虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

「先生、やって!」から、自ら進んで行動し、よく考える姿へ  前編

2019-04-03 21:03:16 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

年中になると、年少の頃に比べて、

できることも思考力もグンと伸びる一方で、

「あれれ?こんなにしっかりしている子が?」と思う子が、

十分にこなせる簡単な課題を、「先生やって!」と頼る姿もよく見かけます。

年中児の子らにありがちな「先生やって!」は、甘えて言っているわけでも、

めんどくさがって言っているわけでもなく、

この時期特有の完璧主義に由来することが多いです。

はさみで切るならはみ出さないようまっすぐ切れるか、鉛筆で書くなら

お手本通りきれいに書くことができるかが気になって、「できない」「やって!」に

つながるのです。

 

できるけれど「先生、やって!」を連発する子と関わる時は、

「自分でしなさい」とつっぱねるのでも、

「やってあげるわ」と簡単に引き受けるのでもない

心の葛藤につきあいながら、関わり方を微調整しながら、

自分でやっていく作業を励ましていくことが大事です。

子どもが「やって!」という時、不器用さから「やって!」と言っているのか、

急に他者の目や自分自身で自分のしていることを評価するようになったため

不安にとらわれているのか、

手伝ってもらうことで、より大きな目標を成し遂げようとしているのか、など

「やって」の背後にあるものを理解してから、

対応するようにします。

年中頃の「やって」は、それまでできていたことについて

やってほしがるものなので、

ただ甘えたり、怠けたりしているようにも見えるので、

心を傷つけるような声かけをしてしまう親御さんもいます。

でも、それは完璧主義に陥ってできない状態にある子には、

一番よくない対応だと思っています。

その子なら十分できるということを、

「できない。お母さん、やって!」と言う時、

これが正解というひとつの対応があるわけではなくて、

「自分でできるよ、やってごらん」と、本人がしはじめるまで待つのがいい時も

あるし、少し進むごとに、

「上手にできているよ。」「大丈夫、よくできている」と励ましていくのが

いい時もあるし、大雑把な完璧とはいえない手本や、

大人が手間取りながらゆっくり作業する様子を見せるのがいい時もあります。

また、時には、「やって」という言葉をそのまま受け止めて、してあげるのがいい

場合だってあるでしょう。

「完璧にやりたい気持ち」と「できないかもしれない不安」の間で揺れる気持ちを

理解している限り、どう関わろうと、

さほど気にしなくていいのだと思います。

 

完璧にできないかもしれない不安から

「やって」と頼る子への対応というと、

どうしても、「子どもが自分でするように仕向けること」がゴールとして

設定されて、

見守る大人の気持ちは、どんな声かけをしたらいいのかというところの

向かいがちです。

 

でも、「やって!」への対応は、それを自分でやるかどうか

ということとは全然別のところにたくさん答えが広がっている

感じています。

 

つい最近、年中のの女の子たちが、手作りのカートに貼る絵柄について、

「線がぐらぐらしてゆがんじゃうから切れない。先生して!」

「上手に切れないから先生切って!」と頼んできた出来事がありました。

その日、Aちゃんが、「ユースでお友だちが持っていたプリキュアの

コロコロがついたカバンが作りたい」と言い、他のふたりもそれに乗り、

スーツケースを作ることになりました。

それぞれが検索で出した画像から好きな絵を選んで印刷し、切り抜く運びになった

時、BちゃんとCちゃんが、「先生、やって!」と不安気な

声をあげたのです。

 

 

虹色教室に使っている部屋は、

もともと駐車場にしていたスペースをリフォームして作った部屋で、

外に面したところがガラス張りになっています。

そのため部屋の電気を消しても、ロールスクリーン越しに光が

差し込んで、部屋は明るいままです。

 

教室ではよく影絵遊びや光の実験をするのですが、

本格的に室内に暗闇を作る際には、外のシャッターを下ろすようにしています。

 

この日のレッスンでは、

子どもたちと「教室の中に宇宙を作ろう」と約束していたので

ライト類やセロファンなどを準備していたのですが、当日になって

子どもたちはスーツケース作りに熱中しはじめて、

「先生、後で、宇宙にしようね」

「先生、色水作って光らせるのしたいから、

プリキュアのやつ作ったらそれする」とわたしがシャッターを下ろす約束を

忘れないよう念押ししていました。

 

スーツケースを作り終えて、いざ、シャッターを下ろす段になって、

子どもたちが口々に、

「シャッターおろすのやらせて!」「わたしもしたい!」

「棒、かして、わたしも!!」と言いました。

 

金属の長い棒を高く掲げてシャッターの突起に引っ掛けて、引き下ろす作業は、

背の低い子どもには危険な作業です。

そこで、ひとりひとりに厳しく注意をうながした上で、

(事故を防ぐため、棒が顔に倒れないよう棒の横で支えています)

シャッターを下ろさせることになりました。

すると、どの子も、こちらの注意をていねいに聞き取って、

真剣な面持ちで重い金属の棒を扱う作業をやり遂げました。

 

最初から最後まで集中力をとぎらせず、一生懸命、

重い棒を扱う姿を見ながら、

少し前には、はさみでまっすぐ切るだけのことを

「やって!きれいにできないからやって!」と言っていたけれど、

実際、切りはじめたら、真剣な面持ちで、自分のしている作業を

逐一チェックしながらしていた姿が浮かびました。

 

また、懐中電灯に電池をセットする際も、

「先生、どちらの向きに入れたらいいの?これであっているの?」と

入れ方にも注意しながら作業していた様子が浮かびました。

 

できるのにすぐに「やって!」と頼るように、

大人の目には「悪いこと」と映る場面に遭遇した時、

即座にそれに対する対応だけに注意を向けるのではなく、

もう少し大きな視野でそれを眺め直してみると、

思っていたものとは真逆の肯定的な側面

見えてくることはよくあります。

 

子どもの中で今、成長しようとしている新たな可能性の芽が、

まだ慣れない環境でバランスが悪い状態のまま顔をだしている、

そう感じます。

 

続きます。

 


