米国の大統領選挙は多くの予想を遙かに超えて、トランプ氏の圧勝となりました。すでに、次期政権が始動しているようですが、選挙中の過激と思われるような発言も、トランプ氏であれば、強引に進めるのではないかという恐怖感もあり、各国の対応は大変なようです。
一方わが国は、今日首班指名が行われます。現時点では、石破政権が継続することになりそうですが、他党との交渉は困難を極めるでしょうし、それ以上に、党内をまとめていくことは「薄氷の如し」とでも表現したくなります。
ぐっとスケールが小さくなりますが、わが兵庫県は目下県知事選挙が行われています。先日、じっくりとテレビの政見放送を見ましたが、何とも品のない発言も少なくなく、情けない県になってしまったとの思いがしました。ぜひとも次期知事には、本県の品格を引き上げて欲しいと願っています。
スケールに差はあるとしても、様々な発言を聞いていますと、「お前に言われたくない」とか、「それ、別の人も言っていたよね」「どこかのパクりじゃないの」「その案が本当に実行されて大丈夫だと思っているの」などと、突っ込みたい意見が氾濫しているような気がします。
もっとも、人間が考えることなど限られていますから、「自分が先だ」「こちらが本家だ」などと争うのも大人げないことですから、複雑な交渉が連続しそうなわが国会では、将来を見据えた本格的な論争と、建設的な協力を積み重ねていってほしいものです。
『 手に取るな やはり野に置け 蓮華草 』という句があります。
この句は、江戸時代中期の俳人 滝野瓢水の作品とされています。個人的には、瓢水の作品だと思っているのですが、この作品は、あまりにすばらしい為なのでしょうか、第一句や第三句を様々に変えて使われることが多く、それぞれが本家面をしている感があります。
さらに、研究者によりますと、瓢水が詠んだとされる時期より25年ほども前に、岡本蘭古という人が、「摘まずとも やはり野に置け 砕米花(ゲンゲソウ/レンゲソウ)」という句を詠んでいるというのです。それでは、意識的であれ、無意識であれ、瓢水の盗作ではないかということになるのですが、その時期より数年前に、瓢水は既にこの句を詠んでいたらしいという資料もあるらしく、まだどちらとも断言出来ないようです。
どの世界も、なかなか難しいものですねぇ。
ただ、この滝野瓢水(1684 - 1762 )という俳人は、この句に限らずすばらしい作品を残していますのに、今一つ知られていないように思われるのが実に残念です。
作風は、少々世の中を斜めに見ているような、それでいて、人の弱い心を慰めてくれているように私は感じています。
瓢水は、播磨国加古郡別府村(現在の兵庫県加古川市)の出身で、生家は千石船を七艘も持つ富裕な廻船問屋だったそうですが、彼の遊蕩乱費によって没落したそうです。
「やはり野に置け」という名句は、遊女を身請けしようとしている友人を諫める為に詠んだというのですが、「お前に言われたくない」の見本のようなお話です。
最後に、瓢水らしいすばらしい句を幾つか紹介させていただきます。
『 さればとて 石にふとんも 着せられず 』
『 蔵売って 日あたりの善き 牡丹かな 』
『 浜までは 海女も蓑着る 時雨かな 』
『 本尊は 釈迦か阿弥陀か 紅葉かな 』
『 さてはあの 月が鳴いたか 時鳥 』
『 有と見て 無は常なり 水の月 』
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます