蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

黄昏の青春

2019-09-16 | 趣味
今日のダンパで、またまた色違いのドレスを着ている人を見かけた。
皆さん、わたしと同じで、安モン好き?
今回は、真っ赤。
やはりスケスケ部分には工夫をされていて、わたしとは微妙に違う手直しが施されていた。
スケスケではない箇所で、同じ箇所の手直しは、わたし、一昨日の女性、今日の女性、3人とも同様な処理をしていた。
考えること、感性は同じだと感じた。
今日の人は更に面白い工夫。
前と後ろを逆に着ていた。
間違えたわけでなく、ワザとだと思う。

さて、今日、わたしが着ていった、もう一枚のドレス。
最初は恥ずかしかったが、途中からどうでもよくなり、目立たないようにするために上に着ていたボレロをかなぐり捨てた。
自分で思っているほど、ドレス効果はないと思われるが、ドレスは注目されなくても、(恥ずかしげもなく太い身体を晒しても)わたし自身が、ドレスや体型、見かけから、吹っ切れたような気がした。
弾けた、というかんじ。
爽やかな汗を流した。
恥ごと流れ落ちたんじゃないかと思う。

自意識過剰は、殻を破るところからスタートして克服しなければならない。
この年齢で、思春期外来みたいな悩みを言っている。
まあ、まだ青春だ、ってことで、勘違いして残り僅かな時間を楽しもう。

ちなみに、昨夜から頭痛、ひどく痛い肩凝りがしていたが、汗をかいて(恥もかいて)思いっきり踊ったら、すっかりひっこんだ。

仲良しの訳

2019-09-15 | 暮らし
今日も朝夕は、秋風そよ吹く爽やか気温。
街行く人も長袖。

で、夫は朝からエアコン。
こんなに涼しいのに。
テレビ、大音量。
電灯、明るいのに白熱灯を点ける。

蛍光灯は、学校や病院、事務所など、煌々と照らして事務作業や仕事をするのに、よく見えるように、はっきりした灯り。

白熱灯は、夕暮れや夜、仕事や学校から解放され、心身ともに柔らかな明かりでくつろぐ。
ピカピカピンピンに点ける場合は、宝石屋やブティックでピンポイントに照らしつける。
まさにキラキラ煌めく効果。

テレビを明るい日中に観るにおいて、蛍光灯も、白熱灯も必要ない。
が、夫は白熱灯を点ける。
しかも照明器具の電球は、6個ぐらい付いている。
(こんな不経済な照明器具を選んだ人の顔が見たい。はい、わたしです)

トイレ。日中、明るいのに電気を点ける。
お風呂。日中、明るいのに、着替えるスペースの電灯、及び、お風呂の中、両方に電気を点ける。
彼は目が悪いため、メガネは外してお風呂に入る。

体感温度、聴こえる音、感じる光、全てわたしと異なる。
どちらが悪いわけでもなく、お互いが正しい。
夫が在宅の時は夫が好きなようにする。
わたしは、ひたすら耐えるのみ。
二人で同時在宅する時空を極力作らないようにする。
平和解決。
分離作戦。

休日は、わたしが外出。
夫もだいたい外出だが、たまに、在宅の場合もある。
おひとり様で、自分の時空を満喫していただく。
わたしは、行きの電車内、ブログで毒吐きすると、ストレス解消効果100倍。

嫌なものは、見ない、聞かない、話さない。
気持ちや考え方なら柔軟に対応もできようが、体感の好みはどうしようもない。
お互い、文句を言ったり言われないような状況で楽しい時間を作るのが一番良い。
仲良し夫婦は、いつも一緒にいるのが仲良しとは限らない。
時々、いや、たまに一緒ぐらいが、一番良い。

どちらかが病気になれば、その時は?
ちなみに、娘の家は、夫の好みの真逆。
自然天然ゼロエネルギーの家。
電気ガス光熱費は、空き家のごとく。
我々が自立できなくなって引き取られるようなことにでもなると、そうとうの忍耐力が必要となる。
今まで幸せだったなあ、と、しみじみ感謝することだろう。
快適でない暮らしは、より快適なところを求めると思う。
自立できなくなってからの、より快適なところとは?
地上の楽園て、ある?
この世とは限らない。
今から、こころ準備をしていると良いかも?

