雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

一子を喪う ・ 今昔物語 ( 4 - 35 )

2020-02-08 08:47:52 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          一子を喪う ・ 今昔物語 ( 4 - 35 ) 


今は昔、
 
天竺に仏(釈迦)の御弟子である一人の比丘(ビク・修業僧。)が道を歩いていた時、荒田(アラタ・放置されて荒れている田。)を掘り返している翁一人と若い男一人の二人がいた。
比丘は「田を耕しているのだ」と思って通り過ぎようとすると、その若い男が突然倒れて死んでしまった。ところが翁は、ちらりと見ただけで、何も言わずになお鍬を振り立てていた。
比丘はその様子を見て、「翁は年老いている。若者が突然死んだのを見ても何も言わずに掘っているのは、なんと嘆かわしい心の持ち主だろう」と思って、翁に訊ねた。「その死んでしまった男を見てみろ。その男は、お前とどういう関係だ」と。
翁は、「これは私の子でございます」と答えた。比丘はいよいよ「奇怪な心の持ち主だ」と思いながら、「太郎か二郎か(長男か次男か)」と訊ねると、翁は、「太郎でも二郎でもございません。ただ、この男一人だけでございます」と言うので、比丘はいよいよ不可解な思いが増して、「母はいないのか、どこにいるのか」と訊ねると、翁は「母はおります。住処はあの煙が立っている山の麓です」と言う。

比丘は、「この翁は、とんでもない悪党らしい。せめて、母親だけにだけでも早く行って知らせてやろう」と思って走って行った。
家に行き着き入ってみると、白髪の嫗(オウナ)が一人、麻糸を紡いでいた。
比丘は媼に、「彼の所に、あなたの子が父親と共に田を耕していましたが、たった今、突然倒れて死んでしまいましたが、父親は何とも思っていないようで、なお田を耕しているのは、どういうことなのでしょうか」と話した。
媼はこれを聞いて泣き悲しむかと思ったが、露ほども驚く様子がなく、「さようでございますか」と言って、何とも思わない様子で、麻糸を紡ぎ続けている。

そのため比丘は、さらに不可解な思いになって、媼に訊ねた。「父親である翁は、目の前でたった一人の子が死ぬのを見ても驚かなかった。極めて不可解と思って母親のもとに急いで知らせに来たが、あなたもまた驚かない。もしかすると何かわけがあるのですか、どうですか。もしわけがあるのであれば、ぜひ聞かせていただきたい」と。
媼は、「これは実に嘆かわしいことでございますが、先年、仏が説法なさいました所に、嫗・翁はそろって詣でてお聴きしましたが、仏は『諸法は空(クウ)也。有(ウ・実在するもの)と思うは僻事(ヒガゴト・間違った事)也。只万(ヨロズ)の事をば空(ムナ)しと思うべき也』とお説きになられるのを承りましてからは、万の事は無きものだと悟り切っておりますので、媼も翁も、たった一人の子が死にましたことを見ましても、何とも思わないのでございます」と言うのを聞いて、比丘はたいそう恥ずかしくなった。

賤しい田夫(デンプ)ですら、仏の御法(ミノリ)を信じて、ただ一人の子の死を悲しまない。自分はこの事を悟ることが出来ていない。邪見(ジャケン・因果の道理を認めない過った見解。)につたないことを恥じて比丘は去っていった、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

        

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鸚鵡に導かれる ・ 今昔物語 ( 4 - 36 )

2020-02-08 08:47:05 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          鸚鵡に導かれる ・ 今昔物語 ( 4 - 36 )


今は昔、
天竺の安息国(アンソクコク・古代西アジアのパルティア王国のこと。)の人は、愚痴(グチ・愚かで、正しい道理を理解できないこと。)にして仏法を悟っていなかった。
そうした時に、その国に鸚鵡(オウム)鳥がやって来た。その色は、黄金色で白い部分や青い部分もある。この鳥、人のようにおしゃべりをする。

されば、国王・大臣はじめ諸々の人が、この鳥を面白がってしゃべらせた。この鳥、肥えてはいたが、元気がなく弱々しそうである。そこで諸々の人は、「この鳥は食べる物がないので弱っているのだ」と思って、鳥に訊ねた。「お前は、どんな物を食べるのか」と。
鳥は、「我は、『阿弥陀仏』と唱える声を聞くことを食として肥え、元気が出てくるのです。我は、それ以外の物は決して食べません。もし我を養ってくれるのであれば、『阿弥陀仏』と唱えてください」と答えた。
これを聞いて、国中の人は、男女・貴賤を問わず競って『阿弥陀仏』と唱えた。

