桜井市の山間部。
大字横柿に鎮座する戸隠(とがくし)神社を目指す。
同神社は2年前にも訪れたことがある。
そのころは体力的にも元気だった。
乗ってきた車を里道に停めて林道を歩く。
山道とも思える急な坂道の車は登り辛い。
落ち葉が溜まった林道は雨が降れば濡れ濡れ状態。
泥もあればコケ化も見られる林道にタイヤが滑る。
四輪駆動でなんとか登れる林道であるが、危険を避けて里から登っていった。
30分以上もかかって歩いたことを思いだす。
今回は手術後4ケ月後の身。
歩きでなく、二輪駆動の軽バンを走らせる。
ガードレールもない林道は一つ誤れば崖下行きだ。
恐る、恐るの心境もあるが、途中でタイヤが滑りだしたら戻ることさえできない。
アクセルを踏み込んで一挙に登っていく。
峠になるような山道の先は袋小路。
なんとか辿り着いて安堵するが、膝は何故か震えていた。
さらに奥深い処に整備された坂道がある。
目指す神社に向かう参道は木道。
湿った状態であれば滑りやすい。
右は崖下。
一歩、一歩を踏みしめながら登っていくが2年前より体力が落ちている。
体力が落ちたというよりも術後の不整脈が影響している。
何度かの小休止で繋いで登った先に注連縄を張った朱塗りの鳥居が眼前に現れた。
注連縄は左右二本の竹に掛けてある。
ご神体のイワクラに建てている本殿が戸隠(とがくし)神社。
秋のマツリは10月末の日曜日に行われているようだ。
当屋を含む3人の宮当番ら氏子一同は上の宮さんとも呼ぶ戸隠神社に参拝して祝詞を奏上する。
それから林道を下って下の宮さんと呼ぶ御年(みとし)神社に参る。
両神社のマツリはかつて別々に行われていたが、過疎化した9戸の横柿ではマツリを維持するのが難しくなり行事日を統合したそうだ。
これまでは当屋が一切合切の行事を仕切っていたが、これもまた難しくなり、前年より両隣の2軒とともに協力し合って行動する3人の宮当番制に替えたという。
ひっそりと佇む神社には誰一人いない。
辺りを見渡せば、拝殿前に山の仕事道具を吊り下げていた。
右よりヤ(クサビとも)、ヨキ(オノとも)、ノコギリ、カマ、ヤ(クサビとも)、ナタの6枚は杉板(杉材のベニヤ板)で作った山の仕事道具である。
2年前に拝見したときはクワの歯だと思っていた両端の四角い板。
製作者のUさんにお聞きすれば、それは「ヤ(矢)」だという。
木を伐採する際に打ち込む楔(くさび)である。
打ち込むことで木を倒すことができる山仕事の道具だ。
製作者の話しによれば鳥居に傾けていた注連縄を入れて七つの道具。
これらは「亥の子マツリ」に寄せた山の神へ捧げる「七つ道具」である。
この年が当番当屋のMさんは腕を怪我されて作業をすることができなかった。
当屋の急な頼みに製作を請け負ったUさんが作った「七つ道具」のデキが良い。
秋のマツリを終えた横柿の人たちは場を集会所に移して直会をされる。
集会所はかつてあった宝積寺(ほうじゃくじ)の地。
ご本尊を安置しているようだ。
宝積寺下を下る。
この年81歳になった婦人に出合う。
2年ぶりにお会いした婦人は「あんたのことは忘れもせん、今でも顔は覚えている」と云われた。
その記憶力はすごいものだと思ったのはマツリなどに出る供えものだ。
2年前に話してくださったことを思いだしながらミト川に架かる橋の袂を掃除していた。
ここは通り道。
カッチンの葉が落ちる。
雨が降って濡れたら滑る。
そう云って落ち葉を箒で払って掃除していた老婦人。
カッチンは一般的にホオ(朴)と呼ばれる木だ。
かつてはホオの葉で包んだ俵型のオニギリを作っていた。
山の弁当だと云う御供は神社に供えていたという。
婦人が今年も話してくれた御供の一つ。
かつてはヤマノカミのボタモチがあったそうだ。
サイの目に刻んだトウノイモの頭を「半ゴロシ」に潰す。
ウルチ米・餅米とともに入れて炊く。
こしらえた小豆餡を塗してできあがる。
亥の子の日に作って食べるイモボタのような作り方だ。
亥の日に山の神に供えるから「ヤマノカミのボタモチ」と呼んでいたのであろうか。
(H27.12. 6 EOS40D撮影)
