虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

「なぜ?どうして?」と問うことが少ないので心配です。

2017-10-26 19:45:55 | 幼児教育の基本

過去記事です。

 

コメント欄で次のような質問をいただきました。

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こんにちは。子供について心配なことがあります。

それはあまり「何故?」「どうして?」と小さい頃から問わないことです。

私もそうだった気がします。そういうものだと受け入れてしまうのです。

これでは思考することが苦手になるように思います。

親がどのように導けばよいでしょうか?

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「びっくりした」「ふしぎだな」「面白いな」 と感動する体験がたくさんあるほど、

子どもは、「どうして?」「なぜ?」と問うようになるように思います。

 

また、親子で「どうなるかな?」「こうなるんじゃない」「次は?」と予測したり

推測したりするおしゃべりが多いと、

「えっ?どうして?」という気持ちが生じやすいです。

 

たとえば、「今日、○ちゃんと夜ごはん食べてる時、お空にお月様来てるかな?

あそこらへんかな?」など話していたとすると、子どもは「お月様、空にいるよ。

夜だからいるよ、きっと」と答えるかもしれませんよね。

でも、実際、夜になって空を見上げると、月が見えなかった時には、

「どうしてお月様いないの?」

「今日は、曇ってて雲がたくさんあるから隠れているのかな?」

「どうして隠れているの?かくれんぼしているの?}

「どうしてかな?」といったおしゃべりにつながるかもしれませんし、

しょっちゅう夜空を気にかけるようになると、

「どうしてお月様の形はいろいろなの?」「だれか食べたの?」

「ごっつんってして、へっこんだの?どうして?」といった質問が

出てくるかもしれませんよね。

 

下の写真のような電車や駅を作って遊んでいる場合にも、

子どもが電車の上に人形を乗せた時には、トンネルにぶつかるかな?

ゴツンってするかな?」などと言うと、ヒヤヒヤしながらそれを見守ったあとで、

「あれ、ぶつからなかった~どうして?どうして?」と

親御さんが不思議そうにしていると、

子どもが「きっと、(トンネルが)高いから」などと答えることでしょう。

そんなふうに「どうして?」を口にして遊ぶことが多いと、

子どもから「どうして?」という疑問もよく出てくるようになると思います。

 

 

↑ ひもをひっぱると、あんぱんまんがぴょこんと飛び出す仕掛け。

こうした動きのあるブロック作品や工作作品は、

子どもの「どうして?なぜ?」という気持ちを育みます。


「質のいい保育は、子どもの人生を変える」という言葉 3

2017-10-20 21:10:22 | 幼児教育の基本

(↑小2のAくんが作ったビーバーの巣です)

 

保育の質の研究で、

 

授業や課題活動の中で

保育者から与えられた知識から学ぶ「授業中心」カリキュラムと、

 

遊びの中での人とのかかわりの中で子ども自身が学ぶ

「遊び中心」カリキュラム



の研究では、授業中心のカリキュラムで社会性の発達に

多くの問題がみられました。

知的な発達についての両者のカリキュラムの差はまったくなくて、

暴力や万引き・薬物使用など反社会的行動の回数は

「授業中心」カリキュラムの子どもたちが、他の二倍以上と

非常に多かったのです。

 

社会性の発達にそれほど大きな差が出た理由は、

授業中心のカリキュラムでは、保育者から、

人との関わりを学ぶうえで必要な援助をあたえていないため、

そうした対人関係能力が獲得できななかったのではないか、

あるいは、「授業」中心保育では

「子どもが大人から指示を受け続け、子どもの自発性の発揮が

いたずらや失敗として扱われることが多くなり、

自己の自発的な能力発揮についての罪悪感」をもたらし、

自ら積極的にかかわろうとする意欲や好奇心が育たなかった

のではないかと述べられています。

 

『保育の質を高める』で取りあげられていた、

ガーランドとホワイトのロンドンの保育園の運営と実践の比較と

分析によると、

保育園によって保育者と子どもとの会話の基本的な

スタイルが異なっていたそうです。

園によって、まったく対照的な会話が日々繰り返されるので、

その中で展開される子どもの充実感、積極性、他者への基本的な

信頼感などに大きなちがいがでることが予想される、とありました。

 

ガーランドらは、保育園を単位として、

保育者と子どもの関係を

「肯定的な関係」「否定的な関係」と名付けて、

基本的な子どもの見方や子どもの行動理解の仕方をもったものと結論しています。

 ガーランドらによると、保育者と子どもの関係の性質が、

子どもの発達に決定的な重要性をもっている、とのことです。

 

★ 活動を開始・選択するのは誰?

 <肯定的な保育者と子どもの関係>

子どもたちは、何を、いつ、どのように誰と遊ぶかを自分で選んで、

一日の大半を過ごしている。


<否定的な保育者と子どもの関係>

一日の大半の時間は、大人が決定した活動で構成され、

大人が活動を開始し、コントロールしている。

 

★ 子どもの製作物の展示方法

<肯定的な保育者と子どもの関係>

子どもの作品は自己表現として評価されており、

そのためたくさんの作品が壁に飾ってある。


<否定的な保育者と子どもの関係>

子どもの作品は、おとなの基準にどれだけ近づいたかで

評価されており、そのための少数の「模範」が飾ってある。

 

 

★ 子どもの問題行動の保育者によるコントロール方法

<肯定的な保育者と子どもの関係>

子どものもつ内的な自己統制力を信頼した対話型のスタイル。

(対話と合意にもとづいて、個別的に、大人への注意と変わらない口調で

話をする)

 

<否定的な保育者と子どもの関係>

子どもの内的自己と自己統制力に信をおかず、子どもへの

命令・避難・物理的強制など外的な手段に訴える対決型の

スタイル(大きな声で、はじめからトラブルを予想したイライラした口調)


 

★ おしゃべりや悪口への対応 

<肯定的な保育者と子どもの関係>

クラスの中での子どもたちの会話が多く、うるさい。対立や敵意の

感情の表現が許されている。

 

<否定的な保育者と子どもの関係>

静かにさせようとする保育者の試みが

頻繁になされる。子どもの間の敵意の表現が

ただちに抑えられる。

 

 

★ おしゃべりや悪口への対応

<肯定的な保育者と子どもの関係>

身のまわりの世話をするとき以外にも、大人から子どもへの(愛情

表現や慰めの)身体的なふれあい行動がみられる。

 

<否定的な保育者と子どもの関係>

身の回りの世話以外には、身体的なふれあい行動はほとんど見られない。

 

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保育の質は、子どもの発達にこれほど大きな影響を及ぼすもの

であることが指摘されているのに、日本では

保育園の側も保護者の側も

保育の質について真剣に話し合われることがほとんどありません。

 

 『保育の質を高める』の中で、大宮勇雄先生は、

保育の質とは、「プロセスの質」(子どもたちの日々の

保育園生活の中での経験の質)のことであり、

あくまでも、「顧客満足度」によって評価されるものではない

と強調しています。

 

でも、日本の保育の現場は、顧客・消費者にとっても

「満足度」が重要で、サービス提供者にとって購入意欲を左右する

「人気」や「満足度」ばかりが注目されているようです。

 

大宮勇雄先生は、

保育の質を顧客満足度で測ることの

最大の問題点は、

社会全体の利益としての「すべての子どもたちの発達」保障という

課題意識ははるか後景に退かざるえない点にある

と述べています。


市場主義は、「子どもの発達への権利」という視点を
欠落させたものといえます。
 
 

 


「質のいい保育は、子どもの人生を変える」という言葉 2

2017-10-17 19:48:56 | 幼児教育の基本

 

アメリカの『幼児期に質のよい保育を受けたかどうかが

子どもの将来にどのような影響を及ぼすか』の研究で、

わずか1~2年間の半日保育で、しかも保育を経験してから

15年以上もの年月が経過しているにもかかわらず、青年期に直面する

社会的自立の課題の達成度を示すほとんどの項目で、

大きな違いがみられることがわかりました。

 

このような研究結果によって、「質のいい保育は子どもの人生を変える」こと

が明らかになったそうです。

そうして生まれた保育の質研究で、アメリカのある研究者は、

「最近、各州の保育行政当局がペリー・プリスクール

(保育者一人あたりの受け持ち人数は6人で、資格と意欲を兼ね備えた保育者と、

それをバックアップする研究者など、保育を科学的に実践し支援する体制が

充実していた)の再現を目指しながら、

他方では、低劣な保育条件

(教師一人当たりの受け持ち人数が二十人を上回るような条件)で

保育しているところがいまだにあるのは

驚くべきことである。それは、子どもたちにとって利益のない、

たんなる託児というべきものであり、むしろ一つの損失とも

いうべきものである。」と語っています。

 

この「子どもたちにとって利益のない」「一つの損失」

とまで指摘されている

保育者一人あたり3、4歳児20人というのは、

現在の日本の幼稚園・保育所の基準よりも「好条件」でもあります。

つまり日本の保育現場は、低劣な保育条件と批判されているものより

ひどい設定条件となっているということです。

 

それはいかに日本では、幼児期の子どもの保育の質について

無頓着であったのか、気づかされます。

 

日本の園では、敏感さや内向性、発達の凹凸、母子分離の難しさなど

さまざまな理由で、集団になじめない子に対して、ないじめないことを

問題し、子ども側の態度を改善していこうとする働きかけが主となっています。

 

でも、考えてみたら、

二十人というのは、保育への投資を「損失」に変えてしまうような

「質の低い保育」に結びつきやすいことは、欧米の「保育の質」

研究によってすでに明らかにされている

のにも関わらず、日本で、それ以上に質の悪い保育があたり前となっている

ことを思うと……

また、「保育の質」とはどのようなものか、

間違った認識が広がっているため、小人数保育の場もまた

質が非常に悪いものになっていることを考えると……

 

子どもが集団になじめない状態にあるなら、

子どもを変えることばかり考えるのではなくて、

まず保育の質、保育者のあり方、環境などについて

見直していく必要があるのではないか、と感じました。

 

まず、劣悪な環境かどうかを調べるする機能くらいは

あってもいいと思うのですが……。

 

次回に続きます。

 

 


「質のいい保育は、子どもの人生を変える」という言葉 1

2017-10-13 18:24:51 | 幼児教育の基本

福島大学人間発達文化類学教授の大宮勇雄先生は、

『保育の質を高める』という著書のなかで、世界の保育の「質の研究」は、

「質のいい保育は、子どもの人生を変える」ことを伝えています。

 

本書では、保育環境が子どもの将来にどのような影響を及ぼすのか追跡した

結果が紹介されています。

 

興味深かったのは、子どもの「集中度」に着目した「保育の質」研究です。

 

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子どもは、そのもてる力を充分に発揮しているとき、

もっともよく発達するといわれます。そういう時、子どもは集中力を増し、

活動が長時間継続するはずです。

そこで、子どもの集中力が高まり持続することに、

どのような保育の条件・要素がかかわっているかを調べることで、

「保育の質」の中身が見えてくるであろうと、(イギリスの保育施設で)

研究が着手されました。

(子どもたちの言葉や表情から「目当てをはっきりもっている」

「単調な繰り返しでなく、工夫や新たなアイデアがみられる」

「計画やイメージをもって遊んでいる」

と判定されれば集中しているという判定をすることにしました。

遊びの継続時間、子ども相互の会話の活発さなども指標として使われています)

                   

その結果、「集中」を促す活動には特徴があることがわかりました。


子どもの「集中」を促す活動は、

いずれも「子どもが何か目に見えるものを構成したり、つくり出したりする活動」


 であり、「目標達成のために、いまの自分の行動が役に立ったかどうかを

活動そのものが子どもたちに示す」性質をもっているということです。


つまり「現実世界に対するフィードバック機能をもった」活動と呼んで、

そういう性質をもった遊具や教材を積極的に活用するべきだと提案しています。


次に集中を促す条件としては、人間関係がかかわって二つの要素が

大事であることがわかりました。

まずひとつは、「そばに保育者がいる」ことです。

「必ずしも働きかけなくても」保育者の姿が近くにあるだけで、その後の

活動への集中の高まりがみられました。

それは大人の存在が、子どもにとっては周囲からの雑音や誘惑の緩衝材となっていて、

興味のあるものへの集中を持続させるからであろうと解釈されています。

 

もう一つは遊びの人数で、二人で遊んでいるときが

もっとも「集中」が多く表れ、ついで数人での遊びと続き、

一人遊びのとき、集中度はもっとも低くなりました。

 

「子ども同士の社会的交わりは、対人関係能力獲得の『教室』である

だけでなく、そのもっとも複雑で創造的な思考が見られる場面でもある」と結論

づけられました。

          『保育の質を高める』大宮勇雄  ひとなる書房 より引用 (一部、省略しています)

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今回の記事は引用文ばかりになってしまったのですが、次回に続きます。

 

 


子どもの好きなものに敏感になる

2017-10-11 23:50:37 | 幼児教育の基本

 

子どもの好きなものに敏感になる

 

子どもが好きなもの。

好きなおもちゃ、好きな色、好きな感触、好きな活動、好きな展開、

好きな景色、好きな言葉。

身近な大人がその子独自の「好き!」に敏感になることは、

その子の潜在能力を最大限に伸ばす手助けとなります。

また、子どもにとって毎日がわくわくの連続となり、

何にでも意欲的に真剣に取り組む態度がはぐくまれます。

 

子どもの「好き」に敏感になるということは、

ただアニメのキャラクターが好きだとか、果物が好きといった

漠然とした把握の仕方ではなくて、

「どんどん物を積んでいくときの……あっ今にも落ちそう、

ヒヤヒヤするなぁといった場面で、

この子いつも真剣な表情になっているな。崩れた時は大笑い。

ヒヤヒヤドキドキするような手に汗握るような展開が好きなんだな~」

「この子は自分のアイデアに耳を傾けてもらった時、一生懸命になるな」

「この子は自然の美しさに敏感だな。落ち葉を踏みしめる感触まで楽しめる

感性を持っているな」

「この子は虫や動物が大好きだな。その動きをいつまでも観察している。

生き物がどんな暮らしをして、何を食べて、どんな活動をしているのか、

喜んで想像しようとするな」

というように子どもの好みをよりていねいに眺めることです。

子どもが好むものというのは、その子の感性や才能やその時期必要としている

発達上の課題と結びついているものです。

たとえば、いつも道の縁の段差になっている部分を歩きたがる子がいるとすると、

その「好き」は、

その子の身体能力の高さを表しているのかもしれないし、

ちょうどバランス感覚が急成長する時期なのかもしれないし、

ちょっとドキドキするようなことが好きな

チャレンジャーな性質がそうさせているのかもしれません。

そのいずれにせよ「またぐずぐずして!はやく、はやく!」と急かして進むのと、

「この子は今、こういうことが好きなんだな」と気づくのとでは、

その後のその子の成長はずいぶん違ってくるのです。

現実には、それは遊ぶものじゃないから乗ってはだめよ、

と注意しなくてはならなかったとしても、

子どもといっしょに、ヒヤヒヤする高いところを通っていく冒険の話をするとか、

積み木で道路の段差を作っていってお人形を渡らせる遊びに発展するといった

楽しい遊びの発見につながりますから。

子どもは「どうしてそこまで面白いの?」と驚くほどに喜ぶことでしょう。

子どもにとって自分の好きなものとの出会いは、

「自分らしさ」との出会いであって、

個性を輝かせるチャンスでもあるのです。

 

こうした子どもの「好き」を見つけるのに、物作りほど最適なものはありません。

ダイナミックか、几帳面か。きれいな色使いが好きか、

パワフルに大きなものを扱うのが好きか。アイデア重視か、出来栄えに敏感か。

お手本を見る観察力があるのか、自分で考えて動く子か。

科学的な仕組みに関心があるのか、想像力を刺激するものが好きか、

新しいルールを作りだすことが好きなのか。

子どもの作るものの出来栄えばかりに気を取られていると、

子どもの「好き」は見えてきません。

まずいっしょに楽しむこと。作りたがらなければ作ってあげるのもいいです。

子どもが目をキラキラさせる場面があればどんなものを好むのか見えてきます。

「こんなものを作って!こういう風にして!」と注文を出すようになれば、

いっそうはっきりするでしょう。

作るのが苦手だから難しいというときは、

子どもといっしょに他の子の作品や、身近な物の仕組みや、動植物の姿を眺めて

感動するだけでもいいんです。「すごいね。どうやって作ったらいいのかな?

紙をくるくるってしたらできるかな?」と相談しあうだけでも、

その子の心に響くものが何かわかってくるはずです。

 

身近な大人は、子どもの好奇心が世界の不思議に向かって開かれていくよう

導いていくことができます。 

頭と手を使って、工夫し何かを生み出す喜びを伝えてあげることが

できます。

想像力を膨らませて人生を楽しいものにする方法を教えてあげることができます。

 

学ぶことの面白さ。

夢中になること、達成感を味わうことで満たされる気持ち。

世界中に自分の好きなことは溢れていて、好きなことはいつでも

見つけることも探しにいくこともできるし、

自分で作りだすこともできるということ。

 

そうした気づきはどれも、子どもが「好き」なものを通して身につけて

いくことができるものです。

 

最後にわたしが子どもたちに向けて書いた詩を紹介させてくださいね。

子どもに贈りたいものを心に巡らせながら、

ひとりひとりの子どもたちの幸福を願って書きました。

 

 

『小さな友へ』

 

世界をかけぬけ

手当たり次第につかみとるすべは

むずかしいようで 意外にやさしい

 

天指して地面にまっすぐ立つすべ

世界を味わいゆっくり抱きしめるすべは

当たり前のようで

本当にむずかしい

 

小さな友よ 

教えてあげようか

 

朝つゆで顔を洗えば

春を見ることができる

走りたいからと走り

笑いたいからと笑えば

夏に触れることができる

 

友を失って

再び得たなら

秋を感じることができる

未来の花が咲くまでの

ささやかな孤独を愛せるなら

きっと冬を知ることができる

 

あまたの貴重な宝のなかから

ひとつだけひとつだけ

小さな友への贈り物をえらぶとしたら

「答えのない問い」

それがいいだろう

 

 

↑大好きがいっぱい♪


子どもと遊ぶ時、面倒でもほんの少し手間をかけること

2017-10-09 08:59:22 | 幼児教育の基本

2歳児さんたちと遊ぶ時に、面倒でもほんの少しだけ手間をかけることを

おすすめしています。

手間というのは、遊びの中で、はさみや紙やえんぴつや糊やテープなどを

使う場面や身体を使って、演じたり歌ったりする場面を作ることです。

 

どちらにしてもたいしたことをする必要はなく、

遊ぶ時に、折り紙といっしょに「切る」「貼る」「書く」の道具をセットしておいて、

遊びで必要なものを一回切るだけ、折るだけ、簡単な走り書きをするだけくらいの

ハードルが低い工作をしたり、ごっこの中でお弁当を食べるシーンでお弁当箱の歌の

手遊びをしたり、お誕生日会のシーンでハッピーバースデーを歌ってろうそくを消す

真似をしたりすることです。

 

そんな風に、少しだけ手間をかけて遊びに関わると、

成長するにつれて、子どもが面倒なことを面倒がらずに

積極的にやろうとするようになるので、

その時期の手間は何倍もの楽になって後から返ってきますよ。

 

 

それでは、

2歳1ヶ月のAちゃんと2歳7ヶ月のBちゃんのレッスンの中で、

「少しだけ手間をかける」ってどういうことなのか、具体的な例を挙げて説明しますね。

 

Bちゃんがお母さんとぬいぐるみの動物たちにえさをあげるシチュエーションで

遊んでいました。

そこで、どうぶつにあげるえさを作ることにしました。

折り紙を二度折って、丸を切り抜きます。

すると、一度に4枚のお皿ができあがります。

こんなふうに紙を折り重ねて、一度に何枚か同じ形を切り抜くと、

幼い子たちはいつもびっくりしたり喜んだりします。

くり抜いた穴を覗いて、「めがね」と命名したり、

残った紙を切り刻んで「ごはん」を作ったりして遊びます。

Bちゃんは、モールを丸めてえさを作りお皿に乗せていきました。

 

「手間をかける」って、こんな折り紙一枚で済む、なんちゃって工作で十分なのです。

どうぶつのえさ作りが面白くなったBちゃんは、

うさぎにあげる草の色の折り紙を選んではさみでちょきちょき。

お母さんによると、Bちゃんがこんなに熱心にはさみを使う姿は初めて見たそうです。

 

この日、Aちゃんは引き戸に軽く指を挟んでしまいました。

しばらく泣いた後で指にばんそうこうを貼ってもらいました。

そんな出来事があったので、

うさぎの人形に、「お手々が痛い、痛い。お薬塗って、ばんそうこう貼って!」と

言わせて、先ほどまでBちゃんのお皿だった切り抜きをうさぎの手に

ぺたんと貼りました。

とたんにAちゃんの目がきらきらと輝きました。

真剣な表情でもう一枚の紙をうさぎの手に乗せるとセロテープで貼りました。

ちょどお皿が4枚だったので、うさぎの手にも足にも(どちらも足?)

ばんそうこうを貼って、心から満足そうに息をついていました。

 

 Aちゃんの病院ごっこはしばらく続き、紙を切っては耳や身体に貼りつけていました。

 

Bちゃんがかごに食べ物を詰めて買い物ごっこを始めました。

すでにいっぱい食べ物が入っているのにバナナを押し込もうとしていたので

お母さんが、「バナナは入らないよ」と声をかけていました。

それでもBちゃんはしつこくバナナを入れようとしています。

 

こんな時、「入らないよ」と言うだけではなく

「どうしよう、どうしよう入らないね」と共感しながら

もっと大きなかごを見つけてきて「入った!」と喜びあうとか、

「バナナさんが入りたいよって言ってるよ。牛乳さん、どいて!

ドーナツもどいて!」とかごの中身を減らしてバナナを入れるなど

少しだけ手間をかけてAちゃんの「バナナが入らない」事件に付き合ってあげると、

物のサイズや問題の解決法などの理解が進みます。

また、上手くいかない時に面倒がらずに知恵を使って解決しようとする根気が

身に着きますよ。

 

 

Bちゃんがビー玉コースターのおもちゃに興味を持ちました。

お家にはそうしたおもちゃがないという話だったので、

簡単なビー玉転がしのおもちゃを作ることにしました。

 

箱のの両端に筒を渡しただけの簡単ビー玉スターター。

出口に鈴をぶらさげました。

 

いっしょにビー玉コースターを作っていたAちゃんが、

ビー玉をポケットに入れていました。

今、何でもポケットに入れるのがマイブームなのだそう。

そこでビー玉スターターにポケットをつけることに。

ひもを引っ張ると絵カードが飛び出すしかけもつけました。

 

Aちゃんのお姉ちゃんがコマにはまっているそうです。

そこでいらなくなったCDを使ってコマを作ることにしました。

ついでにお母さんたちには1から3までの数のゲームを作ってもらいました。

 

コマをまわして指でとめます。指で押さえている数だけ

スプーンに玉をもらいます。

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教室でコマ作りが流行っています♪


何ひとつ問題がないように見えるけれど、気にかかる子 続きの続きです

2017-05-28 18:50:53 | 幼児教育の基本

◆くんのお母さんの接し方は、厳しすぎることもなく、甘すぎることもなく、過干渉でもなく、放任でもなく、

早期教育的ではないけれど、知能がしっかり伸びるように関わっていて、

◆くんの月齢にあった子どもらしさを大切にしている理想的なものです。

 

ですから、本当のところは、これまで通り、自分の子育てを信じて

自信を持って日々を重ねていけばよいのだと思います。

 

でも、子育てって、普遍的な正しさに近づいていくものではなく、

同じ方法が子どもの個性次第、発達の時期次第で良くも悪くもなるものですから、

誰にしたって、その都度、微調整は必要なはずです。

 

「わたしはどのように思うか」という個人的な感性でアドバイスさせていただくと、

ここはちょっとこうした方がいいんじゃないかな、という部分がいくつかありました。

それは、遊びやしつけのちょっとしたやりとりについてです。

また、◆くんの性質に添った知性や才能の伸ばし方についてです。

 

◆くんは、しょっちゅう、「あっ、そうだ!」とひらめくタイプで、

直観が優れている子のようです。

このタイプの子は、おちゃめで頭の回転が速いところがある一方で、

次から次へと新しいおもちゃを出したがったり、片付けを渋ったりすることろがあります。

◆くんがあれもこれもとおもちゃに手を出すので、「◆くん、ひとつお片付け。どれか使わないものを片付けてちょうだい」

とわたしが言うと、知らんふりしていました。

「◆くん、ひとつお片付け」と再度言うと、「ちょっと待って、これをしてから」とやりかけている

遊びを見せます。「それなら、それをやり終えたら、必ずお片付けよ」と言っている先から、

「あっ、いいこと思いついた」と次のおもちゃを取りに行きかけますから、

「ダメ、ダメ。まず、ひとつお片付け」ときっぱり言うと、一瞬、白目をむいて、「いやだ」とちょっと反抗しかけて、

すぐさま、ニコッと笑顔に戻って、片付けをはじめました。

 

◆くんとわたしがお互いの気持ち(片付けしたくないと片付けなさい)をぶつけあうシーンで、

◆くんのお母さんは◆くんに言葉で言い聞かせて、わたしに従わせようとしました。

◆くんはとても素直で聞き分けがいいところがあるので、言葉で言いくるめられてしまうと、

自分の気持ちはどこへやら、

少し静かになって、シュンとしていたかと思うと、「わかった」という風に

片付けはじめます。

それのどこがまずいのか、と思う方もいらっしゃるかもしれません。

でも、わたしは「大人側のこうしなさい」を押し付けるときには、

理路整然とした正しさで動かしてしまうのではなくて、

子どもに不満があるなら、まず不満を表現する間を与えてあげたいし、

「その不満、ちゃんと受け止めたよ。そうだよね。そういう気持ちだったんだね」と

こちらがその気持ちを、ちゃんと受け止めたよ、という事実を示してあげたいと考えています。

その上で、こちらが子どもに求めている責任をはっきり言葉にします。

 

いかにスムーズに子どもに言うことをきかせていくか、という

最短ルートでしつけていく方法は、

自分の意志と判断力を持っている子どもに対する態度として

どうなのだろう、と感じているからです。

子どもは自分の気持ちをしっかり主張して、ネガティブな思いもきちんと受け止めてもらっていると、

自分の意志で、自分で誇りを持てるような

行動を選ぶようになっていくものです。

 

◆くんの話から少しそれるのですが……。

 

発達のいい育てやすい子を育てるというのは、

なかなか難しい一面があります。

 

子どもに多少の負荷がかかっても大丈夫ですから、親御さんがちょっと問題のある接し方をしていようと、

子どもは問題行動を起こすわけではなく、

むしろ周囲からは褒められなどするわけですから、

まずい部分を修正するどころか、

子どもによくない働きかけを「もっと、もっと」とエスカレートさせてしまうこともあります。

競争が過熱している習い事の場では、そうした親子の姿をよく見かけます。

 

また、トントン拍子に、停滞することなく発達していくということは、

次々と新しい体験を上滑りに進んで行くことでもあって、

たとえ他の子より進度は良くても、

子どもにその活動自体への愛着や、

「こんな風になりたい」という意志や夢、

うまくいかない時のジレンマをどう乗り越えたらいいかといった耐性や知恵が

育ちにくいという欠点もあります。

それは豊かな時代に暮らしているわたしたちが、飢餓感を味わうのが

難しいのと似ています。

 

だから発達は遅い方がいいというのではなく、

ゆっくりさんにはゆっくりさんの課題があるように、

発育のいい子には発育のいい子への課題がある、

そう考えて子育てするのが大事なのではないでしょうか。

 

聞き分けが良かったり、適応力のあったりする子のなかには、

大人の期待を察するのが上手で、

常に、「自分がどうしたいのか」よりも、

「大人が自分に何を期待しているのか」

「その場の空気が、自分にどう振舞うように求めているか」

を優先させがちな子がいます。

 

また、大人に言葉でしつけられてしまうために、

教わったように振舞う習慣がついて、

自分の要求や感情が自分でもわからなくなっていたり、

自分の願望と親御さんの願望の境界線がぼやけて、

自我の育ちが危うくなっている子もいます。

 

それのどこに問題があるのか、

と ピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。

また、問題があるならあるで、どんな対処をすればいいのか

見当がつかないという方もいらっしゃることでしょう。

 

ひとつヒントとなるような話を紹介しますね。

 

『ことばに探る 心の不思議』の本のなかで汐見稔幸先生が、

「ほめことばの多様は子どもの自信を奪う」

というタイトルで次のようなことを書いておられます。

 

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ほめことばは、それ(けなすこと)よりは肯定的自己イメージづくりに貢献する度合が

強いのですが、たとえば「アラ、ケンちゃんよくできたわね、スゴイ、スゴイ!」などというような

ほめことばが続きますと、

子どもは親はいつもこのレベルのことをできるように要求しているのだ、

それができないとぼくはよくない子なのだ、と思い込んでしまう可能性があります。

その結果、人の評価に過敏な、自分を自分で信頼できないタイプに育つ可能性が

あります。

つまり、ほめことばは、子どもの行為を認めるという(横並び)レベルでなら良いのですが、

必要以上に(縦関係に立って評価を下すという立場で)多用しますと、

子どもは大人の評価に過敏で依存的な性格になりやすいということです。

その意味で、保育者が間断なく子どもにほめことばを注いでいるのは、子どもの心の成長に

必ずしも寄与していないのだと自覚することがたいせつだと思うのです。

 

『ことばに探る 心の不思議』  今井和子 汐見稔幸 村田道子 編  ひとなる書房

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大人にすると、「じょうずね」とほめたところで、

子どもが、「お母さんは、こういうことができるように望んでいるんだな、こういうことができない自分は悪い子なんだな」

ということまで感じ取っているとは思っていないことでしょう。

でも、どこでも大人の満足がいくような行動をとれる子というのは、

そういう大人が言葉にしていない部分まで察して

行動に移すことができる子とも言えるのです。

 

 

「うちの子はそこまで良い子じゃないから大丈夫」という

表面的な目に見える部分で判断するのではなく、

そうした子どもという存在のあり様を素直に心にとどめておくことが

必要な気がしています。

 

もう1回続きます。


何ひとつ問題がないように見えるけれど、気にかかる子

2017-05-25 07:06:29 | 幼児教育の基本

早期教育の弊害の話の続きを書きたいのですが、

読んでいる人にきちんと伝わる形にまとめられず、

話があっちゃこっちゃ飛びつつ書きなぐっている状態です。

早期教育の弊害については、もう二十年近く気にかけて分析したり検討したり

していることなので、自分の内面ではかなり明確に捉えていることなのですが、

予備知識がない方に、どこからどう説明すればいいのかはかりかねています。

いったん記事を消して、別のタイトルで整理しなおすことも考えましたが、

ごちゃごちゃのままもう少し書き進めたいので、

読んでくださる方は雑談に耳を傾けるつもりで文章の粗さを許してくださいね。


先に過去記事をアップします。

早期教育の話題とは遠いけれど、わたしの中では地続きでつながっている話です。

早期教育の問題の核心は、

「大人の期待を察するのが上手で、常に、『自分がどうしたいのか』よりも、

『大人が自分に何を期待しているのか』

『その場の空気が、自分にどう振舞うように求めているか』を優先させることに

大人も子ども自身も疑問を抱かなくなっていくことにあるでしょうから。

 

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3歳8カ月の◆くんは、利発で明るくてしっかりしている男の子です。

 

幼い頃から手のかからない育てやすい子だったそうで、

幼稚園での集団生活を控えている今も、

活発で誰とでも親しくなる上、他の子と争わない優しさも備えていますから

安心です。

◆くんのお母さんは穏やかで優しく理知的な方です。

◆くんに心から愛情を注いでいて、接し方は過干渉でも過保護でもなく、

早期教育に走ることもなければ、放任しているわけでもなく適切です。

 

そんなふうに何ひとつ問題がないように見える◆くんと、

理想的とも思える◆くんとお母さんの関係ではありますが、

わたしには何点か、どうも心に引っかかることがありました。

 

そこで、◆くんのお母さんにその旨を伝えようとするものの

言葉で正確に言い表すことができなくて、

しまいに、「お母さんの接し方にしても、◆くんの発達にしても

何ひとつ問題がないし、むしろ◆くんは他の子よりも発達がよくて

とても頭の良い子ですから、わたしがあれこれダメ出しする理由もないのですが、

わたしには気にかかる点がいくつかあって、今この時期に無視するわけにはいかない

気がするんです。

文章でしたら、細かい状況を書いて整理できますから、あまり誤解がないように

伝えることができるかもしれません。

気になる点を指摘するので、もしかして不快な気持ちになるかもしれませんが、

よかったら、◆くんのことをブログに書かせていただいてもよろしいでしょうか」

とたずねました。

 

◆くんのお母さんからは、

「わざわざ遠方から通っていますし、わたしの態度で直す必要があるのなら、

直したいです。どうぞ書いてください」

とおっしゃいました。

 

今はもう小学生となった子たちですが、

3歳頃に、お友だちとは仲よく遊べるし、頭も良いし、活発で、気持ちが優しくて、

お母さんとの関係も良好に見えるけれど、

わたしの心には今の◆くん同様、どうも引っかかる点がちらほらあった

という子たちがいます。

 

その子たちが幼児の頃、わたしはいろいろと気にかけながらも、

「悩むことなく子育てしている方に、わざわざ心の葛藤を起こさせるような

アドバイスをするのもどうだろう?」と感じて、

言葉を飲み込んだまま見守っていたのです。

 

そうして成長した子らがどうなったのかというと、

どの子も、程度の差こそあれ、

「やっぱりもう少し小さい頃に、気になっていた問題に親御さんといっしょに

向き合っていればよかったな」と深く反省する事態にぶつかることになりました。

 

そんな経緯から、心がざわざわした時には、誰も気にとめないような些細な事柄でも

そこに問題が潜在しているなら、光を当てておきたいし、

解決が必要なことなら、取り組んでおきたいと思うようになったのです。

 

前回の続きです。

◆くんは自由遊びが主流ののびのびした幼稚園への入園を予定しています。

誰とでも親しくなり、揉め事も少ない◆くんですから、

おそらく新しい集団生活にすぐさま溶け込んでいけることでしょう。

 

それなら何をわたしが気にかけていたのかというと、

そのひとつは◆くんが夢中になって没頭している時に見せる遊び方でした。

 

教室に着いた◆くんは、木製のドールハウスに目をつけて遊びたがりました。

それから警察署のドールハウスも使いたがって、隣に設置しました。

近くにあったお茶犬ハウスもその正面に置きました。

 

その後、チェストの上に乗せているドールハウスを指して

「あれも取って!」と頼んできたので、「◆くん、おもちゃの出し過ぎ。

このドールハウスはだめ。今出しているおもちゃで遊んでね」と告げると、

サッと気持ちを切り替えて「だったら、あの階段のところだけは使ってもいい?」と

ダメだと言われたドールハウス内にある階段を指さしました。

 

わたしが、階段を渡すと、「でも、どこにつけようかな?」と迷っていました。

 

◆くんが今遊んでいるドールハウスは、

階段を引っ掛けるための穴が室内にあいていないのです。

そこでわたしが、警察署とドールハウスの間に隙間を作って、そこに階段を置いて、

2階の部屋に上がっていけるようにしました。

 

◆くんは、わたしに向かってにっこり微笑んで、

「ダメダメ、そこはこうやってひっつけとかなくっちゃ」と言って、

ドールハウスと警察署をピッタリひっつけなおしてから、

「それからね、この家は……」と言いながらお茶犬ハウスを半開きにして、

警察署のドアの前にドアを柵で囲うような形にセットしました。

それから、「どろぼうが来たらいけないから、入れないように、こうしてこうして

おくんだよ」と付け加えました。

 

わたしが黙っていると、◆くんは、

「悪いのが入れないように、こうしておこう!」と言って、

木製の立体パズルでお茶犬ハウスの隙間を埋め、「こうしたら入れないよ」と言いながら、

果物が入っているかごや、クルクル回して遊ぶおもちゃや、玉ころがしのおもちゃを

どんどん取ってきては、扉から誰も入れないようにしてしまいました。

わたしが、「お友だちが来たらどうしよう?」とたずねると、

◆くんはドールハウスの2階に小鳥の人形を舞い降りるようにさせて、

「鳥さんは、ここから来れるよ」と事もなげに言いました。


 「それ以上おもちゃを出してはダメ」と注意すれば、◆くんはすぐさま素直に

指示に従ったことでしょう。

でもわたしはしばらく◆くんのしたいようにさせていました。

 

というのも、◆くんのおもちゃの出し方は↑の写真の通り、

ランダムででたらめに見えるものの意図は一貫して、

警察署の扉から誰も入れないようにする作業のままで、

何かに憑かれたような集中力を見せていたからです。

 

さんざん扉をふさいだ後で、

しまいには、ビー玉転がしのおもちゃ等で、天井部分からの侵入を防ぐように

埋め尽くすことまでしていました。

 

わたしは、いくつかのぬいぐるみを持ってきて、◆くんに好きな物を選ばせました。

するとセサミストリートのビックバードの人形を選びました。

◆くんは鳥好きのようです。

 

わたしは黒猫ちゃんのお人形を手に、「◆くん、遊ぼうよ!」と声をかけました。

すると◆くんは、ビックバードを手にすると、黒猫ちゃんの頭を

ツンツンツンツンとつつきまわります。

その後も何度も、お人形を手にして「遊ぼうよ」と声をかけるたびに、

◆くんから、「うん、いいよ~」という応答はなく、

ビックバードのくちばしで、わたしが手にしている人形をつつきまわることを

繰り返していました。

 

◆くんが手にしているビッグバードの反応は、

いつも機嫌がよくて、誰が声をかけても、にっこりほほ笑んで、

「うん、いいよ~」と良い返事をし、大人から注意を受けた時さえすぐに気持ちを

切り替えて、さわやかに切り返す◆くんの姿からすると、正反対とも言えるものです。

さんざん攻撃をした後で、やっぱりやりすぎたなぁと気づいて、

「じゃ、遊ぼう」というような展開はなくて、いつまでたっても

「遊ぼう」と言って近づいてくる人形には、つつきまくって撃退する以外の

別の選択肢がない様子なのです。


何ひとつ問題がないように見えるけれど、気にかかる子 3

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子どもの内面に 言葉にできないうっぷんが溜まっている時には?

