虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

「ボーッと生きてんじゃねぇよ」のチコちゃんに助けてもらった出来事! 3

2019-01-30 09:50:38 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

Aくんが差し出した写真というのは、思わずギョッとするような

写真でした。ゲームに出てくるキャラクターの顔らしいのっぺりした人物の

目から大量の血がしたたりおちているのです。

「これ見せて!これ見せてきてよ。」と意気込んで言います。

「怖い!怖すぎるわ!こんなの見せたら、夜にトイレに行けなくなる子が

いるかもしれないよ。怖いよ。あー。私も見ちゃったから、

怖い夢見るかも、どうしようどうしよう?」

そういうと、Aくんは、「この涙が血のところ、ぼくが描いたんだよ!」と

自慢気に言いました。「早く見せてきて!

早く見せてよ!」そう言ううちに、カーテンから外に出てきて、

さらに外側のカーテンからも

私を押し出して、自分もいっしょに二重のカーテンスペースから出てきました。

 

Aくんは自閉症スペクトラムの診断を受けている子で、

人との関わりに困難さを持っているのですが、

それとは別に愛着の獲得の面でも課題を残している子です。

 

Aくんのお母さんはとても優しい方で、子どもにていねいに関わっておられます。

しかし、Aくんが生まれてからかなり大きくなるまで、お母さん自身が

命に関わるような重い病気を患っておられ、

Aくんの育ちを十分にケアすることができなかったそうです。

Aくんが今、血の涙を流している絵といった恐怖を外に表現していこうとしていくのは、

さまざまな他の原因もあるでしょうが、

赤ちゃんとして必須の世話や愛情を求める行為が、お母さんに生死に関わるような苦しさを

与えてしまうという状態を過ごすうちに負った傷によるものなのかもしれません。

 

Aくんに背を押されながら、血の涙を流している顔の写真を胸にあてて出てくると、

「何?何?見せて!何?見せて~!」と子どもたちが寄ってきました。

「怖すぎる写真だから見ない方がいいよ。夜にトイレに行けなくなるかもしれないからね。

怖いから、見るのはやめておいて!」そう言うと、

「怖くない!怖いの平気。見せてよ。見たいよ、見たいよ。」と子どもたちが

騒ぎ出しました。「じゃぁ、ちょっとだけよ。」とちらっと写真を見せると、

「平気~!そんなの怖くない!もっと見せて!平気!全然怖くない!」と

子どもたちは大喜びでした。

すると、Aくんの顔に満面の笑みが広がりました。

「ぼくが描いたんだよ。ぼくが〇〇で、(ネット上の

ゲームらしいもの)に上から赤で描いたんだ」

「Aくん、子どもはさ。あんまりこういうの見たら、後で怖くなるかもしれないから、

Bさんに見せよう。Bさんなら大人だから、夜にきっとトイレにひとりで行けるよ。」

そう言って、Bさんのところに写真を持っていくと、Bさんはいいリアクションで

Aくんの写真を受け止めました。

すると、Aくんは、それまでの激しい葛藤が解けた様子で、

Bさんにべったりと甘えだしました。

それ以降は不安が高まると、Bさんといっしょに別室でおしゃべりしてすごしたり、

アレルギーの症状が出て身体中が赤くなった時も、

Bさんと涼しい場所に移動して遊んだりしていました。

AくんはBさんに強い信頼と愛着を抱いたようで、

後からお母さんと買い物に出た時に、Bさんにお風呂に入れるバスソルト

(Aくんは皮膚の炎症を抑えるために入浴時にバスソルトを

使っているそうです)をBさんの

ために買ってあげたいと言ったとお聞きしました。

 

次回に続きます。

 

 

 


「ボーッと生きてんじゃねぇよ」のチコちゃんに助けてもらった出来事! 2

2019-01-29 12:54:58 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

私は家でテレビを見る習慣はないんですが、

このチコちゃんの番組だけは何度か目にしたことがあります。

「これ、チコちゃんの缶バッチだね。いいなぁ。でも私は、チコちゃんに出てくる

鳥のキョロちゃんだったかなんだか、その子が一番好きなのよね。

だって、先生は鳥マニアだから。」と声をかけました。

すると、「キョエちゃんだよ。カラスだし」と言いながら、

ギュウギュウに絞られていたカーテンが少し緩みました。

「この缶バッチ便利だね。怒っている時に、いちいち怒らなくても、

見せるだけでいいから。楽だよ。

これ見せたら、ボーッと生きてんじゃねぇよ、って、

相手をびっくりさせれるよね」というと、カーテンにくるまった

ままのAくんが、缶バッチを私の方に押し出して、

「持って行っていいよ」と言いました。

「いいの?でも、これ他の子たちに見せたら、びっくりして,

悲しくなるかもしれないからね。子どもには見せられないな。

Bさんの場合、何にも悪いことしていないのに、

いきなり、ボーッと生きてんじゃねぇよって叱られちゃうの?

