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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

偽ロマンチスト

2012-04-19 | 日々のこと

昨日は、新規記事を書いたのだが、アップしなかった。
こんな記事、だめやろー、と思って。

せっかく入力、完成したんだから、アップしてもいいのだけれど。
外出先でケータイ電話から、小さい訂正を加えたりもしたが・・・
やっぱり、アップするのは、やめた。

なんでも、かんでもアップすればいい、ってものでもない。
これは、たんに自分だけの気持ちで、読んでくださる方には届かない思い(=自意識過剰)だろう。

まったく意味のない記事内容でも、平気でアップするくせに。


ここのところ、平和な日が続いている。
春の陽気のなか、桜吹雪にも、何度も見舞われ、松平健の舞台(どこかの劇場)に立っているかのごとく。

一昨日、書きかけた、「家族再編リニューアル」、その続きを書こうかと思ったが、
ノリも悪く・・・。またの機会に。


社交ダンス グループ・レッスンのクラスメートの方々が、更衣室でお話しておられた。
その内容は・・・・
新しく、白人さんとのハーフの20代?の生徒さんが、今月から入ってきているのだが、そのハナシに端を発し、
ご近所の白人ハーフのお子さん(すごくカワイイらしい)、その日本人母(容姿はいまいち、らしい)、
そして、白人を好む日本人(ガイジン志向人間)の特徴、
さらに、千昌夫の話まで、ガイジンつながりで、話はとんとんと進んでいた。
わたしは、着替えに忙しい(フリ)、ので、背中で聞くのみ。

マイナスの話、ばかり。悪いことばかりを掘り出して、話のネタにしておられた。
このお二人は、マイナス思考のようだ。

話しても話しても、薄い上っ面ばかりの話題、しかも、悪口。
彼女たちは、日ごろは、いい人で、この教室で、うっぷんを晴らしているのか?
興味のあることは、外側、見てくれだけ、という、その徹底したブレないスタンスに、わたしは新鮮な驚きを感じた。
それを平気で、人前でしゃべる、という、他の人のことなんか気にしていない、大らかさ。
自分たちは、どう見えるか、どう感じ取られるか、なんて、全然、考えたこともない、
自問するような、そんな事態にぶち当たったこともない、幸せな生き様。

ま、わたしも、所詮、似たようなものなので、聞いて、ブログのネタにして、それで、あと腐れなく、忘れる。
でも、話題の全てを覚えている、ということは、わたしにもその話題に興味があった、ということなのだろうか。
というか、表面だけではない、別の見方もある、って思った。
なら、その場で意見を言えばいいのに、ことなかれ主義、関わるのが面倒。

ただ、とらえ方は、人それぞれ、千差万別、人の数だけある。
だから、あれでいい。
女性週刊誌のノリの話題も、気まずい重々しい沈黙ムードの更衣室よりは、はるかにいい。
あんな場所で、政治の話題といってもねえ・・・
(ときどき、政治の話題も出ているが、一方的・好き放題の発言)


で、話題はころりと変わるのだが・・・・
「タイタニック 3D」を観た。
当時の上流階級も、もっと昔の上流階級も、パーティで食べて、話して、の退屈な日々。
かといって、食べるために命を削ることを、ステキ!!と目を輝かせるほど、地に足が着いていないわけでもない、わたし。
が、当時の豪華な客船の様子、インテリア、食器、服装、調度品、・・・・とても目の保養になった。
上流階級の贅沢三昧の生活は、
退屈であろうがなかろうが、つまらん話題であろうが、食べ飽きた飽食美食メニューであろうが、
美しいものは、美しい、と、わたしは感じるわけでして。

当時の選りすぐりの逸品は、美術館でお目にかかることができる。
どこかのレストランや、ホテルなどの建造物で、目にする幸運を手に入れることもできる。
それらの品々を見たり、空間に佇んだりすりと、ついでに、当時の人々の談笑や、ささやき、ざわめき、
食事中の食器とナイフやフォークが触れ合う音までセットで想像してしまう。
響き渡るクラシックの生演奏も、時間や空間に、多重奏的な演出効果をもたらす。

