虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子どもの才能や資質に気づくのは難しい? 1

2016-02-23 19:29:41 | 教育論 読者の方からのQ&A

毎日いっしょに過ごしているわが子でも、

その子ならではの才能や資質に気づくのは難しいという話をよくうかがいます。

 

才能や資質を見つけるために、何を習わせようか、何を体験させようか

と悩む方もいるようです。

でも、ちょっと肩の力を抜いて、子どもの視線が釘付けになっているものに

注意を向けたり、子どもの言葉にていねいに耳を傾けたりしていると、

日常のさまざまな場面でその子ならではの才能や資質が顔をのぞかせているのに

気づくはずです。

 

写真は年少グループのAちゃんが、輪ゴムを交差させて「見て!」と

言っているところです。

輪ゴムを触っていると偶然こんな形ができたようです。

よほどこの形が気に入ったのか、Aちゃんは長い間これを見続けていました。

 

大人が子どもにやらせたいことや教えたいことがせわしなくある場合、

Aちゃんのこんな発見は時間の無駄や手遊びの一種にしか見えません。

でも、普段から大人の側が、子どもの興味やアイデアや言葉を

関心を寄せていて、子どもから発信されたものを取り上げたり膨らませたりする

余裕を随所に作っていたら、その子ならではの才能や資質の輝きを目の当たりに

するにちがいありません。

 

Aちゃんは形の美しさや素材の性質や物の動きの面白さを探究するのが好きな子です。

この日も教室内で、一方に玉がはまって取れなくなっているラップの芯を見つけて、

ビー玉を入れて芯を左右に傾けては、「玉がはまっている方向に傾けるとビー玉が

出てこず、もう一方に傾けるとビー玉が出てくる」という様子を

しつこいほど何度も試していました。

そこで、このラップの芯を使った工作にAちゃんを誘うと、

「ボチャンと水の中に落ちるようにしたい」と言いました。

ラップの芯を傾ける方法は、年少さんのレッスンにつきあっていた

Bちゃんの年長のお姉ちゃんのアイデアで、お菓子の箱の内側部分を使いました。

ポリテープで水面を作ると、どんぐりやビー玉を水の中に飛び込ませる

おもちゃができました。

 

Aちゃんは、これまで自分が見つけた動きや形や素材の性質を

発展させて工作をしたことが何度かあります。

そうするうちに、積極的に自分の発見をよりくわしく説明しようとするように

なりました。

また、何かを発見した時、こちらがそれを取り上げて工作したり遊んだりするよう

提案すると、非常にねばり強く取り組むようになりました。

 

 

輪ゴムを交差させると球形の面白い形ができることに夢中になっていたAちゃんに

モールで輪っかを作って、輪ゴムと同じように交差させて球形を作ることを

提案すると、喜んで↓のような作品を作っていました。

 

 お友だちのBちゃんも真似してたくさん球を作っていました。

 

次回に続きます。


「やればできる!」の研究

2016-02-13 21:56:39 | 教育論 読者の方からのQ&A
 
『「やればできる!」の研究』(キャロル・S・ドゥエック/今西康子/草思社)
を読みました。本のカバーと帯に書かれている紹介文です。
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問題がむずかしいとやりたがらない子、むずかしい問題ほど目を輝かせる子、
一度の失敗で、もうダメだと落ち込む人、
失敗すると、何がいけなかったのか考える他人
このちがいはどこからくるのか?

能力や才能は生まれつきではないことを
20年間の調査で実証した貴重な研究です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「やればできる!」の研究 は、
著名な心理学者のキャロル・S・ドゥエックの「学ぶことが大好きで、
何にでも挑戦し、失敗してもめげない子どもに育てるには?」
について20年渡る研究の成果をまとめた本です。

キャロル・S・ドゥエックは、
「個人の知的能力は一定であって、向上させることは不可能だ」という
学者の主張を信じるか、
「訓練を積み、練習を重ね、そして何より正しい方法を習得すれば、
注意力、記憶力、判断力を高めて本当に頭をよくすることができる」と
主張する学者の意見を信じるかで、
その後の人生に大きな開きが出てくるとおっしゃっています。

この本では、自分の能力は固定的で変わらないと信じている人を
「こちこちマインドセット」の人、
人間の基本的資質は努力しだいで伸ばすことができると信じている人を
「しなやかマインドセット」の人と呼んでいます。

「こちこちマインドセット」の人は、
自分の有能さを示すことに心を奪われ、
自分の知的能力や人間的資質を確認せずにはいられないそうです。

「しなやかマインドセット」の人は、もって生まれた才能、適性、
興味、気質は一人ひとり異なるが、努力と経験を重ねることで、
だれでもみな大きく伸びていけるという信念を持っています。

ダーウィンもトルストイも、幼少時は凡庸な子と思われていました。
20世紀を代表するアーティストといわれる写真家、
シンディー・シャーマンは、初めて受けた写真の授業で単位を
落としているそうです。
大女優ジェラルディン・ペイジも、君には才能がないから
女優の道はあきらめなさいと諭された経験があるそうです。

才能は磨けば伸びるという信念は、強い情熱を生み出します。
すると、能力はどんどん伸びていくのです。

「こちこちマインドセット」の人は、
現在の能力を示すことにこだわって、時間を無駄にします。
欠点を克服せずに、隠そうとします。
もったいないことですよね。
 
うまくいかないときこそ、粘り強くがんばるのが
「しなやかマインドセット」の特徴だそうです。
「見習いたいな」と思いました。


子育てでも、「こちこちマインドセット」の人と、
「しなやかマインドセット」の人っていますよね。

子どもの現状を見て、先の能力まで決め付けてしまうことなく、
さまざまな活動を子どもとともに楽しんでいると、
いつの間にか期待した以上に子どもは伸びていくものです。
「しなやかマインドセット」で子育てしていると、
必ず良い成果が待っていることを、
虹色教室の生徒さんの成長ぶりで実感しています。

