『 与野党協議は生かされるか 』
衆議院選挙の 与党陣営の惨敗を受けて
与野党協議が 活発化しているように見える
果して この傾向が どのような結果を生み出すのか
民意がより反映するのか 混乱が平常化するのか
一方の米国 次期トランプ政権は
トリプルレッドを背景に さらに強烈な個性が発揮されそうだ
それが 世界に平和をもたらすのか 混乱をもたらすのか
ともに『吉』と出ることを ひたすら祈る
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『 言霊の助くる国ぞ 』
磯城島の 大和の国は 言霊の
助くる国ぞ ま幸くありこそ
作者 柿本人麻呂歌集
( 巻13-3254 )
しきしまの やまとのくには ことだまの
たすくるくにぞ まさきくありこそ
意訳 「 しきしまの 大和の国は 言霊が助け給う国です どうぞ ご無事でありますように 」
* この和歌の作者は、「柿本人麻呂歌集」となっています。つまり、万葉集の成立以前に、柿本人麻呂が編集したらしい歌集があり、そこから採録したということです。
万葉集には、この歌集から約370首も採録されています。それらの作品いずれもが作者名が分っておりませんが、人麻呂自身の作品が多くを占めていると推定されます。
本歌も、その雄大さからして、柿本人麻呂の作品と考えています。
* この歌は、この前にある長歌に対する「反歌」として載せられています。
( 巻13-3253 )
葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 然れども
言挙げぞ我がする 言幸く ま幸くませと つつみなく
幸くいませば 荒磯波 ありても見むと 百重波 千重波にしき
言挙げす我は 言挙げす我は
あしはらの みづほのくには かみながら ことあげせぬくに しかれども
ことあげぞあがする ことさきく まさきくませと つつみなく
さきくいませば ありそなみ ありてもみむと ももへなみ ちへなみにしき
ことあげすあれは ことあげすあれは
意訳 「 葦原の 瑞穂の国は 神意のままに 言挙げしない国です それでも 言挙げを私はします お元気で いらっしゃいますようにと つつがなく お元気でいらっしゃれば 荒磯波があっても またお会いできると 百重波 千重波のように 繰り返して 言挙げします私は 言挙げします私は 」
なお、「言挙げ」とは、「言葉に出して言い立てること」です。
* 長歌から、この歌が旅立つ人への無事を祈る歌であることが分ります。それも、海を越えていく旅のようですから、再び会えることが出来るかどうか保証されない、厳しい旅立ちだと想像されます。
その時に作者は、言葉の持つ霊力を信じて、懸命に歌い上げます、「友よ、無事で過ごしてくれ」と。
万葉の大歌人の絶唱の姿といえましょう。
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万葉集の風景 ご案内
万葉集は 現存するわが国最古の歌集です
二十巻 四千五百余首が採録されています
載せられている歌の大半は 七世紀前半から759年までの
およそ130年間の作品です
ただ、巻頭歌などに古歌が採録されていて
最古の作品の作者は 四世紀前半の磐姫皇后です
最新の時代の作品は 大友家持の759年に詠まれたものです
また 作者は 天皇・皇后や皇族 貴族や上下級の官人
農民や一般庶民 防人などあらゆる階層の作品が収められており
作者不明とされている作品が 二千百首を超えます
万葉集の完成は 奈良時代末期の759~780年の頃と
考えられています
一度に編集されたのではなく 何度かに分かれて編集されていったと
考えられていて 最終段階では 大伴家持が深く関わっていたようです
作品はすべて漢字が用いられていますが、そのほとんどは万葉仮名として
使われています
本稿は 作者不明の作品も含めた作者たちが それぞれどのような思いで
その歌を詠んだのかに思いを寄せて その風景や心の葛藤に近づきたいと
考えたいものです。
何分 専門知識は全く有しておりませんので 誤訳や誤解が
多発する恐れも心配しておりますが
どうぞ許容いただきまして お楽しみ下さいますよう
ご案内申し上げます
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