私が入院するからと云って大阪からバス・電車を乗り継いで奈良にやって来たのは12月8日だった。
おふくろはいたって元気印の89歳だ。
8日は私が入院した初日だ。
翌日の9日が電極カテーテルアブレーション処置になる。
その日の朝に泊まっていた我が家でおふくろは嘔吐した。
地元のU診療所で看てもらって点滴処置をしたそうだ。
10日、11日、12日も吐き気をもよおす絶不調。
13日はややましになったものの14日は最悪。
診療所よりも設備の整った地元のT病院で看てもらうことにしたそうだ。
このとき診察した内科医師は、私が7月に入院したときの循環器内科のM医師だった。
撮ったレンドゲンの状況で判明した体内大便詰まり。
そのまま放置すれば腸閉塞になってしまう状況にあったと伝えられた。
治療は、といえば、点滴に浣腸だ。
吐き気や嘔吐の原因は大便詰まり。
体内に溜め過ぎた残留便に跳ね返されて嘔吐になったという。
塊のような感じの残留便詰まりだったそうだ。
つまりは、腸炎であるが発熱はない。
翌日は我が家で嘔吐。
浣腸をしても出つくしてはいない。
自宅でもしてくださいと云われて浣腸器で刺激した15日。
翌日の16日は私の退院日。
おふくろは午前中に連れて行った病院でまたもや浣腸処置。
我が家に戻ったらおふくろは寝込んでいた。
体力消耗の毎日に心配はするが、自力で排便するしかない。
この夜は期待が叶って排便した。
翌日の17日は再び嘔吐。
朝に晩に、である。体調が良うなったときは少量のおかいさんが食べられるが、この日の晩は激しかった。
水分が欲しいと願うおふくろ。
私が入院棟で使用していたストロー付きカップで水を飲む。
便の実態はなく、シャーと勢いよく排出する水のようだったというおふくろ。
どうやら飲んでいた下剤も効いて下痢症状を起こしていた。
水を飲んでから数時間後は吐き気をもよおして嘔吐する。
ティッシュペーパーで拭った嘔吐に実態はなく水分である。
その色は薄めの黄色。
のちに病院看護師に聞いた話しによれば胆汁だった。
食べていないから吐きだすものは胆汁だけになっていたのだ。
体力を消耗しているおふくろの身体はもつだろうか。
我が家で看護するのも限界がある。
むしろ病院看護に預かってもらうわけにはいかないだろうか。
そのほうが安心できるのだが・・・。
そう思って翌日の18日にも来院したT病院。
主に看てくださっていたM循環器内科医師の見立ては入院看護だ。
予め決まっていた腸エコーや胃カメラ検査は12月22日。
それまではご家族も安心できる病室に泊まってもらって看護するという。
ありがたいお言葉にほっとする。
ひとまず案内してくださった病室は利用料免除の個室部屋だった。
12月22日に行われる腸エコーや胃カメラの結果が判明するまでは個室。
病院都合ということで利用料(一日・一万円)は免除されたのだ。
個室の入室は入口供えつけの消毒薬で手を綺麗にする。
感染症防止のためには殺菌服の着衣も要すると看護士が伝える。
万が一を考えて、嘔吐、下痢症状がみられるおふくろが入った個室からノロウイルスが他の病室に広がらないように隔離した措置である。
入院時間帯は丁度のお昼時。
前日は下痢に嘔吐でなにも口にしていないおふくろ。
昼食が配膳された料理の香りで胃袋が触発されて「食べたい」と起き上る。
食べ終わった配膳はノロウイルス対策が講じられる。
食べ残した料理は袋に入れて滅菌処置。
密封されて個室内トイレに一時的保管する。
椀やお皿に膳も、すべてをナイロン袋に詰め込む。
これもまた万が一の措置である。
医師や看護師は当然であるが、看護する家族も同様に手洗い消毒に殺菌措置をして入室しなければならない。
入院当日に世話してくれた看護師は九州大分県出身のNさん。
訛ですぐに出身地が判ったというおふくろとかーさん。
たいしたものだ。
病名は「腸炎・脱水」である。
病院食の昼ご飯で胃袋を満たしたおふくろは3時間経過してもなんら異状もみせない。
もう大丈夫だろう。
医師もなぜに嘔吐するのか異常を示すデータがないという。
処、環境が変わったからなのか、さっぱり判らない。
ひとまず安心して自宅に戻ったかーさんと次男。
まずは安堵する。
病院からは特別な電話もなかった。
なにごともなく一夜を過ごしたと思っていた。
翌日19日の土曜日午後はかーさんが病院に向かった。
帰宅したのは午後4時半だ。
真っ暗になる前に帰ってといわれて帰路についたそうだ。
見送ったおふくろ。
実は異状があった。
昨日は私たちが帰ったあとだ。
