この時相談をいただいたBちゃんは今小学3年生。「何もしたくな~い」と言っていた
年長の頃には想像もつかなかったほど、好奇心旺盛で考えることが好きな子に
成長しています。いつも歴史人物の本を手放さないほどの歴史好きで、
家族旅行で出かけた先のめずらしい地形を工作で再現するのを楽しんでいます。
最近のBちゃんの作品(徳島の渦潮です)
頭脳パズルやボードゲームが得意で、算数の学習に自信を持っています。
お母さんと協力して、Bちゃんの意欲と好奇心を大切に育んできてよかったと感じています。
時間に余裕がある日は、帰宅時にレッスンに来た子どもたちを(入場券で)
大阪駅まで見送りに行って、
大理石に埋まった化石を見つける手伝いをしています。
何度も大阪駅に足を運んでいるので、新たな駅の見所や楽しみ方が増えました。
迷惑がかからないように行儀よく観察するようにしています。
普段は行かない遠方行きの路線の乗り場に行ってみると、めずらしい列車に会える
時があります。また、移動の際に、子どもたちに「マークを見つけたら報告してね」
と告げておくと、とってもレアで美しいマークが次々見つかってワクワクします。
土曜のレッスンに来た年中、年長さんたちとも大阪駅に寄ることになりました。
きっかけは、Aちゃんが化石について学ぶワークショップで
作ってきた『おゆまるのアンモナイトの化石』です。みんな興味しんしん。
ついでに教室の鉱物や石や化石のコレクションを見ることになりました。
鍾乳洞に行った子のおみやげ。ひんやりして気持ちいいです。
大理石の中のアンモナイトの化石。
石を眺めるうちに、「キラキラする宝石みたいなものが作りたい」という子どもたち。
アルミホイルで正八面体や正六面体を作ることにしました。
アルミホイルは適当な形を作ってから一面一面磨いていくと、
銀細工のような美しい塊に仕上がるのです。どろだんごづくりのような熱心さで
これに臨む子は多いです。アルミホイルで巻貝の型を取る遊びもしました。
話が脱線しますが……実験や工作をする時、アルミホイルはとても魅力的な素材です。
社会に貢献するアルミ箔の世界 という日本アルミ二ウム協会のホームページでは、
うちわとアルミ箔で手作りデジタルアンテナを作る方法とか、
アルミホイルを使って和紙を形状記憶素材にして工作する方法などが紹介されています。
途中から子どもたちは、ボンドでビーズやスパンコールなどを
埋め込むアクセサリー作りをはじめました。
レッスン後、大阪駅まで見送りに行く途中、Bちゃんのお母さんから、
「幼い頃から興味を広げる環境を整えてきたつもりなんですが、
Bは知的好奇心が薄いように思います。どうしてでしょうか?」という質問を
いただきました。
Bちゃんが虹色教室にくるようになったのは半年ほど前。慣れるにつれて、
「わたしは今日、こういうことがしたいんだ」と主張することが増えました。
他の子らと別行動を取ることが多いものの、自分発のやりたいことを一通り終えたら、
こちらが提案することに積極的に取り組むし、お友だちと協調してする活動も
楽しんでいるので、社会性の発達はしっかりしている様子。
今、Bちゃんは、自分で自分のすることを決めて、
自分で自分をコントロールしてやり遂げることで、
心地よさを味わったり、自信をみなぎらせたりしているのでしょう。
ですから、今のBちゃんの姿はそのまんまでいいのでしょうが、Bちゃんのお母さんの
言葉についてもよく考えてみることにしました。
この日、Bちゃんは教室で何をしたいのか決めてきたようで、他の子らが
「キラキラする宝石が作りたい」とか「水が勝手に塗り絵をする実験がしたい」と
口々に言いながらテーブルで作業する間、
「わたしはしなーい。わたしはやりたいことがあるんだもん。」と言って
材料入れを探っては何やら作っていました。
それがこのキラキラアクセサリー作り。
他の活動が一段落した子らが、いっせいにBちゃんの真似をしだしました。
