雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

頼通の結婚 ・ 望月の宴 ( 123 )

2024-10-22 07:59:25 | 望月の宴 ④

     『 頼通の結婚 ・ 望月の宴 ( 123 ) 』


かの花山院に寵愛されていた四の御方(太政大臣故藤原為光の四女。)は、院がお亡くなりになったので、鷹司殿(四の御方のもともとの居所らしい?)に移られていたが、それを殿(道長)がお耳になさって、お側に召したいと思われていたが、四の御方が心を決めかねているうちに、殿の上(倫子)が家の女房にとお便りをなさったが、どういうわけからか、ご決心がつかないようである。

こうしているうちに、殿の左衛門督(道長の嫡男頼通)を、然るべき家柄の人々で、婿に迎えたいと意向を示す方々もあるが、まだどうともお決めにならないでいたところ、六条の中務宮(具平親王)と申されるのは、故村上の先帝の御七の宮で、生母は麗景殿女御(醍醐天皇の孫の荘子女王)である。その御方と、村上天皇の四の宮の式部卿為平親王と故源帥の大臣(ゲンノソチノオトド・源高明)の御娘との間に生れた中姫君との間にお生まれになった御子に、女宮が三人、男宮が二人いらっしゃいます。
その姫君(隆姫)は、それはそれは大切にお育てになられていて、まったく不足のないお家柄であり、中務宮のご気性なども、世間並みといったものではなく、たいそう学問に優れているあまりに、陰陽道も医術の方にも、万事驚くほどに極めていらっしゃる。さらに、作文(サクモン・漢詩を作ること)や和歌などの方面にも優れていらっしゃって、まことに奥ゆかしくご立派でいらっしゃる。

その中務宮が、この左衛門督殿を婿にと御心を寄せられていらっしゃるのを、大殿(道長)がお聞きになって、「まことに畏れ多いことである」と恐縮なさって、左衛門督に、「男の値打ちは妻次第なのだ。たいそう高貴な家に婿入りするべきなのであろう」と仰せになっているうちにも、内々に準備を進めていたので、縁組みも今日明日に迫った。
実は、中務宮は、姫君を入内させることを望んでいらっしゃったのだが、御宿世というものであろうか、心を決められて左衛門督を婿にお迎えになったのである。

その御有様は、まことに当世風であった。
女房二十人、童女、下仕え四人ずつで、万事においてたいそう奥深く心憎いまでの有様である。今風の普通に見られる香ではなく、まさにこれが古(イニシエ)の薫衣香(クノエコウ・衣服にたきしめる香。)などといって、実にすばらしいと言われているのは、この薫りなのだと、重ね重ね珍しいものだと思われる。
姫君(隆姫)の御年は十五、六歳ぐらいで、御髪(ミグシ)などは尚侍殿(ナイシノカミドノ・道長の次女妍子。後の三条天皇中宮で、髪が美しいことで知られていた。)の御有様にとてもよく似た風情であられ、とてもすばらしいご容姿と推察なさっていらっしゃるのだろう。
中務宮は、たいそうご満足でいらっしゃるとお見受けされる。

こうして数日が過ぎて、御露顕(トコロアラワシ・当時の結婚の披露。)となったので、お供として参上すべき人々を、殿の御前(道長)がみな選択しお決めになった。
その夜の有様は、いささかも不足するものとてなくご立派に行われた。
男君の御愛情のほどは、宮家の有様や御身分などのほどによって左右されるものではあるまいが、それにしてもお二人の御仲はまことにすばらしい。
中務宮は、まことに婿取りした甲斐があったと思って見守られている。婿君が六条の御邸に朝夕お通いになるにつけても、その途中で、百鬼夜行(鬼や妖怪が列をなして歩くことで、当時、出会うことを恐れていた。)の夜などにもたまたま遭うかもしれないと、たいそう心配なことだとお思いになって、上京の辺りに然るべきお住まいを計画なさっている。

中務宮は、今は何の心配もなくなったので、この機会に何とか出家の本意を遂げたいものとお思いである。
事に触れて、格別尊い御有様であられるので、然るべき折々に、また、めずらしい節会などにおいては、ぜひお会いしたいと帝は望んでおいでだが(一条帝は十六歳年長の具平親王を敬愛していたらしい。)、この度のことだけではないが、そのような事は中務宮は念頭においていない。まったく残念なことである。

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