながら、
その一方で、防災グッズを用意しなきゃ、と、思いつつも、ぼんやり、
人さまのお役に立つどころか、娘さえも励ましてやれない(逆に、注意されている)
なんか、のろのろしている、わたしがいる。

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無駄にしてはいけないこと。

2011-03-15 | 時事&世の中

節電に協力します、と言いつつ、ブログ更新をしている、わたし。

これは、口先(くちさき)女?

一人一人が、節電に協力すると、予想以上の成果をあげられるのでは。

そう願って、あえて更新アップします。

 

もっともっと根本的に、わたしたちの生活を見直そうではないか、という動きもあるそうだが、

わたしは、その提案には、大賛成。

最近、やっと、エコに光が当たるようになったが、

そもそも、日頃、日常に、電力をあまりにも湯水の様に使いすぎると感じる。

冬には、室温は薄着で過ごせるような温度に上げ、夏は、猛暑ならいざ知らず、

快適というだけで、切羽詰まらなくてもエアコンをガンガン。

人間サマが快適になるように、というのなら、まだわからないでもないが、

家に残したペットのために、エアコンをつけっぱなしで、外出する、

生け花のために、と、エアコンを十分に効かせた誰もいない部屋、・・・。

 

他人の生活にあれこれ、いちゃもんをつけるな。電気代を払っているんだから、文句ある? 

ってなもんだろうけれど、そういう問題ではないと思う。

お金さえ払えばいいのではなく、意識が大事。

 

今回の地震や、原発事故で、停電世帯は、膨大な数となっている。

電力供給が需要を下回ることを回避するため、部分的に強制的な計画停電も実施され、

家庭のみならず、交通機関も混乱をきたしているようだ。

徐々に暖かくなる時期で、関東では暖房需要が低く済んだため、13日は供給が需要を上回ったそうだが、

今後、原発事故の影響もあるだろうし、まだまだ計画停電は行われるとか。

計画停電の影響は、あちこち、生活に密着したカタチで現れているようだ。

不便であるのは明らかだし、困難をきたすが、(特に、医療関係などは、深刻)

永遠に続くわけではないと信じて、ここは、踏ん張って頑張って、乗り越えるしかないだろう。

 

そして、落ち着きを取り戻したら、もう一度、今までの生活を振り返ってみよう。

電気は、無尽蔵にないということ。もちろん、ガスも、水道も。

それがわかると、好きなだけ使っていた電力の使い方を、 各自それぞれが、

電力を一定量、割り当てられると仮定して、優先順序をつけて、使いたいものだ。

被災しなかった人々にも、深く問題を投げかけられている。

 

 

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地震発生から、3日目

2011-03-13 | 時事&世の中

昨日も今日も、まったくテレビでCMが流れていない。
バラエティなどの娯楽番組はもちろん、ごく一部のローカル局を除いて、
地震報道特番以外は、まったく放映されていない。

地震当日、翌日より、3日目は、さらに甚大な被害が続々と報道されている。
避難されている方々の数や、まだ孤立して援助を待っている方々も多く、
災害は、まだまだ終わることはない。

折しも、地震発生は週末の金曜日。
被災地以外の、土日が休みの人は、一日中、地震報道を見て過ごすことになっただろう。

節電協力のメールが、学生時代の同窓生から届き、拡散してほしいとのこと。
知り合いの後輩にメールを送った。
自分も節電できるところは実践しようと思う。

海外からも続々と支援隊が訪れてきている。
義援金も送られてきている。
さっそく、行動で協力を示してくれるとは、有難いことだ。

思ったより、かなり深刻な状況となっている。
まだまだ被害の実体がつかみきれず、収拾がついていないようだ。

津波に肉親とともに飲み込まれ、ご自分は九死に一生を得たものの、
離れ離れになってしまった方や、目の前で流されていく人を助けられなかった方の話が
報道されていたが、言葉を失った。