すると、鳥は元気になって、次第に空中を飛びまわるようになり、やがて地に戻ってきて、鳥は「あなた方は、すばらしい実り豊かな国を見たいと思われませんか」と訊ねた。諸々の人は、「見たいと思う」と答えた。
鳥は、「もし見たいと思われるなら、我の羽に乗りなさい」と言った。人々は、鳥の言うことに従って、全員がその羽に乗った。鳥は、「なお我が力は少し足らない。『阿弥陀仏』と唱えて我に力を与えてください」と言うので、羽に乗っている者どもが「阿弥陀仏」と唱えると、鳥はたちまち大空の中に昇って行き、西方を指して遥かに去っていった。

その時に、国王・大臣はじめ諸々の人は、これを見て不思議だと思って、「これは阿弥陀仏が鸚鵡鳥に化身して、辺地の愚痴の衆生を極楽浄土にお導きになったのだ」と言った。
鳥は再び返ってくることはなく、乗っていた人も返らなかった。「きっと、これは現身の往生(ゲンシンノオウジョウ・生を変えずにこの身のままで浄土に生を受けること。)ではないだろうか」と言って、その所に寺を建てて、名を鸚鵡寺と付けた。その寺において、斉日(心身を清浄に保って信心する日。)ごとに阿弥陀の念仏を唱えた。
これから後は、安息国の人は、少しばかり仏法を悟り因果を知って、浄土に往生する人が多くなった。

されば、阿弥陀仏は、信心を起こして念じ奉らない人であっても、このように浄土にお導き下さることはかくの如しである。いわんや、心をつくして念じ奉る人は、極楽にお導き頂けることは疑いない、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

 

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魚となって救う ・ 今昔物語 ( 4 - 37 )

2020-02-08 08:46:19 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          魚となって救う ・ 今昔物語 ( 4 - 37 )


今は昔、
天竺の執師子国(シュウシシコク・今のスリランカ)の西南方向、その距離さえ分からないほど遥かな彼方に、孤島がある。
その島には、人家が連なってあり、その数五百余家である。魚を捕らえて食糧とするのを日々の営みとして、仏法とは全く無縁であった。

ある時、数千の大魚がその島の渚に集まってきた。島の人々はこれを見て、みな喜んで近くに寄ってうかがい見ると、その魚がそれぞれに人間の言葉のように物を言っていて、「阿弥陀仏」と唱えていた。
大勢の漁師は、それを見てもその故を知らなかったが、ただ、魚が唱えている言葉になぞらえて、阿弥陀魚と名付けた。
また、漁師たちが「阿弥陀魚」と唱えると、魚はしだいに浜辺に近寄ったので、漁師はしきりに唱えて魚を呼び寄せた。近寄って来ると、これを殺したが、逃げようとはしなかった。漁師はその魚を捕らえて食べたところ、その味は極めて美味であった。
この大勢の漁師たちのうち、数多く唱えた人たちにとっては、その味は極めて美味で、数少なく唱えた人にとっては、その味は少し辛く苦い。このため、その浜辺一帯の人は、みな味の良さに夢中になって、「阿弥陀仏」と唱え奉ること限りなかった。

そのうちに、最初に魚を食べた人の一人が、命尽きて死んだ。そして、三月経った後、紫の雲に乗って光明を放ってその浜辺にやって来て、大勢の人に、「我は、大魚を捕らえた者の中の長老である。寿命が尽きて極楽世界に生まれたのである。あの魚の味の良さに夢中になって、阿弥陀仏の御名を唱えたからである。あの大魚というのは、阿弥陀仏が化身して現れ給えたものなのだ。その仏は、我らの愚痴(愚かで、正しい道理を理解できないこと。)を哀れんで、大魚の身となって念仏を勧め、御身を食べさせてくださったのである。この結縁(ケチエン・仏縁を結ぶこと。)によって、我は浄土に生まれることが出来たのである。もし、これを信じられない者は、よくその魚の骨を見るがよい」と告げると、去っていった。
集まった大勢の人々は、みな歓喜して捨て置いてある魚の骨を見てみると、それはすべて蓮華であった。
それを見た人は、みな強く心を打たれて、永く殺生を断じて、阿弥陀仏を念じ奉った。その所の人々は、全員が浄土に生まれ変わって、誰もいなくなった。

