雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

その存在は小さく見える ・ ちょっぴり『老子』 ( 39 )

2015-06-19 14:26:27 | ちょっぴり『老子』
          ちょっぴり『老子』 ( 39 ) 

               『 その存在は小さく見える 』 

小さく見える

「 大道氾兮、其可左右。萬物恃之而生、而不辭。功成不名有。愛養萬物、而不爲主。常無欲可名於小。 」
『老子』第三十四章の前半部分です。
読みは、「大道氾(ハン)として、それ左右すべし。萬物之を恃(タノ)みて生じるも、しかも辞せず。功成りて名を有せず。萬物を愛養して、主とならず。常に無欲なれば、小と名付けるべし。 」
文意は、「 大いなる道は水が氾濫するように、左も右も至る所に行き渡る。萬物は之 ( 道の恩恵 ) を頼みとして生じて来るが、それを拒むことはない。さらに、萬物を生み出したという功を挙げながら、功名を得ようとしない。萬物を愛し養いながら、その主人となろうとしない。常に無欲なので、道という存在は、まことに小さく見える。 」

この章も、『道』というものの存在について述べています。
この部分では、「『道』を体得した人」ということではなく、『道』という絶対真理とでも表現すべきもの ( 『老子』はそのような説明を嫌っているが ) の姿を説明しようとしているようです。
つまり、『道』という根源的な真理は、この世の万物を生み出し、愛し、養っているが、それを自らの功績としようとしないので、小さな存在のように見える、ということのようです。

聖人の生き方も同じ

第三十四章は、今少し続いています。
その文意は、「 萬物は道に帰服しているが、その主人になろうとはしない。ほんとうは、そのような存在は大とすべきである。これと同じように、『道』を体得した聖人は、最後まで自分を大きな存在とはしない。それだからこそ、万人はその人に帰服して、その大いなる目的を果たすことが出来るのである。 」

私たちが、『老子』のいうところの聖人の真似事など出来るはずもありませんが、やたら成果を主張することは、あまり格好の良いものではありません。
せめて、そのあたりのことはわきまえて、出来るだけ謙虚でありたいものです。

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