当ブログで長年に渡って続けてきました「今昔物語拾い読み」は、このほど完結いたしました。
何分膨大な物語集ですから、そのほとんどを既刊されているいくつかの書籍やネットの情報などを片っ端から頂戴して、読み続けた物を紹介させていただきましたが、およそ九年半ばかりかかりました。我ながらよく投げ出さなかったものだと、感心するよりあきれていますが、おそらく、誤字などは多発しているでしょうし、言葉だけでなく文意そのものさえ間違えている物もあるのではないかと、気にはなっています。
そうした心配はあるとしても、いざ終了してしまいますと、若干「ロス」気味で、何とはなく物足りなくなっています。
そういう事もあって、今月末から、「今昔の人々」という新しいカテゴリーをスタートさせていただきます。内容は、今昔物語の中の、私の好きな物語を中心に、登場人物を意識する形で、場合によっては一部加除させていただいた物を紹介させていただくつもりで、すでに準備を始めております。
今昔物語に拘りすぎるのではないかという気持ちもありますが、その理由の多くは、仏教礼賛的な内容の物が多いとはいえ、登場してくる人物には、とても魅力や興味を感じる人が少なくないからです。しかも、貧乏な人が仏の力で簡単に富者になったり、今生ばかりや前世や来世が簡単に登場してくるのですから、ばかばかしいと言えばそうかも知れませんが、考えさせられる部分も確かにあります。
原文を歪めるような作品集になるのを懸念していますが、出来るだけ親しみやすい文章を心がけますので、ぜひ、ご覧下さい。
私が今昔物語に惹かれる最大の要因は、おそらく「現実からの逃避」だと考えています。
もっとも、映画であれ、テレビドラマであれ、小説であれ、そうした部分を持っていると思うのですが、今昔物語にある物語は、「今は昔・・」と最初に断っているように現実離れした物語がほとんどです。「いくら苦しいといっても、それが前世からの因縁だ」と言われますと、うん、うん、と納得するしかありませんし、「いくら惨めな生活を強いられても、仏の導きで浄土に生まれ変わった」と言われましても、良かったね、とは思っても、現実性などありません。
それでも、ほんの少し、まったくほんの少しですが、荒みがちな気持ちを「よし、よし」してくれているような気もするのです。
ただ、現実に戻ってみますと、「好きだ、嫌いだ」「あれが欲しい、これが欲しい」と煩悩の海を泳いでいるような日々です。
ある人が人生を「山登りのような物だ」と評していました。「七合目八合目辺りはとても苦しいが、そこからが勝負で、頑張り抜けば頂上が待っている」というのです。しかし、揚げ足を取るつもりはありませんが、山登りには下山が控えており、その過程には、頂上を目指していた時には見えなかった風景が待ち受けているかもしれません。
人生を、「マラソンのようだ」と評した人もおりました。「35kmからが勝負だ」そうですが、マラソンにはゴール地点が定められていますが、人生にはそれが明らかにされていません。ゴールは、60km地点かもしれませんし、あと数歩先なのかもしれません。
「今昔物語」を読む楽しみには、人生の疑似体験が含まれているかもしれません。
あたたかく見守っていただき感謝しております。
クリン様の行動力を、うらやましく思いながら貴ブログを楽しませていただいております。 私の方はまことに地味ですが、出来るだけ素直な表現を心がけたいと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。
雅工房さまがどなたを選び、人物の視点でどのようにお話をされるか?楽しみです💛
「現実からの逃避」・・←わかります。決して後ろ向きな意味でもなく、DNAに組み込まれている古の世界へのあこがれ・・みたいなものは、クリンも古典にかんじておりますので🌈✨