ぽあ~ん、と、うっとりした。

と、同時に、貴族の娘と、根無し草の貧乏青年との恋は、タイタニックが沈まなくても、
その二人の将来は、安易に想像できた。(悪い意味で)

わたしって、夢がない。

現実と、夢、理想。
折り合いをつけて、楽しまないと。


ある、インテリの演劇家がいる。
彼は、俳優でもあり、舞台に命を燃やす。
しかし、日ごろは、清掃を請け負って日銭を得る。
目標を持たない掃除仲間は、日々、不平不満だらけで、努力を惜しむ。
そんな彼らとは、まったく、主義、信条は合わないが、職業として割り切る。
仕事の場は、友人を作る場、ではないわけで。

彼の場合、売れていないので、スポンサーもつかないから、自腹で費用を捻出しなければならない。
ひたすらストイックな生活を送っていた。
大きな舞台からは、さすがに最近は遠のき、
地域密着型イベントなどで町の文化推進に一役買っておられるようす。
すこしは、好々爺っぽく、なられたのだろうか。

ちょっと、そういう話を思い出した。
わたしの目には、演劇自体はまったく理解できなかったが、
夢があれば、信念を貫けば、同じ現実を過ごしていても、ずいぶん違うんだなあと、ぼんやり感じた。
いつものわたしなら、すごく感動するんだろうが、
しかしながら、この人に関しては、感動ではなく、いたって冷静な目で見た。

わたしは、夢多き、現実主義者であるようだ。

 

 

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 ただ単に、その人のことが、個人的に、あまり好きでなかっただけかも知れない。


 


家族編成リニューアル

2012-04-17 | 日々のこと

欧米などでは、単身赴任なんてありえなくて、
家族、夫婦は、いつもいっしょに生活するもの、という考えだそうだ。

子供の教育のために、妻子を文教地区の学区に残し、夫だけが単身赴任。
介護のために、夫婦ばらばらに生活。

いろいろある。

うちも、子供が小さい頃は、毎年、転勤のたびに引越し。
ダンボール箱が増えると同時に子供の数も増え、てんやわんや、やっていた。


「子供が自立して出て行ったので、今は新婚以来、夫婦水入らずの生活を送っています」
そういう内容の年賀状が、ちらほら増えつつある。

あるいは、嬉しそうに、再婚相手とのツーショットや、お互いの年頭の抱負をズラズラ、
別のある人は、離婚報告も受けていないのに、
「妻は18歳年下です」とかなんとか、新妻の紹介をする年賀状もあった。

わたしと同世代の方々は、子育てが事実上、終了し、家族の再編成時期に入ったようだ。

さて、我が家は・・・


と、ここで、母からの電話が入り、・・そして、出かける時間になってしまい、中途半端だけれど、
強制終了いたします。
ああ、母・・・状況を読んでほしかったりする・・・が・・・無理か・・・。

 

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ぐるぐる人生

2012-04-15 | 日々のこと

プロの作家はともかく、わたしは、素人さんブログで、すばらしいブログを読むと、感動して固まってしまう。
でも、ちょっと不出来な部分が残っている、そんなブログが、わたしには、ちょうどいい。

もともとわたしは、内気、内向的な性格で、人と争ったり、競ったりするのは大嫌いで、大の苦手。
(「負けず嫌い」の、正反対。負け慣れ、負け犬)
ひとりで、コツコツ、こそこそ、人に知られず、密やかにするのが好き。

立派な人、ものに出会うと、目が、かっと開いた後、フリーズ。
自然解凍された後の自分は、もはや不味くなった冷凍食品のような(意味不明)、
ああ、自分なんて・・・と、やけに卑屈な、いい年して可愛げもなにもない、劣等感のカタマリと化している。


すごく、すばらしいブログに出会った。
読めば読むほど、すばらしい。
でも、どんどん読むのは、やめようと思う。
なぜなら、自分が壊れてしまうから。
というとカッコいいけれど、わたしは、緊張の持続時間が限られていて、あとは麻痺状態。

