「あからがしら」と呼ぶ行事がある天理市の荒蒔。
祭事の場は勝手神社だ。
奇妙で不思議な呼び名の「あからがしら」とは一体、何ぞえ、である。
度々、訪れる荒蒔の村行事に村人誰一人も知らないとう謎めいた神事は午後1時から始まる。
集まる人たちは神社五人衆に當家、氏子衆。
この行事のお供えは予め神饌所に並べられていた。
始まる直前に無理を云って撮らせてもらった。
前列は6枚の折敷に盛った蒸し餅米。
小豆を入れて作った蒸し餅米はセキハンと呼んでいる。
うち4枚それぞれには柳の枝で作った箸を添えている。
蒸し餅米は10月1日の朔日座にも供えるが、セキハンではなく白飯だ。
また、1月12日に行われるケイチンの御供も蒸し飯ではなく、粳米の炊きご飯である。
もしかとすれば、このセキハン御供の蒸し餅米が「あからがしら」と呼ぶのだろうか。
お供えは巻き昆布、スルメ、チクワもあるが、もう2品ある。
一つはクロメである。
クロメは1月10日のカンジョウカケや1月12日のケイチン、10月1日の朔日座にも登場する。
もう一品は皮を剥いだ生のサトイモに白大豆を煮てすり潰したものをちょこんと乗せている。
このすり潰した白大豆を「ユキ」と呼んでいる。
もしかとすればこれが「あからがしら」ではないだろうか。
荒蒔の年中行事のなかで、この日の「あからがしら」行事にしか登場しない御供である。
シリーズ「てんりの昔ばなし」に天理市岩屋町の「あからがしら」がある。
要約すれば「その昔、岩屋町の山奥に「あから」と呼ぶ不思議な獣がいた。ある年の旧暦11月1日(現在の12月1日)、山奥に住んでいた「あから」が里に下りてきた。「あから」は、岩屋から石上(いそのかみ)の川を下って櫟本(いちのもと)から田部、上総(かんさ)、指柳(さしやなぎ)、喜殿(きどの)、六条、八条を越えて大和郡山市の額田部まで。川筋にあった野のものを食べ尽した。そんなことがあった村々では、「あから」が暴れないように「あから」の頭(かしら)などを供えて祭っていた」である。
荒蒔のお供えにサトイモがあった。
サトイモはカシライモとも呼ばれることが多い。
大きなカシラライモ(頭芋)に子株がたくさんつく。
子孫繁栄を願って御供にする地域がある。
サトイモの茎はズイキの呼び名がある。
そのズイキには色から云って赤ズイキと青ズイキがある。
推測であるが、この「赤ズイキ」のカシライモが「あからがしら」ではないだろうか。
そういえば顔が火照ってほっぺが赤い顔を「あから顔」と云う場合がある。
暴れる獣と「あから顔」とは一切の関係はない。
とにかく何?である「あからがしら」。
昔話に登場する襲った獣は何である。
村々が育てたカシライモを食い荒らしまわった獣はたぶんにイノシシ。
決して顔は赤くはないが、「赤いカシライモ」が植わっている畑を食い荒らす名人を例えてイノシシをそういう名で呼んだのだろうか。
「あからがしら」行事に特別な所作はない。
神職は登場せず、村神主が参籠所に座っている村人に修祓をするだけだ。
尤も、神饌は順番に並んだ氏子たちが手渡しで社殿に供える。
勝手神社は四社ある。
二社が坐ます中央本殿。
東ノ大宮が勝手社。
左の西ノ大宮は子守社である。
本殿の他にも小社がある。
東ノ小宮は石上社。
左手の西ノ小宮は葛社。
本社、小宮のそれぞれにセキハンと呼ぶ蒸し餅米を供える。
小宮には見られないが、本社には柳の木で作った箸を添えてある。
一方、同時並行で供える処がある。
参籠所の左手に建つ観音堂。
拝殿前に建つ「ジュウラク(ジュラシキの名もある)」にも供える。
「ジュウラク」は「ジュラクサン」とも呼んでいる。
「ジュウラク」の言い回しから推定するに「じゅうらせつにょ」であると考えられる。
奈良市中畑町に毘沙門堂がある。
本尊が安置されている本堂に脇侍仏がある。
村の人が云うには、それは子供の守り神として信仰される「ジュラクサン」だ。
鬼子母神とともに仏説法に接し、法華行者を守る眷属として仕えた十羅刹女である。
中畑の「ジュラクサン」から類推するに、荒蒔の「ジュウラク」も十羅刹女とするのが妥当ではないかと考えたが・・・知る人はこの場にいない。
献饌はされたものの、しばらくの間は御供下げをしない。
頃合いを見計らって下げるのである。
一同揃っての拝礼もなく神事を終えたら直会に移る。
いつもと同じようにスルメ一匹にチクワのセット。
昆布は鋏で切り分ける。
お神酒を注いで乾杯だ。
「あからがしら」行事を終えた後日に近々の行事がある。
一年間も當家の役目を務めた家は次の當家に受け継がれる。
それを「當家渡し」と呼ぶ。
いつにするかは皆で決める。
この年は土曜日の12月5日に決まった。
その日も直会がある。
年に一度は豪華に直会をしてみてはどうかと意見が出て協議する。
結果は大和郡山市八条町にある鰻料理で有名な「綿宗(わたそう)」だ。
「綿宗」は天理市の二階堂の街道(古来は下ツ道)沿いにある老舗店。
意見が決まれば早速の手配。
次の當家になるご仁は電話を架けてセッテイングされた。