2017-05-12 08:22:37 | 幼児教育の基本

2歳10ヶ月のAくんは、大らかで茶目っ気のある性質。

2歳を過ぎた頃から、周囲で起こっていることをじっくり観察して

自分なりの意見をよく口にしていました。

 

ところが今回のレッスンでは、ちょっと様子が違いました。

やりたいことがあっても、他の子がしている間は

身構えた慎重な態度で立ちすくしている姿が何度も見られました。

 

これまでニコッと顔をほころばせては自分の考えをつぶやいていたのに、

終始、表情をこわばらせて黙りこくっていました。

そういえば、数ヶ月前から、Aくんが何かしようとするたびにAくんのお兄ちゃんに

全て奪い取られてしまったり、Aくんが「これで遊びたいよ」と言っても、

「こっちで遊ぶんだよ」と無理強いされたり、

Aくんが何か言おうとするとお兄ちゃんが割りこんできたりすることが続いていたのです。

男の子の兄弟は、こんな風に周囲をヒヤヒヤさせるほどの衝突を繰り返しながら成長していく

ものです。

とはいえ、あまりに理不尽すぎる出来事の連続に、

さすがに大らかな気質のAくんも自分のなかに溜めこんでいるものがあるようでした。

 

この日、Aくんのお兄ちゃんは教室に来ていなかったのですが、お友だちのBくんのお兄ちゃんが来ていて、

いっしょに遊んでいました。

Aくんが、Bくんのお兄ちゃんと同じおもちゃを使いたがり、同じ遊びをしたがるものですから、

自分のお兄ちゃんとの衝突ほど激しくないものの、たびたび思いがぶつかりあっていました。

 

といっても、Aくんは以前のように自分の意見を主張しようとせず、黙ったまんま

固まっていました。その表情から、口には出さないものの

Aくんの心のなかには、さまざまな思いが渦巻いているのが見て取れました。

 

この日教室には、他の子が「これは、いらない」と残していった

工作作品が置いてありました。それを見つけたAくんは、ゆっくり

それをやぶきだしました。

あわててお母さんが注意しても、さらにやぶいていきます。

「それはね、お友だちが、もういらないよって言ってた作品だから、Aくんがもらうことができるよ。

好きなように改造してみたら?」と問いかけても、まだやぶいています。

やぶいているAくんの表情は、派目をはずして悪さをしている感じではありませんでした。

何か言いたいことがあるけど、うまく言葉にできなくて

いじいじしている……そんな感じです。

 

内面に言葉にできないうっぷんが溜まると、子どもによって、

家のようなリラックスできる場で大泣きしたり、

攻撃的になったり、消極的になったり、赤ちゃん返りをしたりします。

本人の心は深い混乱にあるはずなのに、そうした素振りを少しも見せずに明るく過ごしている子もいます。

でもそうした子は数年先に、

一年以上難しい時期(年長や小1の頃に、問題行動を繰り返したり、極端な赤ちゃん返りをしたりすることです)

を送る姿を教室でよく見かけます。

 

それでは、子どもの内面に言葉にできないうっぷんが溜まっているような時、どうすればいいのでしょう?

Aくんは、しょっちゅう遊びを妨害するお兄ちゃんのせいでストレスを感じつつ、

お兄ちゃんに強く惹かれていて、お兄ちゃんのすることが面白くてたまらない様子です。

今回のレッスンでも、葛藤を抱えて黙りこみながらも、同年代のBくんではなく、

遊びを一人占めしてしまうBくんのお兄ちゃんにピッタリひっついていました。

 

Aくんの態度が以前に比べて全体的に消極的で自分らしさを抑えたものに見えたので、

Aくんの今の「旬の興味」を探ってたっぷりやらせてあげる必要を感じました。

自分がやりたいことを存分にやりつくすことで、子どもは情緒の落ち着きと

自分への信頼感や自信を取り戻しますから。

 

Bくんのお兄ちゃんがブロックで作ったストッパーを使って、

並べたミニカーを一気に滑らせるという遊びをしていた時、

Aくんの関心はこの遊びのメインである「ストッパーをあげた瞬間、ダイナミックに滑っていくミニカー」にあるのではなく、

車と車の間にできる一台分の隙間にミニカーを詰めることにありました。

他の遊びでも、空所を目にするたびに、そこにあうものを

詰めようとしていました。

 

 
そこで、写真のような木のパズルを用意して、ひとつだけ隙間をあけてみたのですが、
Aくんは興味を示しませんでした。
 そういえばAくんは、どっしりとした手ごたえのあるものを扱うのが好きなのです。
また、ストーリーのあるお話が好きなので、ボードゲームや知育玩具も、
無機質な教具教具したものよりも、それを手にしてお話ししながら遊ぶような
どこか温かみのあるものやとぼけた風合いのものを好むのです。
 
ですから、同じ「詰める遊び」にしても、Aくんが操作を心地よく感じるもので、ストーリーを展開しながら
それらで詰めていく作業ができるように枠を工夫することにしました。
 

ブロックで枠を作って、新幹線を入口から入れます。

Aくんは入れた後で、奥に電車を詰めていく作業が面白くてたまらない様子でした。

 

それを見ていたBくんのお兄ちゃんが、「ぼくもやらせてよ」と

言いました。Aくんは、列車を全部抱え込んで返事をしません。

「お兄ちゃん、Aくんは今貸したくないみたい。

列車ね、Aくんがこうやってこうやってこうやって

ギューッて奥に入れて遊んでいるのよ。まだ、もっともっとそうやって遊びたいはずよ。

教室にはたくさんミニカーがあるから、

いっぱいいーっぱいお兄ちゃんに出してきてあげるよ。

先生といっしょに駐車場を作らない?

Aくんのより大きくて、車が出たり入ったりするところと面白いしかけが

いろいろあるようにしたらどう?」とたずねても、

「いやだよ。ぼくも、列車で遊びたいんだ。列車を貸してよ」とBくんのお兄ちゃんも譲りません。

Aくんはというと、絶対、ひとつも貸すものかと

電車を抱え込んでいました。

しばらく経った時、Aくんのお母さんが穏やかな口調で、ひとり占めをせずにお友だちとわけあう大切さを教えながら、

「お兄ちゃんにひとつ貸してあげたら?」と誘いかけていました。

Aくんのお母さんの対応は正しいものでしたが、

これまでさんざん有無も言わせずおもちゃを取り上げられることが多かったAくんに対して

「今回は特別」という機会を作ってもいい気もしました。

 

「Aくん、列車を1台だけ貸してくれる?」とたずねると、「いや」と小声で答えます。

「じゃぁ、この列車は貸してくれる?」「いや」

「じゃあ、これは?」「いや」

「Aくんは、一台も貸したくないのね。ぜんぶ、Aくんが使いたいの?」と聞くと、

真剣な表情でこっくりします。

 

「お兄ちゃん、あのね、前にAくんが遊ぼうとしたらね、だめー貸さないよ、全部取っちゃうよ、って

Aくんのお兄ちゃんがおもちゃを全部取ってしまったのよ。それに、今日は、Aくんがミニカー並べたいなと思ったら、

だめだめ、触っちゃだめってBくんのお兄ちゃんが言ったでしょ。だから、今度はAくんは、この列車は

全部自分で使いたいんだって。ね、今日だけ、お願いよ。

今日は、Aくんが列車で遊ぶことにして、お兄ちゃんは先生とすごくいいおもちゃを探しに行くことにしたらどう?

