蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

やる気が出るころは、いつも時間切れ。

2011-03-05 | わたし

お気に入りブログをぐるり一周して、自分のブログの新規投稿の画面に入ると、
なぜか魂を抜かれたようになる。
人さまの考えや生活に、なるほど、ふむふむ・・・と、こころのなかで、相づちを打って、
自分の発表する番になると、「あっ、予習してない!宿題してない!準備してない!」
というかんじ。

外に出ると、いろんな光景を見かける度に、こころのなかで、キーボードを打っている自分がいる。
それをそのまま、アップすれば、臨場感、満点。
ツイッターみたいな感覚。

いったん、パソコンの前に、ブログ時間を確保して、制限時間とニラメッコしながら、
さあ、と、取りかかるのだが。

その時には、なぜが、書きたいことが、風船がしぼむように、フレッシュさを失っている。
自分のケータイからパソコン・メールアドレスに、外出先から文章をメールすることもあるが、
ひと晩たてば、もう、どうでもいいことになっている。


わたしのお気に入りだった、フランス・ブログは、いまは訪問はお休み。
コメント欄を閉じられたことや、
年齢のギャップによる、わたしの感覚との微妙な違和感、ズレが、その主な理由。
アメリカ在住の方には、いつもお邪魔して、元気をいただいたり、自分のことを反省したり。
テーブル美と食のブログは、いつも、うっとり拝見。かれこれ3年半以上になる。
波乱万丈ブログは、時間があるときに、訪れる。

お気に入りに最近、新たに加わったのは、同世代・熟年婚活ブログ。
しかし、わたしは自分のブログで、
はじめて、そのブログを読んだ時の感想を正直に綴ってしまっているので、
(・・・その方が読めば、絶対、気を悪くする・・・)
その方には、わたしのハンドルネームでコメントできないのが、残念なところ。
それに、おそらく、わたしとは、まったく、すべてが正反対だと思うので、
一方的に、わたしがブログを読むのみ。
わたしは別のハンドルでコメントするようなことはしないので、
こころのなかで、応援している。

明日は、たっぷり時間がとれるので、
また、あれこれ、しょーもないことをうだうだ、ブログに綴れる。
そんなことが、楽しみな、小市民のわたし。

でも、時間がありすぎてもよくなく、ネット対応には、適正時間というものがある。
他のことをせず、ネットばかりに集中していては、バランスがよろしくない。
窮屈でもなく、ああ、疲れたと根を詰めすぎるほどでもなく、ほどよいところがいいのだが、
それがうまく調整できないのが、ツライところ。

そうやってるうちに、あれこれ、書きたいことがアタマに浮かんできた。
今から書き始めても、時間が迫っているので、中途半端になるし、
文字数オーバーにもなるので、明日に回そう。
明日は明日で、、また、アタマになにも浮かばなくて、悩んでいるかも知れない。

時間がないときに限って、だんだん、ヒートアップするのがわたしの悪い癖だ。

うまくいかない。

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よせばいいのに、トップ画像の、ピンぼけ写真は、
とあるところのロビーに昨日、飾ってあった、お生花の作品。
ちょっと地味めだが、ピンぼけで、さらに、お地味に。

 

 


キラキラすぎて、目が開けられない・・・

2011-03-03 | 趣味

社交ダンスのクラスメートの女性。
年齢は、おいくつかな~?? 
少なくとも60歳は越えておられる。

お金持ちなんです。
趣味は、社交ダンスのほかに、ゴルフ。
この冬には、イギリスにゴルフに出かけられていた。

社交ダンスを始める前は、まったくお化粧もしなかったから、顔の前も後ろも真っ黒だった、
と、ご本人が言っておられた。
(わたしが、言ったのではないですよ~)

今でも、発表会以外の時は、ノーメーク。
シワとシミ、そばかすと、色黒は、正直にそのまま、包み隠さず。
勇気がある(あるいは、気にしない)、ナチュラリストだ。
(わたしも、ノーメークのときは、決して人のことは言えない)

真っ黒な髪は、まっすぐ、おかっぱ。

レッスンの度に、服が違う。
スカートはお好きでないようで、パンツを愛用され、いつも黒、ストレート。オーソドックスなもの。
上半身は、いわゆるダンスウエアではなく、通常の、お出かけオシャレ着を、
ダンスレッスンのときに、着ておられる、という、合理的な着回し方。
(本人曰く)普段着だそうだが、なんのなんの、ディテールにまでこだわった精緻な作り、
お値段もきっと、そこそこするだろう。