(H27.12. 1 EOS40D撮影)
祭事の場は勝手神社だ。
奇妙で不思議な呼び名の「あからがしら」とは一体、何ぞえ、である。
度々、訪れる荒蒔の村行事に村人誰一人も知らないとう謎めいた神事は午後1時から始まる。
集まる人たちは神社五人衆に當家、氏子衆。
この行事のお供えは予め神饌所に並べられていた。
始まる直前に無理を云って撮らせてもらった。
前列は6枚の折敷に盛った蒸し餅米。
小豆を入れて作った蒸し餅米はセキハンと呼んでいる。
うち4枚それぞれには柳の枝で作った箸を添えている。
蒸し餅米は10月1日の朔日座にも供えるが、セキハンではなく白飯だ。
また、1月12日に行われるケイチンの御供も蒸し飯ではなく、粳米の炊きご飯である。
もしかとすれば、このセキハン御供の蒸し餅米が「あからがしら」と呼ぶのだろうか。
お供えは巻き昆布、スルメ、チクワもあるが、もう2品ある。
一つはクロメである。
クロメは1月10日のカンジョウカケや1月12日のケイチン、10月1日の朔日座にも登場する。
もう一品は皮を剥いだ生のサトイモに白大豆を煮てすり潰したものをちょこんと乗せている。
このすり潰した白大豆を「ユキ」と呼んでいる。
もしかとすればこれが「あからがしら」ではないだろうか。
荒蒔の年中行事のなかで、この日の「あからがしら」行事にしか登場しない御供である。
シリーズ「てんりの昔ばなし」に天理市岩屋町の「あからがしら」がある。
要約すれば「その昔、岩屋町の山奥に「あから」と呼ぶ不思議な獣がいた。ある年の旧暦11月1日(現在の12月1日)、山奥に住んでいた「あから」が里に下りてきた。「あから」は、岩屋から石上(いそのかみ)の川を下って櫟本(いちのもと)から田部、上総(かんさ)、指柳(さしやなぎ)、喜殿(きどの)、六条、八条を越えて大和郡山市の額田部まで。川筋にあった野のものを食べ尽した。そんなことがあった村々では、「あから」が暴れないように「あから」の頭(かしら)などを供えて祭っていた」である。
荒蒔のお供えにサトイモがあった。
サトイモはカシライモとも呼ばれることが多い。
大きなカシラライモ(頭芋)に子株がたくさんつく。
子孫繁栄を願って御供にする地域がある。
サトイモの茎はズイキの呼び名がある。
そのズイキには色から云って赤ズイキと青ズイキがある。
推測であるが、この「赤ズイキ」のカシライモが「あからがしら」ではないだろうか。
そういえば顔が火照ってほっぺが赤い顔を「あから顔」と云う場合がある。
暴れる獣と「あから顔」とは一切の関係はない。
とにかく何?である「あからがしら」。
昔話に登場する襲った獣は何である。
村々が育てたカシライモを食い荒らしまわった獣はたぶんにイノシシ。
決して顔は赤くはないが、「赤いカシライモ」が植わっている畑を食い荒らす名人を例えてイノシシをそういう名で呼んだのだろうか。
「あからがしら」行事に特別な所作はない。
神職は登場せず、村神主が参籠所に座っている村人に修祓をするだけだ。
尤も、神饌は順番に並んだ氏子たちが手渡しで社殿に供える。
勝手神社は四社ある。
二社が坐ます中央本殿。
東ノ大宮が勝手社。
左の西ノ大宮は子守社である。
本殿の他にも小社がある。
東ノ小宮は石上社。
左手の西ノ小宮は葛社。
本社、小宮のそれぞれにセキハンと呼ぶ蒸し餅米を供える。
小宮には見られないが、本社には柳の木で作った箸を添えてある。
一方、同時並行で供える処がある。
参籠所の左手に建つ観音堂。
拝殿前に建つ「ジュウラク(ジュラシキの名もある)」にも供える。
「ジュウラク」は「ジュラクサン」とも呼んでいる。
「ジュウラク」の言い回しから推定するに「じゅうらせつにょ」であると考えられる。
奈良市中畑町に毘沙門堂がある。
本尊が安置されている本堂に脇侍仏がある。
村の人が云うには、それは子供の守り神として信仰される「ジュラクサン」だ。
鬼子母神とともに仏説法に接し、法華行者を守る眷属として仕えた十羅刹女である。
中畑の「ジュラクサン」から類推するに、荒蒔の「ジュウラク」も十羅刹女とするのが妥当ではないかと考えたが・・・知る人はこの場にいない。
献饌はされたものの、しばらくの間は御供下げをしない。
頃合いを見計らって下げるのである。
一同揃っての拝礼もなく神事を終えたら直会に移る。
いつもと同じようにスルメ一匹にチクワのセット。
昆布は鋏で切り分ける。
お神酒を注いで乾杯だ。
「あからがしら」行事を終えた後日に近々の行事がある。
一年間も當家の役目を務めた家は次の當家に受け継がれる。
それを「當家渡し」と呼ぶ。
いつにするかは皆で決める。
この年は土曜日の12月5日に決まった。
その日も直会がある。
年に一度は豪華に直会をしてみてはどうかと意見が出て協議する。
結果は大和郡山市八条町にある鰻料理で有名な「綿宗(わたそう)」だ。
「綿宗」は天理市の二階堂の街道(古来は下ツ道)沿いにある老舗店。
意見が決まれば早速の手配。
次の當家になるご仁は電話を架けてセッテイングされた。
(H27.12. 1 EOS40D撮影)