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雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

晴れの場での失敗 ・ 今昔物語 ( 28 - 26 )

2020-01-03 09:58:19 | 今昔物語拾い読み ・ その7

          晴れの場での失敗 ・ 今昔物語 ( 28 - 26 )


今は昔、
安房守文屋清忠という者がいた。外記(ゲキ・太政官内の詔勅などの記録や儀式の執行などを担当する。大外記が正六位なので、従五位下に昇進して国守に栄転したもの。)としての功労により、安房守になったのである。
それが外記であった頃は、生意気そうで憎たらし気な顔つきをしていて、背が高く、そっくり返っていた。
また、出羽守大江時棟という者がいた。それも同じ時に外記であったが、腰が曲がっていて、間の抜けたような様子をしていた。

ところが、除目(ジモク・大臣以外の官職任命の行事。春、秋、臨時、がある。)の時に、陣の会議にあたって陣の御座に召され、清忠と時棟が並んで箱文(ハコフミ・硯箱の蓋に入れた天皇の申し文。)を頂く時、時棟が笏を持った手を回してさし出すと、清忠の冠にあたって打ち落としてしまった。上達部(カンダチメ・上級貴族)たちは、これを見て声をあげて笑った。(公式の場で冠を着けていないことは大変な恥辱とされたらしい。)
すると、清忠はあわてふためいて、地面に落ちた冠を拾って頭にさし入れて、箱文も頂かないまま逃げ去ってしまった。時棟はあっけにとられたような顔で立ち尽くしていた。

当時、この事が世間の笑いの種になった。思うに、まことにどれほど見苦しいことであったろう。
清忠も時棟もずいぶん年老いるまで生きていたので、このように
語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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潜在意識 ・ 今昔物語 ( 28 - 27 )

2020-01-03 09:57:41 | 今昔物語拾い読み ・ その7

          潜在意識 ・ 今昔物語 ( 28 - 27 )


今は昔、
小野五友(オノノイツトモ・正しくは小野五倫。生没年未詳も1004年に従五位下との記録ある。)という者がいた。外記を勤めた後伊豆守になった。

彼が伊豆守となって任国にいた時のこと、目代(モクダイ・国司を補佐し、不在の場合には政務を代行する私設の事務官。)がいなかったので、あちらこちらに「目代として適任の者はいないか」と探していたが、ある人が、「駿河の国に、頭が良くて事務能力もあり、文字の上手な者がいる」と告げたので、守はこれを聞いて、「大変良い話だ」と言って、わざわざ使いを遣わして、迎えて連れて来させた。
守が見ると、年が六十ばかりの男で、たいそう太っていて重厚そうに見える。笑顔ひとつ見せることなく、ふてぶてし気な顔をしているので、守は「まずは、心は分からぬが、見た目は良い目代になりそうだ。風采といい言葉遣いといい、頼もしそうな雰囲気を持っている」と思い、「文字はどのくらい書けるのか」と書かせてみると、筆跡はそれほどのことはないが軽やかな書きぶりで目代の文字としては十分である。

「事務の方はどの程度か」と思って、込み入った書き方をしている租税の書類を取り出して、「この書類の収入はいくらか、算出して見よ」と言うと、この男はその書類を手に取り、算取(サントリ・算木。中国伝来の計算用具。)を取り出していとも簡単に置き並べ、ほどなく、「いくらいくらでございます」と答えたので、守は、「心の中は分からないが、事務能力は相当のものだ」と喜んで、その後は任国の目代として万事を任せ、身近において使うようになったが、二年ほど経っても、少しも守の機嫌を損ねるような振る舞いは見せなかった。
何事もきちんと間違いなく処理していた。他の者が処理に手間取っていても、ただちにすばやく処理し、常に余裕しゃくしゃくであった。
このように、万事に優れていたので、守は、「少しは資産を持たせてやろう」と思って、国内で役得のありそうな所を何か所か預けて管理させたが、それによって格別余禄を得ている様子がなかった。それによって、国府の役人からも在地の民からもたいそう信用され、重く用いられていった。
その事は、隣国にまで有能な男として評判になっていった。

ところが、ある時、この目代が守の前に座って、多くの文書を取り広げて、また通達書などを書かせ、それに印を押させていると、たまたま、傀儡子(クグツ・もともとの意味は木製の人形。それから転じて、人形使いや歌舞音曲を披露する遊芸民。無籍の逃散民が多く視されていた。)の者どもが大勢舘にやって来て、守の前に並んで、歌を詠み笛を吹いて、おもしろくはやし立てる。
守もこれを聞くと、我ながら何とはなく心が浮き立ってきて面白くなったが、この目代が印を押しているのを見てみると、これまではたいそう生真面目に押していたのに、傀儡子共が吹き詠う拍子に合わせて、三拍子で印を押している。
守はこれを見ると、「何だか怪しいぞ」と思って見守っていると、目代はでっぷりと太った肩まで三拍子に揺すって印を押している。傀儡子共はその様子を見て、さらに力を入れて詠い吹き叩いて、急テンポで詠いはやす。すると、この目代は太い塩辛声を張り上げて、傀儡子の歌に合わせて詠い出した。

