野草(イエツァオ)なくらし!

文京区改め金生町で草をアートし売り、食べています

島原へNO8(岡城址)

2017-05-24 22:22:01 | 旅行記

竹田市へ着いたのは4:50分。

その足で岡城へ向かう。

金生町まで帰ることを考えると明日もゆっくりはしていられない。

時期的に6時過ぎまで明るいのがありがたい。

竹田市はトンネルが多い。

私の感覚だとトンネルを抜けると違った地域へ行ってしまいそうで不安になるがトンネルを抜けないと目的地へは行けない。

川に囲まれた地形でその中にポッポコと小山っと言おうか岡というのがたくさんある。

岡城址もその小山の上にあった。

見下ろすと急斜面に建っていたのがよくわかる。

戦国時代の城なので攻防戦を考えての場所なのだろう。

急斜面にどんな足場を組んで石垣を築いたのかとつくづく思う。

夕方の城跡見学は少し気味が悪いがありがたいことに犬の散歩の女性がいた。

犬のそばには野良猫がピタッとついて歩いている。

毎回やってくるそうだ。

もちろん平らな場所もある。

滝廉太郎の像と対面した時は来たんだとつくづく思った。

ゆっくりしたかったが散歩の女性も帰ったし私も帰ることにした。

山を下りトンネルを抜けると急な階段。

広瀬神社だが上がると鳥居が何個もある。

いろんな神社がまつられているようだ。

広瀬神社に祭られているのは軍人。

第2次世界大戦の終戦の日に切腹した阿南陸軍大将も竹田市出身。

それにしても切腹は昭和の時代にもあったんだ。

先日イギリスで自爆テロがあり大勢の若い人たちが犠牲になった。

形は違え人はいつの時代も怖いことをしてしまう。

愛染堂も丘の上にあり急な階段を上る。

この辺りに滝廉太郎の生家があるようだが見つけられず。

めづらしい地形の町だとの思いを残してその日の観光を終えた。










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