節会(村ではセチと呼ぶ)、春・秋彼岸会、涅槃会、施餓鬼、如来さん、十夜会など一年に8回の年中行事がある出雲寺(しつうんじ)。
在所は大和郡山市椎木町の西垣内である。
檀家は西垣内が全戸。
東垣内(文禄四年に記された郡山藩和州河州御領郷鑑によれば西垣内の枝郷)は10戸からなる両垣内の融通念仏衆派・檀家たちの営み。
お寺さんは同市横田町の西興寺住職。
幾度となく、お世話になったことがある。
出雲寺のご本尊は阿弥陀如来座像。
別棟の薬師堂に安置しているのは木造薬師如来座像。
毎月の八日は観音講(尼講)が務めているようだ。
また、旧辻堂にあった地蔵石仏は現在出雲寺の門脇に移され地蔵盆を営んでいる。
出雲寺の南側に隣接する神社は弁天さんの愛称がある厳島神社。
その神社行事を務めているのは西の弁天講にある。
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カーン カーン カン、カン・・・十夜会は釣鐘撞きから始まる。
本堂に参集した人たちは14人。
圧倒的に女性が多い。
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十夜に家内安全、身体堅固。
本日の十夜会につき塔婆願主・・・なーむあんみだー。
先祖供養は追善。菩提のためになーむあみだぶつー、なーむあみだぶつー。
三界万霊、平等利益・・なーむあみだーぶー。
ゆうずうねんぶつ、くどくひゃくまん・・なーあみだーぶー、なーむあみあぶーつ。
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手を合わせて念仏を唱える檀家たち。
最後に般若心経をも唱えて、ガンニシクドク。
およそ50分間のお勤めだった。
法会が終わって気になっていた伏し鉦を拝見した。
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鉦は二つある。
左の鉦が「和刕椎木村出雲寺 現住春願代 大坂高津住大谷模掾藤原正次作」で、右は「京大住 西村左近宗春作」の刻印があるものの年代記銘はなかった。
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西興寺住職が云うには、伏し鉦は融通念仏宗派の特徴で、京都・男山石清水八幡神社から淀川へ。
そして大阪湾に流れ、しかも流れに流れて大阪・堺に流れ着いたカメガネ(亀鉦)が起源譚になるそうだ。
融通念仏宗派の総本山は大阪・平野の大念仏寺。
同寺では10月15日に「亀鉦まつり」があるらしい。
浦島太郎が跨っていたような緑毛の亀の形。
宝物・亀の背中に伏し鉦を載せている亀鉦の姿が拝見できるようだ。
県内各地で拝見した各寺の十夜会につきもののお料理にアズキカユがある。
出雲寺もそうであるのかと思っていたが、そうではなかった。
年配の婦人が云うにはかつては団子だった。
いつのころか判らないが、アズキメシになった。
アズキメシはアカゴハンとも呼んでいた。
空の重箱を寺に持っていって十夜の振る舞いのアカゴハンを詰めてもらって帰った。
子供のころの楽しみだったというから、ずいぶん前のことのようだ。
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手間がかかる料理はいつしか中断することになり、今ではお店屋さんが作って販売しているオハギになった。
ちなみに僧侶が在住の横田町・西興寺では檀家当番が大鍋で炊いたアズキカユを振る舞うと聞いている。
平野大念仏寺の上人が勧進(かんじん=仏道をすすめること)のために難波津より船出したときのこと。
突然の大時化(おおしけ)に逢い、荒れ狂う海に「鏡鉦(かがみがね)」を投じて海を鎮められた。
勧進を終えて復路の途上、波間より突然現れた大海亀の頭上にはなんとその鏡鉦は、こうして一度は海の底深く沈んだ鏡鉦は、再び上人の手に戻った。
亀のおかげで戻ってきた鏡鉦は「亀鉦」と呼ばれるようになり、今も平野大念仏寺に眠っているようである。
住職の友人が三郷町にいるそうだ。30年前のことだと前置きした話しは龍田大社のダンジリだ。
当時は若かった。
神社の前に住む友人の家に遊びに行った。
そのときに頼まれてダンジリを担ぐことになったと笑いながら話してくださった。