守は驚いて、「いったいどうしたことか」とあきれていると、目代は印を押しながら、「昔のことが忘れ難く」と言って、急に立ち上がり走り出して舞い踊りだしたので、傀儡子共はますます詠いはやした。
舘の者どもはこれを見ると、笑い興じて大騒ぎとなったので、目代は恥じて印を投げ棄てて走って逃げてしまったので、守は不思議に思って、傀儡子共に「これはいったいどうしたことだ」と訊ねると、傀儡子共は、「あの人は、昔、若かったころ傀儡子をしておりました。それが、文字を書き、文を読み、今は傀儡子もすることなく、このように出仕して、この国の御目代になっていると承りまして、『もしや昔の心は失くしていないのではないか』と思いまして、実は、そのために御前にまかり出ましてはやし立てたのでございます」と言う。
守は、「そうであったか。印を押し、肩をゆする様子は、まさにそのように見えたぞ」と答えた。舘の者どもは、この目代が立ち上がり走り出て舞い踊るのを見て、「傀儡子共が吹いたの詠ったり舞ったりしたのが面白く、堪えられなくなって立ち上がって舞い踊ったのであろう。それにしても、このようなものを面白がるような気配のなかった人なのに」などと思い、話し合っていたが、傀儡子が話すことを聞いて、「なるほど、この人はもとは傀儡子をしていたのか」と合点した。

それから後は、舘の役人たちも土地の民たちも、傀儡子目代とあだ名を付けて笑い合った。
評判は以前より少し落ちたが、守は気の毒に思いこれまでのように使い続けた。
つまり、一国の目代となり、昔のことは忘れてしまっていたのだろうが、やはり昔の心は失くなっておらず、このような事をしたのであろう。
それは、傀儡神というものが心を狂わしたのであろうと人々は言い合った、
となむ語り伝へたるとや。

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舞茸を食う ・ 今昔物語 ( 28 - 28 )

2020-01-03 09:56:44 | 今昔物語拾い読み ・ その7

          舞茸を食う ・ 今昔物語 ( 28 - 28 )


今は昔、
京に住む木こり共が数人で北山に出かけたが、道に迷ってしまい、どちらへ行けばよいのか分からなくなり、四、五人ほどで山の中に座り込んで嘆いていると、山奥の方から人が数人やって来た。
「怪しいぞ。何者が来たのだろう」と思っていると、尼さんたちが四、五人ばかりが盛んに舞い踊りながらやって来たので、木こり共はこれを見て恐れおののいて、「あの尼たちがあのように舞い踊りながらやって来たが、きっと人間ではあるまい。天狗かもしれないし、あるいは鬼神かもしれない」など思いながら見ていると、この踊っている尼たちは、この木こり共を見つけると、どんどん近づいてきたので、木こり共は、「大変怖ろしい」とは思いながらも、近くまでやって来た尼たちに、「皆さんはどちらの尼さんでしょうか。どういうわけで、このように舞いながら深い山の奥から出て来られたのですか」と尋ねると、尼たちは、「わたしたちがこのように舞い踊りながらやって来たので、あなた方はきっと怖ろしいと思われたでしょう。でも、私たちはどこそこに住んでいる尼でございます。花を摘んで仏に奉ろうと思って、皆で山に入りましたが、道に迷ってしまい行く方向が分からなくなっていましたが、茸が生えているのを見つけて、空腹に堪えかねて、『これを取って食べれば、あたるかもしれない』と思いながらも、『飢えて死ぬより、さあ、これを取って食べよう』と思って、その茸を取って焼いて食べたところ、とても美味しかったので、『良い物にありついた』と思って食べ続けましたところ、それから、心ならずも舞い出すようになったのです。私たちも『どうも奇妙なことだ』と思うのですが、どうにも不思議なことです」と答えた。
木こり共はこれを聞いて、あきれること限りなかった。

ところが、木こり共もとても空腹だったので、尼たちが食べ残した茸をたくさん持っていたので、『飢え死にするよりは、その茸を貰って食おう』と思って、貰って食べると、その後から木こり共もまた同じように心ならずも踊りだしてしまった。それで、尼たちも木こり共も、互いに舞い踊りながら笑っていた。
さて、しばらくそうしていると、酔いがさめたような気がして、どう歩いたか分からないままそれぞれ家に帰り着いた。
これより後、この茸を舞茸(マイタケ)というようになったのである。

これを思うに、実に怪しいことである。この頃でも、その舞茸という茸はあるが、これを食べた人は必ずしも舞うわけではない。これはどうも納得のいかないことである、
となむ語り伝へたるとや。

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優れた占い ・ 今昔物語 ( 28 - 29 )

2020-01-03 09:55:53 | 今昔物語拾い読み ・ その7

          優れた占い ・ 今昔物語 ( 28 - 29 )


今は昔、
中納言紀長谷雄( 845-912 )という博士( 890年に文所博士に任じられている。)がいた。学識が豊かで古今のことに明るく、世に並ぶ者とてないほどであったが、陰陽道の方面のことは全く知らなかった。

