父を殺した大王 ・ 今昔物語 ( 3 - 27 )
今は昔、
天竺に、阿闍世王(アジャセオウ・釈迦と同時代のマガダ国王)と提婆達多(ダイバダッタ・釈迦の従兄弟にあたる。はじめ仏門に入信したが、のちに教団を離脱して異を唱えたことから仏敵視された。)という親しい二人がいた。互いの言葉を金口(コンク・仏の口。転じて、仏の言葉。真実の言葉。)として信じあっていた。
提婆達多は、その様子を見て阿闍世王に言った。「君は、父の大王を殺して新王となれ。私は仏を殺して新仏となろう」と。
阿闍世王は提婆達多の言葉を信じて父の頻婆沙羅王(ビンバシャラオウ)を捕らえて、人里離れた寂しい所に七重の強固な小屋を造り、その内に閉じこめ堅固に戸を閉じて、厳格に門を守る番人を配して厳しく申し渡した。「決して人を通してはならない」と。
このような宣旨を度々発して、多くの大臣や諸卿に命令して、一人も連絡を取らせなかった。そして、「必ず七日の内に責め殺そう」と手配した。
その時、母后である韋提希夫人(イダイケブニン・頻婆沙羅王の正夫人)は大いに泣き悲しんで、「わたしは邪見(ジャケン・因果の道理を認めない過った見解。)にして悪しき子を生んで、大王を殺すことになってしまった」と嘆き悲しみ、密かに蘇蜜(ソミツ・チーズに蜂蜜をかけたような物か?)を作って、炒った麦粉を混ぜ合わせて、密かに閉じ込められている小屋に持って行き、大王の御身に塗った。又、瓔珞(ヨウラク・宝石などで作る首飾りや胸飾り。)を細工して、その中に漿(コムヅ・濃い水といった意味。ここでは、ブドウをすりつぶした濃い液らしい。)を盛り込んで密かに大王に奉った。
大王はすぐに麦粉を食べ、手を洗い口を漱ぎ、合掌恭敬(ガッショウクギョウ)して、遥かに霊鷲山(リョウジャセン・釈迦の拠点の一つ。多くの法を説いている。)の方角に向かって涙を流して礼拝して、「願わくば、一代教主(生涯を通して法を説いた教主、といった意味。)釈迦牟尼如来(シャカムニニョライ・釈迦の尊称。)よ、わが苦しみを助け給え。仏法に出あいながら、邪見の子のために殺されようとしています。目揵連(モクケンレン・目連に同じ。高弟の一人。)はおいででしょうか、我がために慈悲を下されて八斉戒(ハチサイカイ・在家信者が守るべき五戒に三戒を加えたもの。)を授け給え。後生のための善根と致します」と祈った。
仏はこの願いを聞いて、慈悲を下されて目連・富楼那(フルナ・説法に長じていた。)を遣わした。二人の高弟は、隼が飛ぶかのように空を飛んで、速やかに頻婆沙羅王の所に行き、戒を授け法を説いた。このようにして、毎日訪れた。
阿闍世王は「父の王は未だ生きているのか」と小屋を守っている番人に尋ねた。番人は、「未だ生きておられます。お顔は麗しく顔色も良く、まったく死ぬ様子はありません。その理由は、国王の正夫人であられる韋提希さまが密かに麦粉と蘇蜜を練ったものを王の御身に塗り、瓔珞の中に漿を盛って密かに差し上げています。又、目揵連と富楼那の二人の大羅漢が空より飛んできて、戒を授け法を説いているからです。とても制止することなど出来ません」と答えた。
阿闍世王はこれを聞いて、ますます怒りを増して、「我が母韋提希は、賊人の仲間である。悪比丘(悪僧)の富楼那・目連を仲間に引き入れて、わが父の悪王の賊人を今日まで生かしたのだ」と言って、剣を抜いて、母の夫人を捕らえてその首を切ろうとした。
当時、奄羅衛女(アンラエニョ・頻婆沙羅王との一夜の契りにより耆婆を生んだ。後に尼になる。)の子に耆婆(ギバ・伝説的名医とされる。)大臣という人がいた。その大臣が、阿闍世王の前に進み出て申し上げた。「我が君、何を思って、このような大逆罪をお造りになられますか。毘陀論経(ビダロンキョウ・古代インドのバラモン教徒が信奉した聖典の総称。)には『宇宙創造の最初からこれまで、世に悪王がおり、王位を奪い取るために父を殺したのは、一万八千人である』とされています。しかし、未だかって聞いたことがありません、無道にも母を害したという人は。大王、どうぞよくお考えになられて、この悪逆をお止めください」と。
