前月に神明祭を取材した桜井市の大字白木を再び訪れた。
大字白木は北・中白木の二村がある。
これまで北白木の神社行事を取材したことがある。
2月は北白木・高龗神社の二月当屋、11月は同神社の宵宮座、山の神、私祭(オトサシ)、女座・女座のお渡りがある。
一方、中白木も神社行事がある。
北白木と同名の高龗神社の年中行事は1月のオコナイ・マトウチ、3月はオシメ入り座、8月は風鎮祭、11月は宵宮頭屋祭・頭屋祭、12月の新嘗祭がある。
この日は中白木の宵宮頭屋祭。
山の神に捧げる祭り用具や注連縄作り、御供の餅搗きなどがある。
実は北白木もこの日に宵宮座が行われる。
どちらか一方の大字に絞り込まないと取材できない同一日である。
北白木は平成24年に取材していたので今回は中白木としたが、昼過ぎまで送迎の仕事をしていた。
行先途中で昼食を済ませて東山間に入る。
着いたときは午後2時半だった。
氏子たちは頭屋家がもてなす昼の膳を済ませて祭り用具を作っていた。
何人かは注連縄結い。
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他の人は伐った杉材でタイやカマ、ヨキ、ヤリを調製していた。
祭り用具作りと並行して餅搗きが始まった。
搗き始めに一老が唄うヤイトがある。
「ヤイト、ヤイトやいうて餅搗きを始めるんや」と云った一老の姿は撮り逃がした。
一老が云うには高い処に立って搗いていたという。
かつて千本搗きのようだったと思えるような餅搗き。
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今では搗き始めだけに登場する頭人製作のカシの木で造った杵で搗く。
その後は杵で搗いて餅を作る。
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石臼の横に立った男性は浴衣姿。
赤帯を締めて桃色紐のたすき掛け。
杵搗く間は水を手につけて餅返し。
呼吸が合ってぺったん、ぺったん。
杵搗きは力仕事。
交替しながら搗いていた。
餅は三臼搗く。
頭屋家玄関土間の餅搗きであることや、浴衣姿のカエシの様相を拝見して思いだした地域がある。
平成19年10月取材した吉野町小名の花笠まつりの宵宮での餅搗きだ。
村人数が少ないとか、杵の違いがあるものの、それ以外はまったく同じように思えた餅搗きの様相である。
中白木では三升のモチコメでひと臼搗く。
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一臼、二臼は神さんに供える御供餅。
三臼目は氏子みんなでいただくモチである。
一臼目は鏡餅、二臼目はガニノモチと呼ばれる特殊な形をした餅である。
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搗いた餅を千切っては伸ばす長モチを作るのは一老の役目。
一枚30cmの御供台に載せるモチと四枚18cm×15cmの御供台。
それぞれに重ね合わせたモチを載せていく。
長モチ2本を横に並べて、その上に2本を置く。
柔らかいうちに載せるモチはベッタリ。
3年前に聞いていたモチの名はカニノモチだったが、この年はガニノモチと呼んでいた。
三臼目の餅搗きぺったんに合わせて突然のごとく唄いだした一老。
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「よぉっ、ほいっ」と声をかけて手拍子する。
唄う詞章は「うちのとなりの おたふくむすめ だれとしたんや はらがふくれる あー、おもしろやー ひょうたんや」だ。卑猥な詞章のように感じるが、そうではなく身ごもって孕むのは子孫繁栄。
焼いたモチが膨らむ状態をも言い表しているのであろう。
一老の手拍子に合わせて他の人も合いの手に拍子をとる。
二番は「ここのやかたは めでたいやかた おおばん こばんが ざーっくざっく・・・」だ。
これもまた吉野町の小名に似通った目出度い詞章は童謡でお馴染みの民話「花咲かじいさん」を暗示させる。
つまりは五穀豊穣を願ったモチツキ唄なのだ。
モチツキ唄で締めた三臼目のモチは婦人たちが取り上げる。
