虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

思い出話に 癒される

2018-11-17 20:31:42 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

わたしはADD(不注意優勢型のADHD)傾向があるので、小心者で生真面目な性格の割に、

何かにつけてすることは大雑把で大胆で、しょっちゅう全身が凍りつくようなそそっかしいミスをしています。

ひどいミスをして落ち込んでいる時、ふと、心に過去のヘンテコな思い出話が浮かんできて、

妙に心が癒されます。

過去記事ですが、どうぞ。

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昨日、ツタヤでCDを選んでいたら、いきなりトントンと背後から肩を

たたかれて……振り向いたら、
背の高い20歳くらいの男の子(人?)がニコニコしながら
立っていました。

誰……???

と一瞬、面食らって、誰だかわからずに
ポケッとして、相手の目を見ていたら、「あ~!!!これは……!!」
と思いあたりました。
数年前に、私が大工仕事を教えてもらった小学生……!

<小学生の子に大工仕事を教えてもらった話>の記事に書いた男の子。

この記事の下に出来事をコピペしておきますね。

 

ということはまだ、中学生か高校生……?


すごく大人びていて、背丈も見上げる感じで対面しているんですが、


笑顔は当時のまんま~(いまだに友だちと思ってくれていたのか……?)

あまりに突然でボケていたので……「仕事は何をして……」と問いかけて、
「いや、まだよね……学生よね」とひとりごとを言っている間に、
ニコニコしながらさわやか~に去っていきました。

「よその子はすぐ大きくなる」っていう話……よく聞くけど
ホントだわ~と思った出来事でした。

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<小学生の子に大工仕事を教えてもらった話>

以前、近所の小学校でする子ども会主催の「凧作り教室」のお手伝いに
行っていたことがあります。
そこで、おとなしすぎる小学生と活発過ぎる小学生

(つまり両極に寄り過ぎて一周回って似たタイプの子ら……)
が、小競り合いを始めました。

私は、けんかを妨害するように、
二人の間に自分の「凧」を広げて、「凧」にイラストを描き始めました。


その前の年は「火の鳥」を描いたんですが、
その年は「だんじり」

すると、それまでけんかをしていた活発な方の子が、
さらに私の近くに席を移して、
だんじりの絵をなめるように見ていました。
そして、自分も「凧」にだんじりの絵を描き始め、
だんじりについて熱心に語りだしました。
私が、一番興味を惹かれたのは、
その子が、自分で、大工道具を使って、だんじりを作った…という話でした。

実は、私は、何年来、大工仕事にあこがれていて、
今は廃材や紙で工作しているけれど、いつかは木材で
子供用のままごとセットなど作ってみたいと考えていました。
それで、その子に、材料の入手先や道具について、
あれこれ質問しました。
すると、その子は、それは熱心に、

自分の作っただんじりを見に来るように……
それは、子どもが乗ったって大丈夫な作りなんだ…
今日にでも、ホームセンターと木材屋に連れて行ってあげるから、
「凧作り教室」の後の予定は空いているか?

とたずねます。

うーん、それは魅力的な誘いではあるけれど、
お母さんに聞いてみなくてはならないよ。
勝手によその子をホームセンターに連れて行くわけには…(連れて行ってもらうわけには……。)

といったんは、ていねいにお断りしたんですが、
帰りはしっかり我が家まで付いて来て熱心にすすめてくれます。
そこで、親御さんに連絡して、
(「うちの子でお役に立てるんでしたら、どーぞどーぞ」とのこと)
さっそく二人で買い物に出かけました。

「ちょっとお金がかかるかもしれないよ~
ドリルはまず必要だからね。
それと、サイズのちがう釘もいるし~。
それとさ~いらなくなったとき、リサイクル料金400円かかるかもしれないけど、大丈夫~?」としゃべり続けて、
男の子は、私の財布の中身をすごく気にしてくれてました。
そして、
ただで木材を分けてくれる材木やさんに寄ったり、
途中で家を建築中の大工さんに声をかけて、
木の廃材を分けてもらったり、
ホームセンターの特価品コーナでお買い得の板を集めて
くれたんですよ。

私の場合、買い物だけで、疲れちゃったんですが、
「だめだめ、思い立ったときに、ある程度仕事を進めとかなきゃ。」
と注意され、
さっそく「だんじり作り開始!!」

それが、のこぎりやドリルの音が思った以上に大きくて、

騒音だ~!


ご近所迷惑だ~!

と気が気じゃなかった私は、
なんとかそれらしい形までこぎつけたときは、
涙が出そうでした。

その子は、小学生とは思えない仕事っぷりなんですが、
勉強はすごく苦手なんだそうです。
そこで、大工仕事を教えてもらったお礼に、
製図に役立ちそうな算数を教えてあげるよ~と言ったんですが、
断られました。

それで、帰りに本人が持っていないというサンダーを
あげることにしました。
というのも、大工仕事を教わってみて、
「こんな都会の真ん中で、そんな作業できるわけない!」
という現実をしっかり勉強させてもらったからなんです。
それと、大工仕事の、大体の流れと、購入場所も
しっかり学習できました。(かかった費用のもとは取れました。)

「サンダーはかなり音が出るけど、大丈夫?」
「いつも使っている電動のこぎりも、電動ドリルも
同じくらいの音だから大丈夫だよ。
でも、ほんとのほんとに、サンダーもらって良いの???」
とその子は喜び勇んで帰って行きました。

その後、小学校の柵のそばで、数人の子と群れて遊んでいるその子を
見かけました。手を振ったら、「おっ!」と挨拶。
「だれ~?」と友達に聞かれると、
「ともだち~」と答えていました。

ともだち…ですか?


見えないものが見えるように 触れられるように  続きの続き

2018-06-06 15:15:34 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

(ひと押しで、一番下の段まで宝が落ちる仕掛け作りに知恵を絞る)

 

わたしの話を聞いて、しばらく考え込んでいた息子は、こんな言葉を返しました。

 

息子 「もっともっと上を目指して、知識を増やして、技能をマスターして……

という形で、『単純なものから複雑なものへ』と進歩していくイメージばかり

重要視されがちだよね。

子ども向けにパッケージ化された体験はどれも、単純なものをひたすら足し合わ

せていって、より複雑なものを構成していく価値観でできているようにみえる。

 

でも、実際には、それとは逆方向に

『複雑なものが単純なものに書き換えられていく』ってプロセスも、

大事なんじゃないかな。難しいものを簡単な言葉で言いかえることや

情報のダイエットをするって意味じゃないよ。

 

ほら、ブレークスルーが起こると、それまで苦労して大量の情報を使っても上手く

いかなかったことが、シンプルな新しいやり方であっさり片付くようになるよね。

一つの方法が、それまでの膨大な情報を必要としていたことが、

一瞬にして少ない情報で行われるようになるってこと。

 