わたしが、うだうだ、ブログにアップしてもなんの手助けにもならない。
ライフラインが生活には要、とか、そういうフツーの当たり前のことを言っても、はじまらない。
復旧の見通しも立っていない。
家もなく、避難生活を強いられ、まして、救助されていない人さえ大勢おられる。
そんな状態での、うわっ滑りな発言は控えたい。

原発事故は、また別の次元で、限りなく恐ろしい。
大きな事故が同時に起こったが、偶然ではないわけで。
しかしまあ、専門家の専門資料の数値を読むだけの説明は、国民に対しては、適切ではない。
そんな専門家だけがわかる説明が、
一般国民に向け、ふさわしいと感じていることに、改めて驚きを感じた。
もっと、わかりやすい、専門バカ的でない、ふつうの感覚を持って説明してくれる人は、いないのか。


もし、自分が被災したら、どうする?
トイレに行けない、ただ、それだけでも、とても大きなことだ。

日頃の生活を足元から見つめ直し、感謝するとともに、
被災された方々には、ハード面だけでなく、こころのケアも必要だとは思うが、
まずは、その前に、救出が第一。

政府も、自衛隊の援護を早期に10万人に増員すると決定したことは、よかった。
迅速な判断が、あちらこちらで迫られている。

ボランティアに協力を要請するようだが、
初期においては、適材適所、人の割り振りが難しいだろう。

書けば書くほど、自分はなにを軽く上滑りなことを書いているんだろう、と感じる。

こころが折れることなく頑張っていただきたい、などと、そんな言葉、掛けられない。
時間と労力と、こころをかけて築き上げてきたものが、一瞬にして失われることに対して、
経験も、想像もできないわたしが、安易に、月並みな表現で、言葉を選ぶのは、慎みたい。


この事態、被災された方々のことを考慮して、
自粛して、ブログ更新はしません、というブロガ―さんもおられる。
そういう自粛もあるのかも知れないが、寄付や節電、ボランティアの協力という方法もある。

ひとりひとり、各々の能力に応じて、できるだけのことをして協力したいものだ。

 

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お見舞い申し上げます

2011-03-12 | 時事&世の中

昨日の地震、夜が明けるとともに、その被害が明らかになった。

わたしは、あの時間、午後3時ごろは、大阪市中央区にいて、古いビルの5階で椅子に座っていた。
ぐらり、というよりは、ふらり、ふらふら、ゆらり、ゆらゆら、結構長い時間、ゆるやかに揺れていた。

周りの人たちは、あまり何も感じていないようなかんじだったので、
わたしは、めまいか、自分の体が何かの病状が出ているのかと思った。
しばらくして、ビルの管理サイドの人々が、地震情報を伝えたり、非常階段を確認、誘導したり、
ばたばたと緊張した面持ちで、フロアーを回っていた。

大阪市内は、どうということはなかったが、
東京在住(仕事で赴任中)の長女からメールが、地震後まもなく、家族全員にあてて送信された。

「東京は、結構、揺れています。
関西は大丈夫?」

夫とわたし、そして義母が、メールのやりとりをした。
息子と次女からは、メールなし。おそらく、なんの被害もなかったのだろう。
息子の住む一部地域は、津波への注意、避難勧告が出されているようだが。

義母は、長女のメールで状況を知り、東京の親戚にメールを送ったそうだ。
(固定電話、携帯電話は、通じず)
こういうときは、携帯のメールで状況がわかり、とても助かると、義母からメールが届いた。

後でわかったが、都内に勤める長女は、昨夜、住まいまで20キロ、5時間強、徒歩で帰ったそうだ。
パンプスで大変だろうとメールすると、勤務先からスニーカーが配布されたらしい。
さすがの東京都、防災危機管理。
それとも、企業の姿勢か?