やがて、その島は荒廃して久しくなり、執師子国の[ 欠字。『師子』が入るらしいが、国名と人名が重なっているので、原作者は不審に思ったらしい。]賢大阿羅漢が、神通力によってその島に行き、以上のことを、
語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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懺悔により救われる ・ 今昔物語 ( 4 - 38 )

2020-02-08 08:45:40 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          懺悔により救われる ・ 今昔物語 ( 4 - 38 )


今は昔、
天竺に一人の人がいた。素性は高貴ではあるが身は貧しくして、生活してゆく能力がなかった。
されば、常に人の家に行って、物乞いをしながら命を繋いでいた。
そのうち、人々は皆門を閉じて、寄せ付けなくなったので、嘆き悲しむこと限りなかった。そして、思い余って、薬師如来の霊験があらたかな寺に詣でて、真心をこめて仏の周りを廻り奉って、前世の悪業を懺悔して、五日間断食して仏の御前で合掌していると、夢の中の事のように、例えようもないほど美しい人が現れた。小さな比丘(若い僧の事か?)に似ている。
現れた比丘は、この人に告げられた。「あなたは、心を込めて前世の悪業を懺悔なさったので、すでに宿業(シュクゴウ・前世の悪業)は消えて、必ず富み栄えて豊かになるでしょう。速やかかに、父母の旧宅に帰りなさい」と。

夢覚めて後、その教えのように父母の旧宅に行った。居館や外囲いは崩れ破れて、わずかに朽ちた柱や梁の木が残っているだけである。その所に、しばらくの間も留まっておれる状態ではなかったが、ひたすらお告げを信じて二日いる間に、杖で地を掘ると、そこから財宝が掘り出すことが出来た。これを得てその所に住んでいると、多くの財宝があった。一年経つうちに富貴の人になった。

この人の父母は、家豊かにして財産もたくさんあった。ところが、その子は前世の悪行によって親の財産を受け継ぐことが出来ず、貧しい人になっていたのである。ところが、仏の助けによって、父母が蓄えていた財産を得ることが出来たのである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

 

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弥勒の出世 ・ 今昔物語 ( 4 - 39 )

2020-02-08 08:44:50 | 今昔物語拾い読み ・ その1

           弥勒の出世 ・ 今昔物語 ( 4 - 39 )


今は昔、
北天竺の烏杖那国(ウジョウナコク・現在のパキスタン西北部にあった国)の達麗羅川(ダリラセン・地名)の中に、一つの寺があった。
その中に木像の弥勒菩薩像が在(マシ)ました。金色である。その高さは十丈(ジュウジョウ・諸説あるが25m位らしい。)余りである。仏(釈迦)が涅槃に入られた後に、末田地大阿羅漢(マデンヂダイアラカン・大阿羅漢は偉大な聖人の意。)という人が造られた像である。

羅漢は、この像に向かって申し上げた。「釈迦大師は、入滅後の御弟子たちをみな弥勒菩薩に託されました。されば、弥勒の出生の時(ミロクノシュッセイノトキ・弥勒菩薩は、釈迦入滅の五十六億七千万年後にこの世に現れ、衆生救済するとされる。)、三会(サンエ・・サンネとも。弥勒が兜率天より人間世界に下って成仏し、衆生済度のために説法するとされる三度の大法会。)において悟りを得る者は、釈迦大師が後世に残された教法が行われている世の中で、一度は南無(ナモ・・南無帰依仏に同じ。釈迦を礼拝する時に唱える言葉。)と唱え、一握りの食(ジキ)を布施した者たちです。ところが、弥勒菩薩は兜率天(トソツテン・六欲天の第四天。内外二院から成り、内院には未来に仏に成る菩薩が出世前に最後の生を送る場所とされ、現在は弥勒菩薩が住院している。)に昇られてしまいました。衆生は、どのようにして弥勒菩薩を見奉ればよいのか。それに、この造り奉った像は、真のお姿にとても似ておりません。それゆえ、神通の力によって私を兜率天に昇らせて、直接に弥勒菩薩を見奉ることを三返繰り返した後に、御像を造り奉りたい」と。

