マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

二度目の入院は9日目に退院

2016年08月27日 11時38分55秒 | むびょうそくさい
今朝の体重は67.2kg。

体温は36.2度だ。

脈拍はまたもや下がって37拍になった。



8時50分、Y医師による入院最後の往診。

就寝中の脈拍は20拍台になっていたという。

低下がみられるものの、本人が苦しさもしんどさも感じなければ特に問題とするものではないという。

実は、私が当病院に入院すると聞いたおふくろが体調不調に陥っていた。

8日に我が家で晩食を堪能したおふくろは翌日の9日朝に嘔吐をし出した。

元気もなく住まいする地元のU診療所で診察を受けて点滴処置をした。

その後も吐き気や嘔吐が続く毎日であった。

この日に私は退院するが、おふくろは絶不調だ。

14日にはこれもまた在住する地元のT病院に移して循環器医師に看てもらった。

その日は点滴に加えて浣腸も施した。

つまり、である。

撮った腹部レントゲンを視た医師が云った。

溜まった便で全体を覆うよう真っ黒け状態に下剤を飲ませて浣腸したらしい。

体内に残留した便はあまりにも多い。

遅ければ腸閉塞に陥ったかもしれないと医師が云ったそうだ。

その医師は7月に私が入院したときの主治医だった。

15日の夜は泊まっている我が家で浣腸をした。

本人自身はできない身体だけにかーさんが支援したそうだ。

16日も病院行き。

3度目の浣腸をしたらしい。

このままでは回復の見込みはないと思ったかーさん。

すがるように電話をしてきた。

ここの病院を止めて私が入院している病院に連れて行ってほしいと云うのだ。

ストレスは溜まって爆発した発想は転院であるが、それは可能なのか、病院に問合せをしてほしいという電話だった。

実はと切りだして、それとなく相談したY医師の回答は紹介状さえあれば当院の診察が可能、飛び込みであれば不可と断言される。

飛び込みであれば、なにかととやかく細かい一部始終を問診する。

それから検査、治療になるが、住まいが奈良ではないおふくろ。

直の受付はしないだろうという。

望ましいのは処置されている現病院で紹介状を書いてもらうことだ。

ここに至るまでの経緯や身体状態も掴んでおられる医師が伝える紹介状があれば、早めの対応ができるのだ。

相談にのってもらったことを感謝するとともに、回答をかーさんに伝える。

電話口の様子ではなんとなく落ち着いたように感じた。

最後に対応してくださったI看護師にさまざまな退院手続きをしてもらう。

退院後の次回受診は12月24日。

受診科は心臓血管外科だ。

その日は心臓リハビリもある。

ナースステーション預かりだったロキソニンとアーチストは返却された。

退院後も服用することはないが持ち帰るが、アンカロンは返却もなく病院側で処分するらしい。

9時、K医師がナースステーションにおられたので声をかけて退院のお礼・挨拶をする。

すぐさま調べられた私の脈拍値。

39~42拍辺りをチョロチョロしている。

身体的異状もなく、目まいやしんどさも感じない状況ではほぼ正常であるかもしれないという。

ただ、車の運転は絶対しないほうが良いと云う。

脈拍は遅かれ早かれのうちに45~50拍になるだろう。

アンカロンの効き目が緩んで消えていけば上昇するであろうと云われる。

ちなみに退院後服用の薬剤は次のとおり。

1mg錠剤と0.5mg錠の2種のワーファリン、鉄分補給剤のフェログラデュメット、胃薬のネキシウムカプセル、軟便薬のマグミットの4品種・5品目である。

ちなみに入院期間中に利用したテレビカードの枚数を数えてみたら4枚だった。

1枚が千円だから合計金額は4千円であるが、退院日に最後に利用していたカードは機械で残金清算できる。

コインがバラバラと落ちた8百円ほど。

差額計算すれば今回の入院で視聴したテレビ利用料は3千2百円だった。

かーさんはおふくろ対応で病院行き。

退院を迎えて送るのは次男がしてくれる。

前回の退院時は隣家の旦那さんが迎えてくれた。

今回はお願いすることもなく、次男が助けてくれる。

ありがたいことである。

停めてあった無料駐車場まで歩いていく。

とぼとぼ歩くことしかできない身体になった。

8月半ばに退院したときと同じような状態である。

右手にあるのは有料駐車場。

診察などで午前中の時間帯に利用する場合は、ここに停める。

ここより歩いて数百メートルに外来棟がある。

信号を渡れば着く。



午後の診察であれば外来棟の奥にある有料駐車場に停める。

いつもそうしているよろづ病院の駐車場だが、無料があるとは知らなんだ。

右に示す有料駐車場の位置はかーさんが知っている。

案内されてここに来たら「無料」の看板が目に入った次男。

入院している場合の見舞いはここが利用できる。

ただし、だ。

ここは豊田東駐車場。



特別なことがなければ利用できるが、平日の月曜から金曜までの午前8時半から午後4時半までだ。

土曜日、日曜日、祝日などの他に教団イベントがある場合は利用できない。

また、毎月の25日から27日は帰参者専用となるので利用できない。

空いている日だけを利用させてもらっているありがたい無料駐車場は時間ともなれば扉は締められて施錠される。

(H27.12.16 SB932SH撮影)

二度目の入院8日目

2016年08月27日 11時25分17秒 | むびょうそくさい
今朝の体重は66.8kg。

体温は36.3度だ。

脈拍はぐんと下がって38拍になった。

8時、ナースステーション前で採血する。

夜間看護師の話しによれば、就寝時は一時的と思われる低い脈拍があったという。

その値は20拍台。

たぶんにロングターム(徐脈)の不整脈が発生したのであろう。

夜間に数回あったが、7時50分の脈拍では48に改善されていたようだ。

どれどれと思って計測した足の甲測定では38だった。

元に戻っとるやないか。



8時50分、Y医師の往診。

昨日はP波が見られたが、今は消えている。

後ろのQRS波とT波の信号回路の方が勝っている。

が、しんどくない限り、特に支障があるというものでもない。

本日夕刻にある検査項目に心外科とあるが、それは退院後の次回診察日を決める相談だけだそうだ。

その時間帯であれば、Y医師も状況を心外科医師に伝えたいという。

Y医師が気にかけていたヘモグロビンの値は9.8になっているという。

鉄分補給の点滴と薬剤が効いているようだ。

ヘモグロビンの基準値は12以上。

この際だからと云って、泌尿器科の医師に手紙を書いておくので、ご自身で予め診察できる日を設定して受診してくださいと伝えられた。

診察日は一か月過ぎても構わない。

ご自身で決定してくださいというわけだ。

9時10分、移動式の心電図器械で計測される。

収集したデータはパソコンから電波を飛ばしているので直視はできない。



それが済んだらベッドシーツの交換だ。

週に一度の交換はO介護士さん。

毎日のように食事を運んでくれていた介護士さんだった。



13時、頃合いを見計らって勤務先の相方ドライバーに現状を伝え、脈拍が正常値になるまでは運転ができない旨を話して代替をお願いした。

併せて勤務先の院長にも代替、運転不可の状態を伝える。

復帰は来週どころか正常になるにはアンカロンの効き目がなくなる3カ月後になりそうだと伝えた。

送迎者を乗せて走り回るドライバー職の脈拍数は40拍以下であれば、運転は禁じられていると伝えた。

了承されるが、相方にガンバッテもらうしかなく、申し訳ないのだ。

変化があれば両者とも連絡すると伝えって電話を切った。

13時半、やっとこさレントゲン撮影の呼び出しがあった。

歩くことはできるが、途中で倒れられては困るということでO介護士が押す車イスに載せられて移動する。

場所は入院棟の1階だった。

朝の8時から待っていたレントゲン撮影は1分もかからなかった。

15時48分、心外科医師が来られて退院後の診察日(12月24日)を確定された。

循環器内科の外来診察日は正月明けの1月12日。

ずいぶん先になる。

15時55分、退院にあたって入院時の対応など病院側に伝えるアンケートにいろいろ答えて記入した。

特に処置の歓びと感謝である。

主治医、看護師、介護士など、さまざま人たちによって支えられてきた入院生活。

退院にあたっても適正なアドバイスもあり、ほんとうに感謝している。

16時40分、K医師の往診。

一旦は退院されて外来で様子を看ていきたいと話す。

17時10分、Y医師による僧帽弁成形術並びに経皮的カテーテル心筋焼灼(しょうしゃく)術の解説があった。

この日のためにかーさんも同席する。

術後は心房、心室、肺、僧帽弁などが普通に動きだしたが、心房側に不整脈・心房細動が発症した経緯を説明される。

一に、僧帽弁逸脱による弁膜異常(うっ血性心不全・僧帽弁閉鎖不全症/僧帽弁閉鎖不全症)を除去する手術において心房細動のメイズ手術が行われた。

7月31日のことである。

退院後も発症していた不整脈・心房細動。

1分間に350回も振動していたそうだ。

特に右側の心房が不整脈に陥っていた。

心臓の働きを改善する薬剤を服用する。

主に心不全悪化予防のアーチスト錠と心臓の拍動抑え・不整脈改善するアンカロン錠だ。

心房粗動によって脈拍は110~100拍に達していた。

二に、今回の処置であるアブレーションカテーテルによって心房粗動を除去した。

一の手術、二の処置とも良好に行われたが、である。

三に、今回の入院時に服用を中止した薬剤の作用である。

電気回路の発生と流れを抑制する薬剤である。

休んでいた電気信号を発生する回路の洞結節はプロタノールやプレドバ200点滴によって復活しかかった。

自主的に作動する自身の電気回路発電(P波)が出現しかかっていた。

ところが、その行為を抑止する房室接合部である。

発症した不整脈を改善することを目的にアーチストやアンカロン薬によって人工的に房室接合部を発電させていた。

アブレーションカテーテル処置によって体内自身による電気回路発電が作動する、はずだった。

はずだったというのはそうなるであろうということだ。

あろうつもりが発電しない洞結節。

薬剤投与を止めても効き目が残るアンカロン薬。

残留する効き目が洞結節発電を抑止低下させて機能不全に陥ったのである。

脈拍は38~42程度であるが、身体的なしんどさ、苦しさ、息苦しさはまったく感じないのだ。

血圧と同じように人によっては高めが正常、逆に低めでも正常というケースは多々ある。

基準数値はこうでなければ、というものがない。

尤も症状がキツくなった高血圧症や低血圧症の方は薬剤投与で制御する必要はあるが、だ。

脈拍も同じように高めであっても正常、逆に低めであっても正常の人がいる。

これまでずっと生きてきた私は後者に相当する。

高校生ぐらいまでは貧血でめまいを起こすこともままあったが、成人になってからはほぼ皆無だ。

だいたいが60~50拍の間だ。

たまにドキドキするときがある。

そのときの脈拍はほぼ70拍である。

70拍ぐらいならまったく異常をみない人もいることは存じている。

低脈拍であっても正常な人も少なからずおられる。

それぞれの基準が違っていても普段の生活には影響を与えない脈拍であるが、怖いのは脈切れである。

ロングタームの脈(徐脈)も怖い。

これらが発生したときは目まいを体感するのだ。

一時的な目まいが続くようであれば死に至ることもある。

アンカロンの体内残存薬効能は停止したあとも3カ月間も続く。

その間、低脈拍だった脈拍は残存効能が徐々に薄れていく。

それにつれて脈拍は上昇するはずである。

上昇した脈拍が普段に戻る50~60拍台になればまったく問題はないらしい。

退院して自宅で経過観察をする日が始まる。

観察の要点は異状を感じることである。

なかでも自己が感じる症状によって緊急性を要するものがある。

心不全は心臓の馬力を下げる点だ。

一つは息切れ、浮腫み、一時的目まいなどの異状を感じることだ。

二つ目は目まい以上の失神、或は前失神である。

脈が遅くなれば気を失いかねない。

人によって脈拍数の基準値は異なる。

仮に20~30拍内の脈拍数であれば、4秒間の心臓停止で目まいがある。

7秒間であれば気を失うのだ。

1、2回の発症で、すぐに復帰する場合は問題ないが、連続する場合は急がれる。

房室接合部調律・洞調律の発症があれば、直ちに入院・処置した病院・循環器内科に連絡、指示を仰ぐことである。

二つ目の場合は救急である。

現時点の状況であれば発症はないと思えるが断定はできない。

いずれにしても車の運転は控えるべし・・ということだ。

さらに薬剤の効き目がなくなる3カ月後のことである。



翌年の2月末から3月初めにかけても脈拍数が正常値に戻らない場合もあるらしい。

そうとなれば身体皮膚内に植込むペースメーカーの装着だ。

あくまで可能性のことであるか、万が一とも思っておいたほうがいいだろう。

また、経過観察中において貧血症状がある場合は、Y医師から手渡されたお手紙を当院の消化器系内科に持参し診察を受けてください、ということだ。



日にちを決定するのは私自身の都合のいい時で構わないが、できたら1カ月ぐらいが望ましいようだ。

(H27.12.15 SB932SH撮影)