NZ地震のショックもまだ記憶に新しい。
阪神淡路大震災から、何年経った?
大きな地震があると、離れて住んでいる家族のことが心配になる。

我が家の地震対策、まったくしていない。
もっと、しっかりシュミレーションすべきと、猛省。
しかし、こんな大きな地震では、なす術もない。

TUNAMI(津波)という名称が、世界で使われるようになっているが、
先日、クリント・イーストウッド監督の映画「ヒア アフタ―」を観たばかりで、その様子が重なる。

地震列国、日本。
阪神淡路大震災の時は村山さんだったが、菅さんも、大忙し。
度々、会見の様子がTVで映し出されるが、枝野官房長官の緊張した表情。
被害が明るみになるにつれ、自然災害の猛威に、恐怖を感じる。

まだまだ、これで収拾に向かう一方とは言えないようで、
引き続き、警戒が必要だ。


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不幸にもお亡くなりになった方々には、謹んで哀悼の意を表しますとともに、
被災された方々には、一日も早く元の生活に戻れますよう、被災地の復旧を
心から願っています。

 


目指せ、愛されモテ系?!

2011-03-11 | わたし

  「愛され女性への導き」っぽい、透き通るような、すっきりしたブログを初めて読んだ。
東欧にお住まいの主婦の方のようだ。
ひとつの記事しか読んでいないが、ごちゃごちゃなしの、理知的思考法をされている。

いまの年齢のわたしなら、わかる内容。
おもに、30歳代ぐらいの独身女性に向けてのアドバイスのように思う。

 

わたしのような、ちょっとやそっとじゃ動かない年齢になると、
男性に愛されたい、とか、もう思わなくなってくる。
年齢のせい?
それとも、わたしだけ?

 

その一因としては、女性ホルモンが著しく低下したからだろうと思うのだが
男性は、うっとうしい。
あんなに、胸どくどく、心臓ぱくぱくだったのに。
なんせ、もう、めんどう。
男性にモテたとしても、嬉しいかどうか。

 

実は、嬉しいんです。

 

ホルモンは、さておき、わたしを誰か誘ってくださいよ。
干物ならではの、ツッコミ、ぼやきばっかりで、うんざりするかも、ですが。

わたしは、ちょっとヘンなひとですが、たまに目先を変えるのも、いいんじゃないですか?
やっぱり、だめか・・・・・

 

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若き独身女性のみなさま、夢を持って生きましょう。
かつて、わたしがそうだったように。

 

 トップ写真は、
ミュシャ展が開催されている、堺市博物館のある大仙公園で、一昨日、ぱちり。
愛されお花が、たくさん寄り添ってます。


アルフォンス・ミュシャ展~ミュシャとの再会~

2011-03-10 | 展覧

「アルフォンス・ミュシャ展~生誕150年記念」に、行ってきた。
なかなか時間が取れなくて、またまた展覧会・最終期限とニラメッコしながら、
アセアセ、と。
芸術をアセアセ観るひとは、明らかに、残念なひと。

展覧が行われているのは、堺市にある、堺市博物館。
JR阪和線・「百舌鳥駅」を降りて、6分ぐらい歩くと、大仙公園があり、その中に、堺市博物館はある。

こんな駅、はじめて降りたので、ガイジンになったかんじで、「ココは、ドコ?」と、
街のマップをまじまじ、一生懸命、見る。

でも、表示が道のあちこちにあって、
どんくさい方向オンチのわたしでも、すいすい、迷わず辿りつけた。

ありました。
堺市博物館。

歩くひとの姿は、まばら。ぱらぱら。

博物館に向かうと、右手側にはお茶室があって、左手側には、千の利休さんの銅像があった。
さすが、堺。
堺といえば、刃物と、与謝野晶子と、ミュシャと、利休さんですものね。

さて、お目当てのミュシャ展。
さてさて、どんなかな?

