2歳10ヶ月のAくんは、大らかで茶目っ気のある性質。
2歳を過ぎた頃から、周囲で起こっていることをじっくり観察して
自分なりの意見をよく口にしていました。
ところが今回のレッスンでは、ちょっと様子が違いました。
やりたいことがあっても、他の子がしている間は
身構えた慎重な態度で立ちすくしている姿が何度も見られました。
これまでニコッと顔をほころばせては自分の考えをつぶやいていたのに、
終始、表情をこわばらせて黙りこくっていました。
そういえば、数ヶ月前から、Aくんが何かしようとするたびにAくんのお兄ちゃんに
全て奪い取られてしまったり、Aくんが「これで遊びたいよ」と言っても、
「こっちで遊ぶんだよ」と無理強いされたり、
Aくんが何か言おうとするとお兄ちゃんが割りこんできたりすることが続いていたのです。
男の子の兄弟は、こんな風に周囲をヒヤヒヤさせるほどの衝突を繰り返しながら成長していく
ものです。
とはいえ、あまりに理不尽すぎる出来事の連続に、
さすがに大らかな気質のAくんも自分のなかに溜めこんでいるものがあるようでした。
この日、Aくんのお兄ちゃんは教室に来ていなかったのですが、お友だちのBくんのお兄ちゃんが来ていて、
いっしょに遊んでいました。
Aくんが、Bくんのお兄ちゃんと同じおもちゃを使いたがり、同じ遊びをしたがるものですから、
自分のお兄ちゃんとの衝突ほど激しくないものの、たびたび思いがぶつかりあっていました。
といっても、Aくんは以前のように自分の意見を主張しようとせず、黙ったまんま
固まっていました。その表情から、口には出さないものの
Aくんの心のなかには、さまざまな思いが渦巻いているのが見て取れました。
この日教室には、他の子が「これは、いらない」と残していった
工作作品が置いてありました。それを見つけたAくんは、ゆっくり
それをやぶきだしました。
あわててお母さんが注意しても、さらにやぶいていきます。
「それはね、お友だちが、もういらないよって言ってた作品だから、Aくんがもらうことができるよ。
好きなように改造してみたら?」と問いかけても、まだやぶいています。
やぶいているAくんの表情は、派目をはずして悪さをしている感じではありませんでした。
何か言いたいことがあるけど、うまく言葉にできなくて
いじいじしている……そんな感じです。
内面に言葉にできないうっぷんが溜まると、子どもによって、
家のようなリラックスできる場で大泣きしたり、
攻撃的になったり、消極的になったり、赤ちゃん返りをしたりします。
本人の心は深い混乱にあるはずなのに、そうした素振りを少しも見せずに明るく過ごしている子もいます。
でもそうした子は数年先に、
一年以上難しい時期(年長や小1の頃に、問題行動を繰り返したり、極端な赤ちゃん返りをしたりすることです)
を送る姿を教室でよく見かけます。
それでは、子どもの内面に言葉にできないうっぷんが溜まっているような時、どうすればいいのでしょう?
Aくんは、しょっちゅう遊びを妨害するお兄ちゃんのせいでストレスを感じつつ、
お兄ちゃんに強く惹かれていて、お兄ちゃんのすることが面白くてたまらない様子です。
今回のレッスンでも、葛藤を抱えて黙りこみながらも、同年代のBくんではなく、
遊びを一人占めしてしまうBくんのお兄ちゃんにピッタリひっついていました。
Aくんの態度が以前に比べて全体的に消極的で自分らしさを抑えたものに見えたので、
Aくんの今の「旬の興味」を探ってたっぷりやらせてあげる必要を感じました。
自分がやりたいことを存分にやりつくすことで、子どもは情緒の落ち着きと
自分への信頼感や自信を取り戻しますから。
Bくんのお兄ちゃんがブロックで作ったストッパーを使って、
並べたミニカーを一気に滑らせるという遊びをしていた時、
Aくんの関心はこの遊びのメインである「ストッパーをあげた瞬間、ダイナミックに滑っていくミニカー」にあるのではなく、
車と車の間にできる一台分の隙間にミニカーを詰めることにありました。
他の遊びでも、空所を目にするたびに、そこにあうものを
詰めようとしていました。
そこで、写真のような木のパズルを用意して、ひとつだけ隙間をあけてみたのですが、
Aくんは興味を示しませんでした。
そういえばAくんは、どっしりとした手ごたえのあるものを扱うのが好きなのです。
また、ストーリーのあるお話が好きなので、ボードゲームや知育玩具も、
無機質な教具教具したものよりも、それを手にしてお話ししながら遊ぶような
どこか温かみのあるものやとぼけた風合いのものを好むのです。
ですから、同じ「詰める遊び」にしても、Aくんが操作を心地よく感じるもので、ストーリーを展開しながら
それらで詰めていく作業ができるように枠を工夫することにしました。
ブロックで枠を作って、新幹線を入口から入れます。
Aくんは入れた後で、奥に電車を詰めていく作業が面白くてたまらない様子でした。
それを見ていたBくんのお兄ちゃんが、「ぼくもやらせてよ」と
言いました。Aくんは、列車を全部抱え込んで返事をしません。
「お兄ちゃん、Aくんは今貸したくないみたい。
列車ね、Aくんがこうやってこうやってこうやって
ギューッて奥に入れて遊んでいるのよ。まだ、もっともっとそうやって遊びたいはずよ。
教室にはたくさんミニカーがあるから、
いっぱいいーっぱいお兄ちゃんに出してきてあげるよ。
先生といっしょに駐車場を作らない?
Aくんのより大きくて、車が出たり入ったりするところと面白いしかけが
いろいろあるようにしたらどう?」とたずねても、
「いやだよ。ぼくも、列車で遊びたいんだ。列車を貸してよ」とBくんのお兄ちゃんも譲りません。
Aくんはというと、絶対、ひとつも貸すものかと
電車を抱え込んでいました。
しばらく経った時、Aくんのお母さんが穏やかな口調で、ひとり占めをせずにお友だちとわけあう大切さを教えながら、
「お兄ちゃんにひとつ貸してあげたら?」と誘いかけていました。
Aくんのお母さんの対応は正しいものでしたが、
これまでさんざん有無も言わせずおもちゃを取り上げられることが多かったAくんに対して
「今回は特別」という機会を作ってもいい気もしました。
「Aくん、列車を1台だけ貸してくれる?」とたずねると、「いや」と小声で答えます。
「じゃぁ、この列車は貸してくれる?」「いや」
「じゃあ、これは?」「いや」
「Aくんは、一台も貸したくないのね。ぜんぶ、Aくんが使いたいの?」と聞くと、
真剣な表情でこっくりします。
「お兄ちゃん、あのね、前にAくんが遊ぼうとしたらね、だめー貸さないよ、全部取っちゃうよ、って
Aくんのお兄ちゃんがおもちゃを全部取ってしまったのよ。それに、今日は、Aくんがミニカー並べたいなと思ったら、
だめだめ、触っちゃだめってBくんのお兄ちゃんが言ったでしょ。だから、今度はAくんは、この列車は
全部自分で使いたいんだって。ね、今日だけ、お願いよ。
今日は、Aくんが列車で遊ぶことにして、お兄ちゃんは先生とすごくいいおもちゃを探しに行くことにしたらどう?
お兄ちゃんの大きな駐車場を作って、宝物も隠せるようにしたらどう?」とたずねると、
Bくんのお兄ちゃんは「いやだよ。ぼくは列車で遊びたい。列車、取っちゃうよ!」と言いました。
するとその時、Aくんが、いいことを思いついたという様子で、
「電気を消して、まっ暗にしたら、取れないよ。遊べない。」と言いました。
「そうよね。電気消したら、夜になっちゃうかな?
きっとおもちゃが見えなくなって取れないよね。暗くしてみよう」と言うと、
それまで緊張して引きつっていたAくんの表情がほころんで、
笑顔がこぼれました。
部屋の電気を消してみると、少し薄暗くなりました。
「見えるよ。それに取れるよ!遊べるし。」とBくんのお兄ちゃん。
「えっ、電気を消したのに、本当に見えるの?」とびっくりした様子でたずねると、
「見えるよー!!」と答えます。
「お兄ちゃんは、暗くても、ちゃんと目が見えるの?」
「見えるよー!」
Aくんはそのやりとりをニヤニヤしながら見ています。
昼間なので電気を消しても、ちょっと薄暗いかな程度なのですが、
自分以外の人の目にその世界がどのように映っているのか
興味をそそられたようでした。
再び、電気をつけた後も、「列車を貸して」と言い続ける
お兄ちゃんに、「じゃあ、列車に聞いてみようよ。
お兄ちゃんがたずねてみてよ、いっしょに遊ぶ?って」と言うと、
「それは、先生が答えるんでしょ?いやだ、遊ばないって先生が答えるんでしょ」
とお兄ちゃん。怒ったふりをしていますが、目が笑っています。
Aくんはというと、「電気を消して、まっ暗にしたら、取れないよ。遊べない。」と言ってから、
急に本来のAくんらしいほがらかな茶目っ気たっぷりの態度に戻って、
ああだから、こうだから……と思いつくままにいろいろなおしゃべりを始めました。
Aくんいわく、貨車は列車の仲間じゃないので、列車といっしょに
並べるわけにはいかないのだとか。
前にも後ろにも新幹線の顔みたいなとんがったところがないからだそう。
いきいきしたAくんらしさを取り戻したとたん、新しい遊びを試してみたり、
不思議さに心を奪われたように覗きこんだりする姿がありました。
前回の記事で、Aくんに笑顔が戻ってきて、いきいきとしたAくんらしさが
発揮されだしたのはなぜでしょう?
子どもにはいろんな意味で、十分なスペース(余白)が必要だと感じています。
しつけ上のルールにも。
時間にも。
空間も。
人間関係も。
大人の考えにも。
子どもは、自分の本当の気持ちを言っても大丈夫というスペースが保証されていないと、
自分の思いを別のネガティブな行動で表現することがよくあります。
本当の気持ちを言っても大丈夫というスペースを作るとは、「その場で本音を言ってごらん」
とアクションをかけるような浅い対応ではなく、
子どもは過去の出来事を事細かに記憶しているものだし、従う従わないに関わらず
大人の言葉の影響を大きく受けているものだと知った上で
子どもの思いを尊重して対応することです。
Aくんの「貸したくない」「全部、ひとり占めしたい」という気持ちには、
「電車は、全部電車の仲間だからここだよ。電車が1つなくなったら、間があいちゃうからダメだ」という
今、敏感になっている秩序への思いが含まれているのでしょうし、
「ぼくが最初に遊んでいたよ」
「さっきBくんのお兄ちゃんに別のおもちゃを貸してもらえなかったよ」
「前の時はぼくのお兄ちゃんが全部取ってしまって、ひとつも貸してもらえなかったんだよ」
という訴えや過去の体験で味わった不満感を再び心の浮上させようとする行為でもあるのでしょう。
また、「今、やっている途中だよ。面白いからもっとやっていたい。やりだしたことを落ち着いて完成させたい」という
発達上の要求や、
「お母さんや先生は、お友だちに貸してあげなさい。順番よっていうから、言うこときかなくちゃ。
でもお母さんや先生の言うこと聞きたくない」という反抗期の葛藤もあるでしょう。
そうした複雑に絡みあった思いを整理して、自分を素直に表現できる状態になるには、
どう見積もっても、たっぷり時間が必要です。
訴えを言葉にできないものも含めて聞いてもらう時間も必要です。
不満感が満たされる体験、
不満やイライラなんてどうでもよくなるくらい自分のやりたいことをやりきる時間もいります。
自分の個性的な資質を発揮することで、自分の強みを手にして
いやな出来事を眺めることも大事です。
今回の話でいうと、Aくんの強みは、「物語を作っていく力」です。
Aくんは自分の強みを使って、
「電気を消して、まっ暗にしたら、取れないよ。遊べない。」というアイデアを
言葉にした瞬間から、
「おもちゃを取ったり取られたり……」というストレスフルな体験を
ごっこ遊びのストーリーの一部として、
ちょっぴり刺激的で創造的に関わっていく
対象へと変化させていました。
おもちゃを貸してくれず自分のおもちゃを執拗に取り上げようとする
存在だったお友だちのお兄ちゃんは、
Aくんの遊びの世界を豊かにする案内人へと変わりつつあるようでした。