ええっ?ちょっとかわいそうだよ。それに今、ボーッとしていないよ。

あっちで女の子たちと工作してるから。

ちっともボーッと生きていない。普通にがんばってるよ」そう言うと、Aくんは

カーテンをほどいて出てきて、いきいきした明るい表情で、

「見せてきてよ。いいよ。見せてもいいよ。

早く缶バッチを見せてきて!」と言いました。

それから、またカーテンの奥に引っ込むと、大事そうに

大判の写真を裏向けたものを抱えて出てきました。

そして、「これもさ、これも見せてきて!」と言いました。

 

次回に続きます。

 


「ボーッと生きてんじゃねぇよ」のチコちゃんに助けてもらった出来事! 

2019-01-28 10:01:11 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

「チコちゃんに叱られる」というNHKの雑学クイズ番組をご存知ですか?

この番組の目玉は、5歳の女の子チコちゃんが、「ボーッと生きてんじゃねえよ!」と

大人を叱るシーン。

チコちゃんは真っ赤になって目から火を出して怒っています。

この怒りを炸裂させるチコちゃんが小学生の子どもたちに

大人気なのだそうです。

 

実は先週、イベントのお手伝いで東京に行った際に、このチコちゃんに助けられる

出来事が二度もありました。

 

チコちゃんに助けられた一度目は、

イベントで子どもたちの相手をしていた時の話です。

この日は、人との関わり方に極端さを持つ発達に凹凸のある小1のAくんが

参加していました。Aくんは、気に入らないことがあると部屋を飛び出すか、

激しいかんしゃくを爆発させる可能性があったため、

子どもとの関わりに慣れているBさんが

助っ人としていらしていました。

とはいえ、AくんとBさんは初対面。

優しく自分に寄り添ってくれるBさんに対して、

Aくんは強い拒絶の言葉を浴びせて、自分は部屋の隅っこの

カーテンをぐるぐる巻いて、人ひとりやっと入れるくらいの隙間を

作って、その中にもぐってしまいました。

 

実はそのカーテンのスペースというのは、

一畳ほどのカーテンで仕切られた隠れ家のようなスペースの中に

ありました。

つまり、外側にカーテンの防御壁、さらにその中にカーテンの防御壁と、

二重に外の世界から守られている場所なのです。

そこで、近づく人に思いつく限りの毒を吐いて

誰も近づけないようにしていたんです。

 

私は他の子らと工作をしながら、少し手がすいたら

Aくんのそばに寄って声をかけていました。

「Aくん、今日、Aくんと遊ぶためにBさんが遠くから来てくれたんだよ」

などとBさんの名前を出すと、Aくんはすごい剣幕で、

「あんなやつ大嫌い!」「Bさんとか!絶対、あいつだけは嫌!」

「Bさん、最悪。大っ嫌いだからこっちくんな!」と

まくしたてていました。

BさんはAくんと初対面だということをのぞいて、Aくんから

こんなにも嫌われるいわれは全くないのです。

が、Aくんのあまりにも激しいBさんへの暴言を聞くうちに、

AくんのBさんに対する関心が高いこと、

優しくしてくれたBさんにひどいことを言ったことで、

自分自身が深く傷ついていること、親しくしたい気持ちが

拒絶されたり、うまく関われなかったりする不安をかきたてているだろうこと、

などがうかがえました。

「ねぇねぇ、Aくん」と再び声をかけると、

カーテンでぐるぐる巻きになって顔も体も見えないAくんの足元に

丸い缶バッチが見えました。

見覚えのある絵です。

 真っ赤な顔をして目から炎を出して怒りを爆発させているチコちゃんの

缶バッチでした。

 

次回に続きます。

 

 

 



 