そんなふうに複雑なものが単純化されることって、

一人ひとりの頭の中では、よく起こることだと思うよ。

単純なものを複雑化していくのなら、努力次第で、誰がやっても同じプロセスを

踏んで行くよね。

でも、複雑なものを単純化する時には、何に着目して、それをどう捉えたか、

どう認識したか、どう意味づけたかが関わってくるから、

人それぞれ違ってくるはず。

複雑なものをどう単純化するかは、ただ知っているのか、理解しているのかを

分けるポイントにもなると思うよ」

 

わたし 「複雑なものの単純化……。今まであまり考えたことがなかったけれど、

確かに教室の子どもたちにしても、無秩序なものから秩序を見つけ出したり、

ただ『できる』だったものを、応用のきく『わかる』の形にコンパクトに書き換える

ときがあるわ。自分で意味を作りだす力を使って。

複雑なものを単純化するプロセスでは、それぞれの子の資質や個性がはっきり

出やすい気がするわ」

 

息子 「同じものを見ていても、それをどう解釈するかは人それぞれだから。」

 

わたし 「そういえば、遊びにしろ、工作にしろ、算数にしろ、一人ひとりの子が

強く意味を感じる部分の違いは見ていて面白い。

今ある環境ですぐに評価されるものもあれば、最終的にはその子の一番大事な力と

なるはずなのに、今は無駄に見えるか、良い成果を出すのを邪魔しているものもある。

お母さんがそういう力を活かしてあげられることもあるし、

この子はこういう能力があるんだな、と心に留めておくしかできないこともあるわ。

★(息子)は、幼稚園時代から、サイコロやチップやトランプをさんざん散らかした

あとで、その並べ方や出し方の中に潜在している秩序に気づいたり、

不思議を感じる点を見つけ出したりするのが得意だったわよね。

教室にも、着眼点や秩序の見いだし方は違うけれど、

そうしたランダムに見えるものから応用のきくシンプルな気づきを得る子らは

たくさんいるわ。

遊びの世界で、子どもがそうやって自分らしい資質を使うのを見るのはうれしい瞬間よ。

考えてみたら、子ども時代、お母さんが複雑なものを単純化する対象は、

いつも目に見えているものの目には見えない部分だったわ。

★のように見えないルールというものではないんだけど。

お母さんにも、子どもの頃のお母さん独特の『複雑なものを単純化』する感性の

ようなものがあった、あった。

団地のぐるりにピラカンサっていうオレンジ色の小さな実を大量につける木が植え

られていたのをしょっちゅう眺めていたのよ。

どんな葉の形でいつごろ実がなるか、なんて、植物図鑑的な興味は微塵も持たない

まま何年も過ぎたのに、飽きもせずに眺めていたのは、

こんなことを考えていたからなのよね。

このオレンジ色の実の一つひとつが顔で、それに一つひとつ心が宿っていたとしても、

お互いに同じ根っこでつながっているなんて気づかないはず。

知らないからけんかして、相手が枯れてしまったら、

結局自分も枯れてしまうなんてことはあるのかな……といったこと。

ピラカンサを見ながら、人間の場合、地球上を移動はしているけれど、

移動しながらも地球の一部としてひっついているってことはあるのかな、とか、

星の光は長い時間をかけて地球に届いて、ずっと昔の姿を今目の前で見ることが

できると聞いたけど、心は、光と同じような性質かな、とか考えていたわ。

団地の壁に貼りついている蛾を眺める時も、蛾の模様が偶然の産物には見えなくて、

進化の過程にどうやって、意味を持った画像が取り込まれていくのか、

誰のどんな目に映ったものが、何世代もかけて美しい模様を作っていくんだろう、

とかね。

受験に役立ったわけじゃないけど、それを思い出すと、自由でのびのびした幸せな

心地になるから、教室で接する子たちには、そういうその子ならではの頭や心の

使い方の自由を守ってあげたいと思う。」

 

 


見えないものが見えるように 触れられるように   続きです

2018-06-06 09:25:37 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

 

(「100ってどんな数?」)

 

わたし 「パッケージ化された体験?

そういえば、去年はいろいろな意味で……いい面も悪い面も、外にあるものとしても、

教室内の課題としても……それを意識しながら仕事をした1年だったわ。

 

事前に山にカブトムシやクワガタを放しておく、

『夏休みの虫とりイベント』みたいにわざとらしいものから、

フランチャイズ化している習い事にしろ、

消費者のニーズを盛り込む幼稚園にしろ、

情報網の中で先回りがあたり前となっている子育て環境にしろ、

いろいろな場が、それ自体で完結しているパッケージ化されたものになりつつ

あるわよね。どれも悪いものじゃないし、商品としての質を約束しようとしている

だけでもあるんだけど、なら何が問題なのかといえば、参加している子が、

あれこれ得ることはできても、人や環境と直に会話していくことができない、

ということにつきるんでしょうね。

 

自分の反応で環境が変化するということがないし、

自分の考えが、結果を別の方向に持っていくこともないでしょ」

 

息子 「パッケージ化された体験は、未来がある程度固定されちゃうし、

ほかの体験の代わりにならないところがやっかいなんだろうな。」

 

わたし 「ほかの体験の代わりにならないって、どういう意味?」

 

息子 「子どもの時に、野球とか将棋に夢中になっても、

そのまま野球選手や棋士を目指す人は稀だよね。

たいてい、夢中になっていた時にした体験は、新たに興味を持った体験の中で

更新されていくよ。

パッケージ化されて他人から与えられた体験じゃなくて、

本当に自分が関わっていた体験の場合だけど。

次のもっと自分にぴったりくる体験をした時には、

前にやっていたことが別の形で活きてくるし、自分にとっての意味もわかってくる。

 ぼくは、子どもの時に必要な体験って、それが別の体験と代替え可能なものか

どうかが、先々役立つかよりずっと大事なことだと思うよ」

 

わたし 「そうよね。お母さんも子どもたちと接していると、

いつもそれを感じるわ。

子どもって一人ひとり個性的だから、同じ体験をしていても、

その体験の何がその子に響くのか、何がその子に残っていくのかは千差万別なのよ。

例えば工作していると、

「これこれこういうふうにしたいんだ」「ここはこうでこうで」と

やたら注釈が多いけれど、不器用さのせいで仕上がりがいまいちって子がいるのよ。

それでも本人が楽しんでいるなら、工作をしながらおしゃべりしていた体験が、

理科や算数の図を見ながら分析していくのを楽しいって思う感性につながって

いくことがあるの。

一方で、作るものはこちらの模倣で作り方も大雑把なんだけど、

できたものを使って遊ぶのが大好きだった子が、それを劇遊びに発展させて、最終的に、

絵本や物語を作るのがその子の日々の楽しみになっている子もいるわ。

他の子が工作する間、ドールハウスにミニチュアを並べる遊びを繰り返していた子が、

最近になって、動画を撮影するのに興味を持ちだしたってこともある。

そんな姿を見ていると、

工作だったら、工作をいかに見栄えのいい作品を作らせていくか、

ピアノならどうやって短期間に上達させていくか、

スポーツなら競技でいい成績をあげるかっていう世界だけで、

どんどん追い立てていくのはどうかと思うのよ。

もちろん、そうした系統的な学びができるように整った環境が大事な場合もあるのは

よくわかるの。

ただ、何もかもが、そうなってしまうことが気になるのかな」

 

 

(立体迷路)

 

わたし 「何もかもが、そうなってしまうことが気になる……なんて歯切れの

悪い言い方になってしまうけど、自分でも自分の思っていることを整理して

捉えられていない状態なのよね。

 

話が脱線するけど……

子どもの頃住んでいた団地の敷地にある土で、お母さんたち当時の子どもは

よく遊んでいたの。棒を拾って、お姫様や絵描き歌のコックさんを描いたり、

ケンケンパや陣取りゲームの線を描いたり、水で周囲を囲った島を作って

蟻の世界を作ったりもした。掘ると粘土が出てくるのが面白くて、

半日かけて土を削ってみたり、泥だんごには向かない土なのに、

大量のどろだんごをこしらえて、

1階のベランダの下にある隙間に隠しておいて、何日もかけて磨いてた。

当時の子の目には、土は遊び道具のひとつとして映っていて、

さっき★が言っていた『単体で存在しているねじ』のように、

途方もないくらいいろいろな種類の可能性のイメージを重ねることができたのよ。

 

でも、今、砂場以外で、土があっても気づかない子も多いわ。そんなものに

自分の想像力や思考力を重ねていってもいいんだ、と思ったこともないはず。

わたしが子ども時代の情景を思い返すのは、

昔はよかったとノスタルジーに浸りたいわけでも、

昔の子はおもちゃもなしに上手に遊んでいたと自慢したいわけでもないのよね。

正論を振りかざしたいわけでも、自分のやっていることは正しいって再認識したい

わけでもない。

 

たぶん、今の幼い子や小学生たちと接していると窮屈そうに感じる自分がいて、

どうして自分がそう感じるのか正確な理由をつきとめたいんだと思う。

昔も今も、雨も降れば星も月も太陽も空にあるのに、不思議を感じて、

どうして?なぜ?と周囲や自分自身に問いかける子は少数派になりつつあるわ。

目に映るものに、自分の頭や心を使えるんだ、使っていいんだって気づいていないの。

お母さんが教室で教えたいのは、やっている内容がごっこ遊びであれ、

物作りであれ、実験であれ、算数の問題であれ、それに自分の頭や心を使えるし、

使ってもいいんだよ、ということにつきるんだと思う。

 

ただ、実際、教室という形を取って教え始めると、

他人から評価されるようなアウトプットやどんなすばらしい体験をしたのか、

新しく何を吸収したのかという点だけが注目されて、

それぞれの子がどんなものに対して自分の頭や心を使っていいと認識しているかを

気にかける人はあまりいないんだけどね。」

 


見えないものが見えるように 触れられるように 

2018-06-04 07:56:11 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

 

会話のきっかけは、息子の

「今じゃパソコンがどんどんブラックボックス化しつつあって、

すごいことができていても、いったいどんな原理で実現しているんだろうって

興味を持つ人は少ないよね。

日常のあたり前の道具になり過ぎて、不思議を不思議と感じるのも難しい。

 前に見たレイン(lain)ってアニメができた頃(1998年)は、

実際にパソコンで実現できていること自体はたいしたことがないし、

たいて内部構造のシンプルさを理解している人がパソコンを使っていたんだろうけど、

パソコンに対して道具以上のイメージを重ねていた人が多かったんだろうな」

という言葉。

 

わたし 「道具以上のイメージを重ねるって、どんなふうに?」

 

息子 「未知の自然現象のように捉えていたんじゃないかな。拡張していくことで

どんなものでもできそうな無限の可能性を見ていたというか。

ライフゲームのように、空間や時間が不連続だったらどんな世界が形成されるか、

なんて哲学的な問いをパソコン上で確かめようとするなんて、

PCを便利な道具として捉えていたら出てこないイメージだと思うよ。

人工生命とか人工知能の研究とか。

SFでもコンピューターに不可能はないってほど奇想天外な世界が描かれていてさ」

 

わたし 「今は、いろいろ研究しつくされて、ある程度、

パソコンでできることの限界が見えてきたってこと?

それともお金にならない研究を続けるのは難しいのかな?」

 

息子 「お金の問題はもちろんあるんだろうけど、

限界が見えてきたわけじゃないと思うよ。ただ、機能が複雑で高度になるほど、

用途が限定されて、応用がききにくくなるし、夢が広がらないんじゃないかな。

高機能なものは、その特殊性のせいで全体像が見えにくいじゃん。

使い方の制限も増える。

使う分には、機能が高くていろんなことができた方がいいに決まっているんだろうけど、

それから別の可能性をイメージしていくことや自分の考えを組み込んでいくのは

もっともっと単純な機能の方が向いているんだと思う。

たとえば、2、3行のプログラムなら、どこか書き変えたら新しい何かが生まれるん

じゃないかと子どもでもいろいろやってみるだろうし、そこから何が正しく

何が間違っているか、何ができて、どうしたら元通りになおせるのか学び取れるよね。

でも、それが1000行とか2000行といったプログラムだったら、

ブラックボックス相手の使用者の立場なら、高度なことができていいわけだけど、

多少いじっただけでもまともに動かなくなる。

そこから自分でイメージしたり考えたりできる可能性は限られるよ」

 

(しゃぼん玉膜の中の雲の粒)

 

わたし「河合隼雄先生が、最近読み返している『日本人とアイデンティティ』 の中で、

新しい発想や創造性は、既存のシステムと相いれない。

既存のシステムに固執する限り、新しい発想も創造性も悪の烙印をおされて

しまいがち……といったことを書いておられたんだけど……。

★(息子)が言う機能の高さが想像の可能性を狭める原因って、

高機能になるとどうしても機能が上がる過程で、

付け加えられるシステムに固執してしまうからってこと?」

 

 息子 「そうとも言えるけど、ぼくがさっき言いたかったのは

パッケージ化されることからくる制限と言った方が近いかな。

たとえば、ねじが一つあるとすると、実際に使えるかどうかはそのサイズや

質に左右されても、その形状からイメージできる使い道は多岐に渡るよね。

家具とか建築物とか乗り物とか、目に見えないほどのサイズにして使うことも

考えられるはず。あくまでもイメージだけど。

でも、テレビのリモコンに使われているねじは、同じねじでも、

その用途以外のものを想像しにくいよ。

 

