ぶっきらぼうな文体が特徴。食品・飲食プランナーでマルハの関わりもあり魚肉ソーセージに詳しい。50年代(戦後)に米があたりまえになり、60年代はインスタント・レトルト、コールド・チェーンで冷凍食品、70年代は洋風化でファストフードとファミリー・レストラン(クックレス・レストラン→ククレ・カレーに転用)、「オカアサンヤスメ」、パルコやポパイの隆盛があった。<o:p></o:p>
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その後、「汁かけめし」の家庭料理としての位置付け、江原恵の「包丁文化論」による日本料理の伝統を説く。日本料理と家庭料理は同じ和風でも二重構造があったとの指摘。80年代には、玉村豊男の「料理の四面体」が衝撃とあったが、当方は、「丸元淑生のシステム料理学」1982年が実用的で好んでいる、この後、鰹節と羅臼昆布とタラコと鮭でなく炒り子も常備された。醤油なども本醸造しか買わない。出汁だけはいまも本格だ。確かに、この2冊が理論的な男子厨房の嚆矢だ。その後、江原恵は「生活料理」に路線を変える。この後の90年代はバブルでグルメの台頭だ。<o:p></o:p>
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野菜炒めとフライパン運動、日本料理には火力が小さいため炒り煮しかなかったというのは面白い。たしか伊丹十三の「女たちよ」に中華炒めをChinese Stir Fry とマイクルのキャベツ(ニンニク塩炒めキャベツ)もあった。ヨーロッパももともとは暖房兼のオーブンやシチュー煮込みの釜戸であったのが変容したのは同じではないだろうか。生鮮食料品の流通、冷蔵・冷凍もあるが、生活様式(団地とダイニングの出現 など)と調理器具の発展も要素としてとりまとめが欲しい。<o:p></o:p>
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最後に、家族一体としての「家庭料理」から「個」と「グルメ」への変容を語る。どんどん書いているが脈絡が感じられないのはどうしてだろうか。<o:p></o:p>
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面白いところもあるが、散文的でまとまりがいまひとつだ<o:p></o:p>
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