身長は、おそらく152センチぐらい?(テキト―)
小柄で、中肉。

それが、どうした?!!
と、読んでおられる方は、イライラされていることでしょう。
いえべつに・・・つまり、60歳を超える、普通の方なんです。

その方が、昨日、発表会用のドレスを先生から譲り受けて(下取りするつもりで)、
その場で試着されていた。
春にちなんだ、やさしいピンクに、黄色が少し部分的に重なった、
桜イメージのドレス。

ドレスはとってもかわいいんだが、
そして、先生も小柄、その方も小柄、なので、サイズ的には、ぴったりだったんだが・・・。

うーーーーーーーん・・・

その場にいた、ほかの生徒のみなさんは、
「よく似合う。ぴったり。ステキ。かわいい」と絶賛。

彼女も、鏡に映る姿をまじまじご覧になり、「これ、いただきます」と即答。

先生は「値段も聞かないで、いいの?」とはおっしゃっていたが、
おそらく、アタマの中では、そろばん(電卓)ぱちぱち、いくらにして売ろうかな・・・
なんて、考えているはず。

夢を売る、夢をかたちにして表現する、社交ダンスという、このジャンル、この業界、
お金持ちを食い物に(聞こえが悪すぎた)、いえ、お金持ちと、相思相愛で、経済の活性化、
シニアビジネス、ぴったんこ、花盛り。

相続税もまた高くなる。
お金持ちのお年寄りは、国にまき上げられるぐらいなら、
子供たちが親の遺産をあてにして、怠けるんなら、
どうせ墓場に持っていけないんだったら、
生きているうちに、元気なうちに、足腰立つうちに使わにゃあ・・・と。


サイズ的には確かに合っていた。ぴったり。
ドレスは、本当に可愛かった。
彼女の顔が、あのドレスの首の真上に、ちょこんと乗っているんだが、
その首のところに、なにか、真横に筋でも行ってないか、よーく目を凝らして見てしまいそうになるほど、
とってつけた感、一体化してない感を感じてしまった、わたし。

これは、アタマではなく、勝手に感性が感じてしまったことなので、お許しいただきたい。

もし、けしからん、とすると、わたしが、文字にして(ネタにして)アップすることが、
けしからんかも知れない。

発表会当日は、お化粧を施されるので、素顔ではないから、
黒いお顔は、いささか白く変色されているとは思うけれど、つけまつげがすごいので、
(前回の発表会の時も、そうだった)、まばたきすると、ばちばちばち、と、風と音がしそう。
ご本人も、普段つけなれていないものを目の周囲に貼りつけるので、違和感があり、
まぶたが重そうだった。

あのピンクのドレスを着られて、また、あの、二重つけまつげをされるのかな?
春は、すぐそこ。


ちなみに、もっとも恐ろしいのは・・・・・
その発表会に、わたしも出るってことです。


同類相憐れむ・・・・・おなじ穴のムジナ・・・いろんなフレーズが次々と・・・

というか、自分では、同類でないと思っているところが、
とてつもなく、客観性欠如、勘違いしているところだろう。

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トップ写真は、イメージです。
実物は、プロ着用のドレスなので、もっとオリジナリティがあって、
 ステキです。


きらきらキンピカになれない、残念なひと

2011-03-02 | わたし

わたしは、どうしても、お上品になれない。
お利口さんぶるのも、きらい。
(→でも、受け売り、知ったかぶり、時々してます。
それが、時として間違ってたりするから、大恥)

食べ物も、日常は、質素、大好き。

枯れかかっているんだろうか。
干物か?

贅沢なモノも、そりゃあ嫌いじゃない。
否定なんぞは、していない。肯定。
良いモノを見る目は、そこそこあるかも知れない。(ないかも知れない)
だが、上質なニセモノと、B級のホンモノとでは、A級ニセモノに軍パイをあげてしまいそうだ。

豪華なもの、素晴らしいもの、
目や舌を楽しませてくれるもの・・・それらは人生に至福を与えてくれる。
時には、生きる目標、目的になったりする。

でも、基本的には、けっこう、わたしは、地味だ。

農家からのいただきものの白菜をまだ延々と食べ続けている。
(しかも、調理法が、よくわからないことと、面倒くさがりなこととで、単純に煮るだけ)
ご飯に、お漬けもので、さささ、ぱくぱく、でもOK.。
自分で作る、かんたんサンドイッチも、大好物。
ひとりになっても、気楽な、おひとり様暮らしができるような気がする。
(ただ、非常事態のとき、病気や災害、事故が、怖い。これって、重要な要素)