王はこの申し出を聞いて、大いに怖れて、母を殺すことはやめた。
父の王は、やがて死んだ。
その後、仏は、鳩戸那城(クシナジョウ・古代インドの十六大国の一つ。)の抜提河(バダイガワ)の辺にある沙羅林(シャラリン・釈迦はこの樹林で入滅した。沙羅双樹がある。)の中に滞在されて、大涅槃(ダイネハン)の教法をお説きになった。
そこで、耆婆大臣は阿闍世王に勧められた。「我が君は、逆罪を造ってしまいました。必ず地獄に堕ちることになるでしょう。このところ仏は、鳩戸那城抜提河の辺にある沙羅林に滞在されていて、常住仏性(ジョウジュウブッショウ・大涅槃の具体的表現、らしい。筆者には説明する力がありません。)の教法を説き、一切衆生を救済されています。速やかにその所に行って、その罪を懺悔なさいませ」と。
王は、「私はすでに父を殺してしまった。仏は、きっと私を善く思っていないだろう。もう私に目を向けてくれることはないだろう」と言う。
大臣は、「仏は、善行を行う者を見守られますし、悪を造る者も見守っています。一切衆生の為に、平等一子(ビョウドウイッシ・一切衆生の為に平等無差別に、ひとり子を慈しむように限りない慈悲をかける、といった意味。)の慈悲をおかけになります。すぐに参りなさい」と勧める。
王は、「私は逆罪を造ってしまい、必ず無間地獄に堕ちるだろう。仏を見奉るとしても、罪が消えることは難しい。又、私はすでに年老いている。仏の御許に参って、今更恥をかくことも無駄なことだ」と言う。
大臣は、「我が君よ、この度仏にお会いしても、父を殺した罪を滅することが出来ないとしても、いずれの世において、その罪を滅することが出来ましょう。無間地獄に堕ちてしまえば、決してそこから抜け出すことは出来ないのです。さあ、ぜひとも参られなさい」と、熱心に進めた。
その時、仏の放った御光が、沙羅林より阿闍世王の身を照らされた時、阿闍世王は「劫の終り(コウノオワリ・この世の終わり)になれば、日月が三つ現れて世を照らすそうだ。もしかすると、劫の終りなのか、月の光が私の身体を照らしているのは」と言う。
大臣は、「大王、お聞きください。たとえば、ある人に多くの子がいたとして、その中に病の子がおり、片輪の子がいても、父母は大切に養育します。大王は、すでに父を殺したのでその罪は重い。たとえば、ある人の子の病が重いのと同じではありませんか。仏には平等一子の慈しみがあるのです。大王を救済するために指し向けられた光なのです」と話した。
王は、「されば、試みに仏の御許に参ろう。お前も私の供をせよ。私は五逆罪(仏道に背く五つの大罪。殺母、殺父、殺阿羅漢、教団を分裂させること、仏に危害を加えること、の五つ。)を造った。行く途中で、大地が裂けて地獄に堕ちるかもしれない。もしそのような事があれば、お前を捕らえるぞ」と言って、王は大臣を連れて、仏の御許に参ろうとした。
その出立にあたっては、車五万二千両のすべてに法幢(仏教儀式に用いる旗や吹き流し。)や幡蓋(バンガイ・のぼり旗や天蓋。)を掛け、大象五百に皆七宝を乗せていた。供奉する大臣などは計り知れないほどである。
やがて沙羅林に至り、仏の御許に進み出た。
仏は王をご覧になって、「彼が大王阿闍世か」とお尋ねになり、即座に仏道に導かれ未来の成仏を予言し保証された。そして、「私がそなたを仏道に入れないなど、ありえないことである。今そなたは私の許にやって来た。すでに仏道に入っている」と仰せになられた。
これを以て思うに、父を殺した阿闍世王は、仏にお会いしたことで三界(サンガイ・・欲界・色界・無色界の三境界。いまだ悟りを得ず、一切の衆生が生死の輪廻を繰り返して安住を得ない世界。)の惑いを断ち切って、初果(ショカ・阿羅漢果に至る最初の修業階位。)を得たのである。
このように、仏にお会いする功徳は量りしえない、
となむ語り伝へたるとや。
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今は昔、
