虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子どもの中の「自然」が 見えない 愛せない

2018-06-09 08:07:45 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう
昨日は3歳の☆ちゃんのレッスンでした。
写真を撮りそびれたので過去の画像から……。(なかよしの☆ちゃん、★ちゃん)

☆ちゃんは、リズムのあるゆったりした暮らしと、
広々とした自然公園で時間を忘れて遊ぶことを繰り返しながらこれまで成長してきました。
虹色教室のレッスンには、1歳代から月1回通ってくれています。

3歳になって、自分の中で「こんなことがやりたい!」「こんなものが作りたい!」とイメージし、それに必要な材料を集めて、実行していく力が
目覚しく発達しました。(仲良しで同じような遊び方をしている★ちゃんも、そうした力がすばらしくのびています)
それこそ、この企画し、想像し、準備し、実現する能力に関しては
小学生も大人もなかなかかなわないほどなのです。

とにかくエネルギーが強い子なので、
2歳のころはおともだちとの喧嘩や物の取り合いもかんしゃくもすざまじい
ものがあったのですが、
そうした成長過程のすべてをお母さんといっしょに大切に見守ってきました。

3歳を過ぎてからはそれが創造性と
強い好奇心へと変化していきました。
虹色教室で忍者の勉強をしたあと、
寝ても冷めても忍者になって暮らし、
地図を学んだあとは、自作の地図をたくさんこしらえたあとで、
ぼくらの地図旅行という小学校高学年向けの絵本を隅々まで読むほどの
熱中ぶりでした。
人の身体を学んだあと、化石と身体の話に熱中し、
じしゃくで遊んだあとは、一日中、じしゃくでつくものとつかないものを調べていました。

☆ちゃんのお母さんは、☆ちゃんのお友だちとお母さんを
自然公園に誘うと、
ショッピングセンターも物も刺激もなにもない「自然」のなかで、
何も楽しめない、
何をしたらよいのかわからない、
どこが面白いのかわからない、
自然からなにも引き出せない
という方が多い……(子どもはいつのまにか上手に遊びだします)
というお話をうかがいました。

自然のそのままのよさを見出せない、感じれない
ということは、

「自然」のひとつである「子ども」の本来の良さや面白さを感じられない
ことにもつながってきます。
ただゆっくりと子どもが幸せそうにしていることの
価値が感じられず、

子どもの心の変化や望みや考え、想像の世界、愛情、感情

が大人に伝わらず、

何かさせよう、目に見える何かをマスターさせよう、子どもの時間を有意義で刺激的で効率的なものにしようとあせってしまいます。

そのため、
2歳、3歳で生まれてくるその子の「個性の中心」「意識の中心」が、
ワガママとも見えるエネルギーの爆発を起しながら
だんだん目覚めてきて
自分らしく成長していくのを壊してしまいます。

親のちっちゃなコピーを作ろうと努力しすぎてしまうのです。

子どもは、際限なく広くて奥深くて全てを含んでいる「自然」の姿と
同じ種類のものです。
生命であって、人間だからです。
けっして、良い行為をインプットしながら大人がこしらえていく
ロボットではないのです。
結婚したとたん、お姑さんから「嫁」として、評価されたり、「良い嫁」を他の人と競わされたり、「嫁教育」という働きかけだけで、接しられると、
がんばれないし、幸せに生きられないですよね。

それぞれの人が「自分」という意識の中心を持っているのですから、
他の人にいつもいつも心をいじられていると、
自分を否定する気持ちしか持てなくなってしまうのです。

☆ちゃんは、ただただ自分のしたいことを、寝ても冷めても追いかけ続ける
自由な時間の流れの中で、
個性的で利発で、しっかりとした自分の言葉と考えを持った子へと
成長しつつあります。

大好きなことばかり、ずっと続けてきた♪ (恐竜の解剖図)

2018-04-10 16:03:18 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

(過去記事です)

今日は、半年前に東京に引越していった小学2年生の◆くん、4歳の●くん

兄弟が教室に来てくれました。

お兄ちゃんの◆くんは、3歳の頃から引っ越す前月まで、毎月、虹色教室に来てくれていました。

弟の●くんも、生まれてまもない時期からお兄ちゃんといっしょに教室に来てくれていました。

ですから東京に行っても、ずっと「虹色教室に行きたい」と言い続けてくれていたそう‥‥‥。

 

お父さんの用事のついでに、

教室にも顔を出してくれることになりました。

 

「久しぶりに虹色で何をしたい?」とお母さんにたずねられた◆くんは、

「恐竜の解剖図が作りたい。前になおみ先生と作ったみたいなやつ」と言ったそうです。

 

そういえば2年ほど前、◆くんと図鑑を見ながら解剖図を作ったことがあったのです。

↑の左がかつての解剖図。

当時は◆くんが恐竜の絵を全て描いて、内蔵部分を作る時は、

わたしも少し手伝いました。

が、2年生になった◆くんは、材料だけ用意してあげると、

最初から最後まで

自分で作っていました。

 

 

 

↑◆くんが幼稚園の頃から作り続けている

恐竜の図鑑。

これまで何百枚、何千枚と絵を描いてきているので、

見本も見ずにさらさらと恐竜や世界地図を描いていきます。

◆くんは好きなことをずっと続けるうちに、

恐竜のことだけでなく、世界地図、体の内部の名前や仕組み、歴史、動物の生態など

それはさまざまなことを深く理解しています。

算数もとても得意です。

それに気持ちが優しく遊び上手なので、同年代の子からも、

年上の子や年下の子らからも好かれています。

 

こんな◆くんも、幼稚園時代は、「自分の好きなことはやりたいけど、好きじゃないことはしたくない」

と言い張って、「わがままな子にならないか」「お勉強ぎらいないならないか」

とお母さんをやきもきさせていた時期もありました。

 

◆くんのお母さんは、「大好きなことばかり、ずっと続けさせてきたけれど、それだけでいいんだなって

最近思うようになりました。好きなことを思う存分させることで、

他に何もしなくても何でもよくできるようになっています」

とうれしそうにおっしゃっていました。

↑今日は4歳になった●くんも恐竜の解剖図を作っていました。

下のイラストは●くんが描いた恐竜です。

 

今日のレッスンには、恐竜好きの5歳の男の子も参加してくれました。

 

3人でゲームをしたり、ストローでUFOキャッチャーのおもちゃを作ったりして

遊びました。

算数の学習にも3人とも集中してしっかり取り組むことができました。

 


友だちと上手に遊べず、感情を爆発させる4歳の息子にどう関わればいいでしょう?

2018-03-15 21:43:56 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

なつかしい記事があったので、再度アップさせていただきます。

この時、ご相談いただいていたなおくんは、もう小学校の4年生。

物作りが大好きでとてもしっかりした子に成長しています。なおくん、それは魅力的な子に育っています。

先日、お会いした際は、なおくんの成長ぶりに、お母さんは終始、目を細めておられました。

「なおくんのように自分のやりたいことがたくさんあって、それらに熱中できる子に成長してくれたら」と願う幼い子を育てる親御さんの声を耳にしました。

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親子のボタンの掛け違い……10

の記事に なおハハさんから次のようなコメントをいただきました。

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息子は4才の年中児であるのに、友だちに対する壁があって、他の子を遮断するような遊び方をします。そして揉め事でキーキー喚く。
お友達との時間を心地よく感じていない
等々、4才になってもそのような言動(寧ろ酷くなっています)があると言う事は、私が息子にとっての『最優先課題』にずっと気づいていないのですね。
気づいていない、という事は息子の本質や内面に向き合っていなかったからでしょう。
5才を前に、向き合うよりも威圧的に抑え込む事が度々あり感情的になるのですが。
まずは、感情を爆発させる息子の気持ちを受け止め発散させる事で治まるものでしょうか?

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ハンドルネーム、お子さんの年齢等が熊本の遊びのアトリエさんのところでおこなったワークショップに

参加してくれていた なおくんのお母さん からのものと思われるので、

そのように考えてお返事させていただきますね。

(もし違っていたら同じハンドルネームの方との勘違いです。ごめんなさい。コメント欄でお知らせください。)

 

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4歳の息子さんが、他の子を遮断するような遊び方をしたり、揉めてキーキー喚くのは、

なおハハさんが、息子さんの『最優先課題』にずっと気づいておらず、

息子の本質や内面に向き合ってこなかったからではないか……というお話ですね。

 

子どもの問題行動にはさまざまな原因があるでしょうから、

何か気になることがあるたびに、「それは親のわたしが至らないからではないか。このように育てたからではないか。

自分に何か足りないから子どもに問題があるのではないか」

と案ずるのは

間違っていると思います。

 

その一方で、実際、熊本で会ったなおくんの姿を思い返すと、

もしなおハハさんが、なおくんの『最優先課題』に気づき、

なおくんの本質や内面に向き合うように努めたら、

今悩んでおられるなおくんの気になる態度は軽減するようにも感じました。

 

それは矛盾のある意見のように聞こえるかもしれませんが、

たいていの親子関係はそのようなものだと感じています。

 

子どもは常に何らかの問題を外の世界に投げかける存在です。

 

成長過程ですから、

全て円満で、その地点で完成してしまって

後は何の心配もなく安穏と暮らすだけ……

となるわけがないのです。

 

3度3度の食事でお腹がすくから

ごはんを食べるのと同じで、

いろいろと足りないところや、欠如感に悩むから、

それを周囲に充たしてもらったり、

自分で乗り越えたりしながら

しっかり成長していくのです。

 

ですから、「何かが足りない、うまくできないことがある、うまくいかないことがある」のは

誰のせいでもありません。(何らかの原因はあるかもしれませんが)

 

でもそこで、子どもから投げかけられたものに

周囲がしっかり向き合って、子どもからのSOSがあればそれに答え、

子どもの長所や良い面が発揮できる環境を整えてあげると、

雨降って地固まるじゃないですけど、

気になった問題をきっかけに、親子関係が改善されたり、

子どもが劇的な成長を遂げたりすることはよくあるのです。

 

それではなおくんの話に戻りますね。

 

熊本でのワークショップを終えて、積み木やおもちゃをアトリエのジジさんの車に

運ぶ時のこと、

他の子どもたちはみんな帰ってしまった後も、なおくんだけが

おもちゃを抱えて後片付けのお手伝いをしていました。

ジジさんの「なお、これしまうの手伝ってくれるか?」の声かけに

表情を輝かせてこっくりしたなおくんは、

「重い」とか「疲れた」といった弱音を一度も吐かずに

積み木を抱えて駐車場までついてきてくれたのです。

 

なおくんはジジさんが自分のことを心から信じて信頼してくれていることを

よく知っていて、

ジジさんのまなざしのなかでは

すなおでがんばり屋の自分でいることができるのです。

 

ワークショップの間のなおくんは

とても集中して参加できていることと、

活動の輪からはずれて、参加できずにいることが

ありました。

 

なおくんが集中して参加できていたのは、身近に大人や親しくしてくれるお友だちが

ひとりいて、

安心できる1対1の人間関係が保証されている場での活動でした。

一方、参加を渋っていたのは、

子どもたちだけでワアッと盛り上がって群れて

遊んだり、発言したりしていた活動でした。

 

その様子から、もう少しの間、もうお腹がいっぱいだ、と本人が感じられるくらいまで、

 

お母さんとなおくん、

ジジさんやボッスさんのようななおくんに存分に愛情を注いでくれる大人となおくん、

なおくんといっしょに根気よく遊んでくれるひとりのお友だちとなおくん

という1対1の関係を密に豊かにすることを心がけては

どうかと思いました。

 

 

 「5才を前に、向き合うよりも威圧的に抑え込む事が度々あり感情的になるのですが。
まずは、感情を爆発させる息子の気持ちを受け止め発散させる事で治まるものでしょうか?」

というなおハハさんの質問を読んで、

今、なおハハさんは「わが子のことを理解し、感情爆発させても優しく受け止めてあげるような

すばらしい母になろう!もっといい親にならなくちゃ!」

と焦るよりは、

 

少し肩の力を抜いて、

子どものことで気になることは信頼できる遊びのアトリエのスタッフの方々などの判断におまかせして、

「自分に優しくする」ということや

「自分に優しいまなざしを向ける」ということを練習する必要があるんじゃないかな、

と感じました。

 

「自分に優しくする」「自分に優しいまなざしを向ける」大切さについては

かつて次のような記事にしたことがあります。

よかったら読んでくださいね。

 

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ハンドルネーム『わからない』さんから、次のようなコメントをいただきました。

私はもう どうしていいのかわかりません
何度言っても出来ない、同じ過ちをする子供
中1ですが、今まで何も変わらず
今日は食事を与えていません
もうどうして良いかわかりません
診断下してくれる病院は1月まで予約が一杯です

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『わからない』さんは、今、食事抜きを言い渡したことで、
自分自身がとても傷ついているのですね。

そんな風に心が深く傷ついているときは、

何とか子どもを正しく諭そうと、子どもの方にフォーカスせずに、

まず自分が今、何でどれほど傷ついているのか、
それは子どもの起した事件によるものなのか、
がんばってもがんばっても成長しないわが子への怒りによるものなのか、

じっくり自分の心と向き合ってみるのが良いように思います。
『わからない』さんがこんなにも混乱しているのは、
非常に子どもを愛していて、
叱ったり、食事を抜いたりする子どもへの攻撃が
そのまま自分の痛みとして感じられているからだと思います。

まず、自分の心を癒して、
傷つくという悲しい気持ちを実感すると、
今度はがんばってもがんばっても周囲の期待に応えられない
子ども自身の深い悲しみが
しんみりと伝わってきて
きちんと受け止めてあげられるかもしれません。