さて、その頃のこと、一匹の犬がいつもどこからか現れ、築垣(ツイガキ・土塀)を越えて入ってきては小便をするので、「怪しいことだ」と思って[ 欠字あり。陰陽師の名前が入るが意識的に欠字にしている。]という陰陽師にこのことの吉凶を尋ねると、「某月某日、家の内に鬼が現れるでしょう。ただ、その鬼は人を害したり祟りを成したりするようなものではありません」と占なったので、「その日は、物忌(モノイミ・家に籠って門戸を閉ざし、外部との接触を断って精進潔斎の上、ひたすら謹慎して魔物に隙を与えない備え。)をせねばなるまい」と言って、その時はそれで終わった。

ところが、その物忌すべき日になったが、その事を忘れてしまっていて、物忌をしなかった。
そして、学生(ガクショウ・大学寮の学生。)たちを集めて、詩文を作っていたが、詩文を朗唱している最中に、そばのいろいろな物を入れてある塗籠(ヌリゴメ・周囲を厚く壁て塗り込めた閉鎖的な部屋。寝室や納戸に用いられた。また、鬼などの住処ともいわれた。)の中で、何とも怖ろし気な声でほえるものがいるので、居並ぶ学生たちがこの声を聞き、「あれはいったい何の声だ、[ 欠字あるが不詳 ]り」と言いながら、恐がって右往左往していると、その塗籠の戸を少し引き開けてあった所から、ごそごそと出てくるものがあった。
見てみると、身の丈二尺ほどのもので、体の色は白く、頭は黒い。角が一本生えていて黒い。足は四本あって白い。これを見て、皆ひどく恐れおののいた。

ところが、その中に一人、思慮深くて豪胆な者がいて、立ち上がって走って行き、この鬼の頭の方をポンと蹴飛ばすと、頭にある黒い物を蹴り抜いてしまった。
それを見ると、白い犬がキャンと哭いて立っていた。何と、犬が楾(ハンゾウ・湯や水を注ぐのに用いる用具で柄がついている。柄が角に見えたらしい。)に頭を差し込んでいたのを、その楾を蹴り抜いたのであった。そして、よく見ると、犬が夜の内に塗籠に入って、楾に頭を差し込んで引き抜くことが出来ず、あの怪しい声で哭いていたのであった。
それが走り出て来たのを、物おじすることなく思慮ある者が、犬がそうしているのだと見抜いて、蹴飛ばしてあらわにしたのである。その状況が分かって、人々はホッとして気持ちが落ち着いた。そして、皆集まって大笑いした。

されば、本当の鬼でなくても、人の目には本当の鬼のように見えるので、陰陽師は鬼と占なったのである。そして、「『人を害し、祟りを成すものではない』と占なったのは、まことに大したものだ」と人々はこの占いを褒め称えた。
但し、「中納言はあれほど才能ある博士なのに、物忌の日を忘れるとは、まことに情けない不覚である」と、聞いた人は中納言を非難した。
当時は、この事を世間でいろいろと噂して笑い合った、
となむ語り伝へたるとや。

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鯛の荒巻 ・ 今昔物語 ( 28 - 30 )

2020-01-03 09:55:06 | 今昔物語拾い読み ・ その7

          鯛の荒巻 ・ 今昔物語 ( 28 - 30 )


今は昔、
左京大夫(サキョウノダイブ・左京職の長官。従四位相当官。)[ 氏名を意識的に隠した欠字。]という、あまりぱっとしない 君達(キンダチ・公達に同じ。親王家や公卿などの上級貴族の子女。)がいた。
年老いて、ひどく老いぼれていたので、特に出歩くこともなく、下京の辺りの家に籠りきりでいた。
一方、同じ左京職の属(サカン・第四等官。八位相当官。)に、紀茂経(キノモチツネ・伝不詳)という者がいた。長岳(ナガオカ・現在の長岡京市辺り)に住んでいた。同じ職の属なので、かの大夫のもとに時々行ってご機嫌をうかがっていた。

さて、宇治殿(藤原頼通のこと。父は藤原道長で、摂政関白を長く務めた。)の全盛時代のある日、茂経がお屋敷に参上して、贄殿(ニエドノ・魚鳥類を収納したり調理する所。)に居たところ、淡路守源頼親朝臣のもとより鯛の荒巻(内臓を取り塩をして保存食としたもの。)をたくさん献上してきたので、贄殿にたくさん取り置いたが、贄殿の管理者[ 欠字あり。姓が入るが不詳 ]の義澄(ヨシズミ・伝不詳)という者に茂経は頼んで、荒巻を三巻貰い受けて、「わが職の大夫殿に、これを差し上げてご機嫌を取ろう」と言って、この荒巻三巻を間木(マギ・棚のような物)に載せておいて、義澄に「この荒巻三巻、使いの者が取りに来た時に渡してくれ」と言い置いて、茂経は屋敷を出て、左京大夫のもとに行って見ると、大夫は客室に居て、客が二、三人来ていた。