19日は午後の昼前に異状があった。
嘔吐があったのだ。
昨日は主治医の医師に伝えた入院中の嘔吐。
何故が判らず、原因は不明。
22日に行われる胃カメラを待つしかないのだろうか。
12月20日は私が出向く。
リハビリを兼ねた歩行訓練に歩きを採用する。
病院までは自宅より片道2、3キロメートル。
元気なころは30分で到着するような距離。
万全な身体でない今の歩行時間は40分である。
おふくろの話しと看護記録によって状況が徐々に判ってきた。
18日は夕方の食事は配膳後の嘔吐で食べられなかった。
19日は朝昼とも食べていた。
夕食は吐き気があったが、嘔吐はなかった。
20日の零時、2時、5時の夜中である。
三回の小水に目が覚めたようだ。
起床して歯磨きをしたが、そのときに吐き気をもよおしたこともあって朝食は抜いた。
11時に点滴針の差し替えがあった。
若い看護師さんは不慣れ。
何度も何度も挿すが上手くできない。
ベテランの看護師さんが交替してなんとかおさまった。
点滴は薬剤でなく私でも判る栄養剤だ。
その後の昼・晩食は吐き気もなく食べたと話していた。
21日、朝は絶食で11時に腹部・骨盤こう造影CTスキャンが行われる。
検査は負担がかからないCTスキャン。
およそ10分後には病室に戻った。
寒いと云った病室は講じていたノロウイルス対策は解かれた。
菌は検出されないことから解除されたのだ。
そういうこともあるし、スキャン結果も特に問題は見られず、午後は大部屋に移った。
昼・夕食とも美味しく食べたというおふくろの様子は元気を取り戻す手前まできたようだ。
22日は朝の9時から腹部エコーに胃カメラ検査が行われた。
連続で実施されて30分後には病室に戻ってきた。
疲れたのかひと眠りしている間に主治医を見かけた。
声をかけた主治医は7月入院のことを覚えていたようだ。
丁度いい時に遭遇した。
検査結果もでているので現状を説明しましょうといってナースステーションに案内された。
医師がいうには大便が溜まって腸閉塞なりかけていたが、浣腸や薬剤投与で完全に除去した。
が、である。
その後の数日間の嘔吐は投与した薬剤が効いた関係にあるという。
食事を摂っても、お通じがないのは便が溜まってないからだ。
検査結果に異常は認められない。
若干のポリープがあるものの特にとるほどでもない良性型。
腎臓、肝臓も悪い所はない。
大腸検査することもなく、昼食を済ませて支払い手続きができたら帰ってよし、と伝えられた。
ただ、退院後については、野菜繊維質の食事をするとか、朝食後は歯を磨くとか、である。
毎日がもよおさなくとも便器に座る。
シャワーで刺激を与えることで大便が出る。
また、市販の乳酸菌のビオフェルミンや森永・森下仁丹サプリを飲んで腸を動かすとか、適度な運動をしてください、ということだ。
おふくろの毎日の生活でできていなかったのは、乳酸菌と便器シャワーだけだ。
乳酸菌は嫌いなほうではない。
たまに食べている。
住まいする住居の便器はシャワーがない。
気持ち悪いからと云って、我が家に来たときも活用しないぐらいだ。
むしろ、食べ方が早いのが気にかかる。
口をモグモグしている最中にもおかず取りに箸が動く。
摘まんだ料理はモグモグしていても口に放り込む。
なんせ、早いのである。
もっともっと、細かいこともあるが、ここでは書かない。
医師が云ったことを本人に伝えたら、懲りたので守って生活しますという。
そんなあれやこれやで11時は介護士による入浴があった。
綺麗さっぱりになったおふくろはほくほくしていた。
私といえば、廊下や病室を出たり、入ったり。
何もすることがない。
そこに通りがかった外科専門のS循環器医師。
転院を勧めた医師だ。
その後の状況はかくかくしかじかと報告させてもらったら、脈拍が37であるなら、心臓ペースメーカーの装着を要する。
その場合になれば当院でも処置できるからと云っていたけど・・・。
それはともかく我が家に戻ったおふくろは体調が戻るまで療養することにした。
翌日の23日は自宅周辺に建つ県立病院の工事を見られる位置まで歩いたそうだ。
地道の坂道に疲れたのか戻ってぐったり。
一挙にしてはならんということだ。
歩けると自覚したおふくろは大阪住之江に戻りたいと申し出た。
元気な身体に戻ってきた証拠である。
数日後の29日にはしゃぶしゃぶ肉を買いに行きたいと電話で伝えるおふくろ。
お正月は再び我が家。
そのときに食べるすき焼き肉も含めて買い求めにでかけた処は難波。
こりゃあ、完全復活だわ。