天竺に、阿闍世王(アジャセオウ・釈迦と同時代のマガダ国王)と提婆達多(ダイバダッタ・釈迦の従兄弟にあたる。はじめ仏門に入信したが、のちに教団を離脱して異を唱えたことから仏敵視された。)という親しい二人がいた。互いの言葉を金口(コンク・仏の口。転じて、仏の言葉。真実の言葉。)として信じあっていた。
提婆達多は、その様子を見て阿闍世王に言った。「君は、父の大王を殺して新王となれ。私は仏を殺して新仏となろう」と。
阿闍世王は提婆達多の言葉を信じて父の頻婆沙羅王(ビンバシャラオウ)を捕らえて、人里離れた寂しい所に七重の強固な小屋を造り、その内に閉じこめ堅固に戸を閉じて、厳格に門を守る番人を配して厳しく申し渡した。「決して人を通してはならない」と。
このような宣旨を度々発して、多くの大臣や諸卿に命令して、一人も連絡を取らせなかった。そして、「必ず七日の内に責め殺そう」と手配した。
その時、母后である韋提希夫人(イダイケブニン・頻婆沙羅王の正夫人)は大いに泣き悲しんで、「わたしは邪見(ジャケン・因果の道理を認めない過った見解。)にして悪しき子を生んで、大王を殺すことになってしまった」と嘆き悲しみ、密かに蘇蜜(ソミツ・チーズに蜂蜜をかけたような物か?)を作って、炒った麦粉を混ぜ合わせて、密かに閉じ込められている小屋に持って行き、大王の御身に塗った。又、瓔珞(ヨウラク・宝石などで作る首飾りや胸飾り。)を細工して、その中に漿(コムヅ・濃い水といった意味。ここでは、ブドウをすりつぶした濃い液らしい。)を盛り込んで密かに大王に奉った。
大王はすぐに麦粉を食べ、手を洗い口を漱ぎ、合掌恭敬(ガッショウクギョウ)して、遥かに霊鷲山(リョウジャセン・釈迦の拠点の一つ。多くの法を説いている。)の方角に向かって涙を流して礼拝して、「願わくば、一代教主(生涯を通して法を説いた教主、といった意味。)釈迦牟尼如来(シャカムニニョライ・釈迦の尊称。)よ、わが苦しみを助け給え。仏法に出あいながら、邪見の子のために殺されようとしています。目揵連(モクケンレン・目連に同じ。高弟の一人。)はおいででしょうか、我がために慈悲を下されて八斉戒(ハチサイカイ・在家信者が守るべき五戒に三戒を加えたもの。)を授け給え。後生のための善根と致します」と祈った。
仏はこの願いを聞いて、慈悲を下されて目連・富楼那(フルナ・説法に長じていた。)を遣わした。二人の高弟は、隼が飛ぶかのように空を飛んで、速やかに頻婆沙羅王の所に行き、戒を授け法を説いた。このようにして、毎日訪れた。
阿闍世王は「父の王は未だ生きているのか」と小屋を守っている番人に尋ねた。番人は、「未だ生きておられます。お顔は麗しく顔色も良く、まったく死ぬ様子はありません。その理由は、国王の正夫人であられる韋提希さまが密かに麦粉と蘇蜜を練ったものを王の御身に塗り、瓔珞の中に漿を盛って密かに差し上げています。又、目揵連と富楼那の二人の大羅漢が空より飛んできて、戒を授け法を説いているからです。とても制止することなど出来ません」と答えた。
阿闍世王はこれを聞いて、ますます怒りを増して、「我が母韋提希は、賊人の仲間である。悪比丘(悪僧)の富楼那・目連を仲間に引き入れて、わが父の悪王の賊人を今日まで生かしたのだ」と言って、剣を抜いて、母の夫人を捕らえてその首を切ろうとした。
当時、奄羅衛女(アンラエニョ・頻婆沙羅王との一夜の契りにより耆婆を生んだ。後に尼になる。)の子に耆婆(ギバ・伝説的名医とされる。)大臣という人がいた。その大臣が、阿闍世王の前に進み出て申し上げた。「我が君、何を思って、このような大逆罪をお造りになられますか。毘陀論経(ビダロンキョウ・古代インドのバラモン教徒が信奉した聖典の総称。)には『宇宙創造の最初からこれまで、世に悪王がおり、王位を奪い取るために父を殺したのは、一万八千人である』とされています。しかし、未だかって聞いたことがありません、無道にも母を害したという人は。大王、どうぞよくお考えになられて、この悪逆をお止めください」と。
