枕草子 第七十六段 御仏名のまたの日
御仏名のまたの日、地獄絵の御屏風とりわたして、宮に御覧ぜさせたてまつらせたまふ。ゆゆしう、いみじきこと、かぎりなし。
「これ、見よ、見よ」
と、仰せらるれど、さらに見はべらで、ゆゆしさに、小部屋に隠れ臥しぬ。
「雨いたう降りて、つれづれなり」とて、殿上人、上の御局に召して、御遊びあり。
道方の少納言琵琶、いとめでたし。済政箏の琴、行義笛、経房の中将笙の笛など、おもしろし。
ひとわたり遊びて、琵琶弾きやみたるほどに、大納言殿、
「琵琶、声やんで、物語りせむとすること遅し」
と、誦したまへりしに、隠れ臥したりしも起き出でて、
「なほ、罪は恐ろしけれど、もののめでたさはやむまじ」
とて、わらはる。
御仏名(ミブツミョウ・法会の一つ。十二月十九日から三日間行われる)の次の日、天皇は清涼殿より地獄絵の御屏風をお持ちになり、ずっと広げて中宮様にお見せになられました。その絵は私には大変気味が悪くて、堪らないことといったら、この上もありません。
「これをぜひ見よ。ぜひ見よ」
と中宮様がお命じになられますが、まったく拝見いたさず、あまりの気味悪さに私は小部屋に隠れ臥してしまいました。
その日は、「雨がひどく降って、退屈だ」ということで、殿上の侍臣を、上の御局に召されて、管弦の御遊びがありました。
道方の少納言は琵琶で、とてもすばらしいものでした。済政の君が箏の琴(ショウノコト・十三弦の琴)、行義が笛、経房の中将が笙の笛など、見事なものでした。
一曲演奏して、琵琶を弾きやめた時に、大納言殿が、
「琵琶、声やんで、物語せむとすること遅し」
と、吟誦なさったその時には、隠れて臥していた私も起き出してきて、
「やはり、屏風を拝見しないという仏罰は恐ろしくても、演奏のすばらしさには我慢しきれないでしょう」
と言って、皆さんに笑われてしまいました。
いやにしおらしい少納言さまが描かれていますが、出仕されて間もない頃のことのようです。
登場する大納言殿は、藤原伊周で中宮の兄であり、この時二十歳。中宮定子は十七歳。少納言さまが二十八歳の頃の出来事です。
伊周と定子の父道隆は関白職にあり、短い文章の中に栄華の片鱗が窺えます。
御仏名のまたの日、地獄絵の御屏風とりわたして、宮に御覧ぜさせたてまつらせたまふ。ゆゆしう、いみじきこと、かぎりなし。
「これ、見よ、見よ」
と、仰せらるれど、さらに見はべらで、ゆゆしさに、小部屋に隠れ臥しぬ。
「雨いたう降りて、つれづれなり」とて、殿上人、上の御局に召して、御遊びあり。
道方の少納言琵琶、いとめでたし。済政箏の琴、行義笛、経房の中将笙の笛など、おもしろし。
ひとわたり遊びて、琵琶弾きやみたるほどに、大納言殿、
「琵琶、声やんで、物語りせむとすること遅し」
と、誦したまへりしに、隠れ臥したりしも起き出でて、
「なほ、罪は恐ろしけれど、もののめでたさはやむまじ」
とて、わらはる。
御仏名(ミブツミョウ・法会の一つ。十二月十九日から三日間行われる)の次の日、天皇は清涼殿より地獄絵の御屏風をお持ちになり、ずっと広げて中宮様にお見せになられました。その絵は私には大変気味が悪くて、堪らないことといったら、この上もありません。
「これをぜひ見よ。ぜひ見よ」
と中宮様がお命じになられますが、まったく拝見いたさず、あまりの気味悪さに私は小部屋に隠れ臥してしまいました。
その日は、「雨がひどく降って、退屈だ」ということで、殿上の侍臣を、上の御局に召されて、管弦の御遊びがありました。
道方の少納言は琵琶で、とてもすばらしいものでした。済政の君が箏の琴(ショウノコト・十三弦の琴)、行義が笛、経房の中将が笙の笛など、見事なものでした。
一曲演奏して、琵琶を弾きやめた時に、大納言殿が、
「琵琶、声やんで、物語せむとすること遅し」
と、吟誦なさったその時には、隠れて臥していた私も起き出してきて、
「やはり、屏風を拝見しないという仏罰は恐ろしくても、演奏のすばらしさには我慢しきれないでしょう」
と言って、皆さんに笑われてしまいました。
いやにしおらしい少納言さまが描かれていますが、出仕されて間もない頃のことのようです。
登場する大納言殿は、藤原伊周で中宮の兄であり、この時二十歳。中宮定子は十七歳。少納言さまが二十八歳の頃の出来事です。
伊周と定子の父道隆は関白職にあり、短い文章の中に栄華の片鱗が窺えます。
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