マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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井戸野の八王子

2009年08月15日 06時32分16秒 | 楽しみにしておこうっと
井戸野には八つあったとされる八王子さん。

ハチオージサンとかハツボサン(八坪さんが訛った)とも呼ばれる八王子さんは集落の周辺に存在していると観音講の皆さんが仰る。

それはうちの家や田んぼにもあるとそれぞれ話してくださったのは7箇所。

もうひとつは思い出せないというからとうの昔に消滅したものと考えられる。

1.北西のOさん家の藪の中に瓦焼きのヤカタがある。

2.Nさん屋敷の南西の塀の片隅。

3.Yさんの家の西側の道際。

4.平和自動車の西側の田んぼの中。

5.廃家になったUさん家の庭は草ぼうぼうでハミ(マムシ)が出ると恐れられている。

6.Fさん所有の田んぼ。地区北側を東西に横切る道路の北側の西(フジの木が弦巻いている小塚)。

7.講衆のTさん所有の田んぼで大塚は同様に東西に横切る道路の北側の北東(ハウス栽培するため供養してもらって少し移動した)。

講衆のお話で7箇所が判明した。そのうち5箇所は西側の環濠付近に沿っている。残りの2箇所は北東に位置する。

そのほかのお話しを聞くことができた。

井戸野の地蔵さんは菩提川に沿って東と西の2箇所がある。

二つの地蔵盆には常福寺の住職が法要されるので開始時間を少々時間をずらしている。

オソナエは各家が持ってきて供える。

マメやエンドウの炊いたんを作って供えていたと百二歳のご婦人は仰る。

今ではお菓子に替わって参りに来た子どもにお下がりとしてあげている。

昔はアラタナに念仏を唱えに念仏講がやってきたとご婦人は仰る。

いつごろまでやっていたのかと尋ねると明言はされなかったが六十歳ころかなとうなずいた。

だいぶ前のことやから覚えてないといった。

Oさんの奥さんは田原の出身。

いのこのクルミモチ、朴の葉弁当を覚えている。

朴の葉の香りが移って御飯が美味しかったという。

画像は観音堂に祀られている行者像。

(H21. 7.17 Kiss Digtal N撮影)

井戸野の観音講

2009年08月14日 07時27分18秒 | 大和郡山市へ
大和郡山市井戸野町の観音堂では、毎月17日に観音講の方が集まって本尊十一面観音菩薩像を拝み、西国三十三番ご詠歌を唱えられる。

平成9年のお堂修理には12、3人。平成18年の本尊像修理の際には8人。

その間、亡くなられた人や認知病のために講衆は一人減り二人減りと少なくなって、とうとう6人になった。

今日も都合で来られない人がおられ、集まったのは4人。

およそ八十歳以上となった講衆のなかには百二歳の方も参加されている。

毎月の営みに極楽成仏のおかげで苦しむことなく先立っていった。

残った私たちもこうして元気に参っていると話される。

厨子の扉を開けると本尊の立像が目に入る。

夏の野菜などを供え、燭台の灯明に火を点けて始まった。

はじめに隣接する常福寺の奥さまが般若心経を唱えてお勤めされる。

かって観音堂はもっと広い堂宇だった。

北側の隣接公民館となっている地も含まれるお堂だった。

西側には古い井戸もあったと話される講衆。

その古い井戸のことを詠んだとされるご詠歌を最後に唱和する観音講の営みは、代表者が前に座って鉦を叩いて行われる。

耳を澄ませば心に響く鉦の音。

堂内に女人が発する和讃はいつもなら23番で一服の休憩をするのだが、今日は番外まで一気に唱和した。

終わる頃にはお灯明の火も小さくなった。

番外西山上人霊場十三番は総本山光明寺のご詠歌に「いきてみを。はちすのうえに、やどきずは ねんぶつもうす、かいやなからん」』を。

番外西国十四番の『井戸野観音堂のご詠歌に「もうできて。くむやいどのの、ふるでらに ふかきめぐみに、ながれつきせし」』を唱えて、最後に『南無大慈大悲の観世音菩薩種々重罪五逆消滅自他平等即身成仏』を三遍唱和した。

井戸野の謡いは「詣で来て、汲むや井戸野の古寺に、深き恵みに流れ尽きせし」ということでしょうか。

「古寺」を詠まれた井戸野の観音堂を尋ねて訪れる人は年に数人をみかけるという。

(H21. 7.17 Kiss Digtal N撮影)

矢田北村の地蔵さん・観音講

2009年08月13日 07時20分55秒 | 大和郡山市へ
かって年寄りのご婦人方で営まれていた矢田北村の観音講。

引退されたあとを継ぐ婦人会。

畑仕事が暇になったとき、晩の八時に公民館へ集まって詠歌を練習している。

二人の会長がその日を決めている。

その北村地区には峠にあがる急坂の道沿いに南無地蔵の石仏が並べて祀っている。

毎年八月二十三日の晩八時、新しくヨダレ掛けを掛け直した地蔵さんの前で同じように詠歌のお勤めをしている。

夕飯食べてからやけど子ども達も集まってくるそうだ。

お供えは子どものおやつになるものばかりだという。

(H21. 7.17 SB912SH撮影)