スタイルの悪さを強調する安ドレス

2019-09-14 | 趣味
さて、一昨日、届いたドレス。
3枚注文し、2枚は同じ店、もう1枚は別の店だが在庫切れでキャンセル。
2枚同時に届いたが、値段がモノを言っていた。
早い話、安モン。
わたしは、なんでこう安モンが好きなのか。
いや、値段の安いお得商品かも知れない、と淡い期待が、アタマの隅っこにチカチカ、弱々しいなりに点滅していた。

が、やはり、甘かった。
安かろう、悪かろう、、、。
しかも2枚共。
わかっていながら、自己責任。
この、粗悪安モンを着る気力、勇気があるかどうか。
ハンカチだとか、下着だとかなら、外から見えないが、、、
ドレスとは言い過ぎにしても、ダンスウエア。
シンプル省エネ、スポーツタイプのウエアならまだしも。

しかし、よくまあこれだけ薄くしたなあ、という生地の薄さ。
しかも、よく伸びる。
旅先の急な雨で買い求める、ポリ袋のような薄さの雨具、雨ガッパのごとく。

ユーザーコメント(カスタマーレビュー)に、胃袋まで見えます、と書いてあったが、うまいこと表現してると感心した。

返品しようか、どうしよう、、、まあ、なんやらかんやら悩んで、ちょっと自分で手を加えてお裁縫して、手直し、ドレス改造。
返品には至らなかった。

で、、、
今日、早速、ダンパで着た。
問題なかったが、色違いを着ている人がいた。
色違いの人も苦労されている感じが読み取れる。
なぜなら、一箇所、わたしと同じ処理をしていた。
そして、スケスケ対策にはペチコートを履いておられた。
(わたしはスケスケ部分が少なくなるように、チクチク縫ってデザインを変えた)
まあ、無事、お披露目は終了したのだが(一人お披露目)。
問題はドレスではなく、殻付きピーナッツのような、わたしの体型。
このお腹で、よく恥ずかしげもなく、この薄い生地のドレスを着た、ということ。
(ドレスというよりは、ウエア)
まあ、今日1日楽しく終われば、それで良し。(次回、着るのはいつかは、定かではないが)

しかし、もう1着の、さらに薄い、胃まで見えるドレス、ついでに返品しなかったものの、あれ、着れる?
勢いで着てしまう予定。
なんでもノリが大事。
数年後には、あんなドレス、よく着ていたなあ、と恥ずかしさのあまり、夜中に目が覚めて飛び起きるかも知れない。
が、やった後悔より、やらない後悔のほうが大きいという。
特大の落花生(昔の漫才師、今いくよ、くるよ、みたいな)スタイルも、将来、振り返れば楽しい思い出になることだろう。
今日より若い日はないのだから。

ちょっと、ひと息ついてます

2019-09-13 | わたし
この記事は昨日、威勢余って二本目に書いたもの。
ほんとうは、到着した派手派手ドレスのことを書きたかったのだが、、、
また今度。(いつになるか、わからないが)

で、、、
いきなり、唐突ですが、、、
(トーンが書いた時と全然違うので、本人も、違和感あり)

今が絶頂期の人を掴もう、手に入れようとすると、労が大きい。
今、ピークということは、これから落ちるということ。
高値買いは、やめたほうがよい。

成長株を人が着目してないうちに、掴むのが理想。
かなり、神経や感覚を研ぎ澄ませて、市場を嗅ぎまわっていないと、難しい。
わたしは、株投資は、不向き。
そちら系のセンスはゼロ。
失敗体験を通して実践済みである。
再挑戦する気も、努力する気も、まったくナシ。

だが、人に関しては、見る目があると自負している。
たまには、スカ、ハズレを掴むこともあるが、成功へ向けての助走だと考える。
失敗は成功の元。
成功へのテキストが、ゴロゴロそこかしこに落ちている。
ただ、いつまでもいつまでも失敗していては、投資を挽回できない。
そろそろこのあたりで、ドカンと行かないと、という、満潮時の頃合いがある。

幸福の女神は前髪を掴めというが、幸福の女神であると判断できる目利きが必要だ。
それと、あとひとつ、大事なことがある。
スカの捨て方。
後ろを向いてはいけない。
背を向けてはいけない。
前を見たまま、笑顔で後退する。
美しい去り方をしなければ、関係者一同、皆んな全員幸せを目指せない。