混乱と悲しみの渦中にあるときは、
自分の本当の心を見失っています。

将来への不安や恐怖心、
周囲の人々の冷たい視線や心無い言葉

そうしたものにまどわされて、
子どもに対するイライラする心の底にある
深い愛情が、
見えなくなってしまうのです。

恐怖心でパニックになっている状態です。

ですから、パニックを沈めるために、
まず、自分自身にもっと優しくしてあげなければ
ならないのです。
そうして、恐怖が薄らげば、
何をすればよいのか
一番知っているのは自分だということに気づくはずですよ。

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前回の記事に次のようなコメントをいただきました。

二歳8ヶ月の息子と6ヶ月の息子を持つ母です。
私も、わからないさん同様混乱の中にいます。
私をなんとかしなきゃなぁ…と思いつつ、「自分に優しく」っていうのが、分かりません。
一歳半で発達障害の可能性を保健師に指摘されています。初めて会う子や、

自分の勝手なテリトリーを乱す子に威嚇する息子(ウルトラマンなんかに変身して、

格好つけてパンチしたりしてます)にイライラしてしまい、キツく叱りつけたり、怒鳴ったり、手をあげてしまいます。
本人は、きっと「カッコいいでしょ?」って思ってやってるんですけど、

された方は怖がったり、泣き出したり…
関わりたい気持ちが、そうさせてるのは分かってるつもりなのに、

なんで怖いのが分からないかなぁ…と悲しくなってしまいます。
自分に優しくとは、どうする事なんでしょう?
息子にどんな関わり方をしていったらいいのでしょう?
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「自分に優しく」するひとつの方法は、さまざまな義務感や、緊張や、外野の声を
手放して、
自分を甘やかすこと、自分がうれしくなってリラックスできること
だけをしばらくしてみることです。

ご質問者さんは、子どもは公園に連れて行ってあげなくてはならないもの、
今から輪に入れておかないとお友達ができなくなる、
自分もママ友から置いてけぼりを食ってしまう……

といったさまざまな縛りから
無理してそんな辛い公園通いをしているのかもしれません。
でも、いったんそうした義務感を
捨ててしまうのです。
子どもと一緒に「人のいない自然の多い場」にピクニックに行くのもいいです。
そのとき、お弁当を作ろうなどと思わず、
ちょっと贅沢しておいしいパン屋さんでサンドイッチのセットを買っていくのも
楽しいです。
もともと子供というのは危険な遊びが好きで、攻撃的で暴力的な
一面があります。それがおかしいと思う気持ちも手放します。
そうした子どもの野性味を強さとしてたくましく感じられる
山登りなどに行くのもいいです。

そうして、混乱のもととなっているさまざまなノイズから遠ざかって
自分と子どもで楽しめることだけを
しばらくしてみるのです。

そうして子どもとのかかわりが良いものになってくると
子どもは、お友だちを欲するようになってきます。
社会性はゆっくり発達するでしょうが、
少しずつ我慢もできるようになってくるでしょう。

私は発達障害のお子さんを持つ多くのお母さん方に会ったことがありますが、
どの方もこの難しい子育てを通して精神的な成長を遂げて
凛としたところのある賢い方々です。

こうした先天的な困難を持って生まれてきた子たちは、
親御さんにたくさんの成長をプレゼントしてくれる存在でもあります。
また社会全体が精神的な成長していくための
問題を提起してくれる存在でもあります。
だれもが誇りを持って働いていける世界はどういうものなのか
模索していくチャンスをくれているのです。

そうした話の全てがむなしい言葉として響いたり、
全てを拒絶したい混乱した気持ちにあるときは、
自分で自分を責めていじめている場合がよくあります。
そうしたときには、やはりしばらくは
自分を喜ばせることと、気分がおちつくことだけをして、
それに罪悪感を持たないことが大事だと思います。
そうしてパニックがおさまれば、
個として懸命に生きている子どもの姿が
正確に見えてくるはずですから。

私が出会った
凛としたところのある賢いお母さん方というのは、
どの方も一度は混乱しパニックを起し、
子どもを攻撃してしまった辛い経験を通ってきている方々です。

 

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なおハハさんからていねいなお返事をいただきました。

身近に頼れる人々がいるのは心強いですね。

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遊びのアトリエでお世話になったナオの母です。

奈緒美先生の書かれている「1対1の関係を密に豊かにすること」や「子どもへの攻撃がそのまま自分の痛みとして感じられている。」
という言葉が胸に突き刺さりました。

最近の私は、沢山のお友達と遊ばせなければ、色んなタイプのお友達と関わりを持たせなければ・・・もっともっと、とばかり考え焦っていました。

その一方で、沢山のお友達の中で遊ぶ息子の気になる部分や他のお友達より劣ると感じてしまう部分にばかりフォーカスをおいてしまい、イライラ感を募らせる事も多くありました。

そして、息子の『☆君とだけ遊びたい』と言う言葉に耳も貸さず、『どうして、あなたはそうなの?、皆と遊べるようになったほうが良いし、楽しいのよ。』と自分の意見を押し付けていました。
その上、息子に対するイライラが二人きりになった時に爆発してしまう事の繰り返しで、愛おしくてたまらないのに、怒鳴ったり手が出たりするのが息子を傷つけるのと同時に自分の心も傷つけていました。

最近、私だけでなく幼稚園の先生やお友達に対しても怒りをあらわにする息子に『どうして、あなたはそんなに大きな声で怒るの?』『なんで、我慢出来ないの?』と言う度に、まるで自分に言い聞かせている様でどうすれば良いのか分からなくなっていました。


確かに、まずは自分を癒す事が必要なのかもしれません。
幼稚園のママ達とも息子の為に上手く付き合わなければ!と頑張りすぎていたのかもしれません。

そして、何もかも息子の為にという表面的な言葉の奥底に自分の中の深い傷、どうしたら良いか分からない辛い思いがあるのも事実です。

先生の仰る通り、少しずつでも『自分に優しくする』練習をしていきます。
そうすることで、息子にも穏やかに接する日々が続けば息子も私もお互いにとって良い関係を築き、親子ともに成長出来るのかもしれません。

息子の気になる部分も出来るだけ遊びのアトリエの皆さんにおまかせして、まずは自分を甘やかしてみます。

深く温かいお言葉の数々、本当に有難うございました。



工作するときの自分流の知恵 と 学び

2018-01-30 14:46:48 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

小学2年生のAちゃんの自己流の知恵です。感心したので記事上に残しておきたくなりました。

お得意の馬の絵を2枚描いてから、2枚の絵の間に丸めた厚紙を挟んで貼っていました。

すると、馬が立体的になるからです。

すばらしいアイデアだと思いました。

 

年長のBちゃんのアイデアです。ゆるキャラを作りたい、丸いお弁当の空き容器を2枚張り合わせた後で、

色紙を貼っていました。

感心したのは、円錐型の上部を切ったような底に広がった立体に紙を貼る時、折り紙を台形に切ったものをたくさん作って

貼っていたことです。

大人なら即座に全体を覆うように紙を貼ることを思いつくでしょうが、小さいパーツを貼って全体を埋めていこうとする

ところがBちゃんならではでした。それにしても、カーブになっているところは台形の紙を貼っていくとは

びっくりしました。

 

