算数オリンピックに参加することによる弊害はないのでしょうか の記事に、
(記事でコメントを取り上げたお返事としてなのですが)
次のようなコメントをいただきました。
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草創期の学校の卒業生から世界的に活躍する人が出るのは、
価値観を固定しない教育をされてるからなのですね。
以前のエントリーにおける「未完成な親」や、
大人が手を出さない「未完成な教育システムの塾」が子供を伸ばす要因なのでしょうか。
逆に進学塾は、完成した教育でなければ子供が合格しませんから、
長期に通うことは不適なのかもしれませんね。
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いただいたコメントにある
「価値観を固定しない教育」や「未完成な親」というのものが、
(言葉の解釈が重要ではあるけれど)
わたしも子どもの知力と精神力と個性的な才能の伸びと大きく関わってくる
んじゃないかと感じています。
コメントにある「子どもの近くにいる大人に必要な隙ってどんなもの?」とは、
リンク先の記事のことです。
この「未完成」という言葉に、???とクエスチョンマークがいっぱい
頭の中に浮かんだ方もおられると思います。
そこで、最近、教室で子どもと接した出来事を取り上げて、
「価値観を固定しないこと」や「未完成」であることの大切さについて
言葉にしてみたいと考えているのですが……。
その前に親の接し方の未完成さや、子どもの可動領域に余白があることが、
子どもの心と人生にもたらす価値について綴った
『自己肯定感は褒めると上がる?』という記事を紹介させてください。
(この記事の中で、未熟と未完成という言葉は異なる意味で使っています)
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ブログで自己肯定感の話を書くと、
「(自己肯定感を上げるには)もっと褒めるといいんでしょうか?」
という質問をいただくことが多々あります。
そのたびに、「褒める」というのとはちょっとちがうなぁ……と思いつつも
ひとことで、「これこれこういうことしたら上がるものですよ」とアドバイスできる
ものでもなく、もやもやした思いをくすぶらせることがあります。
そこで、わたしが考える「自己肯定感」が上がると思われる接し方と、
「自己肯定感」が下がると思われる接し方について、
言葉にして整理しておきたくなりました。
特に、子どもの自己肯定感を上げようと思って褒めているのに、
「褒める」行為自体が、子どもの自己肯定感を下げているように見えるケースについて
言語化できるといいな、と思っています。
3歳になりたての子らというのは、
「こういうことがしたいんだ。自分でやってやるんだ!」と
自分の動きを自分でコントロールしたい気持ちが持続しはじめるものの、
「何をどんなふうにしたいのか」ということは後回しというか、
本人にするとどうでもいいことだったりします。
周囲にすると、一生懸命しているところ、口出しするのも何だけど、
「ちょっと紙の使い方もったいないんじゃない?」
「新聞紙使って工作してごらん」なんてあれこれ口出ししたくなる時です。
大人からちょっとあれこれ言われても、
それまで自分や自分のすることに自信が育ってきている子は、
大人のアドバイスもそこそこ聞きいれつつ、
「大丈夫だよ。もうこれで、こうちゃく出来上がりだよ。」と
自分のしてきたことを否定しないでいいような切り返しで決着するものです。
お姉ちゃんから手厳しい追及を受けてもへっちゃらで、
ぼくが作っていたのは「○○!」と、おそらく、できあがってものを見て
後付けでひらめいた名前を自信満々に言います。
子どもの自己肯定感というのは、自分で自由にできる余白というか、
実際に動く場面でも、想像の世界においても、自分で動いて失敗してもOKという
可動領域がしっかり確保されているかどうかに大きく関わっているように思うのです。
大人が子どもの領域へしょっちゅう侵入していたり、
逆に「子ども」という存在を特別視したりお客様扱いしたりして祭り上げて、
子どもの周りに地に足をつけている大人が存在しなくなったりすることも、
子どもが確かな自分を感じられなくなる、
つまり自分に自信を持てなくなる原因のひとつとなるのではないでしょうか。
大人のアドバイスに過剰反応し過ぎて激しいかんしゃくに発展してしまう子も、
即座に大人の指示に従って、「自分のそれまでしていたこともこれからしようと
していたこと」も帳消しにしてしまう子も、
「ママして~」とすること自体放棄してしまう子も、ちょっとしたことをきっかけに
自信や自分への信頼感が揺らぎやすい子なのかもしれません。
子どもはそうした揺らぎのなかで成長していきますから、
こういう反応をするから、自己肯定感が低いとか高いとか、
気にかける必要はないのでしょう。
でも、大人の関わり方の加減次第で、日常の行為のひとつひとつが、
子どもを勇気づけ、自己肯定感を高めていくきっかけになることも事実だと思っています。
それは子どものすることなすことを「褒める」というのとは、異なります。
幼い子たちのすることは、たいていでたらめでめちゃくちゃですから、
大人が「褒めなきゃ、褒めなきゃ」と思っていると、
心にないような嘘をつくことになるか、子どもが一番自信満々でやった部分は無視して、
大人が言葉でコントロールしてそれなりの形にした部分だけ、
「すごい、すごい」と褒めることになりかねません。
つまり、
「自己肯定感を上げるために褒めなきゃ、褒めなきゃ」と思って褒めているうちに、
褒め言葉が、大人の期待通りに子どもを動かすための
見えないニンジンになってしまうことが非常に多いのです。
「子どもの自己肯定感を高めるため」という名目で、
子どもに何かできるようにさせようとあせっている時、
実は、周囲の人の評価を大人である自分が欲していて、
「もっと褒めてもらいたい」「もっと認めてもらいたい」という飢餓感が
その動機に取って変わらないか、自分の心を見はっておくことが大切です。
以前、「親自身が『子ども』から『大人』に変化できていないと、数値で子どもを
管理したがるのでは?」という辛口の記事を書いたことがあります。