矢田東明寺地区の観音講

2009年08月13日 07時17分58秒 | 大和郡山市へ
八坂神社の祭礼を担っている東明寺地区の氏子さん11軒は観音講の講中でもある。

八月のお盆の月を除く毎月は施主の家に集まってお念仏を唱えている

本来は17日であるが、施主らの都合で第一、第二辺りの土曜か日曜の夜に営む観音講は施主宗派によって営みが変わり、それぞれの宗派形式に応じた形式(施主によってはご詠歌もある)で行われている。

かってはイロゴハン(奥さんは大阪の出身でカヤクゴハンといってたものがいつの間にかイロゴハンというようになったという)を作って夕飯を食べたあとにオトムライを勤めている。

サラリーマン家庭が増えて家の食事もせなあかんので現在はお勤めだけになっている。

その後はおしゃべりをして次月の日程を決めて解散している。

Uさんの奥さんは娘さんが小さいころにおばあちゃんに代わって講衆になられた。

その子も大学生になったが村の行事やし続けていきたいと仰った。

ちなみに中村や北村地区でも行われていることを聞いている。

こちらの地区も聞き取りを進めていきたい。

(H21. 7.12 聞き取り記)

9月の当番は東明寺。

奥さまのお話では地区の宗派は東明寺の真言宗、日蓮宗に天理教、それぞれの施主宗派の仏壇に向かってそれぞれの宗派の念仏を唱えるという。

また、毎年2月12日は東明寺で薬師講が営まれる

大阪から約30人ほどの信者衆が集まってお勤め。

笹酒、カス汁、カヤクゴハンのお接待。

かっては木の弁当が使われていたそうだ。

地区の長老の話では子ども時分に富雄まで出かけていって幟を立て信者さんを出迎えた。

そしてお寺まで歩いてきたことを覚えているという。

(H21. 8.11 聞き取り 記)

変貌する景観は写真集に残された

2009年08月12日 07時02分56秒 | 民俗の掲載・著作
病室で天使に見つけられてしまった樹林社刊の『大和郡山・天理の今昔写真集』。

「この本、最寄りの本屋さんで予約購買したんです。住んでいる地域の昔の写真を眺めて母親と一緒に懐かしいって話してたんです」と仰る。

この写真集、実は私も執筆者の一人なんですよと伝えるとたいへん驚かれた。

戦後の昭和時代を記録された地域景観の移り変わりに家族が話す。

これこそ発刊を待ち望んでいた私の思いなのです。

数ヶ月前、取材者が私を探して訪ねてきた。

なんでも祭りや行事のことを聞くなら私を尋ねて行けと数人から言われたそうだ。

主旨に賛同して取材やお祭り写真の検証などに協力した。

その後に写真協力ではなく、お祭りについてコラム文を書いてほしいと依願された。

数あるお祭りや行事のなかから一本のテーマだてをするのは難しい。

頼まれた以上はなんとか書かねばと思い一気に書き上げた。

こんなんでどうとオンダ祭を中心としたコラム文を送付すれば半分が被っているという。

それは牛の貸し借りだった。

そのことは集められた写真にキャプションで書かれているという。

この風習は民俗行事を取材しているなか、各地で聞きとられたものである。

まさか、それが写真に残っているとは。

記録された方に敬意を評する。

仕方がないので全編を書きなおして入校した。

そんなことはともかく、私にとってはこの今昔写真集に掲載された写真はどれをとっても垂涎のもの。

リヤカーに乗った子どもに、街角なので遊ぶ普段儀が着物だった子ども。

自分自身でもそうであったようにとても懐かしい風景だ。

ハナタレ小僧で木棒でチャンバラゴッコをしていた時代を思い起こす。

当時は大阪市内だったがほとんど変わらない情景。

そのころ写真はといえば、カメラマンがやってきて子供の姿を撮って売りつけていく時代だった。

実家にも一枚残っている。

高価なカメラなんぞ、持っている家なんてなかった時代。

カメラを持っていても家族の記念写真ばかり。

とてもじゃないけど風景などを撮っている人は写真館かよほどの人だ。

そんな難しい写真収集を短期間でよく集めたものだと感心する。

なにげない一枚が貴重な記録となって甦った写真集。

そこには数十年の間に大きく変貌した地域の憧憬が残されている。

(H21. 7. 1 SB912SH撮影)

小夫の花カズラ

2009年08月11日 07時41分23秒 | 桜井市へ
瀧之郷に向かう街道の通過点に小夫地区がある。

道路は走りやすく周辺は田んぼが広がる。

そこに何かがあるのだろうと走行中に田んぼを見ているのだがいつも景観だけが通り過ぎていく。

ところがだ、今日は何故か畔に物体が置かれているものを発見した。

それはどこかで見たことがある物体。

帰宅して撮りためた画像を検索してみた。

それはまぎれもない小夫天神社でおんだ祭事された「花カズラ」だ。

太く編んだ藁が二股状。

木の枝にはたくさんの神札が取り付けられている。

田植えを終えたばかりの田んぼの花カズラ。

葉っぱの枯れぐあいから苗代の水口祭に供えられたのであろう。

(H21. 6.13 SB912SH撮影)