時間はたっぷり。
といっても、わたしのスケジュール上、最大2時間以内の設定で。
わたしとしては意外にさっさと観たようで、1時間ちょい、ぐらいの所要時間。
音声ガイドは、今回は借りなかった。
ちょっと中心地からはずれた博物館で、人出もそう多くなく、
ミュシャなら、まあ要らないか・・・なんて、テキト―な理由。

もともと「カメラのドイ」の創業者、土井さん(故人)が、新婚時代を堺市で過ごされたとかで、
彼の多くのミュシャのコレクションを堺市に寄付されたそうだ。

堺市内の別のミュージアムでは、常設展でいつもミュシャを観ることができる。
なので、ミュシャ展といえば、年がら年中行事、みたいな感覚。
土井さんのおかげなのだが。

ミュシャは、プラハ生まれ。
5年半ほど前に、プラハのミュシャ美術館で、ちらりと観たのだが、
ちいさい美術館で、「ほんとに、美術館なの?」と、思ったぐらいだった。
作品もごくわずかしか展示されていなかったし。
まるで、出店みたいで、全然、気合いが入っていない印象を受けた。

今回の堺市博物館の展覧会では、
プラハ市立美術館や、チェコ国立プラハ工芸美術館蔵の作品も結構あり、
ミュシャ美術館とのポジションが違うのだろうか。

ミュシャの絵は、誰もが一度は目にしているほど、世界中で有名だけれど、
50歳を過ぎてからの「祖国とスラブ民族の再生」に熱情を注いだことは、あまり知られていない。

数多くの油絵を観て、ミュシャが油絵を描いていたことを、わたしは、まったく知らなかった。
商業デザインのリトグラフで、一時代を切り拓き、築き上げたミュシャ。
時代の寵児となり、超多忙で、次から次へと、注文をこなしていたようだが、その作品数は、すごい。
(リトグラフだと、何枚も同時に、数多く出回るけれど)
作品の少ない芸術家もいるが、そもそも芸術家と、商業アーティストの違いって?
認められるか、認められないか。
パトロンがつくか、つかないか。
生活のためにやっているのか、自分のためにやっているのか。

微妙なところだ。

が、多くの人々に感動と影響を与え、ひとつの時代だけでなく、後世にも作品を遺した
そういう偉業を成し遂げた人が、芸術家なのだろう。


もともとわたしは、アール・ヌーヴォ―の大きな特徴である、
あの優美で繊細な、しなやかな曲線が大好き。
家具や、アクセサリー、建築、内装にも、ああいったテイストを取り入れてあるものには、
強く魅力を感じる。
ただし、東欧旅行では、クレジット・カードを持って行くのを忘れ、(自分でもマヌケぶりに、びっくり)
わずかばかりの現金だけだったので、プラハのお店で、重厚な素晴らしい品々を見たものの、
指をくわえて眺めていただけだった。
買ったのは、わずかな現金をはたいて、無名の絵描きさんの版画と、
ステンドグラス(一番下の写真)と、アール・ヌーヴォ― デザインの銀のネックレスだけだった。


帰りに、そんなことをあれこれ考えながら、
ゆるやかな日差しを浴びながら、公園を抜けて帰った。

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今回は、作品についての感想がほとんど綴られていません。
わたしとしては、「永年の大親友の結婚式に招かれて、スピーチを頼まれた」、といったところ。
いまさらながら・・・言わなくてもわかってるよね、・・・といったかんじです。

(よく知りもしないで、しゃーしゃーと言ってのけるところが、また、・・・
恥知らずな、残念なところですね)

ミュシャもパリで活躍。当時のパリの空気を吸って開花。
「パリ」というキーワード、わたしにとっては、得体の知れない、でも、麻薬みたいな、
そういう不思議な吸引力を持っています。

 


なりふりかまわず、は、いけません。

2011-03-09 | わたし

今日はさすがに、ブログ更新、あきらめます。

ひとりイベントが、一日にいくつも重なって、ブログ時間がとれない。
イベントの内容は、ブログネタになるのだけれど、
じっくり取りかかりたい内容なので、時間が出来た時に・・・と思っているのだか、
いざ、時間が取れたら、その時には鮮度を失って、色あせている。

