虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

遊べない子は遊びに必要な技術を習得していない 1

2021-06-10 22:24:44 | 幼児教育の基本

 

 

「子どもは遊びの天才」なんて言われますが、

実際には、遊ぶのが苦手な子、遊び方が不器用な子がたくさんいるんじゃないかな?と

思います。

 

子どもたちが心の底から楽しそうに真剣に遊び込むことができるようになるには、

いくつか体得していかなければならない

技術のようなものがあると感じています。

 

遊ぶのに技術を体得しなくちゃならないなんて

おかしなことを言うように聞こえるかもしれませんね。

でもやっぱりいると思うんですよ。上手に遊ぶためのワザ!

 

目新しいおもちゃをちょっと触ってはうろうろするだけだったり、

 

遊び方の説明を聞いて、ちょっとうまくいかなくても何度か試してみるほどに

ひとつの物に根気よくつきあうエネルギーが乏しかったり、

 

遊びがワンパターンだったり、

幼なかったり、

依存的だったり、

友だちとふざけたり物を取り合ったりするばかりで遊びが発展しなかったりする子っていますよね。

 

そうした遊び方は性格や能力に起因しているように思われがちです。

もちろん、それらの影響も大きいはずです。

 

でも、それとは別に、

「遊びに必要な技術を持っているかどうか」というのも

遊びの質と密接に関わっているのではないでしょうか。

 

では、「遊びに必要な技術」って、どんなものなのでしょう?

 

★ まず最初に大事なのは、「何かとしっかり関わっていける力」をつけることかもしれません。

ひとつの遊びに愛着を抱いて、ひとつの活動を通して、

「面白いな、楽しいな」という気持ちを持続していくことができるようになることです。

 

★ 遊びというのは、おもちゃがあって、それをいじってさえいれば

発展していくわけではありません。

楽しく遊ぶには、「いろんな形で想像力を使ってみる」という

実際に自分の頭と心を使って遊んだ体験が必要です。

遊びの世界で自分の頭を使えるようになっておかないと、

おもちゃがあるから、遊具があるから、楽しめるわけではないのです。

子どもは、自然に、物を何かに見立ててみたり、ごっこ遊びに興じたりするものですが、

大人の接し方やおもちゃが子どもの想像力を枯らせてしまったり、奪ってしまったりすることも

よくあることです。

また、もともと想像力に弱さがあって、ていねいに育んでもらわないと、

自分から使おうとしない子もいるのです。

 

環境と大人の役割は大きいです。

 

 
 
★ 想像力だけでなく、思考力を遊びの中で活かしていく方法を習得すれば、
遊びはどんどん魅力的なものに発展していきます。
 
 
それでは、写真のブロック遊びをしている子どもたちを例に挙げて、
これまで書いてきたことを具体的に説明させてくださいね。
 
5歳と3歳の子たち、5人の遊びの風景です。
 
ひとりの男の子が電車のおもちゃを出してきて、ただ前後に動かしたり、好きな電車を集めたりして
遊んでいました。
遊んでいました……といっても、電車をいじっているだけなので、
それほど面白そうでじゃないのですが、飽きると新しいおもちゃを探しに行って
お気に入りに加えることで、本人の中では遊びが成り立っているようでした。
 
お家で、そうした遊びを遊びと思っている子がたくさんいます。
 
おもちゃをしばらくいじっていると、「片付けなさい」とお母さんに言われ、
片付けると、次のおもちゃが出したくなり、
出してきて触っているうちに、次の「片付けなさい」という指示が来るということを
エンドレスに繰り返すうちに、「遊び」という活動が、「赤ちゃん時期の見て触って満足」という
段階から、少しも発展していない子がたくさんいるのです。
 
 
次回に続きます。

幼児が「よく考える」ようになるためのいくつかのステップ  1

2019-03-07 07:52:35 | 幼児教育の基本
「うちの子あまり考えません~」と親御さんが嘆く子に会ってみると、

考えるために必要ないくつかのことが身についていないのがわかります。

上手に「考える」ことができるようになるには、
その前にできるようになっておくといいステップがあります。

ひとつは、上手に「見る」ことです。

よく見る
ていねいに見る
よく似ているものを思い浮かべたり、違いを考えながら見る
見て不思議に気づく
見て好奇心が刺激され、調べたいと思う
動きのあるものを見る
考えながら見る
人の表情をよく見る 目を見る

というように「見る」ことを極めていけば、必ず「よく考える」ことにつながっていきます。

1歳代の子とお散歩に行くと、歩く先々で「じっくり見る」と面白いものにぶつかります。
小学校の校庭をのぞくのも好きですし、水たまり、花のおしべめしべ、
ポストの投入口の中、ありの行列、はとたちの日向ぼっこ、
日光が当たっている部分と影になっているところ、
お風呂屋さんのえんとつなどなど……きりがありません。
幼い子ほど、そうしたものに感動し、よりていねいにじっくり見ようとします。
葉っぱに毛虫がいれば、何度でも何度でも見たがります。

合理的に効率的に目的地に直行!
ではなく、歩いて、子どものペースでさまざまなものを見て、
見たときの思いや発見を話し合って共感しあうことが、
「見る」能力を高めて、
「考える」力のベースになります。

幼児にしても、小学生にしても、「よく考えない」ということの裏に、
「よく見ていない」ということがあります。
算数の問題も、国語の問題も
「よく見る」だけで解けるものは多いのです。

でもいったん「見ない」癖がついてしまった子には、
どうすればいいのでしょう?

子どもがぼんやりしているように見えるとき、「ぼんやりしている」と思うのでなくて、「何を見ているのかな?」と視線の先を見ると、
何かに気を取られていることがよくあります。
そうした子どもが見ているものについて、いっしょにおしゃべりして
楽しむようにすると、見方が変わってきます。
また、「よく見ない」子には、忙しく動き回るという子もいます。
外で、子どもが発見したものを報告してもらって「すごいね~!どこどこ?」と感動していると、
さらに面白いものを見つけようとするはずですよ。

年中さんの「なぜ?どうして?」

2018-06-13 20:35:06 | 幼児教育の基本

年中のAちゃんは、さまざまな活動にマイペースにじっくり関わる子です。

この日も他の子が作ったビー玉コースターで、長い時間遊んで、どこがどうなっているのか、隅々まで観察して

うまく転がる理由や転がらない理由について熱心におしゃべりしていました。

Aちゃんのお母さんの話では、最近、「どうして?」「なぜ?」と一日中たずねているそうで、

工作や実験を通して物を観察する目が高度になってきたためか、

「このおもちゃの(さしこんである人形部分)あんぱんまんは、

どうやって入れたの?こっちを先に入れて、それから次にここを作ったのかな?

どういう順番で入れたのかな?」とか、

「どうして線路に石があるの?どうして線路に石がいるの?」とか、

どうして電車の上にひも(架線)があるの?どこまで(架線は)あるの?」

疑問が、以前より具体的なものになっているそうです。

Aちゃん、教室でも「なぜ?なぜ?」を連発していました。

この日は年中の女の子ふたりのレッスンだったのですが、年小時代に比べ、

何かやり遂げると、「もう一回」「もう一回」と繰り返しやりたがる熱心さが目立ちました。

 

上の本は、「1はウラパン、2はオコサ」と言いながら数を数えていく数遊びです。

けっこう難しいのですが、ふたりとも一生懸命参加していました。

ちょっと難しいことにチャレンジするのが楽しい時期のようです。

 


個性的な資質を伸ばすのに大切な3歳児 (もう少し大きくなった子の親御さんも読んでくださいね)

2018-05-23 10:33:09 | 幼児教育の基本

 

個性的なその子その子の資質を伸ばしていく上で、
とても大事だな~と感じているのは、3歳の時期です。

1,2歳から親子レッスンで、子どものお世話をさせていただいている場合、
親御さんの考えと私の考えに微妙なずれが生じやすいのも、
この時期でもあります。

3歳の子というのは、
2歳のころの「大人の言うことや環境からの刺激を
吸い取り紙のように何でも吸収する姿」がまだ残っている上に、

「本人の意志でやりはじめること」は、
折り紙でしたら、ぐちゃぐちゃっとして、
名前をつける程度の
大人からすれば目を引かない……見栄えのよくない行動が多いのです。

3歳の子に、英語を習わせたり、音楽を習わせたりすると、
家に帰ってから習った英語を真似てみたり、
楽器を弾いたり、本人も楽しそうだし、親御さんも次はどんなことをさせてみようかとわくわくするようです。
また、幼児用のプリントを与えると、喜んで何枚もしたりして、
このまま学習習慣をつけてあげたいとも思うようです。

こんな風に3歳になったとき、
さまざまなことに積極的に集中してチャレンジできるのは、
2歳の時期に、目と手を協応させて、
遊びにじっくり関われるように育んできた結果でもありますから、
「いろいろやれる」のだから、無理強いはせずに「いろいろさせてみる」のは
何の問題もないように
見えるかもしれません。

私にしても、「これはまだ教えるのは早い」とか思うものはなく、「いろいろさせてみる」こと自体には何の問題も感じていません。

それなのに、親御さんと私の間に考え方の「ずれ」が生じるのは
なぜかというと、
親御さんが3歳の時に感動してあれもこれも伸ばしたいと注目しているポイントが、植物でいうと子葉の部分……つまり、3歳までの子の特有の長所に注目していることが多く、

私は、3歳ごろから芽を出し始めたばかりの
植物でいうと本葉の部分を見ていて、
まだ目立たない個性的な資質のあらわれを、守って、磨きをかけ、
大事に育んでいきたいと考えていて、

そこで、どちらに重点をおくかで、何度か話し合いになることがあるのです。

もちろん、どちらも大事にしていくことはできますし、私もそれを目指しています。
気をつけなくてはならないのは、
3歳という時期は、
「あまり重要でないもの」が立派に見えて、
「その子にとって重要なもの」は、生まれたばかりで目立たない
ということなのです。

この「重要でない」「重要」の差は、
写し絵と、本物の絵のちがいのようなものです。
まだ上手に絵が描けない子に、写し絵ばかりさせて褒めていれば、
何だか立派なものができたというパフォーマンスにはなっても、
絵を描く能力を衰えさせていくのは目に見えていますよね。

これは写し絵をさせてはダメだということでは、ありません。
写し絵をして伸びるかもしれない、手先の巧緻性を無意味だと
言っているわけでもないのです。

「重要でない」ことをさせて良いかどうかの問題ではなく、

「重要」なことは、他の何に気持ちが奪われていても
無視してはいけない

ということなのです。

3歳の時期、子どもの遊びは、
だんだん「意味」と「目的」を持ったものに
変化しはじめます。
遊んでいるうちに、「こうしたいな」「ああしたいな」と思いがふくらんだり、
前にうまくいった方法を発展させて何かしようとしたりします。

写真では、3歳の★くんが、ビー球が転がる先に鉄琴を置いてみて、
音を楽しんでいます。
その前に、鉄琴の上にいろんな物を落としてみて、音を面白がっていたのです。
それで、ビー球を転がしている時に、
それを思い出して、「転がったボールが鉄琴に当たるとどうなるだろう?」と
考えたようなのです。

3歳の時期には、

どんなことがやりたいか見つける(自分がやったら楽しいものがわかっている)
「こんなことがしたい」という思いを持つ

遊びながら工夫して、「さらにこうしたい」「こんなこともためしたい」と思いがふくらんでいく

前の経験を思い出し、今の遊びに活用する

ということができはじめます。

2歳の頃なら、ただ絵を描くだけだったのが、
いろいろな経験の幅を広げてあげると、
絵を描いたあとで、
「飾ってほしい」と言ったり、「切手を貼ってポストに入れよう」と言ったりします。

他の人のアイデアと、
自分のアイデアとに、ものすごく大きな興味の違いをしめすときでもあります。
他の人がすることよりも、
自分がすることは、「すごくてすばらしくて大満足!」
という時期でもあります。

面白いなと思うのは、3歳児の描いた何だかよくわからないプリキュアの
絵を3歳の子たちに見せると、
大人の描いた上手な絵よりも感心して、
「じょうず~」「りぼんじょうず~」と絶賛したりすることです。
この時期の子は、「自分でできそうだ」ということに
心が揺さぶられるようです。
 

3歳の時期、親御さんの考えと「ずれ」が生じる時があります~と書いたのは、
ちょうどこの頃から、
「難しいことはさせていないので、楽しくやらせているので、
~~をさせても大丈夫ですよね?」とたずねられることが増えるからです。
内容は、
ピアノや文字のワークや英語やリトミック、体操などです。

どの内容なら良いのか、どれくらいするのなら良いのか、さまざまな意見があるので、迷うそうです。

私が、う~ん、と返事に悩んでしまうのは、

子どもって、1歳でも、2歳でも、3歳でも、「楽」なことなんてしないで、
自分の能力の限界まで力を出しきっていろんなことをしているな、と感じているからです。
1歳児は懸命に歩こうとするし、2歳児は手を使う仕事に一生懸命です。

3歳児はというと、記憶したことを取り出したり、
自分で選んだり、
決定したり、目的を定めたり、自分の気持ちを言葉にしたり、
経験したことをごっこ遊びのなかで再現してみたりと、
自分の頭を使うことになら何でも真剣そのものです。

そのどれもが、録音、録画機能のある機械にも、計算機にも、ロボットにも
できないことばかりです。

そうした3歳児が「自分の頭を使いたい」と思っていることに
理解のある親御さんたちは、できるだけ子どもの言葉に耳を傾けて
周囲よりのんびりと生活しています。

子どもが上手にしたら、「上手に自分で達成できた事実」を、教えてあげています。

失敗したら、子どもが自分で気づくように見守っています。
あれこれすることを指示するのでなくて、
子どもがやりたい、達成したいと思う内容を
自分で見つけて
探求していくのを支援しています。
のんびりペースで、5歳、6歳を迎えると、想像力豊かで、思考力が高く、手先も器用で、意欲的な子に成長しています。また個性的なその子しかない才能は、その頃にはもう輝きだしています。


前の話題にもどって、
私が何をう~んと悩むのかと言えば、

3歳の子は、まだ自分の頭で考えることを始めたばかりですから、

しょっちゅう、考えるのを中断されたり、

自分で選んだり、決めたりできない場所でいろいろ指示されて真似することを繰り返したり、

自分の考えを実行に移すよりも
大人の求めるものを真似した方が褒められる体験をしていると、
「考えること」自体をやめてしまうからなのです。

集団でリトミックや英語などを体験するのが悪いわけではないのです。
大人の価値を置くものが外に向いていて、
お家でも、移動中も、お外でも、
あまりにも幼児の「頭で考える」時間が奪われている場合、
問題なのです。

脳の基本の操作がきちんと実行できるように、
この時期の子にはこの時期の子の
やっておかなければならない大切な仕事がたくさんありますよね。

見たり聞いたりしたことを、
遊びの中で再現しなおして、
記憶したことを、きちんとアウトプットできるようにしたり、
手で何か作ることで、
イメージしたものをアウトプットすることもそのひとつですね。
 
知的な課題が好きな子に育つお母さんの態度 嫌いな子に育つお母さんの態度



小学生と話していると、
「マンガを読むのもめんどくさい」
「ゲームをするのもめんどくさい」という子がけっこういます。
遊ぶのもめんどくさいし、何をしようかと考えるのもめんどくさいそうです。
以前、児童館でボランティアをしていたとき、
児童館の館長先生が、
「多くの子どもが、おもちゃで遊ばず、おもちゃを壊す、崩す、蹴ることばかりするのは、
どうしたものか……」と嘆いていたことがあります。

子どもたちの姿を見ていると、
どんなことをすれば自分が楽しい気もちになるか、それが持続できるかが
わからない様子でした。

子どもは、3歳くらいから、ひたすらそれを探求しはじめます。

どんなことをすれば自分が楽しい気もちになるか、それが持続できるか
は、探求すればするほど、
遊べば遊ぶほど、豊かになり、洗練されていき、
自分の個性的な潜在能力と結びつきます。

人は自分が最も得意としていて、
伸びる可能性のあることに
本気で取り組んでいるとき、一番楽しい気持ちになるし、
いつまでもそれをしていたいと思うからです。

幼児は、全身全霊をかけて自分の潜在能力探しをし続けている
と言っても良いくらいです。

大人がそれを手助けしようと思うなら、次のようなことが大切です。

★ まだ上手に言葉にできない部分を助けつつ、よく話やアイデアを聞いてあげること

★ 問題にぶつかったとき、自分で切り抜けられるように見守り、
適度に手をかすこと

★ 子どもの興味をより広い世界につなげてあげること

★ 大人が「ここは干渉しない方がいい」というタイミングを知り、我慢できること

★ 子どもが必要なもの(紙や描く道具やはさみやブロックやシンプルなおもちゃなど)と、前回の経験が生かせるような忙しくない生活リズムが確保されていること

遊べない子は、遊びに必要な技術を習得していない

2018-05-03 22:32:14 | 幼児教育の基本

 「子どもは遊びの天才」なんて言われますが、

実際には、遊ぶのが苦手な子、遊び方が不器用な子が

たくさんいるんじゃないかな?と思います。

 

子どもたちが心の底から楽しそうに真剣に遊び込むことができるようになるには、

いくつか体得していかなければならない技術のようなものがあると感じています。

 

遊ぶのに技術を体得しなくちゃならないなんて

おかしなことを言うように聞こえるかもしれませんね。

でもやっぱりいると思うんですよ。上手に遊ぶためのワザ!

 

目新しいおもちゃをちょっと触ってはうろうろするだけだったり、

遊び方の説明を聞いて、ちょっとうまくいかなくても何度か試してみるほどに

ひとつの物に根気よくつきあうエネルギーが乏しかったり、

遊びがワンパターンだったり、幼なかったり、依存的だったり、

友だちとふざけたり物を取り合ったりするばかりで

遊びが発展しなかったりする子っていますよね。

 

そうした遊び方は性格や能力に起因しているように思われがちです。

もちろん、それらの影響も大きいはずです。

 

でも、それとは別に、

「遊びに必要な技術を持っているかどうか」というのも

遊びの質と密接に関わっているのではないでしょうか。

 

では、「遊びに必要な技術」って、どんなものなのでしょう?

 

まず最初に大事なのは、

「何かとしっかり関わっていける力」をつけることかもしれません。

ひとつの遊びに愛着を抱いて、ひとつの活動を通して、

「面白いな、楽しいな」という気持ちを持続していくことができるようになることです。

 

遊びというのは、おもちゃがあって、それをいじってさえいれば

発展していくわけではありません。

楽しく遊ぶには、「いろんな形で想像力を使ってみる」という

実際に自分の頭と心を使って遊んだ体験が必要です。

遊びの世界で自分の頭を使えるようになっておかないと、

おもちゃがあるから、遊具があるから、楽しめるわけではないのです。

子どもは、自然に、物を何かに見立ててみたり、ごっこ遊びに興じたりするものですが、

大人の接し方やおもちゃが子どもの想像力を枯らせてしまったり、

奪ってしまったりすることもよくあることです。

また、もともと想像力に弱さがあって、ていねいに育んでもらわないと、

自分から使おうとしない子もいるのです。

 

環境と大人の役割は大きいです。

 

 

 
 
想像力だけでなく、思考力を遊びの中で活かしていく方法を習得すれば、
遊びはどんどん魅力的なものに発展していきます。
それでは、写真のブロック遊びをしている子どもたちを例に挙げて、
これまで書いてきたことを具体的に説明させてくださいね。
 
5歳と3歳の子たち、5人の遊びの風景です。
 
ひとりの男の子が電車のおもちゃを出してきて、ただ前後に動かしたり、
好きな電車を集めたりして遊んでいました。
遊んでいました……といっても、電車をいじっているだけなので、
それほど面白そうでじゃないのですが、飽きると新しいおもちゃを探しに行って
お気に入りに加えることで、本人の中では遊びが成り立っているようでした。
 
お家で、そうした遊びを遊びと思っている子がたくさんいます。
 
おもちゃをしばらくいじっていると、「片付けなさい」とお母さんに言われ、
片付けると、次のおもちゃが出したくなり、
出してきて触っているうちに、次の「片付けさい」という指示が来るということを
エンドレスに繰り返すうちに、
「遊び」という活動が、「赤ちゃん時期の見て触って満足」という段階から、
少しも発展していない子がたくさんいるのです。
 
電車のおもちゃを出してきて、ただ前後に動かしたり、好きな電車を集めたりして
遊んでいた子に、「ブロックを使って、その電車の駅や線路を作らない?」と誘うと、
少しとまどった顔をしながらうなずきました。
 
そこで、「ほら、前に、長い長い道路を作ったことがあるわね。
どんどん板をつないでいって」と言うと、
横でそのやりとりを聞いていた子が、パッと顔を輝かせて、
「あぁ、前にやった。もっといっぱい板がいる。もっともっと長くなくちゃ」と
言いながら、ブロックの板を並べだしました。
 

↑と↓は前にブロック用の板を並べた時の写真です。

 

↑ こんな風に道路を作って遊んだ楽しい体験を思い出したようです。

 

わたしが列車を走らせるためにブロックを横につないでいく見本を見せると、

他で遊んでいた子らも集まってきて、長い線路を作り始めました。

 

こうして手を使ってする作業に没頭し始めると、

子どもの態度は素直で落ち着いたものになっていき、

同時に頭の中はいきいきと活発に動きだすようで、

意欲的でよく練られた考えや言葉が出てくるようになります。

 

線路をつなぎ終えたとたん、Nゲージを走らせてみてから、

「そっちとこっちとで発車したら衝突しちゃうよ。

こっちの線路は、こっちからあっちに行って、あっちに着いたら

戻ってくるようにして、

あっちの線路は、あっちからこっちに行って、戻ってくるようにしたら?」と

言う子がいました。

すると別の子は自分の好きなように走らせたかったようです。

線路に1台だけ走らせるのでは嫌らしいのです。

 

そのため何度かNゲージが衝突することになり、言い合いになりかけたものの、

「それなら、連結したら?」という意見が出て、問題が解決しました。

Nゲージをどんどん(セロテープで)連結すると、長い1台の列車になるので、

1台ずつを行き来させているのと同じになったのです。

 

そうして遊び出すと、ここが終点、こうやって切符を買って……とごっこ遊びを広げる子、

駅で電車に乗る人が住んでいるお家を作ってストーリーを膨らませる子などが出てきて、

遊びが広がっていきました。

 

遊びって、ある程度、「ああ疲れた」「やるだけやった」というところまで

自分の身体なり、頭なりを使いきらないと、楽しさが湧いてこないものなのです。

その「やるだけやった」は、その時期その時期の子が

やっているうちにどんどん楽しくなっていって、「もうちょっともうちょっと」と

自分の限界までやり遂げないと気がすまなくなっちゃうような活動であること、

五感にとって気持ちいいこと、目で見て満足できるものであることが大事です。

 

だからといって、

わざわざこういうおもちゃを買いそろえなくちゃいけないということはなく、

お家にあるもので十分だと思います。

 

今回の「つないでつないで長く長くしていく」という活動は、

子どもにとって楽しくて達成感のある活動のひとつですが、

ブロックの板がなくても、下の写真のように「柵だよ」と言いながら

ブロックを置いていくだけでも、子どもにしたらさまざまな想像力を

掻き立ててくれりものなのです。

 

↑の写真の作品を作った子は、教室の端から端まで柵を付けた後で、

おもむろに立ちあがると、

しみじみと自分の作り上げた作品を眺めながら、

「どうして、こんなにすごいのが作れちゃったんだろう?」とつぶやきました。

 

置いていくだけ、並べていくだけ、囲むだけでも、道路ができ、

線路ができ、工事現場ができ、公園ができます。

そうした作業に熱中するうちに、想像力がいきいきと働き始めます。

 

「新しいおもちゃを出して、ちょっと触ってはお終い」という遊び方をしていたら、

自分の想像力を使うところまで行きつかないのです。

 

そうして想像力を働かせて遊んでいると、次には、

「上から電車を眺める駅を作りたいな」「これは特急で、こっちは回送で……」

「こういう風にしたい」「ああいう風にしたい」と

今度は思考力を働かせて、遊び始めます。

 

↑ 電車をくぐらせようとしたら、人形がトンネルの屋根にあたってしまうから

トンネルを高く作り直しました。

 

どんどんどんどん線路を長くしていく遊びから、

「地下鉄が上の駅のところに登って行くようにしたい」という願望が生まれ、

苦労してだんだん高くなっていく高架を作りました。

 

どんどんつないでいく楽しみも、

お城のなわばり図を作るという意味を意識しながら作ることで、

昔の人の知恵への関心が高まり、

自分たちもあれこれ知恵を絞って遊びこむことができました。

 

↑通ろうとすると、橋が崩れる仕掛け。

 

どんどん並べて、どんどん乗せているうちに、いろいろな物語が生まれていました。

 

どんどんどんどんつないでつないで……に熱中していると、こんな素敵な街になった

こともあります。

 

夢中になって遊ぶには、簡単にすぐできて、何度も繰り返したくなるような作業を

思い存分やることができる環境が大事だと思います。

公園でする砂遊びでも、お花を絞って作る色水遊びでも、何でもいいのです。

そうした身体を使って集中する活動を洗練させていきながら、

それがごっこ遊びにつながっていって、想像力をたっぷり使う機会が生まれるように

サポートしてあげることが大事だと思っています。

また思考力を使って次々生まれてくる願望を言葉にしたり、それを達成したり、

問題を解決したりする楽しさをたくさん体験させてあげるのも

とても大切な身近な大人の役目だと考えています。 


常識やイメージの世界わかりはじめることからくる笑いのポイント 4歳児さん

2018-02-06 23:37:45 | 幼児教育の基本

 

過去記事が多くて悪いのですが、懐かしいのでアップさせてくださいね。

 

3歳児前後~3歳7カ月の子というこのグループの子たちのレッスンがありました。

 

数日前、この子たちより、

1歳年下の子らのグループレッスンがあった時のこと、

3歳児さんたち、言うことなすことあんまりかわいいもんですから、

それぞれの子のお母さん方は胸がキュンとなった様子で、

帰り際に、「かわいすぎる~」「ずっとこのまま大きくならなければいいのに~」と口々につぶやいて

おられました。

 

それに大きくうなずいていたわたしですが……。

それが、それが……4歳児さんたちが来たら、4歳児さんたちが最高におもしろかわいいし……。

5歳児さんたちが来ても、6歳児さんたちがきても……小学校高学年の子らが来ても、

やっぱりそれぞれが、思わず微笑んでしまうかわいらしさで……本当に、子どもたちには、

日々、癒されています。

 

前置きが長くなりましたが、

今回の4歳児さんたち、ちょっと自分を抑えることができるようになって、

おりこうになってきました。

 

ひとりの子が魅力的なおもちゃで遊びだすと、他のひとりが、「か~し~て」と言います。

そこで、「いいよ」と次の子におもちゃが渡るのですが、

その瞬間、別の子が、「か~し~て」と言うもんですから、

おもちゃは再び、次の子の手に。

そうするうちに、最初に遊んでいた子が、最後にそのおもちゃを手にしている子に、

「か~し~て」と言いますから、誰ひとり、1分たりとそのおもちゃで遊ぶことなく

おもちゃがぐるぐる子どもたちの間を回っているということが多々あります。

 

 

わたしが感心した様子で、

「みんな、お姉さんねぇ。お友だちにか~し~て、と言われたときは、

かしてあげるの?」とたずねると、

「そう、そう」とこっくりします。

「あのね、この間、赤ちゃんたちと遊んでいた時に、

おもちゃ、か~し~て!と言ったら、赤ちゃんったら、そのおもちゃを自分のお口に入れるのよ。

もういちど、か~し~て、と言ったら、今度は、ポーンとそれを投げるんだから」と言うと、

子どもたちはゲラゲラ笑いながら、「赤ちゃんはね、そういう風にするのよ~」と教えてくれます。

「でも、うちの●くんは赤ちゃんだけど、か~してって言ったら、はいっ、てかしてくれるよ」と

説明してくれる子もいました。

それから、ちょっと誇らしそうに、

「わたしたちは、4歳だから、お友だちにかしてあげるもん」と胸をはっていました。

 

こんな風に、赤ちゃんたちの行動をゲラゲラと笑っていた4歳児さんたちの様子を、

小学生らのグループで話すと、

遊びもしないで、かしてって言われたらはいって渡すなんて……!それじゃ、いつまで

たっても遊べないじゃない!」と言って大笑いしていました。

それぞれの年齢で、笑うポイントがちがいます。

 

4歳児さんたちが大笑いするポイントって、

3歳児さんとはかなり質が異なってくるように思います。

常識やイメージの世界がわかりはじめることから、

ユーモアを感じとる感受性が高まってくるようなのです。

 

今回のレッスンで、子どもたちが木製のおもちゃのケーキに木でできたろうそくを

さしてわたしに届けてくれるというシーンがありました。

このろうそくには、木でできた赤い炎がついています。

わたしが吹いて消す真似をすると、

子どもたちが口々に、「先生、それは、木だから消えないよ」と言います。

すると、「これは、真似だから」とみんなに説明している子もいました。

 

わたしが、「じゃあ、見ていてね。本当に火を消すからね」と言って、

ギュッと目を閉じて、「あっ、見えない、見えないから、火が消えちゃったよ」と言うと、

子どもたちはよほどおかしかったらしく笑い転げながら、

「おもしろい、おもしろい~」と黄色い声を出していました。

 

4歳ともなると、わたしから世界がどのように見えているかを

了解して、そこから生じるユーモアを感じとることができるんだな、

と楽しい気持ちになりました。

 


遊んで育つというのは、基本的に普段の遊びのレベルが高い場合 ?!

2018-01-04 20:35:30 | 幼児教育の基本

KID´Sいわき・ぱふ代表、にほんこどもの発達研究所の岩城敏之氏が

『子どもの遊びをたかめる大人のかかわり』という著書のなかで、

「遊んで育つというのは、基本的には普段の遊びのレベルの高さです」

とおっしゃっています。

岩城氏はこんな例を挙げて説明しておられます。

 

大人が子どもたちに鶴の折り方を教えたとします。

上手な子はパパッと折って、下手な子は手伝ってもらいながら

作ります。もっと折りたいという子もいれば、

もうこりごりという子もいるはずです。

 

そこで、もっと折りたいと思うときに折れる状況が大事で、折り紙コーナーが

きちんとあるという環境を設定します。

教わった折り紙が面白かった子は、そこに集まって自分たちでどんどん勝手に遊びますし、

もしひとりも集まらなかったとしたら、そこが幼稚園や保育園の場合、教えていた先生だけが

面白くて、子どもは先生が真剣だからお付き合いしていただけということです。

 

それも悪くはないけど、遊んで育つという考え方からすると、それは遊ばなかったということ

と同じ。

つまり技術も身についていないし、習熟しないということです。

 

岩城氏の文章を引用させていただくと、次のような遊びと育ちの関係があるのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

何回も何回も「もう一つ作ろう、もう一つ作ろう、こんなんも作ろう、あんなんも作ってみよう」

と思って遊んで、はじめて子どもは育つわけです。

遊んで育つということは、こういうくりかえしが大切です。

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たとえば、父の日に園でお父さんの絵を描くのはいいけれど、

普段から家族の絵を描いたり、ままごとコーナーにお父さんごっこがどれだけ盛り上がるような

仕掛けが置いてあるか、新聞とかたばことかお酒など……。

そういうことが

本当の意味で子どもの成長を育む

「普段の遊びのレベルを上げる」ということだ、とおっしゃっているのです。


それぞれの子の個性と発達段階によって異なる敏感期の姿

2017-12-22 21:19:02 | 幼児教育の基本

 1歳7ヶ月の★ちゃん、☆ちゃん。2歳1ヶ月の●ちゃん、2歳6ヶ月の○くんの

レッスンの様子です。

 

ベビー向けのレッスンでは、親御さんに、子どもの遊び方や言葉から、

わが子が今、どんなことに敏感になっているのかに気づいてもらうお手伝いを

しています。

 

「敏感期」というのは、生物学者のユーゴー・ド・フリースによって提唱された概念です。

それを教育に取り入れたモンテッソーリは、敏感期を、

「発達の初期のころ、ある能力を獲得するために、身の回りの特定の

要素を捉える感受性が特別に敏感になってくる一定期間」として捉えていました。

モンテッソーリは、成長とは、曖昧なものではなく、

周期的なあるいは束の間生じて指針を与える本能によって、

細部に至るまで導かれる一個の作業だとおっしゃっています。

子どもの心や体の成長は、徐々に完成されるのではなく、

ある特定の時期に爆発的に完成されると考えていたのです。

 

また、敏感期には環境の習性や法則が

楽に喜びのうちに吸収され、課題の達成が簡単になること、

その時期に得られた能力や性向は敏感期を過ぎたあとも定着し、

次の段階の土台となると同時に後の生活や人生に影響を及ぼすことも指摘しています。

 

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実は、わたしはモンテッソーリの洞察力を深く信頼している一方で、

現在、日本の幼稚園や家庭で行われている

モンテッソーリ教育について、複雑な思いを抱いてもいます。

というのも、モンテッソーリの園に通っている子の親御さんの話をうかがうと、

その子個人の敏感期について、正確に読みとろうとする努力をせずに、

ただ「教具の世界での系統学習」という捉えで、子どもと関わっている先生や親が

多いように思われるからです。

また、同じ敏感期にあっても、子どもの個性や好みによって

教具や素材の質を変えた方がいいケースへの対応があまりないようでもあります。

 

たとえば、

折り紙を半分に折って、たくさんの三角形を作る作業に熱心な子がいる一方で、

同じように、真剣に大人の作業を観察して、正方形の角と角を合わせて

三角形を折るにしても、タオルハンカチのような素材で

人形のお世話やままごとの中で繰り返したがる子もいるのです。

 

○くんは、物のサイズに敏感な時期のようで、

長さの異なる乗り物がきっちり収まるような車庫を作ってあげると、

喜んで乗り物を入れていました。

また、懸命にブロックで物を埋めてしまおうとする活動にも熱心でした。

乗り物好きの男の子は、デュプロブロックのような色がはっきりしていて、

表面がつるっとしていて固いもので作った立方体や直方体を好むことがよくあります。

 

1歳7ヶ月の★ちゃんは、一つひとつの物の名前を言ってもらいたい時期のようでした。

幼い子たちと接していると、★ちゃん同様、物の名前をひたすら耳で聞きたい時期、

声に出して言ってもらいたい時期があるな、と思っています。

 

★ちゃんは、ミニカー類が入っていたケースをひっくりかえすと、

乗り物をひとつずつ掴んではわたしに手渡しました。

それらを受け取る度に、「白いスポーツカー。かっこいいね」

「トラック。荷物が入るのね」「これは、パトカー。警察の車よ」

「飛行機。空を飛ぶよ」「青い自動車。このタイヤ、前のタイヤの方が小さいね」

「銀色の車。ピカピカした銀色ね」などと、

ゆっくり聞き取りやすい声で言ってあげました。

★ちゃんの熱心さは、敏感期の子特有の「いったい、どれだけそれがやりたいの?」と

唖然とするほどのエネルギーに満ちています。

何十体もある乗り物を、ひとつひとつこちらに手渡しては、

わたしが「緑の車」と言えば、「みどい……ま」「トラック」と言えば、「アック」と、

必死に真似ようとしているのです。

途中で飽きて別のことを始めるなんてことはありません。

ひたすら、ひとつひとつ渡して、真剣な表情でこちらの言葉に耳をそばだてています。

また、「銀色の車。ピカピカした銀色ね」と言った時には、

もう一体、銀色の車を差し出して、それにも、「銀色の車。ピカピカした銀色ね。

いっしょ、いっしょ。銀色がいっしょね」とふたつの車を交互に指さすと

うれしそうに笑っていました。

 

★ちゃんと同じような時期の子は、機関車トーマスなどの絵カードの名前をひたすら

言ってもらいたがったり、「あっ」と自分が適当に指さすものを

ひたすら言ってもらいたがったりする子などがいます。

そうした時期に、ていねいにしっかり付き合うことで

語彙が爆発的に増えるのも実感しています。

 

敏感期の子と付き合う親御さんは、「ていねいにしっかり」とは

真反対の接し方をしていることがよくあります。

子どもが★ちゃんのように「はい」とおもちゃを手渡す行為にしても

あんまりしつこいもんですから、「はいはい」と適当に受け取る姿をよく見かけるのです。

 

この日のレッスンで、1歳7ヶ月の★ちゃんと同じように、

2歳1ヶ月のちゃんもお母さんの手に「はい」とおもちゃを乗せては、

その名前を言ってもらうのを喜んでいました。

が、★ちゃんとちゃんでは、同じように物の名前を言ってもらいたがるにしても、

お母さんに求めているフィードバックが少し異なりました。

 

★ちゃんの場合、とにかく何でもいいから手にしたものの名前を言ってもらいたい様子。

しかしちゃんとなると、ごっこ遊びの流れの中で、

ある同じカテゴリーの名前を続けて耳にしていくことに強い関心を示していました。

また、目にしている物と名前が必ずしも一致していなくても、

「そういう名前にしておく」と見立てた状態で、お母さんが名前を挙げることを

心から楽しんでいました。

たとえば、お弁当箱を手にしているお母さんにブロックを渡す度に、

「たまごやき」「ソーセージ」などの具材に見立ててもらう、といったことです。

 

この春、年長さんになった★くん。

最近になって急に文字を書くことに熱中するようになったとか。

 

これまで絵ばかりだった★くんの絵本作りに、文字がたくさん登場するようになりました。

 

★くんが文字を書くことに熱中しだしたのは、

絵だけ、切り抜きを貼っただけという絵本作りを

満足しきるまでやり尽くしたからのようです。

絵本作りのスタートは、虹色教室通信でも紹介している

色画用紙を半分に折っただけでできる、ハードルが低い絵本製作です。

最初に作った1冊を1年間楽しむような、ゆったりした関わりでしたが、

★くんの中に描くことと作ることへの強い情熱が育まれていきました。

 

 

 

★くんの大好きなジオラマ作り。遺跡の図鑑を見て、

パリの風景を真似しています。

 

 

恐竜、船、建物などに興味がある★くん。

いっしょに『世界一周ゲーム』をした後で、

初めて、ボードゲーム作りにチャレンジすることにしました。

 

 

 

ボードは図鑑のお気に入りの絵を選んでカラーコピーして使うことにしました。

進むマス目を書いて、物差しで線を引きます。

カードを作って、「たまご」をいくつか描いて、「肉食」か「草食」かも

書きました。

たまごはアルミハクを丸めて作りました。

 

サイコロでマスを進み、止まったところで、カードを引きます。

カードの指示通り、「たまご」と「肉」か「草」をもらいます。

たまごを取られるカード(バツ付き)もあります。

 


早期教育の弊害はなぜ起こるのか? 子どもの育ちを見ていて感じること

2017-11-29 21:13:31 | 幼児教育の基本

早期教育の弊害はちらほら耳にするけれど、

いったい何がどのように問題なのかよくわからないという方は

たくさんおられるかもしれません。

ずいぶん前に、徳島大学の佐野勝徳教授が、公文式から依頼されて、

幼児期に難しい計算や漢字を教えるような早期教育を受けた子たちについて

公文と共同研究した話を目にしたことがあります。

子どもたちのその後を追跡調査したところ、結果は、超優秀児たちですら

よくなかったそうです。

弊害が起こる理由は、一つひとつの発達段階を十分経ないままに、

次の段階でできるようになることを身につけてしまうことによるようです

ハイハイを十分する前に歩きだすとよく転倒するし、たくさんおしゃべりする前に

文字を覚えると、話し言葉にしかない自由な発想が育ちにくいという問題に

つながるという話でした。

 

虹色教室で幼い子たちと接していると、一つひとつの発達段階を十分経ないままに、

次の段階に向かわせることがいかに無意味か、

子どもにとって自分の内部にプログラミングされている課題がどれほど大切なものか、

目の当たりにすることが多々あります。

一つひとつが子どもの知能と身体の成長にとっての基礎工事、

土台作りといった重要なもので、いい加減に手を抜いて次に進むわけにはいかないことは、

子どもの無我夢中に取り組む様子とやり終えた時の満足そうな表情から伝わってきます。

 

子どもにより多くの知識をインプットし市販の教材を先へ先へと進ませようとする

早期教育的な関わり方は、子どもが、自分にとってもっとも大切な「今の課題」に

取り組むのを邪魔しがちです。

子どもの内部の要請がないままに、外からできるようにさせることで、

内部の要請が薄らいだり、なくなってしまったりするのをよく見かけます。

そうした要請があっても、親御さんがその重要性に気づかずにスルーしてしまうことも

よくあります。

 

  

↑の写真は3歳になったばかりの子が好む工作の様子です。

うさぎに帽子を作っているのですが、「帽子」という一般的なイメージに基づいて

作るのではなく、サイズと数に敏感なこの時期の子ならではの作り方です。

こうした作り方は、この前段階の、工作というより「ただ切りまくっている」だけ、

「ただ書きなぐっている」だけ、「ただ貼りまくっている」だけという

歩く前のハイハイのような状態を十分経た子が次に夢中になる活動です。

  

紙にえんぴつで切り取る線を入れて、線に沿ってはさみで切り取ってから

耳をくるんでテープで貼ります。

こうした一連の動作で、うさぎの靴も作っていました。

 

この時期の子にとって、 「紙にえんぴつで切り取る線を入れる」という作業は、

ままごとで大人がフライパンの中身をかき混ぜる真似をするのと同様、

大人の作業を模倣しただけで、それ自体に意味があるわけではなく、

線を入れているわりには、うさぎの耳の形と関連がありません。

 

でも、こうした作業は、4歳を過ぎた子たちが、必要に応じた下書きの線を入れる

意味のある活動の土台となります。

 

耳をくるむように帽子を作る作業は、2歳ちょっとの子たちが、

一つひとつがちょうど収まるような場所に、物を置いていこうとする仕事や、

ひとつの人形にひとつの食べ物を配ったり、ふとんをかけたりする作業の流れを

くんでいます。

また一歳の子の1対1対応に気づく活動は、一歳代の時、穴があると繰り返し

何かを突っ込みたがる活動を十分やりきった後で、強く現れるのをよく見ます。

 

わたしが最近あまり話題にのぼることがない早期教育の弊害について記事にしようと

思ったのは、いくつかのきっかけがあります。

そのひとつは、教室の年中のAくんのお母さんから聞いたこんな話です。

 

Aくんはよく、お母さんやお友だち相手に、

「どうして猫は屋根から落ちても大丈夫なんやと思う?」とか

「どうして猫は夜に目が見えるんやと思う?」「どうしてフクロウは……?」とたずねて、

「それはこうなんじゃないか?」「ああなんじゃないか」と持論を展開するのが

好きな子です。普段から身に回りにあるあれやこれやに疑問を抱いて、

「どうしてだろう?」とああでもないこうでもないと考え事をするのを

楽しんでいる姿があります。

 

本などで即席に詰め込んだ知識ではなく、自分の内面の「不思議だな」と思う気持ちを

動機にして、「こうなのかな?」「ああなのかな?」と自分の思考する力を総動員して

考えを練っているので、Aちゃんの「どうして○○なんやと思う?」という問いかけには、

同年代のお友だちの「どうしてだろう?」という思いに火をつける力があるようです。

「こうやからとちがう?」「でもそうやったら怪我するやん」

「そうしたらこうかな?」とめいめいが自分の考えを口にするものの、

 子どもたちの「こうだからじゃないかな?」は、たいてい間違っていますから、

「それなら、もしこうだったらどうなるの?」とつっこみを入れると、また一から、

「それは、こうかな?」「ああかな?」とその理由について考えを練り直すことになります。

 

今のAくんは、これまでの経験と知っていることを素材に

これは不思議だと心に引っかかるものを見つけてみたり、

論理的な意見を組み立ててみたり、想像力を膨らませてみたり、

自己流の仮説を立ててみたり、持論のおかしな点を指摘されてそれを修正してみたり、

必死で誰かを説得してみたり、答えが定まらないままに考え続けたりする楽しみに

どっぷりつかっていたいようです。

 

でも、実際には現在の子どもを取り巻く環境は、子どもがそうして

自分の頭を試運転してみる機会を許す余裕がないのが気にかかります。

 

先日も、ある子ども施設でAくんがお母さん相手に

「これはどうしてかな?こうなのかな?ああなのかな?」と自分で考えることを

楽しんでいると、それを聞きつけたボランティアの方が飛んできて、

「これはこういう理由なのよ。これはこうなのよ」と即座に正しい知識を

教え始めたそうです。こうした子ども向けの施設はもちろん、他の場所でも、

子どもが何か疑問を口にしようものなら、

すぐさま正しい答えを教えてあげなければならないと急く大人が多いことに

Aくんのお母さんは戸惑っておられました。

 

というのも、Aくんのお母さんは、Aくんが自分の頭の中であれこれ考える過程を

心から楽しんでいることをよく理解しているからです。

そしてAくんのお母さん自身、子どもの頃に、自分であれこれ考えをめぐらせた時の

心地いい記憶を持っているからです。

 

この話は、

「子ども向けの施設のボランティアがどのように子どもに接するべきか」といった

上っ面だけの問題に注目してもしょうがないことのように思いました。

社会全体が……学校も園も「子どものため」と整えられる環境も物も……どこか、

先の記事で書いたような早期教育的な色合いがあるのを感じるのです。

早期教育的という言葉に語弊があるとすると、

「子どもが自分自身の頭を使ってみること、自分の心で感じること」を

想定していないというか、

子どもが環境や人とゆっくり会話するのを助けるのではなく、自分の頭を使う前に

知識や技術をインプットしてしまうよう努めるというか……。

 

Aくんのお母さんの話をうかがって、わたしも自分自身が子ども時代に

さまざまなことに思いをめぐらせて、

自分で考える喜びに浸っていたことを思い出しました。

その考える筋道は、たとえ稚拙なものであっても、自分でたどるからこそ意味が

ありました。そんな話を書いたことがあったな……と思って過去記事を探していたら、

こんなものが見つかりました。

この記事で5歳だった☆くんは、もう小学6年生。

国語の読解問題が得意なしっかりさんに成長して

います。将来、科学者になる夢を抱いているそうです。

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もうすぐ5歳になる☆くんが、積み木を組み立てながら、

「宇宙ってどうやってできたの?」とたずねてきました。

ちょうど☆くんのお母さんから、レッスンに通って来る途中で、☆くんが、

「太陽って宇宙でできたんだよね~?地球は宇宙にあるから…(なんとかかんとか)」と

自問自答していたというお話を聞いていた日でした。

☆くんと私のお付き合いは3年目で、

☆くんがバナナを「なまま~」、卵を「ままご~」と呼んでいたころから知っています。

だから☆くんの疑問が、

宇宙の法則性を知識として知りたい外向的な思考から発せられたものでなく、

宇宙の中の自分の位置をつかもうとしたり、存在の意味を問うような…

哲学寄りの内向的な思考から生じていることがよくわかりました。

それで、すぐに答を教えるのでなく、そうした疑問を抱く☆くんの成長を

大切に見守っていく…という対応をしています。

こうした子に良い対応は、科学館に連れて行ってあげ、

本人の想像力が自由に膨らむままにしてあげたり、☆くんの話をよく聞きながら、

疑問を言葉にして詳しく表現できるように支援したり、

☆くんの興味を刺激するささやかな体験を増やしてあげることだと思います。

読書の習慣がつくように、環境を整えてあげるのも大事でしょう。

性急に大人が動くと、心を傷つけてしまう場合があります。

☆くんは、ゆっくり自分の考えを温めたいのです。

こうした疑問を抱く子は、外の環境への興味が薄い子が多く、生活習慣を覚えたり、

幼稚園に適応したりすることが難しい子もよくいます。

そうした時に、適応させることに力を入れすぎたり、

本人の中から生まれる疑問を無視した教育を押し付けると、

良いところが見えなくなったり、消えてしまったりするようです。

うちの息子も、この内向的思考の中にどっぷりつかっていたいタイプだったので、

幼い頃は他の子より遅れている面は大いに目をつむってきました。

信じてあげること。静かなその子の自由になる時間をたっぷり用意してあげること。

他の子と比べないこと…

が、自分の中から生じる疑問を追及していくこのタイプの子の成長に

欠かせないことだと思います。

 

「宇宙はどうやって生まれたの?」とたずねる☆くんに、

どう答えたらいいのか…もう少し補足しますね。こうした質問をする子は、

環境に敏感で知的好奇心が強い外向的な思考をする子と

自分の主観を通して世界を深く理解しようとする内向的な思考をする子の

2タイプがあると思います。

知識欲が旺盛な前者の子には、図鑑などを見ながら正確な知識を伝えてあげたり

さらに学習として発展する手助けをしてあげると良いと思います。

しかし、後者の内向的思考を好む子に、周囲が前者の子と同じ対応をすると、

心を傷つけてしまう場合があります。こうしたタイプの子は、知識が得たいのではなくて、

自分で考えたいのであって、考える行為そのものを愛しています。

たとえ行き着いた答が、客観的事実と異なるものでも、

自分で納得する答を求めているのです。

私も子ども時代、内向的な思考にどっぷりつかっているのが好きだったので、

どういう答がこうしたタイプの子を納得させるのかよくわかります。

私は幼稚園くらいのころ、「太陽はいったい誰のものなのだろう?」という疑問を

持ちました。それで毎日長い時間をかけてそれを考え続け、

さまざまなものを観察したあげく行き着いた結論は、

「太陽は私のものだ」という答えでした。

これはそのまま当時のつたない表現力で大人に伝えれば、笑われるか、

「誰のものでもありません」と事実を突きつけられるかのどちらかです。

しかし、私の「太陽は私のものだ」という考えには、

当時の私の思考や環境の全てが折りたたまれて含まれており、

今思い出しても面白いものがあるのです。

なぜ、私がそうした結論にいたったか…というと、

私はこの「太陽はいったいだれのものか?」を考えている時に、

この世界の自分以外のだれひとりとして、

今の私と同じ「時」と「場」を共有することはできないという事実を悟ったのです。

だから、地球上のあるスペースを占めている何時何分何秒という「時」の上に立つ自分が

その目を通して「見えている世界」というのは、私のものではないだろうか…?

と考えていたわけです。そういう考えにいたるまで、自分が見る世界は、

自分が目を閉じていても同じだとだれが証明するのだろう?

私が死んでも、世界は同じなのだろうか…?

というどこまでもどこまでも続く考えごとが連なっていたのです。

ですから、もし、当時の私に向かって、

「太陽なんて誰のものでもありません。なんてバカなことを考えるの?」と笑ったり、

事実を教えようと躍起になる人がいたとしたら、私は自分のカラに閉じこもるか、

自分を否定して考えるのをやめてしまったことでしょう。

うちの息子も、小学生の時に、「宇宙はアメーバーのようなものかな?」

という問いかけをしてきたことがあります。

宇宙を自己増殖するものとしてイメージしていた息子の考えは、

今さらに発展して深いものとなっているように感じます。

こうした内向的な思考を好む子は、実生活の面で幼く見えるので、

その言葉や考えが、大人によって簡単に決め付けられたり笑い話にされているのを

よく見かけます。

子どもの個性や性格のタイプについて理解のある親御さんや先生が増えることを

願っています。 

 

遊べない子は、遊びに必要な技術を習得していない

2017-11-23 00:33:24 | 幼児教育の基本

 「子どもは遊びの天才」なんて言われますが、

実際には、遊ぶのが苦手な子、遊び方が不器用な子が

たくさんいるんじゃないかな?と思います。

 

子どもたちが心の底から楽しそうに真剣に遊び込むことができるようになるには、

いくつか体得していかなければならない技術のようなものがあると感じています。

 

遊ぶのに技術を体得しなくちゃならないなんて

おかしなことを言うように聞こえるかもしれませんね。

でもやっぱりいると思うんですよ。上手に遊ぶためのワザ!

 

目新しいおもちゃをちょっと触ってはうろうろするだけだったり、

遊び方の説明を聞いて、ちょっとうまくいかなくても何度か試してみるほどに

ひとつの物に根気よくつきあうエネルギーが乏しかったり、

遊びがワンパターンだったり、幼なかったり、依存的だったり、

友だちとふざけたり物を取り合ったりするばかりで

遊びが発展しなかったりする子っていますよね。

 

そうした遊び方は性格や能力に起因しているように思われがちです。

もちろん、それらの影響も大きいはずです。

 

でも、それとは別に、

「遊びに必要な技術を持っているかどうか」というのも

遊びの質と密接に関わっているのではないでしょうか。

 

では、「遊びに必要な技術」って、どんなものなのでしょう?

 

まず最初に大事なのは、

「何かとしっかり関わっていける力」をつけることかもしれません。

ひとつの遊びに愛着を抱いて、ひとつの活動を通して、

「面白いな、楽しいな」という気持ちを持続していくことができるようになることです。

 

遊びというのは、おもちゃがあって、それをいじってさえいれば

発展していくわけではありません。

楽しく遊ぶには、「いろんな形で想像力を使ってみる」という

実際に自分の頭と心を使って遊んだ体験が必要です。

遊びの世界で自分の頭を使えるようになっておかないと、

おもちゃがあるから、遊具があるから、楽しめるわけではないのです。

子どもは、自然に、物を何かに見立ててみたり、ごっこ遊びに興じたりするものですが、

大人の接し方やおもちゃが子どもの想像力を枯らせてしまったり、

奪ってしまったりすることもよくあることです。

また、もともと想像力に弱さがあって、ていねいに育んでもらわないと、

自分から使おうとしない子もいるのです。

 

環境と大人の役割は大きいです。

 

 

 
 
想像力だけでなく、思考力を遊びの中で活かしていく方法を習得すれば、
遊びはどんどん魅力的なものに発展していきます。
それでは、写真のブロック遊びをしている子どもたちを例に挙げて、
これまで書いてきたことを具体的に説明させてくださいね。
 
5歳と3歳の子たち、5人の遊びの風景です。
 
ひとりの男の子が電車のおもちゃを出してきて、ただ前後に動かしたり、
好きな電車を集めたりして遊んでいました。
遊んでいました……といっても、電車をいじっているだけなので、
それほど面白そうでじゃないのですが、飽きると新しいおもちゃを探しに行って
お気に入りに加えることで、本人の中では遊びが成り立っているようでした。
 
お家で、そうした遊びを遊びと思っている子がたくさんいます。
 
おもちゃをしばらくいじっていると、「片付けなさい」とお母さんに言われ、
片付けると、次のおもちゃが出したくなり、
出してきて触っているうちに、次の「片付けさい」という指示が来るということを
エンドレスに繰り返すうちに、
「遊び」という活動が、「赤ちゃん時期の見て触って満足」という段階から、
少しも発展していない子がたくさんいるのです。
 
電車のおもちゃを出してきて、ただ前後に動かしたり、好きな電車を集めたりして
遊んでいた子に、「ブロックを使って、その電車の駅や線路を作らない?」と誘うと、
少しとまどった顔をしながらうなずきました。
 
そこで、「ほら、前に、長い長い道路を作ったことがあるわね。
どんどん板をつないでいって」と言うと、
横でそのやりとりを聞いていた子が、パッと顔を輝かせて、
「あぁ、前にやった。もっといっぱい板がいる。もっともっと長くなくちゃ」と
言いながら、ブロックの板を並べだしました。
 

↑と↓は前にブロック用の板を並べた時の写真です。

 

↑ こんな風に道路を作って遊んだ楽しい体験を思い出したようです。

 

わたしが列車を走らせるためにブロックを横につないでいく見本を見せると、

他で遊んでいた子らも集まってきて、長い線路を作り始めました。

 

こうして手を使ってする作業に没頭し始めると、

子どもの態度は素直で落ち着いたものになっていき、

同時に頭の中はいきいきと活発に動きだすようで、

意欲的でよく練られた考えや言葉が出てくるようになります。

 

線路をつなぎ終えたとたん、Nゲージを走らせてみてから、

「そっちとこっちとで発車したら衝突しちゃうよ。

こっちの線路は、こっちからあっちに行って、あっちに着いたら

戻ってくるようにして、

あっちの線路は、あっちからこっちに行って、戻ってくるようにしたら?」と

言う子がいました。

すると別の子は自分の好きなように走らせたかったようです。

線路に1台だけ走らせるのでは嫌らしいのです。

 

そのため何度かNゲージが衝突することになり、言い合いになりかけたものの、

「それなら、連結したら?」という意見が出て、問題が解決しました。

Nゲージをどんどん(セロテープで)連結すると、長い1台の列車になるので、

1台ずつを行き来させているのと同じになったのです。

 

そうして遊び出すと、ここが終点、こうやって切符を買って……とごっこ遊びを広げる子、

駅で電車に乗る人が住んでいるお家を作ってストーリーを膨らませる子などが出てきて、

遊びが広がっていきました。

 

遊びって、ある程度、「ああ疲れた」「やるだけやった」というところまで

自分の身体なり、頭なりを使いきらないと、楽しさが湧いてこないものなのです。

その「やるだけやった」は、その時期その時期の子が

やっているうちにどんどん楽しくなっていって、「もうちょっともうちょっと」と

自分の限界までやり遂げないと気がすまなくなっちゃうような活動であること、

五感にとって気持ちいいこと、目で見て満足できるものであることが大事です。

 

だからといって、

わざわざこういうおもちゃを買いそろえなくちゃいけないということはなく、

お家にあるもので十分だと思います。

 

今回の「つないでつないで長く長くしていく」という活動は、

子どもにとって楽しくて達成感のある活動のひとつですが、

ブロックの板がなくても、下の写真のように「柵だよ」と言いながら

ブロックを置いていくだけでも、子どもにしたらさまざまな想像力を

掻き立ててくれりものなのです。

 

↑の写真の作品を作った子は、教室の端から端まで柵を付けた後で、

おもむろに立ちあがると、

しみじみと自分の作り上げた作品を眺めながら、

「どうして、こんなにすごいのが作れちゃったんだろう?」とつぶやきました。

 

置いていくだけ、並べていくだけ、囲むだけでも、道路ができ、

線路ができ、工事現場ができ、公園ができます。

そうした作業に熱中するうちに、想像力がいきいきと働き始めます。

 

「新しいおもちゃを出して、ちょっと触ってはお終い」という遊び方をしていたら、

自分の想像力を使うところまで行きつかないのです。

 

そうして想像力を働かせて遊んでいると、次には、

「上から電車を眺める駅を作りたいな」「これは特急で、こっちは回送で……」

「こういう風にしたい」「ああいう風にしたい」と

今度は思考力を働かせて、遊び始めます。

 

↑ 電車をくぐらせようとしたら、人形がトンネルの屋根にあたってしまうから

トンネルを高く作り直しました。

 

どんどんどんどん線路を長くしていく遊びから、

「地下鉄が上の駅のところに登って行くようにしたい」という願望が生まれ、

苦労してだんだん高くなっていく高架を作りました。

 

どんどんつないでいく楽しみも、

お城のなわばり図を作るという意味を意識しながら作ることで、

昔の人の知恵への関心が高まり、

自分たちもあれこれ知恵を絞って遊びこむことができました。

 

↑通ろうとすると、橋が崩れる仕掛け。

 

どんどん並べて、どんどん乗せているうちに、いろいろな物語が生まれていました。

 

どんどんどんどんつないでつないで……に熱中していると、こんな素敵な街になった

こともあります。

 

夢中になって遊ぶには、簡単にすぐできて、何度も繰り返したくなるような作業を

思い存分やることができる環境が大事だと思います。

公園でする砂遊びでも、お花を絞って作る色水遊びでも、何でもいいのです。

そうした身体を使って集中する活動を洗練させていきながら、

それがごっこ遊びにつながっていって、想像力をたっぷり使う機会が生まれるように

サポートしてあげることが大事だと思っています。

また思考力を使って次々生まれてくる願望を言葉にしたり、それを達成したり、

問題を解決したりする楽しさをたくさん体験させてあげるのも

とても大切な身近な大人の役目だと考えています。