神事を終えた氏子たちは座小屋で御供下げしたヒトギを食べると聞いていた。
訪れた地は度々お伺いする奈良市佐紀町の小字亀畑に鎮座する佐紀神社行事。
ヒトギはシトギが訛ったようだ。
シトギを充てる漢字は粢である。
亀畑佐紀神社の氏子は二条町の住民。
住まいはすぐ近くの神社寄りの西側に位置する。
氏子らが云うにはかつて神社は超昇寺があった山の上の方であったと伝わるらしい。
おそらくは鎮守社であったろう。
拝殿前に建之された狛犬に「文久三年(1863)九月吉日」とある。
天正六年(1578)、兵火に焼失しその後に再建したそうだが、そのときに移転したのかどうか、私は存知しない。
県内事例ではそれほど多くないシトギ御供・喰い。
同神社で行われているシトギ御供・喰いの年中行事は新嘗祭の他、祈年祭、宵祭、マツリがある。
私が拝見したシトギを食する県内事例は奈良市池田町・熊野神社(月並祭・御田植祭・八朔祭)、大和郡山市満願寺町・古田神社(お盆祭の住吉祭り・宵宮座・マツリ・新穀感謝祭)、天理市杣之内町木堂の八王子彼岸講のトヤ渡し)や奈良市柳生町山脇垣内の山の神(バラン)、御所市西佐味水野垣内の山の神がある。
食はしないが、御供する地域に天理市荒蒔町・勝手神社(神縄掛)、桜井市萱森・高龗神社(頭屋祭)がある。
ヒトギ(シトギ)はバランの葉の上に乗せて供える。
ヒトギは6、7年で廻ってくる3軒当番の人が作る。
昔は石臼で粳米を挽いていたが、今はするところがない。
お店で購入した上新粉をボールに入れて、沸かしたお湯を注ぐ。
温度はお風呂と同じぐらいというから43度辺りだろうか。
混ぜた上新粉を手でこねる。
耳たぶ程度の柔らかさになれば小判型に調えてバランに乗せる。
残った上新粉は団子にして食べるという。
数年前に訪れた際、長老らが話した作り方は「家で米を挽いて粉にする。水に浸して塗りの椀に盛って供える」だった。

この日は小雨だった。
神事が始まるころには降りも強くなってきた。
本来なら祓戸社で祓の儀を行うのであるが、雨を避けてとりやめた。

座小屋に掛けた幕は昭和拾年一月に新調されたもの。
白抜き染めの紋は下がり藤。
春日大社と同じような形式をもつ紋である。
この日の行事は正装のスーツ姿。
座入りした男性は拝殿に上がれるが、女性は拝殿下で見守る。
いつもそうしている。
かつては一老と呼ぶ長老を筆頭に、二老、三老・・・八老までの八人衆と下に六人衆からなる宮座があった。
50年ほど前のことだと話していたことを覚えている。

座小屋に一枚の記念写真があった。
「昭和13年4月神社八人衆連名祈念」とあるから80年余り前の様相を示す記録写真だ。
当時は、一老が村神主を勤めていたと話していたことも判る写真である。

神事は修祓、献饌、祝詞奏上、長老の玉串奉奠。

撤饌をし終えたら場を移動する。
石段、鳥居下に建つ弁財天社に於いても神事が行われる。

神饌を献じて玉串奉奠。
そして、神社に戻るかと思って石段を登りかけたが、そうではなかった。
雨がしとしと降るなか神職を先頭に氏子らは並んで佐紀神社より離れる。
北に向けて100mほど。
森の中に入っていく。
そこにあった社はゴマンドウ。
充てる漢字は護摩堂だ。
平成14年9月28日に屋形を新築した護摩堂は「二条の宮さん」とも呼ばれている。

境内にある石碑は永禄十一年(1568)の建之。
どうやら前期超昇寺(後期は廃佐紀幼稚園南側)の遺構になる護摩堂である。

ここでも神饌を供えて神事が行われた。
雨が降りやまない。
傘もささずに往復したのであった。
神事が終われば座中は座小屋にあがる。
座は西の座、東の座に分かれて座る。
初めに年番の人が折敷を席に置く。

お神酒は上座の神職、次に東の座の長老、西の座の長老の年齢順についた座中一人ずつにお神酒を注ぐ。
乾杯をすることなく、注がれた順にお神酒を飲み干す。
まずは一献ということだ。
ひと回りすれば熱燗に替わる。
これもまたひと回りして酒を注ぐ二献目。
こうして「献」の儀が終われば、御供下げしたヒトギ(※シトギ)を箸で摘まんで席に配る。

次にお重詰めしていた酒の肴を配る。
西大寺駅すぐ近くの近鉄百貨店・大寅蒲鉾奈良店で買った上等のヒラテン、キクラゲテン、ネギ焼きテンなどの魚練りテンを皿に盛る。
肴は主に上等もんの練りテン。
それを口にする直会は酒が進む。
「貴方も食べてみんと判らんやろ」と云われて、ヒトギ(※シトギ)と練りテンをいただく。

練りテンは以前に伺った節分の日によばれたから味は覚えている。
さすがに上等もんは美味しい。
肝心かなめのシトギの味である。
箸で摘まんで口に入れる。
柔らかく、粉っぽいシトギは粘り気がある。
米の味ではなく、どちらかと云えば団子の味に近い。
そりゃそうだと思った。
シトギの原材料は上新粉である。
かつて大和郡山市の満願寺町・古田神社の新穀感謝祭でシトギを口にしたことがある。
御供下げしたシトギは素焼きのカワラケにあった。
カラカラに乾いたシトギはカタクリのように思えたが、味は米の味そのものだった。
すり鉢に一握りの粳米を入れて水を足す。
ドロドロになるまでスリコギで擦り潰してカワラケに盛る。
そして平らに浸して一晩おく。
水分がなくなったシトギは型崩れもしない固さになる。
材料もそうだが、作り方も違うから味も違うということだ。
(H27.11.23 EOS40D撮影)
訪れた地は度々お伺いする奈良市佐紀町の小字亀畑に鎮座する佐紀神社行事。
ヒトギはシトギが訛ったようだ。
シトギを充てる漢字は粢である。
亀畑佐紀神社の氏子は二条町の住民。
住まいはすぐ近くの神社寄りの西側に位置する。
氏子らが云うにはかつて神社は超昇寺があった山の上の方であったと伝わるらしい。
おそらくは鎮守社であったろう。
拝殿前に建之された狛犬に「文久三年(1863)九月吉日」とある。
天正六年(1578)、兵火に焼失しその後に再建したそうだが、そのときに移転したのかどうか、私は存知しない。
県内事例ではそれほど多くないシトギ御供・喰い。
同神社で行われているシトギ御供・喰いの年中行事は新嘗祭の他、祈年祭、宵祭、マツリがある。
私が拝見したシトギを食する県内事例は奈良市池田町・熊野神社(月並祭・御田植祭・八朔祭)、大和郡山市満願寺町・古田神社(お盆祭の住吉祭り・宵宮座・マツリ・新穀感謝祭)、天理市杣之内町木堂の八王子彼岸講のトヤ渡し)や奈良市柳生町山脇垣内の山の神(バラン)、御所市西佐味水野垣内の山の神がある。
食はしないが、御供する地域に天理市荒蒔町・勝手神社(神縄掛)、桜井市萱森・高龗神社(頭屋祭)がある。
ヒトギ(シトギ)はバランの葉の上に乗せて供える。
ヒトギは6、7年で廻ってくる3軒当番の人が作る。
昔は石臼で粳米を挽いていたが、今はするところがない。
お店で購入した上新粉をボールに入れて、沸かしたお湯を注ぐ。
温度はお風呂と同じぐらいというから43度辺りだろうか。
混ぜた上新粉を手でこねる。
耳たぶ程度の柔らかさになれば小判型に調えてバランに乗せる。
残った上新粉は団子にして食べるという。
数年前に訪れた際、長老らが話した作り方は「家で米を挽いて粉にする。水に浸して塗りの椀に盛って供える」だった。