お兄ちゃんの大きな駐車場を作って、宝物も隠せるようにしたらどう?」とたずねると、

Bくんのお兄ちゃんは「いやだよ。ぼくは列車で遊びたい。列車、取っちゃうよ!」と言いました。

 

するとその時、Aくんが、いいことを思いついたという様子で、

「電気を消して、まっ暗にしたら、取れないよ。遊べない。」と言いました。

「そうよね。電気消したら、夜になっちゃうかな?

きっとおもちゃが見えなくなって取れないよね。暗くしてみよう」と言うと、

それまで緊張して引きつっていたAくんの表情がほころんで、

笑顔がこぼれました。

 

部屋の電気を消してみると、少し薄暗くなりました。

「見えるよ。それに取れるよ!遊べるし。」とBくんのお兄ちゃん。

「えっ、電気を消したのに、本当に見えるの?」とびっくりした様子でたずねると、

「見えるよー!!」と答えます。

「お兄ちゃんは、暗くても、ちゃんと目が見えるの?」

「見えるよー!」

Aくんはそのやりとりをニヤニヤしながら見ています。

昼間なので電気を消しても、ちょっと薄暗いかな程度なのですが、

自分以外の人の目にその世界がどのように映っているのか

興味をそそられたようでした。

 

再び、電気をつけた後も、「列車を貸して」と言い続ける

お兄ちゃんに、「じゃあ、列車に聞いてみようよ。

お兄ちゃんがたずねてみてよ、いっしょに遊ぶ?って」と言うと、

「それは、先生が答えるんでしょ?いやだ、遊ばないって先生が答えるんでしょ」

とお兄ちゃん。怒ったふりをしていますが、目が笑っています。

 

Aくんはというと、「電気を消して、まっ暗にしたら、取れないよ。遊べない。」と言ってから、

急に本来のAくんらしいほがらかな茶目っ気たっぷりの態度に戻って、

ああだから、こうだから……と思いつくままにいろいろなおしゃべりを始めました。

 

Aくんいわく、貨車は列車の仲間じゃないので、列車といっしょに

並べるわけにはいかないのだとか。

前にも後ろにも新幹線の顔みたいなとんがったところがないからだそう。

 

いきいきしたAくんらしさを取り戻したとたん、新しい遊びを試してみたり、

不思議さに心を奪われたように覗きこんだりする姿がありました。

 

前回の記事で、Aくんに笑顔が戻ってきて、いきいきとしたAくんらしさが

発揮されだしたのはなぜでしょう?

 

子どもにはいろんな意味で、十分なスペース(余白)が必要だと感じています。

しつけ上のルールにも。

時間にも。

空間も。

人間関係も。

大人の考えにも。

 

 子どもは、自分の本当の気持ちを言っても大丈夫というスペースが保証されていないと、

自分の思いを別のネガティブな行動で表現することがよくあります。

本当の気持ちを言っても大丈夫というスペースを作るとは、「その場で本音を言ってごらん」

とアクションをかけるような浅い対応ではなく、

子どもは過去の出来事を事細かに記憶しているものだし、従う従わないに関わらず

大人の言葉の影響を大きく受けているものだと知った上で

子どもの思いを尊重して対応することです。

Aくんの「貸したくない」「全部、ひとり占めしたい」という気持ちには、

「電車は、全部電車の仲間だからここだよ。電車が1つなくなったら、間があいちゃうからダメだ」という

今、敏感になっている秩序への思いが含まれているのでしょうし、

「ぼくが最初に遊んでいたよ」

「さっきBくんのお兄ちゃんに別のおもちゃを貸してもらえなかったよ」

「前の時はぼくのお兄ちゃんが全部取ってしまって、ひとつも貸してもらえなかったんだよ」

 という訴えや過去の体験で味わった不満感を再び心の浮上させようとする行為でもあるのでしょう。

また、「今、やっている途中だよ。面白いからもっとやっていたい。やりだしたことを落ち着いて完成させたい」という

発達上の要求や、

「お母さんや先生は、お友だちに貸してあげなさい。順番よっていうから、言うこときかなくちゃ。

でもお母さんや先生の言うこと聞きたくない」という反抗期の葛藤もあるでしょう。

 

そうした複雑に絡みあった思いを整理して、自分を素直に表現できる状態になるには、

どう見積もっても、たっぷり時間が必要です。

 

訴えを言葉にできないものも含めて聞いてもらう時間も必要です。

 

不満感が満たされる体験、

不満やイライラなんてどうでもよくなるくらい自分のやりたいことをやりきる時間もいります。

 

自分の個性的な資質を発揮することで、自分の強みを手にして

いやな出来事を眺めることも大事です。

 今回の話でいうと、Aくんの強みは、「物語を作っていく力」です。

Aくんは自分の強みを使って、

「電気を消して、まっ暗にしたら、取れないよ。遊べない。」というアイデアを

言葉にした瞬間から、

「おもちゃを取ったり取られたり……」というストレスフルな体験を

ごっこ遊びのストーリーの一部として、

ちょっぴり刺激的で創造的に関わっていく

対象へと変化させていました。

おもちゃを貸してくれず自分のおもちゃを執拗に取り上げようとする

存在だったお友だちのお兄ちゃんは、

Aくんの遊びの世界を豊かにする案内人へと変わりつつあるようでした。

 

 

 


戦艦ヤマト → ノアの箱舟 → ロボットのコース へ

2017-05-09 22:02:48 | 幼児教育の基本

教室では、最初に誰かが作った制作物を、次の子が受け継いで全く異なるものに変形させたり、

新しいアイデアで再利用したりする姿があります。

小学5年生の男の子がブロックで戦艦大和を作りました。

あまりに巨大サイズで作ったため、船の外枠まで作ったところでタイムアウト。

算数の時間がきてしまいました。

 

すると、次に来た年長の女の子が大量の動物たちを船に乗せて、

ノアの箱舟(?)風に。

 

その翌日、小3の男の子が、レスキューロボット用の障害物のあるコースに変えていました。

ひとりひとりの子どもの心を通ると、同じ材料で、同じような形の上に作っていても、

全く異なる世界が展開していくから面白いです。