虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

いろいろ体験したがるけれど、「ああ、楽しかった」で終わってしまう 1

2018-08-14 20:59:39 | 子どもの個性と学習タイプ

ユースの追加募集は参加人数に達したので、終了しました。

コメント欄にご応募いただいた方は、メールアドレスを書いて

再びコメント欄に書き込みをお願いします。非公開で見て

連絡させていただきます。

 

今年は猛暑の影響もあって

ユースホステルでのレッスンの募集を教室内の子だけに絞っていたのですが、

人数に少しだけ余裕がある日の募集を行います。

 

8月21日~22日 年中~小1の男の子 母子2組まで

8月28日~29日  3歳~5歳の女の子 母子2組まで

 参加ご希望の方は、コメント欄にハンドルネームとお子さんの性別と年齢、お住まいの地域を書いて

応募して下さい。数日以内に、来ていただく方を公表させていただきます。

 

ユースホステルの2~3年生の女の子たちのレッスンに行ってきました。

部屋でカフェを開くそうで、ケーキやドリンクをせっせと作っていました。

このところの3年生のAちゃんのケーキ作りのブームは、三角柱を展開図から作ることです。

平面が立体に変化するのは、何度体験しても不思議で面白いです。

2年生のBちゃんのすいか作り。

がぶっと食べたら、変化するところを作っていました。

光る風船を持ってきてくれた子がいるので、カフェは夜間営業をしていました。

 

 親御さんたちの勉強会で、子どもたちの姿について

こんなご相談をいただきました。

「工場見学に行ってみる?」「科学館に行ってみる?」などと誘うと、「行きたい!行きたい!」と

何にでも興味を示し、お出かけを楽しむ小学2年生のCちゃん。

でも、どこに出かけても、「ああ、楽しかった」で終わり、そこから何か得たようでもなく、

興味が広がったり深まったりするようにも見えない、というお話でした。

Cちゃんは利発で穏やかな気質の子です。

何でもそつなく器用にこなし、強い自己主張やこだわりはいっさいありません。

聞き分けが良く柔軟なので、周囲の声に合わせているだけに見えることもあり、

集団の場ではニコニコ笑顔を振りまく様子が目にとまるだけで、これといって目立たないこともあります。

Cちゃんのお母さんは、どこかに連れていくからといって、

そこで何か覚えてほしい、能力をアップさせてほしい、見たものに強い関心を寄せてほしいと思っているわけでなく、

ただ、「これでいいのかしら?」と何となくもやもやするのだと思います。

確かに、ユースに着いてすぐの工作の時間にしても、算数の学習時間しても、夕食までの

子どもたち主体の活動時間にしても、Cちゃんはみんなの輪に溶け込んでいて、終始明るく控えめにしていて、

これという目の引くものを作る姿もなかったし、「わかった、こうでしょ!」と意気揚々と

発言する姿もありませんでした。それは教室でのグループレッスンでもよく見るCちゃんの姿です。

でも、だからといってCちゃんの活動への関心が薄いわけでもないし、

その時間から取り立てて得るものがなかったとか、アウトプットがなかったというわけではないのです。

 

内向型の子に多いのですが、アウトプットの出方にかなり時間差があり、

アウトプットされたものは、

その子というフィルターを通って収束されているという特徴がある子たち

けっこういるのです。

 

話が途中ですが、続きは明日にでも書きますね。(お盆でのんびりしているので、更新がんばりますね♪)


内向的直観タイプの子のわかりにくさについて 3

2016-07-15 20:16:58 | 子どもの個性と学習タイプ

再度、作品に手を加えるにあたり、

息子なりに、何が足りないのか、これから何に最も力を注ぎ、

どういう方向性で作っていったらいいのか、もんもんと考えていました。

というのも、親しい友人に、

「○○くん(息子)が60%の力で作ったものは、周囲から絶賛されるけど、

100%の力を注いだものは、理解されないよな」と冗談交じりに指摘され、

「そういやいつもそうだなぁ」と苦笑しつつ、単純に、だったら肩の力を抜いて

作ればいいんだなとも取れなかったようです。

 

それについて、息子とこんな会話をしました。

 

息子 「大学にしろ、学会にしろ、評価の場ではあって、現時点に終始していて、

すでにどれだけ完成されたものかだけで考えるからさ。

もちろん、社会に出ても、それが重要なのはわかっているけど、

作品発表での評価基準が、どうしてもパッと見の受けのよさや外から見た印象……

宣伝広告で扱われるような部分だけに重きがおかれててさ、

中身の質とか、アルゴリズムの新奇性とか、実際に使っていくなかで

引き込まれていく部分なんかはほとんど注目されないのは残念だな。

ぼくが全力を出す時は、自分のなりのビジョンを追ってて、

未来に価値を置いているからなぁ……

これから面白くしていきたいいろいろな可能性を見ながらさ」

 

わたし 「自分のビジョンの価値に気づいて、守って、温めていけるのは

自分しかないんじゃない?」

 

息子 「そうだけど、これまで何か納得できなかった理由は、

そうした評価のあり方に不満や不信感を抱いていたというより、

あまり考えずに全面的にそれをよしとしてしまって、

そうした評価と自分の関係のとり方についてよく考えてこなかったから

じゃないかと思ってるよ。

 

ぼくが中身のアルゴリズムや内容を一番重視するのは、

今後、どうあったって変わらない部分だけど、

同時にデザインや周囲にどう印象づけるか、外から見て

魅力的なものに感じられるようにするのかだって

すごく大事だと思ってることなんだ。

そして、内部になんか少しも興味がないっていう

一般的な人が、パッと見で惹きつけられるようなものを作っていく上で、

今、先生から得られるアドバイスはすごく役立つし、ぼくに足りない部分だ。

ただ、自分のあり方について何も考えないまま学んでいると、

周囲の価値観を取り込みすぎて、

自分が一番重要だと思うものが寝食されていくのも事実でさ。

そうすると、成功すればするほど、自分を苦しめる悪循環が生じるよ。

 

だから、自分の強みであって、長い時間をかけて自分のなかで

育てていきたいものを持ちつつ、

外の意見に耳を傾けて、足りない部分を学びとっていこうと思って」

 

息子 「名前の作品をもう一度見直してみて、

内容はそう悪くないんじゃないかと思って。これまでもの作品もそうだけど、

言葉で説明したり、自分の表現したいことを正確な言葉におきかえる面で

全然足りていないんだ。

デザインとか使いごごちの修正ももちろんするつもりだけど……。

たとえば、タイトルを、『他人と自分の境界線』ってのにして、

他人の名前だけから自分ができていく様子を、

アイデンティティーがあいまいになっていく状態とするとか。

まぁ、これはちょっと行き過ぎたタイトルだけどさ。

『情報から生成される自分』くらいがちょうどいいかな?」

 

息子の話を聞きながら、問題を解決する時に、

自分の内面を探索するのは、内向きの直観ならではだな……と妙に納得しました。


内向的直観タイプの子のわかりにくさについて 2

2016-07-14 19:42:46 | 子どもの個性と学習タイプ

見えにくいタイプのひとつに内向的な直観タイプの子について。

 