(H27.11.18 EOS40D撮影)
在所は大和郡山市椎木町の西垣内である。
檀家は西垣内が全戸。
東垣内(文禄四年に記された郡山藩和州河州御領郷鑑によれば西垣内の枝郷)は10戸からなる両垣内の融通念仏衆派・檀家たちの営み。
お寺さんは同市横田町の西興寺住職。
幾度となく、お世話になったことがある。
出雲寺のご本尊は阿弥陀如来座像。
別棟の薬師堂に安置しているのは木造薬師如来座像。
毎月の八日は観音講(尼講)が務めているようだ。
また、旧辻堂にあった地蔵石仏は現在出雲寺の門脇に移され地蔵盆を営んでいる。
出雲寺の南側に隣接する神社は弁天さんの愛称がある厳島神社。
その神社行事を務めているのは西の弁天講にある。
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カーン カーン カン、カン・・・十夜会は釣鐘撞きから始まる。
本堂に参集した人たちは14人。
圧倒的に女性が多い。
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十夜に家内安全、身体堅固。
本日の十夜会につき塔婆願主・・・なーむあんみだー。
先祖供養は追善。菩提のためになーむあみだぶつー、なーむあみだぶつー。
三界万霊、平等利益・・なーむあみだーぶー。
ゆうずうねんぶつ、くどくひゃくまん・・なーあみだーぶー、なーむあみあぶーつ。
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手を合わせて念仏を唱える檀家たち。
最後に般若心経をも唱えて、ガンニシクドク。
およそ50分間のお勤めだった。
法会が終わって気になっていた伏し鉦を拝見した。
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鉦は二つある。
左の鉦が「和刕椎木村出雲寺 現住春願代 大坂高津住大谷模掾藤原正次作」で、右は「京大住 西村左近宗春作」の刻印があるものの年代記銘はなかった。
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西興寺住職が云うには、伏し鉦は融通念仏宗派の特徴で、京都・男山石清水八幡神社から淀川へ。
そして大阪湾に流れ、しかも流れに流れて大阪・堺に流れ着いたカメガネ(亀鉦)が起源譚になるそうだ。
融通念仏宗派の総本山は大阪・平野の大念仏寺。
同寺では10月15日に「亀鉦まつり」があるらしい。
浦島太郎が跨っていたような緑毛の亀の形。
宝物・亀の背中に伏し鉦を載せている亀鉦の姿が拝見できるようだ。
県内各地で拝見した各寺の十夜会につきもののお料理にアズキカユがある。
出雲寺もそうであるのかと思っていたが、そうではなかった。
年配の婦人が云うにはかつては団子だった。
いつのころか判らないが、アズキメシになった。
アズキメシはアカゴハンとも呼んでいた。
空の重箱を寺に持っていって十夜の振る舞いのアカゴハンを詰めてもらって帰った。
子供のころの楽しみだったというから、ずいぶん前のことのようだ。
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手間がかかる料理はいつしか中断することになり、今ではお店屋さんが作って販売しているオハギになった。
ちなみに僧侶が在住の横田町・西興寺では檀家当番が大鍋で炊いたアズキカユを振る舞うと聞いている。
平野大念仏寺の上人が勧進(かんじん=仏道をすすめること)のために難波津より船出したときのこと。
突然の大時化(おおしけ)に逢い、荒れ狂う海に「鏡鉦(かがみがね)」を投じて海を鎮められた。
勧進を終えて復路の途上、波間より突然現れた大海亀の頭上にはなんとその鏡鉦は、こうして一度は海の底深く沈んだ鏡鉦は、再び上人の手に戻った。
亀のおかげで戻ってきた鏡鉦は「亀鉦」と呼ばれるようになり、今も平野大念仏寺に眠っているようである。
住職の友人が三郷町にいるそうだ。30年前のことだと前置きした話しは龍田大社のダンジリだ。
当時は若かった。
神社の前に住む友人の家に遊びに行った。
そのときに頼まれてダンジリを担ぐことになったと笑いながら話してくださった。
(H27.11.18 EOS40D撮影)