「がんばり屋だけど考えるのが苦手な子」 「飽き性だけど頭の回転が速い子」

2018-11-09 16:40:02 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

子どもの個性も長所も十人十色です。

たとえば「がんばり屋だけど考えるのが苦手な子」

「飽き性だけど頭の回転が速い子」っていますよね。

「がんばり屋だけど考えるのが苦手」という子の長所は

「もっともっとたくさんしよう」「がんばろう」とするエネルギッシュさです。

といっても、勉強の場合、いくらがんばり屋でも 考えるのが苦手だと、

「考えなくてはならない問題」で先に進めないことが続くと、

勉強を避けるようになるかもしれません。

勉強以外のスポーツやお手伝いや携帯ゲームの攻略などでは

長所の根気のよさを生かすけれど、

勉強は苦手というタイプに成長するかもしれません。

かといって、「易しい計算問題ばかり」をスローステップでやらせていると、

ある時点で、考えなくてはならない文章問題の学習に入ると、

満点ばかり取っていて良くできると思っていたのに、

小学3年生くらいから、いきなり成績が急降下しはじめるということも起こります。

「がんばり屋でも 考えるのが苦手という子」の答案を見ると、

はりきってたくさん問題にチャレンジしているものの、

どれもこれも間違いばかりということがあります。

そんなときに、相手ががんばり屋さんですから、多少手厳しいことを言っても、

まじめで素直な対応が返ってくるものですから、

親もつい本人の心への配慮を怠ってしまいがちです。

せっかく自発的にたくさんがんばったという場面でも、

「何でこんなにミスばかりなの?」と本人が自分には能力がないと錯覚するような

ことを言ったり、たくさん×をつけて、「たくさんがんばれば、×が増えるから、

自分から努力すると損だ」と思い込むようなことをてしまいがちなのです。

学校の授業やテストでは、間違えた問題にすぐに×がついて、

間違いを修正するのは大事です。

でも家庭で自発的に学習する場合にも、身近な大人が

自分の「勉強とはこういうもの」というイメージを子どもに無理に押し付けていると、

子どもの長所が学習で生かせなくなってしまう場合があります。

 

カナダ人の心理学者アルバート・バンデューラが提唱した感覚に、

自己効力感というものがあります。

自己効力感とは、「外界の事柄に対し、自分が何らかの働きかけをすることが

可能であるという感覚」

「ある具体的な状況において適切な行動を成し遂げられるという予期、および確信」

いったものです。

 

勉強の場面で、過去に「自分の強みを発揮して成功できた」という体験がなければ、

次に「きっと自分にはうまくできるから、がんばろう」と自発的に取り組む動機は

生まれてきませんよね。

 

私は、学習の場面で、子どもに「自己効力感」が身につくまでの間は、

「最初が肝心だから、ミスはその都度きちんと直しておかないと」とか、

「たくさん失敗しても、それを乗り越えられる強い子になってほしいから」

といった大人の持っている学習へのイメージを、

子どもが「自己効力感」を得るか否かよりも優先しない方がいいと思っています。

私たち大人でも、外国の方を相手に、勇気を持って習いはじめの外国語で

声をかけたとき、間違いを馬鹿にされたり、注意されたり、

何度やっても通じなかったという体験が続けば、

それでもがんばって話しかけ続けるか……というと難しいのではないでしょうか?

でも、相手が外国の子どもだった場合、こちらのミスをいちいち気にしていないとしたら、

たくさん話しかけるうちに、自分は外国語で会話ができるという自信がつくし、

回数を踏むうちに、上手に正しい使い方ができるようになってくるかもしれません。

「自己効力感」がないまま、何年、英語を学んでも、

外国の人と会話のキャッチボールをするのは難しいのかもしれません。

 

多くの勉強が苦手な中高生は、

知的なハンディーキャップを持っている子ばかりではありません

また、発達障害があって、努力や計画的に物事を進めることに

ハンディーキャップがある子ばかりでもありません。

ごく普通の小学生の頃はがんばり屋で成績も良かった子の多くが

「勉強ができない子」に成長しているのです。

その原因には、日本の教育では、個人個人の「自己効力感」より、

集団に通用する「教育ってこういうもの」という大人が信じやすいものを

優先しすぎているからのように思います。

 

私は 子どもの個性はさまざまですから、集団の場でない限り、その子が

「自分の有能さ」を感じ取れるような勉強が必要だと思っています。

本来なら、集団の場でも、「みんなから認められている」「自分は有能だ」という

フィードバックを得る体験がたくさん必要だとも思っています。

勉強の場で、「自分の有能さ」を発揮できるという確信が、

いくつになっても自発的に学び続ける姿勢を育てるからです。

一方で、いつも先に解き方を暗記させておいてから良い点を付けていく

スローステップの学習で、「考えない」癖をつけてしまうことも問題だと思います。

このさじ加減は難しいので、何度かに分けて詳しく説明させていただきます。

 

「飽き性だけど頭の回転が速い子」っていますよね。

さまざまな新しいことをやりたがってチャレンジ精神旺盛なのはいいのだけど、

やる前は、大騒ぎして、「どんな苦労もいとわない!」という様子だし、

やってみると人一倍、呑み込みもいいのに、すぐに飽きて放り出してしまう子。

目ざとくて、知恵もよく働くけど、気が散りやすくて怠けがちな子。

こういうタイプの子って、お友だちが習い事をしているのを目にすると、

すぐに自分もやりたがって、泣いて騒ぐことがよくあります。

「それならと……」習わせると、少しすると、今度は練習や宿題が嫌で、

毎日、親とバトルになるという結末をたどりがちです。

通信教材もしかり。「ぜったいがんばるからやらせて!」と

地団駄を踏んでいたのもつかの間、教材を取り出したとたんに、

ほとんど手付かずのまま溜め込んでいくものです。

 

