駅前の阪急のイヴェントは嵐山と同様、清荒神への参道を登る。色々、お店があり興味深い。中国自動車道がうっとおしい。近くには、ラビスタ宝塚ノースハイツというマンションが西側に建っている。
マキを売っているのは高野山と同じだ
清荒神清澄寺( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E8%8D%92%E7%A5%9E%E6%B8%85%E6%BE%84%E5%AF%BA#cite_note-1 )は旧清( https://www.facebook.com/1412891545649230/posts/1665286253743090/ )にあった。山岳宗教の流れもあり、いまも神変大菩薩(行者洞)に役小角を祀っている。奈良大峰山修験道( https://www.vill.tenkawa.nara.jp/ds/index.php )や葛城修験道( https://katsuragisyugen-nihonisan.com/ )が有名だが、宝塚近くにも箕面の瀧安寺( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E5%AE%89%E5%AF%BA )などの修験堂の根本道場だ。
さらに、三宝荒神の三宝荒神社( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%AE%9D%E8%8D%92%E7%A5%9E )と一体だ。
清荒神清澄寺史料館( https://www.takenaka.co.jp/majorworks/41709382008.html )はあきらかに唐招提寺のリスペクトだが鴟尾はない。周りをガラスの回廊とし、カラス二重のスリットとしたあしらいはセンスがある(早稲田の設計実習のモデルを想い出した)、水落と横の水盤もきれいな設計だ。
その手前は芝生、うまい設計だ。本堂への階段とともに孫が遊んだ。
横にある庭も蓬莱島、付け足しの亀島(鶴はない)、斜面の石組みは力強く見事だ。重森三玲が評価するのも分かる。
孫は運動もあり荒神川、奥の滝まで行く。水量が少ないが見ごたえがある。
ここから昔1年住んだ岡町まで、お目当ての土手嘉は休み。( https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48538/1/83_195.pdf )これを読んで子供は京大を志したのかもしれない。能勢街道の要所や一休みのうどん屋だった。そういえば、終点の池田には吾妻うどんがある。
原田神社( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE )は解説によると京都祇園社と同じく仏教の牛頭天王信仰もあり、神仏習合だ。
第二次世界大戦敗戦後に、周りの敷地を商業として貸したのが、神社の周りを巡るアーケード街の起こりらしい。家屋のなかに木が突き抜けた昆布屋があった。(今は別店舗)
昔の社宅も未だ健在、夏は灼熱、冬は結露のため京都に引っ越したのは今で思うと時期と物件選定が良かった
原田神社にて、七五三祝いの写真撮影など微笑ましく見ながら、孫は広い空間とお百度石のあるL字型の鳥居を走り回る。
ゆったり、昔のたこ焼き屋は2店とも閉業、風呂屋も駐車場になっていた。
11,100歩