雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

優しくありたい ・ 小さな小さな物語 ( 1326 )

2020-12-26 16:37:38 | 小さな小さな物語 第二十三部

優しくありたい、とは思います。
例えば、ユネスコのテレビコマーシャルを見ていますと、報じられている映像のあまりの切なさに、胸が痛み自分に出来ることはないのかと、ついつい引き込まれる部分が自分の心の中に確かにあります。ところが、同時に、直視したくないという気持ちも強く、自分の心の中に生じている優しさといったものを遥かに上回る力が働いて、テレビを消したり、チャンネルを変えてしまったりします。
私の心の中に生じた「小さな優しさ」が、同じように私の心の中に巣食っている「悪魔のような心」が、なけなしの優しさを追い払ってしまったのかもしれないと、少々自虐的な気持ちになってしまいます。

このコラムは、熊本県の球磨川の状況が伝えられているニュースを見ながら書いています。
毎年のことで、50年に1度の大雨とか、記録的な豪雨といった言葉が、全く珍しくなくなっています。3日から4日にかけての熊本県・鹿児島県を中心とした地域の豪雨はすさまじく、両県に大雨特別警報が出されました。
これらの地域ばかりでなく、近畿地方や関東地方でもすでに危険な状態に陥っている地域があるようです。そして、それぞれの地域においては、国や地域の公務員の方々をはじめ、ボランタリーの方々、隣近所の方々が、危険が迫ったり、すでに危険な状態にある人々に対して、献身的な努力を惜しまない行動を行っているはずです。
気象庁の担当者は、「命を守るための最善の行動を」と繰り返し呼びかけられている中で、その最善の行動をとらなければならない地域に住んでいる人が、明らかに最善でない行動であることを承知の上で、近隣の人たちの支援に動いている人々が数多くいらっしゃいます。そのほとんどは、ニュースなどで伝えられることもない人々ですが、その優しさに、ただただ頭が下がります。

今年の前半は、コロナ、コロナで振り回された感があります。
新型コロナウイルスという未知の病原体は、何とも不気味で、こうも簡単に私たちの社会を傷つけてしまうものなのかと思い知らされました。
感染の広がりは、世界規模で見ればまだピークアウトしていない状態ですし、わが国とても同様で、この数日の新規感染者数の動向は、とても収束がどうのと言える状態ではないようです。
ただ、ここ数か月の新型コロナウイルスへの対応は、私たちに幾つかのことを教えてくれました。例えば、報じられている限りだけでも、医療現場の凄まじさは、頭が下がるなどと言う表現を遥かに超えていて、プロだからと言ったことでは理由づけできないほどの献身は、どこから生まれてくるのでしょうか。それさえも人間が持っている「優しさ」と理解することが正しいのでしょうか。その半面で、そうした職業にある人やその家族の人に対して差別的な対応をする人が少なくないことも報じられています。また、国を挙げて対策に取り組んでいる中で、信じられないような行動を取ったり、発言をする人が少なくないことも、単に愚かであるからとか、人間には悪魔の心があるものだと達観するしかないのでしょうか。

優しくありたい、と思うことは、ほぼすべての人の心に存在しているものなのでしょう。例えば、カルガモの親子が道路を渡る様子が報じられることがありますが、車を止められた人の中から怒号が発せられたということを聞いたことがありません。そうした穏やかな人々であっても、時には、愚かな行動や悪魔のような仕打ちをする可能性を持っているかもしれません。
優しくありたいと思うことは誰でも出来ることです。何かの出来事を見て、優しい気持ちになることもよく経験することです。同時に、後になって反省したり自虐的になって落ち込んでしまうのも、より多く経験することです。
くどくどと泣き言のようになってしまいましたが、優しくあるためには、強い意志や知恵や、もしかすると経済的な面も含めた強さも必要なようなので、優しさを行動で示すためには相当の努力が必要なようなので、とりあえずは、「優しい気持ちを持ち続ける」程度を目標とすることにしますか。

( 2020.07.05 )


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