そんなふうにパッケージ化されることで、型にはまった見方しかできなくなることって、

教育の世界でもあるんじゃないかな。

お母さんの教室でも、すぐに、それやったことあるからいい、

それ知ってるからやりたくない、っていう子がいるじゃん。

そういう子が体験済みだって主張する体験は、おそらくパッケージ化された体験に

含まれているものなんだと思うよ。

だって、本当に自分の頭と身体で体験したことを再体験するなら、

繰り返しの中で感動や理解が深まったり、

工夫して新しい価値を見つけだしたりするものだから。

でも、体験の中には、さっき言ったテレビのリモコンのねじみたいに、

パッケージの一部から切り離してイメージできないようなものがあるんじゃないかな」

 

 

 


キュボロを購入したかった方へ 2

2017-12-04 20:29:05 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

キュボロを購入したかった方へ

で、玉の道の発展の仕方は次回に……と書きました。

そこで、子どもの喜ぶ発展のアイデアをふたつ紹介します。

 

<玉飛ばし台>

じゃばら折りをした紙を半分に折ると

小さい玉などを飛ばすジャンプ台ができあがり。

じゃばらのサイズ、折る回数などは、適当に。

どんな作り方でもけっこう飛びます。

 

<ストローのビー玉通路>

上の写真のようなおもちゃを作りたかったAちゃん。

アルミ箔をはくさん丸めて玉を作り、

ストローをたくさん貼って通路を作りました。

通路の先に玉をキャッチするストッパーをつけます。

子どもによったら、曲がるストローなどで、

いったん玉をためておいて、

ザーッと流れるしかけにすると喜ぶかもしれません。


息子とおしゃべり (今の時代を生きるということ)続きです

2017-09-12 21:34:41 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)


息子 「お母さんがさ、
表面的には似通っているし、見栄えとしたらその方が立派なのに、
こういう体験は子どもに与えたくないって言うものについて聞いていると、

シンプルに言いなおすと、
親から子へ、大人から子どもたちへとも言えるけど、
商業的な色づけをされたものを、あまり与えたくないってことなんじゃない?

マニュアル化されて、個人に向けたような格好を取りながら
集団に向けた画一的な価値観に色付けされた体験を
与えたくないんだよね。

ぼくも、お母さんと近い気持ちで、
子どもに向けて、個人に対する手紙のように
体験が与えられるのがいいと思っているよ。

まるで社会に対して言いわけでもするように

子育てを完璧にする自分という像を作るために
子どもを教育し、体験を与える親を見かけるし、

そういう人は、言葉にしても、子どもに向けて言いながら
実は子どもに向けて言っているのではないって感じだ。

そういう機械みたいな親のもとだと、
子どもは孤独だよね」


私 「社会に対して言いわけでもするように……本当ね」


息子 「今の時代、ネットでも、テレビでも、本でも、情報に触れることは
いくらでもできるのに、
そうした物といくら対話しても、人間はそれだけでは満足できなくて、
一人でいると、孤独になるよね。
そうした情報媒体は、やっぱり人間には勝てないから。
人間がそうしたものとどう違うのかというと、
その人個人に宛てた
体験させる目的で、伝えられるものがあると思うんだ。
人は人から自分独自で調理することができる個人的な体験を受け取るんだと思うよ」

私 「そういえば、お母さんの子ども時代の親も周囲の大人も、
けっして今の時代の人より立派だったわけでも、
子どもについてわかっていたわけでもないけど、
自分らしい体験をすることを許してくれていて、ありがたいと思っていることがいくつもあるわ。

たとえば、読書ね。今みたいに、読書に子どもの学力を上げるための
救世主のような役割が与えられていなかった時代で、
どの本がどの年代の子にどんな成長をもたらすかなんてことも
ごく一部の専門家以外、考えもよらなかったから、
本当に自由に、好きな物を読んでいたわ。

余計な干渉がないだけでなく、この本を読む子の方がこの本を読む子よりもレベルが上みたいな
情報も入ってこないから、
児童文学が気に入ったら、何年間も同じようなものを読み続けたり、
6年生くらいになってから、急に幼児の頃に読んだリンドグレーンの本や世界の童話が
読み返したくなって、
大きな活字の本を何冊も読んでいたりしたわ。

もちろん、大人が全く関わらなかったわけではなくて、
図書館司書の児童文学が大好きな方が親身になって読む本を選ぶのを
手伝ってくれたりして、
そのおかげで、ファンタジー一辺倒だった読書が、
現代の社会問題を扱ったものに広がったこともあったの。

でも幸福だったと思うのは、本当は本好きでも、読書から多くを学んだ経験があるわけでもない
人から、こんな本を読みなさいと勧められたり、読む本について
干渉されたりしないで済んだことね。

おかげで、どの時期の読書も、私にとって
本当に個人的なかけがえのない体験になったから。

大人になって振り返ると、たとえば、6年生の頃に活字の大きな本を読み返しはじめた
ことにしても、理由として、アイザック・シンガーの描く童話や
星の王子様の童話のなんかから、ようやく作者の哲学的な思考や味わいを読み取れるように
なってきたからでもあったのよ。

それを活字の大きさの変化や
文学としての知名度だけで、
子どもの読書のレベルを測るような大人に干渉されないで済んだことは、
いくつになっても本への愛情を失わない原因にもなっていると思うわ。

今はね、子どもに、そんな風に純粋に個人的な体験を与えてあげることが
難しいわ。外野がうるさすぎるから。
個人的な体験にどんな意味があるのかというと、今の自分の思考と幸福観を形作っていることね。

ただ他人の格付けした良いものを消化していくだけでは、
たとえ、読書が最高の学歴を授けてくれる助けになったところで、
それが自分にとって個人的な体験でない限り、
将来の自分自身の思考と幸福感につながるかというと、怪しいものね」


息子  「そういえば、お母さんが子どもたちにやらせている科学工作なんかも、
あれって相手が自分自身の体験をするための場を
提供していると言えるよね。
お母さんの工作は、それぞれの子どもに向けた手紙だよね。

お母さんの教える工作は、工作作品としても、工作技術としても、
そこでの作品化を目指したものではないから。

今はが学校でする運動会ですら、親たちの目を楽しませるための作品に仕上げられていて、
本当の意味で、子どもたちの個人的な体験では
なくなっているよ。

事前に計画されすぎて、決まった価値が与えられすぎて、
もうそこで、子どもが純粋に、かつての子どもたちが運動会でしたような
体験することっができないんだ。

前にさ、大阪の子への教育で、授業で携帯のゲーム機を活用したり、
学校内に塾の講師を呼んだりして、子どもたちへの勉強を強化させる一方で、
ごほうびの意味で、ユニバーサルスタジオの連れて行こうなんて
教育案が出ていたじゃん。