外向的な直観タイプの子たちは、次々と新しいことに興味を移して

「ひらめいた!」とばかりに自分のアイデアを口にするけれど、

内向的な直観タイプの子たちは、頭の中は忙しくてしていても

行動はおっとりしていたり、直観の使い方にしても、自分の内面での

「あっ、そうだったのか」というひらめきが主なので、

外からわかりにくいのです。

頭の中で自分の考えを追っている時は、フリーズしたようにボーッとして

いるので、考えている時ほど、何も考えていないようにも見えます。

 

わたし自身は内向的直観タイプなので、「自分の内面の動きや頭の働かせ方に

似ているから内向直観の子じゃないかな」と感じるのですが、

他のタイプの子たちに比べて、はっきり目に見える判断材料がほとんどないので、

「うちの子の性格タイプは?」とたずねられると、

幼児期は、「たぶん、……でしょうけど」「おそらく……でしょう」と

あいまいな返事を続けることになりがちです。

たいてい小学校中学年くらいになると、読書の好みやおしゃべりの内容に

内向的直観の子らしさがはっきりしてきます。

 

大学生の息子と話をしていると、「この子はやっぱり内向的直観タイプだな。

内向きの直観をよく働かせるんだな。」と実感することが多々あります。

物事が行き詰った時にしろ、普段のちょっとした問題解決にしろ、

自分の内面に光を当てることで答えを見いだす姿がありますから。

 

先日も、こんな息子との会話がありました。

学校で自分の名前をテーマにした作品をプログラミングで作る課題が

あったそうです。

他の課題の提出時期と重なっていたため、一夜漬けで、

「自分以外の人(友人等)の名前の集合体が、クリックボタンを押す度に

まぜあわさって、だんだん自分の名前に確率的に近づいて行き、

最終的に何クリックかで自分の名前ができあがる」というアルゴリズムを

組んでいました。

評価自体はよかったようですが、その出来に、短い時間で慌てて作ったのと、

何かが足りないという不全感を抱えていました。

そこで、他の作品提出の機会にそれをもう少しいい形で練り直して

出すことにしたようです。

 

 話の途中ですが、遅い時間になったので、続きは明日にでも書きますね。


内向的直観タイプの子のわかりにくさについて 1

2016-07-14 09:46:38 | 子どもの個性と学習タイプ

教室でひとりひとりの子とじっくり関わっていると

この子は感覚、感情、直観、思考の、どれを主にしてものを考えていくのか

よく見えてきます。

とはいえ、見えやすいタイプ、見えにくいタイプというのはあって、

子どもの姿の一部分だけ捉えて、「この子は○○タイプだろう」と決め付けても

あまり意味はないと感じています。

「こういう面があるから、この子は○○タイプじゃないかな」という印象は持っても、

「やっぱり、○○タイプなんだろうな」と実感するのは、何年もの期間、遊んだり、

物を作ったり、考えたり、おしゃべりしたりする姿を見守り続けた後となります。

「この子は、○○タイプじゃないかな」と思っても、関わる時間が増えるにつれて、

「最初の印象とは別の○○タイプの子にちがいない」という確信を

持つようになる子もいます。

 

教室でスーパーボールすくいのような遊びをする時でも,

性格タイプによって、何に熱中するか、何をもっとも面白いと感じているか、

どんなことに気づくか、

そこから何を学びとるかなどは、性格タイプによってずいぶん違います。

わたしが、「ちょうど100グラムぴったりになるようにスーパーボールを

すくってね」とはかりをだすと、

直観タイプの子たちは、コップに入れたスーパーボールを何度か試しに

量ってみてから、戦略的に100グラムちょうどになるような方法を

編み出そうとします。

「スーパーボールをひとつ取り除くと、はかりの針がこれくらい後ろにさがるから、

3個くらい取るといいだろう」とか、「ボールがコップにいっぱい入っている時は

100グラムのところより、このくらい過ぎているから、

コップの半分と残りの半分の半分くらいまで入れたら100グラム」といった具合に。

遊んでいるうちに、新たな「こうしたい」を見つけて熱中しだすことはあるものの、

本人なりのねらいがあるあたり感覚タイプの子たちとの違いを感じます。

 

感覚タイプの子たちの子の場合、ひとつのねらいというより

「網羅したい」「できるまでやりたい」というあたりにモチベーションがあるので、

最初に「100グラムにぴったりになるように……!」と告げていても、

スーパーボールを乗せてははかることを繰り返して、1回、1回、

「あっ、○グラムだった」「今度は○グラムだった」と確認することが

遊びのメインになっていきますから。

 

思考タイプの子たちは、活動そのもにには熱心でない場合が多いけれど、

はかった重さをまとめた表を見ながらデーターを分析したり、

原因や理由について考えさせる場面でいきいきしています。

感情タイプの子たちは、お友だちと同じ目標で動いたり、

他の子らをびっくりさせたり感心させたりすることにモチベーションを

持ちやすいです。

 

話がタイトルの話題にまでいきつきませんが、

レッスンの時間が近づきましたので、続きは午後に書きますね。

 

子どもの性格タイプについて考えることでどんないいことがあるの?

2016-07-06 08:29:01 | 子どもの個性と学習タイプ

虹色教室では(ユングのタイプ論による)子どもの性格タイプを把握して、

それに合わせた接し方をすることがよくあります。

このように話すと、子どもを一時期の外からの見た目で分類して、

「○○タイプ」という情報のフィルターを通して、

小さな枠に押し込んだ形に育てるのじゃないかと心配する方もいます。

でも、実際に性格タイプについて思いをめぐらすことは、

そうしたステレオタイプな見方や考え方とは真逆にあるとも言えるものです。

もともと人は、自分以外の人を眺めるとき、

「自分」というフィルターを通して眺めているものです。


自分の感じ方や見え方や感じ方、それまでの自分の経験や教えられたこと

自分が良しとするもの、価値を感じるもの、あこがれるものによる格付け、

今いる環境にある価値観をどうとらえているか……

そのように「自分」を通して相手を理解しているものです。

 

わが子についてより広い視野で理解しようと思っていても、

自分にとって「わからないもの」「ネガティブに捉えてきたもの」は、

やっぱりそのようにしか見えないし、

理解しようと思うあまり、極端な甘やかしに傾いたり、

嫌な部分は見て見ぬふりをしてしまうこともあります。

一方、欠点は小さいうちからしつけて修正していかなくてはと思うあまりに、

その子の個性的な長所まで押さえつけて、

子どもの性質となじまない親の価値観を押しつけてて育ててしまうことも

多々あります。

 

性格タイプを知るということは、まず、自分の見え方や感じ方や価値観が

全てではないと知ることです。

また、今、子どもの置かれている環境にある価値基準も、

あるひとつの価値観を体系化したもので、絶対的なものではないことを学ぶことです。

 

たとえば、ユングのタイプ論では、

人の構え(態度)を大きくふたつに分けて考えています。

外向性と内向性です。

といっても、人はそのどちらかに分類されるのではなく、

外向性も内向性も持っているけれど、

ふだん表に出ている態度がどちらなのかで、

「外向的な人」と「内向的な人」という違いが生じています。

 