幸福の女神はどうやって見つけるか。
ぼーっとしていては、見逃し三振。
ボールが何倍にも大きく見えるまで眼力を鍛える。
あとは、バットを振るタイミング。
球に合わせるのには、絶妙のテクニックがいる。
高い球には手を出さない。
高値買いは、あきません。
初心者が、よくしでかすミス。
ど真ん中が来たからとバットを振っても、振っている間の時間を計算に入れていない。
バットが当たるはずのボールは、その間に真ん中から別の場所に移動している。
振る間、余計に時間がかかることを計算して、高さを狙わなければ当たらない。
見つけてから行動しても、間に合わないことがある。
前髪どころか、高速移動、姿も形もない。
幸運だけを頼りに、口を開けて待っているだけでは、女神は微笑んでくれない。
かと言って、売れそうもない粗悪品、安いからと買っても、不良債権の塩漬けを抱えるのみ。
成長株、見込みがあり、今はまだ注目されていないものを発掘する。
これは、相当高度な目利きが必要である。
プロ選手のスカウトマンのようなもの。

まあ、そこまで表舞台の人は求めないにしても、自分にとっての表舞台に近道を導いてくれるくれる人材をキャッチすると、省エネになる。
だが、相手も自分も変化し続けるので、最善の状態をキープするのは難しい。
見つけてキャッチしたまま、放置、手抜きすれば、枯れてしまう。
枯れないように、自分との関係性を良い状態で維持できるよう、いつも注意を怠らないこと。
でないと、慢心は、破綻の元となる。
努力ポイントを絞り込んで、そこだけは絶対に外さず頑張る。
あとは、自動運転。

努力ポイントを見誤ると、疲れるばかりでちっともラチがあかない。
いっこうに成果が上がらない。
努力の方向性はとても大事だ。

闇雲に頑張った時代に、努力ポイントのコツを拾って来れたらよいが、なかなかそうはいかない。
闇雲には闇雲なりの成果がある。
次に進もうとするあがきは、岩をも通す。
岩を爆薬で、こっぱ微塵にする方法もあるだろう。
が、自分も生きて、岩も再利用できるよう、岩をくり抜く妙案にたどり着けたら、理想。

ちなみに、
今、わたしは、ちょっと小休止状態である。
涼しい場所で、ひと涼み。
まだ、気候や気温として、夏の暑さは、なかなかやわらがないが、精神的には、とりあえず、にんまり、ほんわかしている。


追記
台風被害に遭われた地域の皆様、
大変でしょうが頑張って乗り越えてください。

アバター造り

2019-09-12 | わたし
わたしの最大の欠点は、ムラがあること。
自由意志で動き、あまり他者の動向には振り回されない方だが、自分を大事にするあまりか、時々、壊れる。
(普通、人を大事にしすぎて壊れるのでは?
まあいい)
全く壊れ切るわけではなく、ちょっと調子が悪くなる。
気長に自然治癒するのを待つと、また復活する。
脳の電池の接触が悪かったり、どこかが緩んでいたり、外れていたりするのだろう。
暑さで、機械が溶けかけていることもある。
(実際、うちのインナーテラスの照明器具、アンティーク風でお気に入りなんだが、ぽとりぽとりと真鍮?が溶けたしずくみたいなものが落ちている、、、)

持ち物は、持ち主に似る。
うちの家電、壊れて動かなくなると、しばらく様子を見る。
いよいよ動かない、脳死判定を下し、さあ新しいものに買い換えようとすると、なぜか動き出したりする。
洗面所の鏡の上の蛍光灯は最たるもの。
朝、お化粧するのに必要だから電源を入れるが、点かない。
夜、帰ってきたら、うっすら灯りが付いている。
ちょっと遅すぎるんじゃない?と苦笑していたが、やがて笑っている場合ではなくなった。
全然、点かない。
もちろん、蛍光灯を新しいのに取り替えても点かない。
洗面台ごと、取り替えないといけないのか?
そんな気はないので、天井に取り付けられている照明器具だけで、しのいでいる。
が、天井の照明は白熱電球で、白い光の蛍光灯ではないし、至近距離から照らされる蛍光灯には、全く及びもしない明るさである。
シワや白髪なんかは、ほとんど見えないから、良いのやら悪いのやら。

それが、つい最近、点くようになった。
え〜っと驚いた。
もう点かなくなって一年ぐらい経ってるのではなかろうか。
気まぐれにも程がある。
あまりに暑くて調子が狂って点くようになったのか。
ああ、わたしみたい。
(それと、シワ、白髪、、、年月が加算され、再お目見え、こんにちは。今更ながら、再確認、再認識)

他にもそういう家電が結構ある。
騙し騙し使っていると、ちょいちょいストライキを起こす程度でどうにか持っている。
ますます、わたしみたい。
だが、やはり、台所のガスレンジや、冬のお風呂は、必要不可欠でもあり、騙しきれなくなり、ついにやり替えた。
エアコンも壊れていたが、夏になる前にやり替えておこうと、今春に刷新したのは大正解だった。
この夏、エアコンが壊れているなんて惨事は避けられて大安堵した。


これは、わたしで言うと、どういう状態?
もう騙せない、逃げられない、覚悟のし時?
まあその時は、やり替えたらいいのだ。
うん、その通り。
しかし、どうやって、やり替える?
人造人間か、アバターでも造る?

そういう事態が来る少し前に予兆があるだろうから、予兆が来てから対策を練る?
それでは遅すぎる?
危機管理ゼロ点。

今からでも、ちょっとぐらいは、アタマの隅っこに、アバター造りをイメージしておこう。
て、アバターって、アバターになってからどうするつもり?
それに、家電なら買い換えれば済むことだが、第一、アバターに、どうやってなるつもり?

これから、ゆっくり考えていこう、、、
まだ、時間はあるはずだ。たぶん、、、


派手派手ドレスが届くまで、、、

2019-09-11 | 日々のこと
眠い、、、
もう寝る時間だ。
この週末からブログを更新していないと、面白いほど、しゅるしゅるとブログ村のランキングが下がっていた。
それは仕方ない。


朝、起きてみたら、昨夜こんな文章を書いていた。
記憶にございません。
そう言えば、書いていたような、、、

さて、やはり朝に書くほうが明るいポジティブなものが書けるような気がする。


と、ここまで朝に書いた。
それからはネットショッピング。
アマゾンで注文。
だが、お出かけ時間となり、タイムアウト。
しかし、今日のお昼に注文して、明日昼に届くなんて、中国のお店なのに、不思議。
日本に倉庫があるのだろうか。

またまた、きっと返品、交換の場合は、中国なんだろうなあ。
その手間暇で嫌気がさして、ちょっとぐらいの不具合は我慢することになると予想する。
アマゾン、速くて便利だけど、注文が簡単な分、注文の際、あまりよく吟味しない傾向がある。
ネットショッピング、良し悪しである。

で、注文したら、即座にレスポンスあり。
品切れにつき、早速、同じデザインで柄違いの商品を勧めてきた。
「柄が好きだったから変更しません」と返信したら、今度は、柄が同じでデザイン違いを勧めてきた。
だけど、値段がわからないから、ただいま、問い合わせ中。
なんだか、たいへん。

去年だったか、今年だったか、ネットショッピングで中国のお店から買ったドレス、まだ半年ぐらい?しか経ってないのに、もう背中のパワーネット部分が伸び切って、みっともない。
ドレスは、どれだけ何度も着たか、が、勝負だと思う。
長〜く愛着を持って着るドレスは、お高くても実際に店舗で試着したほうがよい。
インターネットで、安い商品は、使い捨て感覚かと思う。
しかし、ほどほどの値段のものでも、あまり気に入らない。
じゃあ買わなければよいのだが、、、

なぜか、ムキになってネットを漁り回り、何が何でも買わなければ収まらない。
病気か?
激突するまで猛スピードで走り続ける。
だって、同じドレス(ダンス趣味分野)ばかり着ていたら飽きるのだ。
すごい閉塞感。
わたしは、着るものへのこだわりも強い。
こだわり始めると、とことん行く。
すごい執着である。
アス○○ガー傾向か?