と、わがまま、言い放題。
残念なひとに、多い傾向。

では、慌ただしく、今からまた、ネタをひろって参ります。
たぶん、おもしろくないと思うので、期待せずに、お待ちください。
(言われるまでもない・・・と・・・言われそうです・・・)

ばたばた、あたふた。
ここでタイム・オーバー。

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究極のカラッぽ内容でも、アップするのが、わたしです。
この傾向、反省したほうが、いいかも。

 


ゆるいのは、確かです、が。

2011-03-08 | わたし

本日は、時間がない。
フツーは、そういう時は、ブログを更新しない。
なんのネタもないからだ。
(時間がある時でも、なんのネタもないこともある)

わたしのブログは、読む方々にとって、超、時間の無駄、非効率の典型。
なんらかの情報を得る、ヒントを得る、そういった、最低限度のこともなく・・・

すみません・・・今日は、なんせ、急いでるもんで・・・
(だから、そういう時に、書くなっ!て。はい、わかってます)

アタマのいい人のブログを読んで、触発され、
あれこれ後を追いかけてやってみたが、時間切れ。

それは何故か。

彼らがフツーにスイスイなにも考えなくても、やっていることを、
わたしが出来ないから。
理解するスピードが遅すぎるか、理解できないか、どっちか。
やろうとすると、考えられないほどの時間がかかる。

なので、持ち時間をそっちに使ってしまって、自分のブログ・タイムを確保できなかった。
いわゆる、残念なひとですね。「あほ」とも言います。

もっとも勘違いしているのは、わたし。
クレバーな人々のことは、あくまでも、刺激材料にして、自分の分をわきまえようっと。
いまさら、なんですが。

 

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脳ミソ、ゆるすぎます。これが、わたしの全容です。
でも、確かに、ゆるく生きてます。


ゆるく生きるには、それまでが肝心。

2011-03-06 | 人々の風景

立ち読みシリーズ。

昨日は、打ち合わせの時間を1時間も早く勘違いし、早々に着いてしまった。
で、仕方なく、本屋でいつもの立ち読みを。

ああ1時間も・・・
どの本を読めば、時間がつぶれるかなあ・・・と、最初は、渋々、本を取る手も、のろのろ。

たまたま、ホリエモン推薦の帯が目について、手に取ったのは、
ゆるく考えよう~ 人生を100倍ラクにする思考法」だったが、
月間100万PVの、「ちきりん」という人のブログ「Chikirinの日記」を抜粋した内容。

はじめは、ちきりんさんが、男性なのか、女性なのか、何歳なのか、さっぱりわからなかった。
実は、立ち読みだけでは、最後までわからなかった。
プロフィールに、人物イラストがのっているのだが、
ユニセックス的で、こんな男性も、女性も、いるよなあ・・・と思っていた。

まあ、それはともかく、とても面白かった。


ブログネタで出版物を出している人は、とても多い。
1年ほど前に読んだ、オネエ系の「女のしくじり」などもそうだが、
気軽に読める、おちゃらけ系のもの、やわらかいものは、間口が広い。

ちきりんさんの本も、この手の、ゆるゆる、やわらか系かと思いきや・・・
ぜんぜん・・・ぜんぜん違っていて、そのキレの良さに、わたしは、ほんとうに痺れてしまった。

一見、やわらかそうに見える。
落ちこぼれている人を救済するような、慰めるような、癒してくれるような、そんなニュアンスを感じる。
実は、違う。
確かに、ほっと安らぎを覚えるのは確かではあるけれど。
その過程、論理的根拠や説明が、図表を巧みに駆使し、とてもわかりやすい。

わたしが特に、ツボ中のツボだったのは、
「有能な人の有能特徴」で、パソコン機能になぞらえて、有能パターン別に分類され、
有能さを具体的に説明している部分。
いるいる、こんな人。確かにいる。
鋭利な刃物のようにシャープにキレる人、膨大な脳のキャパシティを持つ人、
超高速の理解&処理能力がある人、
情報収集力が並はずれて優れている人
膨大な量の資料の数字や文字の読み込みを、長時間、ものすごいバイタリティでこなす人
・・・・などなど・・・・・