外向的な人とは、関心が外の世界に向かっていて、どんな環境や状況にも

合わせることができる人です。

内向的な人とは、外の世界よりも自分の心の中の世界に関心が向かう人で、

身の回りの環境は、自分の心に合っているか、受け入れられるかを一番に考えます。

環境や出来事が、みんなからうらやましがられるようなすごい価値を持ったものでも、

自分にとって興味がなければ価値を感じないのです。

 

わが子が、外向的な人にも内向的な人にも

その性質だからこその長所があります。

どちらかが正しくて良い態度だから、どちらかの態度に矯正していくものではなく、

一方に偏り過ぎずバランスよく、

長所を磨きながら生活していくのがよいのだと思います。

 

外向的な人の長所はどんな環境にも合わせられることです。

でもそれは自分が何をすると、楽しい気分になり、充実できるかを、

環境や状況に依存しているともいえます。

 

内向的な人は、新しい環境や状況になかなかなじめないけれど、

ひとたび自分に自信を持つと、トラブルが起きたり、周囲から批判されたりしても、

強く信念を抱いてやりすごせるところがあります。

 

そのように、人の態度に、外の世界か、自分の内面かという

ふたつの方向性のようなものがあって、

どちらにも長所と短所があることを知っておくと、次のような良い点があります。


たとえば、子どもをサークルや幼稚園に連れて行った時、

そこになじまず、嫌がって泣くことが続くと、

「この子は、社会性が育ってないのかしら?」「今まで甘やかしすぎたのかしら?」

「発達障害があるのかしら?」

「どうしてこんなに頑固でわがままなんだろう?」と、

子どもに対するネガティブな思いでいっぱいになってしまう時があります。

確かに、そうした態度を取る子の中には、社会性の育ちがゆっくりで、

発達障害の疑いのある子もいます。

でも、そうではなく、内向的な性質のために

新しい環境になじむまでに時間がかかる子もいることを知っておくことは、

大事なことだと感じているのです。

もし、それを知らないと、「この子は協調性がないから」と子どもに無理させたり、

攻撃的な言葉で責めて自信を失わせるようなこともあるからです。

特に外向的な方が内向的な子を育てている場合や、

内向的な方が外向的な子を育てている場合は、

誤解や偏見によって、子どもの心を傷つけたり、本来の子どもの性格を抑圧して、

親の価値に添うようにゆがめて育てることがないように

注意しなくてはなりません。

そうした意味で、私は子育て中、性格タイプに考えをめぐらせることや、

子どもの性格タイプを把握するように努めることは大事なことだと

感じています。

 

子どもの性格タイプについて知っておくことが特に大切だ、と感じるのは、

「子どもとはこういうものですよ」「子どもはこのように発達します」

「子どもはこのようなことを好み、こうすると進歩します」

といった人気の育児法や教育法をもとに子育てしている時です。

たとえば、モンテッソーリ教育を実践している方の中には、

「全ての子どもは秩序感を好み、同じ作業を満足するまで繰り返すもので、

それをしたがらない子は発達を逸脱した子ではないか」

と信じている方がけっこういます。

実際、モンテッソーリ教育の関連本では、

「全ての子どもはこのような存在である」と言い切るような説明がなされています。

私はモンテッソーリ教育のすばらしさを実感しているし、

どの子にも大切なものだとは思っています。

でも、子どもたちに接していると、モンテッソーリの「お仕事」を嫌がり、

手本通り教えようとすると、おちょけて自分勝手に振舞うごく普通の子たちがいるのです。

モンテッソーリ教育というフィルターを通して眺めると、

「問題児」か「困ったちゃん」か「発達がゆっくりの子」にしか見えないほど、

感覚的な作業を繰り返すことを嫌がり、いつも新しい刺激を求めて

奇想天外な物の使い方をし、手本通りせずに、自分のやり方にこだわる子です。

子どもは「どの子もこのようなものである」という捉え方を緩めて、

子どもにはさまざまな性格タイプがあって、優れている機能が異なる……という

見方をすると、直観が優れている子たちは、感覚が劣等機能にあたるので、

モンテッソーリの教育法が苦手な子がいても少しも不思議ではないのです。


「感覚的な作業を繰り返すことを嫌がり、いつも新しい刺激を求めて

奇想天外な物の使い方をし、手本通りせずに、自分のやり方にこだわる子」

というのは、

「想像力に富み、独創的で創造的で、機械的推理能力が優れていて、

ユーモアがあって柔軟で意味を察することが得意」な子が多い、

直観が優れているタイプであることがよくあるのです。

 

 



↑ ユースホステルのレッスンで。マジックボールを10ずつすくっています。

30すくって「10の3回分」と言っていた子もいました(ココプラザの美術工房です)

 

今回のユースホステルでのレッスンは、

外向型の子と内向型の子が、半々くらいの比率でした。

全員、初めて会った子たちなのですが、外向型の子らは、

和室での2時間半ほどのレッスンの間にもう何年来の仲良しみたいに親しくなって、

じゃれたり、けんかしたり、「いっしょに~しようよ」と相談しあって

移動したりしていました。

私にもたちまちなついて、食事の時には、「ぼくが先生の隣だよ」と主張したり、

自分の工作を動かすための方法を習いたがったり、

理科でクイズを出すときには、自分が先生のように振舞って、

「みんなちゃんと座って!こっちで勉強しないと意味ないじゃんんか!」と

しきることもまでやっていました。

ルールのあるカードゲームも、初めてするものも、すぐにゲームの流れを察して、

楽しそうに遊んでいました。





一方で、内向型の子たちは、

そうして積極的に参加している子たちの様子を観察することからスタートし、

ゆるゆると自分のペースで関わっていました。

私が、「○○してみる?」と誘うと、ちょっとひきつった表情をして、固まるか、

首を振る子もいます。

そのように表面的には、その場の活動への参加を嫌がっているように見える時も、

こうした内向型の子たちは、

イメージの世界では、「こんなふうに参加したい」という自分像を持っていたり、

ひとりひとりの人を観察しながら、その人との距離の取り方を測っていたりするのが

わかりました。

内向型の子たちは、その内気でもじもじした消極的な態度からは想像がつかない

くらいに、理想的な自分の振舞い方のイメージや高いプライドや自分なりの考えや

判断を持っている場合が多々ありますから、

安易に積極的な子たちと同じ活動をするよう干渉しすぎると、

それが原因で傷ついたり、へそを曲げてしまうことがあります。

自由度が高い場では、ちょっと冷たいようでも、

(ひとりにさせておくようで気にかかるでしょうが)本人がしたいようにして、

そっとしておくといい場合があります。

そうして、あまり構いすぎないようにして様子をうかがっていると、

自分がやってみたいと思うことをしている子たちの方を

食い入るように見つめているはずです。

もし、そこで、大人が寄ってたかって機嫌を取ったり、

なだめすかして参加させようとしたり、強制的に他の子の輪に入れようとすると、

内向型の子たちは、そうした自分への侵入的な態度に反発したり、

ただなすがままに依存的に従ったりして、

「ぼくは(私は)ダメな子なのかな?」という他の子たちより自分には

足りないものがあるというイメージを自分にかぶせるときがあります。

ただ、そっと子どもを尊重して待ってあげることが、

大事な場合が多々あるのです。(発達障害を持っている子への対応はまた異なります)

