何年も前から伺っていた奈良市鳴川町徳融寺の十夜会サンハライ念仏を拝見する機会をいただいた。
背中を押してくださったのは奈良町資料館の南哲朗館長さんだ。
秋篠音楽堂運営協議会が平成19年3月に発刊した『秋篠文化第五号・特集大和の念仏―徳融寺のサンハライ念仏―』が詳しいサンハライ念仏の在り方。
尤も筆者は融通念仏衆徳融寺住職の阿波谷俊宏さんだ。
チャンカラカンの呼び名がある六斎念仏が行われている奈良市八島町でお会いしたことがある。
平成21年3月の涅槃会のときだ。
このころはまだサンハライ念仏は復活していないと聞いていた。
その後の平成24年2月に再びお会いした阿波谷さん。
場は奈良市中ノ川町の観音堂である。
この日の営みは初祈祷のオコナイだった。
そのときに話してくださった十夜会に双盤鉦を打つことになったというのである。
県内事例で調べている双盤鉦に年代等を示す記銘があるのか、ないのか。
併せて平成26年に復活したサンハライ念仏の所作を拝見したく伺った。
早めに着いて久しぶりにお会いする阿波谷さんにご挨拶する。
お堂に上がってくださいと案内されてここで驚く。
受付をしていた一人の男性は顔馴染み。
しばらくぶりであったが、すぐに思いだした男性は中ノ川町で取材した当時の当屋五人衆の一人であった。
中ノ川町は徳融寺の檀家村ということだ。
この日の十夜会に参拝される檀家衆は多い。
十夜会が始まるぎりぎりいっぱいまで先祖供養願いに記帳していた。
その中に居られたⅠさんとも目が合った。
八島町念仏講の会長である。
行事取材に何度もお世話になっているご仁である。
受付を済ませた檀家衆が席につく。
およそ100人の檀家たち。
圧倒的に女性が多い。
私は念願の双盤鉦の調査にかかる。
本堂の灯りはどちらかといえば暗い。
目を凝らして鉦の刻印を判読する。
はっきり読み取れる刻印は「明治三十二年秋 徳融寺什物 第十三世道雄代 施主 木村庄平、絹谷幸二、上田善助、吉村長□」だった。
双盤鉦は4台ある。
一つずつ判読してみるが、どれもこれも同じ刻印のように思えた。
徳融寺の双盤鉦は比較的新しい。
これより古い鉦があったそうだが、先の大戦時において金属回収に協力した関係で木枠だけが残っているらしい。
同寺には二枚の伏し鉦があった。
記銘刻印を調べたかったが、そろそろ始まる時間に次回訪問の宿題としておこう。
一台の双盤鉦の木枠に略作法を書き示した紙を貼っていた。
一に、<撞木(しゅもく)回し>一同合掌・・鉦の上で円、均等10打・・リーダーカンカンだ。
二に、<三念仏>リーダー2回後、一同で2回・・ナンマイダー エー・・ナンマーイダアアエー・・ナンマーアイダー。
三に、<七つ鉦>一同黙して、くねらせ6打1・・。
四に、<責め鉦>一同鉦をこすりながら・・アンマイダーブツ・・子入堂・・正面一礼・・リーダーカンカン。
五に、<二ツ鉦>一同黙して、2打・・寝かせ・・子、礼盤3周・・リーダーカンカン。
六に、<三ツ鉦>一同黙して、3打・・3打目は跳ね上げ・・子、礼盤3周・・リーダーカンカン。
七に、<四ツ鉦>一同黙して、4方、くねらせ・・子、礼盤3周・・リーダーカンカン。
八に、<五ツ鉦>一同黙して、4方、くねらせ1打・・子、礼盤3周・・リーダーカンカン。
九に、<大流し>一同黙して、均等10打・・10打後・・リーダーがナンマイダー。
十に、<小流し>一同黙して、段々小さく打・・子退。
十一に、一同撞木おき、合掌で終える。
※リーダーは鉦打ち4人のリーダー。子はサンハライの踊り子である。
十夜法要に際して先祖回向。
菩提のため・・ナムアムダーナムアンダー ナームーアムアムアーダーアンブーに手を合わせる檀家たち。