いろいろ体験したがるけれど、「ああ、楽しかった」で終わってしまう 後編

2019-03-30 09:09:46 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

前回、記事中で書いたCちゃんのようなタイプでなくても

アウトプットに時間差があるという子はけっこういます。

 

わたしはそうしたインプットとアウトプットの個性的なずれをよく理解することが、

子どもの意欲や能力を高めるコツかな、と感じています。

 

子どもによったら、学習の場面でそういうところが強く出やすい子というのがいます。

勉強でつまずくと、もうどう教えても、何を言っても、

頑として受け入れられなくなる子がいるのです。

その姿は、ひどく物わかりが悪いように見えます。

でも、半日経ったり、1週間過ぎたりしたころ、

再び同じ問題をすると、すんなりできてみたり、教えたことを

難なく理解したりするのです。

そうした子は、「今、みんなといっしょにやっている場でできなきゃいけない」とか

「最初に習った時に理解しないとダメ」といったその場に漂っている空気

で傷つけて、自信ややる気をそがないことが

重要かなと思っています。

 

インプットからアウトプットまでにこれくらいの時間差がある子として

尊重してあげて、できないで焦っている時に、

「今すぐわからなくても大丈夫。

いつも、わからないと思ってから、これくらい

時間が経つと、なんだ簡単だ、とすんなりできるようになっているでしょ。

あなたは賢い子よ。自分でちゃんと答えにたどりつくよ。

自分の頭の使い方を大事にしなくちゃならないよ」

と励ますようにしています。

 

大人は自分のものさしを使って子どもの活動を

比べる目、評価する目で眺めがちですが、

すごくレベルが低いことをしているように見えても、

何もしていないように見えても、

それはインプットとアウトプットが同時進行で起こると

思っているから、そう見えるだけ、という場合がほとんどです。

 

 

上の写真は3年生のDちゃんが作っていたカフェのドリンクです。

このDちゃんは、インプットとアウトプットが大きくずれるような子ではないけれど、

アウトプットするものの質が、外からの目ですぐわかるような価値でないため、

<いろいろ体験したがるけれど、「ああ、楽しかった」で終わってしまう子>として

見られる面があります。

実際にはかなり能力が高いはずの子なのに、「長い時間、かけて、これを作ってただけ?」

「かなり安易にやりたいことを決めてるんじゃないかな?」という印象を周囲に与えやすいのです。

 

でも、このDちゃんという子とていねいにつきあっていると、

それは大きな間違いであることがわかります。

 

インプットとアウトプットが大きくずれるような子ではないけれど、

アウトプットするものの質が、外からの目ですぐわかるような価値でないため、

<いろいろ体験したがるけれど、「ああ、楽しかった」で終わってしまう子>として

見られる面があるDちゃんという子について取り上げています。

 

「アウトプットするものの質が、外からの目ですぐわかるような価値でない」

という子は、とても多いのではないかな、と思います。

親が何に価値を置くか、環境が何を評価するかとも大きくかかわってきます。

みなでお泊りする場に行くと、作った後で、

店開きして遊べるカフェ用の食べ物や飲み物作りというのは、

魅力的な工作です。

でも、同じようにせっせケーキやジュースを作っていても、

子どもによって作るものや作り方は異なります。

ひたすらデコレーションに励んで、おいしそうで見栄えのいいケーキや飲み物を作る子もいれば、

2段ベッド同士を食べ物が移動するレーンにする仕掛けに走る子もいれば、

展開図を描いて、三角柱や円柱のケーキを作る子もいます。ちらしや看板作りに忙しい子もいます。

かじった後の凹んだ形がどのようになるのか、そこに着目する子もいます。モーターを使って

わたがしマシーンなどを作る子もいます。

集団で自由に工作をする場は、そうしたさまざまなアイデアや可能性を

目で見て取り込む機会でもあります。

 

Dちゃんは最初、ガチャガチャの半球に穴を開けて、ストローを通して、

ふたつきのドリンクを作りたがっていました。

が、この半球はけっこう硬くて、熱で溶かすのでなければ、おそらく穴を開ける時点で

ひび割れるだろうと思われました。

それで、穴を開ける方法についてあれこれ相談した結果、穴そのものは開けず、

上からと下から、それぞれ別のストローを接着して作るのがいいのではないか、

という「ちょっとめんどくさい展開」になりました。

「誰もやったことがない未知のことである」と「ちょっとめんどくさい展開」になると、

たいていの子はあきらめるか、もっと安易はやり方(ふたをなくす)などに

流れます。

でも、このDちゃんは、必ずといっていいほど、

そうした困難さや難しさが伴う課題を選びます。

教室では、透明のフィルムを動かして見るのぞき眼鏡とか、複雑なポップアップ絵本の仕組みなどに

チャレンジしていました。

 

そうした課題も、実際やってみたら、簡単だったということもたまにあります。

でもたいてい、途中でどうやってもうまくいかず、長い間試行錯誤して

あまりパッとしない結果につながるんです。

エネルギーのほとんどが、きれいに仕上げることではなく、

はじめてだからうまくいかなくて、失敗してやりなおしたり、

どうやったらいいか考えたりする時間に費やされますから。


このDちゃんという子の魅力は、作業をメタな視点で眺めて、統合したり発展したり

する考え方につながるところで、

できあがったものが何かということより、

気づいたことは何かというところに価値があります。

 

たとえば、コップの周りにレースのリボンを貼り付けるとしたら、

長さはどれくらいか、どうやったら求まるかといったことに、

体験すれば関心が高まり、少し教えれば理解して納得します。

自分自身で、さまざまなことに気づきもします。

 

そうした活動を通して、頭の中の世界を変化させていく子たちは、

見えている世界ではそれほど目立つことをしない場合も多いです。

ひとりひとりの子の個性にていねいに接する大切さを思います。

 

 


いろいろ体験したがるけれど、「ああ、楽しかった」で終わってしまう 前編

2019-03-30 09:07:45 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

ユースホステルの2~3年生の女の子たちのレッスンに行ってきました。

部屋でカフェを開くそうで、ケーキやドリンクをせっせと作っていました。

このところの3年生のAちゃんのケーキ作りのブームは、三角柱を展開図から作ることです。

平面が立体に変化するのは、何度体験しても不思議で面白いです。

2年生のBちゃんのすいか作り。

がぶっと食べたら、変化するところを作っていました。

光る風船を持ってきてくれた子がいるので、カフェは夜間営業をしていました。

 

 親御さんたちの勉強会で、子どもたちの姿について

こんなご相談をいただきました。

「工場見学に行ってみる?」「科学館に行ってみる?」などと誘うと、「行きたい!行きたい!」と

何にでも興味を示し、お出かけを楽しむ小学2年生のCちゃん。

でも、どこに出かけても、「ああ、楽しかった」で終わり、そこから何か得たようでもなく、

興味が広がったり深まったりするようにも見えない、というお話でした。

Cちゃんは利発で穏やかな気質の子です。

何でもそつなく器用にこなし、強い自己主張やこだわりはいっさいありません。

聞き分けが良く柔軟なので、周囲の声に合わせているだけに見えることもあり、

集団の場ではニコニコ笑顔を振りまく様子が目にとまるだけで、これといって目立たないこともあります。

Cちゃんのお母さんは、どこかに連れていくからといって、

そこで何か覚えてほしい、能力をアップさせてほしい、見たものに強い関心を寄せてほしいと思っているわけでなく、

ただ、「これでいいのかしら?」と何となくもやもやするのだと思います。

確かに、ユースに着いてすぐの工作の時間にしても、算数の学習時間しても、夕食までの

子どもたち主体の活動時間にしても、Cちゃんはみんなの輪に溶け込んでいて、終始明るく控えめにしていて、

これという目の引くものを作る姿もなかったし、「わかった、こうでしょ!」と意気揚々と

発言する姿もありませんでした。それは教室でのグループレッスンでもよく見るCちゃんの姿です。

でも、だからといってCちゃんの活動への関心が薄いわけでもないし、

その時間から取り立てて得るものがなかったとか、アウトプットがなかったというわけではないのです。

 

内向型の子に多いのですが、アウトプットの出方にかなり時間差があり、

アウトプットされたものは、

その子というフィルターを通って収束されているという特徴がある子たち

けっこういるのです。

 

内向型の子に多いのですが、アウトプットの出方にかなり時間差があり、

アウトプットされたものは、

その子というフィルターを通って収束されているという特徴がある子たち

けっこういるのです、と書きました。

 

みなといっしょに体験している時、これはいいけどあれはいや、と自分で取捨選択するのではなく、

何でもウェルカムという姿勢のせいで、何に対しても強い関心を抱いていないかのように見えたり、

その場で楽しく過ごしているだけのようにも見えたりする子がいるんです。

そうして、興味が拡散していく間、拡散思考をどんどん広げいく一方で、

ずいぶん時間が経って、ひとりになった時、「〇〇したい!」と急に思いついて

何か始めるというタイプです。

その「〇〇したい!」は、明らかに、何となくすごしていた時に見聞きしたものの

影響を受けているだけれど、そこで見聞きしたものをそのまま模倣するようなものでなく、

「その子」というフィルターを通って、体験がまるで結晶したような印象を受けます。

 

晩の算数のレッスンの後で、Cちゃんが急に思いついたように

「ストローを使っていろいろな形を作る本ありますか?」とたずねに来ました。

日中、わたしがお母さん方と見ていた本をそっと気にかけていたようです。

そして、ひとりでせっせとモールとストローをつないで、

正八面体の骨組みを作っていました。

 

 

そういえば、この日の工作タイムに、3年生のAちゃんは、紙に三角柱の展開図を描いて、ケーキを作っていましたし、

そして、2年生のBちゃんは

すいかをかじった時の実の部分の形、つまり球の表面にあたる形を作ろうと苦戦していましたし、

夕食前にはせっせとフェルトの綿に楊枝で刺して、球を作ってましたから、

Cちゃんとしても形の面白さに心が動いていたようなのです。

でも、Cちゃんが、目にするものに興味を抱き、自分の中に取り込んで、

「こんなことがしたい!」と感じるまで、

こんな風にかなりの時間のずれがあるのです。

 

それと、Cちゃんはいざアウトプットするという段になると、

いつも体験をちょっとメタな視点から眺めたようなものになりがちだな、と感じ

ました。

たとえば、Cちゃんは、さまざまな頭脳パズルが好きなんですが、

Cちゃんが一番うれしそうにしている時というのは、

「解けた!」という瞬間より、

自分なりにその頭脳パズルの背後にある規則に気づいて、それを

言葉にしている時なんです。

正解したとか、たくさん問題が解けたとか、1番になった、勝った、ということは、

Cちゃんにとっては二の次であるようです。


問題を解くのが上手な子 問いを作るのが上手な子

2019-03-16 09:07:07 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

同じサイズの2匹の恐竜。

向かいあわせてライトを当てると2ひきの恐竜の影。

そこで、子どもたちに問題。

 

2匹の恐竜をひっつけないで、とっくみあいをさせるにはどうすればいいでしょう?

 

ライトを左右に動かしたり、ライトを当てる角度を変えたりしても、

恐竜の影はずっと離れたまま。とっくみあいが起こるはずがありません。

 

でも上の写真のように恐竜をずらしておくと、不思議なことが起こります。

ライトを斜めから当てると、離れていた恐竜がとっくみあいを始めるのです。

 

同じような方法で、人形たちにマラソンやおいかけっこをさせるのも面白いです。

 

恐竜のとっくみあいの問題は、子どもたちと影絵遊びをしていた時、

偶然、発見したものです。

 

教室に幼い頃から通ってくれているAちゃんという小学生の女の子がいます。

この子はとても利発な子で、日常に転がっている様々な問題についても、

テストや問題集で出される問題についても、問われていることを正確に把握して、

筋道を立ててていねいに考えていき、正しい答えに行きつきます。

 

Aちゃんには、3つ違いのBちゃんという妹がいます。

Bちゃんも、幼い頃から教室の生徒です。

Bちゃんも、お姉ちゃんと同じように利発な子ですが、

興味の対象や物の考え方、活動への取り組み方などはAちゃんとずいぶん異なります。

Bちゃんは問題を解くよりも実験をするのが好きで、

じっくり何か考えていると思ったら、「~はどうしてなの?」

「~はなぜなの?」と自分の中でよく練られた疑問を口にするのです。

 

教室で、今回の

「2ひきの恐竜にとっくみあいをさせるには どうすればいいでしょう?」といった

問題を思いつくのは、教室のBちゃんタイプの子たちです。

 

お姉ちゃんのAちゃんの「答え」にたどりつくのが得意なところは、

文句なしにすばらしいことです。

でも、妹のBちゃんの「問い」を生み出すのが上手なところも、とっても魅力的だ、

と感じています。

 

青と赤の恐竜の影。


虹色教室の卒業生

2019-02-21 19:41:43 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

このところ、大きくなった卒業生たちに会ったり、卒業生の現在の活躍を聞く機会が何度か

ありました。

どの子も魅力的でしっかりした子に成長していてうれしい限り。

今日は7年前に東京に引っ越ししたAくんのお母さんと弟くんが教室に来てくれていました。

写真は小4の弟くんが折った折り紙作品です。

 

Aくんとは3歳からの付き合いで、7歳になるまで、いっしょに工作したり実験したり

算数の学習をしたりした思い出がたくさんあります。

今現在は中学2年生で、哲学から史学からありとあらゆる本をむさぼるように読んでいて、

地理オリンピックに出場したり、独学でラテン語を学んだり

しているそうです。

「Aくんの個性や才能をつぶしたくないし、

ゆっくり自分の時間をすごさせてあげたい」という親御さんの考えで、

習い事や塾にはほとんど通っていないそうですが、

学校の成績も優秀で、自分から意欲的に学習に取り組んでいるそうです。

(東京に引っ越してからは、値段の安い科学館や博物館、美術館などのフリーパスを

購入して、毎日のように通い詰めていたそうです。)

 

今日は、弟君と電子工作をしたり、ゲームをしたりして

たっぷり遊びました。

弟くんも素直で純粋で、学ぶことが大好きな子に成長していました。

Aくんが大好きだった『ニューマスターマインド』のゲームを弟くんとしました。

弟君もとても楽しんでいましたが、ビー玉を転がすパズルや

レーザー光線の通路を考えるパズルのように手を使って試行錯誤する問題の

方が好きなようでした。

 自分の中からあふれ出してくるような意欲や知的な好奇心というものは

自分の中にあるものがゆっくりゆっくり育っていくプロセスを大事にしてもらった経験の

上に築かれるということを、成長した子どもたちに会うたびに感じます。

 


遊び方から見えてくる子どもの資質、才能、学び方、伸ばし方 続き

2019-02-15 20:58:51 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

女の子たちは積み木を使って遊んでいました。

ひとりの子が作っていたのはお家。

家の間取り図のようにそれぞれの部屋の囲いを作って、ベッドやタンスを置いていきます。

あっという間にいくつも部屋を作り、迷う様子もなくそれぞれの部屋に合った家具を作っていた姿から、

次に何をするかイメージしたり、すばやく決断をくだしていくのが上手な子だと

思われました。

積み木では表現しにくいドアなどは、プレートのおもちゃを活用していました。

 

こうしたきびきびしたタイプの子には子ども部屋の改装を計画させるとか、

パーティーの企画をさせるとか、

休日の料理係に任命するとか、

現実の生活で自分で計画から実行まで全てを任せみて、

大人がサポート役に徹すると、

いきいきしてくるのかもしれないと感じました。

 

別の女の子は積み木を高く積み上げる形でお家を作っていました。

安定の悪い板状の積み木で作ろうとするので

何度も何度も崩れます。

でも何度失敗してもくじけずに

熱心に取り組んでいました。

崩れてしまうために大人の目から見て

評価できるような作品は残らないものの

そのねばり強さは、それだけで価値があるすばらしいものに感じられました。

この子は別の時間にビー玉転がしのおもちゃを組み立てていた際も

お友だちが自分の主張を聞き入れてくれなくて

お手伝いにまわる時間が長引いても、「こうしたい!」という最初の目標を投げださずに

最後まで熱心さを持続していました。

勉強の時間も、何度間違えてもくじけずに

積極的に参加していました。

時期尚早に、「正誤」や「点数」や「評価」でこうしたタイプの子の心を傷つけて、

よい資質をつぶしてしまわないように

気をつけないといけない、と思いました。

地味な作業にも長時間、熱意を失わずに挑戦し続けることができる力は、

いずれ頭脳パズルを解いたり、難しい算数の問題を考えたりすることにも役立つように

なるかもしれません。

あるがままの姿を認めていけば、

どんなに時間がかかっても、後は自分の力で目標を達成していくのでしょうね。

 

 ↑レッスンのために無償で貸していただいていた幼稚園のお部屋です。

園長先生が長年、科学者として第一線でお仕事しておられた方なので、

園内のあちこちに科学にまつわるクラフトが飾られています。

 

↑園庭も緑に覆われていて素敵です。あちらには蚊がいないのがありがたいです。

 

 

同じおもちゃで遊んでいても、子どもの遊び方は千差万別で、

遊び方を見ると、その子の資質や才能や学び方や能力の伸ばし方などが

見えてくる、という話の続きです。

 

写真の切り込みのあるプレートのおもちゃ。

こうした創作活動をうながすおもちゃで遊んでいる子を見ると、

大人はつい仕上がった作品の優劣にばかり目がいきがちです。

 

でもそれはあまりにも偏狭な見方のように思われます。

作品の出来不出来だけでは

子どもの本当の姿も才能も見えてきませんから。

 

たとえば、仕上がりとしては見栄えの悪いパッしないものを作っている子が、

いたとしますよね。手先が不器用なのか、やる気がないのか、

それ自体を評価する目で眺めるといい印象は受けないかもしれません。

 