 

続きを読んでくださる方はこちらをどうぞ

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 4

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 5

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 6

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 7

子どもの性格タイプについて考えることでどんないいことがあるの? 8

 

 

性格タイプによって、作る作品にこんな特徴があらわれることがあります。 ↓

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子どもの性格タイプによって

作る作品も創作活動から学び取るものもずいぶんちがうように感じます。

感覚タイプや感覚寄りの子たちは、労を惜しみません。

大量の作業をこなしながら「規則性」を導きだします。

直観タイプや直観寄りの子たちは、大雑把であまりていねいに作りませんが、

独創的で、自発的に次々ひらめいて作ります。

科学的な仕組みを利用した工作なども好みます。

作品作りから抽象的思考を発展させます。

感情タイプの子も思考タイプの子も、感覚寄りか思考寄りかで、

作品作りから何を学びとるかが、異なるように思います。



<内向的思考感覚寄りの子の作品>(内向的感覚思考寄りの子かも)



内向的思考感覚寄り、内向的感覚思考寄りの子たちは、

大人顔負けの作品を作るけれど、大人の手助けを嫌がって

全て自分で作りたがります。

直観タイプの子たちが壮大なアイデアを思いつくものの、

めんどうな作業は手伝ってもらうことをすぐにあてにするのとは

ずいぶんちがいます。

このタイプの子たちの作品は計算された建築物のような美しさがあるものが多いです。

色にも形にも数にもこだわります。

作品作りを通じて、「規則性」に気付きます。



<内向的思考感覚寄りの子の作品>(内向的感覚思考寄りの子かも)




<内向的感覚思考寄りの子の作品>(内向的感覚感情寄りかも)



<外向的思考直観寄りの子の作品>(外向的直観思考寄りかも)

駅のエレベーター。入口と出口が変化するように工夫しています。色使いもきれいです。

 





独創的で直観的な作品作りが多かったので、

ずっと外向直観思考寄りの子だと思っていたのですが、

成長するにつれて思考力が急速に伸びてきたことと、

感覚を必要とするていねいな作業も得意なことと、

他人の感情を読むことが少し苦手なことから、

外向思考直観寄りの子だろうと思うようになりました。



<外向的直観思考寄りの子の作品>(外向思考直観寄りかも)



おおざっぱな作りとはいえ、独創的で宇宙をテーマに作っているところと、

他に船や車などを作るときに、動きを作りだす工夫をしたり、自分で発想して、

問題を解決していく力があるところから、外向直観思考寄りの子ではないかな、

と思いました。



<外向感情感覚寄りの子の作品>



たくさん作る労を惜しまないところがあります。

感情に響く作品作りが好き。写真は詩のカード。




友だちとの交流を目的にした作品作りも好きです。

 



<外向的直観感情寄りの子の作品>







遊べる作品が好き。

自分のオリジナルアイデアを盛り込みます。仕上がりはこだわらず、

大きなサイズのものを作るのが好き。

 


<外向的直観感情寄りの子の作品>


アイデア重視で、2階建てにするとか、3階建てにするとか、凝ったものが好きです。

大きなサイズの遊べるものを作るのが好きです。

 



<外向的感覚思考寄りの子の作品>

このタイプの子は、労を惜しまないところと、

頭を使うことを好むところがあるので、自分から「テスト」や「通知表」

「スケジュール表」などを作りたがる子がいます。



<内向感覚感情寄りの子の作品> (内向的感情感覚寄りの子かも)


美しい色が好き。労を惜しまないところと、ていねいに作業する繊細さが

あります。自然への興味につながる制作を好みます。

(香水作り、石鹸作りなど、貝殻でする制作、星座を手芸で表現するなど)

 



<外向的感情感覚寄りの子の作品>

労を惜しまないところがあります。ファッション、お人形などのテーマを好みます。



<外向的直観思考寄りの子の作品>(外向的直観感情寄りかも)






ボールの向きを変えるアイデアを工夫しています。

他にも運動の向きを変えたり、

玉を押しだすさまざまな仕組みなどを、ゼロから考え出す力が優れています。



<外向的直観思考寄りの子の作品>

中学生の男の子の作品。ライトがつくピタゴラスイッチ。

 


<内向的直観思考寄りの子の作品>

うちの息子の高校生のときの作品です。色合いや構図がこのタイプの子が

好みそうなものだなと思いました。

 

 






内向感覚思考寄りの子 と 内向思考感覚寄りの子

外向感覚思考寄りの子 と 外向思考感覚寄りの子 は、

たいていどの子も積み木遊びが大好きで

そこから自然に多くのことを学びとります。

↑ の写真は、おそらく内向思考感覚寄りと思われる1歳後半の男の子と

積み木で遊んでいる様子です。

感覚タイプの子たちは、物のサイズに敏感で、

囲った空間に、ぴったり物を収めることが大好きです。

秩序も好きですから、同じ数ずつ、空間に収めて並べていく作業も喜びます。

積み木遊びに色画用紙を取り入れて、

数台の電車をはみださないように置くことができるスペースを作ってあげると、

「狭い」「広い」という概念に親しみ、面積に対する興味にもつながります。

色画用紙を折ってトンネルを作ったり、紙で立体を作って

展開図のようになったものを見つつ遊べるようにしてあげるのも

このタイプの子の気持ちを満たします。

このタイプの子たちは長さが比べられる写真のような棒状の積み木や

遺跡などを作るとき仕上がりがきれいなレンガ積み木でよく遊びます。

このタイプの子らは、遊ぶことと学習の壁が薄いです。

歴史や地理や化学や計測と関係ある算数を幼いころから好みます。

けれども、感覚的に学びたいときに、考える問題をあれこれ出題されると

勉強を嫌がるようになるかもしれません。

自分の興味からスタートする学習を何度も繰り返すことが好きなのです。

几帳面で完璧主義なので、できることが確認できないと、

取り組みたがりません。理想やプライドが高い子が多いので、

他の同年代の子と比べるような学習をさせると、強い拒絶を示すときもあります。


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積み木遊びの話からそれますが、お勉強の話も少し……。

感覚タイプの子たちは、計測することがとても好きで、

算数を学び出したとき好むのも、


まわりのながさが、14センチの四角形があります。

たてはよこより1センチながいです。たてとよこの長さは何センチですか


といった問題や、



12デシリットルと、300ミリリットルを合わせると、

何デシリットルになりますか


といった問題や、

表やグラフにデーターをまとめてあって、分析しながら解いていく問題です。


感覚が優れている子たちはたいてい

新しいことよりも慣れている繰り返しを好みます。

ですから、毎日コツコツがんばって、

スローステップで力をつけていく系統学習を好む子も多いし、実際、それによって

力がついていきもします。

ただ、感覚が優れている子の中でも、

思考を使うことを好み、難問にチャレンジすることが好きな

外向か内向の感覚思考寄りの子 と 
外向か内向の思考感覚寄りの子の一部には、

スローステップで学ぶ方法はまどろっこしくつまらなく感じられる子もいるようです。

感覚が優れている子で、

思考タイプで感覚寄りという子も

感覚タイプで思考寄りという子も、

一般的に基礎計算の繰り返しなどを好むと捉えられている「幼児期や低学年の子」

という枠からはみ出してしまうような論理的な思考や抽象的な考え方を、

早い時期からしはじめます。

そうした子らは、暗記して練習させるだけでは、勉強に対する興味を失ってしまいます。

知力を限界まで使いたい子たちには

解いていて充足感が味わえるような問題を与える必要があります。

話を積み木遊びにもどして……



↑の写真は、外向的思考直観寄りの子と作った「なわばり図」ですが、

これはもともと内向的感覚思考寄りの子の作品からスタートした遊びです。

 