先祖供養は申し込まれた先祖代々の名前に願主名を詠みあげる。
十日十夜の結願の日に法要念仏を申された。
阿波谷さんが書き記した十夜会のこと。
「十日十夜念仏会を略した十夜会。善根功徳の積みにくいこの世で十日十夜念仏すれば、善根功徳の積みやすい極楽浄土で千日間念仏するより利益が大きいとする無量壽経の教えに基づき、陰暦十月五日から十五日間、一般にはその結願にあたる十五日(阿弥陀仏成道の日)いちにちを十夜会として、檀家衆が菩提寺に集まって念仏を唱えておこもりをする」というわけだ。
結願の日は小豆で炊いたアカゴハンをいただく。
要は厄払いのアカゴハンであるが、徳融寺では後日(この年は11月18日)に行われる大和ご回在の日にアズキガユを振る舞っているそうだ。
徳融寺の案内によれば十夜会法要のあとは聖歌がある。
その次が同寺の伝統行事である子どもさんの厄除けサンハライ念仏踊り。
〆に上方落語もあると書いてあった。
今回のお目当てはサンハライ念仏だ。
阿波谷さんの他3人は先ほどまで導師が座っていた礼盤周りに配置した双盤鉦の席につく。
やがて大磬(キン)が打ち鳴らされる。
それを合図に背に寺紋のたばね綿を染め抜いた黒の法被を着た人たちがそれぞれの双盤鉦に座り合掌一礼。
左手で木枠の縁を押さえながら、撞木(しゅもく)回しの作法から始められた。
双盤の上で水平に円を描いて等間隔に10打する。
何度聞いても重厚さのなかに美しさをもった響きを奏でる双盤鉦に惚れ惚れするのである。
撞木回し、三念仏、七ツ鉦に続いて先に挙げた四番目の「責め鉦」のときだ。
一同が「アンマイダアブツ・・」を合唱。
撞木で双盤鉦面中央をこすりながら、低音でたたみかけるように合唱すれば、後門より舞台へサンハライを所作する子供たちが登場する。
サンハライの柄を両手に握って、胸前で小さく震わせながら、責め鉦に合わせて入堂する子供たちの先導は黒の素絹衣(そげんえ)を着た奈良町資料館の南哲朗館長さんだ。
本尊前に横一列に並んで正面一礼する。
それまではずっと鉦を打ち続ける。
続けて二ツ鉦、三ツ鉦、四ツ鉦、五ツ鉦。サンハライの踊り子たちは紅白の「払子(はいす)」を小刻みに震わせる、或は左右に振る、五打目で頭上に高く突きあげるような所作をしながら時計廻りに礼盤周りをそれぞれ3周する。
「払子(はいす)」は僧具の一つ。
元は蚊や蠅を追い払う実用品であったが、のちに煩悩、障害を払う法具とされ、浄土真宗を除く各宗派で用いられている。
また、サンハライは「桟払い」。
掃除の際に戸棚や障子の桟に積もった粉埃を払う、いわゆる「ハタキ」である。
災いは災(さい)。
サイ(災)を払いと語呂が通じることから厄祓いの具とされる。
五ツ鉦を終えたサンハライの踊り子たちは隊列のまま檀家たちの席に向かう。
そして一人ずつ、頭上からサンハライを振って厄祓いをする。
檀家たちでぎっしり埋まった隙間を通りながら厄祓い。
ありがたく手を合わせる。
その間の鉦打ちは大流し。
ナンマイダアアアエ、ナンマイダアアアエを繰り返し唱えながら鉦を打ち続けていた。
檀家たちの厄祓いを済ませたサンハライの踊り子たちは本尊前に並んで横一列の一礼。
振り返って檀家たちにも一礼すれば拍手喝采だ。
そして、〆の小流しに合わせて退場する。
踊り子たちは町内の小学生。
頭に水色のなげ頭巾を被った一休さんスタイル。
指導された南哲朗館長の話しによれば、この日、直前に教えただけだというから実に驚く。
双盤鉦の音色に合わせて作法を替えていたのことも知れば、さらに驚く、素晴らしき会得に感動した。
なお、鉦叩きは鉦講であった。
阿波谷さんの教えとかで、鉦打ちされたお一人にお聞きすれば一夜漬けと答える。
これもまたすばらしい感動ものであったことを付記しておく