 
上の写真は今年、年長さんになる★くんの作品です。
★くんは多動が激しくて、ひとつのことに数秒間、
注意を留めているのさえ難しい子でした。
最初の頃は、遊びらしい遊びは成り立たなかったのですが、
工作や実験やごっこ遊びに根気よく付き合ううちに、
さまざまな能力が伸びてきました。

今日は★くんのお母さんから次のような言葉をいただきました。
 
「先生が、あと1年すると、ずいぶん楽になりますよ。
だんだんしっかりしてきますよ、とおっしゃっていたのが、
今になって先生のおっしゃる通りだったと感じています。

★は、この間まで体調を崩していて、
ちょっと外出したら吐いてしまうような状態で、
毎日、家で過さなくてはならなかったんです。
それが、退屈して大騒ぎするかと思いきや、
深海魚の本を手作りするんだといって先生に教えていただいた方法で、
ずっと本作りに熱中していました。
全く字に興味を持とうとしなかったのに、魚の名前が書きたいから、
文字を教えて欲しいと言ってきたり、魚のサイズや海の深さの数値を書きたいと言ってきたりしていました。工作も次々と作っては楽しんでいました。

虹色教室でいろいろ体験するうちに、ひとつだけの興味にこだわらず、
恐竜や電車や昆虫や海の生き物たちなど、
さまざまな方向に好奇心が広がるようになってきてよかったと思っています」
 



↑ 地層にも興味がある★くん。砂の層を作って遊びました。

学力をつけること と 個性的な強みを伸ばすこと

2016-02-13 20:26:14 | 教育論 読者の方からのQ&A

先日、次に年長さんになる女の子たち3人グループの親御さんたちと

それぞれの子の今後の教育について話し合う時間を持ちました。

年長さんともなると、それぞれの子の個性的な才能や強みといったものが

かなりはっきり見えてきます。弱点もしかり。

 

小学校受験用のテストの出来不出来とか、音楽ができる、手先が器用、

スポーツが得意といった外から測定したり 評価したりできる能力とは別に、

ひとりひとりの子にはその子ならではの特別な強みといったものがあります。

そしてそうした個性的で特別な強みを伸ばすには、身近にいる親御さんが、

「この子は算数が得意」とか、「この子はプールが○級」といった

表面的な子どもの能力の捉え方ではなく、

その子が『どのような子』で、『どのような可能性を秘めている』のか

よく見極めて理解してあげることが大切だと感じています。

この3人の女の子たちは、2歳、3歳の頃から虹色教室に通ってくれています。

それで 私は、まだヨタヨタ歩きながら片言でおしゃべりしていた時期からの

遊びの好みや集中の仕方、困ったことにぶつかったときの解決の仕方、

人との関わり方や記憶の保ち方、何をするときどれくらい熱中するか、

柔軟性や創造性、想像力を使ってどのようなことをするか、物の選び方や判断の仕方、

色や形への敏感さ、身の回りの世界への興味の持ち方などを

具体的なエピソードを記録しながら見守ってきました。

すると、どの子も、他の子と比べようがないくらい突出した強みを持っていて、

子どもの多様な個性と才能のすばらしさに目を見張るのです。

それは既存のテストでは測りようがない種類のものです。

 

このグループの女の子たちはあと1年ほどで小学生です。

親御さんたちに、「小学校の6年間で、学校や習い事での成績を上げることだけを

教育としないで、『その子独自の個性的な強みを伸ばす』という視点で、

環境や体験させたいことを考えてみてはいかがでしょう。」と提案し、

それぞれの子の能力や伸ばし方について話し合いました。

『その子独自の個性的な強みを伸ばす』というのは「音楽が得意そうだからピアノを

購入して、レッスンに通わせる」という意味ではありません。

もう少し大人が想像力を使って子どもを眺めたときに見えてくるもののことです。

女の子のひとりは、明るくて活発で次々遊びを思いつき、おしゃべりで

よく知恵が働く子です。

その遊ぶ姿からわかるのは、『想像力』と『思考力』と『社会性』の高さです。

こうした能力を生かせるものに、「作文」があります。

(他にもいろいろあるでしょうが……)

もしこの子が文章を書くことに興味を持ったなら、身の回りのさまざまな出来事に

アンテナを張って、自分の心で感じ取り、自分の頭で考えたことをどんどん言葉に

していくことでしょう。

だったら、「作文指導のある通信教材を取る」とか「国語教室に通わす」とかすると

いいのか……というと、それはかえって強みをつぶすことにもなりかねません。

子どもは個性的ですから、何をさせたらよいか考えるときも、

その子の得手不得手や好き嫌いについてよく考えてから選ぶ必要があります。

私は、あまり急いて外注することに頼らず、親が無理のない程度にその子専用の

オリジナルの教育をしてあげるのがいいのじゃないかと思っています。

たとえば、この女の子でしたら、活発に動き回ることやおしゃべりは好きだけど、

机に座ってする地味な作業はめんどくさがるタイプですから、

無理強いすれば文章を書く力がつく前に、作文嫌いにさせてしまうかもしれないのです。

この子にとって文章力をつけることが才能を開花させるためにとても大切だと思うなら、

「低学年や中学年の間は、子どもには自由におしゃべりさせて、

それを親御さんが書き取って読み物に仕上げてあげて、

自分が体験したり考えたりしたことを文章として読める楽しさに気づかせてあげる」

くらいの教育が、家庭で大事になってくるのかもしれません。

こんな風に書きましたが、必ずしも、子どもの才能を伸ばすために

親ができるだけのことをしてあげないと……と必死になる必要はないと思っています。

子どもは自分に必要なことを自分で探し出してくる力がありますから。

それならどうして、年長さんの親御さんに、

個性に応じた教育の必要性を説いているのかというと、

それを意識しないまま小学校に入学すると、さまざまな外の評価に翻弄されるうち、

その子が持っていた特別な才能は跡形もなく消えてしまった……ということが

よく起こるからなのです。

その子がもともと持っているものの価値をきちんと把握しておいて、

子どもが成績がふるわなくて自分に自信を失いかけているときも、

親御さんはぶれずに支え続けてあげることが大事だと感じているのです。

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こうした話をすると、ハンディーキャップを持った子を育てている親御さんが、

