雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

高藤の純愛物語 ・ 今昔物語 ( 巻22-7 )

2015-08-09 08:59:32 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          高藤の純愛物語 ・ 今昔物語 ( 巻22-7 )

今は昔、
閑院の右大臣と申される方がいた。御名は冬嗣(フユツギ)と申された。世間の評判もよく、たいそう賢明なお方であったが、まだ若くしてお亡くなりになった。
幸い御子たちはたくさんいた。
長兄は長良中納言と申され、次兄は良房太政大臣と申され、その次は良相左大臣、さらにその次を内舎人(ウドネリ)の良門(ヨシカド)と申し上げた。
昔は、これほど高貴な家の者も、最初は内舎人に任じられたのである。

その内舎人の良門の御子に、高藤(タカフジ)と申す方がいらっしゃった。幼少の頃から鷹狩を好んだ。父の内舎人も鷹狩が好きだったので、この若君も父譲りで好きになったのであろう。
さて、この若君が十五、六歳の頃の九月、鷹狩に出かけられた。
南山階という所の渚の山辺りを、鷹を使いながら歩き回っているうちに、申の時(サルノトキ・午後四時頃)の頃、にわかに辺りは暗くなり、時雨が降り出して、同時に風が激しくなり、稲妻が走り、雷鳴が凄まじくとどろいたので、供の者どもは蜘蛛の子を散らすように走り出し「雨宿りをしよう」と好き勝手な方向に逃げ出した。

主人である若君は、西の山沿いに人家があるのを見つけて、馬を走らせた。供には馬の口取りをする男一人だけである。
その家に走り着いてみると、回りを檜垣で囲い小さい唐門のついた建物がある。若君は、その屋敷内に馬を乗入れた。
板葺きの寝殿の端に三間(ミマ・柱と柱の間を一間という)ばかりの小さな廊がある。そこまで馬を乗りつけて降り、馬は廊の端のあたりに引き入れ、供の男を付けておき、若君は板敷に腰を下ろした。
その間も、風は吹き荒れ雨も激しく、雷も鳴り続けていた。恐ろしいほどの荒れ模様で、引き返すことも出来ず、そのままじっとしていた。

やがて、日もしだいに暮れていった。
「どうしたものか」と、心細く恐ろしく思っていると、家の奥の方から青鈍(アオニビ・薄い藍色)の狩衣を着た四十歳余りの男が出てきて、
「これはどなたさまでございますか」と尋ねた。
「鷹狩をしているうちに、このような雨風に遭い、どこへ行くともなく馬にまかせて走らせてきたが、たまたま家が見えたので、ありがたいことと入らせてもらった。どうしたものであろうか」と若君は答えた。
「雨が降っている間はここにこのままおいでなさるのがよろしいでしょう」と男は答え、供の男の方に近付き、
「この方はどなたさまでございましょうか」と尋ねると、
「これこれのお方のお成りであるぞ」と、供の男は答える。

家の主人であるこの男はたいへん驚き、家に入って部屋を整え、灯をともしなどして、再び出てくると、
「むさくるしい所でございますが、このままここにいていただくのもいかがかと思われます。雨がやむまで中にお入りください。また、御衣もひどくお濡れのご様子なので、火で乾かして差し上げましょう。御馬にも飼い葉を与えますので、あの後ろの方に入れておきましょう」と言った。
みすぼらしい下賤の者の家であるが、いかにも由緒ありげに見える。天井は檜網代で張ってあり、回りには網代屏風が立ててある。こざっぱりした高麗べりの畳が三、四畳敷いてあった。
若君は、すっかり疲れていたので、衣装を解いて物に寄りかかっていると、家主の男が来て、「御狩衣指貫などを乾かしましょう」と言って、持っていった。

しばらくすると、廂の間の方から引き戸を開けて、年のころ十三、四歳ほどの若い女が薄紫色の衣一重(ヒトカサネ)に濃い紅色の袴を付けて、扇で顔を隠し、片手に高坏を持って現れた。
恥ずかしそうに遠くで横を向いて座っているので、若君は、「こちらへ」と言う。
その声に、そっといざり寄ってくるその姿を見ると、頭の形はほっそりとしていて、額のさま髪の様子はこのような家の娘とは思われず、何とも言えぬ美しさである。
高坏を折敷に据え、坏には箸を置いて持ってきていた。それらを前に置くと、奥へと下がった。
その後ろ姿は、髪は房やかで、その端は膝を越えているかに見える。

またすぐに、娘は折敷に色々な物をのせて持ってきた。まだ幼げな娘なので、上手に据えることが出来ず、前に置いたまま後ろの方に下がって控えていた。
見てみると、ご飯をこしらえ、それに小さな大根、あわび、鳥の乾し肉などが添えられていた。
一日中鷹狩をして疲れ果てていたところなので、「下賤の者の家の食べ物だといえ仕方あるまい」と思いながら、全部食べてしまった。酒なども出されていたが、それも飲んで、夜も更けたので眠ってしまった。

しかし、眠りについても若君は、あの娘のことが心にかかって仕方がなかった。
「一人寝るのは恐ろしい気がする。先ほどの娘、ここに来るように」と所望した。
娘がやってくると、「もっとそばに」と言って引き寄せて、抱き寝をした。そばで見る娘の様子は、遠くから見るよりさらに麗しく、可愛らしい。
すっかり気に入ってしまった若君は、まだ年端もいかぬお心ながら、行く末までの愛を繰り返し約束して、九月のとても長い夜をつゆまどろまず、細やかな愛情を示して契り明かした。
やがて夜が明け、起き上がり出て行こうとした時、若君は、帯びていて太刀を取って娘に与え、
「これを形見に取って置くように。親が深い考えもなく誰かと結婚させようとしても、決して人に身を任せてはならない」と後ろ髪を引かれる思いで娘に訴え、振り切る思いで家を出た。