年長のCちゃんの作品です。

もぐらたたきを作りました。

もぐらがピョコッと飛び出すしかけはわたしが教えたものですが、

筒状のものを箱にあてて、丸を書いて切り抜いたり、トンカチを作ったりしたのは

すべてCちゃんです。

トイレットペーパーの芯の真ん中あたりにひもを取り付けます。

ひとまわり大きい筒(もぐら)をかぶせてから、ひもを引っ張ると

モグラが上に上がります。

それをトンカチでたたくゲームです。

 

<ポラロイドカメラ>

年長のDちゃんの力作です。

100円ショップ筒状の虫眼鏡を取り付けているので、後ろの透明の画面をのぞくと、

不思議な光景が見えます。

これは、押すと、写真が出てくる仕掛けです。

年長の子らが算数脳トライアルをしているところです。

難しい問題でしたが、投げ出さず最後まで考え続けていた姿がたのもしかったです。

 


ハイスコープの学習についての本を紹介してください

2018-01-26 23:29:12 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう
忙しくて、手付かずになっている 虹色教室通信 別館の記事、

★計画ー実行ー再考  の学習 ハイスコープ


★計画ー実行ー再考  の学習 ハイスコープ 2



★子どものあこがれを創作活動へ♪

について、質問をいただいていました。
ハイスコープという学習法について調べても
英語の論文くらいしか見当たらないので、
関連書があれば教えてほしい……
というご質問でした。

ハイスコープ の教育法を扱った本が、
これまで日本で発売されているのは見たことがないのです。
でも、その考え方にとても近いと思われる
本でしたら紹介できますよ。

「考える力」はこうしてつける

ジェニ・ウィルソン&レスリー・ウィング・ジャン著
新評論

です。
学校の教員用の書かれた内容ではありますが、家庭でも参考になりますよ。

この本の他には、多元的知能を扱った本は、ハイスコープの考え方に近いと思います。

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すでに必要な思考力と知識をもっている子どもでもよく
学べないことがある。
メタ認知能力が育っていないからである。
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自立した学習者を育てることを
目的とするこの本では、子どもに「考える力」をつけるための
さまざまな方法をしるしてあります。

またセルフ・エスティーム(自分としても誇りに思い、他者からも充分に認められるであろうという自負心・自尊心)を
高めるための活動もいろいろ載っていて、海外の学校はすごいな~。
学校でこういう活動をすることなど思いもつかない
日本の子の自己肯定感が最悪なのもよくわかる~」と感じました。

この活動のねらいは、
●自分の存在価値を見いだす。
●自分自身の能力に自信を持つ
●作業をするときに肯定的な姿勢で臨む
●生徒たちに、自分の長所や短所、または学びをどのように
改善できるかを考えさせる

といった点です。
日本の学校で、こうした能力を伸ばしてもらうのが難しいなら、
各家庭で、きちんと時間を取って、
子どものセルフエスティームを高める努力をしなくてはなりませんね。

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話を
自立した学習者を育てること
に戻しますね。

この著書は、教師用のテキストではあるのですが、
「すごいな~」と感心するのは、
さまざまな活動をする際、
使う思考力をチェックしているところなんです。

理解する
解釈する
仮設を立てる
分析する
まとめる
振り返る
理由付けする
明らかにする
判断する
一般化する
評価する
合意を形成する
計画する
調査する

といった思考力のひとつひとつが具体的に活動の中で
発揮していけるようていねいに授業案が練られているのです。

また、「まとめる」という使う思考力のひとつにしても、
論理的数学的能力を使う場合
デザインする  推論する  分類する
仮設を立てる  立案する  系統立てて説く  提案する

言語能力を使う場合
詩や文を書く 書き直す 提案する 推論する 応用する ディベートする
擬人化する 制作する

空間能力を使う場合
系統立てて説く  計画する 提案する 整える デザインする 
構成する 作り直す

音感能力を使う場合
編曲する 表現する 即席で演奏する 感情を表す 象徴化する
作曲する 物語を話す 移調する 

身体運動能力を使う場合
感情を表す 物語を話す(創案する 組み立てる デザインする 建造する
整える 立案する 分類する)

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まとめるというアウトプット法ひとつとっても、
これだけあって、学校で、具体的に子どもたちがそれを学ぶ工夫をしているのは
すごいことです。

私が虹色教室で目指している子どもへの接し方も、
ハイスコープや多元的知能の研究についての
考え方を元にしています。

ですから、工作活動であっても、絵本を読む活動であっても、
論理数学的な能力、言語能力、空間能力などを
まんべんなく使えるように工夫しています。
そうして子どもと接していると、
子どもというのは、それぞれ得意な知能をもっていて、
それを発揮する場があると、(もちろん、いきなり大人の期待通りに変化するわけではありませんが……)
意欲的で前向きにがんばるように
なるのを感じています。

真夜中計画 と 嘘と勘違いのちがい

2018-01-05 21:24:11 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

宇宙をテーマにしたお泊り会での出来事。

紙コップと豆電球でオリジナル懐中電灯を作ってうれしくてたまらない小3のAくん。

いっしょに寝る部屋の子らといっしょに、「真夜中計画」というのをもくろんでいる

という話を聞きました。

後から聞いたところ、夜中の12時になったらその懐中電灯で掛け時計を照らして、真夜中かどうか確かめる

腹積もりだったそうです。

翌朝、「真夜中計画はどうなったの?」とたずねると、

むくれ顔で、「できなかったよ。」と言いました。

「12時になる前に寝てしまったの?」とたずねると、

「どうもこうもないよ。お母さんたちが、ぼくが作った懐中電灯を取りあげちゃったんだから。」

とぼやきました。

「それは残念。」と話していると、別の部屋で寝た3年生のBくんが、

「ぼくたちなんて、夜中の2時まで起きていたよ。」と自慢しました。

Bくんは最初、男の子たちが集まって寝ている部屋で寝る予定だったのですが、

心細くなって、大人が多い部屋に移って寝ていたのです。

 

真夜中計画がとん挫して残念そうな男の子たちが、

「本当?本当にあっちの部屋の子らは夜中の2時まで起きていたの?」とたずねるので、

その部屋にはわたしもいたので、

昨晩、あったことを話しました。

「子どもたちが寝込んでずいぶんたったな、と思った時、時計を見てみると11時半だったわ。」

それを聞いた1年生のCくんが、しばらく頭をひねっていて、

ひらめいたように、

「11時半の時に、寝込んでずいぶんたったって思ったなら、2時まで起きていたなんて嘘だ。

Bくんは嘘つきだ!」と言いました。

「だまされた」と憤慨しています。

そこで、「嘘じゃないわよ」とわたしが言いました。

「だって、Bくんは懐中電灯を持っていなかったんだから。夜中の2時かどうかなんて確認できないでしょ。

それは、嘘じゃなくて、勘違いというものでしょう。」


すると、Cくんは、嘘と勘違いのちがいについて、しばらく考えていました。

Cくんとふたりで、「嘘はだますためにつくもの、勘違いは事実を間違えて捉えることよね。」といった話を

しばらく楽しんだ後で、Cくんは、「Bくんはだますんじゃないけど、ほかの人に2時って思ってほしいみたいだったよ。

間違えてほしいみたいだった。だから、自分が、勘違いしたのと違う。」と言いました。

「それは、嘘に似ているけど、自慢したいから、相手の方に勘違いしてほしいって思ったということかな?」と言うと、

Cくんは、真剣にそれらのちがいについて考え続けていました。

 


「興味を広げる環境を整えてきたのに知的好奇心が薄い気がします」 

2017-12-24 18:28:09 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

 この時相談をいただいたBちゃんは今小学3年生。「何もしたくな~い」と言っていた

年長の頃には想像もつかなかったほど、好奇心旺盛で考えることが好きな子に

成長しています。いつも歴史人物の本を手放さないほどの歴史好きで、

家族旅行で出かけた先のめずらしい地形を工作で再現するのを楽しんでいます。

最近のBちゃんの作品(徳島の渦潮です)

頭脳パズルやボードゲームが得意で、算数の学習に自信を持っています。

お母さんと協力して、Bちゃんの意欲と好奇心を大切に育んできてよかったと感じています。

時間に余裕がある日は、帰宅時にレッスンに来た子どもたちを(入場券で)

大阪駅まで見送りに行って、

大理石に埋まった化石を見つける手伝いをしています。

何度も大阪駅に足を運んでいるので、新たな駅の見所や楽しみ方が増えました。

迷惑がかからないように行儀よく観察するようにしています。

 

普段は行かない遠方行きの路線の乗り場に行ってみると、めずらしい列車に会える

時があります。また、移動の際に、子どもたちに「マークを見つけたら報告してね」

と告げておくと、とってもレアで美しいマークが次々見つかってワクワクします。

 

土曜のレッスンに来た年中、年長さんたちとも大阪駅に寄ることになりました。

きっかけは、Aちゃんが化石について学ぶワークショップで

作ってきた『おゆまるのアンモナイトの化石』です。みんな興味しんしん。

ついでに教室の鉱物や石や化石のコレクションを見ることになりました。

 

鍾乳洞に行った子のおみやげ。ひんやりして気持ちいいです。

 

 

大理石の中のアンモナイトの化石。

 

石を眺めるうちに、「キラキラする宝石みたいなものが作りたい」という子どもたち。

アルミホイルで正八面体や正六面体を作ることにしました。

アルミホイルは適当な形を作ってから一面一面磨いていくと、

銀細工のような美しい塊に仕上がるのです。どろだんごづくりのような熱心さで

これに臨む子は多いです。アルミホイルで巻貝の型を取る遊びもしました。

 

話が脱線しますが……実験や工作をする時、アルミホイルはとても魅力的な素材です。

社会に貢献するアルミ箔の世界 という日本アルミ二ウム協会のホームページでは、

うちわとアルミ箔で手作りデジタルアンテナを作る方法とか、

アルミホイルを使って和紙を形状記憶素材にして工作する方法などが紹介されています。

 

 途中から子どもたちは、ボンドでビーズやスパンコールなどを

埋め込むアクセサリー作りをはじめました。

 

レッスン後、大阪駅まで見送りに行く途中、Bちゃんのお母さんから、

「幼い頃から興味を広げる環境を整えてきたつもりなんですが、

Bは知的好奇心が薄いように思います。どうしてでしょうか?」という質問を

いただきました。

 

Bちゃんが虹色教室にくるようになったのは半年ほど前。慣れるにつれて、

「わたしは今日、こういうことがしたいんだ」と主張することが増えました。

 他の子らと別行動を取ることが多いものの、自分発のやりたいことを一通り終えたら、

こちらが提案することに積極的に取り組むし、お友だちと協調してする活動も

楽しんでいるので、社会性の発達はしっかりしている様子。

 

今、Bちゃんは、自分で自分のすることを決めて、

自分で自分をコントロールしてやり遂げることで、

心地よさを味わったり、自信をみなぎらせたりしているのでしょう。

ですから、今のBちゃんの姿はそのまんまでいいのでしょうが、Bちゃんのお母さんの

言葉についてもよく考えてみることにしました。

 

 

この日、Bちゃんは教室で何をしたいのか決めてきたようで、他の子らが

「キラキラする宝石が作りたい」とか「水が勝手に塗り絵をする実験がしたい」と

口々に言いながらテーブルで作業する間、

「わたしはしなーい。わたしはやりたいことがあるんだもん。」と言って

材料入れを探っては何やら作っていました。

それがこのキラキラアクセサリー作り。

他の活動が一段落した子らが、いっせいにBちゃんの真似をしだしました。

 

「貝がらや生き物の骨なんかが土の中に埋まって、

上から粘土や砂や火山から出てきたものとかが、重なって重なって、

しまいに埋まっていた貝がらや生き物の骨なんかが化石になったのよ。

ビーズやスパンコールをボンドの中に埋めると化石みたいね」と話すと、

年中のCちゃんが話に強い関心を示しました。

 

 

このグループは最近レッスンに参加するようになった子が主なのですが、Cちゃんは

数年前から通ってくれている子で、教室で上の写真のような

地層に化石が埋まっている絵本作りをしたり、(写真はCちゃんとは別グループのもの)

家族で出かけ先でおみやげにアンモナイトの化石を買ってもらったりした

思い出があります。

おみやげの化石を教室に持ってきて、他の子らがCちゃんを

「ちょっと触らせて」「いいなぁ」と取り囲んで、

一緒に化石を発掘するごっこ遊びをした日は、それは誇らしそうな顔をしていました。

そうした楽しい記憶の積み重ねのせいか、Cちゃんは、化石はどうやってできたのか、

アンモナイトの身体はどうなったのか、

地面がクリームやチョコを重ねたケーキみたいになっていくのはどうしてかなど、

気になることがたくさんあるようでした。

 そんなふうに、蓄積されたバラバラの体験が、ある日臨界点を迎えて、

どっと疑問としてあふれだしたり、深い興味につながったりする瞬間があります。

 

ですからBちゃんの知的好奇心にしても、

こうした楽しい時間を重ねていればいずれ目覚めてくるもの、と

気長に待てばいいのかもしれません。

 

ただ、ひとつだけBちゃんのお母さんの話を伺ううちに気にかかったことがありました。

Bちゃんのお母さんは、Bちゃんにどのような環境を与え、親としてどのように接して、

今度、どうやって学習習慣をつけさせるのか、何度もていねいに検討する方です。

Bちゃんのお母さんの考え方や接し方は、どれも無理のない温かみのあるもので、

Bちゃんの自己肯定感を高めていることがよくわかります。

 