遠い姻戚関係(義理の義理。ほぼ他人)の女性親子が、とても着るものに凝る。
たいして遊びにも行かず、出歩かず、旅行にも行かず、ひたすら着るものにお金と手間暇をかける。
(結果的には着て出かけることを想定していると思うけれど)
趣味なんだろうけど、否定はしないけれど、羨ましいとも思わないし、そこまでこだわる気にはならない。
こだわりも、人それぞれ。
労力、時間、熱情、お金、、、他人や家族に迷惑をかけずに使えるなら好きに使えばよい。
同じジャンル、着るものひとつ取っても温度や方向性、追求、訴求ポイントが違う。
お好きならどうぞ、わたしは、そこまでしないけれど。
いいと思わないけど。
わたしは、マネキンのようにただ着るだけなら、いっそ着ないでコレクションするほうがマシ。
着て、何をするか、だ。
そこが、大事。
ノーベル賞の授賞式に参列するのか、参観会に行くのか、着るだけではあるが、服は「場」に付随する必要不可欠なもの。
わたしの場合は、着て「踊る!」
スポットライトが光り輝かなかろうが、日の当たらない場末の会場であろうが、別にいい。
カーネギーホールである必要はない。

それはそうと、前述の彼女たちも、人に賞賛されたいから服にこだわるわけではないだろう。
自分たちは、お金も手間暇もかけているのに絶賛されない、たいして褒められない、逆に妬まれる、クールな反応であっても自分は自分。
ちなみに、わたしは、自分のためにやっている。
他人の反応など、どうでもよい。
評価や見返り、評判など、(人に不快な思いをさせなければ)気にならない。
だから、犠牲も払わないし無理もしない。
姻戚関係の女性のようなタイプもそうかも知れないし、そうでないかも知れない。
(どっちでもいい、こだわらない)
他人の価値観や趣味を否定したり、されたりするものではないと思っている。

ということで、派手派手なドレスを複数注文したわけで、、、明日のお昼には到着するわけで、、、わくわく。
一番の期待の、まだマシなドレスは欠品、売り切れ。
が、おそらく代替え品は、買わないと思う。
売り切れ時点で、縁がなかった。
あまりマシとは言えない、(おそらく)ヒドいドレスが2枚、明日届く。
到着するや否や試着するとして、たぶん小さすぎて返品交換すると予想している。

どんなにヒドイか、今から、落胆に耐えられる強いこころを養おう。

なに言ってんだか、、、わたし。
自分で言うのもなんだが、へんな人である。

ツッコんで、おしまい。

2019-09-06 | 暮らし
書きたいことがある。
書きたくて、うずうず。

さて、先日、我が家にポスティングされていた印刷物。
薄い冊子仕立ての、軽い読本風。
どこやらの宗教のようだ。
ああいう本?のようになった読みものを読むのは、わたしは好きなのだ。
なぜなら、ツッコミどころが満載だから。

で、さらさら読む。
最初あたりは普通。
だんだん、雲行きが怪しくなってくる。
自分が不幸なのは、自分が好き勝手しているから、らしい。
認知症になるのも、自分がしたいことばかりしているから、らしい。
へ〜。新説。
知らんかった〜。専門医に聞いてみよっと。

で、自分が好きなことばかりしていて、病気、癌になった、という人が登場していた。
この人は、子育ても終わり、リタイア人生、趣味だの旅行だのグルメだの、お金も好きなように使って、最後は老人ホームに入りたい、なんて思っているようだが、そんなのは、好き勝手の最たるもの、らしい。
(典型的にダメな、わかりやすい見本だそうな)

夫に早くに先立たれ、シングルマザーで子供三人育てたのに、息子が結婚しないのも、ちゃんと正規社員になれないのも、親が好き勝手しているから、だそうだ。
(好き勝手してたら子育てできない。
子供が成長したら、もう子供自身に任せればいいと、わたしは思うけど。
今の世の中、正規社員になれない人も多いのが現実。)

この教祖様の教え、わたしとは真逆。
絶対に入信できない。
その決定的理由。
癌になったそのシングルマザー、入信したら、癌が治ったそうな。
結構なこと。ネイチャーに発表し、世界に発信すると良い。
山中伸弥医師も驚くことだろう。
製薬会社は目をギンギンにして、大喜びだろう。
株価もウナギ上りに、市場は湧く。
、、、と、なるのか?
とても、なるとは思えない、、、

癌が治ったのは、入信時期と重なっただけ、とも、大いに考えられる。
まあ、めでたい話だから、株価は上がらなくても、それはよいとして。

わたしが、一番、ツッコミたいところは、これ!
で、何かと言うと、正規社員になれなかった息子は無事、正規社員になれ、結婚もしてなかったが良縁に恵まれ、今や二児の父。
それはまあいいとして、シングルマザーは息子一家と同居。
癌も治り、仕事から帰ってくると、お嫁さんが作ってくれる美味しい夕食が待っていて、幸せを噛み締めているとか。

これ、幸せの極めか?
わたしは、全然、思わない。
不幸だとは思わないが。
女手1人で育てた息子一家と同居?
わたしなら、当然、ノーサンキュー。
ストレスの元。
この宗教?に入信すると、息子一家と同居なら、入信しない。

なんで、同居が幸せなのか?
わたしが変わっているのか?
二世帯別居すると生活費用もかさむから、しかたなく同居というのは、自然の流れ。
あくまでも、最善から二つ目のチョイス。
Bestではなく、Better。
最善は、近くに別居!
そう考えるのは、わたしだけだろうか?

