都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

街のランドマークが変わる、会社も、時代の変化

2022-05-25 02:25:23 | 世情

 1976年に上京し銀座に早速通った。ブリジストン美術館と伊東屋がお決まりで、その間にある2丁目のメルサ( Meitetsu Elegance Ladies Shopping Avenueの頭文字 )の上にある柿安で「ミートサラダ」(当時は千円程だった https://ameblo.jp/nagoyanavi/entry-12478915085.html )をよく食べたものだ。このメルサも閉店の運び。

 伊東屋はとうに建て替わった、裏のベトナムラーメン ヤマモトもない( http://kuidoo.blog88.fc2.com/blog-entry-10.html )

 大阪では、フジタ施工の「丸ビル」が建替えになる。卓上にフジタのカレンダー(澤田正太郎画伯の絵)を愛用して長い。前に大阪北区として丸ビルの絵があった(確か1976年(竣工の年)と思う)手前の第一生命ビルも今は建て替わっており、現在のヒルトン・ホテルのあたりにはバラックが残っている。これも建替えとのこと。確か、斜めにかしいでいるとの伝説があった。

 大体、50年で建て替える。三条木屋町のTIME'Sビルも仮囲いで管理されている。これも無くなるのかもしれない。そういえば、高松伸の北山のシンタックスや今出川の織陣、難波のキリンなどバブル案件はすぐに消えて思い出にすらならなかった。

 京都の街も最近解体と新築が多い。文化博物館の前の千切屋用地には三井のホテルだ( https://www.mitsuifudosan.co.jp/corporate/news/2022/0407/ )

 オーディオではオンキョーが倒産した。Grand Septer GS-1( https://audio-heritage.jp/ONKYO/speaker/grandsceptergs-1.html )など革新的だったが。山水も今やない。音楽が手軽になったが、ハイエンドは生き延びるという2極化が進行した。60年代からバブルまでのオーディオ・ブームは続いた。あの頃は、「音が変わる」のを楽しんだ「手段が目的化することを趣味という」(長岡鉄男)だった。今のスマート・フォンでのイヤフォン・オーディオは、音楽を楽しんでいるからこれはこれで良い。そのあおりを受けたのが外部装置型のオーディオ・メーカーだった。

 絶滅危惧種のジャズ喫茶などは、レコード、機材も良かったが、大きな音を家で鳴らせないからという理由もあった。今の家屋は当時より堅牢かつ遮音になっている。( 参考 https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309270678/ )

 秋葉原を歩いても、ラジオからオーディオ、PCのナードからオタクに変化した。今はフィギュアや漫画関係と「ご主人様」と呼びかけるよくわからない風俗がある

 街も企業も変わる

コメント
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