子どもの自己肯定感の高低は、その記事で取りあげた内容と密接に関わっているように
捉えています。
↓「親自身が『子ども』から『大人』に変化できていないと、
数値で子どもを管理したがるのでは?」
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『10代の子をもつ親が知っておきたいこと』水島広子/紀伊国屋書店
(この著書でクロニンジャーの「七因子モデル」を知りました。)という著書の中で、
「あれっ?」と感じる興味深い話を目にしました。
思春期の子を持つ親御さん向けの本ですが、幼児を育てている方にとっても
とても大切な話だと感じたので、簡単に要約して紹介しますね。
思春期の心の病である拒食症の治療の中心は、
対人関係療法で言うところの「役割の変化」になるそうです。
思春期の課題を消化して、「子どものやり方」から、「大人のやり方」に変化を
遂げることが病の治癒につながるそうです。
「子どものやり方」というのは、「何でも自分の努力で解決する」というものです。
一方、「大人のやり方」は、「必要であれば他人の力を借りよう」と
考えられることです。
成績が上位になれない、という場合も、一人でさらに努力して自分を追い込んでいくの
ではなく、いろいろな人生があることを知って、
自分の存在を社会の中で相対化できるようになることです。
「何でも自分の努力で解決する、のが『子どものやり方』だなんておかしい……
大人になっていくということは、他人に頼らず、自分で責任を持っていろんなことを
こなせるようになることではないの?」と感じた方がいらっしゃるかもしれません。
世の中は、矛盾だらけで無秩序なところです。
「がんばったから、幸せになる」とか「努力に比例して成功する」という単純なルールで
成り立っているわけではないですよね。
すべての課題を自分の責任でこなそうとする人は、
「秩序」によって安定するタイプが多いので、
「努力すれば成績が得られる」「親切にすればすかれる」というようなルールで世の中が
動いていないと不安になります。
そうしたタイプの人が、自分の秩序を乱す出来事に直面すると、パニックを起します。
そのパニックへの対処のひとつの形が拒食症という病なのだそうです。
「体重」は、食べなければやせるという体重計の数字にきちんと表れるので、
達成感と安心感が得られます。
思春期には、「自分の限界を知るということ」という重要な課題があります。
努力すれば何でもできるようになるわけではない。
がんばればみんなが褒めてくれるわけではない。
運命や環境をすべて自分の力でコントロールできるわけではないと認めること。
その上で、自分にできる範囲で全力をつくせるようになることが、
大人になるための思春期の課題です。
「人間は努力すれば何でもできるし、そもそも人間は学力だけで評価される」
という狭い考え方は「子ども」としての役割から生じるものです。
大人になるということは、
「人間にはいろいろな限界があり、その中で支えあっていくことが人生」という
大人としての役割で考えることができるようになることなのですね。
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『10代の子をもつ親が知っておきたいこと』で、
拒食症をはじめとする思春期の心の病についての話を目にするうち、
ちょっと怖くなったことがありました。
子育て中の親の中には、思春期の課題を超えそびれて、
まだ「長い思春期」の最中にいる方も多いです。
機能不全の家庭に育った私も、ひとりめの娘の子育てでは、
大人になれていない心のまま良かれと思って子どもの自尊心を蝕むようなことを
平気でしていました。
「子ども」の心のままで、心の病を引き起こすような世界観のもとで
子育てをしていると、目に見える安心感や数値上の上昇を確認することを求めます。
「努力すれば成績が得られる」「親切にすれば好かれる」というような
安心できる秩序が守られている世界をお金を払ってでも得ようとします。
それが教育産業が作り上げた、人工的な架空の世界であったとしても、
それを全世界のように錯覚した状態で子育てをしたいと願います。
子育ては、「すべてを自分の力でコントロールしたいという」、
現実にはありえない考え方がはびこりやすい場です。
なぜなら「自分で努力はしたくないけれど、コントロールして数値の確認をする
作業だけをしていたい」という、本当は現実の世界で叶えられてはいけない、
病特有の執拗な願いを簡単に実現してしまうからです。
おまけに、教育産業の多くが、そうした親の考えを正当化して、さらに煽りがちです。
教育産業が、儲かることを最優先に考えるのは、
ビジネスだからしょうがない部分もあります。
利用する側が、親にとっての最優先課題は、
ビジネスのそれと重ならない場合が多いことを自覚することが大切だと思います。
子どもの幸不幸は、どんな能力の親のもとに生まれたかよりも、
ちゃんと思春期の自分の課題を済ませて、「大人」になっている親に育てられているか
どうかで決まるように感じています。
子どもの未来も、「大人」に育てられているかどうかで、
大きく変わってくるのではないでしょうか?
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↑ 先の記事は自己肯定感について説明するために書いたものではありません。
わたしは子どもを外の評価の体系で測っては、数値で確認しながら育てていくことが、
自己肯定感が下がる原因と直にイコールで結ばれると考えているわけでもありません。
けれども、そうした育て方に代表される大人が、
自分の狭い世界観で自分が見たいものを子どもに投げかけて、
子どものある一面には関心をしめし、別の一面は(自分の価値観と合わないからという
理由で)無視するような育て方が、
自己肯定感を育む土壌の貧しさにつながるんじゃないかな、とは思っています。
ですから、毎日、子どもをシャワーをあびせるごとく褒めて育てたところで、
親が子どものなかに見たいものを褒め、認めたくないものを無視して褒めているとすれば、
そうした褒め言葉は親の価値観の押しつけでしかなく、
どこかで子どもを否定し阻害している行為ともつながりやすいと感じています。
次回は具体的なレッスンの話を例に挙げて書きますね。