あれに対する違和感というのは、勉強を耐えねばならない辛いものと想定して、

子ども時代を通じて継続的に与えられる唯一の辛さであるかのように設定して、

次には、遊園地のような受動的な楽しみを対局においてさ。

そうして、子どもにあるのは、たった一種類の辛さと、たった一種類の楽しさで
あるかのように錯覚させるところにあるんじゃないかな。


それは辛さというのを、
1本だけの細い数直線上の乗せて捉えたために
起こる錯覚だと思うよ。


だって、辛さといっても、人はかならず、それを嫌悪するわけじゃない。

世の中には我慢大会なんてものがある通り、
お腹が減る辛さとか、けんかする辛さとか、スポーツで我慢する辛さとか、孤独の辛さとか、
多種類の辛さを認めると、それにぶつかって、耐えきることも、
自分から求めていくもののひとつでもあるよ。


それが大人から与えられたたつた一種類の辛さとたった一種類の楽しさだけしかないとしたら、
その辛さは本当に逃げ出したいくらい苦しいものになると思うよ。
子ども時代が、プラス方向とマイナス方向へのどちらかに向けてのぶれでしかなかったら、
遊園地のようなところで遊んでいる最中も、
その矢印が逆戻りする瞬間と、楽しみ自体に飽きて、全てがマイナス方向の流れに変わるときを
予感して、
辛い憂鬱な気持ちになるだろうな」


息子 「さっき言った料理を作るときに、よりおいしいもの、いいものを作ろうと
してしまうことが、良いことだけでなく、
近代人の問題にもなってしまうのってさ。

鑑賞する対象として、よりよくあることを目指した結果、
受け取る側の体験が、その他大勢に向けられた
受動的なものになりがちだってことだよね。
自分の体験にはならない。

今はテレビゲームも壮大な映画のような鑑賞の対象で、
ぼくが小さい頃、遊んでいたピンボールのゲームみたいに、
最初は純粋に玉が転がってくのが面白いってとろこから入っていって、
自分の感受性を使って楽しいを広げていくような
体験自体を味わえるものではなくなっているんだ。

ぼくが作りだしたいと思っているのは、
作品として数値で評価されるものではなくて、
誰かに宛てて、ワクワクする体験を提供する場になるものなんだ。
頭のいい人にはわかって、そうでない人にはわからなくてとか、
映像やシナリオを数値化して他と比べて良いものを目指すのでなく、
こんなことがしてみたかったんや!って感情が揺さぶられるような
ものが作りたいんだよ」

私  「きっと、いいものができるわよ。いつも、作品作りのことを
考えているんだから」


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美術館に出かける準備をしていたら、息子が勉強道具を抱えてクーラーの効く部屋に移動しながら、
「大学への数学、年間購読するのに、かなりかかったけど、
かかった投資以上の収穫だよ」と笑顔で言いました。

「今日も、新井紀子先生の対話を読んで、
ラングの『解析入門』に載っていた問題を全部解いてみました、って話題があって、
そんな風に、没頭するように勉強してみたいなって思ってさ。
受験での成功に凝り固まった勉強をしないことでさ、せめて、心の中はね。
大学に入ってから、遊びたいなんて気は少しも
起こらなくなるよ。
こんな風に勉強したい」

そう言いながら、大学への数学の新井紀子先生の対談の記事をひらいて見せました。

私 「面白そうね」

息子 「数学って、より複雑で難しいものを目指している学問じゃなくて、
複雑で難しい現実社会を
いかに単純にするかを
目的にしているものだと思うよ。
数学を使って、今の世界をよりシンプルにメタな視点から
眺めていくと、いろいろな物事がだんだん易しくなっていくよ」


思い出話に 癒される

2017-07-10 17:26:25 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

わたしはADD(不注意優勢型のADHD)傾向があるので、小心者で生真面目な性格の割に、

何かにつけてすることは大雑把で大胆で、しょっちゅう全身が凍りつくようなそそっかしいミスをしています。

ひどいミスをして落ち込んでいる時、ふと、心に過去のヘンテコな思い出話が浮かんできて、

妙に心が癒されます。

ヒヤーッとするといえば、今日まさにそんな出来事に遭遇。

しばらく肩を落としたあげく、ツタヤで再会した男の子の笑顔を思い出しました。

過去記事ですが、こんな話です。

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昨日、ツタヤでCDを選んでいたら、いきなりトントンと背後から肩を

たたかれて……振り向いたら、
背の高い20歳くらいの男の子(人?)がニコニコしながら
立っていました。

誰……???

と一瞬、面食らって、誰だかわからずに
ポケッとして、相手の目を見ていたら、「あ~!!!これは……!!」
と思いあたりました。
数年前に、私が大工仕事を教えてもらった小学生……!

<小学生の子に大工仕事を教えてもらった話>の記事に書いた男の子。

この記事の下に出来事をコピペしておきますね。

 

ということはまだ、中学生か高校生……?


すごく大人びていて、背丈も見上げる感じで対面しているんですが、


笑顔は当時のまんま~(いまだに友だちと思ってくれていたのか……?)

あまりに突然でボケていたので……「仕事は何をして……」と問いかけて、
「いや、まだよね……学生よね」とひとりごとを言っている間に、
ニコニコしながらさわやか~に去っていきました。

「よその子はすぐ大きくなる」っていう話……よく聞くけど
ホントだわ~と思った出来事でした。

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<小学生の子に大工仕事を教えてもらった話>

以前、近所の小学校でする子ども会主催の「たこ作り教室」のお手伝いに
行っていたことがあります。
そこで、おとなしすぎる小学生と活発過ぎる小学生

(つまり両極に寄り過ぎて一周回って似たタイプの子ら……)
が、小競り合いを始めました。

私は、けんかを妨害するように、
二人の間に自分の「たこ」を広げて、「たこ」にイラストを描き始めました。


その前の年は「火の鳥」を描いたんですが、
その年は「だんじり」

すると、それまでけんかをしていた活発な方の子が、
さらに私の近くに席を移して、
だんじりの絵をなめるように見ていました。
そして、自分も「たこ」にだんじりの絵を描き始め、
だんじりについて熱心に語りだしました。
私が、一番興味を惹かれたのは、
その子が、自分で、大工道具を使って、だんじりを作った…という話でした。

実は、私は、何年来、大工仕事にあこがれていて、
今は廃材や紙で工作しているけれど、いつかは木材で
子供用のままごとセットなど作ってみたいと考えていました。
それで、その子に、材料の入手先や道具について、
あれこれ質問しました。
すると、その子は、それは熱心に、

自分の作っただんじりを見に来るように……
それは、子どもが乗ったって大丈夫な作りなんだ…
今日にでも、ホームセンターと木材屋に連れて行ってあげるから、
「たこ作り教室」の後の予定は空いているか?