影響を受けるのは、ほんの少しでいい。
ちょっと、突付かれるぐらいでいい。

人は、人。自分は、自分。
お互い、個々に自立していれば、なんの問題もない。
アイデンティティが、ぐらぐらするようじゃあ、だめだ。


ちなみに、
人のブログって、とてもおもしろい。

ジャンル、材料、料理の仕方、テクニック、味付け、感性、創作、アレンジ、見た目、と、お料理のごとく。
その微妙なバランス。
基本は、料理人のポリシー、味覚の追究。

ブログでいえば、ブロガーさんの人間性、信条、経験、知識、語彙、思考力、感性、演出、表現力、創造力、想像力。
たとえ、ほんの少しの経験でも、知識や思考力は、経験を補えるし、
想像力や創造力は、何十倍、何百倍の経験のごとく感じられる。
読書量の多い人は、潜在・在庫キャパが大きいと想像する。
(あ、わたし、本を読もうとすると、すぐ眠くなってしまいます。なんでだろ?)

というか、人それぞれ、好みや感性が違うので、人のことは、ほっておいたほうがいい。
いちいち、あれこれ、感動やら、なんやんやらかんやら、過敏に反応していたら、カラダが持たない。
自分を見失って、一生が、すぐ済んでしまう。
とまた、ハナシが逆のほうに方向転換されている。
わたしは、ブレブレだ。

いったい、どっちやねん?!
いえ、どっちも、です。
すべてが正しくて、すべてが、正しくない。(白黒はっきり)
あるいは、正しくないこともあり、正しいこともある。(混在)

いったい、どっちやねん?!

いいと思うところ、共鳴するところ、影響を受ける部分だけ、取り入れる。
その逆で、よくない、キライ、と感じる部分があれば、自分の好みや感性をはっきり認識できる。

そうやって、右往左往、ああでもない、こうでもない、紆余曲折、試行錯誤を繰り返し、
結論が出ないまま、一生を終える。

結論なんて、出てもつまらない。
わかりきっていることは、「人間は、生まれて、そして死ぬ」。

恋愛感情は、一定期間、一定状況で冷める。(ただし、お付き合いがある場合)
努力して保とうとしても、それは自己暗示、マヤカシにすぎない。(マヤカシでも、いいけど)
信頼は、積み重ねられる。
感情は、状況や時間の変化とともに推移していく。
驚きや発見は、慣れっこになると飽きる。
「飽きる」と「馴染む」は、似て非なるもの。

発見→感動→影響→醸成→蓄積→アウトプット
そうなれば理想だけれど、
犬が自分の尻尾を追いかけて、ぐるぐる回っている、
ああいうかんじで、わたしは、ほとんどの時間を同じ場所で延々と費やしている。

なので、自分のブログもそう。
いつも同じようなことを書いている。

 

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しょんぼり、みるみるうちに凹んでいく

2012-04-14 | 趣味

社交ダンスの話は、同じ趣味の人しか興味ないだろうと思う。
最初の一行で読む、読まないを選択、時間の節約をしてください。
なんて、わざわざ書く必要もないことを書く、この意味の無さ。
わたしの人生、わたしの行動の約90パーセントは、だいたい、こういう意味の無いことで構成されている。


と、前置きが相変わらず、無意味に長い。



ダンスの世界、意外と狭い。
各会場で連日、催されるパーティ。
各会場、いろんなサークルの名前で曜日・時間の予約を取り、パーティが行われる。
テニスコートの予約みたいなものだ。


地域のランドマークとなるような、大きな由緒ある歴史的建物を使用したパーティもある。
昨夜もNHKで、ちらりと放映されていたが、よく各テレビ局が撮影に入ったりしている。
(わたしも、たまたま撮影されたことがあるが、運良く、放送されなかった・・・ことを祈る・・・)

昨日は、そのパーティ主催者の方々とお話しする機会があった。


結論から言うと、落ち込んだ。
自分の踊りは、だめだと感じた。


彼らがおっしゃることに、耳を傾けたわたしだが、その内容は・・・

上手なダンスをする人と踊りたい、と男性も女性も皆、思う。
それには、まず、「踊ってください」と、男性に申し込んでもらわないと始まらない。
会場で踊っているところを見て、下手な姿だと、その人と踊りたいと思わないので、申し込んできてくれない。
申し込んでくれるのを待って、待機しているときの雰囲気、態度も大事。
いかにも、この人は上手、ぜひ、踊りたいというオーラを醸し出す、
あなた(男性)とぜひ踊りたいと、自分が踊ってもらいたい男性にアピールすること、
積極的姿勢で攻めていくべき、などなど。