「貝がらや生き物の骨なんかが土の中に埋まって、
上から粘土や砂や火山から出てきたものとかが、重なって重なって、
しまいに埋まっていた貝がらや生き物の骨なんかが化石になったのよ。
ビーズやスパンコールをボンドの中に埋めると化石みたいね」と話すと、
年中のCちゃんが話に強い関心を示しました。
このグループは最近レッスンに参加するようになった子が主なのですが、Cちゃんは
数年前から通ってくれている子で、教室で上の写真のような
地層に化石が埋まっている絵本作りをしたり、(写真はCちゃんとは別グループのもの)
家族で出かけ先でおみやげにアンモナイトの化石を買ってもらったりした
思い出があります。
おみやげの化石を教室に持ってきて、他の子らがCちゃんを
「ちょっと触らせて」「いいなぁ」と取り囲んで、
一緒に化石を発掘するごっこ遊びをした日は、それは誇らしそうな顔をしていました。
そうした楽しい記憶の積み重ねのせいか、Cちゃんは、化石はどうやってできたのか、
アンモナイトの身体はどうなったのか、
地面がクリームやチョコを重ねたケーキみたいになっていくのはどうしてかなど、
気になることがたくさんあるようでした。
そんなふうに、蓄積されたバラバラの体験が、ある日臨界点を迎えて、
どっと疑問としてあふれだしたり、深い興味につながったりする瞬間があります。
ですからBちゃんの知的好奇心にしても、
こうした楽しい時間を重ねていればいずれ目覚めてくるもの、と
気長に待てばいいのかもしれません。
ただ、ひとつだけBちゃんのお母さんの話を伺ううちに気にかかったことがありました。
Bちゃんのお母さんは、Bちゃんにどのような環境を与え、親としてどのように接して、
今度、どうやって学習習慣をつけさせるのか、何度もていねいに検討する方です。
Bちゃんのお母さんの考え方や接し方は、どれも無理のない温かみのあるもので、
Bちゃんの自己肯定感を高めていることがよくわかります。
それにもかかわらず、「ひとつだけ気にかかった」と書いたのは、
Bちゃんのお母さんは、Bちゃんのことについていつも細かい点まで
考えに考えているけれど、Bちゃん自身は、「考えるのはお母さんの仕事、
わたしはやるだけでいい」とばかりに常にケロリとしていて、
自分のしていることを気にとめる様子がないことです。
Bちゃんのお母さんのお話をうかがううちに、
わたしはBちゃんの知的好奇心や教育についての話題が、
「何を与えたらいいか」「どう説明すればいいか」「どう教えればいいか」
「何をしてあげればいいか」といった
お母さんからBちゃんに向かう一方向の働きかけに終始していることが気になりました。
また、ていねいに先の環境を検討する理由が、後々、Bちゃんがジレンマに陥いら
ないように、問題にぶつかって悩むことがないように、
問題自体が起こらないような環境を選んでおこうという思いに基づいていることも、
Bちゃんの考える態度に影響を及ぼしているように感じました。
わたしが子どもの知的好奇心を育てようと思ったら、
まず、「その子がどんな内容の話に夢中になるか」
「どんな場合、熱心にこちらの話に耳を傾けるか」
「わくわくする表情を見せるのはいつか」
「少し難しいチャレンジに臨むのはどんな場面か」
「時間が経過しても熱心に考え続けるようなテーマは何か」といった
その子自身が周囲やわたしに向けて発信しているものを具体的に捉えます。
そうした上で、「興味を広げるのにこの子にあった働きかけはどんなものか」
「思考を追うのにこの子にあった表現方法はどんなものか」
「もっと意欲的に自分の意見を言うようにするには、どんな場面を作るといいか」
を探りながら試していきます。
子どもが重度の自閉症で、会話が成り立たなかったとしても、
より微細な情報にも注意を向けながら、そのようにしています。
また、子どもの環境には未完成な部分や葛藤を抱えるような部分、