世の中の流れとわたしがズレているとしても、そんな宗教、入りたくない。
わたしだけだったとしても、自分の幸せを追求したい。
でも、自分勝手は、ダメらしい。
自分勝手をしていると、理想の息子一家と同居が、届かぬ夢となるのだろう。
届いてほしくない、そんな夢。
だとすると、好き勝手していれば良いということか。
息子一家と同居したくないから、ちょうど良い。

自分の価値観を他人の幸せの価値観に合わせる必要も義務もないと思っている。
教祖様が示す理想の生活図は、わたしの理想ではない。
だから、わたしは、ポスティング読本を読んで、ツッコむだけツッコんで、おしまい。
自分の考えや志向を確認したにすぎない。
ブログまで書いたが、あんまり建設的な時間ではなかった。

お読みになった方へ
内容、しょうもなくて、すみません。
やっぱり、宗教話は、触らぬ神に祟りなし。









オープンスクール

2019-09-05 | 子育て
オープンスクールに行った。
今は、参観日のことをオープンスクールというようだ。
孫Aの小学校。
オープンスクールというと、志望大学キャンパスを下見しに行くようなイメージが、わたしにはある。

2時間立ち続けると、しんどい。
やはりわたしは年寄りだなあと実感する。
第一、わたしは祖母なので、他の参観に来られている(先生が子供達に言っていた)「お家の人」より、一世代、上である。

参観日当日、娘、娘婿が、出張等で二人とも休めないため、わたしに「時間があれば行く?」と聞かれ、手をあげた。
行きやすい時間帯は副教科だったため、行きにくい、出にくい朝一ではあったが、1時間目、2時間目の国語と算数を参観した。
副教科は、保育所の延長上だから、あまり興味がない。
やはり、学校といえば、小学校なら4教科。
体育が得意だとヒーロー、ヒロインになれるのもこの時期ならでは。

今はコンピュータ時代。
端末タブレットと、モニターを駆使し、リアルタイムにタブレットを使って写真を撮った子供達のノートを大きく映し出し、モニターで皆んなに見せたりする。
教科書の中身だけ、説明しやすいようにモニターに映っているのかと思いきや、今、書いたばかりの数人のノートも、大画面モニターに映し出され、すぐさま、生徒全員が見ることができる。

わたしの時代も、わたしの通っていた学校は、国のテスト校的なポジションにあり、一般校に先がけ、色々な試みで、機器や教材を使い先進的なこともしていたが、あれから時代は変わり、子供、孫と二世代、時間が飛ぶ。
今や一般の普通の地元公立小学校でも(この言い方は、自分では気づかない嫌な臭いを放っている可能性がある、、、)きちんとしている。
エアコン完備。
たった半年前に入学したばかりの子供達に、発表の仕方、手の上げ方、ノートの書き方、指導が行き届いている。
しかも精鋭組とかではなく、地元の保育所を出た保育所仲間がクラスにいっぱい。
わたしは、孫Aより先に、他のお子さんに、「あ、○○君のおばあちゃん!」と手を振られた。
一方的に顔を知られているだけで、わたしはその子を知らないのだが、、、
とりあえず、笑顔で手を振り返しておいた。