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ちょいちょいと握ってタレ汁を入れたボールに落とす。
もう一人の婦人はタレ汁に浸けてモチを絡める。
生生姜をすって醤油と混ぜたタレ汁に絡めた搗きたてモチもあればキナコを塗したモチもある。
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他に大根おろしをかけたモチもあるし、アンツケモチもある。
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実に多彩な頭屋家の接待モチはなぜに三臼目なのか。
みなが云うには「ホコリを被ったモチは家のもんが食べるんや」だ。
これを「アヤトリ」と呼んでいる。
「アヤトリ」は「アカトリ」からきた詞らしいと話す。
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席についた氏子たちは大皿に盛られたそれぞれのモチに箸を伸ばす。
食卓机にはお重もある。
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これは頭屋家が心を込めて作った手料理だ。
煮しめのコンニャクやゴボウにシイタケ、コーヤドーフにマツタケまである。
他に、たまご焼きや簾巻きのたまご焼きもある。
3年前に訪れた際に一老が話していた中白木に膳料理がある。
昼の頭屋座ではナマス、アゲ、シイタケ、ヤマノイモ、イタ(イタカモボコであろう)の料理膳。
千切りしたダイコンにぐちゃぐちゃにしたトーフを入れる。
トーフを入れた白和えであるがそれをナマスと呼んでいる。
夜の膳は菜っ葉料理やアジの開きなどだと話す。
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中白木の行事はなにかと頭屋家の接待料理が多い。
近年ではほとんどの地域でパック詰めの料理膳に移り替わったという地域が多い中、今尚手料理のご馳走でもてなしているのは中白木だけであろうと隣村の芹井や小夫嵩方の住民が話していたことを思いだすが、今夜は遠慮した。
座敷に詰めて、しばらくの時間は頭屋家がもてなす接待料理をいただく歓談の場になった。
時を過ごして食べ終わるころだ。
そろそろ始めようかと、やおらに席から立ちあがった。
何事が始まるのか聞いていなかったから大慌てだ。
餅を搗いていた玄関土間は藁を敷いて石臼を置いていた。
藁を敷いていたのは石臼が動かないようにしたのか、それとも・・・。
モチ搗きを終えた石臼の廻りに氏子たちは立ち並んだら、「さぁて、うってくれ いおうて さんど おっしゃかしゃんのしゃんしゃん」と云いながら手拍子する。
「さんど」というだけに手拍子は三回。
頭屋家の祝い納めに手打ちで〆られた。
写真は一足遅く、間に合わなかった。
その後の時間も頭屋家がもてなす夜の膳。
祭り用具の製作やモチ搗きの慰労に氏子たちに食べてもらうのだ。
ちなみに中白木も一部の行事は省略したという。
7月1日に行われていた夏祭りの料理はキュウリやゴンボがあった。
キュウリは味噌を塗って食べていた。
ゴンボはマメを擦ったものを塗していた。
トーフは竹串を挿した「たいたん」やったという。
昭和36年に発刊した『桜井市文化叢書 民俗編』によれば頭屋人は神社にセキハンを供えていたらしい。
座の宴にはアブラアゲのオヒラがあった。
底は精進料理だったと書かれていた内容はおそらく3月のオシメ入りと同じようなものであったろう。
10月1日は節句座だった。
大きなマツタケは味付けして食べた。
これもまた、昭和36年に発刊した『桜井市文化叢書 民俗編』によればマツタケ汁にゴボウ、クルメ和え、コンニャクのホタ(長く切って串に挿す)を神社に持ち込んだようだ。
なお、今夜は宵宮の頭屋祭。夜膳のヨバレに招かれる氏子たち。
ご馳走でお腹が満腹になったころにヨミヤ参りをしようと云って高龗神社に参るそうだ。
一同揃ってヨミヤ参りを済ませてようやく自宅に帰ると話していたが、待ち続けるには頭屋家に迷惑をかけると思って退席。