問題にぶつかるような部分をわざわざ残しておいて、
子どもといっしょにそれを乗り越えるようにしています。
Bちゃんたちと大阪駅に寄った時、Bちゃんは化石探しを心から楽しんでいましたが、
最も顔が輝いていたのは、
移動中、偶然始めた「マークを見つけたら報告する」という遊びで
改札の近くで「新幹線のマーク」を見つけた時でした。
Bちゃんがこのところ、他の誰のアイデアでもない「最初にわたしが思いついたこと」に
固執している姿を思うと、「新幹線のマーク」に惹かれた理由がわかる気がしました。
というのも、壁一面のサンゴの化石に圧倒されるようなインパクトがあろうと、
「こっちにも化石がある」「あっちにも」とお友だちと報告しあうのが面白くても、
結局、どれも誰かに教えられたものなのです。
その一方で、「マーク見つけ」は大人から見ればどこにでもあるようなものでも、
この日たまたま始まった遊びなので、
率先して探していたのはBちゃんですし、「新幹線のマーク」のように
めずらしいものは、Bちゃんだけの新発見なのです。
つまり、主役はBちゃん。
そこのところは、何をさておき大事なんだろうな、と子どもたちと接していて感じます。
特に一見控えめで受動的に見える内向型の子にとって、
「自分の主観が尊重されていること」は絶対外せないお約束のようです。
子どもが夢中になっていることについて、
知的好奇心をくすぐるような話題や疑問を投げかけても、
「もう、いいの」と会話を終わらせたり、
楽しそうにやっていたことをやめてしまう子がいます。
Bちゃんも、自分のしていることを言葉で捉えなおすのを
極力避けたがる癖があります。
Bちゃんは自己肯定感が高くて知力がしっかりしている子ですから、
そういう個性として受けとめて、成長を待つのもいいのでしょう。
でも、これまで以上にBちゃんといっしょにじっくりと考える面白さを味わい、
会話を深めたいとすれば、これまでやってきたことの内容はそのままで、
それぞれのバランスを少し変えるといいのではないでしょうか。
Bちゃんのお母さんは、先のことを慎重にていねいに検討し、
最終的に無理のない適切な判断をくだす方です。
それ自体はすばらしいことで、これまでもよい選択をしてきたからこそ
Bちゃんがのびのびと子どもらしく成長しているわけです。
でも、今までBちゃんのことで、100パーセントそうして決めてきたところを
90パーセントか85パーセントくらいに控えて、
無計画でいい加減な部分を少しだけ残しておくと、
Bちゃんが思わぬ困りごとにぶつかったりジレンマに陥ったりする機会が
ほどほどにあっていいのかもしれません。
悩んでいる子を見守るのはつらいですが、いっしょに問題を乗り越えることで、
問題解決能力が鍛えられるし、メタ認知力も育ってくるはずです。
自分の経験していることに対するアンテナの張り方や責任感が違ってきます。
また、お母さんが、「Bちゃんにどんなことをしてあげようかな」
「何を教えようかな」「何を与えようかな」と考える比率と、
「Bちゃんは何を言おうとしていたのかな」
「夢中になっていたのは、何が心に響いているからかな」
「Bちゃんが自分から会話を深めていこうとする内容はどんなものかな」
ということに思いを巡らせる比率を、これまで9対1くらいだったのを、
5対5とか4対6くらいに変えてみるのもいいのではないでしょうか。
Bちゃんの生活の中で、Bちゃんが選べんだり決めたり、
それによって失敗したりする比率を増やしたり、
Bちゃんの考えに耳を傾けたり、Bちゃんに相談を持ちかけたり、
Bちゃんの表現活動に本作りやお話のひとこと感想や新聞作りのように
言葉を使うもの(無理に文字を書かさなくても、子どもの言葉を聞いて
大人が書いてあげるのもいいと思います)を加えていくのも大事なのかも、
と感じました。
虹色教室でも、そうした活動の幅を広げていってあげたいと考えています。