でもそうした子に作品についての話を聞くと、

板にしか見えない面には、宇宙からの電波を受信して放映する液晶パネルが埋め込んであることになっていて、

その下にある空洞には朝と夜に別の機能で活用されるスペースであって、多くの専門家がそれぞれの持ち場で

仕事にいそしんでいるのだ、といきいきとした表情で説明してくれるようなことは

よくあるのです。

 

想像力の豊かさ、語彙の豊富さ、表現力といったものが、その子の資質なのでしょう。

子どものそうした資質に気づくには、子どものしていることに興味を抱いて、

子どもの話に耳を傾けるのが一番です。

 

 

 

物事をイメージする力にはいろんな種類がありますよね。

同じおもちゃで遊んでいても、イメージする能力の現れ方はさまざまです。

 

ひとりの子は空間認識能力が優れていると思われる子で、配色やバランスに気を配りながら、

見た目に美しい作品を作っていました。

どの部分が何で、どのように使いたいか、細かいところまで考えていました。

形をイメージするのが得意なんですね。

先に紹介したドールハウスに置く家具を次々イメージして作っていく子も

形をイメージすることと、自分の身のまわりに何があるのか具体的に思い浮かべることができるのでしょうし、

可動式の機械を作っていた子は、目的に合わせて何が必要なのかや動きをイメージするのが

上手なのでしょう。

 

レッスンに参加していた別の子(わたしがシアトルで滞在させていただいていたお家のお子さんでもあるのですが)は、

他の子らに働きかけて、ひとりでは作れないような大掛かりなものを作ろうとしたり、

映画のシナリオのように作ったものを使ってストーリー性のある遊びを展開しようとしていました。

とにかくエネルギッシュな子で、『小さなスピルバーグ監督』といった様子。

次々やってみたいことのアイデアが閃く回数も多ければ、それを実行に移すパワーもただものではなくて、

自分の思っていることを表現する能力もたいしたものでした。

 

でもそれだけに相手の子が乗り気でなくても、いっしょに大作を作るよう誘ったり、

休憩時間や終了時間がきてもパワフルに新しいことをやりたがって

周囲とは衝突が絶えませんでした。

そのため、どうしても大人たちから注意や叱責を受ける場面が多くなっていたのです。

 

でも、そうした注意や叱責が、この子の貪欲なほどに可能性を追求したり、

他の子らと協力しあって大きなことを成し遂げようとしたり、

多角的に多面的に考え、そうした考えを説得力のある言葉で周囲に伝えていこうとする態度自体を

弱めるようなことがあってはいけないな、とも感じていました。

 

今、その子の置かれた立場では、問題と映ることも、

他の子にはないすばらしい資質のあらわれでもあるからです。

行き過ぎや、他人への配慮は教えていかなければならないけれど、

同時に、凸凹も含めてその子らしさを認めて、大切にしてあげたいな、と思いました。

 


遊び方から見えてくる子どもの資質、才能、学び方、伸ばし方

2019-02-15 16:38:06 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

 

この夏、アメリカのシアトルで、私立幼稚園の教室をお借りして

工作と算数のレッスンをしました。

前回、アメリカでのレッスンに参加していただいた方の要望もあって、

今回は午前と午後それぞれ1クラス親子5組までの少人数で、ひとりひとりの子の個性にていねいにフォーカスする形で

レッスンをすることにしました。

 

(シアトルの私立小学校のバイリンガルクラスの先生からレッスンを依頼していただいていたものの、

スケジュールが合わずお断りすることになったのですが、

今回、来てもらった子の中にその学校の生徒さんがいてびっくりしました。)

 

同じおもちゃで遊んでいても、子どもの遊び方は千差万別です。

遊び方を見ると、その子の資質や才能や学び方や能力の伸ばし方などが

見えてきます。

 

それではわたしが遊び方のどのような点に注目して、気づいたことをどのように発展させているのか、

シアトルでのレッスン風景から具体的に説明させていただきますね。

 

レッスン中、組みあわせて遊ぶプレートと積み木、紙や空き箱で遊ぶ時間を設けました。

その場にいた6人の子どもたちは、

関心の向ける方向からアイデアの取り入れ方や広げ方、友だちとの協力の仕方、

問題の解決の仕方、集中の移り変わり、素材の活かし方、イメージの扱い方、どんなことに粘り強くあれるか、など

どれをとっても一人として同じ子はいませんでした。

 

たとえば、写真にあるプレートは、切り込み同士を差し込んで作品を作っていくおもちゃなのですが、

ひとりの男の子は、わざわざ切り込みのない面にプレートを差していました。

この子は他の子らが切り込みと切り込みを合わせてものを作る様子を

じっくり眺めていたので、このプレートの基本の扱い方については十分承知していたようでした。

眺めていた分、他の子らより出遅れていたのですが、

作りはじめたものは、他の誰の発想からもかけ離れたもので、おそらくこのプレートのおもちゃの

従来の遊び方を超えたものでした。

 

何を作っているのかたずねると、「こうして後ろに倒したり、前に倒したりして、ミサイルを打つんだよ」

と答えてから、

可動式にするために工夫したことを説明しはじめました。

見ると、別の作品も、見た目は地味だけれど、動く過程をイメージしながら

作られていました。

作品についてさまざまな質問を投げかけると、

どんな理由で、どのような目的で作ったのか

くわしく的確に答えることができていたことから、できあがり作品はいたってシンプルだけれど

この子が非常によく考えながら作っているのが

わかりました。

 

この子は算数の文章題を学ぶ時間も、他の子の答える様子を黙って眺めていましたが、

自分の番になると、他の子の答えに引きずられず、

他の子らの試行錯誤の結果から、自分の考えをじっくり練っていって

正しい答えを導きだしていました。

 

子どもがぼんやりと他の子の様子を眺めたまま

なかなか作業に入ろうとしないとやきもきしてしまいますよね。

 

でもそうした観察する時間が長い子のなかには、

頭の中で試行錯誤を繰り返したり、

よりよいアイデアを探求したりしている子もいるのです。

 

子どもの個性はそれぞれ面白いですね。

 


だんだんややこしくなっていく子、どんどん成長していく子 1

2019-02-14 21:11:14 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

このところずっと、保育士おとーちゃんの子育て日記というブログを読ませていただいています。

現在の家庭の育児の危うさ、保育の危機、虐待について、子どもの人格形成のこと、

早期教育の問題点、日本の子育て文化の落とし穴について……

どれも日々実感していることばかりで深く共感しながら読ませていただきました。

 

特に次の一連の記事は、虹色教室でも常々、頭を悩ませている点で、

(それを解消するために親子同室のベビー~2、3歳児用のグループレッスンを始めた経緯があるほどです)

ぜひ、多くの方に読んでいただきたいと思いました。

 

現代の子育ての落とし穴 「いい子・できる子」

現代の子育ての落とし穴 「いい子・できる子」 2 「抑圧ポイント」

現代の子育ての落とし穴 「いい子・できる子」 3 「抑圧された子」

現代の子育ての落とし穴 「いい子・できる子」 4

現代の子育ての落とし穴 「いい子・できる子」 5 「認可園と認証保育所」

 

今回、わたしが書こうとしている記事は、この「いい子・できる子」という話題とは

ちょっと異なるのですが、

重なる部分も大いにあります。

 

前にも一度記事にしたことがあるのですが、虹色教室にもごくごくたまに

「だんだんややこしくなっていく子」というのがいます。

後の大多数は、「どんどん成長していく子」で、少数ですが

その中間の「ややこしくはならないけれど、あまり成長が見られない子」というのもいます。

 

子どもとたくさん接しているうちについた勘なのか、親御さんの子どもとの関わり方を見ていると、

その先、どれに行きつくのか、特に「これはだんだんややこしくなっていきそう」

というケースは即座にピンとくるようなところがあります。

 

子どもの障害のあるなし、その重い低い、

問題行動の多い少ない、知力の高低に関わらないのが不思議です。

 

子どもがある時点でさまざまな発達上の遅れを抱えていても、

それが非常に深刻なものだったとしても、

親御さんの関わり方を見ていると、「ああ、この子は大丈夫」と

感じることは多々あって、実際、半年なり1年すると

みちがえるように成長していくのを実感しています。

 

でも、「あんまりダメ出しばかりしていると、混乱したり、子育てを続けていくエネルギーが

枯れてきたりしそうだから、言うに言えないけれど、

このままいったらややこしい子に育っていきそう」

とヒヤヒヤしながら見守っている方の場合、

子ども自身はハンディーキャップもないし、知力もしっかりしているという子であっても、

十中八九、すごく扱いにくい子になったり、学習面で伸び悩んだり、社会性の面で幼さが目立つようになったり

していくのです。

 

それなら、その「ややこしい子になりそう」という勘は

何を根拠にどんな基準のもとで

「大丈夫」「危なっかしい」と判別しているのかというと、

それが世間一般の常識的な子育ての良し悪しの判断とはかなりずれている

わたし独自の感じ方であって、上手く言葉にできるか自信がありません。

 

それでも、保育士おとーちゃんさんの言葉を借りなどしながら、何とか説明していこうと思います。

 

幼稚園や保育所、小学校などには「虐待寸前」「子どもをどなったり、叩いたりしてしまう」

「子どもがかわいく思えない」「早期教育に走って子どもを競争に追い立てている」といった

誰の目から見ても

子どもの育て方に危なっかしさを感じさせる親御さんというのも一定数存在していることと思います。

 

でも虹色教室にいらっしゃる方というのは、そんな無茶な子育てをしている方というのはまずいらっしゃらなくて、

問題があると言ったって、せいぜいちょっと甘やかしすぎるか、ちょっと干渉しすぎるか、ちょっと心配しすぎるか、

ちょっと放任しすぎるか、ちょっと期待をかけすぎちゃうか、といった程度のものです。

 

それもたいていは、月に1度とか2ヶ月に1度でも教室に通っていただくうちに

良い具合に接し方の加減をマスターして、

「親子共々成長していってるな~ついでにわたしもそれに便乗して成長させていただいたな」と思っているうちに、

子どもの目を見張るような成長ぶりや個性のすばらしさの発露に

親御さんもわたしも感激し、

子どもは自信に満ちてくるという流れを何度も繰り返し体験してきました。

 

そうした親御さんと、

「だんだんややこしくなっていく子」や

「ややこしくはならないけれど、あまり成長が見られない子」の親御さんに

大差はありません。

 

非常に言語化しにくい事柄で誤解を承知で書くならば、

子どもの成長の足を引っ張りぎみな親御さんというのは、

 

「子育てには興味があるけれど、その子自身にはあまり関心がないようだなぁ」

 

と見えるのです。

子育てブログや幼児教育ブログの文面から

それを感じ取ることもよくあります。

 

「見たところ、子どもに過剰なほど関心があるようでいて、その子が大好きなもの、

その子を笑顔にして夢中にさせるものは

必ず軽く扱うなぁ、幼稚っぽいもの、くだらないものという判断をくだすなぁ」と感じるのです。

 

それこそ、しょっちゅうギューツと抱きしめたり、

子どもの喜ぶ場所にあちこち連れて行ったり、

外遊びをさせたり、子どもをのびのびと育む園を選んだり、より良いおもちゃや服を買いそろえたり

している方なのに、

「この方は子育てには興味はあるし、すばらしい子育てをしようとしているけれど、

その子自身には、その子の内面には少しも興味がないんだな」と感じることがあるのです。

 

案外、「わたしは良い親になれない。叱りすぎてしまう」など悩みつつ子育てしている方には

それほど問題はなくて、

「良い親」と周囲から認められるバリエーションを全てこなして

自他共に良い親をしているとがんばっている方が

わたしの目からすると、その方の子どもに全く関心がないように感じられることって大いにあるのです。

 

子育てが上手くいかないと悩んでいる方の

上手くいかないと感じておられる原因はだいたい次の3つのどれかに当てはまるのではないかと思っています。

 

①親の子育て態度が、子どもに対して強圧的で支配的に振舞っているか、

子どもの言いなりになって振り回され気味になっているか、

そのどちらかに大きくぶれている。

保育士おとーちゃんの子育て日記 では 

相談 「弱い大人」と「強い大人」

という記事で説明されています。

 