大夫は客たちをもてなそうとして、九月の下旬ごろのことなので、地火炉(ジカロ・室内に調理用に設けられた火をたく場所。)に火をおこしなどして、ここで食事をしようとしたが、これといった魚もなく、鯉か鳥でもあれば良いのにと思っている様子である。そこに茂経が顔を出して、「この茂経の所に摂津国におります下人が、鯛の荒巻を四、五巻ばかり今朝持ってきましたが、一、二巻を家の子供と一緒に試しに食べてみましたが、なかなか美味しく新鮮でしたので、あと三巻は手を付けずに置いておりますが、急いで参りましたので、下人もおりませんでしたので、持って来ることが出来ませんでした。すぐに取りに行かそうと思いますが、どうでしょうか」と大きな声で、得意げに胸を張り、口脇を下げて(威張った物言いの表現)、袖づくろいをしながら(格好をつけているさま)、伸び上がるようにして申し上げると、左京大夫は、「ちょうど適当な物がなかったところだ。それはなかなか良い。早速取りに行かせよ」と言う。
客人たちも、「今はこれといって美味い物がない時期なのに、新鮮な鯛とは、近頃一番の珍味だ。鳥の味は良くない時期だし、鯉はまだ出てきていない。されば、生きのいい鯛とは最高だ」と言い合った。

そこで、茂経は馬の口を取っている童を呼び寄せて、「その馬を御門に繋いでおいて、今すぐ走ってお屋敷の贄殿に行き、そこの管理の責任者に、『あの預けている荒巻三巻をお渡しください』と言って、貰って来い」とささやいて、「走れ、走れ」と手を振り回して急がせた。

そして、茂経はもとの所に戻って、「まな板を洗って持って来い」と大声で命じ、「それでは、今日の料理は茂経が仕りましょう」と言って、魚箸(マナバシ・魚の料理に用いる木箸。その都度新しく作った。)を削り、鞘から包丁を取り出してよく研ぎ、「遅いな、遅いな」と言っているところに、使いに行かせた童が息を切らせて、木の枝に荒巻三巻を結び付けて捧げ持ち、走って帰ってきた。
茂経はそれを見て、「あっぱれ、お前は飛ぶように行ってきたな」と言って、まな板の上に荒巻を置いて、まるで大鯉でも料理するように、左右の袖をたくし上げ、片膝を立て、もう片方の膝は突いて、極めて作法にのっとった座り方をし、少し脇を見て、シメ刀(「シメ」は意味不詳)でもって荒巻の縄をぶつぶつと押し切り、その刀で藁を押し開いたところ、中からいろいろな物がこぼれ落ちた。
見れば、欠けた下駄、破れた古い草履、ボロボロの古藁沓、こういった物がぽろぽろとこぼれ落ちた。茂経はこれを見るなり[ 欠字あり。驚いている言葉らしい。]て、魚箸も刀も放り出して、沓も満足にはけないまま走って逃げだした。左京大夫も客人たちも、あっけに取られて目も口も開けて茫然としていた。
御前にいた侍たちも[ 欠字あり。驚いている言葉らしい。]て、何も言うこともできない。物を食べ酒を飲んでいた宴席も興が覚めてしまい、皆すっかり白けてしまった。一人立ち、また一人立って、誰もいなくなってしまった。

左京大夫は、「あの男はもともととんでもない奴だと分かっていたが、わしを上司と思って、いつもやって来ていたので、歓迎はしないが追い払うほどのことでもないので、ただ、来れば来ているのだなと見ていたのだ。それなのに、このような事をして騙すとは。何としてやろうか。わしのように運の悪い者は、些細なことにつけてもこのような目に遭うのだ。世間の人がこれを聞き継いで、どんなにか世間の笑い種にして、後々まで語り草にするに違いない」と、ぐずぐずと言い続け、天を仰いで、「年老いた果てにひどい目に遭うものだ」と嘆くこと限りなかった。

一方、茂経は、大夫の家から走り出て馬に乗り、懸命に急がせてお屋敷に参り、贄殿の管理者義澄に会って、「あの荒巻を惜しいと思うのであれば、穏やかに断ればよいのに、このような事をなさるとは、実に情けないことだ」と、泣かんばかりに恨み罵ること限りなかった。
義澄は、「これは、何を申されますか。私は荒巻をあなたに差し上げたあと、用事があって、少しの間家に帰ることになり、従者の男に『左京の属から、この荒巻を取りに使いが来たら、取り出して確かにその使いに渡せ』と申し置いて退出し、たった今戻ってきたところです」と言って、事情は何も知らないと答えた。
茂経が「されば、そのあなたが預けられた男が、だらしないのであろう。その男を呼び出して問い質してください」と言うと、義澄は「その男を呼んで問い質そう」と言って捜していると、膳夫(カシワデ・食膳のことを担当する男。)の一人がこれを聞いて、「その事については私が聞いております。私が壷屋(ツボヤ・局。間仕切りした部屋で、膳夫の居室。)に居て聞いていますと、このお屋敷の若い侍で元気で無鉄砲な方々が大勢贄殿に入って来られて、間木に置かれている荒巻を見て、『これはどういった荒巻だ』と訊ねられたので、誰かが『これは左京属殿の御荒巻を置いてあるのです』と答えますと、『それならすることがある』と言って、荒巻を取り下ろして、中の鯛をみな取り出して切って食べ、その代わりに欠けた下駄の片方や、すり切れた古藁沓などを探してきて、それらを中に詰め込んで置いた、と耳にしました」と話した。
茂経はこれを聞いて、怒りわめいた。そのどなる声を聞いて、いたずらをした者たちが出てきて、笑い転げた。
そこで義澄は、「私は決して間違ったことはしていません」と言った。こうなっては、茂経はどうすることも出来ず帰って行った。