(H27.11.14 EOS40D撮影)
背中を押してくださったのは奈良町資料館の南哲朗館長さんだ。
秋篠音楽堂運営協議会が平成19年3月に発刊した『秋篠文化第五号・特集大和の念仏―徳融寺のサンハライ念仏―』が詳しいサンハライ念仏の在り方。
尤も筆者は融通念仏衆徳融寺住職の阿波谷俊宏さんだ。
チャンカラカンの呼び名がある六斎念仏が行われている奈良市八島町でお会いしたことがある。
平成21年3月の涅槃会のときだ。
このころはまだサンハライ念仏は復活していないと聞いていた。
その後の平成24年2月に再びお会いした阿波谷さん。
場は奈良市中ノ川町の観音堂である。
この日の営みは初祈祷のオコナイだった。
そのときに話してくださった十夜会に双盤鉦を打つことになったというのである。
県内事例で調べている双盤鉦に年代等を示す記銘があるのか、ないのか。
併せて平成26年に復活したサンハライ念仏の所作を拝見したく伺った。
早めに着いて久しぶりにお会いする阿波谷さんにご挨拶する。
お堂に上がってくださいと案内されてここで驚く。
受付をしていた一人の男性は顔馴染み。
しばらくぶりであったが、すぐに思いだした男性は中ノ川町で取材した当時の当屋五人衆の一人であった。
中ノ川町は徳融寺の檀家村ということだ。
この日の十夜会に参拝される檀家衆は多い。
十夜会が始まるぎりぎりいっぱいまで先祖供養願いに記帳していた。
その中に居られたⅠさんとも目が合った。
八島町念仏講の会長である。
行事取材に何度もお世話になっているご仁である。
受付を済ませた檀家衆が席につく。
およそ100人の檀家たち。
圧倒的に女性が多い。
私は念願の双盤鉦の調査にかかる。
本堂の灯りはどちらかといえば暗い。
目を凝らして鉦の刻印を判読する。
はっきり読み取れる刻印は「明治三十二年秋 徳融寺什物 第十三世道雄代 施主 木村庄平、絹谷幸二、上田善助、吉村長□」だった。
双盤鉦は4台ある。
一つずつ判読してみるが、どれもこれも同じ刻印のように思えた。
徳融寺の双盤鉦は比較的新しい。
これより古い鉦があったそうだが、先の大戦時において金属回収に協力した関係で木枠だけが残っているらしい。
同寺には二枚の伏し鉦があった。
記銘刻印を調べたかったが、そろそろ始まる時間に次回訪問の宿題としておこう。
一台の双盤鉦の木枠に略作法を書き示した紙を貼っていた。
一に、<撞木(しゅもく)回し>一同合掌・・鉦の上で円、均等10打・・リーダーカンカンだ。
二に、<三念仏>リーダー2回後、一同で2回・・ナンマイダー エー・・ナンマーイダアアエー・・ナンマーアイダー。
三に、<七つ鉦>一同黙して、くねらせ6打1・・。
四に、<責め鉦>一同鉦をこすりながら・・アンマイダーブツ・・子入堂・・正面一礼・・リーダーカンカン。
五に、<二ツ鉦>一同黙して、2打・・寝かせ・・子、礼盤3周・・リーダーカンカン。
六に、<三ツ鉦>一同黙して、3打・・3打目は跳ね上げ・・子、礼盤3周・・リーダーカンカン。
七に、<四ツ鉦>一同黙して、4方、くねらせ・・子、礼盤3周・・リーダーカンカン。
八に、<五ツ鉦>一同黙して、4方、くねらせ1打・・子、礼盤3周・・リーダーカンカン。
九に、<大流し>一同黙して、均等10打・・10打後・・リーダーがナンマイダー。
十に、<小流し>一同黙して、段々小さく打・・子退。
十一に、一同撞木おき、合掌で終える。
※リーダーは鉦打ち4人のリーダー。子はサンハライの踊り子である。
十夜法要に際して先祖回向。
菩提のため・・ナムアムダーナムアンダー ナームーアムアムアーダーアンブーに手を合わせる檀家たち。
先祖供養は申し込まれた先祖代々の名前に願主名を詠みあげる。