わたしの会場での踊り、態度、オーラから見て、
わたしは、上手な人(男性)にとって、踊りたいと思えるような踊りではない。
だから、わたしの踊りを見て、わたしに申し込んでくる人(男性)は上手な人はいない、と。
(へんてこな、へたっぴな人か、中途半端な教え魔ぐらい)


同席していた美しい踊りをする、美しい女性がいたが、
彼女の発する発言を聞けば聞くほど、また落ち込んだ。


わたしには、彼女は優等生過ぎて、まぶしすぎて、目がつぶれそうだった。
接点はないと感じた。(わたし、いつも、これ。即、いじける)
発言のひとつひとつが、お利口すぎて、取り付く島もない。
カンペキに美しいだけでも、取り付く島もないのに。


第一、服装からして違う。
ロングヘアの名古屋巻だか神戸巻だか知らないけれど、大巻ロールが、ふんわり肩でカールする。
膝丈スカートにジャケット&正統派スプリングコート、
ストッキングをはいて(当たり前か)ハイヒール(パンプス)、きちんとした、キレイな服装。
上品、清楚風、でも、キラキラ光るメークも施され、しっかり美しい。

わたしは、といえば、カジュアルそのもの。
そのまま近所のスーパーにでも行きそうな、都心のデパートなんぞには恥ずかしくて行けない格好。
(それでも、わたしにすれば、精一杯。わたし、かわいそう・・・)

もう、すでにそこで、違いが出ている。
もともとの彼女の生まれつきの美しさは、どうしようもなく、差は埋めようがないが、さらに磨きと自信が加わる。
そりゃあ、オーラも出るわなあ。


主催者の方々は、彼女をベタ誉めし、さらに、だれそれは上手い、とか、
どこどこの会は、ヘタだから、集まる人間もたいしたことがない、とか、集まる人数も知れている、とか、
聞かなければよかったことも、あれこれ。


なんかなあ・・・
勉強になると思って、お茶会に参加してみたが、げっそり。
自分のことに自信がないので、余裕なく、人のことをぼろかすにこき下ろすパワーには、とうぜん、ついていけない。


ということで、まだまだ道は、遠く、険しい。
自信たっぷりオーラは、このまま一生、出そうもない。



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わかりあえないことが、前提です

2012-04-13 | オトコとオンナ

ある男性ブロガーさんが、女性のことを研究し尽くし、
さらに、リアルタイムに、日々、女性とのお付き合いの内容を報告しているブログがある。

わたしは、毎日、読んでいるのだが、
最初は、毛嫌いして大嫌いだったが、途中から、その追究のしつこさ?に、脱帽し、
隠れファンとなった。
そして、今朝は、ふと、また違う感想を抱いた。

それは、男性が女性を一方的に観察しているということだ。
自分なりの考察・分析結果を男性側から述べているに過ぎず、
肝心の女性側は、まったく、勝手な予想、想像とは違っているかも知れないと感じた。
キモチもカラダも、男性の推測とは違うのではないかと。
たとえ、女性本人に、キモチや意図、考えを聞いて、確認しようとしても、女性が本心、ホンネを言うとは限らない。
もっと最悪の場合は、女性自らが、自分の考えや意見を考えたこともないので、うまく口に出して説明できない、
さらに、無意識下にある場合、自分の気持ちや考えに、気づいていない。

あくまでも、私個人の意見だが、
強い快感は、けだるい疲労につながる、とのことだけれど、そんなことはない。
おそらく、三文官能小説の悪影響だろう。
あるいは、出所のハッキリした、ちゃんとしたデータが証明する、大規模アンケート調査の結果なら、納得しないでもないが。

「よかった? けだるい?」なんて、いちいち確かめるために聞く男性は、まあいないとは思うが、
けだるいのは、男性に対して、けだるい(うざい)場合も大いにある。
直近のブログでは、ご本人にも思い当たるフシがあり、ご自分の認識を訂正しておられた。

