熊本県南部を襲った記録的な豪雨は、球磨川などの氾濫・決壊を引き起こし、さらに豪雨はその範囲を広げ多くの地域で大きな被害を発生させてしまいました。
このコラムを書いている7月7日午後の時点では、発せられていた「大雨特別警報」は警報に引き下げられましたが、まだ危険な状況にある河川は多く、さらなる土砂災害が心配される地域が何か所もあるようです。テレビで流されている映像や、伝えられる情報は、唖然としてしまうものの連続で、これからの対処がどうなるのか胸が詰まる思いです。
さらに、この後も、九州地方やさらに広い地域で豪雨が予測されていて、なお厳重な警戒が続く状況にあるようです。
それにしても、毎年のように、「50年に1度の豪雨」「これまで経験したことのないような大雨」と伝えられる情報を、私たちはどのように理解すればいいのでしょうか。
しかも、それらの情報による豪雨などの後には、必ずといっていいほど甚大な被害をもたらしているのですから、その表現を笑うわけにもいきません。
「せめて『特別警報』だけでも早く終息してくれ」とか、「早く助けに行ってやらなくては」とか、「もっと早く支援の手を」などとテレビなどを見ながら思うだけで、「自分の所は大丈夫だろうな」と思っている自分自身に、ほんの少しですが、嫌悪感がわいてきたりします。
今回の災害はまだ継続している状態で、全体を把握するには相当の時間がかかることでしょうが、すでに、この地域の自然災害に対する対応や治水対策などについて、幾つかの意見が浮上しています。
この種の災害が起こった後では、誰でもそれなりの意見は述べられますし、立派な対策も提案することが出来ます。しかし、だからと言って無駄話かと言えば、必ずしもそういうことではなく、残念ながら私たちの国は、こういう時でなければ、真剣な討議など為されない可能性があるのです。思いつきも含めて、こうした時に活発な意見を交わして、たとえ一つでも将来に生かせるような手段が提案されることを期待したいのです。
例えば、今回多くの地点で氾濫・決壊を発生させた球磨川には、多くの危険区域が指摘されていたわけで、もしかすると、専門家が見れば何の驚きもないのかもしれません。この川の支流では、かつて、ダム建設が計画されていたようですが、いわゆる民意により計画が解消されたようです。もし、ダムが建設されていたらどうだったのか。ある専門家の方は、ダムと同等の治水対策は簡単な事ではないと述べられていましたが、同時に、たとえダムがあっても、今回のような豪雨に対応できたかどうかは分からないと述べておられました。
国を治めるためには水を治めることが必要というのは、歴史の常識のようです。わが国においても、かつての高僧や武将たちが治水工事に力を尽くしたということが伝えられています。
河川の氾濫・決壊を防ぐために、例えば現状の堤防を幅と高さを3m補強するとした場合、一級河川だけでもどれだけの資金と人材が必要で、自然環境にどの程度の影響があるのでしょうか。また、津波が幾ら恐いといっても、わが国の全海岸線に10mの堤防を構築することなど気が遠くなるような話であり、15mの津波が襲来すれば、むしろ被害を大きくしてしまう可能性があります。第一、10mのコンクリート塀に包まれた我が国土など、見たくもありません。
幸か不幸か、わが国の人口は減少傾向にあります。まだまだ住宅を高層化できる部分も残されています。地盤や堤防を強化することが有効な場所もあるでしょう。そうしたうえで、私たちの生活の場所を、極力危険地域から距離を取る方法も、これからの選択肢の一つだと思うのです。
私たちは、先人たちの知恵や努力の恩恵を受けて、今を生きさせていただいています。私たちにも、明日のために果たすべき責務のようなものがあるように思うのです。
( 2020.07.08 )
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