「うちの子には、特別な才能らしきものはひとつもありません」と

おっしゃることがあります。

でも実際は、そうしたハンディーを持っている子こそ、そうした特別な能力を

持っているものです。

才能や強みというものを狭い選択肢の中で限定して捉えているために、

隠れている能力が磨かれずにそのままになっている場合がほとんどなのです。


就学前に何を学習したらよいか  心的パターンを創造するよう うながすには? (まとめ) 

2016-02-05 12:55:31 | 教育論 読者の方からのQ&A

 

就学前に何を学習したらよいか 心的パターンを創造するように促すには? 1

 

就学前に何を学習したらよいか 心的パターンを創造するように促すには? 2

 

就学前に何を学習したらよいか 心的パターンを創造するように促すには? 3

 

就学前に何を学習したらよいか 心的パターンを創造するように促すには? 4

 

就学前に何を学習したらよいか 心的パターンを創造するように促すには? 5

 

 


『子どもが勉強にハマる脳の作り方』 という本

2016-01-28 21:26:42 | 教育論 読者の方からのQ&A

諏訪東京理科大学教授の篠原菊紀先生の

『子供が勉強にハマる脳の作り方』という本を読みました。

タイトルや紹介文には、ちょっと違和感があったもののなかなか面白い本でした。

 

著者の篠原先生は、多チャンネルNIRSという機械を使って、

年中脳活動を調べておられるそうです。

パチンコ、ゲーム、ツイッターなどのハマりやすい行為の脳活動も調査中なのだとか。

そこで浮上してきた「ハマリの仕組み」を利用すれば、

子どもの脳を勉強に夢中にさせることが可能だということです。

 

篠原先生いわく

「子どもが勉強する」ことは、子どもの脳の問題ではないということです。

実は、子どもの脳と親の脳の「間」の出来事が問題で、

ふつうは親が子供の脳が勉強にハマるのを邪魔しているそうです。

 

ならどうすればいいと書いてあるのかというと、勉強にハマる脳にいたるまでの

子どものあり様を表現した言葉が独特で面白かったのです。

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親に必要なのは、その時々の親子関係に合わせた対応。

目の前にいる子に、「正しいことを言わなければ」と思いこんで、

「勉強しなさい」と言うのは、大きな間違いなのだとか。

子どもはたまたま目の前にいるだけの「ビジター(訪問者)」で、

自分が解決すべき課題を抱えている自覚がありません。

わたしたちが、道ですれちがった人に説教をされたのと同じように、

反発心を抱くだけなのだとか。

 

子どもがビジター(訪問者)のときは、

親のできる対応は次の3つだけなのだそうです。

 

何もしない。

当たり障りのない話をする。

何でもいいからほめる。

 

相手に問題を抱えている自覚がなければ、心をこめて諭しても

脳がスルーするのはあたり前だということです。

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何か問題は抱えているという自覚はある。

でも、子どもがその問題は自分以外にあると思っている場合、

親子の関係は、コンプレイナント関係と言うそうです。

 

問題の原因が自分とは思っていないので、

「こうしたら?」という提案をすれば、腹を立てます。

 

何でもいいからほめる。

観察力をほめ、問題を見つけてもらう。

 

「勉強の邪魔をしているのは何かな?」など。

親はそもそも大したことはできないので、「副作用がないようにほめる」のが

基本なのだそうです。

コツは、

「ちょっとでも机に座ったらほめる。30分でやめたら、よく30分も

勉強できたねとほめる。」

ほめて待つが全ての基本なのだそうです。

 

「勉強したらほめる」「勉強したらほめる」を繰り返すと、

「勉強しようかな」と思った時点でザワワと線条体が活動し、

勉強に心が向かっていくようになるそうです。

ドーパミン神経系が線条体で回路を作っていて、

ここで「快」と「無意識的な行動」が結びつきます。

「やる気」とは行動と快感の結びつき。

 

たとえほんの少ししか勉強しなかったとしても、

比べる対象は親の中の理想ではなく、それまでの子どもの姿なので、

ちょっとしたプラスの変化を探すのは難しくないのだとか。

 

子どもが学習っぽいことをしたらベタぼめ。そうやって、

子どもがカスタマー(顧客)に揺らぐ瞬間を、

目を凝らして待つそうです。カスタマーは買う気満々のお客様。

相手がお客なら、親は子のニーズを的確につかまえて、タイミングよく、適切な量、

方法で、目標を設定してサポートしていくそうです。

 

『子どもが勉強にハマる脳の作り方』篠原菊紀/フォレスト出版

※一部を短く要約しています。

 

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実を言うと、わたしは、

この本で目指しているように「親が子どもを作っていく」

「親が子供をプロデュースする」というイメージがあまり好きではありません。

でも、現実には、子どもを前にすると、かなり甘めの対応が多いわたしは、

教室の子らに対しても、大きなわが子を前にしても無意識に、

この本と変わらない対応をしているな~と感じました。

ちょっとでもがんばりを見せたら、それが1、2分でやめたとしても、

思わず感激して、ほめ言葉が口に浮かんでくるです。

子どもたちを勉強にはハマらせようとしているわけでも、

わたしの期待することをやらせようともくろんでいるわけでもないのですが、

単純におめでたい性格な上、アバウトで適当なところがあるので、

ちょっとでもプラスの一面が見えると、

「すごいねぇ~!」と口に出してしまうのです。

 

