野草(イエツァオ)なくらし!

文京区改め金生町で草をアートし売り、食べています

島原へNO6(おじいさん)

2017-05-22 21:45:31 | 旅行記

バックの写真の真ん中に写っているのがおじいさんだ。

90歳までは何も変わらず仕事ができたという。

今もできると思っているが周りが危ないと言うからやめているらしい。

ポスターに写っている手の中におじいさんの手も写っている。

島原で代々続く鍛冶屋の生まれで11人兄弟の女性以外9人の男性は鍛冶屋だった。

友達夫婦より話は聞いていたがお会いしてどうしても仕事場を見せてもらいたくなった。

昭和16年に建った工場は今も続いている。

昔からあまり変わらない道具を使っての制作だと思う。

土の床。

鉄が赤く染まっている。

おじいさんは工場ができてすぐ出征したそうだ。

食事の時、自前の歯なので”きれいな歯ですね”と言ったら”ビンタで奥歯が2本折れた”と言った。

友達が4人出征して4人返ってきたがそれなりに辛いこともあったと言っていたが4人出征して4人返らない家族だってあった。

工場まで歩いていく途中ポツリポツリと町の案内をしてくれる。

生まれ育ち96年のガイドは趣がある。

湧水庭園の前を通った時開園前だが門が開いていた。

昔は人が住み解放された後おじいさんは入ったことがなかったそうだ。

入り腰かけてコイをながめていたら女性が現れお茶を入れてくれた。

湧水を利用した庭園は清らかで美しかった。

側溝の水も子供のころは飲んでいたと言う。

湧水に泳ぐ緋鯉は水がきれいすぎるためそのうち白くなるらしい。

ある家の前を通った時”元私の家だったんです”と言った。

7歳違いの奥さんが39歳で亡くなった時の治療代のため売ったそうだ。

3人のうち2人の孫娘は一緒に住んでいる。

2人の孫娘とおじいさんは一緒に洋服を買いに行く。

おじいさんは古くないと孫娘たちは言いおじいさんを大事にしている。

近くに結婚する孫娘は特におじいさんべったしなので友達に”爺さんも連れていけ”と言われていた。

子育て中忙しかった友達夫婦に変わりおじいさんの愛情をたっぷりもらったようだ

家の近くに広い駐車場がある。

時々警備のため見回るそうだ。

 おじいさんとの散歩から帰るとみんな仕事に出かけていた。

 おじいさんがいるので出かける者たちは家の心配もせず出かけたことだろう。

私もその日の目的地は竹田市でゆっくりはしていられない。

駐車場で出発の準備をしているとおじいさんが忘れ物を届けてくれた。

長年の経験を活かしバタバタと生活をする者たちを静かに見つめ、たりないところを静かに補ってくれる。

豊かな歴史と文化があり湧水のわく観光地島原をまたおじいさんの案内で歩いてみたい。














 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする