野草(イエツァオ)なくらし!

文京区改め金生町で草をアートし売り、食べています

島原へNO9(トンネル)

2017-05-25 22:51:55 | 旅行記

竹田駅。

後ろの山並みに数か所あるトンネルを抜けて市内に入るが入っても小山がありトンネルをくぐることになる。

岡城を見学し町中を少し走り不思議な地形のことが知りたくなり明日は民俗資料館へ行こうと思った。

阿蘇で霧の中彷徨で疲れ道の駅で熱いコーヒーを飲んだ時せっかく放牧場を見学したのだからとボリユームたっぷりのカツサンドも食べているので宿へは朝食だけをお願いしている。

市内見学後ゆっくりと竹田温泉を楽しみ宿へは8時過ぎに入る。

食べなれたものを食べたくなっていたがいい具合に岡城あたりでフキ、ミツバ、木の芽が採れている。

9時過ぎより手持ちのカツオの真空バック、チーズ、友達が作ってくれたおにぎりなどを肴に酒盛り。

島原に住む友達家族には会えたし昔登った米塚も見た、雨や霧の中も無事走り抜けたことを思い出していたら12時近くなった。

あす金生町へ帰りつくまでも大変な道のりなのであわてて寝る。

翌日宿を出るとき受付の人にトンネルの無い昔は山を越えて行ってたのですかと聞くと車社会になる前は手掘りのトンネルはありましたとの答えだった。

そうだろうなと思って8時過ぎ出発。

公共機関の開館は9時だ。

ロス時間がないように場所確認のため行くと建て替えのため歴史資料館は閉館。

すぐ近くにあるらしい田能村竹田生家も見たいと思っているが見当たらず。

後ろにはまた小山。

階段が見える。

登ると生家があり門も開いていた。

何かの工事がなされているようだったが恐る恐る入る。

人がいたので外観だけでも見学したいと告げ見学。

サッとみて帰ろうとしたとき観光客ですかと尋ねられたのではいと言ったら記念館も見せていただけた。

入るとすぐ田能村竹田は神様として祀られている。

軍人の広瀬武夫も神様として祀られていた。

そういう土地柄なのだろうか。

その人にトンネルが多いことを告げるときっぱりと明治までは一つもありませんでしたと言われた。

町全体が要塞になっていたらしい。

年若い岡城城主が敵の大軍を撤退させた話を思い出した。

この地形だからだ。

慣れてくるとトンネルを抜けることにも違和感がなくなった。

通ると滝廉太郎のメロディーが流れるトンネルがあるらしく行くが見当たらず。

工事中の人に聞くとここですと言われる。

前にブルドーザー中に軽トラック。

見つからないはずだ。

早速軽トラックを出し通していただけた。

竹田にも隠れキリシタンの遺跡あり。

島原城で資料を見学したのでどうしても見たい。

くねくねとバイクで登り隠れ礼拝堂を見学。

島原ではまだ正月飾りがつけたままの家がたくさんあった。

家はキリシタンではありませんとの印のためだと散歩中友達のおじいさんに教えていただいたが竹田では見かけていない。

すぐ下には武家屋敷通り。

着物の女性が歩いてくる。

9時になり開館したばかしの佐藤義美記念館へ。

いぬのおまわりさんの作詞者だ。

2階より駅方面遠望。

死後竹田出身ということがわかり記念館ができたらしい。

もりだくさんの町を9:30分ごろ出発。




 



 


 


阿蘇で

コメント
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