でも、確かにそれを続けていると、いつの間にか、

子どもたちは勉強好きにはなっていきます。これは実証済みですよ。

 


子どもの能力を引き出す幼児教育 ダメにする幼児教育

2016-01-26 18:45:02 | 教育論 読者の方からのQ&A

さまざまな幼児教育法が飛び交っていて、

「あれが良さそう」「これがお得」と選んでいるうちに、

弊害があるという噂を聞いたり、自分の子に合わなかったりして、

何が何だかわからなくなって、何もしないまま時が過ぎています……

そんな声をちらほら耳にします。

「子どもに何をさせようと親の自由」と語る学者もいて、

「幼児期は勉強なんかさせずにたっぷり遊ばせたらいいのよ」と

力説する先輩主婦もいて、

「何をしてもしなくても、結局、いっしょなんじゃない?いっそ自己流で適当に

育てちゃおう!」そんな気持ちに行きつく親御さんたちがいても

不思議ではありません。

 

確かに3歳までに英語を聞かさなかったとしても、

就学するまで計算やひらがなを教えなかったとしても、

0歳から先取り学習をしていたという子たちと

先々、能力の差はなくなるかもしれません。

けれども、水と光がなければ、ほとんどの植物か枯れてしまうように、

幼児にとって基本的で必要不可欠な学びが欠けてしまうと、それは発達不全となって、

その子の将来に後々まで悪い影響を及ぼすものもあるのです。

現在は、そうした子どもの成長に絶対必要なものが、他のどうでもいい情報にまぎれて

見えなくなったり、環境そのものが、子育てに不向きなものに変形していたりするので、

あえて当たり前のことに真剣に意識を向けていないと、大変なことになるかも

しれないのです。

そこで、私が考える「幼児の成長に必要不可欠なもの」と、

「弊害をもたらす危険だと思われるもの」を、

一度、言葉にして整理しておくことにしました。


<幼児に必ず必要だと思われるもの>

★自由な探索活動  (身体で空間を感じ取る体験も含みます)

★五感を使う体験 (感覚統合を育てる体験も含みます)

★愛着

★親と子の濃密なコミュニケーション

★遊び

★想像力と創造力を育む体験

★親愛を込めて、心のこもった言葉で話かけること

★人と交流 友だちとの遊び

★感情を認めること ネガティブな感情も表現させること 感情の処理方法を教えること

★リラックスできる場所と時間

★脳の発達の自然なパターンにそった活動に適切な支援を与えること



<幼児期に適度にあるといいもの>

★絵本の読み聞かせ

★自然との触れ合い

★積み木やブロックのような、能動的に関われるおもちゃ

★身体を使った運動

★日常生活でさまざまなものに出会うチャンス

★感覚的な入力を言葉とつなげるように支援する

★原因と結果を結びつけることができる子どもにわかりやすい体験

★新しいことへの挑戦を励ますこと

★お手伝い

★注意を向けて集中することをうながす課題

★歌う 音楽を聴く リズムに乗る

★絵を描いたり、物を作ったりする。

★身のまわりの不思議への関心をうながす



<幼児に害を与えると思われるもの>

★過剰期待

★親の不安にもとずく過保護(子どものすることを先にしてしまう。ミスさせない。

挑戦させない、けがやけんかを恐れすぎる)

★過干渉(つきまとって指示を与える。子どもが自分自身で心的なパターンを

形成することができない)

★放任や無視 親の精神的な不安や怒りを子どもに投影する

★忙しすぎるスケジュール

★体罰 言葉の虐待

★過度に窮屈な訓練

★未成熟で不適切な神経ネットワークを酷使させること

★子どもの年齢にちょうど適した体験を与えない

★受動的な体験が多すぎる

★刺激が多すぎる体験



2~5歳 考えるのが好きな子になる接し方(想像力、推理力を育む)

2016-01-18 08:50:44 | 教育論 読者の方からのQ&A

子どもが考えることが大好きになるための接し方のコツを紹介します。

 

最初は、『推理力』の育み方から。

 

推理力を育むには、「間」が大事です。

たとえば子どもが「これ開けて!」と箱を持ってきたとき、

「はい」と開けてあげるのではなくて、

そーっと息をひそめて、

子どもといっしょに顔を見合わせてドキドキワクワクして、

「何が入っているんだろう?」と言いあいます。

そうして開けるまでにゆったりした張り詰めた間があると、

子どもは「○○が入っているんじゃない?」「○○かな?」などいろいろな

想像や推理をめぐらせることができます。

大人が「ぞうが入ってるんじゃない?」といったトンデモな答えを言うと、

「ぞうは大きいから、入れないよ」など、子どもは返事をするはずです。

そうした会話の中で、考える力や比べる力や観察力や推理力が育ってきます。

 

どこかで小さな音が聞こえたら「何の音かな?」と耳をすまして、

「カタッて聞こえたね。何の音かな?

電車の音かな?ちがうね。」と言うと、

子どもは「あっ、◎ちゃんが、あるいたときに、床が……って音がしたんじゃない?」などと

答えるでしょう。

 

何でもそうっと大事に扱って、静かに目をこらして

耳をすませば、そのとたん子どもの推理力は働き始めます。

「あー、時計さんは、カチカチカチカチ……。

何をしてるのかな?歩いているのかな?踊っているのかな?」と言いながら、子どもを抱き上げ、

時計を触らせてあげると、子どもはさまざまなことを考えるはずですよ。

 

物をそっとハンカチで覆って、「何かな?何かな?」と中身を当てるだけでも

推理力を刺激する楽しい遊びになりますよ。

 

 

 

考えることが好きな子に育つには、「考えること」で成功する体験が

たくさん必要です。

それには、子どもがわかりそうなこと、少しがんばれば考えられそうなことは、

すぐすぐ大人が答えを言わずに待ってあげることが大事です。

 

たいていの親御さんは、子どもが困っていると、

代わりにしてあげたり、

「○○したらいいよ」と、ずばりそのまんまの答えを教えて

問題を解決してあげがちです。

そうした教え方は、「考える過程」をすっとばして、「答えだけ」を教えこんでいくような

行為です。

 

子どもは、大人に聞けばあっという間に済むことだから、

いろいろ試すなんてばかばかしい、

考えるなんて意味がない……と感じてしまいますよね。

 

たとえば、上の写真の作品作りで次のようなことがありました。

わたしは、年中さんの☆ちゃんに、ブロックで車庫を作る方法を見せました。

 

が、「他の人のお手本を集中して見る」という経験が少ない☆ちゃんは、

その時は、無関心に過ごしていて、

そのあとで、できた作品にブロックを重ねて遊んでいました。

 

そこで、ブロックのつなぎめのひとつがはずれるというトラブル発生。

 

☆ちゃんは、ヒイヒイ言いながら、そうしたトラブルへの不快さを表現しつつも、

つなぎめがない状態で、どんどんブロックを重ねれば

元通りになると思っていたようです。

でも、少しすると、やっぱりブロックはつながっていないことに気づきました。

 

自分のやり方が間違っていることは了解したものの

どうしてよいかわからないものですから、

でたらめな場所に乱暴にブロックをはめていくことを繰り返していました。

そこで、☆ちゃんのお母さんが、

「☆、ここにブロックをはめるといいのよ」と教えたので、一件落着。

 

でも、ささいなトラブルに遭遇したときの☆ちゃんのイライラした様子と、

乱暴な試行錯誤の仕方から判断して、

☆ちゃんのお母さんは問題が起こったときの解決法の教え方をちょっと

変えた方がいいように思いました。

 

「ここにブロックをはめればいい」と、答えをそのまんまズバリで示してしまうと、

問題というのは、聞けば1秒で解決するもの……と、

子どもが学んでしまうし、

そこには自分でできた喜びが入る隙間が少しもありませんよね。

 

 それならアドバイスすればいいのでしょう?

 

「こっちかな?」「あっちかな?でもそれだと、はずれちゃうね。難しい……どうすればいいのかな?」

と、ひとつには正しい答えのヒントを入れながら、

考えていく楽しさを見せてあげることや、

試行錯誤するときの観察ポイントを独り言のなかで言ってあげるのが

いいのではないでしょうか。

 

☆ちゃんのお母さんが、答えを教えてあげた後で、

☆ちゃんは自分で工夫して、赤や緑の色のブロックを

センスよくはめていました。

でも、創造的に根気よく遊んでいたはずの☆ちゃんが、途中で

急に興味が冷めた様子で、スーッと別のおもちゃのところへ行ってしまいました。

 

本当は、その前の問題を解決するときに、「ああかな?」「こうかな?」といっしょに

努力して、「うまくいったね」と

喜びを分かち合っていたとすれば、

その後の展開はちょっとちがったものになったかもしれません。

 

☆ちゃんはブロックを重ねながら、

お母さんはきっと「すごくいい考えね」と思いながら私のことを見ているはず…と

お母さんからの共感的なまなざしを意識していたでしょうし、

、きれいな色が出せて根気よく取り組めたことをお母さんと共に喜びあうことが

できたでしょう。

感動を言葉で表現したり、次にはどうしたいのかというアイデアが出てきたかもしれません。

 

また、自分で問題を解決できたことで自信を得た子は

さらに自分の力を磨こうとして、

大人のするお手本をていねいに観察するようになってきます。

 

1秒で済む「答えだけ教える」という行為に、

数分かけて、

「わたしが解決したのよ」「わたしが考えたの」「自分でできたの」「わたしが思いついたの」

と感じて終わるように

本人に花を持たせてあげることは、

その後の子どもの意欲も親子関係も問題解決能力も

大きく変化させるのです。

 

 

 


子どもからのSOS

2016-01-16 07:35:18 | 教育論 読者の方からのQ&A

明治大学文学部教授でカウンセラーでもある、

諸富祥彦先生の著書『自己成長の心理学』の中で、現在、非常に多くの子どもたちが

自分を肯定できないことに苦んでいる現状を知りました。

 

「自分を傷つけると落ち着く」という自傷行為が増加していて、

悩みやすい子どもたちの間で、リストカットが一種の流行のように

なり始めているそうです。

 

諸富先生によると、リストカットなどの自傷行為をおこなう子どもには、

大きく分けて、次の二つのタイプが存在するそうです。


①空虚系

②自罰系

 

①の空虚系タイプの子の自傷行為の動機は、「生きている実感」の希薄さと

関わりが大きいのだとか。

 

自分は勉強もスポーツも取りたててできるわけではないし、

全て自分じゃなくても代わりが利くことばかり……

自分なんて、この世にいてもいなくても同じ……

そんなふうに考える子が、生命のリアリティーの希薄さを補って、

自分をこの世につなぎとめるために痛みを必要としているのです。

 

②の自罰タイプの子らは、自分に罰を与えて、否定的な自己イメージを確認するために

自傷行為をおこなうと言います。

自分を肯定できず、自分が自分のままでいい、とは思えない。

自分を評価し、否定的なまなざしで捉えて、

こんなダメな自分を罰してしまいたい、と思い、自傷行為に走るのだとか。


その多くは、親や教師の期待に応えようとする「よい子」で、

過剰適応傾向のある子どもたち。

親の期待に応えようとしても応えられないし、といって、親を否定できない、

過剰適応の自分に対する嫌悪感とそこから逃れようとする衝動が、

自分を傷つける行為に向かうのです。

また、万引き、ドラッグ、売春などに走るのは、

「よい子」たちも自己肯定感が感じられず苦しんで、

束の間のよい子からの解放を求めて非行に走るそうです。

 

その背後には、親や教師といった大人に対する根深い不信感が潜んでいるため、

心から信頼できる大人との出会いを契機に救われていく可能性があるという

お話でした。

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虹色教室で幼児や小学生の子らと接していると、子どもをめぐる環境が

年々、窮屈で息苦しいものになっているのを感じます。

まだ自分という感覚も育っていないような幼い子たちに、

さまざまな形で大人の期待を押しつけるようなシステムがちまたに溢れています。

子どもが自分の意志や自分らしさを表現する間もないほど

「できあがったカリキュラム」が幼稚園や幼い子の習い事の場にも浸透しつつあります。

一人ひとりの子の感情や声や思いを十分受けとめる大人がいないようでもあります。

 

小学生になると、成績がいいかとか友だちはいるか、スポーツやピアノは上達しているか、

といったこと以外で、子どもに極端に無関心になる親御さんをよく見かけます。

子どもがどんなことを考えているのか、どんなことに悩み、どんなことを願っているのか、

どんなことに興味があって、どんなことをやってみたいのかは、

子どもとたくさん会話をして、いろいろな活動を共にしなければ

わからないのではないでしょうか。

 

子どものことでちょっとでも気がかりなことがあると、

ネットやママ友からの情報を頼りに何らかの形で外注して解決を図るのが、

小学生を持つ親御さんたちの主流のようです。

そうして問題を除去することを急ぐよりも、子どもと真剣に向き合って

言葉にしない言葉も聞き取ろうとする必要があるのかな、と思いました。

 

子どもがやる気を失って成績が落ちている場合にしても、

先の著書にあったような、生きている実感の希薄さに悩んでいるのかもしれないし、

期待に応えたいけど、期待に応えられない自分に嫌気がさしているのかもしれないのです。

そんな時、「成績を上げる」ことだけに焦点を合わせると、

ますます生きている実感が薄れたり、さらに大人の期待を取りこんだりする結果に

つながるかもしれません。

 

 


親心がきちんと発揮できる状態(おとな心が立つ)にあると、ちょうどいい子どもへの手助けが判断できる

2016-01-09 16:50:23 | 教育論 読者の方からのQ&A
『魔法の子育てカウンセリング(阿部秀雄著/KANKEN)』という本で、
マグダ・ガーバーさんというアメリカの教育家の、
赤ちゃんへの接し方について取り上げてありました。
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著者が見たビデオ映像のなかに、こんなシーンがありました。
 
赤ちゃんが高い台によじ登ろうとしてうまくいかず
欲求不満の声をあげているとき、つい登らせてあげたくなりますが、
ガーバーさんは、「そこに登りたいのね。ちょっと高すぎて登れないね」
と共感の声をかけるだけ。
赤ちゃんも、まだ自分には無理だという等身大の体験ができたことを
納得した様子で、別の遊びに移りました。

手伝って登らせたらダメなわけではないのですが、
わたしたちは、子どもにとってどうするのがいいか見極めないまま
安易に手を貸してしまうことが多いです。
 
著者は、親心がきちんと発揮できる状態(おとな心が立つ)にあると、
こうしたとき、どうすればいいのか、きちんと判断できると
おっしゃっています。

次のシーンで、深いコップの底の積み木を取り出そうとする赤ちゃん。
ガーバーさんは、声をかけるだけで、安易に手をかすことはしません。

しばらく格闘した末に積み木を取り出した子の満足そうな顔といったら
なかったそうです。
別の子がテーブルの下でぐずりだしたとき、ガーバーさんは、
テーブルの下をのぞきこんで子どもの様子をよく見極めてから、
「手伝おうか」と声をかけるそうです。子供がそのままでよいようなら
見守ります。
すると、ぐずりながらもひとりで脱出した子は本当に満足そうです。
ビデオのなかの赤ちゃんは助けてほしそうでしたが、必要最低限の
手助けにとどめ、泣いて出てきたときよしよしと抱きしめていたのです。
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このガーバーさんの子どもへの接し方は、
私がよく「適当子育て」と呼んでいる私が子どもたちと接触する
タイミングととても近いものがありました。
 
一見、周囲から見ると、「冷たい~」ように見えるんですよ。
でも、赤ちゃんにしても、幼児にしても、小学生にしても、
手助けは必要最低限にして、共感の声はかけ、
うまく達成したときはいっしょに喜び合う……くらいの
ちょっと手抜き気味の接し方をとても好むものです。

そうして、一歩引いて、子どもにまかせることで、
子どものなかに自信がみなぎってくるんです。

こういって書くと、
「子どもを自立させるために何でも自分でさせなきゃ」と
ちょっと突き放したような接し方をする方がいるのですが、
工作を子どもが「作って」というとき、
「自分でしなさい」とか「ここはやりなさい」なんていわずに、
全部引き受けて、気持ちよく作ってあげることも大事だと
感じています。

こうしたことは、子どもの心と響きあい、子どもの思いを見極める目が
必要です。
難しいようですが、マニュアルで動かず、自分でやってみて失敗の数を
積めば、子どもに接する態度も、工作や学習と同じように上達してくる
はずです。
どんなによく見える態度も、それを固定して柔軟性を失えば
子どものように成長し変化していく存在を相手にするにはよくない
ですよね。

ただ、その場ですぐ「できてほしい」気持ちが強いとそれも台無しで、
いつでもすぐに結果を求める親が、子供が何かするたび、
やきもきしてみているという子は、
根気がなく、自信がなく、短絡的で、共感性が薄くチャレンジ精神が
弱い子が多いですから。

「できてほしい」とせかさない方も、もし、子どもかわいさのあまり
しじゅう手を貸してばかりの場合、注意が必要です。
子どもの自分でできるという自信がどんどん奪われていくからです。

子供と接するとき、いい親になろうとあせらないで、

子どもにとってどうするのがいいか、一呼吸、見極める間が大切ですね。

「持つ」教育、「ある」教育

2016-01-05 06:33:14 | 教育論 読者の方からのQ&A

虹色教室をする前に、

頼まれて何人かの知人のお子さんの勉強を見ていたことがあります。

そのうちひとりの男の子は、小4から週1回30分学習を教えていました。

その子が中学生になるとき、友だちと同じように塾に行きたいということで、

入塾テストを受けに行きました。

結果を聞きにいった親御さんは、そこの塾長から、「これまで、どこで教わって

いたのですか?」と驚いたような様子でたずねられたそうです。

「近所の方に少しだけ習っていただけです」と知人が答えると、塾長は、

「その方に感謝しなくてはならないですよ。この子は、考える力も理解する力も

申し分ない。基礎学力もしっかりついていますよ」とおっしゃったそうなのです。

知人が会うたびに何度もその話をして御礼を言ってくれるものですから、

私の方はきつねにつままれたような気持ちですっかり恐縮してしまったことがあります。

というのも、勉強を見る時間が30分と短いですし、宿題も出していないので、

ひと通りのことをさらっとさせていただけで、教えるというほどのことは

していなかったからなのです。

 

みんながみんなそれほど伸びたわけではないけれど、他に教えていた子たちの中にも、

短期間で中学入試用の難問もスラスラ解けるようになった子もいました。

こちらも教えていた時間も少しですし、謙遜とかではなく実際にたいしたことを

していたわけではないのです。

そうしたことを最近まですっかり忘れていたのですが、

『教育哲学のすすめ(山崎英則 編著/ミネルヴァ書房)』という本の中で、

フロムの次のような考えに触れて、ふいに勉強がらくらくできるようになっていく子に

共通する「あること」に気づいたのです。

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「持つこととあること」は2つの基本的な存在様式である。

現代の大量生産・大量消費の社会に生きているわれわれは、

できるだけ多くの物質や富の獲得、またそれを可能にする権力や地位を所有することに

専念しようとする。

すなわち「持つ様式」の生き方に傾倒しがちである。

だが、われわれは、他方では、自分の人間的な力を生産的に使用し、

内面的な能動性を発揮し、自己を表現し、充実して生きることも求める。

すなわち、「ある様式」の願望を欠くことができない。

ところが、前者が後者を圧搾し枯渇させてしまっているところに、

現代の深刻な人間疎外状況を見ることができる。

                      (『教育哲学のすすめ』より引用)
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「ある様式」の生き方の再生・復活こそ、フロムの目指しているものです。

ふと感じたのは、この「持つ」と「ある」という2つの様式があることが、

勉強の場合でも言えるな……ということなのです。

勉強する側も勉強を教える側も、大量生産・大量消費の社会の延長線上で、

もっと知識を獲得し、もっと解き方を獲得し、もっと短時間で達成する能力を獲得し、

もっと好成績を獲得し、もっと多くの検定、もっと多くの資格、

もっと多くの読んだ本の冊数、もっと低年齢で成果を獲得し、もっと学習時間を増やし、

もっと時間を有効活用し、もっともっと……

と「持つ」ことを求め続けるのが学習と信じられているふしがあります。

でも、歴史を振り返っていくと、「持つ」ではなく「ある」を大切にして学習が

行われていた時期もあるはずなのです。

頭がよく見える証明を得て、かしこく見せるために学ぶのではなく、

知識を貪欲に求めて自然にかしこく成長していた時期が。

学んだことを自慢するために学ぶのではなく、

学ぶことに喜びを感じて学んでいた時期が。

内面的な能動性によって学ぶことが当たり前だった時代が、

今の教育制度を作ってきたのではないでしょうか?

学力低下の話題が出ると、「内発的動機なんて理想論だ!」と声高に言い切る方々が

いるのですが、「持つ」教育が「ある」教育を圧搾し枯渇させてしまった状況では、

そんな乱暴な言葉がまかり通るのかもしれません。


話を最初に書いていた知人のお子さんのことにもどしますね。

子どもの勉強を見ていると、大人の過保護や過干渉が少ない子は、

すっと「ある様式」の学習に入っていきやすいのです。

「勉強って、あれもこれもそれも……もっともっととゲットしていく作業だ……」と

捉えている子と、

「できるようになるのは面白い。勉強は自分を成長させることだ」と

捉えている子とでは、学習時間の長い短いとか、学習内容とかは関係なく、

後者の子の方が断然伸びがいいのです。

短時間でもいいので、子どもの意識のスイッチが、内発的動機から出発できるように

調整してあげることは、「足りないから、他国に負けるから、もっともっと知識を!」

と子どもを煽るよりずっと効果的に能力を伸ばすことができるのです。

大人たちが勉強させなくてはと熱くなるほど、子どもたちは、勉強もしていないのに、

「やらなきゃいけない雰囲気で頭がいっぱい」「あれもこれもと考えるだけで疲れた」

「何もしていないのに何となく忙しい」とやる気が減退しているのです。


↓過去記事から内発的動機について書いた記事です。

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『モチベーション3・0』ダニエル・ピンク著 に、こんな実験が載っていました。

マーク・レッパーとデイビィット・グリーンという心理学者が、

幼稚園児を数日間にわたって観察し、「自由遊び」の時間に絵を描いて過す子たちを

見つけました。

次に、この子どもたちが楽しんでいる活動に対して、報酬を与えた場合の影響を

調べる実験を考案しました。



子どもを3つのグループ

★「賞がもらえることがわかっているグループ」

(賞をもらえることを告げられており、終了後、青いリボンのついた賞状をもらえる)