女性は演技するもの。
かつて、そういうタイトルのテレビドラマがあり、観ていないが、タイトルだけは、センセーショナルだった。
「義務と演技」だったかなあ・・・(1996年放映) 原 作:内舘牧子
(あれは、妻に喜んで貰いたいがため義務で求める夫、妻は夫を喜ばせるため演技で応えるという、
夫婦間の問題がテーマのようで、ここで引用するには、ちょっと意味合い、ニュアンスが違ってくるけれど)

なかには、演技せずに、正直にそのまま表す女性もいることだろう。(いい意味も、悪い意味も、両方)

どう見えようが、本当のところは、女性にしか、当のご本人にしかわからない。
はやく終わらせようとして演技する、(演技効果によって、時間を短縮させる)という女性もおられるようだし。
つまり、女性は、たいして、心地いい時間でもなんでもなく、はやく終わってくれることを期待する。
ただ、あからさまにそんなこと言えないから、本心とは違う行動をとる。
男性は、女性のその行動や反応だけを外からだけ見て、判断するのは、大きな間違いだ(と思う)。

どうして、演技までして、はやく終わってほしいと女性が考えるのか、そこのところを男性は、考えてみてほしい。


女性と男性の間には、深くて広い大きな河が流れている。
お互い、理解できないということを、理解してほしい。

 

で、ここで、逆の発想。

どの分野でもそうだが、
あまり深く、なんでも分析したり、かんぐったり、裏の裏を考えたりすると、
楽しいことも、楽しくなくなる。
感覚、感性、フィーリングで、理屈ぬきに楽しむという方法もある。

 どっちも、どっち。

賛否両論ということで、オブザーバーとしては、結論を導けないまま、終了。
結論は、お読みになった方が、各自、考えてください。
部外者は、いたってお気楽だ。

 

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はあ? そんなこと、とうの昔。どうでもいいわ~。なんの、引っかかりもないわ~、と
興味ない人には、まったく興味ないハナシでした。


キマジメと、フマジメ

2012-04-12 | ブログ

パリの話をパリブログで書いていたら、遅くなってしまった。
パリブログは、あまり手をかけていない(アップしない)ので、ときどき、水をやっておかないと枯れてしまう。

で、蝶ブログ。
自分のホンネは言わないほうが、よろしい。
が、しかし、染み付いたニオイは、ちょっとやそっとじゃ、消えやしません。

本当に苦労している人や、自力で生活を手に入れた人に比べると、
わたしは、ディズニーランドのような、テーマパーク風、擬似体験、仮想、想像の世界で遊んでいるだけだ、
ということが、実によくわかる。

うわべばかりで、ちゃらちゃら遊んで回っているだけなので、
心底しっかりした人のブログを読むと、自分との違いを感じて、とても恥ずかしい気がする。

ただ、なにごとも、表裏一体なので、別の見方をすれば、また別の感じ方、考えがある。
自分にないもの、人を否定する気は、まったくない。
ただ、自分を否定する気もない。

つまり、それぞれに、正しい。

自分で苦労して努力して手に入れたものは、価値があるし、自分の力のおかげだ。
そういう人は、人間的にも、デキた人が多いので、「皆様のおかげ」「運がよかっただけ」
とか、おっしゃる。
それは正当に評価できるし、足を引っ張るつもりも、突っ込みどころも、まったくない。


わたしが、つい最近知った、そのブロガーさんは、とても立派な方なのだが、
ただ、おもしろみには欠ける。
冗談が通じない。
わたしとは、接点がないということだ。

まったく、真逆の人というものは、かえって、接点があるかと思いきや、
予想に反して、まったくなかった。
これは、意外だった。

余裕がないっていうか、わき目もふれず全力で今まで来られているので、それは、しかたない。
それに引き換え、わたしと言えば、サボりまくっているので、余裕どころか、助走期間が99パーセントを占めるので、
そりゃあ、違って当然。

自分の力で今日の基盤を築いてきた人と、
自分の力じゃなく、今日の基盤を築いてきた人は、
一見、現在、同じ世界にいるようでも、根っこのところが、あまりにも違っていて、あれれ、あれま、とびっくりする。