それにもかかわらず、「ひとつだけ気にかかった」と書いたのは、

Bちゃんのお母さんは、Bちゃんのことについていつも細かい点まで

考えに考えているけれど、Bちゃん自身は、「考えるのはお母さんの仕事、

わたしはやるだけでいい」とばかりに常にケロリとしていて、

自分のしていることを気にとめる様子がないことです。

Bちゃんのお母さんのお話をうかがううちに、

わたしはBちゃんの知的好奇心や教育についての話題が、

「何を与えたらいいか」「どう説明すればいいか」「どう教えればいいか」

「何をしてあげればいいか」といった

お母さんからBちゃんに向かう一方向の働きかけに終始していることが気になりました。

また、ていねいに先の環境を検討する理由が、後々、Bちゃんがジレンマに陥いら

ないように、問題にぶつかって悩むことがないように、

問題自体が起こらないような環境を選んでおこうという思いに基づいていることも、

Bちゃんの考える態度に影響を及ぼしているように感じました。

 

わたしが子どもの知的好奇心を育てようと思ったら、

まず、「その子がどんな内容の話に夢中になるか」

「どんな場合、熱心にこちらの話に耳を傾けるか」

「わくわくする表情を見せるのはいつか」

「少し難しいチャレンジに臨むのはどんな場面か」

「時間が経過しても熱心に考え続けるようなテーマは何か」といった

その子自身が周囲やわたしに向けて発信しているものを具体的に捉えます。

 

そうした上で、「興味を広げるのにこの子にあった働きかけはどんなものか」

「思考を追うのにこの子にあった表現方法はどんなものか」

「もっと意欲的に自分の意見を言うようにするには、どんな場面を作るといいか」

を探りながら試していきます。

子どもが重度の自閉症で、会話が成り立たなかったとしても、

より微細な情報にも注意を向けながら、そのようにしています。

 

また、子どもの環境には未完成な部分や葛藤を抱えるような部分、

問題にぶつかるような部分をわざわざ残しておいて、

子どもといっしょにそれを乗り越えるようにしています。

 

Bちゃんたちと大阪駅に寄った時、Bちゃんは化石探しを心から楽しんでいましたが、

最も顔が輝いていたのは、

移動中、偶然始めた「マークを見つけたら報告する」という遊びで

改札の近くで「新幹線のマーク」を見つけた時でした。

Bちゃんがこのところ、他の誰のアイデアでもない「最初にわたしが思いついたこと」に

固執している姿を思うと、「新幹線のマーク」に惹かれた理由がわかる気がしました。

というのも、壁一面のサンゴの化石に圧倒されるようなインパクトがあろうと、

「こっちにも化石がある」「あっちにも」とお友だちと報告しあうのが面白くても、

結局、どれも誰かに教えられたものなのです。

その一方で、「マーク見つけ」は大人から見ればどこにでもあるようなものでも、

この日たまたま始まった遊びなので、

率先して探していたのはBちゃんですし、「新幹線のマーク」のように

めずらしいものは、Bちゃんだけの新発見なのです。

 

つまり、主役はBちゃん。

そこのところは、何をさておき大事なんだろうな、と子どもたちと接していて感じます。

特に一見控えめで受動的に見える内向型の子にとって、

「自分の主観が尊重されていること」は絶対外せないお約束のようです。

 

 

子どもが夢中になっていることについて、

知的好奇心をくすぐるような話題や疑問を投げかけても、

「もう、いいの」と会話を終わらせたり、

楽しそうにやっていたことをやめてしまう子がいます。

Bちゃんも、自分のしていることを言葉で捉えなおすのを

極力避けたがる癖があります。

Bちゃんは自己肯定感が高くて知力がしっかりしている子ですから、

そういう個性として受けとめて、成長を待つのもいいのでしょう。

 

でも、これまで以上にBちゃんといっしょにじっくりと考える面白さを味わい、

会話を深めたいとすれば、これまでやってきたことの内容はそのままで、

それぞれのバランスを少し変えるといいのではないでしょうか。

 

Bちゃんのお母さんは、先のことを慎重にていねいに検討し、

最終的に無理のない適切な判断をくだす方です。

それ自体はすばらしいことで、これまでもよい選択をしてきたからこそ

Bちゃんがのびのびと子どもらしく成長しているわけです。

でも、今までBちゃんのことで、100パーセントそうして決めてきたところを

90パーセントか85パーセントくらいに控えて、

無計画でいい加減な部分を少しだけ残しておくと、

Bちゃんが思わぬ困りごとにぶつかったりジレンマに陥ったりする機会が

ほどほどにあっていいのかもしれません。

悩んでいる子を見守るのはつらいですが、いっしょに問題を乗り越えることで、

問題解決能力が鍛えられるし、メタ認知力も育ってくるはずです。

自分の経験していることに対するアンテナの張り方や責任感が違ってきます。

 

また、お母さんが、「Bちゃんにどんなことをしてあげようかな」

「何を教えようかな」「何を与えようかな」と考える比率と、

「Bちゃんは何を言おうとしていたのかな」

「夢中になっていたのは、何が心に響いているからかな」

「Bちゃんが自分から会話を深めていこうとする内容はどんなものかな」

ということに思いを巡らせる比率を、これまで9対1くらいだったのを、

5対5とか4対6くらいに変えてみるのもいいのではないでしょうか。

 

Bちゃんの生活の中で、Bちゃんが選べんだり決めたり、

それによって失敗したりする比率を増やしたり、

Bちゃんの考えに耳を傾けたり、Bちゃんに相談を持ちかけたり、

Bちゃんの表現活動に本作りやお話のひとこと感想や新聞作りのように

言葉を使うもの(無理に文字を書かさなくても、子どもの言葉を聞いて

大人が書いてあげるのもいいと思います)を加えていくのも大事なのかも、

と感じました。

虹色教室でも、そうした活動の幅を広げていってあげたいと考えています。 


『子育てのしかた』虹色文庫

2017-12-12 18:48:29 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

 

小学2年生のAくんが、お母さんへのクリスマスプレゼントとして、

『こそだてのしかた』(二年生よう 8さいよう)という本を作りました。

虹色文庫の本に加えることになりました。

なかなかためになる内容……。「全国のお母さんに読んでもらうといいね」というと、

大きくうなずいていました。

(勉強しながら泣いている子の絵にある

丸いものは、いらいらしてぐちゃぐちゃにしたプリントなのだそうです。

〇✖クイズの③の答えはわたしもどちらかわかりません。今度Aくんに聞いておきます。)

感想はAくんあてに、

コメント欄に書いてください。子どもの読者も歓迎しています。

 

<もくじ>

しゅくだいのことなど

はみがきのことなど

手あらいのことなど

よるべんのことなど

もんだいがわからないときのこと

りかいできないこと

てびき

 

 

<しゅくだいのこと>

こどもが しゅくだいをぜんぜんしないときは

とてもやさしく「しゅくだいしいや」というようにする。

または、自分(を)二年生だと思って一年生になにかを

おしえているようにしましょう。

「しゅくだいやりや」とおばけみたいにでてくると

子がとてもこわがるのでふつうに なぜなぜしながら言いましょう。

自分にじしんをもっていいましょう。

しゅくだいが時間がなくてできないときは学校に(の?)まえにやりましょう。

子どもをいそがせずにゆっくりやっていいよと言いましょう。

 