二度目の入院7日目

2016年08月27日 11時16分31秒 | むびょうそくさい
今朝の体重は67.0kg。

体温は36.7度だ。

脈拍は昨日と同様の54だ。

8時10分、ナースステーション前で採血する。



10時40分、Y医師の往診。

プロタノールの流量を3から2に下げて状況を看ていたが、これ以上の対応をしても見込みは見られず、である。

というのも、一旦は自己発生していたP波が消えてしまったのだ。

全面的に消えたわけではなく、出現しては消える、を繰り返すのである。

つまりだ。自己発生P波はまだ安定しないのである。

前回退院後の4カ月間も服用していたアンカロンの効き目が体内に残っている。

安定しない状態で、このまま脈拍が低空飛行を続けていても正月を病院で過ごすことになる。

脈拍は低くてもしんどさを感じない私の身体。

目まいもない状態で入院をし続けても埒があかない。

院内で状況を観察するよりも退院して、普段の生活に戻って、P波の出現具合を経過観察するということになる。

点滴のプロタノールはこれをもって中止とし、外した状態でP波を検出することになった。

明日も血液検査や心電図がある。

その結果をもって16日に退院する方向となった。

平坦歩行が可能であれば、心リハビリも可能である。

退院直後のリハビリは避けて予約日を一週間遅らす。

血管外科医師の診察についても担当医師と相談することになった。

11時、再点滴の可能性もあるので一針は残してシャワー入浴を許可する。

11時20分、病室持込の移動式心電図検査があった。

終わった直後に看護士が走ってきた。

ナースステーションで見ていたら脈拍が下がったというのだ。

足の甲検査では42脈拍だ。

点滴のプロタノールを外したとたんにこういう値になるのだが、しんどさは感じないし、めまいもない。



14時20分、Y医師の往診。

心電図検査の結果では脈拍値は30拍台後半になっていたという。

その値であれば、車事故を未然に防ぐため、医師としては運転を禁じるのである。

特に職業ドライバーで人を搬送するような運転手は、乗員の安全確保のために運転はしてはならない、というわけだ。

ただし、だ。

健康体だったころの私の脈拍は50~60拍だった。

どちらかといえば低いほうで、ドキドキ感があった場合でも70拍ぐらいだった。

40拍前後でもしんどさを感じないのはもって生まれた身体なのであろうと医師は話す。

40拍前後であれば運転禁ず。

50拍台であれば、完全とは云わないが、問題はないと判断するということだ。



14時30分、前回入院していたときの主治医も病室に来られた。

退院後も心リハビリで度々お会いし状況を伝えてきたK循環器医師である。

心電図結果の脈拍は38拍だった。

低い数値であるにも関わらず目まいは発症しない。

術後の心リハビリでは不整脈が発生していたが、現在は見られない。

目まいが起きるのは長いタームの脈(徐脈)が出た場合である。

今のところ、それは発生していないというが、安全を見越して現状の脈拍値であれば運転ができないと伝えられた。

アンカロン薬の効き目は脂肪に行き亘っている。

脂肪に入ったアンカロンは溶けるまで相当な時間がかかる。

残留しながらも効果を発揮するである。

ゆうに3カ月も要するアンカロン薬にあんちくしょうだ。

低い脈拍で、目まいなどの異常が発生せずに、数週間も経過する場合は運転可能であるが、決断はし難い。

この日の足甲脈拍取りは54(8時)、52(9時)、42(11時)、44(13時)、45(15時)、45(19時)。

傾向的には宜しいという感じで推移する。

16時、目まいも特になくしんどさも感じないことからシャワー入浴が許可された。

6日ぶりの入浴はとても気持ちが良い。

生きている体感がある。



午後から気になったナースコールボタン。

なにも押していないのに点滅するのだ。

夜間になってもそれが発生する。

何であるのかT看護師さんに聞いた。

誰かが押しているわけでもなく、異状を感知して発信している点滅の正体は不整脈(低脈拍値)を検知し警告しているのである。

なんとなく、であるが、設定値は38拍辺りであろうと思った。

(H27.12.14 SB932SH撮影)

二度目の入院6日目

2016年08月27日 10時42分48秒 | むびょうそくさい
今朝の体重は67.2kg。

添えつけのリンゴジャムを絞り出してパンに塗る。

口にほおばる。

無理やり入れて食べているようなものだ。

10時、10階にある遥拝所を覗き込む一人の男性と目が合った。

なんと、なんとである。

病院服を着ていたので入院患者に違いないが、たびたびお会いする室生染田在住の男性に驚く。

お互いが着ていた病院服でこれまた驚きである。

今月の10日に入院・処置をしてこの日の13日に退院するという。

男性の病名は前立腺がん。

入院階は5階の泌尿器科なのに、なぜこの階へ・・である。

尋ねた結果は遥拝所だった。

そんな話をしている処にY医師がやってきた。

往診しようと思って病室に来たが不在。

たぶんにここだろうと判断されてきたのである。

伝えたいのは心電図の結果である。

結果は良好なので、点滴のプロタノールの流量を3から2に下げるということだ。

一時間後の11時にはT看護士さんが流量調節をされた。

この日は奈良マラソンがあると患者さんが話していた。

そうだ、13日は奈良マラソン。

奈良市内東部山麓や天理市の道路を走っていればいやがおうでも目につく「奈良マラソンは13日(日)」。

マラソン走者が道路を占領する。

もちろん、その時間帯は完全なる通行止めになる。

奈良マラソンを初めて見たのは平成13年(2001)12月2日のことだ。

たしか、その時代は奈良マラソンのお呼び名でなく奈良春日・大仏マラソンだったような気がする。

当時は今のようなフルマラソンはなく、大仏殿周りから奈良公園にかけて走るコースだったように思える。

フルマラソンになったのは第1回目開催の平成22年12月5日からだ。

フルマラソンは奈良市鴻ノ池陸上競技場を発着点に奈良市―天理市を往復するコ-スだ。

天理市を巡ることを知ったのは道路に立ててあった通行止めの案内である。

が、である。

入院患者さんが話すコースは入院棟のすぐ近くらしい。

看護師さんもその件は承知しているようだ。

付近といっても近くなのか、周辺なのか・・・。

入院棟に貼ってあった新聞がある。

それに載っていた奈良マラソンの通行止め案内。

どうやら入院棟の真下を走るようだ。

入院棟のガラス越しから覗く東・西・南・北の方角。

入院棟および外来棟の入口前の道路に赤いコーンを設置していた。

すでに始まっていた道路封鎖。

コースは道路中央に赤いコーンがあるから走者がここを往復するのだろう。

そうであれば折り返し地点はどこになるのか・・である。

奈良テレビ放送で奈良マラソンの中継が始まった。

映像を見るかぎりでは10kmもしくは3kmの短距離コースのようだ。

生中継の放送時間は10時半ころに終わるようだが、フルマラソンは昼過ぎまでかかる長距離。

自宅でテレビを見ていたかーさんがメールをくれた。

生中継が終わってKCNネットでフルマラソンが放映されそうだが見方はどうするの・・であるが、私はしたことがない。



そうこうしているうちに往路を走る赤い車が見えた。



通過するやいなや、追っかけるように走るランナーが眼下に見えた。

10時18分から19分にかけてのことである。

沿道に拍手する何人かの人が居る。

ランナーを応援する観客のなかには入院患者らしき人もいる。

ケータイ・スマホなどで写真を撮っている人もいる。

コースに入らないように見守るガードマンもいる。

しばらくしてかーさんからメールが届いた。

折り返し地点の様子が放映されて生中継が終わったというのだ。

そのときの状況は手にしていたケータイのテレビ放映で視聴していた。

たぶんに天理教本部であるように思える。

そして、復路を走るランナーを待っていた。



10時31分、ランナーよりも先に走ってきたのはパトロールカーだ。

もうすぐ先導車が来るはずだ。

10時34分、2台の白バイがやってきた。

35分、第一走者が続いて走ってくる。



走者は並んで2人だった。

往路は応援する人が多い。

走者が通過するたびに拍手が沸き起こる。

逆に復路は・・・数人だ。

9時にスタートしたフルマラソンは1時間半ほどで折り返したようだ。

それから1時間20分後の11時56分のランナー状況といえば往路・復路とも走者数が多くなっていた。

ずっと見ているわけにもいかない。



昼食を摂っている間もランナーが駆けていったそうだ。



午後2時ころには赤いコーンを回収するトラックが走っていった。

18時、入院時から毎朝・昼・夕に服用していたセフゾンは今夜が最後になると話すY看護士。



セフゾンは5日間限りの抗生剤である。

前日に誤って服用したワーファリン。

朝と夕が逆転した誤飲服用である。

二度と誤りは起こしてならないと看護士は注意して内服薬袋をから出して指定の錠剤を数える。

食後にこれを飲んでくださいと念押しだ。



食前・食後の服用は厳正な措置がとられたのである。

(H27.12.13 SB932SH撮影)

