年中になると、年少の頃に比べて、
できることも思考力もグンと伸びる一方で、
「あれれ?こんなにしっかりしている子が?」と思う子が、
十分にこなせる簡単な課題を、「先生やって!」と頼る姿もよく見かけます。
年中児の子らにありがちな「先生やって!」は、甘えて言っているわけでも、
めんどくさがって言っているわけでもなく、
この時期特有の完璧主義に由来することが多いです。
はさみで切るならはみ出さないようまっすぐ切れるか、鉛筆で書くなら
お手本通りきれいに書くことができるかが気になって、「できない」「やって!」に
つながるのです。
できるけれど「先生、やって!」を連発する子と関わる時は、
「自分でしなさい」とつっぱねるのでも、
「やってあげるわ」と簡単に引き受けるのでもない
心の葛藤につきあいながら、関わり方を微調整しながら、
自分でやっていく作業を励ましていくことが大事です。
子どもが「やって!」という時、不器用さから「やって!」と言っているのか、
急に他者の目や自分自身で自分のしていることを評価するようになったため
不安にとらわれているのか、
手伝ってもらうことで、より大きな目標を成し遂げようとしているのか、など
「やって」の背後にあるものを理解してから、
対応するようにします。
年中頃の「やって」は、それまでできていたことについて
やってほしがるものなので、
ただ甘えたり、怠けたりしているようにも見えるので、
心を傷つけるような声かけをしてしまう親御さんもいます。
でも、それは完璧主義に陥ってできない状態にある子には、
一番よくない対応だと思っています。
その子なら十分できるということを、
「できない。お母さん、やって!」と言う時、
これが正解というひとつの対応があるわけではなくて、
「自分でできるよ、やってごらん」と、本人がしはじめるまで待つのがいい時も
あるし、少し進むごとに、
「上手にできているよ。」「大丈夫、よくできている」と励ましていくのが
いい時もあるし、大雑把な完璧とはいえない手本や、
大人が手間取りながらゆっくり作業する様子を見せるのがいい時もあります。
また、時には、「やって」という言葉をそのまま受け止めて、してあげるのがいい
場合だってあるでしょう。
「完璧にやりたい気持ち」と「できないかもしれない不安」の間で揺れる気持ちを
理解している限り、どう関わろうと、
さほど気にしなくていいのだと思います。
完璧にできないかもしれない不安から
「やって」と頼る子への対応というと、
どうしても、「子どもが自分でするように仕向けること」がゴールとして
設定されて、
見守る大人の気持ちは、どんな声かけをしたらいいのかというところの
向かいがちです。
でも、「やって!」への対応は、それを自分でやるかどうか
ということとは全然別のところにたくさん答えが広がっていると
感じています。
つい最近、年中のの女の子たちが、手作りのカートに貼る絵柄について、
「線がぐらぐらしてゆがんじゃうから切れない。先生して!」
「上手に切れないから先生切って!」と頼んできた出来事がありました。
その日、Aちゃんが、「ユースでお友だちが持っていたプリキュアの
コロコロがついたカバンが作りたい」と言い、他のふたりもそれに乗り、
スーツケースを作ることになりました。
それぞれが検索で出した画像から好きな絵を選んで印刷し、切り抜く運びになった
時、BちゃんとCちゃんが、「先生、やって!」と不安気な
声をあげたのです。
虹色教室に使っている部屋は、
もともと駐車場にしていたスペースをリフォームして作った部屋で、
外に面したところがガラス張りになっています。
そのため部屋の電気を消しても、ロールスクリーン越しに光が
差し込んで、部屋は明るいままです。
教室ではよく影絵遊びや光の実験をするのですが、
本格的に室内に暗闇を作る際には、外のシャッターを下ろすようにしています。
この日のレッスンでは、
子どもたちと「教室の中に宇宙を作ろう」と約束していたので
ライト類やセロファンなどを準備していたのですが、当日になって
子どもたちはスーツケース作りに熱中しはじめて、
「先生、後で、宇宙にしようね」
「先生、色水作って光らせるのしたいから、
プリキュアのやつ作ったらそれする」とわたしがシャッターを下ろす約束を
忘れないよう念押ししていました。
スーツケースを作り終えて、いざ、シャッターを下ろす段になって、
子どもたちが口々に、
「シャッターおろすのやらせて!」「わたしもしたい!」
「棒、かして、わたしも!!」と言いました。
金属の長い棒を高く掲げてシャッターの突起に引っ掛けて、引き下ろす作業は、
背の低い子どもには危険な作業です。
そこで、ひとりひとりに厳しく注意をうながした上で、
(事故を防ぐため、棒が顔に倒れないよう棒の横で支えています)
シャッターを下ろさせることになりました。
すると、どの子も、こちらの注意をていねいに聞き取って、
真剣な面持ちで重い金属の棒を扱う作業をやり遂げました。
最初から最後まで集中力をとぎらせず、一生懸命、
重い棒を扱う姿を見ながら、
少し前には、はさみでまっすぐ切るだけのことを
「やって!きれいにできないからやって!」と言っていたけれど、
実際、切りはじめたら、真剣な面持ちで、自分のしている作業を
逐一チェックしながらしていた姿が浮かびました。
また、懐中電灯に電池をセットする際も、
「先生、どちらの向きに入れたらいいの?これであっているの?」と
入れ方にも注意しながら作業していた様子が浮かびました。
できるのにすぐに「やって!」と頼るように、
大人の目には「悪いこと」と映る場面に遭遇した時、
即座にそれに対する対応だけに注意を向けるのではなく、
もう少し大きな視野でそれを眺め直してみると、
思っていたものとは真逆の肯定的な側面が
見えてくることはよくあります。
子どもの中で今、成長しようとしている新たな可能性の芽が、
まだ慣れない環境でバランスが悪い状態のまま顔をだしている、
そう感じます。
続きます。