そして、有能でない人に対するアドバイスが、また、とても端的でわかりやすく、深く深く、大納得した。
まさしく、わたしなど、有能でない人(=無能)の、典型的なタイプなもんで・・・。


また、コミュニケーション相互・理解力についても興味深かった。
お互いが言っていることを(擬態語、擬声語を含めて)ちゃんと認識できるか
(賛同するかどうかは別として)、その相互・理解度を分類、分析されている。
必ずしも、双方が完全に理解でき合えるとは限らないということを、知ると知らないとでは、
コミュニケーションの仕方にも、ストレスの感じ方にも、大いに関係がある。

さらに、こういう項目もある。
やりたいこと、やるべきこと、ヒマだからやっていること、
あるいは、趣味、仕事、家庭の3つの要素を、
人生の縦軸横軸の図表から、わかりやすく説明されているのを読むと、
日頃、わたしが、ぼーーっと考えていることを、理論的に端的に示してくれて、
胸のつかえ、もやもやが取れたような気になった。


あとで、ブログを読んでみると、さらに、もっともっと、いろんなことが書かれていて、
長い間考えていても答えがあいまいだった出題の、模範解答を見るようなかんじ。
「ライターとカメラマン」の記事も、
わかりやすい例を踏まえ、よくご存じで、無駄なくきっちり、うまく書かれていると感心した。
ホリエモンが推薦文で書いていたように、100人の上司の訓示より、ずっとずっと、アタマとこころに響く。


この方、とても優秀な方。
優秀な方が、そのキャリアを自慢することなく、経験や実践、努力から得た、磨かれたノウハウ、思考法を
イヤミなく、さらりと、やさしく、伝えている。
リアルとネットとの使い分けも、とても明確で、今後の方向性もしっかり検討されている。

こんな上司が身近にいたら(女性のようですが)、めろめろになりそうだが、
悲しいかな、こんな優秀な人材が働いている職場には、わたしには、縁がない。
遠くから眺めて、ちょっとエッセンスに触れ、ぴりりと刺激になればいい。

ちきりんさんが、ブログでおっしゃっていたが、「感じること、思うこと」と、「考えること」は、別。
この分け方が、とても気に入った。

ちきりんさんの言っていることを鵜呑みにして、全て正しいと信じ込むのではなく、自分の考えを持つべき。
いろんな優秀な人の考えに触れられる機会に恵まれて、ラッキーだ。


ううーーーん、やはり、秀才と凡才、さらに、落ちこぼれとでは、
持って生まれたアタマの違いは、とてつもなく大きい。
当たり前のことをいまさら・・・ですが。
(自分と比較しようなんて、そもそも、大それたこと)


「ゆるく生きる」というのは、一部のエリートが言うことだ、とヒネくれる人もいるだろうけれど、
そういう人は、いまの過酷な状況や、満足のいかない状況だけでしか、ものごとが見えない、
余裕がなくて考えられないのだろう。
それはそれでわかるが、そう否定的にならず、その経緯や考え方に触れることで、
発想の転換や、なにかを生みだすキッカケになるかも。


ただし・・・「ゆるくても、いいんだ~」と、努力もチャレンジもせず、はじめっから、ゆるかったら、
怠ける自分の自己肯定の材料にするだけになる。

有能なエリートが努力とチャレンジの結果、辿り着いた結論を、
無能で怠慢な非エリートが、勘違いして、
自分も同じように、と、結論だけを安易に自分の人生に取り入れるのは、大きな大きなまちがい。

ゆるく生きるには、最初から、ゆるゆるではなく、その境地にたどりつくまでの経緯が大事だ。

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あああ、なんて、長くなってしまったんだろう。
短くまとめる能力も、能力のひとつ。。。と、しみじみ思う・・・わたしです。