二度目の入院5日目

2016年08月27日 10時33分10秒 | むびょうそくさい
今朝の体重は67.4kg。

体温は36.6度だ。

朝食を済ませたら内服薬。

飲んだか、飲んでないかは薬の殻を看護師が点検する。

食後の薬は前夜に数量を確認してポットに入れていた。



食事が済めばなんの判断もなく服用する。

殻を点検した看護師が云った。

ワーファリンの殻が残っている・・。

ワーファリンは毎夕食後であるが、なにを間違ったか、前夜に用意しておいた錠剤が間違っていたのだ。

看護師は当直医師の指示を仰いだ。

対応は簡単。

今夜のワーファリン服用はしないということだ。

経皮的カテーテル心筋焼灼(しょうしゃく)術の処置後のドクドク感。

動悸はこれまでより高いように感じる。

仰向けになれば首辺りを持ち上げられるようなドクドク動悸である。

脈拍は首でも判るが足の甲がとらえやすい。

入院時に看護師さんがマジックインキで印をつけたところが脈を打つ。

自身の手の指をあてて脈をとる。

結果は53だった。

しばらくすればT看護師が病室に来て、測った血圧測定。

血圧は130-69。

脈拍は54拍だ。

足の甲で測った数値とほぼ一致する。

そろそろ点滴が外れるのでシャワー入浴が可能かどうか医師の指示を仰ぐ。

10時35分、Y医師の往診。

医師が伝える心臓の現況。

脈はほぼ正常に自分自身の脈で動いている。

その状況は身体に装着している24時間心電図で判るという。

心臓は心房の上下心室を動作させる。

信号回路の発生は三つの箇所で構成している。

始めに発信するのはP波だ。

心室はQRS波とT波でワンセット。

心電図計測をプリントして説明しましょうと云われて拝見する。

12月9日の術後の午後7時44分のデータではP波の山が見られない。

自分自身で電気回路を発生させていない記録である。

一方、心室は大きな波のQRS波があり、直前には小山のT波がある。

この出力はアーチストやアンカロン薬が不整脈を抑えていた結果である。

つまり、自己ではなく薬の効能で電気信号を発生していたのである。

それまではもっと間隔が広がった「20」拍と伝えたのは看護師さんだ。

看護師さんは綺麗な波になっているが、P波はないという。

そこで術後に登場したプロタノールである。

プロタノールは40拍に下がっていた脈拍をもっと強くして上げる効能がある。

プロタノールはそのために点滴として投与したのだ。

前日の心電図ではP波が出現していた。

自己による電気回路が回復しつつあるのだ。

ちなみにプレドバ200は蘇生する役目にあるらしい。

心電図波形の見方が判った。



こういう機会でまさかの心電図学習に感動するが、7月末に行った心臓の僧帽弁成形術後の4か月間はP波がなかったということになる。

退院して自宅に保存している入院記録をひっくり返してみようと思った。

プレドバ200の点滴は中断された。

この状況においてP波が鮮明に出現したことが嬉しい。

12時からはもう一つの点滴のプロタノールの流量を4から3に下げられた。

徐々に落としていくという作戦である。



16時、待ちに待ったシャンプ洗い。

私と同じ市内の稗田町から通勤しているT看護師が洗ってくれる。

頭がさっぱりしたところで処置服からやっと病院服に着替えた。

聞くところによれば週2回の交換になるそうだ。



(H27.12.12 SB932SH撮影)

二度目の入院4日目

2016年08月27日 10時21分16秒 | むびょうそくさい
起床6時半は体重測定。

点滴もあるし、心電図も装着している関係上、看護師が付き添いしての測定だ。

計測した体重は67.2kg。

体温は36.8度。

採血もナースステーション付近で行う。

前日は喉が詰まりそうだったパンをやめて希望するご飯が盛られた。



主たるおかずはたまごふりかけとキャベツ・ソーセージハム和え。

美味しいのである。

9時50分は胸部レントゲンに心電図測定。

この日も同様にベッド上での検査である。

血圧は124-64。

脈拍は50拍で、酸素量が97、特に問題なしだ。

服用していた内服薬は返却されて自己管理方式。

鉄分補給の点滴は継続する。

12時の昼食。前日の昼食は不味かった。

ご飯も半分ぐらい残した不味さ。

一転したこの日の昼食はなにもかもが美味しい。

特にデザートの発酵乳製品が美味しいのである。

14時、Y医師の往診。

血液検査の結果だ。

脈拍を早くする点滴等で一定の拍数を得られた。

前回手術した際に心臓の司令塔なる部分が停止していることが判った。

服用していたアーチストを停止したからである。

その代わりというわけではないが、別の司令塔ができた。

それが不整脈を司令するようになった。

その後、ずっと休んでいた司令塔が動きだした。

身体自身から発生する自然体の司令塔が動きだしたと見られる値がでている。

この状況が継続するようであれば、点滴のプレドバ200を停止する考えである。

それで様子を見る。

さらにもう一つの点滴のプロタノールも停止する。

要は、8月10日から毎日飲み続けてきた心不全悪化予防のアーチストは再入院した12月8日に停止した。

8月11日から服用してきた心臓の拍動抑え・不整脈改善のアンカロンも12月8日に停止したのであるが、若干影響していたようだ。

自然体の司令塔が動きだした以上、脈拍を下げてきた二つの薬剤は不要になったのだ。

アーチストとアンカロンの二つの薬は、電気回路を発生する仕事を休んでいた本来の司令塔の代わりとなって効き目を発揮していた。

本来の司令塔が動きだせばお役目を終える。

そういうわけで停止するのだが、逆に脈拍を正常に戻す、というか、上げる、つまり復活させる薬剤に転換しなければならない。

それが点滴のプロタノールやプレドバ200の役目であった。

それぞれの薬剤・点滴のすべてを停止して脈拍が50拍~60拍の値になれば・・・目出度く退院の運びとなるわけだ。

目標は定まって心が跳ねたが、もう一つの問題がある。

ヘモグロビンの値が低い根本的な原因は掴めていない。

目途はついていないが、当病院の消化器内科医師に看てもらうことになると話す。



14時、尿量検査は不必要になり中断し、尿回数を記録する。

15時、10棟の婦長が出張より戻られて状況を説明する。

その際に見せた8月15日から綴った身体状態の克明な記録帳を見た婦長はスゴイの一言であった。

状況からいえば、来週いっぱいはかかる可能性が高いという。

15時20分、担当医師、婦長の判断から退院はかなり先になりそうと思って勤務先の相方ドライバーに代替をお願いするとともに、院長へは来週いっぱい復帰できない旨、電話で通知した。

15時50分、点滴していたプロタノールを途中で中止された。

なお、鉄分補給の点滴は今夜までかかりそうだと伝えられた。

16時半、血圧は139-76。

17時20分、主に経皮的カテーテル心筋焼灼(しょうしゃく)術を処置されたK医師。

これまで服用していたアンカロン薬とアーチスト薬が脈上げの邪魔をしているという。

一向に脈拍が上昇しないのは二つの服用の作用である。

アーチスト薬は効き目が切れて落ち着いたが、アンカロン薬は効き目を残したまま体内残留している。

完全消滅するには3カ月もかかるというのだ。

そこまで入院させることも考えたが、ある程度の脈拍数に落ち着けば退院・外来通院にしようとも思っていると話す。

向こう3カ月は長い。

気が遠くなる。



ふぅ、とため息をつきつつ夕食を食べた。

この日の晩は落ち着かない。



外の景色は寒くて心も揺れる。

(H27.12.11 SB932SH撮影)