②子どもに発達障害や感覚統合の問題などがあるのに気付いていないか、それから目を逸らしている。

障害については理解し受け止めているけれど、障害名に踊らされて、

わが子自身が見えにくくなっている。

 

③子育てや子どもの教育に強い関心がある一方で、わが子そのものに関心が薄い。

世間的により良いとされるものや

自分好みの子育てがしたくて、

わが子の喜びや好みに注意がいかない。自分の子を笑顔にするものに興味がない。

自分が喜んでもらいたい、わが子に好きになってもらいたいと期待するもののものにだけ、わが子の喜びや

興味を感知して、それ以外は無意識にスルーしている。

 

それでも、他の人がいる場では、子どもの喜びが自分の喜びであるような感情表現をしているため、

自分自身さえ自分の子に関心がないことに気づいていない。

 

 

次回に続きます。


拡充学習と教室の活動のまとめ

2019-02-11 19:10:27 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

レンズーリは、子どもの潜在能力を伸ばすために「拡充の三つ組モデル」と呼ばれる

組織化のモデルを用いています。

 

<拡充の三つ組モデル>

 

タイプ1 一般的探索の活動


全生徒が対象。一般的探索の活動からなり、普通カリキュラムではあまり取り上げられないような、

新しくておもしろいトピックや考え方、学問分野に子どもが触れられるように計画されている。

その活動は、さまざまな種類やレベルの継続学習への「招待」だと子どもが自覚している。

多様な種類の継続学習のために、種々の機会や物的資料、奨励がある。

 

 

タイプ2 集団訓練の活動


広範囲の「処理技能」を発達させるように計画されている。

①認知的訓練(分析、組織化、批判的思考、創造性)

②感情的訓練(内省的、対人的、人生の危機への対処)

③学習の仕方の学習(聴く、認識する、ノートをとる、要約する、面談・調査する、データーを分析する、まとめる)

④研究と参照の技法

文章や口頭、視覚的手段による発表技法。

 

タイプ3 個人、小集団による現実の問題の探求


子ども個人や小集団の興味にもとづく必要がある。

子どもは自分が探求しようとする現実の問題を「抱え」なければならない。

発表相手に糸した結果をもたらすような、本物の成果を発展させる。

種々の学習スキルを自分で使えるように向上させる。

課題への傾倒、自信、達成感、人とのやりとりなどの感情面のスキルを発達させる。

 

三つ組モデルの特徴

 

<一つ目> 自然なやり方で学習する

「外的な刺激」「内的な好奇心」「要求」、あるいはこれら三つの出発点となるものの

組み合わせによって、あるトピックや問題、研究分野への興味を伸ばす。


<二つ目> 部分の合計より多い

三つのタイプの拡充間の「相互作用」が、それぞれのタイプの拡充や

それらの合計全体と同じように重要であること。


<三つ目> 個人的知識

子どもが自分自身の能力、興味および学習スタイルについて

「個人的知識」を得るように計画されている。

 

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 虹色教室では、小さな教室でできる範囲なのですが、このレンズーリの拡充の三つ組モデルを参考に主な活動(算数レッスンの時間以外の活動)を行っています。

そうすることで、最初に子どもとする活動が、簡単な影絵遊びのようなものでも、

その活動に触発されて興味を深めていく子らによって、大きなスクリーンで映画を映す活動になり、

手作りのプロジェクトマッピングとなり、月の満ち欠けを影絵を使って発表する機会となり、

深海の世界を影絵で表現する取り組みにもなりました。

また虫眼鏡を覗く遊びも、生き物の目の仕組みへに関心やレンズや望遠鏡作りや

地下の生き物への興味などにつながりました。

形を楽しむ工作も、歴史的建造物への興味や図形の探求、

コンパスを使ったさまざまな工作や手作りコンパス、折りたたむしかけ、形を利用したからくりへの

興味へと発展しました。

大阪城へみんなで出かた後には、女の子も男の子も戦国武将や忍者などに夢中になる子が増えました。

 

ほんの一部ですが、日々の活動が、どのように個々の継続的な探求へとつながっているのか、

過去記事を、紹介しますね。

 

<形の発見>


 形は面白い!

半分の半分の半分の半分

 

基礎的な発見 <三角形の不思議>

基礎的な発見 <90度を作りだす>

 

基礎的な発見 14 <正方形の対角線は長い>

 


<回転への興味>


基礎的な発見 <回転>

基礎的な発見 12 <丸い形>

 

基礎的な発見 9 <回すのは楽しい 回転はすごい>

 

 <重さの利用>


基礎的な発見 1  <重い>


基礎的な発見 <自動的にエレベーターを上げる方法> 

 

基礎的な発見 11 <一方が下がるともう一方が上がる>

 

基礎的な発見 3 <位置をずらす>

<「処理技能」を発達させる>


 

基礎的な発見 16 <すでに身につけている技術を別の場面で利用する>

 

基礎的な発見 15 <自分が発見したことを報告する>

 

 

<アイデアを練り、実現する>


 

基礎的な発見 13 <貨車に荷物を積み込む方法>

 

<磁石の不思議>


基礎的な発見 10 <磁石で浮かべる>

 

基礎的な発見 4 <磁石の働き>

 

<ビー玉コースター(ピタゴラスイッチ)遊びでの発見>


 

基礎的な発見 7 <長くしてみる 高くしてみる>


基礎的な発見 8 <傾き と 出口の高さ>

 

基礎的な発見 6 <引っかける> と 「基礎的な発見」のカテゴリーについて

 

 

2階建てのビー玉コースター

<光と影>


基礎的な発見 5 <光を通す 通さない>

 

年中グループ 影絵のポップアップ絵本作り と 算数学習

<折りたたむ>


基礎的な発見 2 <折りたたむ>

 

新選組の池田屋事件のポップアップ絵本

 

<電流の流れ 電気の基本>


 

ポケモンゴーのゲーム作りが流行中 (音がでます♪)

 


「もう1回!」と「もっと!」の気持ちがはじける瞬間

 

<大きな数>

 

 

100円のひゃくってどれくらい? と 無限大数

 

「ボーッと生きてんじゃねぇよ」のチコちゃんに助けてもらった出来事 4!