ひょっとすると、賢人は、ホンネは絶対に出さないという、社会のルールに則った、常識人だからかも知れない。

ひとには、いろんな生き方があるので、どれも皆、すばらしい。
接点がないということは、トラブルも摩擦も起こさないので、これまた、すばらしい。

かっちん、こっちん、真面目人間は、わたしは、苦手だったりする。
お互い、合わない人というものは、必ずいて、それは当たり前だから、全然どうってことはなく、
わたしは、遠くから見るのみ、だ。

でも、とても素晴らしいんです、その人。
ただ、私と合わないだけ、なんです。

ペースとなる力量がまたく違うから、だろう。
マジメとフマジメ、性根がまったく違うから、だろう。

 

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キラキラは、卒業

2012-04-11 | 無題

日曜日に超・久しぶりに家事をして、モードが切り替わったのか、
気になる蝶ブログの更新をしないまま二日が過ぎた。

やる気がないわけではなく、時間が取れないのだけれど。


今朝、NHKの「あさイチ」で、夫に浮気された妻の悩みが取りあげられていた。
最後にまとめとして、大御所・美輪明宏に意見を聞いていた。

「オトコは、狩をするもの、種の保存の観点からとらえると、オスは浮気するようにできている」

その意見に、有働由美子アナが、即、異義を申し立てた。噛みついた。

男女平等をめざして、社会的にも男女の枠組みが変わろうとしつつある、男女ともども頑張っている現在に、
オトコはそういう動物、本能だからと、言われても納得できない」

有働さんのご意見、10000パーセント、賛成です、わたし。

「夫としての一面だけを見るのではなく、ひとりの男性として、人間として、俯瞰(ふかん)的に見なさい」
そう仰る美輪氏。
その内容はまあ、わかる。

「しあわせは、長続きするものではない。感謝のこころを忘れずに」
と、僧侶のような気高きお言葉を発しておられていたが、
火事の真っ只中にいる妻には、お経か、念仏ぐらいにしか聞こえないだろう。

子供を抱え、働いた経験もない、離婚されると住む家も、食べてもいけない。
そういう背景の妻だけをチョイスした番組作りだったが、平日、朝8時15分からテレビにかじりつける、
あさイチを見る視聴者の属性を考えてのことだろう。
というか、あのテーマなら、男性は、どんなにヒマでも見ないだろうけれど。

経済力がない妻は、弱者ってことです。
経済力のなさ故に辛抱しないといけないことは多いけれど、その代わり、専業主婦の場合、仕事での苦労は知らない。
少し、仕事をしているから、わたしは決して専業主婦ではない、と言い切る人もいるだろうし、
(このゾーンが、いちばん、ややこしい。デリケートで、扱いには注意)
家事と仕事、両立が大変な人もいるだろう。
家庭で介護をしないければならないケースもあるだろうし、(それは、仕事をしながらでもありえるが、制限がある)
仕事以上に、きつく、報酬も見返りも、ねぎらいもなく、厳しいだろう。

「タイガー・ウッズ級に稼ぐ人以外は、浮気は許せない」
と、おなじみの室井祐月が言っていた。

わたしは、ホンネを書けば書くほど、女性からも男性からも嫌われ、敵を増やすだけなので、
自分の意見は書かず、テレビで紹介されていたことだけを、さらっと書いてみた。

でも、これが実は、ぜんぜん、さらっと書かれていなくて、おそらく上から目線のニオイぷんぷんだろう。
自分のフィルターを通してピックアップしているので、
同じ番組を見ても、まったく違う報告の仕方や、意見、感じ方があるだろう。

今回の特集、はじめと、最後だけちゃんと見て、じつは、真ん中の部分は、退屈だった。
ネタがないのに、無理やり時間稼ぎをして引き伸ばしている感あり。
斬新な切り口は、ゼロ。
ま、つまんなかったら、見なければいいわけで、わたしは、「あさイチ」も卒業かも知れない。
そりゃそうだ、今朝、放映されたのは、「キラキラ40」シリーズですものね。

 