すると、弥勒菩薩は末田地に告げられた。「我、天眼(超能力の一つで、衆生の未来の転生の相をも見通すという。)を以って、三千大千世界(サンゼンダイセンセカイ・・古代インドの宇宙観で、須弥山を中心に日・月・天界なども含めた広大な範囲を一単位世界とし、その千の集合を一小千世界、一小千世界の千の集合を一中千世界、一中千世界の千の集合を一大千世界として、それらを総称して三千大千世界という。三千世界と略称することもある。つまり、全宇宙といった意味らしい。)を見渡すに、その中に衆生がおり、もし我が像を造る者があれば、我はその所業を助けて、必ず悪趣(アクシュ・・悪道、三悪道に同じ。地獄・餓鬼・畜生の三道を指す。)に堕ちることがないよう導こう。我成道(ジョウドウ・悟りを得ること。)の時、そなたは、その造った像を前導(ゼンドウ・先導役)として我が許に来るがよい」と。
また、末田地を褒めて、「善哉(ヨイカナヤ・褒める時の常套句。)そなたは、釈迦の正法(ショウホウ・正像末三時の一つ。釈迦入滅後五百年から一千年の間を指し、この間は教えを実践して悟りを得られる時期とされる。)の末に、我が像を造って我が許に来るがよい」と仰せられた。

その時、この仏像は虚空に昇って行き、強い光を放って偈(ゲ・・仏の教えや仏・菩薩を讃嘆する辞を韻文形にした詩句。)をお説きになられたが、これを聞く者はみな涙を流して歓喜し、すべての者が三乗の道果(サンジョウノドウカ・衆生を救済する三種の教えを修得した。)を得た、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

* 本稿は難解な部分が多く、間違ったり言葉足らずの部分があるのではと心配しています。ご容赦ください。

     ☆   ☆   ☆

 

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美しい髪を売る ・ 今昔物語 ( 4 - 40 )

2020-02-08 08:43:43 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          美しい髪を売る ・ 今昔物語 ( 4 - 40 )


今は昔、
天竺に一人の貧しい女がいた。家は貧しく、財産はない。また、子供もいなかった。
その貧しい女は、心の内で「わたしは、せめて一人だけでも子供をつくって、生活のよすがにしよう」と思って、仏神に祈請したところ、すぐに懐妊して一人の女の子を生んだ。その子は、端正美麗(タンジョウビレイ・容姿が整って美しい)なること他に並ぶものとてなかった。
女の子は、しだいに成長して十歳余りになった。母は、この娘を心から深く可愛がること限りなかった。そばにいる人たちも、この女の子を見て褒めない人はいなかった。
しかし、家が貧しいため、すぐに結婚させることはなかった。

そこで、母は「わたしはもう人生の半ばを過ぎた。残りの命を考えるといくらも残っていない。それゆえ、法華経を書写供養し奉って、後世の貯え(来世の果報のために善根を積むこと。)としよう」と思ったが、さらに経を書写し奉るべき僅かばかりの資財もなかった。
母はそれを嘆いたが、その女の子がそばにいて母の嘆きを聞いて、「わたしには蓄えている資財はありません。それに、この身は余命が長いといっても、やがては死んでゆく身です。死ねば土になるだけです。されば、我が身にあるものは、この髪の毛だけです。これを売って法華経書写供養の金品に当ててください」と申し出た。

母は涙を流して、娘の容姿を傷つけることを惜しんだが、女の子の髪を売るために家を出た。
家々に立ち寄って、「この娘の髪を買ってください」と言うと、どの家でも呼び入れて娘の髪を見たが、その娘の容貌があまりに美しいので、皆それを褒めて、誰もが髪を買って切ろうとする者がなかった。
そこで娘は、「小家(ショウケ・大家に対する語。一般庶民の家を指しているようだ。)では、わたしの髪を必要としないようだ。わたしは国王の宮殿に入って、この髪を売ろう」と思って、宮殿に入ろうとしたとき、一人の旃陀羅(センダラ・古代インド社会を構成する四姓の枠外に置かれた最下層民。)に出会った。姿・様子の怖ろし気なること人間離れしていた。
その者は娘を見ると、「わしは国王の宣旨を承って、長い日数をかけて探し求めてきたが、今、お前を見つけた。すぐに殺すぞ」と言った。
娘は、「わたしは何も悪いことはしておりません。孝養のために、髪を売ろうと思って王宮に入ろうとしているだけです。いったいどういうわけで、わたしを殺そうとなさるのですか」と言った。