わたしの子供達が通った地元小学校に孫が通う、というのは、感慨深いものがある。
初めて長女の給食参観に行った日のことがオーバーラップした。
休み時間。
長女は、皆んながわいわい自由に遊んでいるのに、一人、教室に置かれている本を読んでいた。
さすが、親子。まったく同じ行動だった。
短い休憩時間は教室内でいるが、20分休憩の時は、運動場に駆け出す。
教室にいるのは、女の子達と、男の子は、孫Aだけ。
孫Aは一冊、本を読んでいたが、他の子供達が次々教室から出ていくのを見て、同じように出ていくだろうと思っていた。
わたしも帰るため、靴を履き換えたが、なんだか気になって、もう一度、教室に戻ってみると、なんと2冊目の本を読んでいた。
しかも、電車オタクの孫Aのためにあるような、電車の写真が大きくのっている本。
しかし、あんなに身体を動かさなくて大丈夫か?
また、3時間目、4時間目もあるのに、じっとしていて、遊び盛りの年齢なのに、疲れないのか?
風邪引きかけなのだろうかと思うぐらいだ。
ちょこまか落ち着かない行動をとる、じっとしていられない性質で気を病む親もいるだろうに、じっとしすぎで気を病む祖母(わたし)もいる。
まあ、色々だ。
(わたしの子供達も、体育会系の子を含め、わりとじっとしているほうだったような、、、)

後で孫Aに聞くと、お昼の25分休憩は、全員が外に出ないといけないらしい。
全員参加の遊びがあるとか。

特別支援学級のお子さんには、別の先生が一人まるまる側に付き添い、その子だけ特別に授業中ずっと、授業指導のサポートをしていた。
マンパワーもかなり必要。手厚い教育だと感じた。

2時間目には、他のおばあちゃんも参観に顔を見せ、ちょっとホッとした。
お父さんというのは普通にザラにゴロゴロいるが、おばあちゃん、というのは、わたしひとりでは、なんだか居心地が悪い。
保育所などでのおばあちゃんのサポートは必要不可欠でわかるが、教育現場では、おばあちゃんはちょっと(悪い意味で)目立ってしまうような気がする。
しかも、まだ父兄がパラパラ人数の朝一から、でーんと。

1番後ろの席の女の子が、ノートに書く文字があまりにもキレイなので驚いた。
美しい文字に、うっとり。
横の男の子は、ミミズ、ガタガタ文字。
キレイな文字ノートの内容も、しっかり書かれていた。
お母さんもまた、きっちりしたタイプの人で、なるほどねー、と納得した。

孫Aは、良くも悪くも目立たず、その他大勢の一人で、まああんなものか。
なにしろ、小学校一年生なので、今からである。
今どきの教育現場はどんなものかと、単なるわたしの好奇心から参観した。
こんな機会、逃すのはもったいないから。
興味深く、孫より、授業内容や、進め方に注意が行ってしまい、ついには、わたしが生徒になったように、先生の説明に聞き入ってしまっていた。

わたしには、授業レベルとしては小学一年生ぐらいが、ちょうどかも知れない。

無意識に身を守る

2019-09-04 | わたし
わたしは、というか、人間は、防衛本能がある。
自分自身を振り返ると、防衛本能は機能していたようだ。
飢えから自分を守る。生命の危機から自分を守る。
悲しいことに、生き恥からは自分を守れなかった。
だって、恥をかいても、生命維持にはなんの差し障りもない。
生命の質を追求すると、恥をかくぐらいなら、死を選ぶこともある。
倫理教育や政治なんかも影響してくるようだ。

わたしは恥をかいても、へっちゃら。
これを天然というらしい。
天然は居心地が良い楽園のようだと悦に入っていたのに、最近、天然と認知症のボーダーレス化に気づいた。
恥ずかしいという気持ちが、むくむく。

昔、ハワイの王女様がヨーロッパを訪問し、皆さん、裸ではないことを知った。
自国では女性も上半身裸。急に恥ずかしくなって、衣類を纏うようになったとか。
それに似ているかも?
ああ、無知の時のほうが幸せだったなあ、、、と、わたしの回顧録。

恥という点では無知、無防備だったが、身を守る本能は備わっていた。
学校では、一人ぼっちだと学校生活や行事などで、なにかとやりにくいため、なんでもいいから、誰でもいいから、手近な身近な自分の至近距離に、たまたまいた人物に手を差し伸べ、確保した。
たまたま、ひどい人物ではなかった。
その、たまたま、というのは、じつは、わたしの本能の原点があると思う。

たまたましたこと、たまたま選んだもの、無意識ではあるが、じつは、脳が選別していたのではなかろうか。
危険なもの、粗悪なものは、たまたま、の選択肢から自動的に勝手に除外している。
脳のシステムに組み込まれているようだ。

だからかどうか知らないが、わたしが接してきた人々は、全員○。良い人ばかり。
たまたま、ではなく、良い人だけを選別している可能性はある。
良くないとわかると、手を離す。

