舞い上がる経典 ・ 今昔物語 ( 13 - 9 )
今は昔、
理満(リマン・出自等不詳)という法華の持者がいた。河内の国の人である。吉野山の日蔵(ニチゾウ・金峯山椿山寺の僧。一度死んでから蘇生したという伝説がある。)の弟子である。
仏道心を起こした初めの頃に、日蔵の身近に仕え、その意に背くことがなかった。
ところが、この理満聖人は、「自分は世を厭い仏道修行をしているが、凡夫の身で未だ煩悩を断つことが出来ない。もしかすると、愛欲の心を起こすかもしれない。それを止めるために、そういう心を起こさせない薬を飲みたいものだ」と思って願い出ると、師はその薬を求めてきて飲ませてやった。
すると、薬の効果があって、前以上に女人への思いを長く断つことが出来た。
そして、日夜に法華経を読誦しながら、住処を定めずあちらこちらと流浪して仏道を修行して歩くうちに、「渡し場で人を船で渡してやることこそ、この上ない功徳になることだ」と思いつき、大江(大きな入り江といった意味だが、大阪市天満辺りらしい?)に行き、そこに住みついて、船を手に入れて渡し守になり、多くの往来の人々を渡す仕事にたずさわった。
また、ある時には、京にいて、悲田院(ヒデンイン・孤児や病人を収用して保護救済する施設。)に行き、いろいろな病に煩い苦しむ人を哀れんで、願う物を捜しては与えてやった。
このように、あちらこちらへ行ったが、法華経を読誦することを怠ることはなかった。
そうした折、京にいたおいて、小屋に籠居して二年ばかり法華経を読誦し続けた。どういう事情から行ったかは分からない。ところが、その家の主が、「聖人の様子を見よう」と思い、密かに隙間から覗いてみると、聖人は経机を前に置いて、法華経を読誦している。見ていると、一巻を読み終えて机の上に置き、次の巻を取って読もうとすると、前に読み終わって置いていた経が一尺ばかり躍り上がって、軸のもとより表紙の所まで巻き返して机の上に置かれた。
家の主はこれを見て、「不思議なことだ」と思って、聖人の御前に出て、「ありがたいことです。お聖人さまは、ただのお人ではございません。この経を躍り上がらせ巻き返して机の上に置くこと、これはまことに不思議なことです」と申し上げた。
聖人はこれを聞いて驚き、家主に答えた。「それは、私にとっても思いがけないことだ。まったく有り得ないことだ。決してこの事を他の人に話さないようにしてほしい。もしこの事を他の人に聞かせたら、いつまでもあなたを恨みますぞ」と。
こう言われた家主は、聖人が生存中はこの事を口外することがなかった。
ある時、理満聖人は夢を見た。
「自分が死んで、その死骸が野に棄て置かれていて、百千万の犬が集まってきて、自分の死骸を喰っている。その傍に理満聖人本人がいて、自分の死骸を犬が喰うのを見ていて、『何ゆえに、百千万の犬が我が死骸を喰らうのか」と思った。その時、空に声があって、「理満よ、まさに知るべし。これは本当の犬ではない。これらは皆、仮の姿を現しているのだ。昔、天竺の祇園精舎において釈迦仏の説法を聞いた者たちである。今、お前と結縁するために犬の姿になって現れているのだ」と告げた。
そこで、夢から覚めた。
その後は、今まで以上に真心を込めて法華経を読誦し、「私がもし極楽に生まれるなら、二月十五日は釈尊(釈迦の尊称)の入滅の日であるから、私はその日にこの世から別れよう」という誓いを立てた。
聖人は、一生の間に読誦した法華経の数は二万余部である。悲田院の病人に薬を与えたのは十六度に及ぶ。
臨終に臨んでは、いささかの病はあったが、重病というほどではなく、長年の願いが叶って、二月十五日の夜半になり、口には宝塔品(ホウトウボン・法華経の一部分)の「是名持戒行頭陀者 速為疾得無上仏道」(ゼミョウジカイギョウズダシャ ソクイシットクムジョウブツドウ・・これを戒を保って頭陀{乞食修行}を行う者と名付ける、このような者は速やかに無上の仏の悟りを得る者である。)という文を誦して、入滅したのである。
実(マコト)に、入滅の時の様子を思うと、後世の極楽往生は疑いない。
あの、経典が踊り給うたことは、聖人の言いつけにより、家主は聖人生存中は他の人に語ることはなかった。入滅の後に、家主が語り伝えたのを人々が聞いて、
広く語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