旃陀羅が答えた。「国王に太子がいらっしゃいます。年齢が十三歳におなりになられたが、生まれられてからこれまで、物を言うことがない。医師に診させたところ、『長髪美麗で、世に並ぶ者とてない女の肝を取って、それを薬に当てるべきです』と申し上げた。そこで、国中探し求めてきたが、お前より優れた女はいない。されば、速やかにお前の肝を取るのだ」と。
娘はそれを聞いて、涙を流しながら言った。「どうぞ、わたしを助けてください」と。
旃陀羅は、「お前を助ければ、宮殿に帰ってわしがとがめを受ける。決して許すことは出来ない」と言って、刀で女の胸を裂こうとすると、娘は「あなたはわたしを助けないとしても、国王にこの由を申し上げてください」と言った。旃陀羅は娘の申し出を聞き入れて国王に奏上した。

国王はそれをお聞きになると、女を召し出してご覧になると、まことに美しいこと世に並ぶ者などいない。その女を見て国王は、「求めていた薬は、まさしくこれである」と仰せになった。
娘は、「わたしは、太子の御為に命を失うことを惜しんでいるのではございません。ただ、家に貧しい母がおります。母の願いによって法華経を書写しようとしておりますが、資財がないのでこの髪を売ろうと思って家を出てきましたが、命を失ったと聞けば、母の嘆きは堪え難いものでしょう。されば、家に帰って母にこの由を伝えて、すぐに戻って参ります。決して大王の命令に背くようなことは致しません」と申し上げた。
王は、「そなたが申すことは極めて道理であるが、我が太子に少しでも早く物を言わせて聞きたいと思っているので、そなたを家に帰すことは出来ない」と答えた。

そこで女は、心の内で「わたしは孝養のために家を出ましたが、たちまち命を失おうとしています。十方(ジュッポウ・・全方位。四方(東・西・南・北)と四維(西北・西南・東北・東南)と上下の十方位をいう。)世界の仏様、わたしを助け給え」と泣く泣く念じていると、太子は簾の内からこの女をご覧になられて、大変哀れに思われ、はじめて声を出して大王に申し上げた。「大王、この女を殺してはなりません」と。
大王を始め、后・大臣・百官など、皆が太子の声を聞いて喜ぶこと限りなかった。

国王は、「我、愚かにして孝子(コウシ)を殺そうと思っていた。願わくば十方の仏よ、この咎を赦し給え」と申されて、女に、「我が太子が物を言ったのは、そなたのおかげである」と仰せられて、沢山の財宝を与えて家に帰らせた。
娘は家に帰り、母にこの由を語り、共に歓喜して、すぐに法華経を所定の決まり通りに書写供養し奉った。
法華経の霊験のあらたかなことかくの如し、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

 

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亡き子を尋ねる ・ 今昔物語 ( 4 - 41 )

2020-02-08 08:42:54 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          亡き子を尋ねる ・ 今昔物語 ( 4 - 41 )


今は昔、
天竺に一人の比丘(ビク・僧)がいた。羅漢(ラカン・阿羅漢に同じ。原始仏教における最高の修業階位に到達した者。単に高僧といった意味の場合もある。)になろうと思って修行していたが、年六十に至り、羅漢になることが出来なかった。
この事を嘆き悲しんだが、どうしようもない。そこで、その人は家に帰り、「私は羅漢になろうと思って長年修行をしてきたが、なることが出来なかった。今は還俗(ゲンゾク・出家者が俗人に戻ること。)して家にいよう」と思って、還俗した。

その後、妻を娶った。その妻はすぐに懐妊し、端正(タンジョゥ・容姿が整っているさま。男女ともに用いる言葉。)なる男の子を生んだ。父はこの子を限りなく愛した。
その子は七歳になった時、思いもよらず急死した。父はそれを悲しんで、外に葬ることをしなかった。
周囲の人はそれを聞いて、やって来て「あなたは、とても愚かだ。死んでしまった子を悲しんで、未だに葬らないのは、たいそう愚かなことだ。葬らないといっても、いつまでもこのままにはしてはおれまい。早く葬りなさい」と言って、遺体を奪い取って葬った。
その後も、父は悲しみの心に堪えられず、亡くなった子をまた見ることを願って、「私は閻魔王のもとに参って、あの子に会うことをお願い申し上げよう」と思ったが、閻魔王が在(マシ)ます所を知らなかったので、あちらこちらと探したところ、ある人が「ここからしかじかの方角に、いかほどかの距離を行けば、閻魔王の宮殿がある。大河があり、その河上に七宝の宮殿がある。その中に閻魔王はいらっしゃる」と教えた。