高校生の時、同じ高校の友達の友達(別の高校)や、さらに別の高校の子の友達という子に出会った。
純朴で朴訥な人だったり、少し不良っぽかったり。
でも、わたしの自動選別脳が勝手に選り分けて、するっとお付き合いリストから落ちていた。
たんに、好みの問題かも知れないが。
自分の人生を転落させるかも知れないようなタイプは、カスリもしなかった。
わたしは、中学生ぐらいの時からすでに、無意識に自分の人生ラインを決めていて、それにそぐわない人はパスしていたようだ。
街で見かけるカッコイイ子がいても、どんな家、どんな家庭かを連想して、ホスト系はNGだった。
芸能人などの赤の他人なら、接するチャンネルが違うので、きゃーきゃー憧れたりはオッケーだった。

わたしの好みは、、、今では書くのをためらわれる。
なぜなら、、、鼻持ちならぬ感じ悪い要素ばかり詰まっているから。
(書かなくても臭ってくることだろう、、、)
でも、結局、今の年齢までその路線は大きく変わらない。
が、変化したこともある。
大変化である。

この歳になれば、その人の家や家庭などどうでもよい。
結婚したり同居するわけでもないから。
どんなに素敵な大好きな人が現れても、体感温度の違いや、テレビ番組の好みは絶対に違うだろうし、食べ物の好みも。
だが、全く真逆の好みだったとしても、なんの問題もない。
1人でいるのが気楽で良い。
年齢が高くなると、相手に合わせられない。
あるいは、リセットして一から新人生も面白いかも知れない。

で、話を元に戻すと、、、
自分が幸せになれる人を無意識に選別していると思われる。
タチの悪い人は、絶対に選ばない。
頭で考えるのではなく、防衛本能だと思う。
まずは、悪いものを排除し、自分を守り、それから徐々に自分の思いを描く。
そこで思う。
自分で自分が守れる年齢まで、ちゃんと守って育ててくれた親には大感謝している。


敵と味方、はっきり分かれた

2019-09-03 | ブログ
あれから、昨夜の続きがあります。
・・・
別の趣味系SNS。
1人の非難コメントの後、次々と糾弾めいたコメントが続き、げんなり、気を落としていた。
日頃から反撃の機会を伺っていたかのごとく。

で、しばらくすると、味方からの援護射撃があった。
そのうちの味方の1人は、1人目の非難コメントに乗っかった2人目の人をまた口撃までしてくれた。
いつもの大御所も駆けつけてくれた。
理論的な理性的なコメントで、わたしの味方に立ってくれ、かなり戦果はあったと思う。
やんや、やんやの大合戦。

赤勝て、白勝て。
コメント合戦が面白いからと、ふたたびコメント付けてくれる人もいた。

わたしは、大いに盛り上がった。
気分が高揚した。
単純な、わたし。

1人目、1番最初に非難コメントをした人のコメント内容には、じつはたぶん、入力ミスと思われるものがあった。
触れてはいけないと思い、見知らぬふりをしていたが、援護射撃の人が、ズバリと突いた。
言語には結構敏感なわたしは、指摘部分はかなり恥ずかしいミスなので、わたしなら削除するだろう。
2番目の非難コメントは、「1番目のコメントに1票」というもので、援護射撃の人は、そのコメントに対して、ピンポイントで言及した。

こころが、スカッとしたのも束の間、ピンポイント口撃された人が即座にまたコメントを付けてきた。
この人は、エグい、はっきりした、わたしに敵意むき出しの人なので、また何を言われるのかとドキドキビクビクして、コメントを読まないまま、寝た。

朝、起きて、恐る恐る開いてみると、味方チームからの応援がどっと来ていて、大安堵。
これなら怖くない、と、キツイ人のコメントを最後に読んだ。
意外にパンチの効いたコメントで、非難の矛先は、わたしから、ピンポイント口撃の人へ移っていたので、ほっとした。

なんでもいいが、人の家(日記)で勝手に喧嘩したり暴れたりするのは、やめてほしい。
家が傷む。
わたしの日記が荒れる。
とは言いながら、いろんな人がいて、賑やかだからまあ良い。

まだ今日、午後になって、別の人々からコメントがついていたが、わたし自身は、すっかり冷めていた。
コメント返しにも熱が入らない。
わたしも、かなり気分屋である。