↑のような遺跡作りも、美しさだけでなく世界や歴史への興味を広げられる点で、

内向感覚思考寄り、内向思考感覚寄り、

外向感覚思考寄り、外向思考感覚寄りの子が好む積み木遊びです。

 

「がんばり屋だけど考えるのが苦手な子」 「飽き性だけど頭の回転が速い子」

2016-06-17 10:38:14 | 子どもの個性と学習タイプ

子どもの個性も長所も十人十色です。

たとえば、

「がんばり屋だけど考えるのが苦手な子」「飽き性だけど頭の回転が速い子」って

いますよね。

「がんばり屋だけど考えるのが苦手」という子の長所は

「もっともっとたくさんしよう」「がんばろう」とするエネルギッシュさです。

といっても、勉強の場合いくらがんばり屋でも 考えるのが苦手だと、

「考えなくてはならない問題」で先に進めないことが続くと、

勉強を避けるようになるかもしれません。

 

勉強以外のスポーツやお手伝いや携帯ゲームの攻略などでは長所の根気のよさを

生かすけれど、勉強は苦手というタイプに成長するかもしれません。

かといって、「易しい計算問題ばかり」をスローステップでやらせていると、

ある時点で、考えなくてはならない文章問題の学習に入ると、

満点ばかり取っていて良くできると思っていたのに、小学3年生くらいから

いきなり成績が急降下しはじめるということも起こります。

 

「がんばり屋でも 考えるのが苦手という子」の答案を見ると、

はりきってたくさん問題にチャレンジしているものの、

どれもこれも間違いばかりということがあります。

そんなときに、相手ががんばり屋さんですから、多少手厳しいことを言っても、

まじめで素直な対応が返ってくるものですから、親もつい本人の心への配慮を

怠ってしまいがちです。

 

せっかく自発的にたくさんがんばったという場面でも、

「何でこんなにミスばかりなの?」と本人が自分には能力がないと錯覚するような

ことを言ったり、たくさん×をつけて、「たくさんがんばれば、×が増えるから、

自分から努力すると損だ」と思い込むようなことをてしまいがちなのです。

 

学校の授業やテストでは、間違えた問題にすぐに×がついて、

間違いを修正するのは大事です。

でも家庭で自発的に学習する場合にも、身近な大人が

自分の「勉強とはこういうもの」というイメージを子どもに無理に押し付けていると、

子どもの長所が学習で生かせなくなってしまう場合があります。

 

カナダ人の心理学者アルバート・バンデューラが提唱した感覚に、

自己効力感というものがあります。

 

自己効力感とは、

「外界の事柄に対し、自分が何らかの働きかけをすることが可能であるという感覚」

「ある具体的な状況において適切な行動を成し遂げられるという予期、および確信」

といったものです。

 

勉強の場面で、過去に「自分の強みを発揮して成功できた」という体験がなければ、

次に「きっと自分にはうまくできるから、がんばろう」と自発的に取り組む動機は

生まれてきませんよね。

 

私は、学習の場面で、子どもに「自己効力感」が身につくまでの間は、

「最初が肝心だから、ミスはその都度きちんと直しておかないと」とか、

「たくさん失敗しても、それを乗り越えられる強い子になってほしいから」

といった大人の持っている学習へのイメージを

子どもが「自己効力感」を得るか否かよりも優先しない方がいいと思っています。

 

私たち大人でも、外国の方を相手に、勇気を持って習いはじめの外国語で声をかけたとき、

間違いを馬鹿にされたり、注意されたり、何度やっても通じなかったという体験が続けば、

それでもがんばって話しかけ続けるか……というと難しいのではないでしょうか?

でも、相手が外国の子どもだった場合、こちらのミスをいちいち気にしていないとしたら、

たくさん話しかけるうちに、自分は外国語で会話ができるという自信がつくし、

回数を踏むうちに、上手に正しい使い方ができるようになってくるかもしれません。

「自己効力感」がないまま、何年、英語を学んでも、外国の人と会話のキャッチボールを

するのは難しいのかもしれません。

 

多くの勉強が苦手な中高生は、知的なハンディーキャップを持っている子ばかりでは

ありません。

また、発達障害があって、努力や計画的に物事を進めることに

ハンディーキャップがある子ばかりでもありません。

ごく普通の小学生の頃はがんばり屋で成績も良かった子の多くが

「勉強ができない子」に成長しているのです。

 

その原因には、日本の教育では、個人個人の「自己効力感」より、

集団に通用する「教育ってこういうもの」という大人が信じやすいものを

優先しすぎているからのように思います。

 

私は 子どもの個性はさまざまですから、集団の場でない限り、その子が

「自分の有能さ」を感じ取れるような勉強が必要だと思っています。

本来なら、集団の場でも、「みんなから認められている」「自分は有能だ」

というフィードバックを得る体験がたくさん必要だとも思っています。

勉強の場で、「自分の有能さ」を発揮できるという確信が、

いくつになっても自発的に学び続ける姿勢を育てるからです。

 

一方で、いつも先に解き方を暗記させておいてから良い点を付けていく

スローステップの学習で

「考えない」癖をつけてしまうことも問題だと思います。

このさじ加減は難しいので、何度かにわけてくわしく説明させていただきます。

 

「飽き性だけど頭の回転が速い子」っていますよね。

さまざまな新しいことをやりたがってチャレンジ精神旺盛なのはいいのだけど、

やる前は、大騒ぎして、「どんな苦労もいとわない!」という様子だし、

やってみると人一倍、呑み込みもいいのに、すぐに飽きて放り出してしまう子。

目ざとくて、知恵もよく働くけど、気が散りやすくて怠けがちな子。

こういうタイプの子って、お友だちが習い事をしているのを目にすると、

すぐに自分もやりたがって、泣いて騒ぐことがよくあります。

「それならと……」習わせると、少しすると、今度は練習や宿題が嫌で、

毎日、親とバトルになるという結末をたどりがちです。通信教材もしかり。

「ぜったいがんばるからやらせて!」と地団駄を踏んでいたのもつかの間、

教材を取り出したとたんに、ほとんど手付かずのまま溜め込んでいくものです。

 

注意が必要なのは、「自分がやると言いだしたんでしょ!がんばりなさい!」

「ちゃんとがんばればできるのに、努力が足りない!」と叱り続けるうちに、

幼い頃は自分から知的なことに何でもチャレンジしたがっていたのに、

大きくなるにつれ、勉強に関わることは自発的にチャレンジするのを避けるように

なってくることです。

 