その後はすっかりしょげてしまい、「人がこのように笑い騒いでいる間はどこへも行かない」と思って、長岳の家に籠っていた。
この事がいつとはなしに世間に広がり、その頃の世間話には、この事が話の種になって人々は笑い合った。茂経はその後恥ずかしがって、左京大夫のもとへ行かなくなってしまった。
いかにも、行けるはずはあるまい、
となむ語り伝へたるとや。

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猫恐じの大夫(1) ・ 今昔物語 ( 28 - 31 )

2020-01-03 09:00:00 | 今昔物語拾い読み ・ その7

          猫恐じの大夫(1) ・ 今昔物語 ( 28 - 31 )


今は昔、
大蔵の丞(オオクラノジョウ・大蔵省の第三等官。六位相当官。)から従五位下に昇進した藤原清廉(キヨカド・生没年未詳も、1064年ごろに死去したらしい。享年七十七歳。広大な所領を有していたらしい。)という者がいた。大蔵大夫(五位の通称)と呼ばれていた。
この男は、前世において鼠であったのか、ひどく猫を恐がった。それで、この清簾の行く先々で、やんちゃな若者共が清簾を見つけると、猫を取り出して見せるので、清簾は猫を見ただけでどんなに大切な用事で行った所でも、顔を覆って逃げ出した。
それで世間の人々は、この清簾を猫恐じ(ネコオジ)の大夫というあだ名を付けた。

ところで、この清簾は、山城、大和、伊賀の三か国に田をたくさん作り、人を驚かすほどの金持ちであったが、藤原輔公朝臣(スケキミノアソン・藤原道長の家司であったらしい。)が大和守であった時、その国の租税の米を清簾が全く納めなかったので、守は、「何とかしてこれを徴収しよう」と思ったが、清簾は全くの田舎者ということではなく、長年官職にあって五位を賜っており、京でも何かと顔が利く人物なので、検非違使庁などに突き出すわけにもいかなかった。
されど、寛大にしていると、悪賢い奴で何のかんのと言って全く納めようとしない。「どうしたものか」と思いを巡らし、良いことを思い着いたところへ、清簾が守のもとにやって来た。

守は計略を立てて、侍が宿直(トノイ)する壺屋(ツボヤ・ここでは夜警用の詰所。)で、完全に壁で囲まれた(三方が壁で一方は引き戸。)二間ばかりある部屋に、守一人で入って座った。そして、かの大蔵大夫殿を、「ここにおいでなされ。そっとお話したいことがある」と使いに言わせると、清簾は、いつも苦々し気な顔をしている守が、こんなに和やかに宿直の壺屋に呼び入れてくれたので、お礼を言いながら垂れ布を引き開けて、何の警戒もせずに這い入ると、後ろから侍が現れて清簾が入った遣戸(ヤリド・引き戸)を閉じてしまった。
守は奥の方に座っていて、「さあ、こちらへ」と招くので、清簾は恐縮しながらいざり寄ると、守は「わしの大和の国司としての任務はほどなく終わる。もう今年だけだ。ところで、どうして租税を今まで納めなかったのか」と言い、「いったいどういうつもりなのか」と訊ねた。

清簾は、「その事でございます。実は、この国一国だけことではないのです。山城や伊賀の納付のことも準備しておりましたうちに、いずれも納付できなくなりまして、未納額が多くなりまして、なかなか納めることが出来なくなりましたが、今年の秋には、すべて完納しようと思っております。他のお方ならともかく、殿がご在任中はどうしておろそかにすることが出来ましょうか。これまで納入を引き延ばしてきたことじたい、心中恥ずかしく思っておりますので、今はどのようにしても仰せに従って、滞納分を揃えてお納めしたいと思っております。ああ、情けないことです。千万石であっても、未納分をそのままになどしませんよ。長年の間、分相応の蓄財はしておりますものを、このようにお疑いになって、そのように仰せになられますとはまことに心外なことです」と言いながら、心の内では、「こいつめ、何をぬかすか、この貧乏人が。屁でも引っ掛けてやろうか。ここから帰ったなら、伊賀国の東大寺の荘園にもぐりこみでもすれば、ご立派な国司様といえども、責めたてることなど出来ますまい。いったい、どんな狛(コマ・高麗のことで、大和の国情にうとい者を指す。)めが、大和国の租税を納めたりしたのだ。これまでも、作物は天の物だ、地の物だと言いくるめてうやむやに終わらせてきたのだ。この守めは、得意げな顔で納めよと言うとは、馬鹿もいいところだ。大和守などにおなりだが、お上の覚えのほどが分かるというものだ。可笑しくてならぬは」と思ったが、表面上はひどく恐縮している風に、手を摺りながら弁解する。