2019-01-31 09:19:17 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

前回までの記事に、海外の幼稚園で多くの親御さんから信頼を集める教育をしておられる

Cさんから、こんなコメントをいただきました。

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ああした人との小さな関わりや繋がりが、こどもを変えていくんですよね。

こういう瞬間を、あまりにも「学ばせる」環境にいる大人は軽視していると思います。

毎日のように、こういうやりとりを話し合えない、今の環境にいらだちを感じます。

すべてがマニュアル通りの対応です。

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Cさんはベテラン教師で、若い先生方を導いていく立場ですが、本当に大事なことが

伝わらず、表面的な形だけがマニュアルとなって指導に使われていく状況に

困惑しておられるのです。

人間関係も人の成長も輪切りにして、バラバラに分解し、

そこだけを、これが正しくこれが悪い、こういう場合はこうすればいい、問題を解決する

ための計画を立てて、とにかくひとつひとつ遂行していく、ということが

できないものです。

少し前、「愛や、美や、心地よさや、ゆたかさなどは、

部分に分解した瞬間にそれ自体失われ、死んでしまうようなところがあります。」

という言葉を目にしたところなのですが、

人間関係や人の成長を支えているものは、

そうした見えない何かなのでしょう。

(もっとも、こうした誤用されやすい抽象語をスローガンにして、保育や教育の場を

運営することは、非常に危険なことなのでしょうが。)

 

それでは、「ボーッと生きてんじゃねぇよ」のチコちゃんに

助けられたもうひとつの出来事についてお話しますね。

学習に対する意欲や関心が薄く

国語のテストはほとんど手付かずで提出しているという小3の

Dくんの学習を見た時の話です。

とにかく、勉強が嫌だ、やりたくない、の一点張りで、

どこがわからないのか、何につまずいているのか、

本当に知力の弱さが際立っている子なのか、

モチベーションに問題がある子なのか、いっしょに学びながら把握したいと思うものの、

「勉強を始める」というその一点だけで一苦労でした。

それで、簡単なところからゆるゆると学習を進めていくよりも、いっそのこと、

一番苦手としているという裏も表も赤いバツばかりだった記述式の国語のテストを

用意してもらって、いっしょに解いていくことにしました。

案の定、長い文章を目にしたとたん、「めんどくさい」「むずかしい」「できない」と、

読む前から白旗を上げていました。

とはいえ、いっしょに長文を読み進めながら、時折、読み終えた部分を理解しているか

質問すると、ちゃんと適切な答えが返ってくるのです。

国語のテストでバツばかりの子の答えではありません。

「読んでる文章がちんぷんかんぷんの子の

答えじゃないよ。ちゃんとわかっているね。よくできているよ」と言いました。

さて、設問を解く段になると、1問目から、「めんどくさい、わからない」

とやる気がありません。

でも、「文章の中から大事な言葉をさがさなくてはならないよね。何を探すといいの?」

とたずねると、「これだよ」と設問中のキーワードを示します。

何を探さなくてはならないのかまではわかるけれど、探そうという気持ちにつながらないようです。

「Dくん、ポケモン好きでしょ。言葉と思わずにポケモンと思って探してよ。」と言うと、

Dくんは二ヤッとして、キーワードを探し出し、それを頼りに正しい答えを書きました。

そんな調子で、モチベーションを維持させるコツさえわかれば、

問題に正確に答える力はあるようで、

8割方の問題を解いていき、正解していました。

が、最後の、すべて記述で答えなくてはならないところになると、

「無理!できない!わからない」と投げ出して、絶対にこれだけはやるもんか、と

強い決意をしているようでした。

 

これほど強くやるものか、と構えてしまうと、私もお手上げです。

そこで、例のチコちゃんに助けてもらったわけです。

「ねぇ、Dくん。間違えたら、ボーッと生きてんじゃねぇよって言うことにしようよ。

でもさ、あんまり大きい声で言うと、周囲の人が何があったのかってびっくりするから、

小さい声で言わなくちゃならないけど、いっしょに言おうよ。」

そう言ったとたん、Dくんがくりくりっといたずらそうに目を輝かせました。

「それで、正解したら……。」と言いかけると、Dくんが、

「面白くねぇやつだなぁ。チコってんじゃねぇよ、って言うんだよ。」と

うれしそうに言いました。

「そうよね。そうしよう。もし、うっかり正解しちゃったら、

面白くねぇやつだなぁ。チコってんじゃねぇよ、って言おう!」

そう私が言うと、Dくんはえんぴつを手に最後の問題を

解き始めました。

Dくんが、学習に対して、こうも無気力になのは、これまでの

度重なる失敗体験が元になっているのでしょう。

間違えても、「ボーッと生きてんじゃねぇよ!」て言うのなら

面白いかもしれないな、そう思えると、ちゃんと問題に向き合えるのです。

そして、「ボーッと~」が言いたいためにわざと間違えるようなことはなく、

きちんと正しい答えが書けていました。

「面白くねぇやつだなぁ。チコってんじゃねぇよ。」と小声で叱られて、

にやにやとうれしそうな顔をしていました。

あんなに勉強を嫌がっていたDくんは一番苦手な国語の読解のテストを

きちんと解き終えました。

ちょっと欲が出た私は、裏面の問題を「後、2問だけ解こう」と持ち掛けました。

「ええーっ!!」と文句を言いながらも、まんざらでもないDくんは、

キョエちゃんも登場させて、最後まで解きました。

別れ際、Dくんが、「今度、いつ会えるの?」とニコニコしながらたずねてきました。

また、次にいっしょに遊ぶ日(学ぶ日?)はいつかと楽しみにしてくれていたのです。

「また、勉強だよ。」というと、「うん、うん」と満面の笑みでこっくりしていました。

 またまたチコちゃんに助けられたなぁ、としみじみ感じました。