父はそれを聞いて、教えられた通りに尋ねていくうちに、遥か遠くまで歩いてきた先に、確かに大河がある。その河の中に七宝の宮殿があった。(閻魔王の本拠の宮殿ではなく、現世視察のための御殿らしい。)
父はそれを見て、喜びながらも恐れ恐れ近寄ってゆくと、高貴な人がいて父に訊ねた。「お前は何者だ」と。
「私は、これこれ然々の者です。我が子が七歳にして亡くなりました。その子を恋い悲しむことに堪え難く、その子に会えるように王にお願い申し上げるために参りました。願わくば王よ、慈悲を垂れてくださって私を我が子に会わせてください」と父は答えた。
高貴な人は王にこの事を申し上げると、王は、「速やかに会わせてやるがよい。その子は後園(ウシロノソノ・裏庭)にいる。行って見るがよい」と仰せられた。
父は大いに喜んで、教えられたようにその所に行って見ると、我が子がいた。同じような年齢の童子たちと遊び戯れていた。

父はその姿を見て、子を呼び手を取って泣く泣く言った。「私はいつもお前のことを恋い悲しんで堪え難く、王にお願いして会うことが叶った。お前は、この父と同じ思いではないのか」と。
涙に溺れるかのようにして言う父に対して、子は全く嘆き悲しむ様子がなくて、父とも思わないで遊び回った。父はその様子を恨んで泣くこと限りなかった。しかしながら、子は何とも思わないらしく何も言わない。
父は嘆き悲しむといえども甲斐なくして、返って行った。

これは、子は住む境界を隔てているので、現世に生きていた時の心は無くなっているのであろう。父は未だ現世に生きているので恋い悲しむのである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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今昔物語 巻第三 ご案内

2019-02-10 15:10:18 | 今昔物語拾い読み ・ その1
     今昔物語 巻第三 ご案内

「巻第三」は、全体の位置付けから見れば、「天竺」にあたります。
「天竺」に関する作品は、巻第一から巻第五までに収められていて、「巻第三」には釈迦生前から入滅の頃までの説話を中心に構成されています。
本巻も、特に仏教関連の事項に関しては筆者には難解であり、原作そのものにもいくつかの錯誤があると多くの研究者が指摘しているようです。実歴としての史料価値も少なくないと思われますが、本稿では、釈迦にまつわる説話集として楽しんでいただきたいと思います。

     ☆   ☆   ☆
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法を聞く功徳 ・ 今昔物語 ( 3 - 1 )

2019-02-10 15:09:00 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          法を聞く功徳 ・ 今昔物語 ( 1 - 3 ))

今は昔、
天竺の毘舎離城(ビシャリジョゥ・古代インド十六大国の一つ。ここで釈迦入滅後の第二回経典結集が行われた。)の中に浄名居士(ジョゥミョウコジ・居士は、在俗の仏道修業者の称。)という翁がいらっしゃった。
この人が生活されている部屋は、一丈四方(およそ3m四方)であった。ところが、この狭い部屋に、十方(ジュッポウ・・四方(東・西・南・北)と四隅(北東・北西・南東・南西)と上・下を指すが、ここでは、あらゆる世界といった意味。)の諸仏がやって来て集まり、この人のために法をお説きになった。それぞれの仏は数知れないほどの菩薩や聖者を連れて来られて、この方丈の室内をたいそう美しく立派に飾り立てた座席を設けて、三万二千の仏がそれぞれ座席に着かれて法をお説きになった。数多くの聖者もそれぞれ従っており、また、浄名居士も同席されて法をお聞きになった。
それでもなお、室内は十分に余裕があった。これは、浄名居士の不思議な神通力によるものである。それゆえ、釈迦仏は、浄名居士の方丈の部屋を、「十方世界のあらゆる浄土に優る、甚深(ジンジン・奥深く優れていて人知の及ばないさま)不思議の浄土である」とお説きになられた。

また、この居士は、いつも病気で病床に臥しておられた。
すると、文殊菩薩が居士の部屋においでになって、「私が聞くところによると、居士は常に病床に臥していてお苦しみとのこと。いったい、どういう病なのでしょうか」と居士に尋ねると、居士は、「私の病は、すべての衆生たちが煩悩に苦しんでいるのを、わが病としているためです。私には、これ以外の病はありません」と答えた。
文殊菩薩はその答えを聞いて、歓喜してお帰りになった。

