孤篷庵は大徳寺の塔頭、西側にある。南に船岡山を望む。孤篷庵の庵号の「孤」はひとり、「篷」は菅や茅などを粗く編んだ筵、つまりは苫舟を暗示しており、船からの風景がテーマとなる。小堀遠州の作かつ隠居の住処だ。
拝観( https://kyotoshunju.com/temple/koho-an/ )を1番乗りの8:30に行くと、庭師の方や係員の方々とおしゃべり。北からの入口には石橋がかかり中央で継いである。横から眺めると櫛の形に見えるとのこと。春には花菖蒲(らしい)も咲くとのこと。瓦葺の門と左右の塀も藁が漉き込まれ形も縁と下部に意匠がある。その西の築地塀は前に傾いでいる。
門の下は真の敷石、その先は行の延壇が続き、右に折れて玄関になる。左右は赤土。
南側が方丈、南に庭園、その先に茶室 忘筌は西向き(此岸に向く)、その先に書院(直入軒)と山雲床がある。( https://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/390c896448b5606e95904b450cc7d822 )内部の写真は撮れない。
方丈からは船岡山が借景(現在は家屋も多く、高木で遮る)、奥に2段の刈込み籬(まがき)が並行に続く、間に赤土、手前にも延石・葛石、雨落溝低い刈込み。左側に編み笠門のむくり屋根が可愛い。その奥は墓地になっている。手前は木が茂り蓬莱山の様だ。
忘筌は得魚忘筌から来ており、目的を達すれば不要、つまりは遠州の隠居を表す。方丈の広縁から西に木戸を開け、軒下の三和土の飛び石と那智黒石の意匠を経て、舟入板の間で障子が半分(上に4段、下に9段 御所張り 3段で9寸の割りか https://www.misawa-mrd.com/wasitu/room/syouji.html )下りて入口となっている。奥の1畳が主人席となっている。欄干は船の手すりを模した木の細いもの、桂離宮の月波楼は束が竹で野趣に富むが、こちらは船をそのままにしている。なお、飛び石は渦を、那智黒石は波を表すという景色だ。
西向きの茶室は暑いため、日よけの障子なのだろうが、独自の風景を切り取っている。円筒の高さのある露結の手水鉢と奥の傘の丸い灯籠が変化を与えている。遠州の白(織部の緑、利休の黒)を感じる。白い胡粉を塗った砂摺り天井により照り替えし効果を狙っていると解説があったが、ほとんど残っていない。
直入軒書院の前庭は近江八幡と近江富士の三角がある。よく見ると歩けるようでもある。散歩のためだろうか。石橋がある。左に傘を被った手水や手燭が釣られている。遠州好みのへの字の石や、延壇の延長もない。ここも赤土であり珍しい庭だ。南側で日当たりが良いため、もともと苔が生えないため赤土にしたのだろうか。夏の反射熱(照り返し)があり、暑いと思うが。
その奥の山雲床は密庵席の写しと言われ、障子が多い席だ。露地庭は苔が見え、織部灯籠があった。これは普通の庭のようだ。
書院の欄間の押さえと山雲床の窓、欄干は2重の桟(吹き寄せ)と格式が高くなっている。障子は9段の御所張り、腰板には3本と2本(上下)の横桟が飾りにある。係員に聞いたところ遠州は二重が好きだからとの返答だが、そうだろうか。
20人の団体で40分程、もう一度、ゆっくり見たい。写真が撮れないため、絵葉書13枚、500円を購った。