十日十夜の結願の日に法要念仏を申された。
阿波谷さんが書き記した十夜会のこと。
「十日十夜念仏会を略した十夜会。善根功徳の積みにくいこの世で十日十夜念仏すれば、善根功徳の積みやすい極楽浄土で千日間念仏するより利益が大きいとする無量壽経の教えに基づき、陰暦十月五日から十五日間、一般にはその結願にあたる十五日(阿弥陀仏成道の日)いちにちを十夜会として、檀家衆が菩提寺に集まって念仏を唱えておこもりをする」というわけだ。
結願の日は小豆で炊いたアカゴハンをいただく。
要は厄払いのアカゴハンであるが、徳融寺では後日(この年は11月18日)に行われる大和ご回在の日にアズキガユを振る舞っているそうだ。
徳融寺の案内によれば十夜会法要のあとは聖歌がある。
その次が同寺の伝統行事である子どもさんの厄除けサンハライ念仏踊り。
〆に上方落語もあると書いてあった。
今回のお目当てはサンハライ念仏だ。
阿波谷さんの他3人は先ほどまで導師が座っていた礼盤周りに配置した双盤鉦の席につく。
やがて大磬(キン)が打ち鳴らされる。
それを合図に背に寺紋のたばね綿を染め抜いた黒の法被を着た人たちがそれぞれの双盤鉦に座り合掌一礼。
左手で木枠の縁を押さえながら、撞木(しゅもく)回しの作法から始められた。
双盤の上で水平に円を描いて等間隔に10打する。
何度聞いても重厚さのなかに美しさをもった響きを奏でる双盤鉦に惚れ惚れするのである。
撞木回し、三念仏、七ツ鉦に続いて先に挙げた四番目の「責め鉦」のときだ。
一同が「アンマイダアブツ・・」を合唱。
撞木で双盤鉦面中央をこすりながら、低音でたたみかけるように合唱すれば、後門より舞台へサンハライを所作する子供たちが登場する。
サンハライの柄を両手に握って、胸前で小さく震わせながら、責め鉦に合わせて入堂する子供たちの先導は黒の素絹衣(そげんえ)を着た奈良町資料館の南哲朗館長さんだ。
本尊前に横一列に並んで正面一礼する。
それまではずっと鉦を打ち続ける。
続けて二ツ鉦、三ツ鉦、四ツ鉦、五ツ鉦。サンハライの踊り子たちは紅白の「払子(はいす)」を小刻みに震わせる、或は左右に振る、五打目で頭上に高く突きあげるような所作をしながら時計廻りに礼盤周りをそれぞれ3周する。
「払子(はいす)」は僧具の一つ。
元は蚊や蠅を追い払う実用品であったが、のちに煩悩、障害を払う法具とされ、浄土真宗を除く各宗派で用いられている。
また、サンハライは「桟払い」。
掃除の際に戸棚や障子の桟に積もった粉埃を払う、いわゆる「ハタキ」である。
災いは災(さい)。
サイ(災)を払いと語呂が通じることから厄祓いの具とされる。
五ツ鉦を終えたサンハライの踊り子たちは隊列のまま檀家たちの席に向かう。
そして一人ずつ、頭上からサンハライを振って厄祓いをする。
檀家たちでぎっしり埋まった隙間を通りながら厄祓い。
ありがたく手を合わせる。
その間の鉦打ちは大流し。
ナンマイダアアアエ、ナンマイダアアアエを繰り返し唱えながら鉦を打ち続けていた。
檀家たちの厄祓いを済ませたサンハライの踊り子たちは本尊前に並んで横一列の一礼。
振り返って檀家たちにも一礼すれば拍手喝采だ。
そして、〆の小流しに合わせて退場する。
踊り子たちは町内の小学生。
頭に水色のなげ頭巾を被った一休さんスタイル。
指導された南哲朗館長の話しによれば、この日、直前に教えただけだというから実に驚く。
双盤鉦の音色に合わせて作法を替えていたのことも知れば、さらに驚く、素晴らしき会得に感動した。
なお、鉦叩きは鉦講であった。
阿波谷さんの教えとかで、鉦打ちされたお一人にお聞きすれば一夜漬けと答える。
これもまたすばらしい感動ものであったことを付記しておく
(H27.11.14 EOS40D撮影)