二度目の入院3日目

2016年08月27日 09時57分46秒 | むびょうそくさい
昨夜の嘔吐症状は2回で終わった。

後刻に聞いた医師・看護師の話しによれば脈拍が37近辺にあるのは、処置時に行った点滴が脈拍を下げる効用があるからだ。

病室ベッドに戻れば脈拍を適正値に戻す点滴をする。

それがプロタノール。

戻すということは下がっている脈拍を上げるということだが、点滴は何度も、何度もエラーで停止した。

点滴の効果が発揮できなかったというわけだ。

何故にエラーとなったのか。

それは点滴注射が上手くできていなかったことに所以する。

上手くできなかったのは私の握り指だ。

嘔吐の原因は私が作ったようなものだ。

起床は6時半。

それから30分後の7時になってもムカつきはなく目まいもない。

多少のふらつきはあるものの気持ちが良い。

処置が始まってから17時間も経過した。

その間はずっと仰向け状態を保ってきた。

横向けになることもなくずっと維持してきたのである。

8時、尿管が外された。

点滴を装着したまま院内廊下に設置した体重計で体重を量ったら67.5kgだった。

血圧は97。

脈拍は47になっていた。

尿量が少ないと云われるが補給水分が少ないからだろう。

朝食は塩パンに牛乳。

喉が詰まりそうになったが、牛乳で溶かして食べた。

9時、N部長医師の回診。

僧帽弁の手術を7月末にした経緯を聞いている。

これですべてが上手くいくはずだったが、電気信号回路の不調で処置することになったと話す。

そうなんだよね。

9時半、病室で心電図を計測する。

点滴は腕をまっすぐ伸ばさないと上手くいかない。

何度やっても慣れないものだ。

看護師から云われた言葉。

尿管を外したので最初の尿意を感じたらナースコールをしてくださいだった。

夜間看護師から昨夜の嘔吐を引き継いだ昼間のH看護師さん。

点滴の挿し方が上手くできていないことも一因。

やり直ししましょうと挿し替えてくれた。

痛みはまったく感じないベテラン看護師の針刺し。

なんでも高校を卒業して准看経験年代は注射ばかりをしていたそうだ。

その経験がものをいうと話してくれた。

このとき計測した体温は37.2度。

脈拍は41だった。

昨夜の状況よりは少し改善されたように思える。

10時、病室で胸部レントゲン撮影。

ベッド背面を斜めにして背中に背面板を挟んでの撮影だ。

これもまた、前回の入院で慣れている。

10時10分、Y医師の往診。

嘔吐物は血液ではない。

電極カテーテルアブレーション処置の際に脈拍を下げる薬剤を適用した。

前夜の嘔吐は、その薬が影響したからだ。

脈拍を上げる点滴も一時停止が多く、上手く機能しなかった。

点滴針挿し込み不良は、血液の凝固を生んだ。

凝固すれば点滴剤が身体に入らない。

点滴箇所を右手に替えたものの上手く入らず凝固エラー音が鳴る。

繰り返し発生するエラーを解除しても解消しない。

脈拍は下がったままになっていた。

そういう複数的要素が重なって嘔吐に繋がったという。

最後に嘔吐した時間から医師が往診された時間までは目まいも嘔吐もない。

点滴剤が効いて症状は治まった。

状況が良くなっているので2種点滴のうち一部の点滴は中止する指示を看護師にした。

後ほどくるだろうと云って部屋を出た。

点滴の挿し替えをしたH看護師が来られて、下部の点滴針挿入部を取り外した。

処置したカテーテル管を挿し込んでいた陰部付近を消毒処理する。

陰毛がテープにくっついて剥がしにくい。

というよりも剥がせば痛みを感じる。

それは私たちベテラン看護師が若い看護師に伝えるべき処置である。

申しわけないと云いながら処置される言葉遣いや対応にこの看護師さんの素晴らしい人格を感じた。

このとき話してくれたのが点滴のコツである。

点滴針が上手く入らず、反発すると云っていた事象は私がしっかり握っていたからだ。

点滴のプレドバ200が始まってからの脈拍は向上した。

41拍から53拍の大幅アップ。

改善幅が大きく、目まいどころかしんどさも感じない身体に自然と嬉しさがこみ上げてくる。

いろんなトラブルがあって飲み薬の服用をすっかり忘れていた。

看護師さんの指示もあって朝の薬は昼に、昼の薬は夕の薬と一緒に夕食後ということだ。

昼の薬は軟便薬。

忘れても特別な影響はないのである。

13時40分、鉄分補給剤の点滴が始まる。

このときの体温は37.2度。

若干の微熱であるが、19時には下がっていた。



18時の夕食は抜群に美味かった。

昼食は不味かっただけに、美味しくいただけたので嬉しさがこみ上げる。

20時、血圧測定は120-57。

脈拍は55拍で安心する。

それから一時間後の21時に事件が起こった。

事件は私ではなく、向かい側の病室患者だ。

トイレから戻ってきて病室内に入ろうとした瞬間だ。

身体がふらりと揺れた。

倒れる!と思った瞬間に床に倒れた。

大慌てでナースコールをする。

やってきて見たままの常態を伝える。

担当医師も急行した。

後頭部は打っていないようだ。

患者をベッドに移して1時間後。

動きがでた。

ベッドごと、どこかに搬送される夜間の緊急対応であった。

(H27.12.10 SB932SH撮影)

