マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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小林町杵築神社の新嘗祭

2016年08月23日 08時26分34秒 | 大和郡山市へ
前月の28日、農小屋に伺ったHさんは、この年の秋のマツリを終えて当屋になる。

そう話していた大和郡山市小林町は旧村。

杵築神社のマツリに古くから伝わる翁面を抱えて男性はお渡りをしていた。

小林町の座は左座と右座がある。

両座とも長老の一老、二老、三老が就く。

男性は左座の三老でもある。

務める二役同時の初行事は収穫したお米を氏神さんに奉納して豊作の実成に感謝する新嘗祭だ。

この年は座中の都合もあって参列者は例年より少なくなったが、小林町では必ずと云っていいほど婦人たちも就く。

就くと云っても神域内には入らずに参籠所中央で待つ。

始めに修祓。

拝殿は神饌所でもある。



献饌前に並べられた御供を祓う。

割り拝殿中央に立っていた座中の婦人らにも祓ってくださる。

小林町の氏神さんを祀る神社は杵築神社。

創建は明らかでないが、杵築神社は平成25年度に造営事業が行われ、本殿、参籠所などはすっかり新しくなった。

それまで掲げていた神社の絵馬のうち、何枚かは修復された。

その一枚は拝殿上に掲げている。



平成3年10月に当家が寄進した絵馬は美しい姿で同じ場所に再掲された。

天の岩戸開き神話を描いた絵馬。

アマテラスオオミカミがお隠れになった岩戸が開かれ、アメノウズメが鈴をもって踊っている様相であるが、絵馬の額にはたくさんのクギがあった。

時期は不明だが、どうやら額を張り替え補修されたようだ。

元々あった額には寄進した年代記銘があったと思われる。

本殿に割拝殿、参籠所などは造営事業によって建物は綺麗になったが、古くからある灯籠は残された。

その灯籠に刻印文字があった。

本殿と参籠所の間に建つ灯籠は「奉寄進 御寶前」、「貞□」の刻印が見られる。

「貞」の文字がある年代はそれほど多くない。

直近であれば「貞享」。

それ以前であれば「貞治」。

1362~年代に遡る。

そこまではいかないと考えるのが妥当な線。

拝殿右に建っていた「奉寄進 御寶前」の刻印がある灯籠は、貞享(1684~1688)年代に寄進・建之されたと考える。

その判断とした推挙は併設する真言宗派の新福寺のことだ。

現在、建て替え中の真言宗豊山派新福寺・観音堂がある。

昭和43年の屋根瓦改修の際に発見された棟札によれば、本堂は元禄九年(1696)に上棟された。

上棟大工小泉六兵衛・新五郎および法隆寺傳兵衛・九兵衛、龍田忠兵衛によって建て替えた証しの上棟札が残されている。

杵築神社に寄進された灯籠年代とほぼ一致するのである。

近い年代に神社・本堂を再築した可能性がある杵築神社とともに位置する神宮寺であろう。

祝詞奏上、玉串奉奠の次は撤饌。

玉串奉奠もそうだったが、宮司の計らいで座中の婦人たちは玉串もするし、撤饌もする。



大きく育った孫まで手伝う村行事にほっこりする。

御供は洗米、お神酒(新穀祭の場合ははシロザケ)、餅、魚、玉子、海藻、野菜、果物、塩、水の十品が基本形。

魚、海藻、野菜、果物は年中行事によって若干異なる。

そのあとは直会。



いつもの通りに左座が座る参籠所に右座も同席してお神酒のシロザケをいただく。

右座が座る参籠所には修復されたうちの三枚の絵馬を掲げている。



一枚は年代不詳の合戦図絵馬。

もう一枚は迫力ある絵で描いた明治21年9月14日に寄進した虎退治絵。



戦国武将の加藤清正による虎退治が描かれ絵馬。

子どもたちのリーダー格とみられる12歳の「童首」以下、数十人の男女が連名で奉納していた絵馬だ。

調査した奈良民俗文化研究所の鹿谷勲代表によれば、旧村小林では、50年ほど前まで「ドウ(童)のあがり」として、12歳の少年が中心となって集落を回り、お金を集めて絵馬を製作。秋祭りに奉納する習慣があった。明治21年の絵馬は現存する最古の事例では・・という。

もう一枚は「奉納御寶前 天保四年癸巳(1833)歳八月九日當邑」の文字がある。



武者の二人が馬に跨っている駆馬。

その状況を見ている数人の姿がある。

その中に童の姿もあった。

(H27.12. 6 EOS40D撮影)