今は昔、
理満(リマン・出自等不詳)という法華の持者がいた。河内の国の人である。吉野山の日蔵(ニチゾウ・金峯山椿山寺の僧。一度死んでから蘇生したという伝説がある。)の弟子である。
仏道心を起こした初めの頃に、日蔵の身近に仕え、その意に背くことがなかった。
ところが、この理満聖人は、「自分は世を厭い仏道修行をしているが、凡夫の身で未だ煩悩を断つことが出来ない。もしかすると、愛欲の心を起こすかもしれない。それを止めるために、そういう心を起こさせない薬を飲みたいものだ」と思って願い出ると、師はその薬を求めてきて飲ませてやった。
すると、薬の効果があって、前以上に女人への思いを長く断つことが出来た。
そして、日夜に法華経を読誦しながら、住処を定めずあちらこちらと流浪して仏道を修行して歩くうちに、「渡し場で人を船で渡してやることこそ、この上ない功徳になることだ」と思いつき、大江(大きな入り江といった意味だが、大阪市天満辺りらしい?)に行き、そこに住みついて、船を手に入れて渡し守になり、多くの往来の人々を渡す仕事にたずさわった。
また、ある時には、京にいて、悲田院(ヒデンイン・孤児や病人を収用して保護救済する施設。)に行き、いろいろな病に煩い苦しむ人を哀れんで、願う物を捜しては与えてやった。
このように、あちらこちらへ行ったが、法華経を読誦することを怠ることはなかった。
そうした折、京にいたおいて、小屋に籠居して二年ばかり法華経を読誦し続けた。どういう事情から行ったかは分からない。ところが、その家の主が、「聖人の様子を見よう」と思い、密かに隙間から覗いてみると、聖人は経机を前に置いて、法華経を読誦している。見ていると、一巻を読み終えて机の上に置き、次の巻を取って読もうとすると、前に読み終わって置いていた経が一尺ばかり躍り上がって、軸のもとより表紙の所まで巻き返して机の上に置かれた。
家の主はこれを見て、「不思議なことだ」と思って、聖人の御前に出て、「ありがたいことです。お聖人さまは、ただのお人ではございません。この経を躍り上がらせ巻き返して机の上に置くこと、これはまことに不思議なことです」と申し上げた。
聖人はこれを聞いて驚き、家主に答えた。「それは、私にとっても思いがけないことだ。まったく有り得ないことだ。決してこの事を他の人に話さないようにしてほしい。もしこの事を他の人に聞かせたら、いつまでもあなたを恨みますぞ」と。
こう言われた家主は、聖人が生存中はこの事を口外することがなかった。
ある時、理満聖人は夢を見た。
「自分が死んで、その死骸が野に棄て置かれていて、百千万の犬が集まってきて、自分の死骸を喰っている。その傍に理満聖人本人がいて、自分の死骸を犬が喰うのを見ていて、『何ゆえに、百千万の犬が我が死骸を喰らうのか」と思った。その時、空に声があって、「理満よ、まさに知るべし。これは本当の犬ではない。これらは皆、仮の姿を現しているのだ。昔、天竺の祇園精舎において釈迦仏の説法を聞いた者たちである。今、お前と結縁するために犬の姿になって現れているのだ」と告げた。
そこで、夢から覚めた。
その後は、今まで以上に真心を込めて法華経を読誦し、「私がもし極楽に生まれるなら、二月十五日は釈尊(釈迦の尊称)の入滅の日であるから、私はその日にこの世から別れよう」という誓いを立てた。
聖人は、一生の間に読誦した法華経の数は二万余部である。悲田院の病人に薬を与えたのは十六度に及ぶ。
臨終に臨んでは、いささかの病はあったが、重病というほどではなく、長年の願いが叶って、二月十五日の夜半になり、口には宝塔品(ホウトウボン・法華経の一部分)の「是名持戒行頭陀者 速為疾得無上仏道」(ゼミョウジカイギョウズダシャ ソクイシットクムジョウブツドウ・・これを戒を保って頭陀{乞食修行}を行う者と名付ける、このような者は速やかに無上の仏の悟りを得る者である。)という文を誦して、入滅したのである。
実(マコト)に、入滅の時の様子を思うと、後世の極楽往生は疑いない。
あの、経典が踊り給うたことは、聖人の言いつけにより、家主は聖人生存中は他の人に語ることはなかった。入滅の後に、家主が語り伝えたのを人々が聞いて、
広く語り伝へたるとや。
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