大字横柿に鎮座する戸隠(とがくし)神社を目指す。
同神社は2年前にも訪れたことがある。
そのころは体力的にも元気だった。
乗ってきた車を里道に停めて林道を歩く。
山道とも思える急な坂道の車は登り辛い。
落ち葉が溜まった林道は雨が降れば濡れ濡れ状態。
泥もあればコケ化も見られる林道にタイヤが滑る。
四輪駆動でなんとか登れる林道であるが、危険を避けて里から登っていった。
30分以上もかかって歩いたことを思いだす。
今回は手術後4ケ月後の身。
歩きでなく、二輪駆動の軽バンを走らせる。
ガードレールもない林道は一つ誤れば崖下行きだ。
恐る、恐るの心境もあるが、途中でタイヤが滑りだしたら戻ることさえできない。
アクセルを踏み込んで一挙に登っていく。
峠になるような山道の先は袋小路。
なんとか辿り着いて安堵するが、膝は何故か震えていた。
さらに奥深い処に整備された坂道がある。
目指す神社に向かう参道は木道。
湿った状態であれば滑りやすい。
右は崖下。
一歩、一歩を踏みしめながら登っていくが2年前より体力が落ちている。
体力が落ちたというよりも術後の不整脈が影響している。
何度かの小休止で繋いで登った先に注連縄を張った朱塗りの鳥居が眼前に現れた。
注連縄は左右二本の竹に掛けてある。
ご神体のイワクラに建てている本殿が戸隠(とがくし)神社。
秋のマツリは10月末の日曜日に行われているようだ。
当屋を含む3人の宮当番ら氏子一同は上の宮さんとも呼ぶ戸隠神社に参拝して祝詞を奏上する。
それから林道を下って下の宮さんと呼ぶ御年(みとし)神社に参る。
両神社のマツリはかつて別々に行われていたが、過疎化した9戸の横柿ではマツリを維持するのが難しくなり行事日を統合したそうだ。
これまでは当屋が一切合切の行事を仕切っていたが、これもまた難しくなり、前年より両隣の2軒とともに協力し合って行動する3人の宮当番制に替えたという。
ひっそりと佇む神社には誰一人いない。
辺りを見渡せば、拝殿前に山の仕事道具を吊り下げていた。
右よりヤ(クサビとも)、ヨキ(オノとも)、ノコギリ、カマ、ヤ(クサビとも)、ナタの6枚は杉板(杉材のベニヤ板)で作った山の仕事道具である。
2年前に拝見したときはクワの歯だと思っていた両端の四角い板。
製作者のUさんにお聞きすれば、それは「ヤ(矢)」だという。
木を伐採する際に打ち込む楔(くさび)である。
打ち込むことで木を倒すことができる山仕事の道具だ。
製作者の話しによれば鳥居に傾けていた注連縄を入れて七つの道具。
これらは「亥の子マツリ」に寄せた山の神へ捧げる「七つ道具」である。
この年が当番当屋のMさんは腕を怪我されて作業をすることができなかった。
当屋の急な頼みに製作を請け負ったUさんが作った「七つ道具」のデキが良い。
秋のマツリを終えた横柿の人たちは場を集会所に移して直会をされる。
集会所はかつてあった宝積寺(ほうじゃくじ)の地。
ご本尊を安置しているようだ。
宝積寺下を下る。
この年81歳になった婦人に出合う。
2年ぶりにお会いした婦人は「あんたのことは忘れもせん、今でも顔は覚えている」と云われた。
その記憶力はすごいものだと思ったのはマツリなどに出る供えものだ。
2年前に話してくださったことを思いだしながらミト川に架かる橋の袂を掃除していた。
ここは通り道。
カッチンの葉が落ちる。
雨が降って濡れたら滑る。
そう云って落ち葉を箒で払って掃除していた老婦人。
カッチンは一般的にホオ(朴)と呼ばれる木だ。
かつてはホオの葉で包んだ俵型のオニギリを作っていた。
山の弁当だと云う御供は神社に供えていたという。
婦人が今年も話してくれた御供の一つ。
かつてはヤマノカミのボタモチがあったそうだ。
サイの目に刻んだトウノイモの頭を「半ゴロシ」に潰す。
ウルチ米・餅米とともに入れて炊く。
こしらえた小豆餡を塗してできあがる。
亥の子の日に作って食べるイモボタのような作り方だ。
亥の日に山の神に供えるから「ヤマノカミのボタモチ」と呼んでいたのであろうか。
(H27.12. 6 EOS40D撮影)