守は、「盗人根性で、お主、よくもそんなきれいごとが言えるものだな。そう言っておいて、家に帰れば、こちらからの使いにも会わず、納税することなどあるまいよ。されば、今日その納入の決着を付けようと思う。お主が納付しない限り、絶対に帰さないぞ」と言うと、清簾は、「ああ、守殿。家に帰りまして、この月の内に必ず完納いたします」と言ったが、守は全く信用せず、「お主と知り合ってからもう何年にもなる。お主もまたこの輔公を知ってから久しいだろう。されば、お互いに不人情なことは出来ない。しかしながら、今回ばかりは、よくよく考えて、今すぐ納付を終わらせるがいい」と念を押した。

                           ( 以下 (2)に続く )

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猫恐じの大夫 (2) ・ 今昔物語 ( 28 - 31 )

2020-01-03 08:59:29 | 今昔物語拾い読み ・ その7

          猫恐じの大夫 (2) ・ 今昔物語 ( 28 - 31 )


         ( (1) より続く )

さて、大和守輔公(スケキミ)に責められた清簾(キヨカド)は、
「されど、ここに居りましては、どうして納付することが出来ましょう。家に帰り、文書に付いて納付しようと思います」と言った。
すると守は、声を荒げて立ち上がらんばかりに、左右の腰をゆすり上げ、ひどく険悪な表情になって、「お主、さては今日納付せぬというのだな。されば、この輔公、今日お主と刺し違えて死ぬ覚悟を決めた。命など少しも惜しくない」と言うと、「皆の者出て来い」と大声で呼んだ。二度ばかり呼んだが、清簾は、いささかも騒ぐことなく、ほほえみを浮かべて、平然と守の顔を見ていた。

そこへ、侍(サムライ・いわゆる武士と言う意味ではなく、従者、あるいは下人といった立場の男。)が呼びかけに答えてやって来ると、守は、「あの用意した物を持って来い」と命じたので、清簾はこれを聞いて、「このわしに恥をかかせるようなことは出来まい。何をどうしようとして、こんなことを言うのか」と思っていると、侍共五、六人が足音を立ててやって来て、遣戸(ヤリド・引き戸)の外で「持って参りました」と言うと、守はその遣戸を開けて「こちらへ入れよ」と言うと、遣戸が開けられるのを清簾が見てみると、灰色斑(ハイイロマダラ)で身の丈一尺余りもある大猫が、目は赤くて磨いた琥珀を入れたようで、大声を出して鳴いた。さらに、同じような猫を五匹を続けて入れた。
すると清簾は、目から大粒の涙をこぼして、守に向かって手を摺り合わせ、あわてふためいた。

そうしているうちに、五匹の猫は壺屋の中に放たれ、清簾の袖を嗅ぎまわり、こちらの隅あちらの隅と走り回ると、清簾の顔色は見る見るうちに真っ青になり、今にも卒倒してしまいそうになった。
守はこの様子を見て、さすがに可哀そうになったので、侍を呼び入れて、猫をみな引っ張り出して、遣戸の脇に短い縄でつながせた。すると、五匹の猫の鳴き合う声は耳を聾するばかりである。清簾は汗びっしょりとなり、目ばかりぱちぱちさせて、生きた心地もない様子なので、守は、「さあ、これでも租税を納めないつもりか。どうじゃ、期限は今日限りだ」と言うと、清簾は声がすっかり変わり、震え声で言った。「何もかも、仰せのままに従います。何はともあれ命さえあれば、後の弁済などはどうにかできましょう」と。

そこで、守は侍を呼んで、「それでは硯と紙を持って参れ」と命じると、侍はすぐに持ってきた。
守は、それを清簾に手渡しして、「納めるべき米の数量は、まさに五百七十余石である。そのうち、七十余石は家に帰って算木を置いてよく計算して納めるべし。五百石については、確かな下達命令書を書け。その下達命令書は、伊賀国の納所(ノウショ・年貢米などの納入所)に当てることはならない。お主のような性根では、偽の下達命令書を作るかもしれない。だから、大和国の宇陀郡の家にある稲米を納付すると書くのだ。その下達命令書を書かなければ、また先ほどのように猫を放ち入れて、わしは出て行く。そして、壺屋の遣戸は外から閉めて封じ込めたままにしておこう」と言った。
清簾は、「守殿、守殿。そのような事をされては、私めはしばらくも生きてはおれません」と言って、手を摺り合わせ、宇陀郡の家にある稲(稲穂のままの物)・米・籾の三種類の物で、五百石に見合うように下達命令書を書いて守に手渡した。
受け取った守は清簾を壺屋から出してやった。そして、下達命令書を侍に持たせて清簾を連れて宇陀郡の家に行かせ、下達命令書のままに取り出させ、確実に受け取った。

されば、清簾が猫を恐れるのは実に馬鹿げたことに見えたが、大和守輔公朝臣のためには、まことに大事な事であったと、当時の人は噂し合い、世を挙げて笑い合った、
となむ語り伝へたるとや。

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蛇が恐い ・ 今昔物語 ( 28 - 32 )

