マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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徳融寺の十夜会伺い

2016年08月01日 08時14分16秒 | 奈良市へ
昨年のことだ。

奈良町資料館を運営されている南哲朗館長がFBで「サンハライ」を公開されていた。

場は奈良市鳴川町にある徳融寺だ。

徳融寺の住職は何年も前から存じあげている阿波谷俊宏さんだ。

今は隠居されている身だと聞いている。

「サンハライ」は徳融寺の十夜会の一環として行われる一種の芸能所作である。

その在り方は平成19年3月に秋篠音楽堂運営協議会が発刊した『秋篠文化第五号・特集大和の念仏―徳融寺のサンハライ念仏―』が詳しい。

詳しいのは尤もで筆者は阿波谷俊宏さんなのだ。

何度も、何度も頁を捲っては拝読していた「サンハライ念仏」の所作は少子化の影響を受けて中断を余儀なくされていた。

平成24年2月18日に訪れた奈良市中ノ川町に住職が来られて観音寺の初祈祷が行われた。

かつては興福寺の末寺として栄えたとされる観音寺は現在中ノ川の三社神社の参籠所に本尊を遷して今尚祈祷を行っているのだ。

享和二年(1802)に記された講式によれば初夜道(導)師作法と後夜道(導)師作法の法要が行われていた。

「中ノ川の初祈祷(オコナイ)は二月堂の修二会と同じ作法でされていたであろう」と東大寺の長老が話していたそうだ。

2、30年前、或はもっと前かもしれないが、住職が不在となったことから徳融寺の住職を迎えて営むようになった。

この日、初祈祷を終えた住職から徳融寺のサンハライの現況を教えていただいた。

子供が災いを祓う念仏踊りであるサンハイライは先の少子化理由によって現在は中断しているが、世話方の年寄り二人がナンマイダを唱えながら双盤鉦を叩いていると話していた。

記憶を辿っていずれは復活したいとも云っていたのだ。

一度は、双盤鉦を叩く状況を拝見したいと思っていた。

それから数年後のことである。

南哲朗館長が公開されたサンハライ映像に飛びついたのである。

『秋篠文化第五号・特集大和の念仏―徳融寺のサンハライ念仏―』によれば徳融寺の十夜会は毎年の11月15日だったようだ。

その日に今でもされているのだろうか。

念のためと思って徳融寺を目指した。

この日は朝から、大宇陀市大宇陀・本郷、吉野町、大淀町、下市町・新住丸尾・栃原、五條市・津越・城戸、御所市・鳥井戸をぐるりと周回して奈良市・二条大路に建つイトーヨーカドーへ。

そして奈良市の鳴川町に辿り着いた。

徳融寺に着いた時間は午後3時を過ぎていた。

寺楼門を潜ろうとしたときに気がついた行事の案内。

楼門の柱に貼ってあったのだ。

案内は「十一月十四日(土) 午前十時より 十夜会法要のあと聖歌、当寺伝統厄除け子どもさんのサンハライ念仏踊り、上方落語開催 来聴歓迎」と書いてあった。

サンハライ念仏の日は一週間後だった。

間に合ってほっとするのである。

ちなみに「十一月十八日(水) 正午 御回在 本山から如来さんお立寄り本堂にてお勤めの御祈祷」も書いてあった。

今回は遠慮するとして、サンハライ念仏の撮影許可である。

住職に会いたかったが生憎の不在。

裏庭に居られた副住職に主旨を伝えて取材をお願いした。

その後は何も連絡がなかったので断られたわけでもない。

そう思った。

ところで、だ。

サンハライ念仏の所作をするのは子供たちである。

撮影の了解を取りたいが・・・誰に、である。

副住職の話しによれば南館長が引き連れて来られるので、同寺としては子どもたちとは直接的に関与していないということだ。

時間は夕方近くになってきた。

急いで着きたい奈良町資料館は徳融寺よりすぐ近くにある。

やや坂道のならまち界隈を歩いていく。

坂道ともなれば足は上がらず、歩く速度は極端に遅くなる。

ようやく辿り着いた奈良町資料館には南館長が居られた。

FBのトモダチリクエストを承認してくださっていた南館長に挨拶並びに撮影許可をお願いすれば快諾である。

しかもだ。帰路につこうと資料館を出た直後に呼び止められた。

ならまち信仰で名高い魔除けを願う庚申さんの「身代わり申」のアイテムをくださった。

ありがたく交通安全を願ってフロントの手すりに括り付けた。

(H27.11. 7 SB932SH撮影)