王はこの申し出を聞いて、大いに怖れて、母を殺すことはやめた。
父の王は、やがて死んだ。
その後、仏は、鳩戸那城(クシナジョウ・古代インドの十六大国の一つ。)の抜提河(バダイガワ)の辺にある沙羅林(シャラリン・釈迦はこの樹林で入滅した。沙羅双樹がある。)の中に滞在されて、大涅槃(ダイネハン)の教法をお説きになった。
そこで、耆婆大臣は阿闍世王に勧められた。「我が君は、逆罪を造ってしまいました。必ず地獄に堕ちることになるでしょう。このところ仏は、鳩戸那城抜提河の辺にある沙羅林に滞在されていて、常住仏性(ジョウジュウブッショウ・大涅槃の具体的表現、らしい。筆者には説明する力がありません。)の教法を説き、一切衆生を救済されています。速やかにその所に行って、その罪を懺悔なさいませ」と。
王は、「私はすでに父を殺してしまった。仏は、きっと私を善く思っていないだろう。もう私に目を向けてくれることはないだろう」と言う。
大臣は、「仏は、善行を行う者を見守られますし、悪を造る者も見守っています。一切衆生の為に、平等一子(ビョウドウイッシ・一切衆生の為に平等無差別に、ひとり子を慈しむように限りない慈悲をかける、といった意味。)の慈悲をおかけになります。すぐに参りなさい」と勧める。
王は、「私は逆罪を造ってしまい、必ず無間地獄に堕ちるだろう。仏を見奉るとしても、罪が消えることは難しい。又、私はすでに年老いている。仏の御許に参って、今更恥をかくことも無駄なことだ」と言う。
大臣は、「我が君よ、この度仏にお会いしても、父を殺した罪を滅することが出来ないとしても、いずれの世において、その罪を滅することが出来ましょう。無間地獄に堕ちてしまえば、決してそこから抜け出すことは出来ないのです。さあ、ぜひとも参られなさい」と、熱心に進めた。
その時、仏の放った御光が、沙羅林より阿闍世王の身を照らされた時、阿闍世王は「劫の終り(コウノオワリ・この世の終わり)になれば、日月が三つ現れて世を照らすそうだ。もしかすると、劫の終りなのか、月の光が私の身体を照らしているのは」と言う。
大臣は、「大王、お聞きください。たとえば、ある人に多くの子がいたとして、その中に病の子がおり、片輪の子がいても、父母は大切に養育します。大王は、すでに父を殺したのでその罪は重い。たとえば、ある人の子の病が重いのと同じではありませんか。仏には平等一子の慈しみがあるのです。大王を救済するために指し向けられた光なのです」と話した。
王は、「されば、試みに仏の御許に参ろう。お前も私の供をせよ。私は五逆罪(仏道に背く五つの大罪。殺母、殺父、殺阿羅漢、教団を分裂させること、仏に危害を加えること、の五つ。)を造った。行く途中で、大地が裂けて地獄に堕ちるかもしれない。もしそのような事があれば、お前を捕らえるぞ」と言って、王は大臣を連れて、仏の御許に参ろうとした。
その出立にあたっては、車五万二千両のすべてに法幢(仏教儀式に用いる旗や吹き流し。)や幡蓋(バンガイ・のぼり旗や天蓋。)を掛け、大象五百に皆七宝を乗せていた。供奉する大臣などは計り知れないほどである。
やがて沙羅林に至り、仏の御許に進み出た。
仏は王をご覧になって、「彼が大王阿闍世か」とお尋ねになり、即座に仏道に導かれ未来の成仏を予言し保証された。そして、「私がそなたを仏道に入れないなど、ありえないことである。今そなたは私の許にやって来た。すでに仏道に入っている」と仰せになられた。
これを以て思うに、父を殺した阿闍世王は、仏にお会いしたことで三界(サンガイ・・欲界・色界・無色界の三境界。いまだ悟りを得ず、一切の衆生が生死の輪廻を繰り返して安住を得ない世界。)の惑いを断ち切って、初果(ショカ・阿羅漢果に至る最初の修業階位。)を得たのである。
このように、仏にお会いする功徳は量りしえない、
となむ語り伝へたるとや。
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