馬に乗って四、五町(500mほど)ばかり行くと、供の者どもが主人を探して集まってきて、無事に京の屋敷に帰ることが出来た。
父の内舎人も心配していて、捜索の人を出す準備をしていた。
「若い頃は、こういう出歩きはなかなか抑えられないものだ。自分もよく鷹狩りに出かけたが、亡き父は止められなかった。それで、そなたにも自由にさせていたが、やはりこういうことになると心配である。今後、若いうちはこのような出歩きは止めるように」
と忠告されたため、以後、鷹狩をしなくなった。
しかし若君は、あの契りを交わした娘のことは忘れることが出来なかった。
けれども、あの家のことは供の者は誰も知らず、ただ一人知っていた馬の世話をしていた男は暇をもらって京を離れてしまっていて、あの家を知る者はいなくなってしまった。
恋しい思いは募り、悶々と思い悩むうちに、四年、五年と年月は流れていった。

そうしているうちに、父の内舎人はまだ年若くして亡くなってしまった。
そのため伯父の屋敷で世話になり過ごしていたが、この若君は容貌は優れ気立ても立派であり、伯父の良房大臣はこの若者に期待を寄せていた。
だが、父親の無い身は何かと恵まれず、若君もまたいつかの娘のことが忘れられず、妻を娶ることもなく、あれから六年ほども過ぎた。
そのような時、共にあの家に立ち寄った馬飼が上京しているという噂が伝わってきた。
早速呼び寄せて、「あの鷹狩の時の家の在り処を覚えているか」と尋ねると、「よく覚えています」と答えた。
若君はそれを聞くと嬉しさを抑えきれず、「これからすぐに行きたい。鷹狩に行くふりをして出かけようと思うので、心得ていくように」と命じて、もう一人、親しく使っている帯刀舎人(タテワキノトネリ・警備を担当する下級武官)の男を供にして、阿弥陀の峰を越えて行った。
そして、いつかの所に日の入頃に着くことが出来た。

二月二十日の頃なので、家の前の梅の花はちらほらと散って、鶯は梢で美しい声で鳴いていて、鑓水に落ちた花弁が流れていき、その風情はまことに趣深い。
若君は、いつかのように馬に乗ったまま門を入っていった。
家主の男を呼び出すと、思いもかけぬ訪問に大喜びして飛び出してきた。
「いつかの娘はおいでか」
と、早速尋ねると、「おります」と答える。
喜びながらあの部屋に入ってみると、娘は几帳の陰に半ば身を隠すようにして座っていた。

近付いて見ると、前の時より女らしさが増し、別人ではないかと思われるほど美しくなっていた。
「この世に、これほど美しい人がいるものか」と思って見ていると、かたわらに五、六歳ぐらいのとても可愛らしい女の子がいた。
「これは誰か」と尋ねると、女はうつむいて泣いているような様子である。
はっきりと答えようとしないので、父の男を呼ぶと、やって来て平伏した。
「ここにいるこの子供は誰なのか」と尋ねると、
「先年お見えになられました後、娘は他の男に近付くことなどございません。もともと、まだ幼い娘でございましたから、男のそばに寄りつくことなどございませんでしたが、あなた様がお見えになりました頃に懐妊し、やがて産まれたのがその子でございます」と家主が答えた。

これを聞くと若君は強く心打たれ、枕元の方を見ると、形見に渡しておいた太刀がある。
「そうであったか。このように深い契りもあったのだ」と思うと、いっそう深い感動に打たれるのであった。
女の子を見てみると、自分と全くよく似ていた。
その夜はここに泊まることになった。
翌朝、帰るときには、「すぐに迎えに来る」と言い置いて家を出た。
それにしても、「この家の主は何者だろう」と思って調べさせたところ、その郡の大領(ダイリョウ・一郡の長官。在地の有力者がなった)である宮道弥益(ミヤジノイヤマス)という者であった。

「このような下賤な者の娘とはいいながら、前世からの契りが深いからであろう」と思い、その翌日、蓆張りの車に下簾をかけ、侍二人ばかりを連れて訪れた。
そして、車を寄せてかの女を乗せる。姫君も一緒である。
他に供がいないというのも具合が悪いので、母を呼び出して乗るように言うと、四十歳余りの小柄でこぎれいな、いかにも大領の妻といった様子の女が、薄黄色のごわついた着物を着て、垂れ髪をその下に着込めた姿で乗り込んだ。
こうして御屋敷に連れておいでになり、部屋などを整えて車から降ろされた。
その後は、他の女には見向きもしないで、仲良く暮らされていたが、やがて男子が二人続けて生まれた。

さて、この若君は、高藤の君と申されるが、たいへん立派な方で、次第に出世なさり大納言にまでなられた。
かの姫君は、宇多院が天皇であられた時に女御になられた。その後間もなく、醍醐天皇を産み奉った。
男子二人は、兄は大納言右大将となり、名を定国と申された。泉の大将と申すはこの方である。弟は右大臣定方と申された。三条の右大臣と申すはこの方である。
祖父の大領は四位に叙され、修理大夫になった。
その後、醍醐天皇が位に就くと、その外祖父に当たる高藤大納言は内大臣になられた。

あの弥益の家は寺にしたが、今の勧修寺がこれである。向いの東山のほとりに、妻が堂を建てた。その名を大宅寺という。
この弥益の家のあたりを懐かしく慕わしく思われたのか、醍醐天皇の御陵はその家の近くにある。
つらつら思うに、かりそめの鷹狩の雨宿りによって、このようにめでたきことになったのであるが、これもみな前世からの契りなのだ、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


* この物語は、勧修寺縁起としても伝えられている。

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