ダンスレッスンのウエアや、自宅から着ていく服は、わたしは安もの。
皆さん、値が張りそうな豪華なお召し物。
でも、わたしは、いいんです。自分は、自分。

「ハレ」と「ケ」。
都会人は、四季を通じて1年中、ハレ。
田舎人は、冠婚葬祭の時は、ハレ、日常は、ケ。
これも、時代と共に風習も変わってきているだろうけれど。

しかしまあ、ダンスのレッスンごときに、なんで、あんなキンキラキンの洋服を着てくる?
発表会や、パーティならいざ知らず。
よっぽど、着ていく場所や機会がないのか、衣装が洋服ダンスから溢れかえっていて、
一生、毎日、取っかえひっかえ着替えても、着尽くせないのか。
お金とモノとヒマが、溢れかえっているってことなんでしょう。

それで、ダンスがヘタなら、それ見たことか、ざまあみろ、と大喜びできるのに、
ダンスは、とてもお上手。
つまり、お金とヒマをたっぷり投じた結果が、あれ。文句いえないほど、上手。
どの世界も、やはりお金がモノをいうようだ。

まあ、あまり上を見すぎないことが大事。
何事も、ほどほどに。

それでも厚かましくも、まだ、わたしにも上達する可能性がある、なあんて思っている。
彼ら、彼女らは、プロではない方々なので、わたしの精進と努力いかんによっては、
彼女たちの域に達することが出来るかも知れない。
もし汗と涙の結晶の甲斐あって、奇跡的に目標域に達したら、
わたしは、とんでもなくイヤなヤツになっていることだろう。

コンプレックスや短所・引け目があるのは、人間としては、ちょっと気の毒で、かわいらしい。
「残念な人の英語勉強法」というタイトルの本(山崎将志・著)を書店で見かけ、
タイトルに惹かれ、何回にも分け、立ち読みした。
(せこい・・・でも、ちゃんと、ラジオ講座・フランス語のテキストは、そこで買ってます。
何度も言うところが、また、せこい・・・)
そういう、ちょっとダメ、というのが、ぐっとくる。
この「残念な人」シリーズは、けっこう、ベストセラーになっているようだ。


服装のことに、話はもどるが、
ただ、ふと、自分の年齢からすると、こんな安もの、しかも、年齢に合ってないかも知れない、
似合ってないかも知れないものを、着ていていいのかな・・・って思う時がある。
自分だけが、満足。

たまに、年齢に合ってない、よけいに年齢を強調してしまうような服装の
残念な人を見かけると、はっとする。(「ほっとする」のではなく)
わたしも、あんなのかも。
でも、表彰式や、公式の場に出るわけじゃないんだから、いいか・・・。
(と、無理やり自己肯定)

ちょっと残念な人である、わたし。

「ちょっと」ということは、まだまだ、自分枠に余白が残っていて、動きがあるっていうことだ。
あきらめきらずに、ジタバタあがこう。

ちょっと残念な人は、根拠もなく、ちょっと前向きに明るかったりする。

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 トップ画像は、マウリッツ・コルネリス・エッシャーのだまし絵です。

わたしも、だまし、だまされ、今日まで来ています。


勇気も知恵もなく、あるのは愚だけ。

2011-03-01 | わたし

ブログもそうだが、文章を書く人は、腹に真っ黒い、どろどろしたものを持っているそうな。

それが、原動力になって、せき止めようもなく、その腹の中から、どばっと、想いを吐き出す。

美しいものや、旋律が、溢れ出るアーティスティック(artistic)な方もおられるが、

人間の本質に迫り、訴えるものは、「美」よりも、「悪」。

そう感じるのは、わたしが、そうとう悪人だということだろう。

 

わたしは、何度も言うように、根性がひん曲がっているので、

美しいものだけに触れる人、というものを信用していない。

自分のなかの、悪魔に目をそむけ、見なかったことにする、偽善者だと感じる。

 

邪心のない、天真爛漫な人もいるが、物事を深く考えない、あるいは、考えられない人に多いのでは。

そういう人は、とても幸せだ。

 

わたしも、思うことがたくさんあるが、なんでもかんでも、文字にして公表する勇気がない。

まったく別の、新しいブログを開設しようかと思うこともあるが、なぜか、実行には至っていない。


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すみません。

今日は、アタマの酸素が薄いようです。

ぱくぱく、金魚みたいに息してます。

 

トップ画像は、よく見ると、悪魔がいっぱい。

マウリッツ・コルネリス・エッシャー Maurits Cornelis Escher  (1898-1972,オランダ)の作品。

↓こんな作品も。