注意が必要なのは、「自分がやると言いだしたんでしょ!がんばりなさい!」

「ちゃんとがんばればできるのに、努力が足りない!」と叱り続けるうちに、

幼い頃は自分から知的なことに何でもチャレンジしたがっていたのに、

大きくなるにつれ、勉強に関わることは自発的にチャレンジするのを避けるように

なってくることです。

その代わり、後々、「やる、やらない」で揉めたり、

「やめたい、しんどい」と悩んだりしなくてもいいテレビゲームや買い物などでは、

相変らず、ごね続けるようになりがちです。

 

飽き性の子に、我慢することや努力することを、しつけていくことは大事です。

けれども、現代は大人と子どもの境界線が薄れていますし、

幼い子も消費のターゲットになっている時代ですから、

「あなたが自分でやるって言い出したんだから、すぐに投げ出さずにがんばりなさい」

と叱ると、年齢不相応な自己責任の押しつけになってしまうことも多々あるのです。

 

3歳、4歳、5歳といった子が

「お友だちといっしょにリトミックを習いたい」とごねたところで、

その子の年齢だと、

「お友だちが公園に行ってるから私も行きたい」とごねているレベルの先の見通ししか

持っていないものです。

まだまだ、自分に何が合っているのか、どんなことなら長続きするのか、

何をすると一番がんばれるのかといったことを、

いろいろ試してはやめて、夢中になっては卒業して、より自分を成長させることが

できる何かを、外にも、自分の内側にも探索していく時期なのです。

 

それなのに、大人の世界が幼い子の暮らしにまで浸透して、

子どもの習い事に、ママ友同士のおつきあいが絡んでいたり

子ども向けの商売のシステムのせいで、

幼児が数年計画の責任感を問われることになっていたりするのです。

 

「飽き性だけど頭の回転が速い子」の長所は、

新しい興味の対象に向けるエネルギーの強さです。

「やりたい!」と言っているときのエネルギーと、

やりはじめた当初のエネルギーが維持されたら、

この子はどれだけ賢くなることか……?と感じている親御さんは

たくさんおられることでしょう。

私は、あまりお金などの負担がかからないことでいろいろチャレンジさせてみて、

やってみたり飽きたりを繰り返しながら、

「こういうことならがんばれそう」「自分が生かせそう」という

自己効力感を得られるものに気づかせていくことが大事だと感じています。

 

勉強で、基礎を繰り返し学習するのを極端に嫌がる場合、

「あなたは勉強嫌いの悪い子だ」

「あなたは怠けもので、こんなことをしていたら将来勉強が苦手になってしまう」

というイメージを植え付けないように気をつける必要があります。

このタイプの子は、易しい問題と難しい問題が混在したワークで、

「好きなものを1問選んで解いてね」と言うと、

ちょっとひねったものを選んで解いて、

それを機会に「もっと解きたい」と言い出す場合がよくあります。

 

子どもの学習に構いすぎるのもよくないのですが、

義務を無理強いして大の学習嫌いにさせるよりも、

長所の頭の回転が良さを使って、知的な課題の面白さに気づかせることが

大事だと思っているのです。

飽き性って悪いことばかりじゃなくて、

執着心のなさや、自分によってより必要なものを見極めていく力や、

好奇心の強さとも関わっているものです。

今、自分にとって一番重要な目的に全力投球できる能力でもあります。

短所に見えるところも、罪悪感を植えつけず、大らかに関わっていると、

そのように良い資質として使っていけるようになっていきます。

 

うちの子たちにしても、飽き性とはちょっと異なるのですが、

コツコツがんばることが苦手です。

ですから、決まりごとや義務が多い場では、

欠点ばかりが目立っていた時期もありました。

でも、ゆっくりと長所も欠点もどちらも大切に育てていくようにすると、

長所だったものはもちろんですが、短所と思われていたものが、

自分で目的を定めたり、深く考えたり、創造的に解決したり、学び続けたりする

原動力となっているのがわかるのです。

 

わが子が、子どもとは呼べないような年齢になると、

子どもに対して親ができることは本当にしれていて、

役に立つのは信じてあげることくらいだと気づきます。

子どもは本当に自分がなりたいものに向かって、自分の力で成長し続けていくのです。


「こういう風にしたい」をとことんやりつくした子の底力。

2018-09-08 17:33:36 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

 

年長のAくん、Bくんのレッスンの様子です。

Aくんは「こういう風にしたい」という思いが強い子です。そして、これまで「こういう風にしたい」

という思いを自分のできることの中で繰り返しやりつくしてきた子です。

最近のAくんの工作の様子を見て、そうした自分発の「こういう風にしたい」

をとことんやりつくした子の底力を感じます。

Aくんが2、3歳のころは、教室にある電車類をセロテープでつなぎたいという気持ちが強くて、

教室に来るたびに全ての電車をひっつけていました。

そうやってセロテープ1本を使いきるいきおいで貼りまくっていたおかげか、

テープ技ではしごを作るのなんてお手のものです。

 几帳面なAくんは、壁や床のあらゆるところに補強のスチレンボードの棒を

貼っていました。

 

一方、動きを作り出すのが大好きなBくんは、シーソーのような動きや面白い転がり方を

ずっと探求していました。

 


いろいろ体験したがるけれど、「ああ、楽しかった」で終わってしまう 4

2018-08-23 10:19:27 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

いろいろ体験したがるけれど、「ああ、楽しかった」で終わってしまう 3

の記事の最後に、

インプットとアウトプットが大きくずれるような子ではないけれど、

アウトプットするものの質が、外からの目ですぐわかるような価値でないため、

<いろいろ体験したがるけれど、「ああ、楽しかった」で終わってしまう子>として

見られる面があるDちゃんという子について取り上げています。

 

「アウトプットするものの質が、外からの目ですぐわかるような価値でない」

という子は、とても多いのではないかな、と思います。

親が何に価値を置くか、環境が何を評価するかとも大きくかかわってきます。

みなでお泊りする場に行くと、作った後で、

店開きして遊べるカフェ用の食べ物や飲み物作りというのは、

魅力的な工作です。

でも、同じようにせっせケーキやジュースを作っていても、

子どもによって作るものや作り方は異なります。

ひたすらデコレーションに励んで、おいしそうで見栄えのいいケーキや飲み物を作る子もいれば、

2段ベッド同士を食べ物が移動するレーンにする仕掛けに走る子もいれば、

展開図を描いて、三角柱や円柱のケーキを作る子もいます。ちらしや看板作りに忙しい子もいます。

かじった後の凹んだ形がどのようになるのか、そこに着目する子もいます。モーターを使って

わたがしマシーンなどを作る子もいます。

集団で自由に工作をする場は、そうしたさまざまなアイデアや可能性を

目で見て取り込む機会でもあります。

Dちゃんは最初、ガチャガチャの半球に穴を開けて、ストローを通して、

ふたつきのドリンクを作りたがっていました。

が、この半球はけっこう硬くて、熱で溶かすのでなければ、おそらく穴を開ける時点で

ひび割れるだろうと思われました。

それで、穴を開ける方法についてあれこれ相談した結果、穴そのものは開けず、

上からと下から、それぞれ別のストローを接着して作るのがいいのではないか、

という「ちょっとめんどくさい展開」になりました。

「誰もやったことがない未知のことである」と「ちょっとめんどくさい展開」になると、

たいていの子はあきらめるか、もっと安易はやり方(ふたをなくす)などに

流れます。

でも、このDちゃんは、必ずといっていいほど、

そうした困難さや難しさが伴う課題を選びます。

教室では、透明のフィルムを動かして見るのぞき眼鏡とか、複雑なポップアップ絵本の仕組みなどに

チャレンジしていました。

 

そうした課題も、実際やってみたら、簡単だったということもたまにあります。

でもたいてい、途中でどうやってもうまくいかず、長い間試行錯誤して

あまりパッとしない結果につながるんです。

エネルギーのほとんどが、きれいに仕上げることではなく、

はじめてだからうまくいかなくて、失敗してやりなおしたり、

どうやったらいいか考えたりする時間に費やされますから。


このDちゃんという子の魅力は、作業をメタな視点で眺めて、統合したり発展したり

する考え方につながるところで、

できあがったものが何かということより、

気づいたことは何かというところに価値があります。

 

たとえば、コップの周りにレースのリボンを貼り付けるとしたら、

長さはどれくらいか、どうやったら求まるかといったことに、

体験すれば関心が高まり、少し教えれば理解して納得します。

自分自身で、さまざまなことに気づきもします。

 

そうした活動を通して、頭の中の世界を変化させていく子たちは、

見えている世界ではそれほど目立つことをしない場合も多いです。

ひとりひとりの子の個性にていねいに接する大切さを思います。

 

 

 


いろいろ体験したがるけれど、「ああ、楽しかった」で終わってしまう 3

2018-08-18 21:46:22 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

前回、記事中で書いたCちゃんのようなタイプでなくても

アウトプットに時間差があるという子はけっこういます。

 

わたしはそうしたインプットとアウトプットの個性的なずれをよく理解することが、

子どもの意欲や能力を高めるコツかな、と感じています。

 

子どもによったら、学習の場面でそういうところが強く出やすい子というのがいます。

勉強でつまずくと、もうどう教えても、何を言っても、

頑として受け入れられなくなる子がいるのです。

その姿は、ひどく物わかりが悪いように見えます。

でも、半日経ったり、1週間過ぎたりしたころ、

再び同じ問題をすると、すんなりできてみたり、教えたことを

難なく理解したりするのです。

そうした子は、「今、みんなといっしょにやっている場でできなきゃいけない」とか

「最初に習った時に理解しないとダメ」といったその場に漂っている空気

で傷つけて、自信ややる気をそがないことが

重要かなと思っています。

 