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春うらら、結論は先送り

2012-04-08 | 日々のこと

今日は、春うらら、すばらしいお天気に恵まれた。
家事、家事、家事。家事100パーセントの日曜日。
布団干し、衣替え、整理整頓、隅々まで掃除、空気の入れ替え。

わたしにとって、こんな日は、一生で数えるほどしかない。

頑張りすぎて、掃除するときに、床置きのモデムに強く当たったかなにかで、
インターネットに、つながらなくなった。
こういうのを、「マヌケ」と、つくづく思う。

禁断症状をぐぐっと、ずっとガマンしながら、家事に勤しんで、さて、と、
夕食支度前のほんの少し空いた時間に、いざ、さあ!!!と、意気込んだら、
いきなり、前のめりに、つんのめった。
慣れないことは、するものではない。

せっかくのこの大好きな時間が、・・・ああ、あと30分ほどで、夫が帰って来る。
必死で、つなげてみる。
アタマとこころを痛めながら、自分のやったことは、自分で、始末、フォロー。
どうにか、つながり、ほっ。

この時間の無さ、いつもの平日の出かける前と同じではないか。
時間がたっぷりあるはずの、時間制限なしの日曜日なのに・・・

と言いつつ、今日、日曜日は、家事もさることながら、午前中は、ケータイにメールがジャンジャン鳴りっぱなし。
三人の異なる分野の人々が、それぞれの用事で、あれこれ、相互報告、連絡、相談。
掃除に、いまかいまかと、取り掛かろうとすると、メールが来て、そして返事して、
結局、取り掛かったのは、昼からになってしまったのだけれど。

そして、その三人のメールとは、まったく違うことを、考えながら、家事に精を出していた。
それは、全然、まるっきり、今、わたしには、なんのかかわりも、関係もないことだ。
「男女間において、友情は成立するか」
ずっと、そんなことを考えながら、用事をこなしていた。

誰に問われているわけでもないし、直面する問題とはほど遠い。
分野違いも甚(はなは)だしい。
プールで延々と泳ぎながら、黙々とウオーキングしながら、
まったく違うことを考えているのと同じような按配(あんばい)。

わたしは、今、家事をしているが、実は、作家なのかも、などと、森瑤子になったつもりで・・・(というのは、ウソですが)

行動の動作と、アタマの中が、まったく、連動していない。
ま、単純作業の場合、これもアリ。
ただ、モデムとかを、手荒く扱ってはいけません・・・ね。
(ちょっと、モデムにゴンと当たった手ごたえはあったけれど、掃除に夢中、いや、荒っぽいだけ)

そうして、家事満タン、家はきれいになり、新学期にふさわしく、空気は入れ替えた。
でも、アタマの中は、全然、結論が出ていない。
恋愛とは、なんぞや??

永遠のナゾを探求しながら、家事に勤しむのは、効果的なのか、非効率的なのか。
乳牛に、美味しい牛乳を効果的に出させるため、美しい曲をBGMで聞かせるごとく?
ちなみに、リビングに流れるBGMは、FMの洋楽曲。
テンポ、リズムがよかったり、ムーディだったり。

男女の愛について、結論は、先延ばしにした。
とりあえずは、今から、夕食の支度に取り掛かろう。

わたしにとって、慣れないこと(家事)をすると、ブログのネタになる。
これは、決して良いことではない、・・・と思う。


うららかな春の一日、あっという間に、日が暮れてきた。

 

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モデム・トラブルで、どうも、急ぎ足文になっている・・・ようです。

 


別れと出会い

2012-04-07 | 人生

昨日のわたしのブログ記事タイトルは、詐欺です。卑怯です。
自分ながらに、アクセス点数稼ぎ、一時的ハッタリっぽくて、後で見てイヤになったけれど、
書いた時は本当にそういう気分だった。
ただ、翌日、冷静な目で見ると、あ~あ、という気がした。

今日は、たっぷり書く時間がある。
・・・が、昨日、会った人に言われたことが気になって、ショックで、
その人に今朝、メールしたら、魂が抜けてしまった。

そして、義母とのメールのやりとりもした。
これまた、こころのままに、こころを込めて送信したら、
アタマの中の在庫・文字数は、もうほとんど残っていない。
ブログの新規投稿画面を開いたら、残量、わずか。

だらだら長い文章を書くときは、じつは、あんまりこころを込めてないってことだ。


いつも、毎朝、待ちきれない気持ちで、いちばんにパソコンの電源を入れる、インターネット禁断症状のわたし。
ニュースや、関連する興味ある関心事、ブログなどを見るのだが、
今朝は、ぐっとガマンして、今の今まで、ネットにつながず、アナログで手書きのダイアリーをつけた。
ブログは、おもに気分的なことが多いが、このA4サイズのダイアリーは、事実をメモ。行動記録だ。

そして、気が付いたこと。

今年になって、わたしのまわりの流れが変わった。

一)娘の結婚という、家族の重大な節目を迎え、大きなこころの区切りを実感した。
家族構成、再編成、再認識へのスタートにつながる。

一)趣味の社交ダンス面では、練習量、質の濃度が上がり、形態、練習会場に、大きく変化があった。
それに伴い、接する人の顔ぶれが、がらりと変わった。

一)人の影響によって、自分自身に化学変化、物質変化が起こった。

この上記の3つは、リンクし合い、これからのわたしの人生に、方向性や、色合い、信条に
ぐいーーんと、弧を描くように、自然なチカラで行き先を導いてくれるかのようだ。

足踏みしていたところから、一歩進んだ。
ひとつのカタマリ、区切りを卒業した。

自分の方針が決まると、その一歩先を歩いている人を参考にできるし、
わからないことがあれば、研究したり、直接、聞くこともできる。
今までいた場所から、一段上がった、そんなかんじ。
それまで肩を並べていた人とは、さようならする人もいるし、同じコースに進む人もいる。
新しいコースには、先輩がいることもあるし、別のところから来た初対面の同期もいる。
時期は偶然、まさに新年度のスタート。

なぜか、とても清々(すがすが)しい気分だ。

とくに、今までいっしょにいた人たちとの、サヨウナラ、が、自分にとってはとても新鮮だ。
わたしは、自分からは絶対に、きっぱりサヨウナラしないタイプ。
受身で、運まかせで、ぐずぐずして、ぐちゃぐちゃになるのだが、
自然につるんと、あ、進む道が違うんだ、と、コースが分かれた。
コースの先では、優しく微笑んで手をさしのべてくれる人々の顔が待っている。
ただし、この顔もいずれは変化するのだろう。
それでもいい。停滞は進歩の妨げになる。
また、悩み、足踏みすることだろう。

とりあえずは、新年度、春の訪れ、新しい歓喜に身を委ねよう。

 

 

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究極の選択、絶望的心境

2012-04-06 | 日々のこと

今朝は絶望的な展開となっている。


それは、寝坊したせいで、というか、確信犯的、さぼり病で、
ダスキンモップの交換準備ができていない(掃除してない)ことと、
気になる部分の白髪染をする時間がない、ということだ。


出かける前の、たった30分の時間を、どう使うか・・・
その配分をめぐって、わたしのちっちゃなアタマは、キーと金切り音をあげて100%フル回転。
そのとても貴重な、掃除もパーにして、ヘアダイもパーにして得た30分の時間を
時間がないにもかかわらず、面白い哲学者の意見を読み(このネタ、絶対、近いうちに書きます)、
コーヒーを飲みつつ、自分のブログランキングチェックをし、(がっかり、うなだれるが、もう、なれっこ)
お気に入りのブログをひとつだけ読み、
さあ、あと15分。

ここで、ブログ更新をしなけれな、ヘアダイする時間がないでもない。
でも、指は動いている。
ダスキンは完全にあきらめた。ダスキンのおねえさんにキャンセルの電話しよう。
問題は、ヘアダイか、ブログ更新か、だ。


新しいブログにしてみようかとも、考えてみたり・・・
いや、今日、会う人の顔が浮かんで、ヘアダイしなきゃ・・と、へんに気がそっちに行ったり。
10分で、ヘアダイはできるか?


やはり乙女は、髪が気になるお年頃。
ここでブログは終了して、洗面所に向かいます。



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