2020-01-03 08:58:37 | 今昔物語拾い読み ・ その7

          蛇が恐い ・ 今昔物語 ( 28 - 32 )


今は昔、
山城国の介(スケ・時間)である三善春家(伝不詳)という者がいた。
前世が蛙でもあったのか、蛇をたいそう恐がった。世の中の人は誰でも、蛇を見て恐がらない人はないだろうが、この春家は、蛇を見ると物狂いしたかのようになる。

最近では、夏の頃のこと、染殿(ソメドノ・藤原良房の邸宅。桜の名所。)の辰巳(タツミ・東南)の角の山の木陰に、殿上人や君達(公達)二、三人ほどが行って、涼みがてらあれこれ雑談などしていたが、春家もその中にいた。ところが、よりによってこの春家の座っているすぐそばから、三尺ほどの烏蛇が這い出してきた。春家には見えなかったが、君達が見つけて「それ、見ろ、春家」と言ったので、春家が振り返ってみると袖のわきから一尺ばかりの所を、三尺ばかりの烏蛇が這って行くのを見つけたものだから、春家の顔色は朽ちた藍のような色になって、あきれるほどの悲鳴を上げて、立ち上がることもできなかった。それでも立とうとして、二度倒れた。
ようやく立ち上がった春家は沓も履かず、はだしのまま逃げ出して、染殿の東の門より走り出て、北の方向に走り、一条大路を西に西洞院まで走り、そこから西洞院大路を南に向かって走った。家は土御門西洞院(土御門大路と西洞院大路が交差する辺り)にあったので、その勢いで家に走り込んだ。
家にいた妻や子が、「いったい何事ですか」と尋ねたが、何も答えず、装束も脱がず、着たままうつ伏せに倒れ込んでしまった。

人々が寄ってきて尋ねても、何も答えない。装束を、人々が寄ってたかって右に左に転がして脱がせた。意識も不明な様子で伏しているので、湯を口に入れてやったが、歯をきつく噛みしめていて受け付けようとしない。体をさぐってみると、火のように熱い。妻子はこれを見て、肝をつぶし、「大変な事になった」とおろおろするばかりであった。
春家が逃げ出した時、春家の従者たちは何も知らず、辺りの物陰に控えていたが、ある宮家に仕えている雑色(下男)の一人が、「とても滑稽だ」とは思ったものの、春家の後を追って行き、家に駆けこんできたので、妻子は、「いったい何事があって、主人はこのように走って帰ってきて倒れ込んでしまったのですか」と尋ねると、宮家の雑色は、「実は、蛇を見て逃げて走られたのです。お供の人も皆さま涼もうとして物陰にいらっしゃいましたので何もご存知ないので、私が遅れまいと追って参りましたが、とても追いつくことが出来ませんでした」と答えた。
妻子はそれを聞いて、「前にもそういうことがありました。いつもの物狂わしいまでの物怖じをなさったのでしよう」と言って笑いだした。家の従者たちも笑った。その後になって、供をしていた者どもも帰ってきた。

まことに、どれほど可笑しかったことだろう。五位ほどの身分の者が、昼日中に大路を徒歩で、しかもはだしの者が、指貫(袴)の股立ちを取り、喘ぎながら、七、八町(1町は100m余り)も走ったのだから、大路を行く人もこれを見て、どれほど笑ったことだろう。
その後一月ばかりして、春家は染殿に参上したが、落ち着いて伺候することなく、あわてた様子で早々に退出したので、人々はこれを見て、目配せをしながら笑い合った。

されば、春家が蛇を恐がることは、世間の人が蛇を恐がることとは違っていたのである。
蛇は即座に人に危害を加えるとはないが、ふっと目に留まると気味悪く不快な気持ちになるのは、それが蛇の[ 欠字あり。「本性」か? ]なので、誰もがそう感じるのだろう。そうとはいえ、春家の場合は常軌を逸していた、
となむ語り伝へたるとや。

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悪ふざけもほどほどに ・ 今昔物語 ( 28 - 33 )

2020-01-03 08:57:44 | 今昔物語拾い読み ・ その7

          悪ふざけもほどほどに ・ 今昔物語 ( 28 - 33 )


今は昔、
内舎人(ウドネリ・内裏の舎人。宮中の宿直、雑役、行幸時の警護、を担当した。)から大蔵丞(オオクラノジョウ・大蔵省の第三等官。六位相当官。)になり、その後従五位となり大蔵大夫(ダイフ・五位の通称。)と呼ばれた紀助延(キノスケノブ・伝不詳)という者がいた。
若い時から、米を人に貸して、利息を取って返却させたので、年月が経つにつれ米の量は積もり重なって、四、五万石にもなっていたので、世間の人は、この助延を万石の大夫とあだ名を付けていた。