インプットからアウトプットまでにこれくらいの時間差がある子として

尊重してあげて、できないで焦っている時に、

「今すぐわからなくても大丈夫。

いつも、わからないと思ってから、これくらい

時間が経つと、なんだ簡単だ、とすんなりできるようになっているでしょ。

あなたは賢い子よ。自分でちゃんと答えにたどりつくよ。

自分の頭の使い方を大事にしなくちゃならないよ」

と励ますようにしています。

 

大人は自分のものさしを使って子どもの活動を

比べる目、評価する目で眺めがちですが、

すごくレベルが低いことをしているように見えても、

何もしていないように見えても、

それはインプットとアウトプットが同時進行で起こると

思っているから、そう見えるだけ、という場合がほとんどです。

 

 

上の写真は3年生のDちゃんが作っていたカフェのドリンクです。

このDちゃんは、インプットとアウトプットが大きくずれるような子ではないけれど、

アウトプットするものの質が、外からの目ですぐわかるような価値でないため、

<いろいろ体験したがるけれど、「ああ、楽しかった」で終わってしまう子>として

見られる面があります。

実際にはかなり能力が高いはずの子なのに、「長い時間、かけて、これを作ってただけ?」

「かなり安易にやりたいことを決めてるんじゃないかな?」という印象を周囲に与えやすいのです。

 

でも、このDちゃんという子とていねいにつきあっていると、

それは大きな間違いであることがわかります。

話の途中ですが、次回に続きます。

 

 


いろいろ体験したがるけれど、「ああ、楽しかった」で終わってしまう 2

2018-08-16 16:36:36 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

前回の記事で、

内向型の子に多いのですが、アウトプットの出方にかなり時間差があり、

アウトプットされたものは、

その子というフィルターを通って収束されているという特徴がある子たち

けっこういるのです、と書きました。

 

みなといっしょに体験している時、これはいいけどあれはいや、と自分で取捨選択するのではなく、

何でもウェルカムという姿勢のせいで、何に対しても強い関心を抱いていないかのように見えたり、

その場で楽しく過ごしているだけのようにも見えたりする子がいるんです。

そうして、興味が拡散していく間、拡散思考をどんどん広げいく一方で、

ずいぶん時間が経って、ひとりになった時、「〇〇したい!」と急に思いついて

何か始めるというタイプです。

その「〇〇したい!」は、明らかに、何となくすごしていた時に見聞きしたものの

影響を受けているだけれど、そこで見聞きしたものをそのまま模倣するようなものでなく、

「その子」というフィルターを通って、体験がまるで結晶したような印象を受けます。

 

晩の算数のレッスンの後で、Cちゃんが急に思いついたように

「ストローを使っていろいろな形を作る本ありますか?」とたずねに来ました。

日中、わたしがお母さん方と見ていた本をそっと気にかけていたようです。

そして、ひとりでせっせとモールとストローをつないで、

正八面体の骨組みを作っていました。

 

 

そういえば、この日の工作タイムに、3年生のAちゃんは、紙に三角柱の展開図を描いて、ケーキを作っていましたし、

そして、2年生のBちゃんは

すいかをかじった時の実の部分の形、つまり球の表面にあたる形を作ろうと苦戦していましたし、

夕食前にはせっせとフェルトの綿に楊枝で刺して、球を作ってましたから、

Cちゃんとしても形の面白さに心が動いていたようなのです。

でも、Cちゃんが、目にするものに興味を抱き、自分の中に取り込んで、

「こんなことがしたい!」と感じるまで、

こんな風にかなりの時間のずれがあるのです。

 

それと、Cちゃんはいざアウトプットするという段になると、

いつも体験をちょっとメタな視点から眺めたようなものになりがちだな、と感じ

ました。

たとえば、Cちゃんは、さまざまな頭脳パズルが好きなんですが、

Cちゃんが一番うれしそうにしている時というのは、

「解けた!」という瞬間より、

自分なりにその頭脳パズルの背後にある規則に気づいて、それを

言葉にしている時なんです。

正解したとか、たくさん問題が解けたとか、1番になった、勝った、ということは、

Cちゃんにとっては二の次であるようです。

 

 


プログラミングの基礎を学ぶボードゲーム

2018-07-22 22:45:40 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

先日、去年、卒業したグループの子たちが集まって遊んだり勉強したりしていました。

一番、盛り上がったのは、ロボットタートルズ というプログラミングの基礎を学べるゲームです。

このゲームを作ったのは、マイクロソフトやグーグルで活躍した職歴を持ち、

いくつもの会社の創始者でもある方です。

教室の小さな子たちは、このゲームのルール通りに楽しんでいるのですが、

小4のこの子たちは、このゲームを使ってオリジナルの問題を作って

友達にスタートからゴールまでのカードを全部並べさせて、解かせる

という遊びをしていました。

そこで、せっかく作った問題を他の子らにも楽しんでもらえるように

簡略化して紙に写しておくことにしました。

紙に簡単に写せるように、キッチン用の穴の開いたシートを

ボードのマスの数に合わせて切りました。

 