とたずねます。

うーん、それは魅力的な誘いではあるけれど、
お母さんに聞いてみなくてはならないよ。
勝手によその子をホームセンターに連れて行くわけには…(連れて行ってもらうわけには……。)

といったんは、ていねいにお断りしたんですが、
帰りはしっかり我が家まで付いて来て熱心にすすめてくれます。
そこで、親御さんに連絡して、
(「うちの子でお役に立てるんでしたら、どーぞどーぞ」とのこと)
さっそく二人で買い物に出かけました。

「ちょっとお金がかかるかもしれないよ~
ドリルはまず必要だからね。
それと、サイズのちがう釘もいるし~。
それとさ~いらなくなったとき、リサイクル料金400円かかるかもしれないけど、大丈夫~?」としゃべり続けて、
男の子は、私の財布の中身をすごく気にしてくれてました。
そして、
ただで木材を分けてくれる材木やさんに寄ったり、
途中で家を建築中の大工さんに声をかけて、
木の廃材を分けてもらったり、
ホームセンターの特価品コーナでお買い得の板を集めて
くれたんですよ。

私の場合、買い物だけで、疲れちゃったんですが、
「だめだめ、思い立ったときに、ある程度仕事を進めとかなきゃ。」
と注意され、
さっそく「だんじり作り開始!!」

それが、のこぎりやドリルの音が思った以上に大きくて、

騒音だ~!


ご近所迷惑だ~!

と気が気じゃなかった私は、
なんとかそれらしい形までこぎつけたときは、
涙が出そうでした。

その子は、小学生とは思えない仕事っぷりなんですが、
勉強はすごく苦手なんだそうです。
そこで、大工仕事を教えてもらったお礼に、
製図に役立ちそうな算数を教えてあげるよ~と言ったんですが、
断られました。

それで、帰りに本人が持っていないというサンダーを
あげることにしました。
というのも、大工仕事を教わってみて、
「こんな都会の真ん中で、そんな作業できるわけない!」
という現実をしっかり勉強させてもらったからなんです。
それと、大工仕事の、大体の流れと、購入場所も
しっかり学習できました。(かかった費用のもとは取れました。)

「サンダーはかなり音が出るけど、大丈夫?」
「いつも使っている電動のこぎりも、電動ドリルも
同じくらいの音だから大丈夫だよ。
でも、ほんとのほんとに、サンダーもらって良いの???」
とその子は喜び勇んで帰って行きました。

その後、小学校の柵のそばで、数人の子と群れて遊んでいるその子を
見かけました。手を振ったら、「おっ!」と挨拶。
「だれ~?」と友達に聞かれると、
「ともだち~」と答えていました。

ともだち…ですか?


子どもの変化 大人の変化

2017-05-19 07:24:14 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)
写真以外は過去記事です。
 
今年も、地域のキャンプの手伝いと
ジュニアリーダーの研修に行ってきたうちの夫。
手伝い始めた当初の5~6年前と、この1~2年の
子どもたちの変化と、大人たちの変化にとまどいが隠せない様子です。

とにかく年々、子どもたちが幼くなっていることに
危機感を感じていました。
「幼いって?」とくわしくたずねると、
自分で決められないのと、
ちょっと難しくなると、考えもせずにすぐ大人に
やってもらおうとする高学年の子がほとんどなこと、
簡単な質問で、自分がわかっている場合もミスがこわくて誰も
手をあげない……そのため、シ~ンとしたしらけた瞬間が
しょっちゅうあるみたいです。
5~6年前まで、子どもたちは
自分たちで失敗してもどんどんテントを立ててました。で、うまくいかなくなって、試行錯誤をつづけたあげく大人にちょっとだけ助けを求めてきていたのだそうです。
それが、この数年、ひとりの子が「これ間違ってないかな?」なんて言おう
ものなら、
どの子も手がとまって呆然と立ち尽くす
のだとか……。

それと、とにかく手伝いの親たちが口出して口出して、
手も出して~

子どもがちょっと問題を見つめて考えてみようとする間も許さずに
しゃべりまくるので、

やる気なくたらたら指示にしたがう、いかにも面白くない
キャンプになっちゃうんだそうです。

「子どもの頃と言えば、学校の授業なんて面白くないから、
キャンプとかクラブとか、面白いことでいっしょに遊んで仲良くなった
友だちと今も親しくしてんだけど……。
大人が教えてばっかりで、子供同士、全然仲良くなってないんだな~。
いっしょに間違えて、笑いあうとかなくて、
ミスして友だちに笑われたくなくて、構えている子ばかりだ」
と夫の……感想です。
ジュニアリーダーの研修も、少し前のように自覚があってしっかりした子が
ほとんどいなくなって、まるで幼児のまま大きくなったような
中学生と、幼児に教えるように
一挙一動を教え込みたくって、指示したくって、
子どもにつきまとう大人の姿が目立って、
子どもが友だちと少しも楽しそうに遊んでいなかったのだそうです。
それなのに、大人の会議では、子どもに何を教えようか~という
教育的配慮ばかり話し合われていて、
楽しさなんてそっちのけなのです。

夫の話……幼児といっも接している私には、
「これから先、子どもたちはどうなっていくんだろう?」と
頭を打ちつけられるものでした。
今の小学生より、最近の幼児は
さらに顕著にこうした特長があらわれていて、
3歳児でそうした態度をしめす子が少なくないのです。
そして、口出し手出しがやめられなくなってしまう……大人も。

話は変わって、昨日、レッスンに来た知的ゆっくりさんの
小1の☆ちゃんが、この数ヶ月で見違えるように
意欲的で自信に満ち溢れた態度になって、とってもうれしかったです。
昨日はいっしょにポケモンのゲームをしたのですが、
4ヶ月くらい前までは(はじめて会った頃は)
5まで数えることすら危うかった☆ちゃんが、
さいころの目をさっさと読んで
きちんとゲームのルールも理解して楽しく遊べました。
また、ゲームの出し入れの手伝いをていねいにすることも
きちんと身につけて、お手伝いに誇りを感じていることがわかりました。
お家では、しょっちゅう、数字を読むようになって
数に強い興味を持つようになってきたそうです。

☆ちゃんは、最初すべてに自信がない子でした。
でも虹色教室に通うように
なってからは、虹色教室でだけ、やる気のある子でした。
私の前ではできてもできなくても手をあげまくる姿が見られました。
でもお家ではあいかわらず、何でもいやいやだったようです。
それが、その後、お友だちができて以来、
お家でも学校でも
意欲とやる気がみなぎるようになってきたようなのです。

機能不全家族について  もう少し 続きの続き

2017-05-16 21:18:44 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

先の文章にこんなことを書きました。

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父も母も妹も、自分の親と自分自身がプログラムした思考の罠が

自分の人生を蝕んでいくことから

どんなにあがいても抜け出せなかったのに、どうやってわたしはそこから出たんだろうと考えると、

いくつか思い当たる理由があります。

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ひとつ目の理由として、多くの親以外の大人たちから可愛がられてきたことを書きましたが、

自分が囚われている認知の歪みから解放されるためには、

それとは別に

自分が長年培ってきた技術のようなものも

役立ったと感じています。

 

子どもの頃のわたしは、とにかく高いところに登るのが好きでした。

当時は、三輪車に乗っているような子も、団地の前の自転車置き場の屋根の上を

遊び場にしていましたから、

それはわたしに限ったものではなかったでしょうが、

子ども時代の記憶の半分くらいは、どこか見晴らしのいい場所から、

眼下を俯瞰して眺めた光景で占められています。

 

 わたしの住いは、山を切り開いて作られた公共団地で、

周辺の道はたいてい斜面でした。

坂を上へ上へと登って行って、もうこれ以上登れないというところに着くと、

突然、パアッーと視界が開けます。

 

それまでは見えなかった反対側の景色や

下からは見えるはずもない団地の屋根や

建物で刻まれていない空が目の前に広がるのです。

 その瞬間がたまらなく好きで、来る日も来る日も、どこかに、何かに、

登っていた記憶があります。

 

わたしは、そうやって何度も何度も高いところに登りながら、

「高いところに登るまで見えている風景は、自分の目で確かに確認し、できるだけ詳細に正確に捉えたところで、

見晴らしのいい場所に着いたとたん、

それまで見てきたものも信じていたものも、

それは全体の一部に過ぎない。

自分が歩いている場所から見える景色が限られていたから、それが全てを覆っているように

見えていただけなんだ」

ということを意識していました。

 

そうやって、高いところに登りながら身体で感じ取っていたものは、

あらゆる物事を考える際にも影響して、

「わたしが見ていること、感じていること……は、実際に自分の五感で捉えているから、

信用できる。自分の感覚が信じられないわけじゃない。

わたしは、自分の周りで起こっていることを見落としなく確認していく自信があるし、

それについて客観的に判断をくだすこともできるはず。

その正誤が問題なのではない。

ただ、今という経過点で、自分が感じて、考えて、こうだと信じているものは、

もう少し見晴らしのいいところに着くまで保留にしておかなくてはならない」

と、考えるようになっていました。

 

そんな風に考えるようになったのには、むさぼるように読んでいた児童文学の世界に依るものも

あるかもしれません。

 

児童文学の世界の主人公たちは、一生懸命、今を生きていて、

真剣に自分で感じて考えて、世界にぶつかっていきます。

しかし、ほとんどの場合、いつしか、

最初に信じていた小さな世界観を打ち砕かれて

より大きな視野から世界を眺めるように成長していくのです。

 

わたしはそうした主人公たちに自分を重ねながら、

今、自分が「絶対にそうだ」と信じていることも、

これから先、「そういう一面もある」という全体の一部へと変化していくかもしれない

と予感して、よくよく考えた上で結論が出たら、

その考えをいったん保留にしておく習慣を身につけていきました。

 

先の記事で、こんなことを書きました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今、自分が「絶対にそうだ」と信じていることも、

これから先、「そういう一面もある」という全体の一部へと変化していくかもしれない

と予感して、よくよく考えた上で結論が出たら、

その考えをいったん保留にしておく習慣を身につけていきました。

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こうした考え方を身につけたのは、

反面教師としてですが、

父や母の影響が大きいのかもしれません。

 

父にしても母にしても、自分の感情を揺さぶるような何かを前にしたり、

動揺する出来事にぶつかると、

現実をていねいに検証しようとせずに、

最初に「こうだ」と飛びついた考えに、

ずっと、しがみついていることがよくありました。

 

趣味や遊びのルール上では、物事を緻密に分析し計算高い父が、

同じ趣味や遊び上の

「それは本当に確率的に得なのか」といった疑問には、

まるで自分がクジを引いたら一等しか当たらないと信じている幼児のように

バカげた期待に執着していました。

 

母は母で、本当に心が柔軟で気持ちの優しい人なのに、

妹や親戚の一部の人に対しては、

どんなに説得しても、

初めにつけた色眼鏡をはずして、相手の身に自分を重ねてみようとは

しませんでした。

 

それは、子どもの目にも、

「たったひとつの考え」が、

「他のたくさんの可能性を考えない」ために利用されているように映りました。

 

また、ただの思いつきや決め付けのような「根拠のない考え」も、

繰り返し心に刻み、自分に信じ込ませていけば、

後から得たどんなに有力な証拠や疑いようのない現実も黙らせてしまうほど

力を持つことがあるのを感じて、恐れました。

 

そうした両親の姿に胸を痛めるうちに、

わたしは自分が見たり、感じたり、考えたりしていることを

できるだけ言葉にして整理しながら、

先の記事に書いたように即断を避けて、いったん考えを保留しておくようになりました。

後でさまざまな別の視点から眺めなおしてみるためです。

 

子ども時代を通して、わたしが一番関心を持ち、

何度も何度もさまざまな角度から

観察し続けていたのは、

自分の感情や思考の動きです。

 

児童文学の作家になりたい気持ちが強かったので、

ピアニストを目指している子がピアノの練習に明け暮れるように、

自分の心の中を移ろい続ける感情や思いを

とにかく言葉にしなくちゃいけない、言葉で表現しなくてはいけない、

言葉に変換する練習をしなくては作家になれない、という焦燥感に突き動かされながら

自分の心と対峙していたのを覚えています。

そうした癖は、ずいぶん小さい頃からあったのですが、

それはわたしの自分の心を守る自衛手段でもあったからなのかもしれません。

そんなわけで、現実の世界で泣いたり笑ったりして生きているわたしの背後には、

常に自分の心の中身をスケッチしようとしている観察者としてのわたしがいました。

 

大人になってそれらふたりのわたしを統合する必要を感じるまで、

幼稚で、逃避的で、ぼんやりと空想に浸っているか、感情に流されて衝動的に動いているか

している自分と、

クールで大人びていて、いつも冷静沈着で、一風変わった考え方をする自分が、

 互いにあまり交わらずに、ひとつの身体に同居しているようなところがありました。

 

昔からささいなチャレンジにも尻込みして、やってみようともせずに逃げてばかりいる一方で、

周囲の大人たちも茫然とするような困り事にぶつかった時には、

『長靴をはいた猫』という童話の猫のように

何事も先回りして策を練っておいたり、

 『3枚のお札』という昔話の和尚さんのように、

鬼婆をモチでくるんで飲みこみながら冗談を言ったりするような

途方もないアイデアやユーモアで解決を図ろうとする自分の別の一面が、

突如、顔を現していましたから。

 

そうした自分の別の一面が顔を出す瞬間を感じた

8歳か9歳の頃の印象深い思い出があります。

 

母方の田舎で海水浴に行った際、

ビーチボールごと波にさらわれて、

ひとりで沖に出てしまったことがありました。

流されている原因である大きすぎるビーチボールを手放して、

海底に足が届くところまで泳いでいく決心がつかないうちに、

必死で水を蹴る力をはるかにしのぐ波の力に運ばれていました。

事の深刻さに気づいた時には、浜辺に戯れる人々の姿が小さすぎて、目で確認するのが難しいほどで、

周囲は無音の世界でした。

それは流されているわたしがあちらからよく見えないこと、

いくら大きな声で叫んでも、あちらには聞こえないことを意味してもいました。

足元には奈落へ落ちる裂け目のような黒い海がありました。

 