この日は小雨だった。
神事が始まるころには降りも強くなってきた。
本来なら祓戸社で祓の儀を行うのであるが、雨を避けてとりやめた。

座小屋に掛けた幕は昭和拾年一月に新調されたもの。
白抜き染めの紋は下がり藤。
春日大社と同じような形式をもつ紋である。
この日の行事は正装のスーツ姿。
座入りした男性は拝殿に上がれるが、女性は拝殿下で見守る。
いつもそうしている。
かつては一老と呼ぶ長老を筆頭に、二老、三老・・・八老までの八人衆と下に六人衆からなる宮座があった。
50年ほど前のことだと話していたことを覚えている。

座小屋に一枚の記念写真があった。
「昭和13年4月神社八人衆連名祈念」とあるから80年余り前の様相を示す記録写真だ。
当時は、一老が村神主を勤めていたと話していたことも判る写真である。

神事は修祓、献饌、祝詞奏上、長老の玉串奉奠。

撤饌をし終えたら場を移動する。
石段、鳥居下に建つ弁財天社に於いても神事が行われる。

神饌を献じて玉串奉奠。
そして、神社に戻るかと思って石段を登りかけたが、そうではなかった。
雨がしとしと降るなか神職を先頭に氏子らは並んで佐紀神社より離れる。
北に向けて100mほど。
森の中に入っていく。
そこにあった社はゴマンドウ。
充てる漢字は護摩堂だ。
平成14年9月28日に屋形を新築した護摩堂は「二条の宮さん」とも呼ばれている。

境内にある石碑は永禄十一年(1568)の建之。
どうやら前期超昇寺(後期は廃佐紀幼稚園南側)の遺構になる護摩堂である。

ここでも神饌を供えて神事が行われた。
雨が降りやまない。
傘もささずに往復したのであった。
神事が終われば座中は座小屋にあがる。
座は西の座、東の座に分かれて座る。
初めに年番の人が折敷を席に置く。

お神酒は上座の神職、次に東の座の長老、西の座の長老の年齢順についた座中一人ずつにお神酒を注ぐ。
乾杯をすることなく、注がれた順にお神酒を飲み干す。
まずは一献ということだ。
ひと回りすれば熱燗に替わる。
これもまたひと回りして酒を注ぐ二献目。
こうして「献」の儀が終われば、御供下げしたヒトギ(※シトギ)を箸で摘まんで席に配る。

次にお重詰めしていた酒の肴を配る。
西大寺駅すぐ近くの近鉄百貨店・大寅蒲鉾奈良店で買った上等のヒラテン、キクラゲテン、ネギ焼きテンなどの魚練りテンを皿に盛る。
肴は主に上等もんの練りテン。
それを口にする直会は酒が進む。
「貴方も食べてみんと判らんやろ」と云われて、ヒトギ(※シトギ)と練りテンをいただく。

練りテンは以前に伺った節分の日によばれたから味は覚えている。
さすがに上等もんは美味しい。
肝心かなめのシトギの味である。
箸で摘まんで口に入れる。
柔らかく、粉っぽいシトギは粘り気がある。
米の味ではなく、どちらかと云えば団子の味に近い。
そりゃそうだと思った。
シトギの原材料は上新粉である。
かつて大和郡山市の満願寺町・古田神社の新穀感謝祭でシトギを口にしたことがある。
御供下げしたシトギは素焼きのカワラケにあった。
カラカラに乾いたシトギはカタクリのように思えたが、味は米の味そのものだった。
すり鉢に一握りの粳米を入れて水を足す。
ドロドロになるまでスリコギで擦り潰してカワラケに盛る。
そして平らに浸して一晩おく。
水分がなくなったシトギは型崩れもしない固さになる。
材料もそうだが、作り方も違うから味も違うということだ。
(H27.11.23 EOS40D撮影)