『 中関白家の人々 ・ 望月の宴 ( 129 ) 』
中納言殿(伊周の弟、隆家。)は、帥殿(中関白家嫡男の伊周。)が末期の病床で語り続ける姿を哀れに聞きながら、思案に余られて、
「どうして、そう情けないことばかりお考えになられるのですか。確かに、おっしゃることはその通りではありますが、どうして誰もが、それほどに惨めなことになりましょう」などと、激しくお泣きになると、帥殿は、「そなたをこそ、長年子供のように思ってきたが、このように私もそなたも不運のまま終ってしまうことが悲しく残念でならない。道雅(伊周の長子、松君。)のことをよく言い聞かせて導いて下さい」などと、さまざま繰り返してお泣きになる。
一品宮(イッポンノミヤ。脩子内親王)、一の宮(敦康親王。共に故定子皇后の御子で、伊周の姪・甥にあたる。)も、帥殿のご容態をどのようになるのかと思い心を痛めていらっしゃるが、いつしか正月も二十日余りになると、世間は司召(ツカサメシ・正月の地方官の除目)ということで、馬や牛車の往来が多くなり、殿方が宮中に参られるなどの噂が聞こえてくるのも、このご一族にはまことに哀れである。
大姫君は、現在十七、八歳ばかりで、御髪は細やかでたいそう美しく、背丈より四、五寸も余っている。ご容姿も優れ、お心ばえも親しみ深くいじらしげで、お肌もたいそう美しく、白い衣を重ねた上に紅梅の固文の織物をお召しになり、濃い紅の袴を着ていらっしゃるが、しみじみとしてとても愛らしい。
中姫君は、十五、六歳ばかりで、大姫君より少しばかり大柄で、とても落ち着きがあって重々しく、何とお美しいお方よとお見えになり、御髪はお身丈に三寸ばかり足らないほどで、たいそうふさやかで、ますますお見事になられることであろう。色々の御衣を柔らかに重ねられているのは、元日の御装束をそのまま着ならしたかに見える。
いずれも、たいそうしみじみとした美しいお姿であられるが、母の北の方は小柄で、おっとりとしたご様子は、まるで今二十歳余りかとお見えになる。それもまた、たいそうお美しくあられる。
蔵人少将(道雅)は、たいへん肌の色合いが美しく、顔つきも美しく、考えられる限りの美しさで、まるで絵に描いた男性さながらの様子で、香色(薄い赤に黄色みを帯びた色。)に薄物の青い裏を重ねた狩衣に、濃い紫の固文の指貫を着て、紅の打衣(ウチギヌ・狩衣の下に着る衣)を着ていらっしゃる。もともと肌色の美しいお方だが、たいそうお泣きになったので、お顔が赤らんでる。
帥殿も、その容姿といい、学問の素養も、世間の上達部に抜きんでていると噂されてきたが、中関白家の没落に伴うご心労に、太り気味でどっしりとしたお体をなさっていたのが、ここ数か月のお患いで、多少ほっそりなさっているが、お顔色などはまったくお変わりになっていないのが、周りの人々は恐ろしいことと取沙汰なさっている。
この姫君たちがいらっしゃるので、みっともないようにと、御烏帽子をしっかりと被って横になっていらっしゃる。
まだ若い女房が四、五人ばかり、薄色の褶(シビラ・地位の低い女房が着用する簡略な裳。)を申し訳程度に腰に着けている。
立派なご一族に見守られながらも、何事にもしんみりとしていて、哀れな風情である。
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