(H27.12.18・・・22 SB932SH撮影)
おふくろはいたって元気印の89歳だ。
8日は私が入院した初日だ。
翌日の9日が電極カテーテルアブレーション処置になる。
その日の朝に泊まっていた我が家でおふくろは嘔吐した。
地元のU診療所で看てもらって点滴処置をしたそうだ。
10日、11日、12日も吐き気をもよおす絶不調。
13日はややましになったものの14日は最悪。
診療所よりも設備の整った地元のT病院で看てもらうことにしたそうだ。
このとき診察した内科医師は、私が7月に入院したときの循環器内科のM医師だった。
撮ったレンドゲンの状況で判明した体内大便詰まり。
そのまま放置すれば腸閉塞になってしまう状況にあったと伝えられた。
治療は、といえば、点滴に浣腸だ。
吐き気や嘔吐の原因は大便詰まり。
体内に溜め過ぎた残留便に跳ね返されて嘔吐になったという。
塊のような感じの残留便詰まりだったそうだ。
つまりは、腸炎であるが発熱はない。
翌日は我が家で嘔吐。
浣腸をしても出つくしてはいない。
自宅でもしてくださいと云われて浣腸器で刺激した15日。
翌日の16日は私の退院日。
おふくろは午前中に連れて行った病院でまたもや浣腸処置。
我が家に戻ったらおふくろは寝込んでいた。
体力消耗の毎日に心配はするが、自力で排便するしかない。
この夜は期待が叶って排便した。
翌日の17日は再び嘔吐。
朝に晩に、である。体調が良うなったときは少量のおかいさんが食べられるが、この日の晩は激しかった。
水分が欲しいと願うおふくろ。
私が入院棟で使用していたストロー付きカップで水を飲む。
便の実態はなく、シャーと勢いよく排出する水のようだったというおふくろ。
どうやら飲んでいた下剤も効いて下痢症状を起こしていた。
水を飲んでから数時間後は吐き気をもよおして嘔吐する。
ティッシュペーパーで拭った嘔吐に実態はなく水分である。
その色は薄めの黄色。
のちに病院看護師に聞いた話しによれば胆汁だった。
食べていないから吐きだすものは胆汁だけになっていたのだ。
体力を消耗しているおふくろの身体はもつだろうか。
我が家で看護するのも限界がある。
むしろ病院看護に預かってもらうわけにはいかないだろうか。
そのほうが安心できるのだが・・・。
そう思って翌日の18日にも来院したT病院。
主に看てくださっていたM循環器内科医師の見立ては入院看護だ。
予め決まっていた腸エコーや胃カメラ検査は12月22日。
それまではご家族も安心できる病室に泊まってもらって看護するという。
ありがたいお言葉にほっとする。
ひとまず案内してくださった病室は利用料免除の個室部屋だった。
12月22日に行われる腸エコーや胃カメラの結果が判明するまでは個室。
病院都合ということで利用料(一日・一万円)は免除されたのだ。
個室の入室は入口供えつけの消毒薬で手を綺麗にする。
感染症防止のためには殺菌服の着衣も要すると看護士が伝える。
万が一を考えて、嘔吐、下痢症状がみられるおふくろが入った個室からノロウイルスが他の病室に広がらないように隔離した措置である。
入院時間帯は丁度のお昼時。
前日は下痢に嘔吐でなにも口にしていないおふくろ。
昼食が配膳された料理の香りで胃袋が触発されて「食べたい」と起き上る。
食べ終わった配膳はノロウイルス対策が講じられる。
食べ残した料理は袋に入れて滅菌処置。
密封されて個室内トイレに一時的保管する。
椀やお皿に膳も、すべてをナイロン袋に詰め込む。
これもまた万が一の措置である。
医師や看護師は当然であるが、看護する家族も同様に手洗い消毒に殺菌措置をして入室しなければならない。
入院当日に世話してくれた看護師は九州大分県出身のNさん。
訛ですぐに出身地が判ったというおふくろとかーさん。
たいしたものだ。
病名は「腸炎・脱水」である。
病院食の昼ご飯で胃袋を満たしたおふくろは3時間経過してもなんら異状もみせない。
もう大丈夫だろう。
医師もなぜに嘔吐するのか異常を示すデータがないという。
処、環境が変わったからなのか、さっぱり判らない。
ひとまず安心して自宅に戻ったかーさんと次男。
まずは安堵する。
病院からは特別な電話もなかった。
なにごともなく一夜を過ごしたと思っていた。
翌日19日の土曜日午後はかーさんが病院に向かった。
帰宅したのは午後4時半だ。
真っ暗になる前に帰ってといわれて帰路についたそうだ。
見送ったおふくろ。
実は異状があった。
昨日は私たちが帰ったあとだ。
19日は午後の昼前に異状があった。