★「賞をもらえることを知らないグループ」

(賞をもらえることを知らされていないが、終了後青いリボンのついた賞状をもらえる)

 

★「何ももらえないグループ」

 

それから、2週間後の自由時間に、幼稚園の先生は紙とフエルトペンを用意しました。

研究者たちが観察していると、「何ももらえないグループ」と

「賞をもらえることを知らないグループ」は、実験前と同じくらい熱心に絵を

描いていました。

 

ところが、「賞がもらえることがわかっているグループ」

(賞をもらえることを告げられており、終了後青いリボンのついた賞状をもらえる)は、

実験前より絵に対する興味を大幅に失っていて、絵を描く時間も少なくなっていました。

これは、報酬が、興味深い仕事を、決まりきった退屈な仕事に変えてしまうため

だと考えられています。<ソーヤ効果>と呼ばれたりしています。

報酬があることで、内発的動機づけが下がるのです。

遊びが仕事に変わってしまうこともあるのです。

何の見返りも期待せずに、「やりたい気持ち」「好奇心」「やり遂げたことへの

感動」から、何かをするとき、人は、すればするほど意欲が湧いてきます。

しかし、「交換条件つきの報酬」は、自律性を失わせ、

モチベーションのバケツに穴があき、活動の喜びが漏れてしまうのです。

社会人となった大人の場合、やる気がない状態で、報酬のために働くことも

大事でしょうが、子どもの場合、せっかく生まれ持った「自分で自律的にやる気を

感じて物事をしよう」という気もちを、わざわざ低下させる必要はないですよね。

今の時代、通信教材にも、習い事にも、内発的動機づけを低下させる釣りエサの

ようなものがたくさん用意されています。小学校低学年の極端なやる気のなさや、

中学生の英語嫌いともつながっているようで注意が必要だと感じています。

『モチベーション3.0』によると、具体的な条件つきの報酬は、内的動機づけや

創造性を弱めることが多いけれど、あまり影響を与えない仕事もあるようです。

激しい情熱を呼び起こしたり、深い思考を必要としない作業です。

この場合は、アメが問題にならないどころか、功を奏する可能性があるそうです。

おそらく音読カードとか、そろばんなどには有効なのだろうと思います。

芸術家たちを調査したときも、注文作品は自主的な作品と比べて、

創造的な面でははるかに劣るけれど、技術面の評価では両者に違いはなかったそうです。

長期間にわたって実施された調査では、外的な報酬への関心が、

芸術家としての最終的な成功を妨げるおそれがあるとわかったそうです。

話を戻して、型通り決まった仕事には、次の3つが、

その取り組み方のヒントなのだそうです。

★その作業が必要だという論理的な根拠をしるす。

★その作業は退屈であると認める。

★参加者のやり方を尊重する。

一方、ひとつひとつの指示を受けて、そのとおりにこなす以上の、

高度な内容が要求される仕事には、報酬はいっそうの危険が伴うそうです。

虹色教室でも、創造的に深く考える、好奇心を持って根気よく取り組む、

学ぶことを心から楽しむといった特徴をしるす子というのは、

報酬をともなうような学習法と、ほとんど関わりなく生活している子たちです。

うちの子も、大きくなるにつれて、勉強が好きになってきましたが、幼い頃から、

学ぶことは、自分の気持ちや好奇心を満たすことに直結していて、

ごほうびでつって何かさせるようなことはありませんでした。

ただ、がんばったときに、お祝いするような形で、何かをしてあげたことは

ちょくちょくありました。

報酬が悪いというより、目的が報酬になって、それ自体のおもしろさが色あせると

よくないのかな?と感じています。

報酬を得ない部分への「研究したい」「より知りたい」といった願望は弱まるように

見えます。

私は報酬で子どもに学ばせるより、子どもが好奇心を抱いたことや、

発見したことに、大人が強い関心を寄せ、子どもの能力を信頼し、

よりそれを発展させる手立てをしるしてあげることが大事だと思っています。

子どもは学ぶこと自体に強い愛情を感じます。テストの結果などとは関係なくても。

「交換条件つき」報酬やその他の外的な報酬は、危険な副作用を

引き起こす可能性があるとされています。

ロシアの経済学者アントン・スボロフは、「一度交換条件つきの報酬が与えられたら、

似たような仕事に直面したとき、従業員、生徒、子ども側は、再びそれを期待し、

雇い主、教師、親側は繰り返しそれを利用せざるえなくなる。

この点において、報酬には(麻薬のような)依存性がある」と説明しています。

また報酬への依存は意思決定をゆがめます。

 

鼻先にぶらさげられたニンジンは、どんな状況においても悪影響をおよぼすわけでは

ありません。

ただ、短絡的なものの見方を生む短期思考につながるようです。

報酬は思考の幅を狭める傾向があるのです。

さらに外発的動機づけ(具体的な交換条件つきの動機づけ)も

思考を萎縮させるおそれがあります。遠くにあるものが目にはいらなくなり、

すぐ目の前にあるものしか見えなくなるからです。

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幼児期は、

<自律性><熟達><目的>

からなる内発的動機づけが何より大事だな~と実感しています。

モンテッソーリが幼児の秘密として発見したことは、

幼児が絶え間なくこの<自律性><熟達><目的>を目指して

自分から外界に働き続けていく事実だったのです。

一方、発達障害のある子たちにとっては、報酬をはっきりしるして、

しつけや学習をさせることが大事な場合があるのも、事実だと思います。

ただ、私が発達障害のある子たちと接していて感じるのは、

必ずしも、アメとバツだけが有効な子たちではないということです。

他人に認められること、自力でやり遂げることなどを通して

報酬なしでも、自己コントロールを学んでいく子は多いのです。