 

 

 

<はみがきのこと>

子どもがはみがきのとき ぼー(っ)としていたら、

とってもやさしく「はみがきやりやーいろんなところみがきやー」

とふんわりしたこえでゆうと、

子どもはいろいろなところ(を)よくみがいてると思います。

はみがきがとてもあまいとこどもはぜんぜんいろいろなところをみがかず 

ぼー(っ)としているので、ふつうのはみがきにしましょう。

小学生のころ 自分がお母さんに

「はみがきしいや」といわれたようにゆうと子どもはごしごしいろいろな

ところをみがいてくれるとおもいます。

 

 

<手あらいのこと> どう画つき

子どもが ただいまとへやにとびこんでくると

うがいをしてくれない子がいたら、とてもやさしく

「手あらいうがいをしいやーおやつをあげるでー」と言って

あげると子どもはよろこんで

手あらいうがいをしてくれると思います。

 

 

<よるべんのこと>

子どもがあさべんをやりおわったら つぎ 学校から

かえってきたら しゅくだいをやってあそぶでしょう。

でも よるべん がひつような 家が ありますよね。

でもこういういえの人は こどもに

「ちょっとだけだから よるべんしよう」と言ってください。

そうしたら、その子は

やってくれると思います。

でも こどもがやってくれないばあいは

「あそんであげるで」(と)いってください。

いそがしい家の人ならば

「本をよんであげるで」といってください。

そうしたら 子どもは ちゃんと

よるべんをやってくれると思います。

 

 

<もんだいがわからないときのこと>

子どもがこのもんだいわからないといって

「やりや」といったらやりますが

まちがっていたら わーんとないちゃったらかわいそうなので

「だいじょうぶだいじょうぶ」といってあげれば

ちょっとましになって

「いいこやでー」といってあげれば やってくれると思います。

 

 

 

 

 

てびき

<りかいできないとき>

子どもがりかいできないときは おとなが

ちょっとこたえをかいてあげると

ちゃんとわかってくれると思います。

 

<〇✖クイズ>

①こどもをたたく

②こどもをかわいがる

③こどもにべんきょうをやらせない

④こどもをたいせつにする

 

<ふりかえり>

①子どもをたいせつにしよう。

②子どもをはげまそう。

③やさしいこえでいおう

 

<本やからの ねがい>

さいきん このシリーズが少なくなって

きています。たいせつにつかってください。

おねがいします。

 

<まもろう>

この本はぜいきんでつくられています。

なのでこれからがくしゅうするみなさんのために

つかわれます。

本をおりまげないようにしましょう。

 

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Aくんのお母さんからコメントをいただきました。

なおみ先生、コメント下さった方々ありがとうございます。作者Aの母(反省中)です。

コメントがついてる!と本人がとっても喜んでおります。◯✕クイズは確認した所、

③こどもにべんきょうをやらせない→✕
(大人になった時、計算や漢字ができないと困るから)とのことでした~

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虹色教室文庫の編集長(小学6年生)からも、感想をもらいました。

 

やっぱり、優しくされると、ついつい頼まれたことをしてしまうなと思いながら読んでいました。
子供ができた際に、使わさせてもらいます。
シリーズが少なくなっているとのことでしたが、これからも頑張って出版してください。

 

 

 


子どもとの間で生じる『力のゲーム』から抜けるには?<2>

2017-12-07 09:49:43 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

Aくんのお母さんは、洗練されているい印象がある方で、

自分の心に照らして何が重要か何が重要ではないかを

選んで、大切なものだけを選んでシンプルに暮らしておられます。

お母さんの鑑識眼は確かなもので、それはAくんの生活に秩序や知的な雰囲気や

暖かみを与えています。

Aくんのお母さんと話をしていると、情報の渦に飲み込まれそうになっても、

本当に大事なあれとこれに絞り込むことができる方なんだな、

何がAくんにとって大切なのか、感性でわかっていて、日々の中で継続していく力が

ある方なんだな、と感じています。

その一方で、Aくんのお母さんが度々口にする「こんな時にどういうふうにすれば

いいかアイデアが思いつきません」

「レパートリーがなくて……」「発想が浮かびません」といった言葉から、

未知の事柄を想像力を駆使して対応するのは苦手なのかな、と思っていました。

 

Aくんとお母さんは雰囲気がよく似た母子です。

Aくんは今時のアニメよりもヨーロッパの人形劇の動画に惹かれる子。

いいと思うものにしろ、心地よく感じるものにしろ、

重なる面が多いのではないでしょうか。

 

でも、『未知の事柄』を前にした『想像力の使い方』となると、

AくんとAくんのお母さんでは、正反対とも言える違いが見られます。

 

Aくんはゼロの状態からイメージを生み出していくことが好きで

あれでもこれでもないという選択肢すら見えてこないようなあいまいな状態で

根気よく考えを練っていくタイプ。それを最も得意としているし、

そうした頭脳活動をしている時に一番いきいきしている子です。

 

一方、Aくんのお母さんは、そうしたあいまいな場面に遭遇したとたん、

たちまち不安定になって、普段ならゆったりと物を考える方なのに、

「AかBか、どちらかに早く決めなくてはならない」「アイデアは思いつかない」

といった短絡的な決めつけるような心の状態に偏りがちなのです。

 

新しいアイデアが生まれてきそうなカオスな状態や

毎日のルーティーンにほころびができて、新しいことが生まれそうな兆しがある時、

Aくんはそれに敏感に反応して、「いつも通りじゃ嫌だ」と言って、

ちょっとでもその時間を引き延ばして、手探りで「いつも通り」を

拒絶したい思いの正体を探ろうとするでしょうし、

Aくんのお母さんはAにもBにも定まらない漠然とした雰囲気に不安を募らせて、

「いつものAにするか、やめてBにするか、早く決めてちょうだい」

と急かすことになるでしょう。

 

 Aくんがこうした場面で、根気よく自分の思いを追いたいと感じ、

Aくんのお母さんが、手短にAかBかに決めてしまいたく感じる場合、

Aくんは時間の上で焦らされていることにも、

選択肢を2つに絞られてしまったため

第3のまったく新しいアイデアを口にできないことにも、

不満を募らせるに違いありません。

Aくんはそうした不満を直接口にするタイプではないため

かえってこじれることが予想されます。

 

教室でも、新しい独創的なアイデアが実現される前には

必ずといっていいほど、こうした不安的でカオスな間があります。

そうした不穏な空気を感じ取ると、イメージするのが苦手な子は、即座に

「先生決めて」と言ったり、くじびきやじゃんけんで誰かひとりが決める形に

逃げたがります。

 

そうした間での創造性の高い子が最初にする仕事は、

それまで滞りなく流れていたいつものやり方に対して『待った』をかけることです。

想像力が豊かで創造性が高い子の「そんなの嫌だ」「面白くない」という

ダメ出しや妨害は、その子に考えるスペースを作ってあげると、

みんなを巻き込んで熱中するような斬新なアイデアを

生み出すことにつながりやすいのです。

 