二度目の入院2日目は焼灼処置

2016年08月27日 09時35分21秒 | むびょうそくさい
5日間、飲みきりの抗生剤はセフゾン。

毎朝・昼・夕食後に服用する抗生剤は電極カテーテルアブレーション処置に関連するお薬だ。

看護師が云っていた通りに今朝の食事は軽食にする。

8時半に開店する西病棟売店。

エレベータで下って1階にでる。



そこにある売店で売っているのはどことも承知の助のコンビニとほぼ同じようなもの。

サンドイッチにお菓子パン、おにぎりにパック弁当である。

ずらりと並ぶ商品棚の目線先はこんなようなものだ。

ふっと、目線を下に降ろした。

何個か並べていたパックは月並みではなく、今までみたこともないような商品だった。



貼ってあるラベルはた「お手軽和風焼きうどん」。

価格は税込みの140円である。

思わず、これってサービス品なの?と思ったぐらいだが、そうではない。

隣にも並べてあったパックは焼きうどんではなく、焼きそばだ。

いずれも税込み140円。

格安値段に釣られて商品を決める。

さあて、どっちが、どっち・・。

指さして念仏を唱えた結果は「お手軽和風焼きうどん」になった。

現金支払いの院内売店はコンビニ店。

140円を支払って手に入れた。

よくよく見たラベルに製造メーカ名が記されていた。

大手企業の「山崎製パン」である。

パンメーカが製造販売する焼きうどん、焼きそばは初物。

パン以外に麺類も手を出した、というところに驚く。

「山崎製パン」であるなら、他店のコンビニでも売っているかもしれない。

総量表示はなかったが、一般的なパック詰め焼きそば量よりも半分ぐらいだろうか。

やや少なめのように思えたが、手が感じる重量はがっちりだ。



値段は格安だが、味は・・・格別であった。

豚肉はないものの醤油にカツオ味が利いている。

食品表示ラベルの値が気にかかる。

Na1.2gとあるから換算塩分量は3gだ。

この日は処置日。昼食は絶食だし、術後の身体ではたぶんに夕食は摂れないであろう。

本日はこれ以上も、これ以下でもない塩分摂取量は上限の半分。

美味さが口に広がる。

ラベルによれば原材料は焼きうどん。

かつお削りに青のりだけだ。

もし、次回に購入する機会があれば焼きうどん、焼きそばとも食べてみたいと思ったぐらいに美味かった。

9時20分、病室内で検査する心電図は移動式心測定器がやってきた。

外来棟での検査が不能な身体状況であれば病室になる。

前回の入院時もそうだった。

9時30分に血圧・脈拍測定。

値は126-68の95拍だ。

前回の手術後から数週間後に現われた脈拍は100前後。

この日もその範囲内である。

電極カテーテルアブレーション処置をすることによって異状発症した電気信号回路を焼き切る。

術後の脈拍が楽しみである。

朝食はやきうどん。昼食は絶食でしょと話すこの日のY看護師。

食べた焼きうどんが美味しかったということまできっちりと引継ぎしていたことに感動するのである。

10時25分、Y主治医による尿管の挿入接続があった。

前回は意識朦朧のなかでの尿管接続。

痛みは感じなかったが、今回は覚めた意識で感じる痛さ。

0分ほどで身体が馴染んできた。

Y医師曰く、主にカテーテル処置をされるK医師と相談の結果である。

もしかとすれば、肩辺りからカテーテル管を挿入するかもしれないという。

11時、再びY医師が入室された。

医師が気にかけているのはヘモグロビン値である。

医師が看たかった内痔核の状態である。

四つもあった巨大内痔核。

医師の判断で半分の二つは切除する。

その手術をしたのは平成21年6月18日のことだ。

施術は住まいする地元のT病院だった。

施術は成功したが残りの二つは切除できなかった。

医師の決断で途中下車したのだ。

理由ははっきりしている。

これ以上の切除をすれば肛門を不治にしてしまう。

それは避けたいと判断されたのだ。

内痔核の切除手術をするまでは大量の出血が日々襲っていた。

鉄分補給をするまでは歩けないほどの鉄分欠乏症になっていた。

術後は出血もなくほぼ安心した生活にもどったのはそれから2カ月後だった。

一年後の平成22年5月に久しぶりの出血があったが、一日限りのサービスデイだった。

その後は大出血もなく暮らすことができた。

稀には少々の出血があるものの、身体が動かないようにはならなかった。

出血が多ければ腰がだるくなり膝は上がらない歩行が困難な状態になる。

一か月前のことだ。

排便する際に便器内に溜めた水に落ちるポタポタ音が聞こえる。

その正体は出血。

残した二つの内痔核から出血するのである。

その状態を確かめたかった循環器内科主治医。

肛門に指を突っ込んで感触を得た。

今回、入院した病院でも内痔核処理ができるそうだ。

消化器内科の診察を煽ぎ、検査することも視野に入れておく必要があると伝えられた。

12時、服用指示がでていた飲みきり抗生剤のセフゾン錠を飲む。

常備薬の軟便剤も飲む。

12時10分、待てど、暮らせど呼び出しがかからない。

一番目の患者さんの処置が長引いているのだろう。

12時50分、二種類の点滴を同時注入する点滴針を挿す。

これが上手くいかずに、挿しては抜いて、挿しては抜いて、で4カ所目。

ようやく落ち着いた。

ごめんなさいと詫びるT看護師。

手慣れた看護師であれば・・と思うが、実は私に原因があった。

点滴針を挿す場合は親指を中に入れて握るのであるが、強めに握りしめた場合は針が反発して刺さらないのである。

このことを知ったのは数日後のことだった。

そういえば、何度挿しても針が跳ね返されると漏らしていたT看護師の反応ぶりを思いだして、私のせいで申し訳ないと後日に詫びたのは言うまでもない。

13時35分、手術着に着替える。

溜めていた尿は排出して待つ。

14時、車イスに乗って2階へ向かう。

着いてただちに迎えたS外科看護師のガイドで処置台に登る。

直前に取り付けた点滴は2種類。

上にある袋は「プロタノール」。

下は注射型の「ソリタT3」だ。

登る3段の鉄製階段は冷たく感じる。

処置ベッドで仰向けになる。

背中には何枚かの電気接点を装着。

胸は心電図。

右腕は点滴。

セットアップが整ったところで、左側陰部側に麻酔注射。

麻酔、麻酔・・・数えていたら6本ぐらいのように思えた。

しばらくして右側陰部も麻酔注射。

こちら側は3、4本かもしれない。

感覚がまったくない陰部辺り。

なんとなくカテーテルを挿入しているようだと思った。

なぜに判るのか・・といえば、医師の話し声だ。

何を話しているのか判らないが、聞こえるのである。

意識は朦朧とする夢の中を泳いでいるように思えた。

何度も、何度も現れる大きな補虫網。

○型ではなく四角い網をふわっと被せる。

魚捕りの網のような感じだが、場所は草原である。

虫取り補虫網で何か判らない獲物を捕まえている映像は夢の中。