考える方法 と 行き詰った時の解決法 

2018-06-16 20:56:43 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

年長のAくん、Bくん、年中のCくんの算数の時間にこんなことがありました。

サピックスのぴぐまりおん(1・2年生)の『のりものけん』という問題を

解いていた時のことです。

この問題は、園児にはいきなり解くのは難しいので、問題を解く前に、

12枚綴りの切りとることができるチケットを作り、

おもちゃを並べて作った遊園地の乗り物を選んで遊びました。

 

コロコロカー    のりものけん 2まい

コーヒーカップ   のりものけん3まい

メリーゴーランド  のりものけん 4まい

グライダー      のりものけん6まい

ジェットコースター  のりものけん8まい

という決まりです。

 

「グライダーに乗りたい」と言って6枚の乗り物券を切りとって渡し、

残りの6枚で何に乗ろうかと考える……

という遊びをしてから、ワークの問題を読みます。

 

ワークの問題を読む時、一区切りごとに、「どういう意味かわかる?」とたずねて、

理解度を確認しています。

 

「みんなは ゆうえんちに きています。どういう意味かわかる人?」

「はい、みんながゆうえんちにきたってことでしょう?」とAくん。

「そうよ。みんなっていうのは、すすむくん、だいちくん、かおりちゃん、

がんちゃん、めぐちゃん、けいこちゃんね。」

 

「のりものけんを 12まいずつ かいました。どういう意味でしょう?」

「のりものけんの、この点々って切ってある券が12あるから、

それを買ったってことでしょう?」とBくん。

 

「次は難しいよ。ちょうどなくなるように みんなはのりものに のりました。

ちょうどなくなるってどういうことかな?ちょうどじゃない場合ってどんなことかな?」

この質問には、Bくんが必死になって答えてくれました。

「あの、ジェットコースターに乗って8枚出して、それからコロコロカーに乗って、

もういっかいコロコロカーに乗って全部なくなるのは、

『ちょうどなくなる』ってことで、もし、ジェットコースターの後で、

コーヒーカップに乗ったら、ちょうどじゃない」

「そうね。Bくん。よくわかったね。コーヒーカップに乗ったら、

券が1枚だけあまるから、1枚だけで乗れる乗り物はないものね」

「のりものに 1かい のるのに ひつような のりものけんの まいすうは 

右のとおりです。意味がわかる人?右のとおりってどういうこと?」

「この右の絵のところの、コロコロカー2まいとかいうところでしょ」とAくん。

 

こんなふうに一区切りごとにわからない部分がないかていねいにたずねた後で、

『れい』をしっかり見るようにうながします。(『れい』を見て気づいたことを

言葉にしておくのもいいです)

 

「グライダーに 1かい、 コロコロカーに□かい のったよ。」と

すすむくんの言葉から、12枚のチケットの色を塗り分ける問題で、

3人とも考え込んでいました。

 

すると、Aくんが、「先生、ブロックを使ってもいい?」とたずねました。

許可すると、グライダーの6枚を除いた6枚分のブロックを持ってきて、

コロコロカーに何回乗れるのか考えて、きちんと解けました。

BくんもAくんからブロックを譲り受けて、解くことができました。

 

 

Aくんがブロックを使うことを思いついたように、考える方法のレパートリーを

いろいろ持っているといいですよね。

子どもたちが、考えるためにいいアイデアを思いついた時は

みんなでその良さを確認して、アイデアを共有できるようにしています。

 

 小2のDくんがレゴでコマを飛ばすマシーンを作っている時、

こんなことがありました。

初めて、ギアや滑車を使ったレゴに挑戦したDくん。

解説書の絵を見ながら、意気揚々と作っていました。

中盤あたりに差し掛かった時、

「ずいぶんできたね。どう?面白い?」とたずねたところ、ため息をつきながら、

「途中でわかんなくなってきた。やっぱ、難しいな。」とつぶやきました。

どうするのかとしばらく様子を見ていると、「はぁ~」と深くため息をついてから、

何やら決意した様子で、「いいや!戻ろっ!」というと、

それまで作っていたパーツをバラバラにしだしました。

それから、説明書の3の図を指して、「先生、ここからやりなおすことにした」

と言いました。

「それなら、今度は、1手順終わるごとにあっているかチェックしようか?」

ときくと、「そうする」とのこと。

そうやって、1手順ずつチェックする間、わたしはチェックしている内容を

「穴の位置は、左から3番目、うん、あっているね」

「ギアとギアがきちんとかみあっているかがポイントよ。ちゃんとかみあって

いたらクルクル回るからわかるわ」などと、口に出して確認しました。

 

 