その助延が備後国に行き、用事があってしばらく逗留していたが、ある日、浜に出て網を引かせていると、甲羅が一尺ほどもある亀を引き上げ、助延の郎等共がいじめてもてあそんでいたが、その郎等共の中に年が五十ばかりの少々足りない男がいた。いつもとても見苦しい悪ふざけを好む男である。
そのためであろうか、その男がこの亀を見つけるや、「あいつは、逃げたわしの女房めだ。ここにいたのか」と言って、亀の甲羅の左右の端を掴んで差し上げると、亀は足も手も甲羅の中に引き入れた。首もすっぽり引き入れたので、細い口だけがわずかに甲羅から見えている。
男は亀を差し上げて、幼い子供をあやすように、「『亀よ出て来い、亀よ出て来い』と川辺で言った時に、どうして出て来なかったのだ。わしはお前が長いこと恋しかったのに。口づけをしよう」と言うと、わずかに見えている亀の口に自分の口を押し当て、わずかに見えている亀の口を吸おうとすると、突然亀は首をさっと突き出して、男の上下の唇に深く噛みついた。

引き離そうとしても、亀は上下の歯を食い違えて噛みついているので、ますます深く食い込み放そうとしない。その時男は、手を開いてくぐもり声で叫んだが、どうにもしようがなく、目から涙を落として苦しみうろたえる。
そこで、他の者たちが寄ってたかって、刀の峰で亀の甲羅を叩いたが、亀はますます強く噛みついた。男は両手をばたつかせて苦しみもがくこと限りなかった。他の者たちは男が苦しみもがくのを見て気の毒がったが、中には、横を向いて笑う者もいた。

すると、一人の男が、亀の首をスパッと切ったので、亀の体は落ちた。しかし、首は喰いついたまま離れないので、物に押し当て、亀の口の脇から刀を差しんで、あごをはずし、それから亀の上あごと下あごを引き離したところ、錐(キリ)の先のような亀の歯が食い違いに刺さっているので、それをそろりそろりとだますように抜いていくと、男の上下の唇から真っ黒な血が激しく吹き出した。
その血が出尽くした後で、蓮の葉を煮て、その湯で洗うと、傷口は大きく腫れあがった。その後も、そこが膿んで、長い間傷み続けた。

これを見聞く人は、主人をはじめ、誰も気の毒だとは言わず、あざけり笑った。男はもともと少し足りない上に悪ふざけを好んでいたから、病み苦しんだあげく、人にも嘲笑されたのである。
これから後は、悪ふざけを好んでするようなことはなくなったが、仲間たちは、その事もまた笑った。

これを思うに、亀の首は四、五寸は突き出るものなのに、それに口をさし寄せて吸おうとすれば、どう考えても喰いつかれない事などあるまい。このように、世間の人は、身分の上下を問わず、つまらぬ悪ふざけをして冗談にもこのような危険なことをしてはならないのである。
このような馬鹿げたことをして、嘲笑された男がいたのだ、
となむ語り伝へたるとや。

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一事が万事 ・ 今昔物語 ( 28 - 34 )

2020-01-03 08:56:24 | 今昔物語拾い読み ・ その7

          一事が万事 ・ 今昔物語 ( 28 - 34 )


今は昔、
筑前の前司(ゼンジ・前任の国司)藤原章家(フジワラノアキイエ・生没年未詳も、1080年を過ぎた頃没したらしい。)という人がいた。
その人の父は定任(サダトウ)という。その父も筑前守であったが、その時、この章家朝臣は未だ若くして官職にも就いておらず、四郎君といって部屋住みであった。
その頃、その家に、見た目がものものしくて、鬢(ビン・結髪の左右両側の部分。)が長く、威風堂々としていて武勇自慢の恐ろし気な侍(武士という意味ではなく、従者あるいは下人といった立場。)がいた。名を頼方(ヨリカタ・伝不詳)といった。

その男が、章家の部屋で大勢の侍たちと一緒に、然るべき仕事をした後食事をしていたが、章家はすでに食事を終えていて、そのお下がりを上席から順に下に回していったが(当時のふつうの風習らしい。)、それが頼方の所に回ってきた。
頼方が食べていた食器には、まだ少し食べ物が残っていたが、お下がりを回してやったので、他の者がするように、自分の食器に受けて食べるだろうと侍たちが見ていると、頼方は主人の食器を取り、自分の食器には移さずに、うっかりして、主人の食器から直接さらさらと口の中に掻きこんでしまった。
他の者たちはこれを見て、「どうしたことだ。ご主人の食器のまま食べてしまったぞ」と言ったので、頼方はその時はじめて気がついて、「まことにそうだった。とんでもないことをしてしまった」と思ったとたん、気が動転してしまい、口に含んでいた飯を、主人の食器にまた吐き入れてしまった。

主人の食器から直接食べたのでさえ、侍共も主人も汚いと見ていたのに、いったん口に入れて唾が混じった飯を食器に吐き入れたものだから飯が長い鬢にくっつき、それを拭うのにあたふたしている様子は、まことに醜態そのものであった。
他の侍共はこれを見て、立ち上がって外に出て行って笑い転げた。
いったい、頼方はどうしてうっかり忘れてしまっていたのだろう。もともとは、たいそう賢い武者として主人の覚えも厚かったが、この事があってから、武者としての評判さえ落ちてしまい、愚かな者と言われるようになってしまった。

これを思うに、武勇の者ではあったが、心のほどが劣り愚かであったのだろう。
されば、人は何事においても、とっさに頭を働かせるべきである、
となむ語り伝へたるとや。

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