帰路についた。
(H27.11. 9 EOS40D撮影)
大字白木は北・中白木の二村がある。
これまで北白木の神社行事を取材したことがある。
2月は北白木・高龗神社の二月当屋、11月は同神社の宵宮座、山の神、私祭(オトサシ)、女座・女座のお渡りがある。
一方、中白木も神社行事がある。
北白木と同名の高龗神社の年中行事は1月のオコナイ・マトウチ、3月はオシメ入り座、8月は風鎮祭、11月は宵宮頭屋祭・頭屋祭、12月の新嘗祭がある。
この日は中白木の宵宮頭屋祭。
山の神に捧げる祭り用具や注連縄作り、御供の餅搗きなどがある。
実は北白木もこの日に宵宮座が行われる。
どちらか一方の大字に絞り込まないと取材できない同一日である。
北白木は平成24年に取材していたので今回は中白木としたが、昼過ぎまで送迎の仕事をしていた。
行先途中で昼食を済ませて東山間に入る。
着いたときは午後2時半だった。
氏子たちは頭屋家がもてなす昼の膳を済ませて祭り用具を作っていた。
何人かは注連縄結い。
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他の人は伐った杉材でタイやカマ、ヨキ、ヤリを調製していた。
祭り用具作りと並行して餅搗きが始まった。
搗き始めに一老が唄うヤイトがある。
「ヤイト、ヤイトやいうて餅搗きを始めるんや」と云った一老の姿は撮り逃がした。
一老が云うには高い処に立って搗いていたという。
かつて千本搗きのようだったと思えるような餅搗き。
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今では搗き始めだけに登場する頭人製作のカシの木で造った杵で搗く。
その後は杵で搗いて餅を作る。
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石臼の横に立った男性は浴衣姿。
赤帯を締めて桃色紐のたすき掛け。
杵搗く間は水を手につけて餅返し。
呼吸が合ってぺったん、ぺったん。
杵搗きは力仕事。
交替しながら搗いていた。
餅は三臼搗く。
頭屋家玄関土間の餅搗きであることや、浴衣姿のカエシの様相を拝見して思いだした地域がある。
平成19年10月取材した吉野町小名の花笠まつりの宵宮での餅搗きだ。
村人数が少ないとか、杵の違いがあるものの、それ以外はまったく同じように思えた餅搗きの様相である。
中白木では三升のモチコメでひと臼搗く。
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一臼、二臼は神さんに供える御供餅。
三臼目は氏子みんなでいただくモチである。
一臼目は鏡餅、二臼目はガニノモチと呼ばれる特殊な形をした餅である。
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搗いた餅を千切っては伸ばす長モチを作るのは一老の役目。
一枚30cmの御供台に載せるモチと四枚18cm×15cmの御供台。
それぞれに重ね合わせたモチを載せていく。
長モチ2本を横に並べて、その上に2本を置く。
柔らかいうちに載せるモチはベッタリ。
3年前に聞いていたモチの名はカニノモチだったが、この年はガニノモチと呼んでいた。
三臼目の餅搗きぺったんに合わせて突然のごとく唄いだした一老。
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「よぉっ、ほいっ」と声をかけて手拍子する。
唄う詞章は「うちのとなりの おたふくむすめ だれとしたんや はらがふくれる あー、おもしろやー ひょうたんや」だ。卑猥な詞章のように感じるが、そうではなく身ごもって孕むのは子孫繁栄。
焼いたモチが膨らむ状態をも言い表しているのであろう。
一老の手拍子に合わせて他の人も合いの手に拍子をとる。
二番は「ここのやかたは めでたいやかた おおばん こばんが ざーっくざっく・・・」だ。
これもまた吉野町の小名に似通った目出度い詞章は童謡でお馴染みの民話「花咲かじいさん」を暗示させる。
つまりは五穀豊穣を願ったモチツキ唄なのだ。