嘔吐があったのだ。
昨日は主治医の医師に伝えた入院中の嘔吐。
何故が判らず、原因は不明。
22日に行われる胃カメラを待つしかないのだろうか。
12月20日は私が出向く。
リハビリを兼ねた歩行訓練に歩きを採用する。
病院までは自宅より片道2、3キロメートル。
元気なころは30分で到着するような距離。
万全な身体でない今の歩行時間は40分である。
おふくろの話しと看護記録によって状況が徐々に判ってきた。
18日は夕方の食事は配膳後の嘔吐で食べられなかった。
19日は朝昼とも食べていた。
夕食は吐き気があったが、嘔吐はなかった。
20日の零時、2時、5時の夜中である。
三回の小水に目が覚めたようだ。
起床して歯磨きをしたが、そのときに吐き気をもよおしたこともあって朝食は抜いた。
11時に点滴針の差し替えがあった。
若い看護師さんは不慣れ。
何度も何度も挿すが上手くできない。
ベテランの看護師さんが交替してなんとかおさまった。
点滴は薬剤でなく私でも判る栄養剤だ。
その後の昼・晩食は吐き気もなく食べたと話していた。
21日、朝は絶食で11時に腹部・骨盤こう造影CTスキャンが行われる。
検査は負担がかからないCTスキャン。
およそ10分後には病室に戻った。
寒いと云った病室は講じていたノロウイルス対策は解かれた。
菌は検出されないことから解除されたのだ。
そういうこともあるし、スキャン結果も特に問題は見られず、午後は大部屋に移った。
昼・夕食とも美味しく食べたというおふくろの様子は元気を取り戻す手前まできたようだ。
22日は朝の9時から腹部エコーに胃カメラ検査が行われた。
連続で実施されて30分後には病室に戻ってきた。
疲れたのかひと眠りしている間に主治医を見かけた。
声をかけた主治医は7月入院のことを覚えていたようだ。
丁度いい時に遭遇した。
検査結果もでているので現状を説明しましょうといってナースステーションに案内された。
医師がいうには大便が溜まって腸閉塞なりかけていたが、浣腸や薬剤投与で完全に除去した。
が、である。
その後の数日間の嘔吐は投与した薬剤が効いた関係にあるという。
食事を摂っても、お通じがないのは便が溜まってないからだ。
検査結果に異常は認められない。
若干のポリープがあるものの特にとるほどでもない良性型。
腎臓、肝臓も悪い所はない。
大腸検査することもなく、昼食を済ませて支払い手続きができたら帰ってよし、と伝えられた。
ただ、退院後については、野菜繊維質の食事をするとか、朝食後は歯を磨くとか、である。
毎日がもよおさなくとも便器に座る。
シャワーで刺激を与えることで大便が出る。
また、市販の乳酸菌のビオフェルミンや森永・森下仁丹サプリを飲んで腸を動かすとか、適度な運動をしてください、ということだ。
おふくろの毎日の生活でできていなかったのは、乳酸菌と便器シャワーだけだ。
乳酸菌は嫌いなほうではない。
たまに食べている。
住まいする住居の便器はシャワーがない。
気持ち悪いからと云って、我が家に来たときも活用しないぐらいだ。
むしろ、食べ方が早いのが気にかかる。
口をモグモグしている最中にもおかず取りに箸が動く。
摘まんだ料理はモグモグしていても口に放り込む。
なんせ、早いのである。
もっともっと、細かいこともあるが、ここでは書かない。
医師が云ったことを本人に伝えたら、懲りたので守って生活しますという。
そんなあれやこれやで11時は介護士による入浴があった。
綺麗さっぱりになったおふくろはほくほくしていた。
私といえば、廊下や病室を出たり、入ったり。
何もすることがない。
そこに通りがかった外科専門のS循環器医師。
転院を勧めた医師だ。
その後の状況はかくかくしかじかと報告させてもらったら、脈拍が37であるなら、心臓ペースメーカーの装着を要する。
その場合になれば当院でも処置できるからと云っていたけど・・・。
それはともかく我が家に戻ったおふくろは体調が戻るまで療養することにした。
翌日の23日は自宅周辺に建つ県立病院の工事を見られる位置まで歩いたそうだ。
地道の坂道に疲れたのか戻ってぐったり。
一挙にしてはならんということだ。
歩けると自覚したおふくろは大阪住之江に戻りたいと申し出た。
元気な身体に戻ってきた証拠である。
数日後の29日にはしゃぶしゃぶ肉を買いに行きたいと電話で伝えるおふくろ。
お正月は再び我が家。
そのときに食べるすき焼き肉も含めて買い求めにでかけた処は難波。
こりゃあ、完全復活だわ。
(H27.12.18・・・22 SB932SH撮影)