海面に巡らされたオレンジ色の浮きが作る境界線を目にした時、どうあがいても

助かる見込みはないと悟った瞬間、

わたしは泣き叫んだり、怖がったりするのをやめて、

突然、頭を、ひどく合理的で冷淡にも思える考え方に切り替えてました。

 

「おそらくわたしは、このスイカ柄のビーチボールの空気が抜け次第、

しばらくもがいて力つきて死ぬ。

死ぬのはとも怖いし、水が鼻や口の中にどんどん入っていく時は苦しくてしょうがないはず。

でも、泣いても、叫んでも、怖がっても、経過も結果も同じなら、

万にひとつでも生き残れた時に

将来書く小説の一部に書き加えられるように、

今の自分の目が何を見ていて、頭が何を考えていて、心が何を感じているのか、

調べて言葉にしておこう」

そう考えて、

浜辺を眺めると、小さな無数の光が、

まるで夜景のキラキラした街の光の粒を切り抜いて、海と浜の隙間に埋め込んだ

ように輝いていました。

 

「水をたくさん飲んで苦しんだ後には、

もし天国とかあの世とかいう場所があるなら、黒い海の底でもう一度、

こんなキラキラした光を見るのかもしれない。それともずっと死んでしまったままなのかな?

わたしが死んでしまっても、この世界は今まで通り、そのままあるんだろうけど、

わたしが死んだ次の日に、この世界が爆発して消えて無くなったところで、

わたしからすると、どうでもいいこと、何でもないことになってしまうのは不思議だな。

生きている時はこんなに大切な世界なのに。

死んでから、今のこの世界があるのかないのか想像しようと思ったら、

生きているわたしがあの世があるのかないのか

想像するのと同じになってしまうのかな?」

 

空は青く澄んでいて、自分が牧場にいて、草を踏みしめながら空を眺めているだけなんだと、

信じようと思えば、信じてしまえるほどのほがらかさでした。

 

その時、ふいに海水浴場の監視に回っているらしいボートが近づいてきて、

わたしを引きずりあげるようにしてボートに乗せると、浜まで送ってくれました。

 


年末が近づいたのでカレンダーと月の覚え方について再アップ

2016-12-28 09:28:47 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

いつも訪問しているペットの癒しブログの『風船うさぎモコちゃん』の手作りのカレンダーを購入しました。

来年用ですが、教室でのカレンダーの問題の学習時に活躍しています。

 

■31日の月、30日の月、それ以外の月の覚え方

グーの手をにぎって、ひとさし指の根本にある山の頂上から1月がスタート。

でも、暗記するだけだと、時間が経つと忘れてしまいます。

ひとさし指を立てて、1の指で1月からスタートと言います。

 

2月は28日でうるう年の時は29日ということを知っている子には、「2月は少ない日だから、谷のところ。だから1月はその前の山の頂上からスタート」と教えます。

2月の日数が少ないことにピンとこない子には、クリスマスは12月、お正月は1月。どっちも楽しくて、たくさんあるといい日だよね。だから31日。

1月は山の頂上。31日からスタート」と説明します。

 

順番に、1月は31日、山の上。

 2月は28日でうるう年は29日、谷底。

 3月は31日、山の上。

 4月は30日、谷底。

 5月は31日、山の上。

 6月は30日、谷底。

 7月と8月は夏休みだから特別。どっちも山の上。31日。(そう言って、小指の根本の骨を2度たたきます。

 

9月は30日、谷底。

10月は31日、山の上。

11月は30日、谷底。

12月は、31日、山の上。クリスマスはとっても楽しみ。たくさんある日がいいね。

 

小学2年の女の子たちが選んだベストファイブ。

カレンダーを見ながら、算数のクイズ。

「10月3日から7日までは、7ひく3で求まるかな?」

「できる。」「求まる」と子どもたち。でも数えてみると、7-3=4の4日じゃありません。

「どうしてかな?」と問うと悩んでいます。

そこで、Aちゃんが作ったくまのしおりでこんな問題。

「1番から5番までのくまの数は、5-1で求まるかな?」

「ちがう!ちがう!」と子どもたち。「1多くなる」とのこと。

でも、どうしてちがうのか、言葉にすることはできない様子。言葉にはできないけれど、どうしてそうなるのか、興味がわいたようです。

 

 

複雑な算数の文章題にもいろいろチャレンジして楽しい時間を過ごしました。

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算数レッスンのカレンダーの勉強。

風船うさぎのモコちゃんカレンダーを出してくると、毎回、予想以上の盛り上がり。

「もらっていい?持ってかえっていいの?」とたずねられるけど、残念ながら、教室での学習用に買ったものなのでプレゼントできません。

 

「先生、どうして買ったの?」と聞かれたので、「うさぎのモコちゃんのファンだから」と答えると、「あっ、ここにモコちゃんたちのこと書いてある」と言いながら、

モコちゃん、ムギちゃん、ミミちゃん、クロちゃん、けだま、ももちゃんのキャラクター情報が載っているシートをチェックしていました。

子どもたちの心のみならず、そこにいたお母さん方の心もぎゅーっとわしづかみにしたキャラクターの持ち主は、『けだま』ちゃんの

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朝から晩まで寝てばかり。お目覚めの30秒は寝ぼけて動かない。

走り出すと早い。

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というエピソード。

算数のレッスン中なので、みんな数字が出てくる部分には敏感です。

「1日は24時間なのに、30秒だけ起きてるって!!」

「えーえーっ、30秒?!!」

と、その話題だけで3分は持ちました。

 

ついでにちょっと頭の体操。

24時間を秒になおすとどうなるでしょう。

24×60×60=86400秒

 

『けだま』ちゃんが起きている時間の割合は、

30÷86400×100=0.03472222222……

なので、一日のうち、およそ0.03パーセントの時間、寝ぼけて起きているという計算になります。

運動会の練習であわただしく過ごしている子どもたちは、『けだま』ちゃんのマイペースな暮らしっぷりにかなり癒されたようです。

 

 風船うさぎのモコちゃんたちをもっと知りたい方はこちらへ

 

モコちゃんの飼い主さんにコメントをいただきました。

うさぎの手と足の爪の数についての貴重な情報を書いてくださっています。

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31日までの月を、私も覚えました。
皆さんは、小さな時に覚えられて良かったですね。
私はもうすぐ50歳です。
今ごろ覚えられました。

うさぎのモコちゃんは、手の爪は、5個ずつあります。
足の爪は、4個ずつなんですよ。
昔、センター問題に出たそうなので、ココ重要かもしれません。

ハムスターけだまは、いつも寝ています。
見事に、いつ見ても寝ている。
手を入れてもかみません。
えらい子でしょ。
また、見に来て下さい。

いつも、ありがとうございます。

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