モチツキ唄で締めた三臼目のモチは婦人たちが取り上げる。
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ちょいちょいと握ってタレ汁を入れたボールに落とす。
もう一人の婦人はタレ汁に浸けてモチを絡める。
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他に大根おろしをかけたモチもあるし、アンツケモチもある。
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実に多彩な頭屋家の接待モチはなぜに三臼目なのか。
みなが云うには「ホコリを被ったモチは家のもんが食べるんや」だ。
これを「アヤトリ」と呼んでいる。
「アヤトリ」は「アカトリ」からきた詞らしいと話す。
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席についた氏子たちは大皿に盛られたそれぞれのモチに箸を伸ばす。
食卓机にはお重もある。
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これは頭屋家が心を込めて作った手料理だ。
煮しめのコンニャクやゴボウにシイタケ、コーヤドーフにマツタケまである。
他に、たまご焼きや簾巻きのたまご焼きもある。
3年前に訪れた際に一老が話していた中白木に膳料理がある。
昼の頭屋座ではナマス、アゲ、シイタケ、ヤマノイモ、イタ(イタカモボコであろう)の料理膳。
千切りしたダイコンにぐちゃぐちゃにしたトーフを入れる。
トーフを入れた白和えであるがそれをナマスと呼んでいる。
夜の膳は菜っ葉料理やアジの開きなどだと話す。
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中白木の行事はなにかと頭屋家の接待料理が多い。
近年ではほとんどの地域でパック詰めの料理膳に移り替わったという地域が多い中、今尚手料理のご馳走でもてなしているのは中白木だけであろうと隣村の芹井や小夫嵩方の住民が話していたことを思いだすが、今夜は遠慮した。
座敷に詰めて、しばらくの時間は頭屋家がもてなす接待料理をいただく歓談の場になった。
時を過ごして食べ終わるころだ。
そろそろ始めようかと、やおらに席から立ちあがった。
何事が始まるのか聞いていなかったから大慌てだ。
餅を搗いていた玄関土間は藁を敷いて石臼を置いていた。
藁を敷いていたのは石臼が動かないようにしたのか、それとも・・・。
モチ搗きを終えた石臼の廻りに氏子たちは立ち並んだら、「さぁて、うってくれ いおうて さんど おっしゃかしゃんのしゃんしゃん」と云いながら手拍子する。
「さんど」というだけに手拍子は三回。
頭屋家の祝い納めに手打ちで〆られた。
写真は一足遅く、間に合わなかった。
その後の時間も頭屋家がもてなす夜の膳。
祭り用具の製作やモチ搗きの慰労に氏子たちに食べてもらうのだ。
ちなみに中白木も一部の行事は省略したという。
7月1日に行われていた夏祭りの料理はキュウリやゴンボがあった。
キュウリは味噌を塗って食べていた。
ゴンボはマメを擦ったものを塗していた。
トーフは竹串を挿した「たいたん」やったという。
昭和36年に発刊した『桜井市文化叢書 民俗編』によれば頭屋人は神社にセキハンを供えていたらしい。
座の宴にはアブラアゲのオヒラがあった。
底は精進料理だったと書かれていた内容はおそらく3月のオシメ入りと同じようなものであったろう。
10月1日は節句座だった。
大きなマツタケは味付けして食べた。
これもまた、昭和36年に発刊した『桜井市文化叢書 民俗編』によればマツタケ汁にゴボウ、クルメ和え、コンニャクのホタ(長く切って串に挿す)を神社に持ち込んだようだ。
なお、今夜は宵宮の頭屋祭。夜膳のヨバレに招かれる氏子たち。
ご馳走でお腹が満腹になったころにヨミヤ参りをしようと云って高龗神社に参るそうだ。
一同揃ってヨミヤ参りを済ませてようやく自宅に帰ると話していたが、待ち続けるには頭屋家に迷惑をかけると思って退席。
帰路についた。
(H27.11. 9 EOS40D撮影)