数えたわけではないが、それは4回。

しばらくして「終わりました」の声が耳元で囁かれた。

あれぇ、である。

夢の中ではあるが、ものすっごく短時間に感じた処置時間。

首か肩上か判らないが、始まる前にY医師が伝えていたカテーテル処置はなかったようだ。

もしかとして、途中で中断・・かもしれない。

ベッドから起き上がるなり声が聞こえた。

Y医師の声だ。

焼灼処置は1カ所で済んだというのだ。

当初から見込んでいた信号回路場所しかなかったという。

終了した時刻は15時45分。

処置時間は1時間半で終えたのである。

予想だ、にしなかった処置は簡単に終わったとK医師も伝える。

カテーテル管を挿入した部分に注入した麻酔薬がさめるまで30分。

その部分は出血もなかったという。

4、5人がかりで抱えられて一気に搬送ストレッチャーに移される。

痛みもなにも感じない移し替え。

呼吸が一致していたのであろう。

気持ちよかったと口にだしたら、揃って笑顔になった。

ストレッチャーから病室ベッドに移し替え。

これもまた呼吸が合う。

16時、点滴は入れ替え。

主なる処置をされたK医師が病室に来られて云う。

一本の処置で済んだ。

輸血もなかったと聞いて一安心。

食欲はない。

麻酔が残っているせいだろうか、眠りにつく。

ぐっすり眠った1時間後の17時。

明日は病室で行われる心電図、採血、胸部レントゲンがあるとS看護師が通知する。

それからはぐっすりと眠りに着いた。

何時間寝たのだろうか。時計を見れば夜の10時半だった。

目が覚めて欲したのは水分。

夜間見回りしていた二人の看護師に頼んだペットボトルのお茶を、ぐぐっと一気に飲んだ。

喉の渇きがとれて潤ったが、味気はない。

購入して置いていた必需品のタブレットミント。

二粒を飲んだ。

口内がすっきりする。

睡魔に襲われて再び眠りに着く。

晩の11時半、突然のことである。

寝ている最中に突然のごとくムカつきを感じた。

胸のあたりからこみ上げる何かが。あげそうだ。

とっさに思って近くにあったナイロン袋。

ベッドに噛ましていたゴミ袋を引きちぎって口にもっていった。

間に合わない、と思った瞬間に嘔吐した。

口から出たのは黒い液体だ。

ナイロン袋では間に合わない。

飛び散った嘔吐がシーツに色をつける。

錆びた黒色のように思えた。

嘔吐していいるときは大慌て。

ナースコールを探しても見つからない。

焦るが、どうしようもない。

なんとか見つけて押したときは一発目の嘔吐。

それからは何度も、何度も嘔吐する。

嘔吐した液体になんとなく味を感じる。

一時間前に口にしたタブレットミントのブルベリー味だったのだ。

ナースコールで駆けよった二人の看護師もその香りで判るという。

飛び散らした液体はシーツも汚した。

そう思って電気を点けて探してみるが、ない。

消えていたのだ。

嘔吐した当初は血液かと思ったが、そうではなかった。

ただ、感染症・・かもと思った。

緊急な状態で測った脈拍は37。

今まで感じたこともない脈拍数である。

嘔吐のせいで、その低い数値になったのかどうか判らないが、目まいを感じて横たわる。

ふたたびぐっすり眠った時間後の午前1時半のことだ。

目が覚めた。

吐き気もなくすっきりして目覚めた。

夜間見回りの二人の看護師。

いつもなら一人であるが、術後であることから二人体制で看ていたのかもしれない。

装着していた点滴からエラー音が鳴った。

エラーリセットされたが、しばらくすれば再びエラー音が発生する。

そうこうしているうちにまたもやムカつきを感じた。

途端に始まった嘔吐症状。

予め、手持ちで準備していたナイロン袋を口に寄せる。

吐きだす嘔吐は前回同様の液体だ。

色は若干の黒目で味に変化があった。

カツオ削りの味がある。

これって、もしかとすれば朝食に食べた「お手軽和風焼きうどん」ではないか。

何度も、何度も嘔吐する液体の味に感動するが、嘔吐にはまいった。

飛び散った液体はベッドシーツに点々とするがかまっておれん。

このときも測った脈拍は37だった。

なお、処置時における造影剤の投入は結果的になかったことを付記しておく。

(H27.12. 9 SB932SH撮影)

二度目の入院初日

2016年08月27日 09時13分07秒 | むびょうそくさい
今年二度目の入院日が決まったのは前月の11月17日だった。

循環器内科の診察の結果は心臓が発信する電気回路異状。

その処置は太もも辺りからカテーテルを差し込んで異状な箇所の回路を焼き切るという電極カテーテルアブレーション処置である。

処置は9日。

前日の8日の昼前に入院した。

前回は6階であったが今回は10階になる。

6階は血管外科に循環器内科。

10階は循環器内科に消化器内科になっている。

正式な病名は「心房粗動/心房頻拍」。

症状は不整脈である。

治療計画は外科的手術ではなく、経皮的カテーテル心筋焼灼(しょうしゃく)術を行って不整脈の根治を目指す。

検査はそれほど多くないが、適宜の採血による検査とか、24時間心電図などがあると受け付けた看護師より伝えられる。

主治医は11月17日に入院・処置を通告したY医師と主たる処置をするK医師の二人だ。

パジャマに着替えて、早速の検査。心電図、血圧、脈拍を測る。

大凡の経皮的カテーテル心筋焼灼術を説明するY看護師。

この処置の時間が決まるのは、今夜の8時頃になる。

それより一時間前には関係する医師が集まって具体的な措置をどう講じるか相談される。

結論が出れば担当医師が詳しく説明されるのだ。

明日の処置はどの時間帯になるか、夜を待つしかないが、当日は基本的に絶食である。

朝の処置であれば朝・昼食が絶食。

午後いちばんの処置であれば昼・夕食が絶食という具合になるが、院内食の配膳は朝・昼・夕の三食とも停止されるので、院内の売店で軽食を予め購入して備えてほしいというわけだ。

軽食はおにぎりやパンで構わない。

少量でさっと食べられるものであれば何でもいいそうだ。

この対応は翌朝の開店8時半を待つしかない。

そうこうしているうちに明日の処置に際する事前準備が始まった。

下半身の太もも付け根辺りにカテーテル管を差し込む。

その場合に邪魔になるのが陰毛だ。

処置が終わって、管が外れないように止めているシールが剥がれやすいようにという意図もある。

陰毛は剃刀で剃る。

自分でもできるが、そこは看護師さんに任せる。

剃り具合を誤った場合は出血を伴うかもしれない。

私は血液をサラサラにするワーファリンを服用している。

間違って出血でもしたらえらいことになる。

そう、思ってお願いしたのである。

ワーファリンも含めて毎日服用していた薬のすべて(胃荒れ防止のネキシウムカプセル・心臓の働きを改善・心不全悪化予防のアーチスト・便薬のマグミット)はナースステーションにて預かりになる。