そうして前にため息をついていた中盤あたりに差し掛かった時、

Dくんは、「もう自分でできるよ。チェックしなくても大丈夫」と

自信ありげに言うと、最後まで自分の力で仕上げました。

Dくんはうれしくてたまらない様子で、

「もっともっと作りたい」と言っていました。

 

このコマ飛ばしマシーンを他の子らにも見せる時、

わたしはみんなに

Dくんが自分で考えた行き詰まった時の解決法について話しました。

「Dくんはね、最初、自分でどんどん、どんどん作っていったの。

でも、途中でだんだんやり方がわからなくなって、どうしたらいいか

わからなくなったのよ。

そうして、行き詰ってしまった時、Dくんはどうしたと思う?」

他の子らは首をかしげて聞いていました。

「Dくんは、こんな風にしたの。

まず、せっかく作ったブロックをバラバラにしていって、最初の方の3番目の図に

戻ってやりなおすことにしたの。

それから、ひとつの図を完成させる度に、先生のチェックを受けて、

ちゃんとあっているかどうか正確に確かめるようにしていたの。

簡単でわかりきっていることも、そういう意味があったんだなって

理解しながら進んでいったら、先に進めば進ほど簡単になっていって、

途中からは自分ひとりで全部仕上げることができたのよ」

 

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ピッケのつくるえほんのワークショップで小2のAくんが

『くりんの木さがし』というすてきな絵本を作りました。

下の写真は、作品の一部です。

 

りすのくりんの家であった木が倒れてしまったため、

新しい家にする木を見つけにいくストーリーです。

 

 

この作品を作る過程で、Aくんは最後のシーンを作った後で、

先に作ったシーンに戻って手を加えました。

「倒れて枯れた木と周辺の環境」と

「新しく探し出した木と周辺の環境」の変化を際立出せるためです。

 

Aくんは、下の「新しい家にすることにした木」のシーンと

上の「倒れた木」のシーンについて、他の子らに説明しました。

 

「(下の)この絵の木は、いろんな実がなっていて、花も咲いていて、

木のまわりもいろいろな草や花があって、どんぐりも落ちている。

初めは、(上の)前の絵にも、どんぐりとか草とかもっと置いていたんだけど、

最後の絵と比べた時に、どんなふうにちがうかわかるように、

きのこのついている切り株と草だけにしたんだよ。

青い倒れている木は枯れているから青いんだ」

 

最後の作業を終えてから、

それまでしたことを振り返って、おかしな部分はないか、もっとよくなる方法はないか、

と考えてみるのはすばらしい知恵ですね。

 

工作をする時も、算数や他の学習をする時も、とても役立つ頭の使い方だと思います。

 

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年中のBちゃんの頭の使い方は、まるで見ているものに吸い込まれてしまうほど

真剣に物を眺めて、相手の言葉に全身全霊で耳を傾けることから始まります。

 

Bちゃんは、誕生日のプレゼントにシルバニアファミリーのお家を

買ってもらう予定だったそうです。

でも買い物に行った先で、上の写真のような

広げるとお城の中とお庭があらわれるポップアップ絵本を見つけて、

「どうしてもこれがほしい、シルバニアのお家よりもこっちがいい」と

言い張ったのだとか。

Bちゃんは工作が大好きなので、プレゼントにこの絵本をもらうやいなや、

「これと同じものが作りたい」と言いました。 

といってもBちゃんの手に余る大掛かりなポップアップの仕掛けです。

そこで、「虹色教室で作る」という流れになりました

 

Bちゃんといっしょに長い間、うっとりとこのポップアップ絵本を眺めた後で、

「Bちゃん、どの部分が作りたいの?どこがすてきだと思う?」とたずねました。

Bちゃんは庭にある六角形の噴水と植物で作った迷路を指さしました。

 

Bちゃんの指さすそれは、とても魅力的なポップアップの仕掛けでした。

 

「六角形の秘密」とでも名付けたいような

六角形という形を生かした仕掛けなのです。

 

作り方は単純です。

紙を帯状に切って折って、六角形のわっかを作ります。

 

六角形はふたつの向かいあう辺が平行ですよね。

Bちゃんとは、「平行」のことを、手のひらと手のひらの間に少し隙間を開けて

向かいあわせて表現しています。

向かいあわせの平行な辺の上も下も山の形に辺がつながっていますから、

それがぺったんこになったり広がったりするのです。

 

この平行な辺と辺をセロテープでとめて、他はとめません。

すると、とめていない部分の辺が開いたり閉じたりして、

ぺったんこに折りたたまれたり、六角形に広がったりするのです。

 

できた部分はプレゼントとしてもらった絵本に比べると、ほんの一部です。

でも、Bちゃんは、心から満足した様子でした。

真剣に、ポップアップ絵本を覗きこみながら、

「次はこことここを作る」と夢を膨らませていました。

 考える方法 と 行き詰った時の解決法 3

 

考える方法 と 行き詰った時の解決法 4

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考える方法 と 行き詰った時の解決法  6