雅工房 作品集

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妻を娶った阿闍梨 ・ 今昔物語 ( 31 - 3 )

2024-11-13 13:33:20 | 今昔物語拾い読み ・ その8

       『 妻を娶った阿闍梨 ・ 今昔物語 ( 31 - 3 ) 』


今は昔、
[ 欠字。「文徳天皇」らしい。]の御代に、湛慶阿闍梨(タンケイアジャリ・815 - 880 比叡山の僧。)という僧がいた。慈覚大師(第三代天台座主。)の弟子である。真言教義を極め、仏典や和漢の典籍も極め、諸道について才能があった。

湛慶は真言の行法を修得して、公私にわたって仕えていたが、忠
仁公(藤原良房)が病気の時に、湛慶が御祈祷のために呼ばれて参上した。そして、祈祷し奉ったところ効験はいちじるしく、病は平癒したが、「このまましばらく伺候しているように」と屋敷に留め置かれていたが、若い女の声が聞こえてきて、湛慶の前に供養の膳を調えた。
湛慶は、この女を見たとたん、深い愛欲の情を起こし、密かに口説いて、互いに情を交わすようになり、遂に破戒僧となってしまった。その後、隠してはいたが、その噂は広く知れ渡ってしまった。

湛慶は、以前熱心に不動尊にお仕えして修行をしていたが、ある時、夢の中でお告げがあって、「汝は心から我に帰依している。我は汝を加護してやろう。但し、汝は前生の因縁によって、[ 欠字。「尾張」らしい。]の国[ 欠字。郡名が入るが不詳。]の郡に住む[ 欠字。人名が入るが不詳。]という者の娘と通じて、夫婦となるであろう」と聞かされたところで、夢から覚めた。
その後、湛慶はこの事を嘆き悲しんで、「私は何ゆえあって、女と通じて戒を破ることがあろうか。ただ、私は不動尊が教えて下さったその女を尋ねて、殺して、安心していられるようにしよう」と思い至って、修行に出るような振りをして、たった一人で、[ 欠字。「尾張」らしい。]の国へ行った。そして、教えられた所に尋ねて行くと、本当にそういう人がいた。
湛慶は喜んでその家へ行き、そっと中の様子を見た。家の南面で湛慶は使用人のような振りをして窺っていると、十歳ばかりの可愛らしい女の子が庭に走り出てきて遊び回っている。すると、その後から下仕えの女が出て来たので、「あそこで遊んでいる女の子は誰か」と湛慶は尋ねた。女は、「あの方はこの屋敷の一人娘です」と答えた。
湛慶はそれを聞いて、「あれこそ、その女だ」と喜んで、その日はそれだけにして、次の日にまた行って、南面の庭にいると、昨日のように女の子は出てきて遊び回る。その時近くには誰もいなかった。湛慶は喜びながら走り寄って、女の子を捕らえて、その首を掻き斬った。
これに気づいた者は誰もいなかった。「後で見つけて大騒ぎになるだろう」と思って、遙か遠くまで逃げて、そこから京に帰った。

「もう、気になることはし終えた」と思っていたが、今になって、思いもかけずこのように女に迷ってしまったので、湛慶は「先年、不動尊が示して下さった女を殺してしまったのに、このように、思いもかけない女に迷ってしまったことは不思議なことだ」と思って、この女と抱き寝している時に、湛慶は女の首をさぐってみると、首に大きな傷跡があり、それは傷を焼いて癒着させた跡であった。
湛慶が「これは如何なる傷跡か」と訊ねると、女は「わたしは[ 欠字。「尾張」らしい。]の国の者です。[ 欠字。人名が入るが不詳。]という者の娘です。幼かった頃、家の庭で遊び回っていたところ、見知らぬ男が現れて、わたしを捕らえて首を掻き斬ったのです。その後で家の人が気づいて大騒ぎになりましたが、その男の行方は分からないままです。その後、誰かは分かりませんが、わたしの傷を焼き付けてくれたのです。死ぬはずの命を不思議にも助けられました。そして、縁あって、このお屋敷にお仕えしているのです」と言った。
これを聞いて湛慶は、不思議にも哀れに思った。自分がこの女と前世からの因縁があるのを、不動尊がお示し下さったのだと、貴くもしみじみと感じられ、涙ながらに女にこの事を話すと、女もしみじみと感動を覚えた。
こうして、二人は末永く夫婦として暮らすようになった。

湛慶が戒律を守らず破戒僧になってしまったので、忠仁公は、「湛慶法師はすでに破戒僧になってしまった。僧の姿でいることは許されない。しかし、仏道ばかりでなく和漢の道も極めた者である。こういう者を世の中から捨て去るべきではない。速やかに還俗(ゲンゾク・出家した者が俗人に戻ること。)して、朝廷に仕えるべきである」と決定されて、湛慶は還俗した。その名を公輔(キミスケ)という。もとの姓は高向(タカムコ)である。
即座に五位に叙せられて、朝廷に仕えた。これを高大夫(コウダイブ・伝不詳)という。
もともと優れた才能の持ち主なので、朝廷に仕えても何の見劣りもしなかった。遂に讃岐守に任じられて、家もますます豊かになった。
これを思うに、忠仁公は、才能のある者はこのように捨てなかったのである。

この高大夫は、俗人となったが、真言の密法をよく修得していた。
ところで、極楽寺という寺に木像の両界(金剛界の三十七尊と胎蔵界の九尊)像が安置されていたが、長らくその諸尊の座るべき位置が違っていて、ある人が、「これを誰か正しく直し奉る人はいないか」と、多くの真言の師僧を呼んで直させたが、様々な意見が出て、誰も直すことが出来なかった。
高大夫はその事を聞いて、極楽寺に行き、その両界を見奉って、「まことに、この諸尊が座っておいでの位置はことごとく間違っている」と言って、杖を持ち、「この仏はここにおいで下さい」「その仏はあちらにおいで下さい」と差し示すと、仏たちは、誰も手も触れ奉っていないが、踊るように杖が差し示す位置に、お移りになった。多くの人が、それを見ていた。
人々は、「高大夫が仏の位置を直し奉るために、極楽寺に行くらしい」と、かねてから聞いていたので、然るべき身分の人たちもいたが、このように仏たちがそれぞれ正しい位置に直られたのを見て、涙を流して尊んだ。

高大夫は、仏道やそれ以外の道に優れていたことは、このようであった、
となむ語り伝へたるとや。

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