その代わり、後々、「やる、やらない」でもめたり、

「やめたい、しんどい」と悩んだりしなくてもいいテレビゲームとか、

買い物などでは、相変らず、ごね続けるようになりがちです。

飽き性の子に、我慢することや努力することを、しつけていくことは大事です。

けれども、現代は大人と子どもの境界線が薄れていますし、

幼い子も消費のターゲットになっている時代ですから、

「あなたが自分でやるって言い出したんだから、すぐに投げ出さずにがんばりなさい」

と叱ると、年齢不相応な自己責任の押しつけになってしまうことも多々あるのです。

 

3歳、4歳、5歳といった子が

「お友だちといっしょにリトミックを習いたい」とごねたところで、その子の年齢だと、

「お友だちが公園に行ってるから私も行きたい」とごねているレベルの

先の見通ししか持っていないものです。

まだまだ、自分に何が合っているのか、どんなことなら長続きするのか、

何をすると一番がんばれるのかといったことを、いろいろ試してはやめて、

夢中になっては卒業して、より自分を成長させることができる何かを外にも、

自分の内側にも探索していく時期なのです。

 

それなのに、大人の世界が幼い子の暮らしにまで浸透して、

子どもの習い事に、ママ友同士のおつきあいが絡んでいたり、

子ども向けの商売のシステムのせいで、幼児が数年計画の責任感を

問われることになっていたりするのです。

 

「飽き性だけど頭の回転が速い子」の長所は、

新しい興味の対象に向けるエネルギーの強さです。

「やりたい!」と言っているときのエネルギーと、やりはじめた当初のエネルギーが

維持されたら、この子はどれだけ賢くなることか……?

と感じている親御さんはたくさんおられることでしょう。

 

私は、あまりお金などの負担がかからないことでいろいろチャレンジさせてみて、

やってみたり飽きたりを繰り返しながら、

「こういうことならがんばれそう」「自分が生かせそう」という

自己効力感を得られるものに気づかせていくことが大事だと感じています。

勉強で、基礎を繰り返し学習するのを極端に嫌がる場合、

「あなたは勉強嫌いの悪い子だ」

「あなたは怠けもので、こんなことをしていたら将来勉強が苦手になってしまう」

というイメージを植え付けないように気をつける必要があります。

 

このタイプの子は、易しい問題と難しい問題が混在したワークで、

「好きなものを1問選んで解いてね」と言うと、

ちょっとひねったものを選んで解いて、それを機会に「もっと解きたい」と

言い出す場合がよくあります。

子どもの学習に構いすぎるのもよくないのですが、

義務を無理強いして大の学習嫌いにさせるよりも、

長所の頭の回転が良さを使って、知的な課題の面白さに気づかせることが

大事だと思っているのです。

 

飽き性って悪いことばかりじゃなくて、執着心のなさや、

自分によってより必要なものを見極めていく力や、

好奇心の強さとも関わっているものです。

今、自分にとって一番重要な目的に全力投球できる能力でもあります。

短所に見えるところも、罪悪感を植えつけず、大らかに関わっていると、

そのように良い資質として使っていけるようになっていきます。

 

うちの子たちにしても、飽き性とはちょっと異なるのですが、

コツコツがんばることが苦手です。

ですから決まりごとや義務が多い場では、欠点ばかりが目立っていた時期もありました。

でも、ゆっくりと長所も欠点もどちらも大切に育てていくようにすると、

長所だったものはもちろんですが、短所と思われていたものが、自分で目的を定めたり、

深く考えたり、創造的に解決したり、

学び続けたりする原動力となっているのがわかるのです。

わが子が、子どもとは呼べないような年齢になると、

子どもに対して親ができることは本当にしれていて、

役に立つのは信じてあげることくらいだと気づきます。

子どもは本当に自分がなりたいものに向かって、自分の力で成長し続けていくのです。


子どもが思い通りに育たないのは、育て方を失敗したため? 2

2016-05-05 08:23:36 | 子どもの個性と学習タイプ

前回の記事の最後に、

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子どもの困った状態は、接し方や子どもの捉え方を変えれば改善するけれど、

だからといって、今、子どもの問題の原因は

それまで間違った育て方をしてしまったからとは思われない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

といったことを書きました。

これはわたしが教室をしながら、何度も実感していることです。

 

わたしは「たくさんの子どもたちと接する機会がある」という点と

「今、困った状態にある子と非常によく似た時期を経た子が、

その数カ月後、1年後、数年後には、

どのように成長していったのか目にしたことがある」という点で培った勘のような

ものですが、それは、子どもの言動に途方に暮れている親御さんが感じたり考えたり

判断したりしている内容と、かなりずれがあります。

 

子どもの問題行動がエスカレートしている時、たいていの方は、

「叱りすぎているのでは」「これまでの接し方が間違っていたのでは」と

親の自分にその原因があるのではないかと悩んでいます。

でも実際にそうした子とじっくり付き合ってみると、子どもの気質の側に因があって、

親の叱り過ぎや接する際の悩みを引き出しているように見えるのです。

 

周囲を疲労困憊させるほど困らせる子には、

発達に偏りのある子もごく一般的なもあるでしょうが、

どちらにしろ、際だって魅力的な面を持っている場合がほとんどです。

知能がとても高かったり、美的な感性が優れていたり、好奇心が強く科学への関心が

強かったり、エネルギッシュで粘りがあったりするのです。

繊細で優しい気持ちを持っていたり、

きちんとしよう完璧であろうがんばろうという気持ちが人一倍強かったりする子も

多いです。

 

感情が優れている子 と お勉強  つづき

2016-04-28 19:47:05 | 子どもの個性と学習タイプ

通い始めた塾で

「算数がとてもよくできる子」という評価を得るようになった●ちゃんは、

自分で考えて解こうとする意気込みも、私の解説を聞いて学ぼうとする熱意も

これまで見たことがないほど強いものになりました。

 

何でも虹色教室で習ったことが塾のテストで出て高得点が取れたのだそうです。

「◇さん(私を●ちゃんはこう呼びます)のおかげで、すごくいい点が取れました」と、

自分の努力や能力より先に、こちらを持ちあげるような言葉が小学生の口から

無意識に出てくるあたりが、感情型の子だな~としみじみ感じます。

 

●ちゃんは、これまでずっと勉強を嫌がりはしないけれど、それ自体を楽しむような

考えることを愛するようなところは薄いように見える子でした。

それで、これまで●ちゃんのモチベーションとなっていたのは

虹色教室のアットホームな雰囲気やそこでいっしょに過ごすお友だちとの交流や

家族や学校の先生に対する義務感のようなものでした。

 

それが、通い始めた塾で周囲から一目置かれていることや、

高い評価を受けたことなどは、これまで見たことがないほど

●ちゃんの気持ちを高揚させ、努力に向かわせる動機となるようでした。

内向的感情型と思われるうちの娘もこうした人との関わりから得る動機が、

勉強のモチベーションにつながる子です。

この●ちゃんの快挙を知った○ちゃんは、自分も塾に通いたいと言い出しました。

○ちゃんも虹色教室に通い始めた当初は算数が苦手な子で、

簡単な計算ルールを理解するのに、他の子の何倍もかかっていたのですが、

次第に算数が好きになり最近では受験向けの凝った問題も解けるようになった子です。

すると、●ちゃんはすかさず、

「ここで(虹色教室)で問題が全部解けるようになってから、

塾に入った方が絶対いいよ。そうしたら、最初から一番になれるし、

塾で習うときにどれも簡単なんだから」と○ちゃんに言って諭していました。

そういうことを私に媚びようとしているのでなく

自然に内側から溢れてくるように言うところは、直観や思考や感覚タイプの子では

まず考えられないけれど、感情タイプの子たちはよくあります。

「お母さんのおかげで……お父さんのおかげで……先生のおかげで……」といった考えが

自然と浮かぶようなのです。

ある対象に「好き」か「嫌い」かで評価を下すのは「感情」の仕事です。

あらゆる知識をインプットしてある高性能のロボットも、人間のように

何かに対して自分がそれを「好き」か「嫌い」か評価する力はないはずです。

「感情」というのは意外な感じがするのですが、理性の法則によって与えられる

合理的な機能なのだそうです。

これも意外なのですが、裁判官による法律の適用は感情の働きなのだとか。

裁判って、よく考えてみると確かに科学的な判断で裁くわけじゃないですね。

難しい人間の問題を評価し、人間の関心事を公平に扱うためのものですから。

 

感情タイプは、外向的感情タイプと内向的感情タイプに分けられます。

『ユングのタイプ論』 (M.L.フォン・フランツ J.ヒルマン 創元社)に

書かれている説明を私流に易しい言葉に変えて簡単に説明させてくださいね。

 

外向的感情タイプは、

外の世界や感覚を通して知ることができるいろいろなものを評価したり、

それと適切な関係を結んだりして適応していきます。

すぐに友だちを作り、相手の良いところも悪いところも的確に把握しつつ、

うまくつきあいます。要領よく生きて、自分が欲しいものは相手の人が自分から

差し出してくれるように仕向けることができます。

フォン・フランツによると、外向的感情タイプが毛嫌いするのは

哲学的原理や抽象概念や生にまつわる根本的問題に関する思考といった内向的思考です。

 

内向的感情タイプも、感情機能を用いて生活に順応するけれど、

「内向的」という点で少し違います。

内向的感情タイプは、「これこそ本物だ」と自分が感じるもの、

本当に重要な要素が何かを内的に見て取ります。

内向的すぎて黙っているのに、

内向的感情タイプの倫理的価値基準があまりにも正しいため、

周囲の人は知らないうちにこのタイプの価値基準にそうように振舞っていることが

あるそうです。内向的感情タイプの考える上での弱点は、

「数少ない概念で、無数の資料の中をせわしなく動き回る」ことで、

それが強みとなったときには、「簡明で明晰でわかりやすい」という良い面とも

なります。

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 感情タイプというのは、感情的に振舞う人とはずいぶん異なります。場所に応じて

タイミングよく適切な感情で振舞える人なんですね。

 

といっても、

F.G.ウィックスによると、感情タイプの子どもを精神的に追い詰めると、

感情タイプの良い面が正反対の困った面に反転するようです。

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感情が抑圧され、無意識的になると、明らかに反対の質を帯びる。

抑圧された愛は、わけのわからない憎しみになり、未分化な情動としてうっ積する。

この抑圧された感情が暴発すると、子どもは残酷になり「感情のない小暴君」になる。

自然にあらわれるはずの生来の感情だから、その力は思考やその他の劣等機能に

逃げ込むこともできない。自分にはできない知的なことで、

他の子が愛や賞賛を受けるのを見たり、無理に

頭で考えさせられたり、問題の解決に直観を使うこともできないまま、

ただ本来の豊かな感情が無視され、求められない場合には、子どもは劣等感をつのらせ、

無力感や怒りが残酷な行為にはけ口を見出す。

(『子ども時代の内的世界』 F.G.ウィックス 海鳴社 より)

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感情タイプの子に学習させるとき、このタイプの子の美点を正しく理解して尊ぶことと、

十分な愛情をかけること、

それから心地いい学習環境を作りながら根気よく付き合っていくことが

他のどのタイプよりも必要だと感じています。


感情が優れている子 と お勉強

2016-04-27 18:54:22 | 子どもの個性と学習タイプ
 

 

今日のレッスンにはユースホステルでの8月のレッスンに参加してくれていた

年長さんと小学2年生の女の子の

弟くんが参加してくれていたので、それぞれの親御さんから

とてもうれしい事後報告をいただきました。

年長さんのお姉ちゃんは神経過敏で不安が強い子で、

ほぼ全員が楽しく活動していた工作のワークショップでもひとりだけ活動していなかったり、

お勉強っぽい活動は強く拒絶するところがあって、

育てやすい弟くんに比べて非常に手がかかるという点でお母さんから相談を受けていました。

それがユースホステルでのレッスンで、1つ年上のしっかりした女の子たちに親しくしてもらって、

ゲームをしたり、工作したり、お勉強したりして過ごした後で、

お母さんが驚くほど意欲的になって、「私もお姉ちゃんたちみたいにお勉強できるのよ。もっと練習したら。

だから1年生の算数の問題集を買って!(トップクラス問題集です)」と頼んだり、

自分から進んでどんどん工作をするようになったそうなのです。

私は、ユースホステルから帰る電車でこの女の子といっしょだったのですが、

そういえば、いつもはちょっと口をとがらせてネガティブな言葉をつぶやくことが多い子だったのに、

目をキラキラさせて自分への自信がみなぎっている様子に驚いたのを思い出しました。

もうひとつうれしい報告は小学2年生の女の子です。この子は女の子の算数クラブのメンバーのひとりで、

頭の回転が速く、手先も器用でしっかりした子なのですが、何をするのもおっくうそうに取り組むところを気にかけていました。

特に「勉強は大嫌い」と断言して、たいてい解けるのに、ぐずぐずと取り組みがちでした。

それが今回のユースホステルのレッスンで、小学4,5年生の子らと

中学入試の問題にチャレンジしたことをきっかけに、「勉強面白い!あそこで解いた問題集買って!」と

お母さんにねだり、高いモチベーションで学ぶようになったそうなのです。

それだけでなく、これまで苦手に感じていたお友だちについて別の視点から見直して

とても好きになったようなのです。

 

最初の★ちゃんは、おそらく内向的感覚型の子なのですが、

後で紹介した年長さんも小学2年生の女の子もどちらも内向的感情型と思われる子たちです。

実は、ユースホステルのレッスンの後で、友だちや年上の子らの影響で

勉強に強い興味を示すようになったという報告を受けている子のほとんどが

感情が優れていると思われる子らなのです。

感情が優れている子たちは

どのような体験を経て、勉強に興味を抱くようになるのか、そこにヒントが隠れているように

感じています。

先日、外向的感情型感覚寄りと思われる5年生の●ちゃんのお母さんと

内向的感情型直観寄りと思われる○ちゃんのお母さんとゆっくりお話する機会がありました。

●ちゃんは小学校に就学する前から虹色教室に通ってくれている女の子です。

言語能力が高く、素直で物覚えが良い子ですが、

じっくり考えたり、工夫したり、推理したりすることは苦手で

レッスン開始時は、強い算数嫌いに陥っていました。

 

●ちゃんが幼い頃、言葉の発達が早くて人と関わりながら学ぶことが大好きな●ちゃんに、

親御さんだけでなくおじいちゃんおばあちゃんまであれもこれもと教えようとしていました。

が、言葉も英語もすんなり覚える●ちゃんが、数に関することだけはなかなか習得しませんでした。

それで、つい本人を委縮させるほど、足し算やお金の読み方について問うことを繰り返してしまったのです。

 

虹色教室に通うようになって、●ちゃんの算数嫌いは徐々に解消していきましたが、

教えられたことを理解したり、記憶したりするのは得意だけれど、

自分で直観的に気付いたり、自分で考えたり、自分で推測したり工夫したりすることは

苦手な様子でした。

 

●ちゃんは与えられた課題をきちんとこなすまじめな子ですから

公立小学校の勉強につまずくことはないのですが、

小学校中学年頃から「私立中学を受験したい」と本人が希望し、おまけに志望校が女の子の行く学校としては

トップクラスの偏差値の学校だったため、

もう少し自分で思考を深めていく力が必要だと思われました。

 

そのため、ただ「できるようにさせる」のではなくて、どんな問題にも応用していけるような

課題の本質的な部分だけを教えて自分で答えを導きだすようにする時間を設けるようにしてきました。

 

解き方の公式を教えてもらって、短時間ですぐにできるようになりたい●ちゃんは

1年近く、考えようともせずに「わからない、わからない、教えて!」と言っては、それに抵抗していました。

しかし、ゆっくりですが確かな実力がついてきて、考えることを持続することができるように

なってきました。

 

高学年になった●ちゃんは、中学入試のために塾に通い始めました。(虹色教室は週1回、1時間ほど学習するだけですから)

すると、いきなりその塾で算数では誰にも負けないという好成績だったため、

友だちにも先生にも認められ、「私は算数が得意!」「算数が大好き!」と言うようになり、

意欲的に勉強に励むようになりました。

今、虹色教室には国語の入試問題を学ぶために通っているのですが、

いっしょに通っている○ちゃんがつまづいた算数の入試問題だけ、

●ちゃんもいっしょに考える時間を設けています。(○ちゃんも中学入試を考えている子です)


親子のボタンの掛け違い つづき

2016-04-12 07:33:02 | 子どもの個性と学習タイプ

前回の記事で紹介した2歳5ヶ月の★くんのお母さんにダメ出しをした

というお話を書きました。

といって誰が見ても何の問題もないようなお母さんです。

叱りすぎることもなく、甘すぎてしつけを忘れることもなく、子どもを拒絶しているわけでもなく

保護しすぎるわけでもありません。

でもどうしてわたしが気の毒なほどダメ出しをしたのかというと、

「その言葉かけはタイミングが悪すぎる」と感じるシーンが

頻繁にあったからなのです。

 

★くんはお腹が空きだすと、何を話しかけても聞く耳持たなくなる食いしん坊な一面がある

ようでしたが、他の場面では比較的、聞き分けがよくて物分りのいい子でもありました。

 

確かに同年代の子同士で力と力のぶつけあえば、

気迫だけで勝っちゃうような体格のがっちりした子です。

 

でも衝動性がそれほど激しくないので、大人が怪我のないように仲裁に入る隙が十分ありましたし、

気持ちを受け止めて、面白そうな提案をすると、「はいっ」といいお返事で

あきらめることもできていました。

 

そこで★くんのお母さんにどんなダメ出しをしたのかというと、

次のような子どもへの接し方の習慣についてです。

 

★くんのお母さんは、

★くんが機嫌よく落ち着いて遊んでいて、

聞き分けも物分りもいい時に限って、見守っていいようなささいなことにも口出しをして

後々、ダダをこねたり、乱暴をしたりする行為に発展しないように

くどくどと脅すように言い聞かせる癖がありました。

 

ところがいったん★くんが駄々をこねて

聞き分けがなくなったとたん、★くんがそれ以上大騒ぎしないように気を使ってか、

まるでご機嫌でもうかがうようように

接していました。

 

夫婦の会話では、相手が落ち着いて自分の話に耳を傾けてくれている

タイミングで、

「こんなことはしないでよ」「あんなこともしないでよ」

とまだ起こってもいない先の安全を確保するために

厳しく相手に釘をさしておくのも有効な場合がありますよね。

 

でも2歳児相手だと、

聞き分けがいい物分りがいい時に、グズグズと未来について脅されたら

大人の話を真剣に聞こうとしなくなるのが

オチなのです。

 

おりこうにしていると、

不快な接し方をされて、

かんしゃくを爆発させると機嫌を取るように大事に扱われる経験値が蓄積してくると、

当然のように聞き分けがいい物分りがいい態度が減って、

わがまま放題の暴君のような振る舞いを増やしていきます。

 

★くんのお母さんにすると「ちょっと勝ち気な2歳の男の子」というのは、

自分自身とはあまりにかけ離れた

異質な異邦人なのかもしれません。

そのため、★くんが穏やかに機嫌よく遊んでいる間にも、

以前、ダダをごねだしたり、友だちのおもちゃを取りあげたりした出来事がフラッシュバックしてきて、

「今日はちゃんとしてね」「今日はいい子のままでいてね」「ああいうことやこういうことはしないでね」と

念押ししておきたくなるのかもしれません。

そのように★くんのお母さんが、★くんがまだ何もしていない時に釘をさすように

あれこれ確認することが多いためか、

★くんは2歳児にすると素直すぎるほど「ハイッ」といい返事を返すことが

よくあります。

 

ただこうした念押しも回数が多いと、

「お母さんの言うことに何でもハイッと返事さえしておけばいいや」という態度が身について、

言葉に気持ちが伴わなくなってきます。

 

幼い子たちは、自分の目で見ているものや、身体で体験していることや、感情で味わっていることに

関して、大人に言葉を重ねてもらうことで、

自分の行動の仕方や世界の捉え方を調整していきます。

 

でも、まだ先を予測したり、起こっていないことをイメージしたり、言葉だけで

物事を理解する力は未発達ですから、

心配性のお母さんの過剰な言葉かけは、

幼い子に言葉を軽視させ、他人の話をきちんと聞こうとしない態度を育てます。

 

また★くんのお母さんは、★くんが取りあげていたおもちゃをお友だちに譲ることができたり、

悪さをしかけて、すんでのところで我慢できたような場面で、

いつまでもくどくどと、何がどう悪かったのか、次はどうすればいいのか

説明し続けていました。

 

これも繰り返しになりますが、もう出来事が終わって、体験は過去のものとなって、

高ぶっていた感情は薄れて、頭を次に切り替えて何かしようか……という時に

くどくどと目の前にない過去のことを説明されても、

よくわからない言葉の羅列がうるさくうっとうしいだけなのです。

2歳の子は現実のその瞬間、瞬間に生きていますから、

過去や未来のことを言葉でくどいほど説明されても

聞いていないだけでなく、次から聞かないでおこうという態度を

身につけがちなのです。

 

それなら、2歳児さんにどのようにしつけて

教えていけばいいのでしょう。