また、居士が八十歳余りとなり、歩行が困難になられたが、「仏(釈迦)が法をお説きになる所に参ろう」と思ってお出かけになった。その道のりは四十里(諸説あるが、現在の「里」よりは短い。)である。居士はようやく仏の御許に歩いて詣でて、仏に申し上げた。「私は老いてしまい、歩行も満足に出来なくなりましたが、法を聞くために四十里の道を歩いて参りました。その功徳はどれほどのものでしょうか」と。
仏は居士にお答えになった。「そなたは法を聞くためにやって来た。その功徳は無辺無量(計り知れないほど広大なさま)である。そなたが歩いてきた足跡の土を取って塵となして、その塵の数に相応して、一つの塵に対して一劫(コウ・時間の単位で果てしないほどの時間。)の間、その罪が消滅する。また、命の永きことはその塵と同じである。また、成仏することも疑いない。すなわち、この功徳は量り切れないほどのものである」とお説きになったので、居士は歓喜して帰って行った。
法を聞くために詣でる功徳はこのようなものである、
となむ語り伝へたると也。

     ☆   ☆   ☆


* 最後の部分が、「や」が「也」になっているが、特別な意味はなさそうである。

     ☆   ☆   ☆
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文殊菩薩の誕生 ・ 今昔物語 ( 3 - 2 )

2019-02-10 15:08:06 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          文殊菩薩の誕生・ 今昔物語 ( 3 - 2 )

今は昔、
文殊(モンジュ)は中天竺(チュウテンジク・古代インドの中枢部にあたる)の舎衛国の多羅聚落(タラジュラク・多羅村落といった意味。)の梵徳婆羅門(ボンドクバラモン)という人の子である。その母の右脇からお生れになった。
お生れになった時には、その家ならびに門は、すべて蓮華に満ち溢れた。お体の色は金色にして、天上の童子のようであった。七宝の天蓋で覆われていた。
庭の中には十種の吉祥(キチジョウ・めでたい現象)が現れた。その第一は、天降りて覆へり(意味不詳)。第二は、地中より財宝が湧き出た。第三は、金(コガネ)変じて粟と成る(なぜ吉祥か不詳)。第四は、庭に蓮華が現れた。第五は、光が家の中に満ち溢れた。第六は、鶏が鳳凰を生んだ。第七は、馬が麒麟を生んだ。(鳳凰も麒麟も霊獣として尊ばれた。)第八は、牛が「白ダ」を生んだ(「ダ」は火災の前兆となる凶獣なので、意味不詳)。第九は、猪が豚を生んだ(これもよく分からない)。第十は、牙のある象が現れた(これも意味するところが分からない)。このような瑞相によって、名を文殊と申された。(この部分も、吉祥あるいは瑞相が「文殊」という名前にどう繋がったのかよく分からない。)

やがて、釈迦仏の御弟子となって、全世界の諸仏の力、あらゆる如来の知恵ならびに神通力を修得された。

文殊は釈迦仏にとって九代の師であられる。(過去世において、釈迦の師であったという仏典があるらしいが、筆者未熟でうまく説明できない。)そうとはいえ、釈迦仏が世に出現され、世に二仏が並び立つことはないので、菩薩となって出現なされて、釈迦仏を補佐なさって、無数の衆生を仏道に導かれたのである。
釈迦仏は、末世の衆生の為に宿曜経(スクヨウキョウ)をお説きになって、文殊に後事を託された。文殊はそれをお聞きになって、釈迦入滅された百五十年後に、高山の頂において、その所の仙人のために釈迦仏の教えをお説きになった。
多くの内外典(仏教からの見方で、仏典を内典、それ以外を外典という。)を世に広め、末世の衆生に善悪の因果応報を教えたのは、この文殊菩薩のお力である、
となむ語り伝へたるとや。

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* 本話には、難解というより、意味不明な部分が多く見られる。おそらく、混入・誤伝・思い違いなどから来ていると推定されるが、それは、今昔物語に収録される時点ですでにその状態にあったらしい。

* 「九代の師」云々という部分であるが、過去世において、文殊が釈迦を導いたという経典があるようで、そのことから、「文殊を諸仏の師」とする経説がある。

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