ただ、不整脈処置を行うので、不整脈防止薬のアンカロンは完全停止。

すべてを回収された。

昼食後の午後は外来棟で胸部レントゲンと心電図検査がある。

特に支障がないので一人歩いて出向いてくださいということだ。

支障がないと判ればシャワーも入れる。

空いている時間帯であれば希望する時間枠に名前を書いてリザーブしておく。

時間になれば勝手に入ってくださいということだ。

もう一人のO看護師は術時および術後の説明をされる。

尿管接続はカテーテル処置をする朝にする。

処置は手術室がある2階。

手前の部屋で施術するそうだ。

術後の6時間はベッドの上で仰向けになって安静、身体は一切動かしてはならぬ、である。

例えば横向きもしてはならぬ、である。

動かせば処置した箇所から一気に血が噴き出すかもしれない。

そうならないようにと伝えられるが、平成元年に経験したときよりも格段に楽である。

そのときの病名は「肝膿瘍」。

原因は判っていないが、ある菌が肝臓に侵入して悪さをした。

炎症を起こして膿をもった。

その膿が破裂すれば一気に死する肝膿瘍。

恐ろしい病気だった。

この膿みを取り出すのがカテーテルだった。

数時間、処置手当てがちょっとでも遅れておれば死んでいたかもしれないぐらいの状態だった。

処置は終わったものの、カテーテルは身体に取り付けたままでベッドに横たわる。

横たわるといっても横になるのではなく、仰向け状態を維持する。

万が一、動くようであればカテーテル管が外れて残っている膿が内蔵に流れる。

そうなれば致命的。

膿はいろんな臓器に流れついて菌を増幅するのである。

そういうことで、身体は決して動いてはならぬ。である。

しかもだ。

その期間はたしか一週間以上も、だったように思える。

それに比べたら今回の6時間なんてものはたいしたことはない。

カテーテル処置をするときは処置服に着替える。

下半身のパンツは特殊な「アンギオパンツ」を掃く。

掃くのは明朝になるであろう。

施術に影響を与える金属物は外す。

私の場合は指輪だけだ。

処置・治療中に身体が火照って熱くなる場合や痛みを感じることもあるらしいが、局部麻酔が効いたころには眠りについているようだ。

焼灼術は肉体的電気回路の一部を焼く処置である。

おそらく焼いているときの感じはなにもないだろうが、身体が嫌がる「動き」があっては処置に影響を与える。

万が一に備えて、両手、両足は縛られる。

治療する患部は動かないようにガーゼ・テープなどで貼付けする。

ざっと書けば、こういう感じである処置名は「電気焼灼術」。

解説資料に「カテーテルアブレーション ※アブレーション発作性心房細動用」と書いてあった。

術後の翌朝は貼っていたガーゼやテープを剥がして取る。

疵口は消毒する。点けていた心電図モニターや尿管を外して院内廊下を歩行する。

概要は理解できた。

夜に主治医が解説するまでの待ち時間が長い。

千円で購入したテレビカードを挿入して電源をあげる。

前回の入院時も利用していたテレビはBS放送もある。

これが気に入っている当病院にはイヤフオーンがサービスで付いてくる。

暇なので6階をぶらぶら。

U介護士に出合った。



夕食を済ませて時間待ち。

かーさんも主治医の説明(インフォームドコンセント)を聞くまでは帰宅できない。

晩の7時近い時間帯にやってきたY医師。

インフォームドコンセントを説明される部屋は病室ではなく相談室になる。

説明の大凡は治療方法に想定リスクである。

明日の処置は2番目になる。

午後12時は過ぎる可能性が高い。

カテーテル処置は2段階。

局部麻酔をした箇所からカテーテル管を挿入する。

一気に処置するのではなく、先に患部の電気回路を検査して診断する。

探し出した原因場所に間違いがなければ患部の治療にあたる2段階方式なのだ。

治療は40度ぐらいの熱を加えて焼き切る。

それだけのことであるが、検査の結果によっては他の場所で発症しているかもしれない。

そういう場合は、もう一本のカテーテル管を挿入して処置にあたるという。

だいたいが2~3時間で終える。

検査した結果、複数個所に症例がみられる場合は4~5時間にもなる。

その場合は長時間治療となるため、さらにねむり薬の投与を増やすそうだ。

ねむり薬を投与しても、おそらくは意識があるはずだという主治医。

痛みや吐き気などが発症する場合もある。

その都度、申し出てくださいと云われるが、できるのだろうか。

7月31日に施術した心臓外科手術の際に行われたメイズ処理は上手くいったと聞いている。

メイズ処理は上手くいったものの、逆流を起こしていた僧帽弁の施術も上手くいったが、その付近に発生した電気信号回路の不備によって不整脈になった。

今回の処置は無駄に発生した回路を焼き切って治すのである。

12月3日の検査では血栓症状は見られなかった。

処置のカテーテルをすることによって感染症を引き起こす可能性もある。

万が一、創をつけることも考えられる。

いわゆる想定リスクであるが、大方はそういうことにはならないと医師は伝えるが、伝えたリスクをプラスにとらえるのか、それとも怖さをとらえすぎてマイナスと感じるのかは患者次第だと云う。

医師は伝える義務があるから、悩みのタネ。

難しい時代になったものだ。

主たるカテーテル処置をするのはK医師。

不整脈の専門医師である。

出張から戻ってきて明日の処置方法を決断される。

インフォームドコンセントを伝えるY医師は処置の手伝いになるという。

そういえば昼間に伝えたO看護師の話しによれば、処置室には20人ぐらいが並ぶらしい。

処置する医師、手伝う医師にカテーテル技師、麻酔医、輸血医に看護師・・・の医師団だ。

輸血はカテーテル管を挿入した付け根から大量出血したときに対応する。

ねむり薬で昏々と眠るそうだが、処置中は酸素吸入器で呼吸する。

大勢の人たちに囲まれるさまは壮観らしいが、たぶんに見えないだろう、と思った。

処置中の時間帯の家族はどこで待つか。

心臓手術の場合は手術室の別室で待っていたが、今回は病室か寛ぎ談話室で待つ。

長時間に亘る場合もあるので、決して驚かないようにとくぎを刺した。

図絵を描いて解説される。

処置をしても新たな箇所で不整脈を呼び起こす電気信号回路不良が発生する可能性はある。

決してゼロではない。

心臓病を患い、手術をした患者は生きていく限り、これを背負っていくと締められた。

インフォームドコンセントが終わって病室に戻れば本日の入院を受け付けたY看護師がDVDを持ってきた。

15分程度の説明DVDである。

さきほどと違って柔らかムードの解説に気が抜けるようだが、どうやら解説していた医師はふっくら顔のK医師のようだ。

現在のK先生はDVDに出演しているときよりも格段に迫力があるらしい。

それはどうでもよくて・・・・。

続いて入室したO看護師の伝える詳しい処置説明のほうがDVDよりも生々しい。

ただ、一点は後ほど訂正があった。

口から胃カメラのような管を食道に挿入する。

温度差異を測ると云っていた処置の一貫であるが、それはないと、いうことだった。

これら含めて一切合切の同意書にサインをする。

なお、看護師の話しによれば処置中に血液をさらさらにするヘパリンの点滴があるようだ。

看護師、医師ともども、盛んに気にされていたのがヘモグロビンの値である。

数値は相変わらず低い。

処置中に出血がある場合、ない場合でも目まいを生じる恐れがあるというのだ。

施術中に影響を与えるかもしれないといわれるが・・・。

明日の電極カテーテルアブレーション処置の大方は理解できた。

その間に摂った病院食。

昼、夕食とも美味しいのである。

お腹が減っているせいもあるが、たぶんにダシで炊いたんやと思う。

箸が止まらなかった入院食は塩分摂取量を計算したうえで調理されている。

安心できる心臓病の食事は他に入院されている患者さんの食事内容とは若干違っているように感じた。

晩は8時を過ぎていた。

もう一人の看護師さんが入室して伝えた明日の処置の時間帯。

朝、一番目の患者さんの治療が早まるらしい。

午後過ぎてからの予定がぐんと早くなって午前11時に始まるかもしれないという。

かーさんにはメールでその件を伝えた。

早くなれば絶食必須の朝・昼食。

術後の夕食までは時間の開きが多い。

朝は売店でパンなどを買ってお腹を満たしておいてくださいという。

それから十数分後。

髭のK医師が来られた。

電気回路が異常な箇所は右にあるやら、左にあるやら、カテーテル管を挿入して診断しない限り、現状では判らないという。

つまり、やってみなけりゃ判らないというわけだ。

そのことによって処置は長時間になるであろう。

当然ながらぬむり薬を投与して処置を続けるということだ。

いずれであろうが、処置が長引くに違いない。

夜看護師のYさんは「術後、10時間は寝返りもできないベッド上の横臥。これまで看てきた患者さんの状況から、たぶんに腰が痛くなる」と話す。

(H27.12. 8 SB932SH撮影)

輝くサイクルレインボー

2016年08月27日 08時58分26秒 | いどう
玄関を出ようとしたときに、何かが光った。

光ったというよりも輝きである。

左側から赤色、朱色、黄色・・・緑色、青色、紫色のグラデーションだ。

なぜか中央に黒い帯がある。

光はどこから・・・と思って探してみる。

手で光がさし込む道筋を探し出す。

光が消えたら道筋が掴める。そう思って、前後左右に手を動かす。

陰で覆われて光が消えたら発光源が判明する。

陰を追跡した。

それは自転車だった。

午後2時40分に輝くレインボー。

つるべ落としのごとく陽が落ちていくのがよく判る。

2週間後の12月22日は冬至。

陽が落ちる時間帯はさらに速度を増していく。

明日は今年、二度目の入院。

電極カテーテルアブレーション処置である。

希望に満ちた輝きに背中を押される。

(H27.12. 7 EOS40D撮影)