東京都知事選が始まりました。
新型コロナウイルスによる感染症が未だ収束をみない中での選挙戦だけに、各候補者も有権者も少々戸惑いを抱えながらの選挙戦になりそうです。
私は都民ではありませんので、選挙戦に参加することは出来ませんが、何といっても首都の選挙戦だけに、外野席にあっても、大いに興味があります。また、このコロナ騒ぎを通して、都道府県知事の存在感か増しており、その優劣の差がそれぞれの市民の生活に少なからぬ影響を与えていることが分かりかけたところでの選挙戦ですから、国政選挙で表面化してきているような不様な選挙戦にはしてほしくないと願っています。
それにしても、立候補者数が22人というのですから、さすが大都市東京と感心するより、あきれてしまいます。もっとも、全人口が1400万人に及び、有権者数も1146万余人というのですから、人口が少ない県に比例させれば、もっと多くても不思議ではないのかもしれません。
ただ、この22人の立候補者の方々ですが、果たして何人の人が当選しようと、本気になっているのでしょうか。もちろん、たとえ知事に就くことが出来なくても、この機会に都政に対して一言申し上げるなり、理想政治を語ることも意味のあることでしょうから、立候補者が1人や2人というよりは、ずっと健全だということになるのかもしれません。
何といっても、選挙は、民主主義政治の根幹なのですから。
( 2020.06.20 )
ただ、わが国の政治形態を一応民主主義政治と考えた場合、いくつかの問題点を含有していることも否定できません。
その根幹を成す選挙そのものでさえ、選挙区や定員、あるいは選挙制度により民意というものが揺れ動く可能性があります。都道府県知事の選挙は、比較的分かりやすい選挙ですが、例えば、東京都民1400万人の全てを納得させる知事を選出することなど出来る話でないのは当然のことです。
東京都知事選挙の投票率は、前回が59.7%で当選した小池百合子現知事は、その44.5%程の291万票ほどを獲得して圧勝しています。例えば、投票率を60%と仮定した場合、その半分である344万票ほどを獲得すれば圧勝することになります。
つまり、有権者の30%にあたる熱烈な支持者がいれば、楽々当選するということになります。そうして都政を担う知事は、議会のチェックがあり、民意を得たといっても、知事に投票していない都民は子供も含めると1000万人を超えるのですから、落選した21人の候補者たちの声も相まって、思う存分の活躍のブレーキになりかねないのですから、民主主義制度というものもなかなか厄介な制度といえましょう。
最近何かと話題を提供しているようですが、第二次世界大戦においてイギリスを勝利に導いたチャーチル首相は、『 民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試された全ての形態を別にすればの話であるが 』という名言を残しています。
独特の言い回しですが、きっとチャーチルも、議会や国民の反対意見に業を煮やしたのでしょうが、それでも残念ながら民主主義を超える形態はないと認めざるを得なかったようです。
しかし、現在、民主主義体制とされている国々においても、国家存亡の危機においては、国家指導者に大きな権限を与える制度を持っている所が多いようです。
もっと小さな例で言えば、ほとんどの国の国家予算には「予備費」たるものが設けられていて、その使用は国家指導者が自由に出来るようです。ささやかな、独裁部分と言えなくもありません。この「予備費」については、わが国でも最近耳にしましたが、大き過ぎる予備費は独裁への第一歩と考えられないわけでもないように思われます。
それはともかく、チャーチル没して五十余年、残念ながら未だに民主主義を超える政治形態は誕生していないようです。せめて、都議会に立候補している22人の中のどなたかが、そのヒントとなるほんの触りだけでも聞かせていただきたいものです。
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