これまであれこれ書いてきて、結局のところ、今度Aくんが、

「本を読んで欲しくない」だの「やっぱり読んで欲しい」だの

「やっぱり読まないで」だの「読まないのは嫌」だの、

どっちつかずの態度でぐずる時にどうすればいいのかと問われたら、

わたしの答えは、「今まで通りでいいんじゃないかな」という中途半端なものです。

 

毎日、密に付き合っていく子どもとの関係で、一部分だけ自分のやり方を矯正しても、

正しい対応をしようと考え過ぎても、あまりいいことはないでしょうから。

それなら、Aくんとお母さんの関係についてあれやこれやと思いを巡らしてきたのは

何だったのかというと、そうして十二分にわかった上で、

「こんな時はどうするか」なんて構えないで、自然に自分らしく振舞うと

いいのではないでしょうか。

 

それまでのように、それがお互いの意地の張り合いに発展したとしても、

きっとそれは、Aくんのお母さんが「わたしは、いつものパターンが崩れると、

AかBかの二者選択の急いで答えを出さなければと焦ってしまうところがある。

想像力を使って解決しなくてはならないことが苦手だからな」と意識した上で、

「今日は本を読まなくてもいいの?それなら、お皿を洗ってくるわね」と告げた後の

揉め方とは質が違ってくるはずです。

 

また、Aくんの「Aは嫌。Bも嫌」といった態度に遭遇した場合も、

「この子はどちらの選択肢も否定する時があるけれど、

自分自身の中からAでもBでもない新しい選択肢を作り出すことも多い」と

わかった上でぶつかりあうのは、それまでのエスカレートの仕方とは

異なるにちがいありません。

 

鷲田清一先生が、「賢くある」ということという文章の中で、

<「賢い」というのはつまり「簡単な思考法に逃げない」ということだ。>

と書いておられました。

めまぐるしく変化する現代社会で、多角的にさまざまな立場で長期のスパンを

見据えて、考えなくてはならないような事柄については、

ひとつの正解を求めるなど逃げに過ぎないのです。

子育てにしても、鷲田先生の言葉を借りると、

「あいまいなものにあいまいなまま正確に対応する」べきもの

「正解などそもそも存在しないところで最善の方法で対処する、

という思考法や洞察力」が求められるものなのでしょう。

 

子育ての答えは、子育て本やネットのQ&Aのコーナーにあるのではなく、

親が正解がないことから逃げないで、その時、その時の最善を

探りながら、子どもと歩み続けること、添い続けること、向き合い続けることの中に

あるのだと思います。

 

最初の問いの、

子どもとの間で生じる『力のゲーム』から抜ける方法は、

かつて自分と父親との間で繰り返されてきた、相手をコントロールしようとする

争いを、親としての視点から受け止めなおしてみたり、

現在の子どもと自分の状況や争いの火種となっている物事について、

子どもの目線に下りて眺め直してみたりすると、

心にしっくりくるようなその時々の最善が見つかるかもしれません。


文字を書くことへの不安が強い子と

2017-12-06 20:53:16 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

年長のAくんは、感覚の面でも精神的な面でもとても敏感な男の子です。

完璧主義で不安が強い性質のためか、

ひらがなを練習することに強い拒絶を示します。

手本そっくりな文字が書けないことが我慢できない様子です。

 

Aくんと初めて会ったのは、ユースでのお泊りのレッスンで、友だちと

は楽しく過ごせていたものの、お勉強の時間と聞いたとたん

「絶対、やりたくない」と逃げていました。そして、

他の子らが楽しそうに活動する間も、意地でも近づこうとしませんでした。

 

そこで、Aくんに教室に来てもらって、

Aくんが「お勉強」と聞いただけで逃げ出したくなる気持ちをやわらげて、

文字を書くこと親しめるよう手助けすることにしました。

Aくんに、今日はどんな活動をしてみたいか、いくつか例を挙げて選ばせると、

「海や川に住んでいる動物の世界や恐竜の世界が作りたい。

それから、電車の線路をつなげたりしたい」と言いました。

 

Aくんは「ザリガニは海じゃなくて、川に住んでいるんだよ」と言いながら、

ワニといっしょに川の絵が描いてあるプレートに置きました。

「Aくん、魚や恐竜の名前をよく知っているね。水族館や動物園みたいに

名前の札をつけておこうか。

「そうだ、電車の駅に、大阪行きですとか光ながら文字が動いていく

やつあるでしょう?あんな風に字が動いていくようにしようか?」とたずねると、

「うん」と答えていたものの、やらされるのかな?と思ったようで、

少しこわばった顔をしていました。

その後、Aくんは青いプラスチックの板の上に熱心に

水の中の生き物を乗せていった後で、

「ああ、疲れた」とつぶやきました。それから、

「水の生き物の次に普通の動物も出してもいい?」と、

動物のフィギアが入ってある箱を指さしました。

「おもちゃはもう十分出しているよね。電車も出しているし、

水の中の生き物も出しているし、ブロックも出しているよ。だから、

これ以上、新しいおもちゃを出すのなら、ひとつ、チャレンジしなくちゃいけないよ。

今日、Aくんがチャレンジするのは、ひらがなを書くことよ。

もし、チャレンジしたくなったら、先生に言ってね。

でも、無理にしなくてもいいよ。今のままでも、楽しく遊べるはずだから」と

言いました。

 

「それじゃ、先生は恐竜の名前の札を作ることにするね。」と言いながら、

細長い紙にAくんに教えてもらった「ぶらきおざうるす」の名前を書くことに。

「手伝って」と頼むと、点や横線を入れるのを手伝ってくれました。

Aくんは頭の中で形をイメージするのは得意な子らしく、

ブロックでピラミッドのような形を作ることもできるのですが、文字を書く手は

ふらふら揺れるようで、線をとめるのも難しそうでした。

 Aくんは、紙のわっかを回すと、

「ぶ、ら、き、お、ざ、う、る、す」と一字ずつでてくることに

とても喜んでいました。

そして、いっしょに文字の一部を書くのを手伝ってもらう時に、

先生は無理やり書かせたりしないんだな、と感じたようでした。

それで、少し退屈してきたところで、「チャレンジしたい。

ぼく字を書きたいよ」と言いました。

「そう?それなら、どんな字が書いてみたい?

簡単なのがいいかな?

しっぽの『し』は、本物のしっぽみたいな形よ」と言うと、

「ぼく、『し』は字を知らないんだ」と言いました。

そこで、見本を書いてから、しーってすべっていって、

少し曲がる、ほら、しっぽみたいでしょ」と言うと、しを書いてから、自

分が知っているという『か』も

書いていました。

 

宝物を隠す地図を描くことにしたAくん。

 

 

おばけのヒューゴのゲームに夢中でした。

とっても怖がりなのに、怖いゲームに挑戦したい様子のAくん。

自分で自分の敏感さを乗り越えようとしているかのようです。